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「紀元1世紀末頃に、この遺跡は突如出現し、紀元2世紀末に衰退し始める。つまり、邪馬台国時代前夜
に、発達を遂げた不思議な遺跡
30棟の棟持柱付大型建物が円周上に配置されていると聞いて、筆者がすぐに思い浮かべた建物が
ある。出雲大社の東と西の十九社である。我が国では、旧暦の10月を通常「神無月(かんなづき)」と呼ん
でいる。10月10日に全国の神々が出雲大社に集られ、10月11日から17日までいろいろな神議りを行
わうため、出雲以外では神々が不在になるためである。東と西の十九社は、出雲に集まった神々の
御旅社、つまり宿舎だそうだ。 」
「この住居跡から復元される建物の規模の大きさには驚くべきものがあるが、さらに注目すべきはその
床と壁にあった。住居をつくるのに、先ず深さ80cm以上掘り込み、次に厚さ約25cmの粘土を床面に
貼り、その上面を焼いて整え、さらに約8cmの精良な粘土を貼り高温で焼いて固めている。こうした床を
焼床(やきどこ)といい、従来にはなかった建築工法である。この床にはさらに、直径2cm程の穴が多数、
開けられていた。一方、壁際には40cm×30cm、厚さ約8cmのレンガと思われる建築部材が少なくとも
5個以上見つかっている。日本で出土した焼成の最古のレンガは白鳳時代の7世紀後半とされてきたが、
その歴史が500年もさかのぼることになる。」
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