06/02/16 00:25:46
本居宣長からすれば、強者が振りかざす、論理に社会の健全性はない。
あえていえば、日本の建築は、あらゆることに知覚を分別するようにできている。
仕切りなどがそうである。そこには、無機質なものでない。幾何学的美しさがある。
日本の行式にそって、建築を考えられている。
古き建築から、哲学、型を受け継いで、新しい建築を加えることが、言語学的にも、
人へ貢献することは確か。
その上で、モダニズムの建築は間違っている。
それにおいて、大衆性を重視した、荒廃的人間性の建築、安藤は、
自己の文化を主張する大衆性に支えられた、基本的に貧しい建築である。
そもそも、スペインの建築には、中庭という概念がある。
建物に光を入れて情緒をもたらす。
日本の建築には、庭がある。
その上で、言いたいことは、美輪は所詮、大衆文化に支えられた人間だということ。よいとまけ。