08/09/24 13:33:29 Bd8RWBx5
>>374
デレヴャンコによる突帯文土器とグラスコフスカヤ文化の関連説明
デレヴャンコ「古代の道は現代に至る」より。
URLリンク(historic.ru)
「バイカル湖Bolshaya Chana湾から南行すると湖岸はかなりの湾によって分断されている。特に興味のあ
るのはKurla岬からSeverobaykalsk市に至る広大な湖岸平地である。距離にして15-20kmではあるが、こ
の辺では古代集落遺跡が多く発見されている。
URLリンク(maps.yahoo.com)
われわれは、ここで新石器時代仮泊地及び鉄器時代早期集落と共に、複雑な層をもつ2ヶ所の遺跡発見
に成功した。この2つの遺跡間の距離は小さかった。第一の遺跡はバイカル湖岸の高い段丘にあるMalaya Kurla川の河口から300m上ったMalaya Kurla谷で発見された。芝の下の褐色砂交じり粘土層で水で磨耗
した川石の上に、表面が円滑であり、紐の痕の付いた、刷毛及びスタンプで押して刻まれた文様を持つ、
容器及び土器の砕片が集まっていた。容器表面は円滑であり、基本的には2つの形状があって、弱輪
郭、厚手ズン胴平底甕で、表面には分断貼り付け突帯があり、突帯表面に装飾があるものと、薄手で胴が
膨らんでいて、口縁に斜めの刻目があり、その下に貼り付け突帯があり、その下には紐で押した痕がはっ
きり付いているものとかあった。一つの容器は形状も装飾もバイカル湖周辺グラスコフ文化埋葬遺跡から
出土する容器と瓜二つであった。この時代はバイカル湖、アンガラ川峡谷に住み着いていた民族が銅製
品の使用を開始した時期に相当する。」