08/09/16 08:15:35 yrSIh5m/
>3) 一つのproto-Koreanの地域的下位集団が文化的に或いは身体的に他の集団を抜んじ、その
>proto-Korean同胞集団を離脱して外部に移住する。Greater proto-Korean民族からの離脱終了後、既に
>proto-Japanese民族となったものの1名の男性においてHaplogroup O2b1aを決定する47z突然変異が
>起き、この人が多くの子孫を残し、Proto-Japanese民族中のO2b1a系統に頻度を高める。 この非常に
>特殊であるHaplogroup O2b1a系統は現代日本人のHaplogroup O系統の約42.5%、全Y染色体遺伝子
>の約22.0%を占めるが、これはおそらく日本民族の歴史において特定の緊密に張り巡らされた関係を持つ
>氏族が極端に大きな覇権を握ったことを反映するものであろう。
複合弓、毒矢、骨の鎧、刀剣でもって他を圧するポリツ族がバイカル湖グラスコフ文化を脱し、アムール
を下り、中流ポリツを中心として、スキタイ、匈奴の鍛鉄技術を身につけ、更にアムールを下り、沿海州
全域を制する。この内陸水系における水軍集団が海洋性海人族集団の後を追って瀬戸内海、琵琶湖、
大阪湾、紀伊水道、伊勢湾、相模湾を制する。この頂点に立つのが近江の息長族であり、神武・久米・
物部等の山戎系山岳戦闘部隊はその先兵のようなものであったのではなかろうか。
405:月光仮面
08/09/16 10:18:40 yrSIh5m/
下図の達翰爾族(ダフール族)=ダウール族地域だが、
URLリンク(mion.isu.ru)
第4図 新石器時代民族文化地図
\\\\\\\\ Baykal-Lena川流域;
//////// Ural-Siberia地域;
| | | | | | | | | | | | | Daur族地域.
─ ─ ─ ─ ─ ─ ○ Isakov地域
──── ○ Kitoy文化
そこにはバイカル湖が実線の丸枠で囲まれているが、この辺がグラスコフ文化の中心地でもある。
時代は下るが、渤海の上京龍泉府
URLリンク(upload.wikimedia.org)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
これが >>404で言う「この非常に特殊であるHaplogroup O2b1a系統」の原郷であろう。そこには
白山と同じく山頂にクレーター湖をもつ白頭山がある。日本の場合この白山を基準点として東国の
寺社配列が決定されているようだ。日本の水神瀬織津姫はバシコルト語ではサが犬、レが川を意味し
、現地にはそうした女性名とか、駒ケ岳のような伝承がある。
406:月光仮面
08/09/16 10:21:21 yrSIh5m/
地図を見れば日本海を挟んで、白頭山から若狭・敦賀・越前・白山にポリツェ水軍が移動してきた
足跡がわかる。
407:月光仮面
08/09/16 12:07:29 yrSIh5m/
>>41 >42 >>98 >>111 >>112 >>113 >>114 >>115 >>116 >>117 >>119 >>120 >>125 >>126
>>127 >>128 >>129 >>130 >>135 >>161 >>168 >>276 >>308
白人のエフタルも雪山で雪豹をとるハンター、今で言えば、パキスタン・アフガン部族民、なので白山は
当然聖山であろうが、彼らの世界と東洋人の世界は別物。東洋人は山頂の水、流れ、滝、せせらぎに
重点があり、毛皮が何枚取れるかとということとは価値観が違ったはず。
408:月光仮面
08/09/16 16:35:30 yrSIh5m/
>>397 前段部分があった↓
現生人類諸民族にあって、Haplogroup O2は、その兄弟クレードであるHaplogroup O3ほど高頻度には見
られないが、その地理的分布が変わっていることは注目に値する。Haplogroup Oの全てのクレード同様、Haplogroup O2は現代の東ユーラシア民族の男性においてのみ見られる。しかし、Haplogroup O3は東ア
ジアと大洋州の多くの民族のほとんどが共有しているのとは異なり、Haplogroup O2は一般的にインド及び
バングラデシュ、インド洋ニコバル諸島のニコバル族等のAustroasiatic系民族及び北東アジアの
Korean、日本人、ツングース族等の特定民族にしか見られない。Haplogroup O2は広範で、飛び飛びに
分布しているが、もう一つ注目に値することは2つの大きな下位クレードに分けられ、それが全くばらばら
に分布していることである。下位クレードの一つであるHaplogroup O2a (M95)は南及び東南アジアの(主
に部族民の)民族とカンボジアの Khmer及びインドネシアのBali族にも見られる。Haplogroup O2aは東南
アジア内陸部のNegrito系のSemang及びSenoiとも関係するとする報告も若干あるが、これが彼らがもと
もと持っていたYDNAなのか、或いは、Bantu族がその言語とYDNA E遺伝子をアフリカのピグミー系Baka
及びMbuti族等に与えるという仮説同様、Khmer及びそれに関係する種族のAustroasiatic YDNAの東南
アジアNegrito族への侵入とそのAustroasiatic言語の提供の結果によるものなのかはわからない。これ
とは別の下位クレードHaplogroup O2b (SRY465, M176)はほとんどKorean、日本人、Manchuにしか見られ
ない。北東アジア Haplogroup O2bはツングース、Korean、日本人寒の非常に興味深い関係を示唆する。Haplogroup O2bの祖形はHaplogroup O2*であるが、これは先史時代から東アジア全域に薄く広がってい
たようである。
409:月光仮面
08/09/16 16:46:00 yrSIh5m/
↑YAP+の動きとほとんど同じである。O2/YAPはO3に追われたか、或いは、黄河・長江流域に
何らかの巨大な自然災害、地震、洪水、火山(喜界カルデラ)のようなものが発生しO2/YAPは
四散したのか。
410:出土地不明
08/09/17 00:12:07 n4DcgylH
水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
411:出土地不明
08/09/17 05:09:36 ybyIMQnH
消防署の方から来ました。
412:出土地不明
08/09/17 05:56:49 viFi/l3X
蠱蟲の記録
!!!!!! えた・ぺでぃあ !!!!!!
連続強姦強盗殺人犯、地主薗(じぬしぞの)。 または、 連続殺人犯、地主薗(じぬしぞの)。
地主薗の祖先は、昔、蠱蟲という苗字(壬申戸籍)を照れ臭そうに、または、有り難く、頂戴した連中だったと言われ、
当初は、立派な苗字を頂戴したと、喜びに満ち溢れていたそうである。
後に、蠱蟲は、この苗字が、えた・ひにんに与えられる苗字だと分かったときには、半狂乱になり、反乱を起こしそうにな
ったと言われている。(蠱蟲の読みは、「こちゅう」と言われている。)
地主薗のほかに、獄場、赤刎、刑戮、地虫、地獄、死刑などという恐ろしい苗字があるが、不貞腐れた蠱蟲が、自分で勝
手に名乗ったと言われている。(古い墓石が現存している。)
また、女殺し、という、おぞましい苗字を使用していた蠱蟲もいたと伝えられている。
現在の戸籍上の苗字は、地主薗の他、古川、小野、都井、西口、藤原、勝田、佐川、押谷、松本、荒木、林、鈴木、坂本、
豊田、岡崎、武藤、志村、川島、川俣、代古など、数多くの苗字が存在する。
地主薗は、えた・ひにんの代表格で主に、千葉市、江戸川区に居住しているが、一部のものが、肥溜め汲み取りを生業と
するために、日本各地に転出し、現在も生息中である。
だが、かなり以前から、公務員になったりするなど、税金を汲み取り生活するものが多くなっている。
また、古くから居た、農民を、脅迫して追い出し、居座った、偽農民が、日本中、多数居ることも有名である。
そして、何が、気に入らないのか不明だが、日本各地で多くの、殺人事件を起こしている。
血液型はO型で、梅毒ビールスに感染している。淋病に感染している場合もある。
ペニシリンを用いても、梅毒ビールスを体内から根絶することは、不可能だか、根絶できたと勝手に思い込んでいるもの
もいる。
やはり、地主薗は、梅毒症状第三期(脳梅毒または、神経毒)になりつつあるのが現状であり、お迎えの日が来るのも近い
のではないかという説が、千葉市役所内で、囁かれているが、信憑性が高い。
また、白癬菌感染者も多く、股間の痒みに耐えかねて身を捩っている様をみると、笑ってしまう。
獄場、赤刎、刑戮、地獄、地虫、死刑なども、地主薗とおおむね同様である。
(注意)加筆禁止
413:月光仮面
08/09/17 09:21:34 LSiDUeKK
グラスコフ文化の中心地イルクーツクは聖なるバイカル湖が流れ出すところでえあり、
URLリンク(upload.wikimedia.org)
三嶋溝杭神社は日本における琵琶湖・瀬田川・淀川水系の同等に位置にあり、
URLリンク(map.yahoo.co.jp)
継体の御陵今城塚古墳もここに置けれた。rekidainohimikono
URLリンク(map.yahoo.co.jp)
卑弥呼の生まれたのはここであろう。歴代の卑弥呼は三輪神社に祀られているが、記紀に登場するもの
であって、最古のものは神武皇后とされるイスケヨリヒメである。勿論ももそひめもある。
414:出土地不明
08/09/17 12:59:16 KtJDZ+IV
137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。
弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。
415:トレクワトリスタ
08/09/17 21:00:34 7TYwQ7Xt
>>382,383
それって面白い意見ですね。実は日向や薩摩はエルサレムと同じ緯度と、最近教えていただきました。
同緯度は植生や気候の違いの小ささから、南北よりもはるかに移動がスムーズになるし。
(古代の沿海州で稲作は全く不可能。)
D系統全体の分布から単純に考えれば、チベットから日本にダイレクトに来たと
まず考えてみますよね。
問題の1つは、現在の分布からは、長江中・下流域を含む中国南部は、O2a系統が多いことです。
ただ、チベットから日本までは船でほぼ直線距離で、九州南部までダイレクトにつながる地理的条件にある。
長江河口がちょうど中国大陸が東に膨らんだところにあるのと、海流もここから九州南部はスムーズに走る。
チベット東部(アムド地方)や顔立ちがチベット人や日本人に似ている今でもD系統が残る長江上流(四川・雲南)から、
東に流下して長江文明の中核を担ったD系統とO2b系統の混成集団が、
漢民族(O3系統)に滅ぼされた後に、当時最先端の船舶技術で南九州中心に逃れたと考えると、
あまり無理なく説明がつきますね。
(付記)O2b系統の分布が、西日本で最大、他にはベトナムと朝鮮半島南部に分布することの説明も同時に付く。
今は「O2系統の内で北を流れてO2b系統が朝鮮半島方面に移動した」などの説明が流されているが、
最新のサンプルの多いデータで、西日本が分布の中心になり、O2aが多い華南より南のベトナムに、
O2bが次いで多いことが合わない。船舶で逃れたのなら、九州を中心に一部がベトナムや朝鮮南端に逃れたと説明がつく。
(それ以外の地域で僅かにO2b系統が確認される、ダウール人の故地も、古代燕地方で、船で移動可能。)
D系統が、チベットと日本の間の中国大陸でほとんど無い理由も同時に説明できる。
(D系統のほうが、O2b系統よりも集中して日本列島に入ったことになる。)
416:415
08/09/17 21:20:49 7TYwQ7Xt
もう一つの異論なんですが、
アメリカ中心の最新の遺伝学に基づく結果では、D系統の移動時期はかなり古く、
C系統とともにホモ・サピエンスとしては、最古の出アフリカを果たしたとされています。
これが主に何万年も前の氷河期の時期に、年中温暖だったユーラシア南縁を東に移動して、
チベットより先に、日本列島に入った可能性が高いとのことです。
(付記)インド亜大陸にD系統が見つからないから、ヒマラヤの北側を通ったとの反論が
このスレでなされていますが、アーリア人の侵入後に、特に父系のDNAがアーリア人に
置き換わったと判明している現在のインド亜大陸でも、「ヒマラヤの南側」のブータン、
ネパール、シッキム、アッサム、インパールなどに、D系統そのものが多く分布しています。
このことと、D系統祖型のほとんどが、インドの東の沖合いのアンダマン諸島でみられることから、
もし陸上を通ったとしても、今以上の氷河に覆われたチベット高原ではなく、
ヒマラヤの南側を通ったと考えられます。
(この場合もチベットのD1より日本のD2が古い前提とは合わないですが。)
日本人のD2は、他にはほとんど見つからないにもかかわらず、分岐系統が多いので、
古くから日本列島にのみ住んだと考えられるのです。
そして、チベットや中央アジアのD1系統、D3系統は、海外(但し日本と韓国は除く)で考えられているように、
日本列島から北アジア経由で西進してチベットに入ったか、もしくは
ベンガル湾岸からヒマラヤ周辺にD祖型から分岐したD1、D3が後の時代に広がったと考えられます。
417:415
08/09/17 21:47:13 7TYwQ7Xt
連投で申し訳ありません。
D系統の分布が、日本とチベットのあたりに分かれていることについての説明で、
「元々は華北平原を中心にYAP+のD系統が分布していたとされるが、O3系統などに
淘汰される形で島国の日本と、高原のチベットのみに残ったO2bと同様に敗者のDNAである云々・・・」
というような説が出回ってしまっているが、特に酷い説明だと言える。
まず華北平原がD系統の分布の中心だった理由が全く不明。
おそらく、昭和時代の「日本人の多くは華北あたりから朝鮮半島を通って日本にやって来た農耕民族。」
みたいな説に、引きずられて、無理やりこじつけで整合性をつけただけと思われる。
(D系統はどちらかと言えば、縄文系の狩猟・採集民。)
(また農耕民族であるO2系統(弥生人)でさえ、華北や朝鮮半島の大部分と違った、水田農耕民。)
(戦前の大東亜共栄圏の考えには都合が良かったし、戦後は韓国などとの共同研究に影響されすぎ。)
もしも華北平原がD系統分布の中心だったのであれば、日本のD2、チベットや中央アジアのD3,D1以外の
サブグループが、少ない頻度ながらもう少しは残っているはず。
もしくは、日本とチベットで共通のDのサブグループが存在してないと不思議である。
418:出土地不明
08/09/17 22:39:38 cOO88Ux8
金印>銀印>銅印>泥印
日本は古代より金印(公印)>韓国は泥印(公印)銅印(私印)であり
中世の地位は琉球(金メッキ銀印)>朝鮮,銅印(公印)でしたとさ。
哀れ韓国。
URLリンク(www.geocities.com)
URLリンク(www.enjoykorea.jp)
「倭国」・・「漢委奴国王」・金印
「邪馬台国」・・「親魏倭王」・卑弥呼,金印紫綬
「クシャン朝」・・「親魏大月氏王」・ヴァースデーヴァ(波調)金印紫綬
「雲南,?王」・・「?王之印」・金印
「光武帝の子」・・「廣陵王璽」・金印
419:出土地不明
08/09/17 23:49:31 mUR4kGwW
確か山東半島にもYAP+は数%残っていると何かで見たがな。
それに弥生人は沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由してくる最中に
水田稲作を知って九州北部に上陸しただけ。
もともと水田農耕民だった訳ではないね。
420:出土地不明
08/09/17 23:50:31 mUR4kGwW
水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
421:出土地不明
08/09/18 01:51:17 Mjc/Vs67
後漢光武帝の建武元年(25年)に復設された制度として、諸侯王には金璽綟綬(きんじれいじゅ)、
公候には金印紫綬、九卿などの中二千石・郡太守などの中二千石・校尉や中郎将などの比二千石には
銀印青綬、以下は銅印黒綬、銅印黄綬が与えられている。
「倭韓遂屬帶方」倭韓は
帯方太守の管轄下にあったはずであるが、太守の銀印青綬より位の高い金印紫綬を卑弥呼は得ており、
「難升米を以て率善中郎將となし、牛利を率善校尉となし、銀印青綬を仮し」ということで、彼等が
同等となり、太守の心境は複雑であったろう。
使いの者と帯方太守が同等とは、倭国の評価がそれだけ高かったと言える。
422:月光仮面
08/09/18 10:23:04 t4sFY2oF
>>413
八百万の神が天の安河の川原に集まり、どうすれば良いか相談をした。オモイカネの案により、様々な
儀式を行った。常世の長鳴鳥(鶏)を集めて鳴かせた。天の安河の川上にある堅い岩を取り、鉱山の鉄を
採り、鍛冶師のアマツマラを探し、イシコリドメに命じて八咫鏡(やたのかがみ)を作らせた。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
祭神 天御影命(天目一箇神) 古代製鉄の神を祀る。神体山の三上山を祀る。
URLリンク(kamnavi.jp)
URLリンク(jinja-kikou.net)
鏡とは天目一命がこの地で鏡を作った故事によるともいわれている地。
URLリンク(jinja-kikou.net)
近江湖東の古社巡り
URLリンク(www.ops.dti.ne.jp)
伊勢 遺跡
URLリンク(www2.city.moriyama.shiga.jp)
伊勢 遺跡
URLリンク(f1.aaa.livedoor.jp)
423:月光仮面
08/09/18 10:24:40 t4sFY2oF
「紀元1世紀末頃に、この遺跡は突如出現し、紀元2世紀末に衰退し始める。つまり、邪馬台国時代前夜
に、発達を遂げた不思議な遺跡
30棟の棟持柱付大型建物が円周上に配置されていると聞いて、筆者がすぐに思い浮かべた建物が
ある。出雲大社の東と西の十九社である。我が国では、旧暦の10月を通常「神無月(かんなづき)」と呼ん
でいる。10月10日に全国の神々が出雲大社に集られ、10月11日から17日までいろいろな神議りを行
わうため、出雲以外では神々が不在になるためである。東と西の十九社は、出雲に集まった神々の
御旅社、つまり宿舎だそうだ。 」
「この住居跡から復元される建物の規模の大きさには驚くべきものがあるが、さらに注目すべきはその
床と壁にあった。住居をつくるのに、先ず深さ80cm以上掘り込み、次に厚さ約25cmの粘土を床面に
貼り、その上面を焼いて整え、さらに約8cmの精良な粘土を貼り高温で焼いて固めている。こうした床を
焼床(やきどこ)といい、従来にはなかった建築工法である。この床にはさらに、直径2cm程の穴が多数、
開けられていた。一方、壁際には40cm×30cm、厚さ約8cmのレンガと思われる建築部材が少なくとも
5個以上見つかっている。日本で出土した焼成の最古のレンガは白鳳時代の7世紀後半とされてきたが、
その歴史が500年もさかのぼることになる。」
URLリンク(www.bell.jp)
424:月光仮面
08/09/18 10:26:24 t4sFY2oF
「野尻遺跡は、中ノ井川(なかのいがわ)水系沿いの標高96~101m前後の地点に立地する複合遺跡(ふく
ごういせき)です。自然流路(しぜんりゅうろ)や大溝状遺構(おおみぞじょういこう)から土器や木製品がま
とまって出土しています。古墳時代には竪穴建物(たてあなたてもの)のほか、周囲に溝と柵を巡らせた
豪族居館(ごうぞくきょかん)とみられる遺構が確認されています。」
URLリンク(www.pref.shiga.jp)
URLリンク(www.pref.shiga.jp)
「野洲川下流で数多く見つかっている弥生時代の遺跡のうち、服部遺跡と並んで大規模なものに、
下鈎遺跡(しもまがりいせき)や伊勢遺跡(いせいせき)があります。」
URLリンク(www.maff.go.jp)
下之郷遺跡
URLリンク(www.bell.jp)
425:月光仮面
08/09/18 11:55:55 t4sFY2oF
葦原中国平定
URLリンク(ja.wikipedia.org)
汝(あ)は天日隅宮に住むべし、今まさにつくりまつらむ、すなわち千尋の拷縄(たくなわ)を以て結いて百
八十紐にせむ。其の宮を作る制は、柱は高く太く、板はすなわち広く厚くせん。またみ田つくらむ、また汝
がかよいて海に遊ぶ具のために、高橋(一書第二によれば天の安河にかける)、浮橋および天鳥舟また
つくらむ。『日本書紀』
URLリンク(ja.wikipedia.org)
426:出土地不明
08/09/18 14:20:59 iMMggaT2
137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。
弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。
427:月光仮面
08/09/18 16:28:58 t4sFY2oF
2005年6月24日付けKrasnoyarskiy Rabochiy紙
グラスコフ文化はエベンキ族の祖先であり、太陽を崇拝し、
URLリンク(www.krasrab.com)
エジプト太陽神ラーの神話に通じていた・龍が太陽を咥える絵
URLリンク(www.krasrab.com)
オシホはヨセフ、ホヒはアポピスである可能性がある。これで装飾古墳の図案の起源も
わかる。
428:月光仮面
08/09/18 17:36:06 t4sFY2oF
>>423
「住居をつくるのに、先ず深さ80cm以上掘り込み、次に厚さ約25cmの粘土を床面に貼り、その上面を
焼いて整え、さらに約8cmの精良な粘土を貼り高温で焼いて固めている。こうした床を焼床(やきどこ)と
いい、従来にはなかった建築工法である。この床にはさらに、直径2cm程の穴が多数、開けられていた。
一方、壁際には40cm×30cm、厚さ約8cmのレンガと思われる建築部材が少なくとも5個以上見つかっ
ている。」
「ややこしい話は表にしましょう。百済熊津時代の王陵と貴族墓は,次のとおりです。
年代 熊津時代前半 熊津時代後半
磚室墓 なし 新登場→王陵
宋山里型石室 新登場→王陵 →貴族墓に転落
表井里型石室など 貴族墓 貴族墓 」
「では,いつから「熊津時代後半」なのでしょう。百済の磚室墓は武寧王陵と宋山里6号墳の2基があり(
このほかにも可能性が指摘される例はある),前後関係は解決していませんが,ここでは洪?植氏のよ
に,武寧王(462年 - 523年)陵から熊津時代後半と考えておきましょう。」
URLリンク(www.ops.dti.ne.jp)
磚室墓が百済では6世紀なのに日本には焼き床は神話時代だ。
429:出土地不明
08/09/19 13:28:14 vOXXZkJG
水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
430:出土地不明
08/09/20 08:36:13 eve1pOOc
三内丸山遺跡ってあれも出雲の文化ですよね?
431:出土地不明
08/09/20 08:42:41 6IERiMvF
up
432:月光仮面
08/09/20 12:56:24 6IERiMvF
現在の発掘状況ではこんなもの↓ 出雲は玉造りで有名だが、現代風に言えば産業誘致地域のような
面もあったのかなー。
URLリンク(www.geocities.jp)
URLリンク(www.geocities.jp)
URLリンク(www.geocities.jp)
433:月光仮面
08/09/20 13:44:19 6IERiMvF
これは三内丸山だが↓
URLリンク(www.rekihaku.ac.jp)
「ロシア極東細石刃の最古のものはBP4900。沿海州Zerkalnaya川 (Suvorovo-IV及びBogopol-IV期)
出土、搬入天然石、天然六角天然石は極めて興味深い。これは遺跡の中心地に置かれ、後の日本縄文
の石棒及び太陽シンボル石組みを伴う石柱として知られる一連の遺物を伴う天然の植物の葉の形をした
バイフェイス石器という特別なものも出土している。」とされている。
三内丸山の高坏、これは沿海州ヤンコフスカヤ文化に残るし、後漢書では
ワイが使用し、邑婁は使用しないとされている。魏志倭人伝の倭人は使用した。
URLリンク(www.rekihaku.ac.jp)
歴博 展示解説
URLリンク(www.rekihaku.ac.jp)
434:月光仮面
08/09/20 14:08:17 6IERiMvF
>>428
玄室表面焼結は前4-3世紀、ミヌシンスク盆地タガール文化サルガシェン期に発生、その後テシン期
(前2-1世紀)の大型蒼穹墳において一層の発展を見た。Derevyankoによれば中国領土内のポリツェ文化
である、Wanyanghe文化はBC30-100年頃、住居は55M3以下の竪穴住居、宅内は藁混入粘土塗り焼結
仕上げ。埋葬儀礼に転用され、磚室墓となったものが中国の四川から楽浪方面に広がるのが後漢で
あり、百済などはずっと遅れるのだが、近江伊勢遺跡では1-2世紀頃、更に、ポリツェ同様製鉄が重視
されている。 >>423 天の野洲川の議会を仕切ったのは(吉備を仕切った)天孫ではあるまいか。
これが河内を政略結婚等で口説く(庄内期)が、結果としては傭兵神武が先陣を切って侵攻を開始する。
435:月光仮面
08/09/20 14:15:40 6IERiMvF
風の祭りの盆踊り歌「二百十日の真夜中に六角へのこが飛んできて村の後家さん逃げ回る」という
六角へのこの意味が沿海州の遺跡から見えてくるようだ。
436:月光仮面
08/09/20 15:37:00 6IERiMvF
小河墓女性墓標は六角の柱、男性は軍配形の柱でそれぞれ異性生殖器を表すが、素材はポプラ。
驚くべきは3800年の砂嵐に耐えた六角の稜線はあたかも鉄器で製材されたが如く鋭い稜線を残し
ていること。青銅は貴重品でやっとブローチに残るだけ。これは何で加工されたかと考えると細石刃
である。牛の生皮で包まれた逆さ舟形の木棺の加工も恐るべき木工技術であった。墓標には
中近東思想を表す7本の切り溝もあった。しかし、これを加工したのはバイカル湖文化センターの
モンゴロイドではなかったであろうか。
437:出土地不明
08/09/20 16:07:20 vsOGVFQ5
137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。
弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。
438:月光仮面
08/09/21 10:54:41 vwc8AA9f
>>433 訂正↓これを、
>「ロシア極東細石刃の最古のものはBP4900。沿海州Zerkalnaya川 (Suvorovo-IV及びBogopol-IV期)
>出土、搬入天然石、天然六角天然石は極めて興味深い。これは遺跡の中心地に置かれ、後の日本縄文
>の石棒及び太陽シンボル石組みを伴う石柱として知られる一連の遺物を伴う天然の植物の葉の形をした
>バイフェイス石器という特別なものも出土している。」とされている。
↓このように訂正する。
(Tabarev Andrey Vladimirovich 更新世・完新世移行期における人類の環太平洋進出 Novosibirsk 2004)
「最近沿海州Zerkalnaya川遺跡で非常に興味深い搬入自然石、天然の六角石柱、の発見があった。これ
らは遺跡の中心部に配され、後に日本縄文石棒及び太陽象形石組みを伴う石柱として知られて来る一連
の遺物を伴う。Suvorovo-VI 遺跡においては植物の葉の形 が自然に残された(floral print) バイフェイス
製品という独特な発見物[Krupyanko, 1997]があるがこれは全く特別なものとして分類される。」
439:月光仮面
08/09/21 11:03:58 vwc8AA9f
Suvorovo-VI ではなくZerkalnaya (Suvorovo-IV/ Bogopol'-IV) [Krupyanko, Tabarev, 2001]. だった。
これだとC14Cal年代が↓
Suvorovo-4 - 15300+140 (Ki-3202)(Kuzmin, 1990, 1991; Vasilyevsky, Gladyshev, Tabarev, 1992); 15105
+110 (AA-9463)(Kuzmin, 1994); 15900+120 (AA-36626
つまり、確かに三内丸山よりは古い。するとあの三内丸山の高坏も一緒に入ってきたのかなー。
440:月光仮面
08/09/21 11:15:02 vwc8AA9f
>>433
URLリンク(khasan-district.narod.ru)
五列目に
Ustinovskaya
(-細石刃-)
(18170+/-150 do 10780+/-50BP) - 早期遺跡
細石刃はもっと古かったんだな。
441:出土地不明
08/09/21 23:42:04 iPJ30t5l
水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
442:月光仮面
08/09/22 13:55:30 TrEcUeYY
>>379-380
上記2004年Vostretsov論は2006年に下記の通りUpdateされている。
気候寒冷化海退、(IV(縄文後期)を除き)農耕民族拡大
I ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5400―5200BP 縄文前期
II ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4700―4300BP 縄文中期
III Margaritovskaya文化* ・・・・・3600―3300BP 縄文後期
IV (戦国時代) ・・・・・・・・・・・・・ 2500―2200BP 縄文晩期
*本文化遺跡出土石器の基本的なものは(槍先、ナイフ等の)青銅器を模倣した器具の特徴が出ている
修正加工及び研磨製品。土器としては、首の広い各種押紋の付いたオーバーハングで広がる分厚い
口縁部を持つゆったりとした形状の土器 光沢のある明るい暗赤色の厚壁土器。本遺跡の特徴は
青銅器にあり、葉形槍先、平円錐形ペンダント、槍、ペンダント、組合せ鋳型、ソケット式二重スペード
形銅鏃、釣り針鋳造用組合せ鋳型。形状と寸法が現在の短剣に近い透明でやわらかい材質の石材
を使用したナイフほ本遺跡独特のもの。
殷の前の沿海州にこうした青銅器文化があったということはどえらいことになる。
443:月光仮面
08/09/22 14:49:35 TrEcUeYY
訂正
(IV(縄文後期)を除き→III Margaritovskaya文化* ・・・・・3600―3300BP 縄文後期 を除き
つまりこの時代は気候寒冷化海退はあったが、農耕民族の拡大はなく、特記事項としたは
Margaritovskaya文化が沿海州海岸部に到来したということ。
444:月光仮面
08/09/22 16:16:09 TrEcUeYY
↓このセイマトゥルビノ文化
URLリンク(users.hartwick.edu)
↓これを見れば一目瞭然なんだが、ちょうど、Margaritovskaya文化と同じ時期に当たっている。
URLリンク(www.metmuseum.org)
つまり、カザフスタン方面から東進して太平洋岸に達したものもあった。その流れの線上でカラスク
文化が生まれたと考えられる。
445:出土地不明
08/09/22 19:22:22 vjQw3aR0
>>419
そこはちょうど、倭寇の攻撃を何度も受けて中国が防塁をこさえたりした場。
恐らく倭寇の略奪の痕跡だろう。
(ちなみに後期倭寇のチェジュ島は倭人系の国家、耽羅国なので、YAP+で当然)
446:出土地不明
08/09/23 01:17:50 BBDEyV6T
137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。
弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。
447:出土地不明
08/09/24 01:00:42 Tlatr51g
日本人はどこから来たのではなく、日本列島に到達したホモ・サピエンスが環境変化に
付随してホモ・サピエンスが携えた普遍的な文化上に日本列島固有の文化を生じせしめた。
(縄文時代以降顕著になる)これをもってホモ・サピエンスが日本列島の文化的特徴を伴う
こととなり、単なるホモ・サピエンスからホモ科(ヒト科)の日本人になるである。
日本人は来たのではなく、日本人になったのである。
448:月光仮面
08/09/24 13:33:29 Bd8RWBx5
>>374
デレヴャンコによる突帯文土器とグラスコフスカヤ文化の関連説明
デレヴャンコ「古代の道は現代に至る」より。
URLリンク(historic.ru)
「バイカル湖Bolshaya Chana湾から南行すると湖岸はかなりの湾によって分断されている。特に興味のあ
るのはKurla岬からSeverobaykalsk市に至る広大な湖岸平地である。距離にして15-20kmではあるが、こ
の辺では古代集落遺跡が多く発見されている。
URLリンク(maps.yahoo.com)
われわれは、ここで新石器時代仮泊地及び鉄器時代早期集落と共に、複雑な層をもつ2ヶ所の遺跡発見
に成功した。この2つの遺跡間の距離は小さかった。第一の遺跡はバイカル湖岸の高い段丘にあるMalaya Kurla川の河口から300m上ったMalaya Kurla谷で発見された。芝の下の褐色砂交じり粘土層で水で磨耗
した川石の上に、表面が円滑であり、紐の痕の付いた、刷毛及びスタンプで押して刻まれた文様を持つ、
容器及び土器の砕片が集まっていた。容器表面は円滑であり、基本的には2つの形状があって、弱輪
郭、厚手ズン胴平底甕で、表面には分断貼り付け突帯があり、突帯表面に装飾があるものと、薄手で胴が
膨らんでいて、口縁に斜めの刻目があり、その下に貼り付け突帯があり、その下には紐で押した痕がはっ
きり付いているものとかあった。一つの容器は形状も装飾もバイカル湖周辺グラスコフ文化埋葬遺跡から
出土する容器と瓜二つであった。この時代はバイカル湖、アンガラ川峡谷に住み着いていた民族が銅製
品の使用を開始した時期に相当する。」
449:出土地不明
08/09/24 14:20:32 GbthgjgB
>>448
問題は九州北部に刻目突帯文土器が登場するBC10Cと向こう側、
つまりバイカル湖周辺の刻目突帯文土器の生産時代が一致するのかどうか。
向こう側は銅器が登場してきているから日本よりも後に登場してきた
ものの恐れはないか?がいやまん。
450:月光仮面
08/09/24 15:49:09 Bd8RWBx5
これをみてよ↓
前二千年紀国家・民族
1 殷・商
2 龍山文化諸族の要塞都市群
3 沿海州狩猟漁労民族(貝塚系)
4 グラスコフ狩猟漁労民族
5 アンドローノヴォ農耕民族
6 スルブナ農耕民族
7 ウラルシギル泥炭地狩猟牧畜民族
8 アバーシェボ狩猟農耕民族
9 ファチアノボ牧畜民族
10 ドニエプル中流牧畜民族
11 晩期トリポリエ農耕民族
12 ドニエストル上流農耕民族/コマロフ文化
13 ウネチツ(後のラウジッツ)農耕牧畜民族
14 スイス水上生活農耕民族
15 ドナウ河峡谷水上生活農耕民族
16 ポー河峡谷テラマール水上生活農耕民族
17 東沿ライン河民族
18 南沿バルト牧畜農耕民族
19 東バルト牧畜農業漁労民族
20 スカンジナビア農業牧畜民族
21 英国青銅器民族
22 フランス農耕牧畜クルガン民族
23 牧畜農耕青銅器鋳造文化エル・アルガール集落
24 クレタ島・南ギリシャ古代文化
25 前アジア国家群
26 トロイ
27 古代エジプト
28 トリアレチ・クルガン墳南コーカサス農耕牧畜民族
29 アナウII、III農耕集落と隣接するアンドローノヴォ系諸民族集団
30 アンドローノヴォ系農耕牧畜タザバグヤブ民族
31 ハラッパ文化圏
URLリンク(historic.ru)
弥生というのはこうしたマラソンのゴールの一つなんだね。
451:月光仮面
08/09/24 16:24:31 Bd8RWBx5
>>449
突帯文土器文化とは思いがけない時と場所で発生している。例えば南シベリアではスキタイ時代(日本で
言えば吉野ヶ里の頃)皮製容器、例えば皮ひも付き水筒のようなものを真似た突帯土器があり、こういう
のは黒海北岸にもあるようだ。ところが、>>448 で発見されたのは下層に狩猟文化がり、層位によって
明確にグラスコフ(上の地図参照)並行とされるところで発見されている。
刻目突帯文土器の先駆けではないかとねらんでいるのに趙宝溝がある。何らかの呪いのような意味とか
URLリンク(www.pitt.edu)
伝統があるのかもしれない。
452:出土地不明
08/09/24 21:33:32 SpdOJ899
>>445
耽羅国は、確かに少しは(10%程度?)YAP+が入っているかもしれないが、
縄文系ではなく、倭人系(弥生系)ということは、基本的にO2系統だと思う。
但し、現在の済州島は元の影響で、モンゴルの血もかなり濃いから、
(血液型比率で済州島は日本に似ていない。むしろ朝鮮半島では慶尚南道だけが例外で日本に近い。)
父系ならなおさらC3系統やO3系統も多いだろうと思う。
453:出土地不明
08/09/25 00:22:44 8v6qF9V9
元時代、済州島というか、実際に朝鮮半島に入ったのは
モンゴル人ではなく、元の支配下だった『満州人』。
454:出土地不明
08/09/25 00:23:44 8v6qF9V9
水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
455:出土地不明
08/09/25 03:46:08 7pRfct0D
ところでお前らのy染色体は?
456:月光仮面
08/09/25 09:39:23 1WU1pFAN
>>442
↓この通り訂正
*Margaritovka青銅器文化とは、札幌の西の沿海州Olga、その近辺のValentin、Kiyevka、Yevstafiya及びMoryak-Rybolov湾等にある遺跡群。本文化遺跡出土石器の基本的なものは(槍先、ナイフ等の)青銅器
を模倣した器具の特徴が出ている修正加工及び研磨製品。土器としては、太首各種押紋コーニス口縁厚
手弱輪郭壺及び光沢表面の明暗赤色食器。 本遺跡の特徴は青銅器にあり、葉形槍先、平円錐形ペンダ
ント、槍、ペンダント、組合せ鋳型、ソケット式二重スペード形銅鏃、釣り針鋳造用組合せ鋳型等。 形状と
寸法が現代の短剣に近い透明でやわらかい材質の石材を使用したナイフは本遺跡独特のもの。
Margaritovka文化は多層遺跡。よく調査されているのはMoryak-Rybolov、Siniye Skaly住居跡とSinikh
Skal及びBulochka山麓の洞窟を伴う住居跡。年代は前2千年紀後半。マルガリトフカ文化の産業は多分
野のものとして復元され、原始牧畜、潜在的農業、狩猟、漁労、採集、各種家内工業、青銅器鋳造を
含む。
457:月光仮面
08/09/25 11:00:30 1WU1pFAN
弱輪郭というのは彫が浅いことをいい、強輪郭とは彫の深いことをいうらしい。
458:月光仮面
08/09/25 13:25:58 1WU1pFAN
>>451
突帯文土器だが、バイカル湖Glazkov文化、黒竜江・松花江Wanyanghe-Poltse文化、 吉林省Tubren文化、
韓国、美沙里、江原道旌善、本村里、蔚山市玉見等とか日本各地、バイカル湖Glazkov文化から裏日本
東北にかけての木製食器、竹細工、マゲワッパ等とGlazkov文化の白樺加工文化に共通のものを感じるが、
土器の起源は籠のようなものであり、突帯文とは桶のたがのようなものを真似ているのかも。ところが
沿海州ウラジオストーク後背地では紀元前4-3千年紀にこんな突帯文土器が出現している。
URLリンク(khasan-district.narod.ru)
459:出土地不明
08/09/25 16:48:08 a72pwVRY
引篭もり馬鹿、 そろそろ失せろ!
460:出土地不明
08/09/25 22:45:13 LBkTA2d4
>>455
DNA鑑定したことある香具師なんて、そんなに居ない希ガス
461:出土地不明
08/09/26 00:25:02 urcK6G68
>>460
DNA鑑定とY染色体測定は違うんだが・・・
462:出土地不明
08/09/26 10:53:51 KwZHBe5E
>>455
ハプログループCですがなにか?
463:出土地不明
08/09/26 14:05:00 5m46Xx1c
>>455
ハプログループD2ですがなにか?
464:出土地不明
08/09/27 01:34:34 yTP1npSj
>>462
C1とC3どっちですか?
465:出土地不明
08/09/27 09:57:19 oU8lDKwX
>>464
Genographic Projectだとサブタイプまで出ないんだよ。
466:出土地不明
08/09/27 12:41:20 yTP1npSj
>>465
GENETIC MARKERSにリストされているマーカーであれば
サブタイプまで出るみたいですね。C3やD2、O3などはそこまで出ます。
O2はその下のサブタイプまでは出ないようですね。
C1はリストされていないのですが、C3であればC3と出るので、
Cと出たという事は、おそらくC1でしょうね。
C1は貝文文化人の末裔であり、D2とともにオリジナル日本人です。
良かったですね。
467:出土地不明
08/09/27 13:53:06 /ZI966cp
YDNA Haplogroup C 2008 ISOGG tree:
C (RPS4Y [M130], M216, P184, P255, P260)
C* Found especially in South and South East Asia ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ズンダランド
C1 (M8, M105, M131, P122) Limited to a low frequency in ・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Japan
(第一次)
C1*
C1a (P121)
C2 (M38) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ズンダランド
Typical of Polynesians and certain populations of eastern Indonesia and Melanesia
C2*
C2a (formerly C2b) (M208)
C2a*
C2a1 (formerly C2a) (P33)
C2a2 (P54)
C3 (M217, P44, PK2)
C3* Typical of Buryats, Mongolians, Daurs, Kalmyks, Manchus, Sibes, Oroqens, Koryaks, and Itelmens;
also found with significant frequency among other Tungusic peoples, Koreans, ・・・・・・・・・・・・Ainus,
(第二次)
Nivkhs, Altaians, Tuvinians, Uzbeks, and Han Chinese[1][2][3][4][5][6]
C3a (M93) Observed sporadically among ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Japanese[7]
(第3次)
C3b (P39) Typical of the Na-Dene peoples of North America ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・北米に渡る
C3c (M48, M77, M86) Typical of Northern Tungusic peoples, Kazakhs, Oirats, Kalmyks,
Outer Mongolians, Yukaghirs, Nivkhs, Koryaks, and Itelmens, with a moderate distribution
among Southern Tungusic peoples, Inner Mongolians, Buryats, Tuvinians, Yakuts, Chukchi,
Kyrgyz, Uyghurs, Uzbeks, Karakalpaks, and Tajiks[4][8][9]
C3d (M407) Observed sporadically among Yakuts and Han Chinese[7]
C3e (P53.1)
C3f (P62)
C4 (M347) Typical of indigenous peoples of Australia ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・豪州に渡る
C4*
C4a (formerly C4b) (M210)
C4b (formerly C4a) (DYS390.1 del)
C5 (M356) Limited to a low frequency in South Asia and the Arabian Peninsula ・・・・・アフリカに後退か
C5*
C5a (P92)
C6 (P55)
ズンダランドを最初に飛び出したものは日本列島に上陸したようだ。
468:出土地不明
08/09/27 15:41:37 oU8lDKwX
>>466
正確には「C(M130)」だからC1じゃないようだ。
東南アジア系?
469:出土地不明
08/09/28 01:40:17 vs3tO3eb
【アメリカ】祇園祭とシオン祭…「日本人とユダヤ人は共通の祖先を持つ?」 米ブロガーが「日ユ同祖論」を検証[9/27]
スレリンク(news5plus板)l50
470:出土地不明
08/09/28 12:43:57 ENmDQB68
>>468
ハプログループCであればC1でもC3でもM130は共通に持ちます。
日本ではC1とC3以外は確認されていないため、C3という判定が出ないハプログループC
あればC1で間違い無いと思います。
>>467を参考にすれば、
C1はRPS4Y [M130], M216, P184, P255, P260に加えて、M8, M105, M131, P122を
マーカーに持つグループ、
C3はRPS4Y [M130], M216, P184, P255, P260に「加えて」、M217, P44, PK2をマーカーに
持つグループという事になります。
Genographic Projectは安価な分析(それでも$110ですが・・・)のため、割とメジャーな
ハプログループ以外はサブタイプまでは出してくれません。(欧米白人系のR系統は細かい)
ので、ハプルグループCの場合、C3以外は全てCに分類されてしまいます。
471:出土地不明
08/09/28 12:49:53 ENmDQB68
ちなみにC1は今のところ日本以外では見つかっていない(痕跡が無い)ので、
どういう経路でやってきたかは謎のままです。
D2は低頻度ながら朝鮮、中国でも確認できます。
472:出土地不明
08/09/28 14:45:00 ENmDQB68
水稲農耕は工程が100あると言われるほど高度な熟練技術を要する、知識集約型農業です。
日本にはほぼ完成された形で持ち込まれており、水稲農耕民そのものの移動があったと考える方が自然です。
農耕民族ではない者が、移動途中に水田を見たからといって、水稲農耕の技術を日本に伝えるのは不可能です。
技術を必要とする文化が到来するには、一定数の技術者集団が移住してくる必要があります。
技術を持たない一般市民が未開の地に自動車と共に渡っても、自動車を再生産できない事と同じです。
朝鮮半島南岸から縄文土器が見つかっているため、縄文人と半島南部の交流があったのはほぼ間違いないと思われます。
そのため、日本より朝鮮半島の稲作開始が早かった場合は、縄文人が水稲農耕を学んで日本に持ち帰った可能性もありますが、
日本での試行錯誤の痕跡が無いため、今のところその可能性も少なくなります。
473:出土地不明
08/09/28 15:15:28 ENmDQB68
長江流域から水稲農耕民が来たのなら、当時の炊飯器が日本から見つからないのは変だ、という疑問に関しても、
水稲農耕技術を持つ者は渡来したが、炊飯器の製作技術を持つ者が渡来しなかった、と単純に説明できます。
日本の縄文時代においても、縄文土器を作る専門の技術者集団の存在が指摘されており、当時から職業分化が
進んでいたと考えても変ではありません。
炊飯器が高度であれば高度であるほど専門技術者を必要とします。
また農耕民は農耕に特化して炊飯器は自作せず、物々交換等で入手する方が効率の面から考えても有利です。
炊飯器は作れないが、水稲農耕技術を持つ民が日本にやってきた。日本には縄文土器があり、
それを薄くする等の改良を加えると十分炊飯器として使えた(弥生土器の誕生)ので、
結局元の地の炊飯器は顧みられなくなった、というストーリーは成り立ちます。
技術を要する文化の到来には、技術者の存在、原材料や環境の適合性、そして何よりも既存の技術より
圧倒的に有利な面がある必要があります。
炊飯器を作る技術者がほとんど来なかったか、来ていたとしても弥生土器の方が縄文人の既存技術者を
活用できる等で有利だったため、炊飯器が選択されなかった、とも考えられます。
長江人が来たかどうかは別として、「日本では出土しないから、その地域の人は来なかった」とは単純に言えないと思います。
474:出土地不明
08/09/29 14:57:43 lG/Wna1l
>473
渡来人してきた人たちが「稲作」を持ってきたにしろ、
縄文人(海人)が稲作を習得してきたにしろ、
「炊飯器の製作技術を持つ者が渡来しなかった」ことに同意。
土器を作るのって古代ではほぼ世界共通で女性の仕事ですよね。
ある意味シャーマニズムというか「生む」ことの神秘というか・・。
男性は土器製作を習得しなかったし、古代では船に女性を
乗せるのは禁忌的な風潮があったというので、連れてこなかった
といえるのではないでしょうかね。
475:出土地不明
08/09/29 19:10:06 iKqcgDFz
皆さん、面白い事実を教えてあげましょう!!
実は、古代の京畿湾(黄海に面する京畿道の湾)に、倭人が住んでいたんですよ。
中国の歴史書=漢書・地理誌に、その記録があります。
「夫れ楽浪海中に倭人有り、分れて百余国を為す。歳時を以って来り献見と云ふ」
<漢書・地理志>
『楽浪郡の海の中に倭人が住んでいるよ。100ヵ国あまりの倭人国があるよ』
と、いう意味です。どうですか、面白いでしょう。
「楽浪郡の海」っていうのは、黄海のことですね。半島中部の西側。それは京畿湾しかない。
今の江華島、永宗島、喬桐島、席毛島、霊興島、仙才島、大阜島、これらの島々に倭人が住んでいたと
記録されているんですよ。
つまり、半島の南部はもちろん、半島中部(西側)も古代日本領土だったということです(笑
楽しい話でしょう。
476:出土地不明
08/09/29 20:09:57 1CjtS5/3
>>475
「倭人」が固有名詞ではなく一般名詞である可能性は?
477:出土地不明
08/09/29 22:36:38 bNhazwVK
>>475
楽浪海中って日本海ってのが通説でしょ。
478:出土地不明
08/09/30 07:37:54 cnbFDS5r
「縄文人=バイカル湖畔起源」説を最初に説いた
松本秀雄「日本民族の源流」のすごい所は、
当初大陸書房の「日本古代文明シリーズ」の一冊で在ったこと。
つまり、「日本のピラミッド」「日本の宇宙人遺跡」「古事記以前の書」
「日本の故郷はヒマラヤ山麓」等のトンデモ本と同じ扱い。
当時は「縄文人=南方起源」が定説だったからねえ。
それが今では、「縄文人=バイカル湖畔起源」と言うのが定説になった。
479:月光仮面
08/09/30 10:54:19 vQ3uFxFE
>>458
日本のまげわっぱ
URLリンク(www.kcb-net.ne.jp)
突帯文土器の原型をよく留めるブリャートのまげわっぱ、「トゥイェース」
URLリンク(www.ivanovoweb.ru)
ロシアではマグ、ジョッキのように柄をつけるが、土器においても同様の傾向があるようだ。
URLリンク(schools.techno.ru)
480:出土地不明
08/10/01 02:35:25 KrXtSpaR
>>471-474
学問板で最も不自然、まさに不自然さのエベレストとでも言うべき
詭弁の長編大作を自演も兼ねてわざわざご苦労さんw
さてさて、
日本最古の水田遺構からは当時の沿海州方面の土器と特徴が一致する
土器が出土しているけど何か?
そこには縄文土器にはない新型器種、貯蔵器の壺、盛付器の高坏、
煮沸器の甕が新たに登場して加わっている。
貯蔵器の製作技術を持つ者と盛付器の製作技術を持つ者がしっかりと
やって来ているのに、どうして炊飯器の製作技術を持つ者だけが
やって来ないの?
というか、貯蔵器の製作技術を持つ者と盛付器の製作技術を
持つ者が代わりに作ればいいだけじゃないの。
単に浅鉢に棒足を三本付ければいいだけだろうが。
それに縄文土器を改良するより三足土器をさっさと作った方が早いじゃないの。
それに縄文人の既存技術者を活用するなら教えて作らせればいいだけじゃないの。
炊飯器、三足土器が伝わっていないのは、ただ単純に、
中 国 か ら や っ て 来 て い な い か ら 。
たったそんだけの話。
481:出土地不明
08/10/01 03:40:21 kWTQ2HkT
>>480
471-473と474は別人です。
>日本最古の水田遺構からは当時の沿海州方面の土器と特徴が一致する
>土器が出土しているけど何か?
文献ソース求めます。既出かもしれませんが、最近このスレにやってきたので。
農耕民族でない者が何故水田を見ただけで水稲農耕技術を伝えられたかについて
現在の稲作農家(=私の実家)が納得できる説明を求めます。
これが可能であれば、水田を見た事のあるほとんどの人が水稲農耕を習得できるはずです。
現実には、土地等諸条件がそろっていても、文字情報のある現在ですら、
稲作を修得できるには短くても4、5年かかります。
貴方は、土地と水があれば、今すぐ稲作を開始できますか?
もちろん、沿海州からの移動途中に5年程度朝鮮南部に滞在したのであれば、
貴方の説は現実味を帯びます。
貴説は、現在は可能性のある1つの説にすぎません。自説を展開するのは全く問題ないと思います。
ただ、反論可能な諸説ある中で、断定調に書く事に違和感を感じる方は少なくないはずです。
少なくとも、沿海州来訪説を唱える論文なり書籍は提示すべきと思います。
(沿海州にこんな文化が栄えた、ではなく、その文化がどんな理由で、どのように日本に来て
稲作を伝えたか、がきちんと説明されているもの)
それを読んで納得できれば、今後一切の反論は致しません。
482:出土地不明
08/10/01 04:09:56 KrXtSpaR
全部勝手な決め付け。
おい、ニート。
俺は寝るぞ。
483:出土地不明
08/10/01 09:44:27 8SGAWqtA
>>479
職人の弁当は皆まげわっぱです。
「輪 二葉 来栖 三角」 形も技もとても素晴らしいですね。
けど、中仕切りの配分の割には、蓋の二色分けが逆さだと思います。
でないと若いもんに「示」が付きません。
面白い
484:月光仮面
08/10/01 10:50:43 nWLATaDH
窯業は伊万里、有田から東は益子等太平洋岸に広がりますが、製造工程の一部に乾燥が入るのでしょ
うか、裏日本では漆器、お椀、まげわっぱとなる。つまり、食器へのニーズに対応する産業であり、
日本の気候が地域的に特徴を持っているから、供給サイドのこれに対応しているッツーことでしょうね。
弁当用としては瀬戸物もありますが、もったいなさ過ぎて置き場所に困りますね。プラスチック金物では
味気ないし、ご飯のうまみが心理的になくなる。
485:出土地不明
08/10/01 13:29:08 2TqOz+AP
>>481
その前に弥生開始時の最古の水田遺構から出土する最古級の弥生土器が
どんな土器なのか君は知っているのかね?
486:出土地不明
08/10/02 02:26:42 +etRH7fK
>>480
>皆さん三足土器は東北,九州地方を中心に、数多く出土してるよ土器人に騙されないでね。
北方沿海州だの九州から出てこないだのとワメキ騒ぐので要注意!!!
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