08/09/07 12:56:46 V6yzxEIW
>>335
銅鐸は秦の始皇帝が派遣した徐福ミッションによって韓国忠清道経由日本にもたらされた。
末房由美子氏の下記結論はこれを裏付ける。
「ここで,これまでに挙げた各種の青銅器の出土地を見てみると(地図参照),殆どは万家型銅鼓及び
石寨山型石寨山系銅鼓の分布地域と重なり,また少数のものが越族青銅器の分布地域と重なっている
ことが分かる。これに上記の船文における結論を加えると,本稿の範囲からは,銅鐸の装飾は,むしろ
戦国から前漢の銅鼓の分布地域,即ち長江上流域の雲南・四川南部や東南の広西などの地の青銅器
文化と近い関係があり,また越族の青銅器文化とも共有する部分があり,沿海の中国南方地域の世界
とも無縁ではないということであろう。」
URLリンク(www.hum.u-tokai.ac.jp)
これらの地域は始皇帝が新たに拡大、編入した版図である。弥生末、古墳時代の文化に残る「長江上
流域の雲南・四川南部や東南の広西などの地の」文化の影響ははなはだ大きいが、それは北方草原
文化、西方文化、中原文化とは違うということを明確にしなくてはならない。