日本人どこから来たんだ?4at ARCHEOLOGY
日本人どこから来たんだ?4 - 暇つぶし2ch344:月光仮面
08/09/05 13:50:55 dzu4DngI
>>338-339
「夏家店下層文化(B.C.2410±140,B.C.1890±130)のdタイプの鬲と西団山文化(B.C.2095±100)
の鬲とが候補に挙げられる。しかも埋葬趾ではなく住居趾や包含層などの生活遺跡で出土する点も、
虚空蔵遺跡など日本の三足土器出土遺跡のありかたと一致する。」
「大洞C1式との近似を指摘するに留め・・・」
URLリンク(dspace.wul.waseda.ac.jp)
大体BC900年頃。
URLリンク(www.rekihaku.ac.jp)

345:月光仮面
08/09/05 13:51:48 dzu4DngI
「4 雀居遺跡(図12-10)
 雀居遺跡は御笠川の東岸にあり板付遺跡と対峙する位置関係にある集落遺跡で,土坑群と溝状遺構
が検出された。溝は台地の縁辺を巡る自然流路であるが,報告者によると水田との関係はわからないと
いう。早期古段階から営まれはじめ,東北地方の晩期の土器である大洞C2式の浅鉢が出土するなど,
東日本との関係をもっていた人びとの集落である。水田は見つかっていないが,大溝から出土した大量の
木製品や農工具などからみて,水稲農耕をおこなっていたことは間違いない。彼らが晩期に居住していた
ことを示す遺構や遺物は出土していないことから,那珂・板付遺跡と同じく早期に進出してきた農耕民と考
えられる。
URLリンク(www.rekihaku.ac.jp)

346:月光仮面
08/09/05 13:53:41 dzu4DngI
山形秋田県境では
「また、県境の飽海郡遊佐町女鹿地区の三崎山からの青銅刀子の発見はたの遺物から判断して紀元
前1000年頃の殷の時代の物とされている。縄文晩期の日本海側の大陸との交流があった事を示す
貴重な一品である。」
URLリンク(homepage2.nifty.com)

347:月光仮面
08/09/05 14:04:31 dzu4DngI
>>310
おそらく、バイカル東南部が石板(スラブ)墳に入る頃、箕子朝鮮の始まる頃、
図1:稲作拡散図(括弧内は従来の年代観)
URLリンク(www.rekihaku.ac.jp)
朝鮮半島の日本海側でも同様の流れがあり、このときに九州では弥生が始まったのであろう。

348:出土地不明
08/09/05 15:17:53 R1FhNWvR

>>344  陝西龍山文化系三足土器は何と無く弥生っぽく親しみ湧くね。

紅陶雙耳鬲(陝西龍山文化系、BC2500~1500)
URLリンク(www.daito.ac.jp)

349:月光仮面
08/09/05 15:52:29 dzu4DngI
>>313
カルイ、イズメッコ、白樺樹皮マゲワッパと白樺製食器、白樺玉勝間、 能登から秋田へのナマメハギ、
ナマハゲ、鹿児島甑島トシドン、スイス・チェッゲッテ、沖縄・熊本・大和・新潟・川崎等にある陽根崇拝、
コンタン、オンダ、ツブラサシ儀式、四隅突出の結界形態とオークネフ文化、オークネフ・石板墓の結界内
埋葬、箱式石棺墓、立石型楯築墳丘墓、伊豆立石遺跡、沖縄春駒とクラコフ・ライコニク等タタール文化、
これらはスキタイ・シベリア世界と匈奴文化圏の文化の流れを抜きにしては説明できない。沖縄・鹿児島
の豚肉文化はウガンジョ・三輪神社・ヨナバリ・イニエ(猪贄=崇神)の関係を補強するもの。弥生文化は
古墳時代に変わり、エミシ、エビスとされる人々の畑作地域への移住をもたらしたものであろう。

350:月光仮面
08/09/05 16:17:19 dzu4DngI
URLリンク(www.rekihaku.ac.jp)
この図の山陰、瀬戸内の下の方に「青銅器祭器からの離脱」とある。これがこの表の下の枠外を
横ばいし、近畿の下に収まる動きを描いたのが記紀の神話と天皇記、人代であろう。
弥生時代の日本を論じるものはすべからくこのホームページにある諸表を基準とすべきであろう。

351:出土地不明
08/09/05 22:01:03 IRHLAqvM
>>349
琉球人としては首肯できない説だな(^o^)
沖縄に男根崇拝って何の話?
豚肉文化ってのも理解が皮相だし・・・

352:出土地不明
08/09/06 01:19:11 TstPNgkQ






水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
URLリンク(ja.wikipedia.org)







353:出土地不明
08/09/06 08:35:29 aMVM7FV2
東アジアの陸稲栽培は、ミャンマー・インド・中国に跨る山岳地帯が起源だと言う。
当時ミャンマー北部に暮らしていたレプチャ族が縄文人に陸稲を伝えた、と言う可能性はないのだろうか。

354:月光仮面
08/09/06 10:48:55 AATYtOAi
民俗・神話学カテの話はそちらの各論で論ずることにしよう。

355:出土地不明
08/09/06 19:31:39 AeJ6LBBs
キリストのメッセージ 
「最も大きな罪を犯した人であっても、わたしの憐れみを願うならば、わたしは、彼に罰を与えることが出来ない。
その代わりに、わたしの限りない、はかり知れないいつくしみによって彼を義とする」
URLリンク(www.nowaksvd.net)

ご遺体は腐敗していなかった 日本を愛した宣教師 チマッティ神父様
URLリンク(www.v-cimatti.com)
URLリンク(www.v-cimatti.com)

煉獄に居る霊魂の驚くべき秘訣
URLリンク(www.sanpaolo-shop.com)

キリストと会話できる女性 ヴァッスーラ・ライデン
URLリンク(www.tlig.org)

キリストの人生を見せられた女性 マリア・ワルトルタ
URLリンク(swedenborgian.hp.infoseek.co.jp)

キリストの受難を目撃し体験した女性 アレキサンドリーナ・ダ・コスタ
URLリンク(www.salesio.jp)
URLリンク(salveregina.dyndns.org)

病を患いながらも信仰心が篤かった女性 マルタ・ロバン
URLリンク(homepage3.nifty.com)

カトリック書店/日本国内にあるカトリック教会の住所と地図
URLリンク(www.donboscosha.com)
URLリンク(www.sanpaolo-shop.com)
URLリンク(shop-pauline.jp)
URLリンク(www.cbcj.catholic.jp)
URLリンク(www.cbcj.catholic.jp)

356:出土地不明
08/09/06 21:23:11 bE9xWOik





137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。

弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。






357:月光仮面
08/09/07 12:56:46 V6yzxEIW
>>335
銅鐸は秦の始皇帝が派遣した徐福ミッションによって韓国忠清道経由日本にもたらされた。
末房由美子氏の下記結論はこれを裏付ける。
「ここで,これまでに挙げた各種の青銅器の出土地を見てみると(地図参照),殆どは万家型銅鼓及び
石寨山型石寨山系銅鼓の分布地域と重なり,また少数のものが越族青銅器の分布地域と重なっている
ことが分かる。これに上記の船文における結論を加えると,本稿の範囲からは,銅鐸の装飾は,むしろ
戦国から前漢の銅鼓の分布地域,即ち長江上流域の雲南・四川南部や東南の広西などの地の青銅器
文化と近い関係があり,また越族の青銅器文化とも共有する部分があり,沿海の中国南方地域の世界
とも無縁ではないということであろう。」
URLリンク(www.hum.u-tokai.ac.jp)
これらの地域は始皇帝が新たに拡大、編入した版図である。弥生末、古墳時代の文化に残る「長江上
流域の雲南・四川南部や東南の広西などの地の」文化の影響ははなはだ大きいが、それは北方草原
文化、西方文化、中原文化とは違うということを明確にしなくてはならない。


358:出土地不明
08/09/07 15:01:30 WTqsscoO
おっさんですが首の後ろで束ねるくらいを目標に今髪を伸ばしてるんだけど黒の直毛って絶対放置できないね。
前髪が問題で前に垂らすと目を遮って口の辺りまで伸びている。日常生活では横わけにしてしのいでいる。

アフリカのコイ人サン人が毛に関しては一番進化していて巻貝みたいな渦巻き方にまとまるらしい。
日本人はせいぜい癖毛の天然パーマ程度だからご先祖はどうしていたのだろう。
当時は髪留めのゴムバンドなんてないから植物から繊維を取り出してやはり首の後ろで束ねてたりして。

359:月光仮面
08/09/07 15:52:00 V6yzxEIW
>>338-339 >>344
「埋葬趾ではなく住居趾や包含層などの生活遺跡で出土する点も、虚空蔵遺跡など日本の三足土器
出土遺跡のありかたと一致する。もしも虚空蔵遺跡の三足土器が東アジァの三足土器と関連があると
すれば、股末周初に始まる中国東北地区から沿海州にかけての商dタイブと関わる可能性を探らねば
ならない。」
URLリンク(dspace.wul.waseda.ac.jp)
古来やクーチアにおいて木、骨、金属から作る容器であり、冠婚において馬乳を入れるのに用いる
ものでチョロンと言う↓
URLリンク(www.culturemap.ru)
ヤクーチアにおいても三足土器が出土するが、これにつき「研究者によれば三足土器の一種で中国の青
銅器時代にはLiという豊穣祭器である容器が普及していたことが考古学文献では知られており、このこと
は三足土器とチョロンの意味を近づけているのは興味深い。三足土器は中国からバイカル湖東部に入る
が、そこで地元の青銅器・早期鉄器時代において使用され、普及地域は石板墓文化圏に合致している。」
としている。これは日本における「三方」の使用のあり方、語源となんらかの関係が濃厚であり、本来四足
土器の文化があったところに類似の土器が到来したので、イミテーションが作られたのではあるまいか。


360:出土地不明
08/09/07 16:05:00 Lqi5mld4
火星

361:出土地不明
08/09/07 20:37:12 xwrDf4Ov






水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
URLリンク(ja.wikipedia.org)







362:出土地不明
08/09/08 00:45:23 MspdHUA2
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
URLリンク(infoimages.nmgnews.com)
URLリンク(infoimages.nmgnews.com)
URLリンク(www.ccnt.com.cn)

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
URLリンク(www.ccnt.com.cn)
URLリンク(www.sx.xinhua.org)
URLリンク(trade.socang.com)

363:月光仮面
08/09/09 18:17:40 7T1CnilT
>>350 「青銅器祭器からの離脱」
>>357
カラスク文化を
1)天山 太陽崇拝と密接に関係する天の崇拝は南シベリア西部および中央アジアの考古学遺跡-鹿石、
ケレクスル遺跡およびクルガン(古墳)・・・ケレクスル→円墳
2)アルタイ 石板墓の起源となる基本的「供献遺跡」 ・・・コンセプトにおいては四隅突出型墳丘墓
(楯築墳丘墓上部構造に見る斜めの、鬼は外の立岩は石板墓そのもの)
3)バイカル グラスコフ文化の強烈な大地/土崇拝・・・方形周溝墓→前方後方墳
こう分ける場合、それを大陸と寸分たがわず再現したのは徐福百工の特殊器台、特殊壺、大型銅鐸に
見せた類稀なTPOによる、「青銅器祭器からの離脱」 を実現する応用技術であり、後の日本文化を生
んだ匠の技はここに秘められている。
もはや、カリスマ的神武、帥升の存在よりも、ユーラシアの歴史的慣性としか言いようがないのではなか
ろうか。カラスク文化とはモンゴロイド・ユーラシア・ノマドであり、yDNA YAP+の深い分岐はここにあるの
ではと考える次第。

364:月光仮面
08/09/09 18:29:03 7T1CnilT
秦始皇帝、徐福、張政に疑いの余地は少ない。帥升も神武も今後の考古学の発展によって
現実のものとなるかもしれない。今の考古学の能力だけで否定してしまうことはできない。

365:出土地不明
08/09/10 00:29:06 T8XwSnVW





137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。

弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。






366:月光仮面
08/09/10 17:33:13 Do0FBxbi
>>363
1) 天山 中央アジア方面・・・これはモンゴルTola川河畔Tashtyk/Yenisei Kyrgyz
ミヌシンスク盆地早期Tashtyk蒼穹古墳、土俵型マウンド、,横穴/羨道、,動物葬送石像、儀礼傘等の
中央アジア起源の要素を前漢後漢代墳墓、ノインウラ匈奴単于墳墓経由で岩戸山古墳、阿波吉野川
流域装飾古墳に持ち込む。つまり、鳴門萩原古墳の渡来人は関東にスキタイ文化を運んだがなおも
中央アジアとの間の関係を持ち続けていたのだ。こうしたユーラシア・ノマドのつながりが日本文化を
作り上げていったのであろう。

367:出土地不明
08/09/10 21:33:07 r6TBfV+q
>>364
帥升はいたよ。吉野ヶ里遺跡を王城として。
倭の面土(メト)国の王だろ。
旧三田(ミタ)川町の吉野ヶ里遺跡の近くには、目達(メタ)原や女多(メタ)集落がある。

368:出土地不明
08/09/11 00:38:55 /l3skwDm






水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
URLリンク(ja.wikipedia.org)







369:月光仮面
08/09/11 14:33:16 /Dd23Coq
>>366
岩戸山古墳の単于クラス、非常に「突厥」色濃厚な墳墓形式、これはまるでマイクロソフトの
ウィンドウズ更新サポートのように阿波の萩原古墳群の継承者である美馬市方面であるとか、
ホケノヤマの横穴とかのサービスを行っている。継体朝の突厥・新羅・百済・倭・隋の複雑怪奇な
国際情勢を通り越してシルクロードの彼方の文化が流れている。阿波の蒼穹横穴墳の奥に見られる
石棚は九州にも見られるが、はるか西方ではこうした奉安殿のような構造がユダヤ、キリスト教会にも
取り入れられていたとされる。

370:月光仮面
08/09/11 15:29:33 /Dd23Coq
9世紀、黑龍江省東南のTuanjie墓地古墳の「奥まった場所/Niche」においては豚の頭骨が出土している。
「猪贄」と呼ばれる崇神天皇の枕元からははたして何が出てくるであろうか。


371:出土地不明
08/09/12 14:44:58 MIrRi6Mu
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで中国土器はない。その影響土器もない。
中国金属器もない。朝鮮半島も楽浪開始頃まで中国土器はない。

弥生人が支那から直接、あるいは支那から朝鮮半島を経由して流入した人々であった
のならば、彼らが伝えるのは中国土器か朝鮮無文土器のはず。

ところが、彼らが最古の水田遺構と同時に伝えたのは中国土器でも朝鮮無文土器でもなく、
口縁部に刻目を持つ当時の沿海州中南部あたりが故郷と見られる土器。

輸入したと見られる朝鮮無文土器は少量見られ、その影響を受けた弥生土器も見られるが、
朝鮮無文土器そのものを生産していた集落遺跡はない。

結論的に弥生人は沿海州中南部の沿岸部にいた口縁部に刻目のある土器文化を持った
海洋的性格の強い北方蒙古人種。

沿海州から船で朝鮮半島東岸を抜けてくる最中に水田稲作を知って
九州北部に上陸し最古の水田遺跡とともに刻目突帯文土器を残したのである。

372:月光仮面
08/09/12 15:01:09 ssRzdapv
そのとおり。デレヴャンコ氏によれば
「黒龍江省最古の鉄器は漢代。1977年黒龍江省Dongning county Daduchuan Tuanjie野営地遺跡に
おいて長さ18 см、幅2 смの鎌が出土。吉林省では戦国-漢代の同種鎌が出土。
1981年黒龍江省Dongning砦跡地で大型鍬が出土。Nin-an Dongkangの野営地(BC3世紀頃)に
おいては半住居№1において各種サイズの投網用土器重石が山積しているのが発見された。
Wanyanghe文化はBC30-100年頃の松花江河口西側Suibing county Wanyanghe川遺跡の名前を
取ってつけられたもの。
赤褐色、薄い粘土帯、リング状の圧紋、弧状、波型畔状紋、縄文圧紋土器が特徴的であり、
1)ロウト状口縁、細い首、出っ張った胴
2)広い口縁、短い首
といった様式がある。
住居は55M3以下の竪穴住居、宅内は藁混入粘土塗り焼結仕上げで、囲炉裏は住居東壁に付き、
住居への入り口は東南角、幅1M、住居の四隅には柱穴あり。この種遺跡はLobei county Sanmaqia、
Fuyuan county Haiqingdengにもある。
この文化はロシア・ポリツェ文化と似ている。中国内のポリツェ文化は黒竜江を中流から下流まで、
西はZhangkuancailing山脈から南は牡丹江下流、穆稜河河口、興凱湖から沿海州Tetyuhe湾に広がる。」


373:月光仮面
08/09/12 15:07:56 ssRzdapv
これが中道、伽耶を通過し、吉備において銅鐸文化の特殊器台によるバックアップを受けて中央アジア
色の強いケレクスル型と習合し前方後円墳になる。やがては狗奴国もこうなる。
URLリンク(www.inuyama.gr.jp)
URLリンク(www.inuyama.gr.jp)
URLリンク(www.inuyama.gr.jp)
URLリンク(www.inuyama.gr.jp)
URLリンク(www.inuyama.gr.jp)
URLリンク(www.inuyama.gr.jp)



374:月光仮面
08/09/12 17:41:53 ssRzdapv
>>291-292
デレヴャンコ氏はグラスコフ文化とポリツェ文化の関連性を説明している。

375:出土地不明
08/09/12 23:55:09 ds4Vovec





137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。

弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。






376:ひらさワル
08/09/13 11:20:13 Z8eGLBD3
何で沿海州から民族移動が起きたんだ?
沿海州で人が増えたのか?

377:月光仮面
08/09/13 14:07:28 9UNgKWQt
ヒクソスから帰還した渡来人
スレリンク(min板)menu244
>>372
>中国内のポリツェ文化は黒竜江を中流から下流まで、
>西はZhangkuancailing山脈から南は牡丹江下流、穆稜河河口、興凱湖から沿海州Tetyuhe湾に
>広がる。」
殷の頃はバイカル湖/ブリャート共和国/グラスコフ文化、戦国期に黒竜江・アムール中流ポリツェ
文化、秦・漢時代に沿海州・咸鏡道・伽耶・日本といった動きがあるも、弥生早期からこうした気候変動
による移動があったのでは。



378:月光仮面
08/09/13 14:11:27 9UNgKWQt
↑ジャンプしてないね。
244 :月光仮面:2008/05/24(土) 09:50:09
ウラジオストーク極東民族歴史考古民族学研究所ユーリー・ヴォストレツォフ氏「環境
変化と民族移動-ケーススタデー」によれば、沿岸部が寒冷化海面低下、地上海中景
観の変化によって狩猟漁業基盤が破壊される一方、降水量安定化により農耕民に
便利に働く。これが内陸農耕民を沿岸部に押し出す。同様の環境変化は完新世中期
BP4,800-4,300年頃(三内丸山遺跡が約5500年前~4000年前だ)沿海州南部ボイスマン
文化から→ザイサン文化への移行、このときに櫛目文から刻目突帯文土器に及び
完新世後期BP2,400-2,200年頃ヤンコフスカヤ文化から→クローノフスカヤ文化
(BC500-AD300)、これは沿海州では雑穀農業だが、朝鮮・西日本では無文・弥生稲作
農業の形を取るとのこと。


379:月光仮面
08/09/13 14:34:52 9UNgKWQt
↑これは東アジア考古学会で発表されているもの。
URLリンク(www.seaa-web.org)
↑をクリックし3/4ほどロールダウンすると↓
VOSTRETSOV Yuri (Institute of History, Archaeology and Ethnology of the People of the Far East Vladivostok), "Environment Changes and Migrations: A Case Study"
これが原典だ。




380:月光仮面
08/09/13 15:01:39 9UNgKWQt
海退による貝塚文化(沿海州Boisman/Yankovsky貝塚文化)の人口減少が内陸耕作民余剰人口を
沿岸部にひきつけた。
4.800-4.300 BP 環境激変 櫛目文から刻目突帯文へ 雑穀文化
2.400-2.200 BP 雑穀文化と大麦・小麦(Krounovsky沃沮文化500 BC - 200/300 AD) 稲作 (Yayoi
文化3 c. BC)
----------------------------------------------------------------------------------
日本人としては刻目突帯文・弥生稲作は周の頃からだと思う。ただ、大麦・小麦の導入については
Vostretsovのいう通りかもしれない;。

381:出土地不明
08/09/13 18:29:17 gQ/L/SZJ






水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
URLリンク(ja.wikipedia.org)







382:機械・工学@2ch掲示板
08/09/14 09:04:46 yR7irpRX
 
~ 軍 需 産 業 ~      879- よりコピペ。
スレリンク(kikai板:879-番)

879 :日本人のルーツ:2008/09/13(土) 13:55:55 ID:EdKwMDFE
    >> 757
    >   日本の人口の2/3弱が在日朝鮮帰化らしいいのですが、
    >   日本人よりなぜそんなに多くなってしまったのか、教えてくれませんか?
    >   詳しく書いてあるサイトとかないですか?

    >>759
    >   どこで聞いたのか興味有る話ですが、それは恐らく、間違った認識と

    アジア人のY染色体タイプ別。
    URLリンク(www.enjoykorea.jp)

        アジア人のY染色体タイプ別。
        D型は日本人とチベット人に固有。チベットからの大集団の移動があったことを示す。
                             ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    h URLリンク(photoimg.enjoyjapan.naver.com)

    >  面白いことに、「 日本人 = ヘブライ人説 」なども有って、このスレの
    >  【 >> 628-677 】、あたりには、それらの話題と、リンク先のスレッド名などが

        ユーラシア大陸のYAP分布
        YAPは縄文人固有の遺伝子ではなく中東から発祥したものと分かる。
        死海の東からシルクロードを通り抜けて集団の全てが日本へ大移住したことを示している。
        ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
        URLリンク(photoimg.enjoyjapan.naver.com)

383:機械・工学@2ch掲示板
08/09/14 09:05:47 yR7irpRX
 
~ 軍 需 産 業 ~      879- よりコピペ。
スレリンク(kikai板:879-番)
882
    >> 879
    > チベットからの大集団の移動
    > 死海の東からシルクロードを通り抜けて集団の全てが日本へ


      ・  古代(現在)イスラエルの首都、【エルサレム】の緯度 : 「北緯 32度」
      ・  中華人民共和国チベットの首都、   【ラサ】の緯度 : 「北緯 39度」
      ・  神武東征の出発地、   【九州日向高千穂】の緯度 : 「北緯 32度」

    この「緯度の一致」は、偶然なのだろうか。

    それとも、「古代イスラエル」から、東へ東へと、理想の国「ヤマト」を目指した結果、
    途中、「チベット」を通過した際に、それらの民族と共に、「九州」に到達したのだと、
    そう考えた方が自然ではないのだろうか。

384:ヘブライの館 2
08/09/14 10:05:45 yR7irpRX
  
  ヘブライの館 2 THE HEXAGON

  ☆ 3F 古代ヘブライ研究室
  URLリンク(inri.client.jp)
  URLリンク(hexagon.inri.client.jp)

● ( ↑ ここを読めば、全ての問題が解決(?)する、超お勧めのページ。)

385:月光仮面
08/09/14 11:48:41 h8yEpaRu
>>380
「BC1000年頃、沿海州は気候温暖化による海侵により海面は現在より1.5高かった。この頃から海人族
ヤンコフスカヤ文化人が活動を開始、その集落痕跡は約120ヵ所、ほとんどは貝塚があり、80-95%が
牡蠣殻、集落は通年定置で、季節狩住居がこれを囲む。長距離海洋漁業を行い、マグロ他45魚種を
漁獲し、貝、山菜、鹿、猪を狩り、豚、犬を飼う。沿海部では黍を植え、内陸では大麦を栽培した。住居は
40-200M2、公共施設もある。 3期に分かれ、第1期は前5-4世紀の非貝塚時代。第2期は前4-3世紀の
気候寒冷化期で貝塚期。第3期は前3-2世紀で、生業が内陸型に変わる。現在の水面より1M海退、
寒冷化がおこり、海洋経済は劣化、ヤンコフスカヤ文化の人口は減少。」
↓このp3第2図沿海州早期鉄器-中世C14較正編年表参照。
URLリンク(eps.dvo.ru)
問題はこれだ→ヤンコフスカヤの豆、高坏
URLリンク(www.fegi.ru)
URLリンク(www.fegi.ru)

386:月光仮面
08/09/14 11:56:11 h8yEpaRu
「高坏形土器 西日本では西部九州の一部に偏って分布する程度で、中国地方や四国地方以東では
ほとんどみられない。また西部九州でも器種構成に占める割合はかなり少なく数%にすぎない。器形的
には鉢Ⅱ類の坏部に脚がつく程度のもので形態的には台付鉢に近く、縄文時代にもとからある器種を
変容させ機能的に代用した段階にとどまっており、板付Ⅰ式以降の高坏との距離は大きい。高坏の出現
について家根は北部九州て無文土器とは無関係に成立したと考えている。」
URLリンク(www.rekihaku.ac.jp)
URLリンク(www.rekihaku.ac.jp)
「板付Ⅰ式以降の高坏」・・・つまり第1期のヤンコフスカヤ海人族文化人は板付に到着していたのでは
ないか。

387:月光仮面
08/09/14 12:11:47 h8yEpaRu
海幸 ヤンコフスカヤ文化
山幸 クロウノフスカヤ/沃沮文化
神武/天孫 ポリツェ/スキタイ・匈奴文化(←ブリャート・グラスコフ文化)
記紀の神話とがっちり合うのだが。

388:月光仮面
08/09/14 12:32:50 h8yEpaRu
欧阿からカザフスタン、新疆、アルタイ、チベット、四川、雲南を巡って燕、楽浪へと続くもの、
ブリャート、アムール、沿海州、咸鏡道、中道、伽耶を経由して入るもの、こうしたユーラシア
ノマドの融合によって生まれたブラックホールが大和朝廷の高御位だろうか。が、古墳の中身は
「猪贄」であるのかもしれない。

389:月光仮面
08/09/14 12:56:07 h8yEpaRu
優れた土器文化を持ったヤンコフスカヤ人の縦穴式住居
URLリンク(gk.nakhodka-re.ru)
後にオンドルを持つクロウノフスカヤ/沃沮文化人が現在の朝鮮族自治区方面から進出
URLリンク(www.fegi.ru)
しかし、彼らはヤンコフスカヤ文化の土器技術を吸収することは出来なかった。彼らの住居は
URLリンク(www.fegi.ru) ←これだ。
武人的なポリツェはこの後、西方アムール河中流から入ってくる。


390:出土地不明
08/09/14 14:19:39 MnjWjXg9
高床式倉庫の跡や形骸が出たアムール沿海州方面の古代遺跡の
報告はないかね?がいやまんくん。

391:月光仮面
08/09/14 15:19:59 h8yEpaRu
URLリンク(www.kkkm.ru)
これはエベンキの高床倉庫だが、ツングースは湖南省方面起源とするシロコゴロフ説もあるしね。

392:月光仮面
08/09/14 15:54:25 h8yEpaRu
URLリンク(mion.isu.ru)
第1図 遺伝子移動データによる北アジア民族の民族学的分布構造
1- evenki; 2 - eveny; 3 - khanty; 4 - komi; 5 - nentsy; 6 - selkupy; 7 - chukchi; 8 - eskimosy;
9 - aleuty; 10 - koryaki; 11 - ulchi; 12 - nivkhi; 13 - nanaytsy; 14 - negidaltsy; 15 - buryaty;
16 - tofalary; 17 - todzhintsy; 18 - tuvintsy; 19 - kumandintsy; 20 - tubalary; 21 - telengety;
22 - altay-kizhi; 23 - lebedintsy; 24 - shortsy
このうち19-24は移動性ノマドであり、日本に渡来している可能性が強い。
URLリンク(mion.isu.ru)
弟2図 北アジア民族の概括的民族言語ツリー及び民族の遺伝子地理によるその展開
URLリンク(mion.isu.ru)
第3図 新石器文化地図
1 - Baykal; 2 - Amur; 3 - Middle Lena; 4 - Lower Lena; 5 - Oby; 6 - Kelteminar; 7 - Ural;
8 - Sakhalin 9 - 沿海州
URLリンク(mion.isu.ru)
第4図 新石器時代民族文化地図
Baykal-Lena川流域;
Ural-Siberia地域;
Daur族地域.
Isakov地域
Kitoy文化

393:月光仮面
08/09/14 16:20:38 h8yEpaRu
この第4図の縦線部分が
URLリンク(en.wikipedia.org)(Y-DNA)
ここにあるダウール族をY染色体遺伝子文化圏に相当する。日本の弥生人の相当な部分はこれであり、
ノマド的なのはYAP+であったのだと考える。



394:月光仮面
08/09/14 17:09:53 h8yEpaRu
URLリンク(en.wikipedia.org)(Y-DNA)
これってなんだかおもしろいストーリーを作っているが、後で肉付けしてみよう。じゃーね。


395:機械・工学@2ch掲示板
08/09/14 19:58:56 yR7irpRX
>>383
すいません。

【ラサ】の緯度を訂正します。

      ・  古代(現在)イスラエルの首都、【エルサレム】の緯度 : 「北緯 32度」
      ・  中華人民共和国チベットの首都、   【ラサ】の緯度 : 「北緯 30度」 ← ここ訂正。
      ・  神武東征の出発地、   【九州日向高千穂】の緯度 : 「北緯 32度」

396:出土地不明
08/09/14 23:33:35 lZrHc22V
>>391
THXがいやまん

発見はまだ先みたいだな。

発掘するロシア人自体に高床式倉庫文化がないから、
跡があったとしても発見されづらいだろう。

397:月光仮面
08/09/15 09:44:30 tyE85FQe
>>394 原文直訳
この派生Haplogroup O2b* (M176)は、ツングース、朝鮮人、日本人及びProto-Mongolicと

Proto-Tungusic言語間の移行的古代方言より派生したモンゴル語を話すと考えられていた達翰爾族
(ダフール族)までも含む、Greater Manchuria全域の全民族において、低い頻度で検出されている。朝鮮と
日本の国民間では(朝鮮人ではSTR多様性がやや高いとされている)主要なクレードO2b1*

(P49)が共有されているが、この分布は北方のツングースや達翰爾族(ダフール族)には及んでいない。
最後に最も派生の先端にある分岐Haplogroup O2b1a (47z)は実質的に日本国民に限られているが

、往年の大日本帝国版図の領域内に居住する若干の個人において散発的にみられており、これはその
後数世代に各外地住民中への日本人男性兵士または一般人からの少々の遺伝子流出、又

更に古い次期のこれらの外地への日本人訪問者又は移住者の父系列子孫である可能性もあるとされて

いる。こうした「入れ子のように入り組んだ」階層及び地域別分布パターンから以下のような出来事の流れ
が想定される。

398:月光仮面
08/09/15 09:46:19 tyE85FQe
1)既にGreater Manchuria領域内に居住している乃至は少なくとも既に特定の"proto-Tungus-

Korean"民族に所属している一人の男性に属する先祖型O2*染色体において O2b Y染色体遺伝子

系列を決定するM176突然変異が最初に起こる。
2)proto-Korean民族がGreater Manchuria領域の他の民族から分岐した後しばらくして、一人の

proto-Korean男性においてHaplogroup O2b1*を決定するP49突然変異が起こる。
3) 一つのproto-Koreanの地域的下位集団が文化的に或いは身体的に他の集団を抜んじ、その

proto-Korean同胞集団を離脱して外部に移住する。Greater proto-Korean民族からの離脱終了後、既に
proto-Japanese民族となったものの1名の男性においてHaplogroup O2b1aを決定する47z突然変異が
起き、この人が多くの子孫を残し、Proto-Japanese民族中のO2b1a系統に頻度を高める。 この非常に
特殊であるHaplogroup O2b1a系統は現代日本人のHaplogroup O系統の約42.5%、全Y染色体遺伝子
の約22.0%を占めるが、これはおそらく日本民族の歴史において特定の緊密に張り巡らされた関係を持つ
氏族が極端に大きな覇権を握ったことを反映するものであろう。ツングース、Korean、日本諸民族の少なく
とも下位集合間には系統関係のあることが想定されるが、更に、Haplogroup O2b及びその下位クレードの
分布は歴史時代に入ってからこれら民族間に何らかの交雑

は一切起こっていないことを強く立証するものでもある。


399:月光仮面
08/09/15 10:23:07 tyE85FQe
他の北東アジア主要YDNAであるHaplogroup C3もこれまたツングース、Korean、日本人、また、モン
ゴル、チュルク民族、更には日本のアイヌ、北米のNa-Deneインディアンにすら見られるが、Haplogroup
C3頻度の傾斜はHaplogroup O2とは反対で、Haplogroup C3の頻度は北に向けて高く(Mongolian,
Turkic, Northern Tungusic, Koryak, Nivkh, etc.)、これに対して、Haplogroup O2の頻度は南に向けて高く
(南ツングース、Korean、日本人)、Ainu及びNa-Dene族では皆無である。

400:月光仮面
08/09/15 10:37:25 tyE85FQe
Haplogroup O3の典型はSino-Tibetan及び東南アジアであるが、これまたほとんどのツングース、モン
ゴル、チュルク、日本人において頻度、分岐程度に差こそあれ、共有されており、これは中国からの新石
器文化の民族随伴拡散の遺伝子的痕跡なのであろうが、Sino-Tibetan-Austronesian Haplogroup O3に
加えて、YDNA D1及び若干のチベット特有のmtDNA haplogroupが北東アジア全域で共通して低頻度に
見られることは、新石器時代の大規模な或いはより後年の中国からの影響ではない、北東アジア民族と
チベット民族の間の何らかの関係を表すものであろう。

401:月光仮面
08/09/15 11:55:37 tyE85FQe
URLリンク(www.fegi.ru)
URLリンク(www.fegi.ru)
じれら内陸方面は長春、チチハル、ハルピンのような旭川のような趙低温が数ヶ月も続く、ヤクーツク、
ベルホヤンスクの寒極と似た気候であるのに対し、ピョートル大帝湾、ポシエト湾等は海流の影響で
真冬でも暖かい。したがって、オンドルは朝鮮人といった区分は不可能であり、現に日本にもオンドル
は入ってきている。
URLリンク(www.bbweb-arena.com)
URLリンク(www1.korea-np.co.jp)
が、日本の場合は-30℃が何ヶ月も続くような住宅設計は無駄であるし、コタツ程度で用が足りる。
結論として、沃沮とされる文化圏に邑婁(スキタイ・匈奴形)、ヤンコフスカヤ(多少三内丸山文明の
影響を受けているように見える)等が入った状態で朝鮮半島の東部・中部を南下して日本に入ったと
考えるべきだろう。



402:月光仮面
08/09/15 13:42:05 tyE85FQe
>>392
URLリンク(mion.isu.ru)
第4図 新石器時代民族文化地図
\\\\\\\\   Baykal-Lena川流域;
////////   Ural-Siberia地域;
| | | | | | | | | | | | |    Daur族地域.
─ ─ ─ ─ ─ ─ ○ Isakov地域
──── ○ Kitoy文化

403:出土地不明
08/09/15 22:56:21 yBMz9nha





137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。

弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。






404:月光仮面
08/09/16 08:15:35 yrSIh5m/
>3) 一つのproto-Koreanの地域的下位集団が文化的に或いは身体的に他の集団を抜んじ、その
>proto-Korean同胞集団を離脱して外部に移住する。Greater proto-Korean民族からの離脱終了後、既に
>proto-Japanese民族となったものの1名の男性においてHaplogroup O2b1aを決定する47z突然変異が
>起き、この人が多くの子孫を残し、Proto-Japanese民族中のO2b1a系統に頻度を高める。 この非常に
>特殊であるHaplogroup O2b1a系統は現代日本人のHaplogroup O系統の約42.5%、全Y染色体遺伝子
>の約22.0%を占めるが、これはおそらく日本民族の歴史において特定の緊密に張り巡らされた関係を持つ
>氏族が極端に大きな覇権を握ったことを反映するものであろう。
複合弓、毒矢、骨の鎧、刀剣でもって他を圧するポリツ族がバイカル湖グラスコフ文化を脱し、アムール
を下り、中流ポリツを中心として、スキタイ、匈奴の鍛鉄技術を身につけ、更にアムールを下り、沿海州
全域を制する。この内陸水系における水軍集団が海洋性海人族集団の後を追って瀬戸内海、琵琶湖、
大阪湾、紀伊水道、伊勢湾、相模湾を制する。この頂点に立つのが近江の息長族であり、神武・久米・
物部等の山戎系山岳戦闘部隊はその先兵のようなものであったのではなかろうか。

405:月光仮面
08/09/16 10:18:40 yrSIh5m/
下図の達翰爾族(ダフール族)=ダウール族地域だが、
URLリンク(mion.isu.ru)
第4図 新石器時代民族文化地図
\\\\\\\\   Baykal-Lena川流域;
////////   Ural-Siberia地域;
| | | | | | | | | | | | |    Daur族地域.
─ ─ ─ ─ ─ ─ ○ Isakov地域
──── ○ Kitoy文化
そこにはバイカル湖が実線の丸枠で囲まれているが、この辺がグラスコフ文化の中心地でもある。
時代は下るが、渤海の上京龍泉府
URLリンク(upload.wikimedia.org)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
これが >>404で言う「この非常に特殊であるHaplogroup O2b1a系統」の原郷であろう。そこには
白山と同じく山頂にクレーター湖をもつ白頭山がある。日本の場合この白山を基準点として東国の
寺社配列が決定されているようだ。日本の水神瀬織津姫はバシコルト語ではサが犬、レが川を意味し
、現地にはそうした女性名とか、駒ケ岳のような伝承がある。

406:月光仮面
08/09/16 10:21:21 yrSIh5m/
地図を見れば日本海を挟んで、白頭山から若狭・敦賀・越前・白山にポリツェ水軍が移動してきた
足跡がわかる。

407:月光仮面
08/09/16 12:07:29 yrSIh5m/
>>41 >42 >>98 >>111 >>112 >>113 >>114 >>115 >>116 >>117 >>119 >>120 >>125 >>126
>>127 >>128 >>129 >>130 >>135 >>161 >>168 >>276 >>308
白人のエフタルも雪山で雪豹をとるハンター、今で言えば、パキスタン・アフガン部族民、なので白山は
当然聖山であろうが、彼らの世界と東洋人の世界は別物。東洋人は山頂の水、流れ、滝、せせらぎに
重点があり、毛皮が何枚取れるかとということとは価値観が違ったはず。

408:月光仮面
08/09/16 16:35:30 yrSIh5m/
>>397 前段部分があった↓
現生人類諸民族にあって、Haplogroup O2は、その兄弟クレードであるHaplogroup O3ほど高頻度には見
られないが、その地理的分布が変わっていることは注目に値する。Haplogroup Oの全てのクレード同様、Haplogroup O2は現代の東ユーラシア民族の男性においてのみ見られる。しかし、Haplogroup O3は東ア
ジアと大洋州の多くの民族のほとんどが共有しているのとは異なり、Haplogroup O2は一般的にインド及び
バングラデシュ、インド洋ニコバル諸島のニコバル族等のAustroasiatic系民族及び北東アジアの
Korean、日本人、ツングース族等の特定民族にしか見られない。Haplogroup O2は広範で、飛び飛びに
分布しているが、もう一つ注目に値することは2つの大きな下位クレードに分けられ、それが全くばらばら
に分布していることである。下位クレードの一つであるHaplogroup O2a (M95)は南及び東南アジアの(主
に部族民の)民族とカンボジアの Khmer及びインドネシアのBali族にも見られる。Haplogroup O2aは東南
アジア内陸部のNegrito系のSemang及びSenoiとも関係するとする報告も若干あるが、これが彼らがもと
もと持っていたYDNAなのか、或いは、Bantu族がその言語とYDNA E遺伝子をアフリカのピグミー系Baka
及びMbuti族等に与えるという仮説同様、Khmer及びそれに関係する種族のAustroasiatic YDNAの東南
アジアNegrito族への侵入とそのAustroasiatic言語の提供の結果によるものなのかはわからない。これ
とは別の下位クレードHaplogroup O2b (SRY465, M176)はほとんどKorean、日本人、Manchuにしか見られ
ない。北東アジア Haplogroup O2bはツングース、Korean、日本人寒の非常に興味深い関係を示唆する。Haplogroup O2bの祖形はHaplogroup O2*であるが、これは先史時代から東アジア全域に薄く広がってい
たようである。


409:月光仮面
08/09/16 16:46:00 yrSIh5m/
↑YAP+の動きとほとんど同じである。O2/YAPはO3に追われたか、或いは、黄河・長江流域に
何らかの巨大な自然災害、地震、洪水、火山(喜界カルデラ)のようなものが発生しO2/YAPは
四散したのか。

410:出土地不明
08/09/17 00:12:07 n4DcgylH






水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
URLリンク(ja.wikipedia.org)







411:出土地不明
08/09/17 05:09:36 ybyIMQnH
消防署の方から来ました。

412:出土地不明
08/09/17 05:56:49 viFi/l3X
蠱蟲の記録

!!!!!!   えた・ぺでぃあ    !!!!!!

連続強姦強盗殺人犯、地主薗(じぬしぞの)。 または、 連続殺人犯、地主薗(じぬしぞの)。

地主薗の祖先は、昔、蠱蟲という苗字(壬申戸籍)を照れ臭そうに、または、有り難く、頂戴した連中だったと言われ、
当初は、立派な苗字を頂戴したと、喜びに満ち溢れていたそうである。
後に、蠱蟲は、この苗字が、えた・ひにんに与えられる苗字だと分かったときには、半狂乱になり、反乱を起こしそうにな
ったと言われている。(蠱蟲の読みは、「こちゅう」と言われている。)
地主薗のほかに、獄場、赤刎、刑戮、地虫、地獄、死刑などという恐ろしい苗字があるが、不貞腐れた蠱蟲が、自分で勝
手に名乗ったと言われている。(古い墓石が現存している。)
また、女殺し、という、おぞましい苗字を使用していた蠱蟲もいたと伝えられている。
現在の戸籍上の苗字は、地主薗の他、古川、小野、都井、西口、藤原、勝田、佐川、押谷、松本、荒木、林、鈴木、坂本、
豊田、岡崎、武藤、志村、川島、川俣、代古など、数多くの苗字が存在する。
地主薗は、えた・ひにんの代表格で主に、千葉市、江戸川区に居住しているが、一部のものが、肥溜め汲み取りを生業と
するために、日本各地に転出し、現在も生息中である。
だが、かなり以前から、公務員になったりするなど、税金を汲み取り生活するものが多くなっている。
また、古くから居た、農民を、脅迫して追い出し、居座った、偽農民が、日本中、多数居ることも有名である。
そして、何が、気に入らないのか不明だが、日本各地で多くの、殺人事件を起こしている。
血液型はO型で、梅毒ビールスに感染している。淋病に感染している場合もある。
ペニシリンを用いても、梅毒ビールスを体内から根絶することは、不可能だか、根絶できたと勝手に思い込んでいるもの
もいる。
やはり、地主薗は、梅毒症状第三期(脳梅毒または、神経毒)になりつつあるのが現状であり、お迎えの日が来るのも近い
のではないかという説が、千葉市役所内で、囁かれているが、信憑性が高い。
また、白癬菌感染者も多く、股間の痒みに耐えかねて身を捩っている様をみると、笑ってしまう。
獄場、赤刎、刑戮、地獄、地虫、死刑なども、地主薗とおおむね同様である。

(注意)加筆禁止


413:月光仮面
08/09/17 09:21:34 LSiDUeKK
グラスコフ文化の中心地イルクーツクは聖なるバイカル湖が流れ出すところでえあり、
URLリンク(upload.wikimedia.org)
三嶋溝杭神社は日本における琵琶湖・瀬田川・淀川水系の同等に位置にあり、
URLリンク(map.yahoo.co.jp)
継体の御陵今城塚古墳もここに置けれた。rekidainohimikono
URLリンク(map.yahoo.co.jp)
卑弥呼の生まれたのはここであろう。歴代の卑弥呼は三輪神社に祀られているが、記紀に登場するもの
であって、最古のものは神武皇后とされるイスケヨリヒメである。勿論ももそひめもある。

414:出土地不明
08/09/17 12:59:16 KtJDZ+IV





137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。

弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。






415:トレクワトリスタ
08/09/17 21:00:34 7TYwQ7Xt
>>382,383
それって面白い意見ですね。実は日向や薩摩はエルサレムと同じ緯度と、最近教えていただきました。

同緯度は植生や気候の違いの小ささから、南北よりもはるかに移動がスムーズになるし。
(古代の沿海州で稲作は全く不可能。)

D系統全体の分布から単純に考えれば、チベットから日本にダイレクトに来たと
まず考えてみますよね。

問題の1つは、現在の分布からは、長江中・下流域を含む中国南部は、O2a系統が多いことです。

ただ、チベットから日本までは船でほぼ直線距離で、九州南部までダイレクトにつながる地理的条件にある。
長江河口がちょうど中国大陸が東に膨らんだところにあるのと、海流もここから九州南部はスムーズに走る。
チベット東部(アムド地方)や顔立ちがチベット人や日本人に似ている今でもD系統が残る長江上流(四川・雲南)から、
東に流下して長江文明の中核を担ったD系統とO2b系統の混成集団が、
漢民族(O3系統)に滅ぼされた後に、当時最先端の船舶技術で南九州中心に逃れたと考えると、
あまり無理なく説明がつきますね。

(付記)O2b系統の分布が、西日本で最大、他にはベトナムと朝鮮半島南部に分布することの説明も同時に付く。
     今は「O2系統の内で北を流れてO2b系統が朝鮮半島方面に移動した」などの説明が流されているが、
     最新のサンプルの多いデータで、西日本が分布の中心になり、O2aが多い華南より南のベトナムに、
     O2bが次いで多いことが合わない。船舶で逃れたのなら、九州を中心に一部がベトナムや朝鮮南端に逃れたと説明がつく。
     (それ以外の地域で僅かにO2b系統が確認される、ダウール人の故地も、古代燕地方で、船で移動可能。)
     D系統が、チベットと日本の間の中国大陸でほとんど無い理由も同時に説明できる。
     (D系統のほうが、O2b系統よりも集中して日本列島に入ったことになる。)


416:415
08/09/17 21:20:49 7TYwQ7Xt
もう一つの異論なんですが、
アメリカ中心の最新の遺伝学に基づく結果では、D系統の移動時期はかなり古く、
C系統とともにホモ・サピエンスとしては、最古の出アフリカを果たしたとされています。
これが主に何万年も前の氷河期の時期に、年中温暖だったユーラシア南縁を東に移動して、
チベットより先に、日本列島に入った可能性が高いとのことです。

(付記)インド亜大陸にD系統が見つからないから、ヒマラヤの北側を通ったとの反論が
    このスレでなされていますが、アーリア人の侵入後に、特に父系のDNAがアーリア人に
    置き換わったと判明している現在のインド亜大陸でも、「ヒマラヤの南側」のブータン、
    ネパール、シッキム、アッサム、インパールなどに、D系統そのものが多く分布しています。
    このことと、D系統祖型のほとんどが、インドの東の沖合いのアンダマン諸島でみられることから、
    もし陸上を通ったとしても、今以上の氷河に覆われたチベット高原ではなく、
    ヒマラヤの南側を通ったと考えられます。
    (この場合もチベットのD1より日本のD2が古い前提とは合わないですが。)

日本人のD2は、他にはほとんど見つからないにもかかわらず、分岐系統が多いので、
古くから日本列島にのみ住んだと考えられるのです。
そして、チベットや中央アジアのD1系統、D3系統は、海外(但し日本と韓国は除く)で考えられているように、
日本列島から北アジア経由で西進してチベットに入ったか、もしくは
ベンガル湾岸からヒマラヤ周辺にD祖型から分岐したD1、D3が後の時代に広がったと考えられます。


417:415
08/09/17 21:47:13 7TYwQ7Xt
連投で申し訳ありません。

D系統の分布が、日本とチベットのあたりに分かれていることについての説明で、
「元々は華北平原を中心にYAP+のD系統が分布していたとされるが、O3系統などに
 淘汰される形で島国の日本と、高原のチベットのみに残ったO2bと同様に敗者のDNAである云々・・・」
というような説が出回ってしまっているが、特に酷い説明だと言える。
まず華北平原がD系統の分布の中心だった理由が全く不明。
おそらく、昭和時代の「日本人の多くは華北あたりから朝鮮半島を通って日本にやって来た農耕民族。」
みたいな説に、引きずられて、無理やりこじつけで整合性をつけただけと思われる。
(D系統はどちらかと言えば、縄文系の狩猟・採集民。)
(また農耕民族であるO2系統(弥生人)でさえ、華北や朝鮮半島の大部分と違った、水田農耕民。)
(戦前の大東亜共栄圏の考えには都合が良かったし、戦後は韓国などとの共同研究に影響されすぎ。)

もしも華北平原がD系統分布の中心だったのであれば、日本のD2、チベットや中央アジアのD3,D1以外の
サブグループが、少ない頻度ながらもう少しは残っているはず。
もしくは、日本とチベットで共通のDのサブグループが存在してないと不思議である。


418:出土地不明
08/09/17 22:39:38 cOO88Ux8
  金印>銀印>銅印>泥印

日本は古代より金印(公印)>韓国は泥印(公印)銅印(私印)であり
中世の地位は琉球(金メッキ銀印)>朝鮮,銅印(公印)でしたとさ。
哀れ韓国。
URLリンク(www.geocities.com)
URLリンク(www.enjoykorea.jp)

「倭国」・・「漢委奴国王」・金印
「邪馬台国」・・「親魏倭王」・卑弥呼,金印紫綬
「クシャン朝」・・「親魏大月氏王」・ヴァースデーヴァ(波調)金印紫綬
「雲南,?王」・・「?王之印」・金印
「光武帝の子」・・「廣陵王璽」・金印


419:出土地不明
08/09/17 23:49:31 mUR4kGwW
確か山東半島にもYAP+は数%残っていると何かで見たがな。

それに弥生人は沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由してくる最中に
水田稲作を知って九州北部に上陸しただけ。

もともと水田農耕民だった訳ではないね。

420:出土地不明
08/09/17 23:50:31 mUR4kGwW






水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
URLリンク(ja.wikipedia.org)







421:出土地不明
08/09/18 01:51:17 Mjc/Vs67
後漢光武帝の建武元年(25年)に復設された制度として、諸侯王には金璽綟綬(きんじれいじゅ)、
公候には金印紫綬、九卿などの中二千石・郡太守などの中二千石・校尉や中郎将などの比二千石には
銀印青綬、以下は銅印黒綬、銅印黄綬が与えられている。

「倭韓遂屬帶方」倭韓は
帯方太守の管轄下にあったはずであるが、太守の銀印青綬より位の高い金印紫綬を卑弥呼は得ており、
「難升米を以て率善中郎將となし、牛利を率善校尉となし、銀印青綬を仮し」ということで、彼等が
同等となり、太守の心境は複雑であったろう。

使いの者と帯方太守が同等とは、倭国の評価がそれだけ高かったと言える。


422:月光仮面
08/09/18 10:23:04 t4sFY2oF
>>413
八百万の神が天の安河の川原に集まり、どうすれば良いか相談をした。オモイカネの案により、様々な
儀式を行った。常世の長鳴鳥(鶏)を集めて鳴かせた。天の安河の川上にある堅い岩を取り、鉱山の鉄を
採り、鍛冶師のアマツマラを探し、イシコリドメに命じて八咫鏡(やたのかがみ)を作らせた。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
祭神 天御影命(天目一箇神)  古代製鉄の神を祀る。神体山の三上山を祀る。
URLリンク(kamnavi.jp)
URLリンク(jinja-kikou.net)
鏡とは天目一命がこの地で鏡を作った故事によるともいわれている地。
URLリンク(jinja-kikou.net)
近江湖東の古社巡り
URLリンク(www.ops.dti.ne.jp)
伊勢 遺跡
URLリンク(www2.city.moriyama.shiga.jp)
伊勢 遺跡
URLリンク(f1.aaa.livedoor.jp)

423:月光仮面
08/09/18 10:24:40 t4sFY2oF
「紀元1世紀末頃に、この遺跡は突如出現し、紀元2世紀末に衰退し始める。つまり、邪馬台国時代前夜
に、発達を遂げた不思議な遺跡
30棟の棟持柱付大型建物が円周上に配置されていると聞いて、筆者がすぐに思い浮かべた建物が
ある。出雲大社の東と西の十九社である。我が国では、旧暦の10月を通常「神無月(かんなづき)」と呼ん
でいる。10月10日に全国の神々が出雲大社に集られ、10月11日から17日までいろいろな神議りを行
わうため、出雲以外では神々が不在になるためである。東と西の十九社は、出雲に集まった神々の
御旅社、つまり宿舎だそうだ。 」
「この住居跡から復元される建物の規模の大きさには驚くべきものがあるが、さらに注目すべきはその
床と壁にあった。住居をつくるのに、先ず深さ80cm以上掘り込み、次に厚さ約25cmの粘土を床面に
貼り、その上面を焼いて整え、さらに約8cmの精良な粘土を貼り高温で焼いて固めている。こうした床を
焼床(やきどこ)といい、従来にはなかった建築工法である。この床にはさらに、直径2cm程の穴が多数、
開けられていた。一方、壁際には40cm×30cm、厚さ約8cmのレンガと思われる建築部材が少なくとも
5個以上見つかっている。日本で出土した焼成の最古のレンガは白鳳時代の7世紀後半とされてきたが、
その歴史が500年もさかのぼることになる。」
URLリンク(www.bell.jp)

424:月光仮面
08/09/18 10:26:24 t4sFY2oF
「野尻遺跡は、中ノ井川(なかのいがわ)水系沿いの標高96~101m前後の地点に立地する複合遺跡(ふく
ごういせき)です。自然流路(しぜんりゅうろ)や大溝状遺構(おおみぞじょういこう)から土器や木製品がま
とまって出土しています。古墳時代には竪穴建物(たてあなたてもの)のほか、周囲に溝と柵を巡らせた
豪族居館(ごうぞくきょかん)とみられる遺構が確認されています。」
URLリンク(www.pref.shiga.jp)
URLリンク(www.pref.shiga.jp)
「野洲川下流で数多く見つかっている弥生時代の遺跡のうち、服部遺跡と並んで大規模なものに、
下鈎遺跡(しもまがりいせき)や伊勢遺跡(いせいせき)があります。」
URLリンク(www.maff.go.jp)
下之郷遺跡
URLリンク(www.bell.jp)

425:月光仮面
08/09/18 11:55:55 t4sFY2oF
葦原中国平定
URLリンク(ja.wikipedia.org)
汝(あ)は天日隅宮に住むべし、今まさにつくりまつらむ、すなわち千尋の拷縄(たくなわ)を以て結いて百
八十紐にせむ。其の宮を作る制は、柱は高く太く、板はすなわち広く厚くせん。またみ田つくらむ、また汝
がかよいて海に遊ぶ具のために、高橋(一書第二によれば天の安河にかける)、浮橋および天鳥舟また
つくらむ。『日本書紀』
URLリンク(ja.wikipedia.org)

426:出土地不明
08/09/18 14:20:59 iMMggaT2





137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。

弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。






427:月光仮面
08/09/18 16:28:58 t4sFY2oF
2005年6月24日付けKrasnoyarskiy Rabochiy紙
グラスコフ文化はエベンキ族の祖先であり、太陽を崇拝し、
URLリンク(www.krasrab.com)
エジプト太陽神ラーの神話に通じていた・龍が太陽を咥える絵
URLリンク(www.krasrab.com)
オシホはヨセフ、ホヒはアポピスである可能性がある。これで装飾古墳の図案の起源も
わかる。

428:月光仮面
08/09/18 17:36:06 t4sFY2oF
>>423
「住居をつくるのに、先ず深さ80cm以上掘り込み、次に厚さ約25cmの粘土を床面に貼り、その上面を
焼いて整え、さらに約8cmの精良な粘土を貼り高温で焼いて固めている。こうした床を焼床(やきどこ)と
いい、従来にはなかった建築工法である。この床にはさらに、直径2cm程の穴が多数、開けられていた。
一方、壁際には40cm×30cm、厚さ約8cmのレンガと思われる建築部材が少なくとも5個以上見つかっ
ている。」
「ややこしい話は表にしましょう。百済熊津時代の王陵と貴族墓は,次のとおりです。
年代 熊津時代前半 熊津時代後半
磚室墓 なし 新登場→王陵
宋山里型石室 新登場→王陵 →貴族墓に転落
表井里型石室など 貴族墓 貴族墓 」
「では,いつから「熊津時代後半」なのでしょう。百済の磚室墓は武寧王陵と宋山里6号墳の2基があり(
このほかにも可能性が指摘される例はある),前後関係は解決していませんが,ここでは洪?植氏のよ
に,武寧王(462年 - 523年)陵から熊津時代後半と考えておきましょう。」
URLリンク(www.ops.dti.ne.jp)
磚室墓が百済では6世紀なのに日本には焼き床は神話時代だ。

429:出土地不明
08/09/19 13:28:14 vOXXZkJG






水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
URLリンク(ja.wikipedia.org)







430:出土地不明
08/09/20 08:36:13 eve1pOOc

三内丸山遺跡ってあれも出雲の文化ですよね?

431:出土地不明
08/09/20 08:42:41 6IERiMvF
up

432:月光仮面
08/09/20 12:56:24 6IERiMvF
現在の発掘状況ではこんなもの↓ 出雲は玉造りで有名だが、現代風に言えば産業誘致地域のような
面もあったのかなー。
URLリンク(www.geocities.jp)
URLリンク(www.geocities.jp)
URLリンク(www.geocities.jp)

433:月光仮面
08/09/20 13:44:19 6IERiMvF
これは三内丸山だが↓
URLリンク(www.rekihaku.ac.jp)
「ロシア極東細石刃の最古のものはBP4900。沿海州Zerkalnaya川 (Suvorovo-IV及びBogopol-IV期)
出土、搬入天然石、天然六角天然石は極めて興味深い。これは遺跡の中心地に置かれ、後の日本縄文
の石棒及び太陽シンボル石組みを伴う石柱として知られる一連の遺物を伴う天然の植物の葉の形をした
バイフェイス石器という特別なものも出土している。」とされている。
三内丸山の高坏、これは沿海州ヤンコフスカヤ文化に残るし、後漢書では
ワイが使用し、邑婁は使用しないとされている。魏志倭人伝の倭人は使用した。
URLリンク(www.rekihaku.ac.jp)
歴博 展示解説 
URLリンク(www.rekihaku.ac.jp)

434:月光仮面
08/09/20 14:08:17 6IERiMvF
>>428
玄室表面焼結は前4-3世紀、ミヌシンスク盆地タガール文化サルガシェン期に発生、その後テシン期
(前2-1世紀)の大型蒼穹墳において一層の発展を見た。Derevyankoによれば中国領土内のポリツェ文化
である、Wanyanghe文化はBC30-100年頃、住居は55M3以下の竪穴住居、宅内は藁混入粘土塗り焼結
仕上げ。埋葬儀礼に転用され、磚室墓となったものが中国の四川から楽浪方面に広がるのが後漢で
あり、百済などはずっと遅れるのだが、近江伊勢遺跡では1-2世紀頃、更に、ポリツェ同様製鉄が重視
されている。 >>423 天の野洲川の議会を仕切ったのは(吉備を仕切った)天孫ではあるまいか。
これが河内を政略結婚等で口説く(庄内期)が、結果としては傭兵神武が先陣を切って侵攻を開始する。

435:月光仮面
08/09/20 14:15:40 6IERiMvF
風の祭りの盆踊り歌「二百十日の真夜中に六角へのこが飛んできて村の後家さん逃げ回る」という
六角へのこの意味が沿海州の遺跡から見えてくるようだ。

436:月光仮面
08/09/20 15:37:00 6IERiMvF
小河墓女性墓標は六角の柱、男性は軍配形の柱でそれぞれ異性生殖器を表すが、素材はポプラ。
驚くべきは3800年の砂嵐に耐えた六角の稜線はあたかも鉄器で製材されたが如く鋭い稜線を残し
ていること。青銅は貴重品でやっとブローチに残るだけ。これは何で加工されたかと考えると細石刃
である。牛の生皮で包まれた逆さ舟形の木棺の加工も恐るべき木工技術であった。墓標には
中近東思想を表す7本の切り溝もあった。しかし、これを加工したのはバイカル湖文化センターの
モンゴロイドではなかったであろうか。

437:出土地不明
08/09/20 16:07:20 vsOGVFQ5





137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。

弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。






438:月光仮面
08/09/21 10:54:41 vwc8AA9f
>>433 訂正↓これを、
>「ロシア極東細石刃の最古のものはBP4900。沿海州Zerkalnaya川 (Suvorovo-IV及びBogopol-IV期)
>出土、搬入天然石、天然六角天然石は極めて興味深い。これは遺跡の中心地に置かれ、後の日本縄文
>の石棒及び太陽シンボル石組みを伴う石柱として知られる一連の遺物を伴う天然の植物の葉の形をした
>バイフェイス石器という特別なものも出土している。」とされている。
↓このように訂正する。
(Tabarev Andrey Vladimirovich 更新世・完新世移行期における人類の環太平洋進出 Novosibirsk 2004)
「最近沿海州Zerkalnaya川遺跡で非常に興味深い搬入自然石、天然の六角石柱、の発見があった。これ
らは遺跡の中心部に配され、後に日本縄文石棒及び太陽象形石組みを伴う石柱として知られて来る一連
の遺物を伴う。Suvorovo-VI 遺跡においては植物の葉の形 が自然に残された(floral print) バイフェイス
製品という独特な発見物[Krupyanko, 1997]があるがこれは全く特別なものとして分類される。」

439:月光仮面
08/09/21 11:03:58 vwc8AA9f
Suvorovo-VI ではなくZerkalnaya (Suvorovo-IV/ Bogopol'-IV) [Krupyanko, Tabarev, 2001]. だった。
これだとC14Cal年代が↓
Suvorovo-4 - 15300+140 (Ki-3202)(Kuzmin, 1990, 1991; Vasilyevsky, Gladyshev, Tabarev, 1992); 15105
+110 (AA-9463)(Kuzmin, 1994); 15900+120 (AA-36626
つまり、確かに三内丸山よりは古い。するとあの三内丸山の高坏も一緒に入ってきたのかなー。

440:月光仮面
08/09/21 11:15:02 vwc8AA9f
>>433
URLリンク(khasan-district.narod.ru)
五列目に
Ustinovskaya
(-細石刃-)
(18170+/-150 do 10780+/-50BP) - 早期遺跡
細石刃はもっと古かったんだな。

441:出土地不明
08/09/21 23:42:04 iPJ30t5l






水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
URLリンク(ja.wikipedia.org)







442:月光仮面
08/09/22 13:55:30 TrEcUeYY
>>379-380
上記2004年Vostretsov論は2006年に下記の通りUpdateされている。
気候寒冷化海退、(IV(縄文後期)を除き)農耕民族拡大
I ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5400―5200BP 縄文前期
II ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4700―4300BP 縄文中期
III Margaritovskaya文化* ・・・・・3600―3300BP 縄文後期
IV (戦国時代) ・・・・・・・・・・・・・ 2500―2200BP 縄文晩期
*本文化遺跡出土石器の基本的なものは(槍先、ナイフ等の)青銅器を模倣した器具の特徴が出ている
修正加工及び研磨製品。土器としては、首の広い各種押紋の付いたオーバーハングで広がる分厚い
口縁部を持つゆったりとした形状の土器 光沢のある明るい暗赤色の厚壁土器。本遺跡の特徴は
青銅器にあり、葉形槍先、平円錐形ペンダント、槍、ペンダント、組合せ鋳型、ソケット式二重スペード
形銅鏃、釣り針鋳造用組合せ鋳型。形状と寸法が現在の短剣に近い透明でやわらかい材質の石材
を使用したナイフほ本遺跡独特のもの。
殷の前の沿海州にこうした青銅器文化があったということはどえらいことになる。

443:月光仮面
08/09/22 14:49:35 TrEcUeYY
訂正
(IV(縄文後期)を除き→III Margaritovskaya文化* ・・・・・3600―3300BP 縄文後期 を除き
つまりこの時代は気候寒冷化海退はあったが、農耕民族の拡大はなく、特記事項としたは
Margaritovskaya文化が沿海州海岸部に到来したということ。


444:月光仮面
08/09/22 16:16:09 TrEcUeYY
↓このセイマトゥルビノ文化
URLリンク(users.hartwick.edu)
↓これを見れば一目瞭然なんだが、ちょうど、Margaritovskaya文化と同じ時期に当たっている。
URLリンク(www.metmuseum.org)
つまり、カザフスタン方面から東進して太平洋岸に達したものもあった。その流れの線上でカラスク
文化が生まれたと考えられる。


445:出土地不明
08/09/22 19:22:22 vjQw3aR0
>>419
そこはちょうど、倭寇の攻撃を何度も受けて中国が防塁をこさえたりした場。
恐らく倭寇の略奪の痕跡だろう。
(ちなみに後期倭寇のチェジュ島は倭人系の国家、耽羅国なので、YAP+で当然)

446:出土地不明
08/09/23 01:17:50 BBDEyV6T





137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。

弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。






447:出土地不明
08/09/24 01:00:42 Tlatr51g

日本人はどこから来たのではなく、日本列島に到達したホモ・サピエンスが環境変化に
付随してホモ・サピエンスが携えた普遍的な文化上に日本列島固有の文化を生じせしめた。
(縄文時代以降顕著になる)これをもってホモ・サピエンスが日本列島の文化的特徴を伴う
こととなり、単なるホモ・サピエンスからホモ科(ヒト科)の日本人になるである。

日本人は来たのではなく、日本人になったのである。

448:月光仮面
08/09/24 13:33:29 Bd8RWBx5
>>374
デレヴャンコによる突帯文土器とグラスコフスカヤ文化の関連説明
デレヴャンコ「古代の道は現代に至る」より。
URLリンク(historic.ru)
「バイカル湖Bolshaya Chana湾から南行すると湖岸はかなりの湾によって分断されている。特に興味のあ
るのはKurla岬からSeverobaykalsk市に至る広大な湖岸平地である。距離にして15-20kmではあるが、こ
の辺では古代集落遺跡が多く発見されている。
URLリンク(maps.yahoo.com)
われわれは、ここで新石器時代仮泊地及び鉄器時代早期集落と共に、複雑な層をもつ2ヶ所の遺跡発見
に成功した。この2つの遺跡間の距離は小さかった。第一の遺跡はバイカル湖岸の高い段丘にあるMalaya Kurla川の河口から300m上ったMalaya Kurla谷で発見された。芝の下の褐色砂交じり粘土層で水で磨耗
した川石の上に、表面が円滑であり、紐の痕の付いた、刷毛及びスタンプで押して刻まれた文様を持つ、
容器及び土器の砕片が集まっていた。容器表面は円滑であり、基本的には2つの形状があって、弱輪
郭、厚手ズン胴平底甕で、表面には分断貼り付け突帯があり、突帯表面に装飾があるものと、薄手で胴が
膨らんでいて、口縁に斜めの刻目があり、その下に貼り付け突帯があり、その下には紐で押した痕がはっ
きり付いているものとかあった。一つの容器は形状も装飾もバイカル湖周辺グラスコフ文化埋葬遺跡から
出土する容器と瓜二つであった。この時代はバイカル湖、アンガラ川峡谷に住み着いていた民族が銅製
品の使用を開始した時期に相当する。」

449:出土地不明
08/09/24 14:20:32 GbthgjgB
>>448
問題は九州北部に刻目突帯文土器が登場するBC10Cと向こう側、
つまりバイカル湖周辺の刻目突帯文土器の生産時代が一致するのかどうか。

向こう側は銅器が登場してきているから日本よりも後に登場してきた
ものの恐れはないか?がいやまん。

450:月光仮面
08/09/24 15:49:09 Bd8RWBx5
これをみてよ↓
前二千年紀国家・民族
1 殷・商
2 龍山文化諸族の要塞都市群
3 沿海州狩猟漁労民族(貝塚系)
4 グラスコフ狩猟漁労民族
5 アンドローノヴォ農耕民族
6 スルブナ農耕民族
7 ウラルシギル泥炭地狩猟牧畜民族
8 アバーシェボ狩猟農耕民族
9 ファチアノボ牧畜民族
10 ドニエプル中流牧畜民族
11 晩期トリポリエ農耕民族
12 ドニエストル上流農耕民族/コマロフ文化
13 ウネチツ(後のラウジッツ)農耕牧畜民族
14 スイス水上生活農耕民族
15 ドナウ河峡谷水上生活農耕民族
16 ポー河峡谷テラマール水上生活農耕民族
17 東沿ライン河民族
18 南沿バルト牧畜農耕民族
19 東バルト牧畜農業漁労民族
20 スカンジナビア農業牧畜民族
21 英国青銅器民族
22 フランス農耕牧畜クルガン民族
23 牧畜農耕青銅器鋳造文化エル・アルガール集落
24 クレタ島・南ギリシャ古代文化
25 前アジア国家群
26 トロイ
27 古代エジプト
28 トリアレチ・クルガン墳南コーカサス農耕牧畜民族
29 アナウII、III農耕集落と隣接するアンドローノヴォ系諸民族集団
30 アンドローノヴォ系農耕牧畜タザバグヤブ民族
31 ハラッパ文化圏
URLリンク(historic.ru)
弥生というのはこうしたマラソンのゴールの一つなんだね。



451:月光仮面
08/09/24 16:24:31 Bd8RWBx5
>>449
突帯文土器文化とは思いがけない時と場所で発生している。例えば南シベリアではスキタイ時代(日本で
言えば吉野ヶ里の頃)皮製容器、例えば皮ひも付き水筒のようなものを真似た突帯土器があり、こういう
のは黒海北岸にもあるようだ。ところが、>>448 で発見されたのは下層に狩猟文化がり、層位によって
明確にグラスコフ(上の地図参照)並行とされるところで発見されている。
刻目突帯文土器の先駆けではないかとねらんでいるのに趙宝溝がある。何らかの呪いのような意味とか
URLリンク(www.pitt.edu)
伝統があるのかもしれない。

452:出土地不明
08/09/24 21:33:32 SpdOJ899
>>445
耽羅国は、確かに少しは(10%程度?)YAP+が入っているかもしれないが、
縄文系ではなく、倭人系(弥生系)ということは、基本的にO2系統だと思う。

但し、現在の済州島は元の影響で、モンゴルの血もかなり濃いから、
(血液型比率で済州島は日本に似ていない。むしろ朝鮮半島では慶尚南道だけが例外で日本に近い。)
父系ならなおさらC3系統やO3系統も多いだろうと思う。


453:出土地不明
08/09/25 00:22:44 8v6qF9V9
元時代、済州島というか、実際に朝鮮半島に入ったのは
モンゴル人ではなく、元の支配下だった『満州人』。


454:出土地不明
08/09/25 00:23:44 8v6qF9V9






水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
URLリンク(ja.wikipedia.org)







455:出土地不明
08/09/25 03:46:08 7pRfct0D
ところでお前らのy染色体は?

456:月光仮面
08/09/25 09:39:23 1WU1pFAN
>>442
↓この通り訂正
*Margaritovka青銅器文化とは、札幌の西の沿海州Olga、その近辺のValentin、Kiyevka、Yevstafiya及びMoryak-Rybolov湾等にある遺跡群。本文化遺跡出土石器の基本的なものは(槍先、ナイフ等の)青銅器
を模倣した器具の特徴が出ている修正加工及び研磨製品。土器としては、太首各種押紋コーニス口縁厚
手弱輪郭壺及び光沢表面の明暗赤色食器。 本遺跡の特徴は青銅器にあり、葉形槍先、平円錐形ペンダ
ント、槍、ペンダント、組合せ鋳型、ソケット式二重スペード形銅鏃、釣り針鋳造用組合せ鋳型等。 形状と
寸法が現代の短剣に近い透明でやわらかい材質の石材を使用したナイフは本遺跡独特のもの。
Margaritovka文化は多層遺跡。よく調査されているのはMoryak-Rybolov、Siniye Skaly住居跡とSinikh
Skal及びBulochka山麓の洞窟を伴う住居跡。年代は前2千年紀後半。マルガリトフカ文化の産業は多分
野のものとして復元され、原始牧畜、潜在的農業、狩猟、漁労、採集、各種家内工業、青銅器鋳造を
含む。

457:月光仮面
08/09/25 11:00:30 1WU1pFAN
弱輪郭というのは彫が浅いことをいい、強輪郭とは彫の深いことをいうらしい。

458:月光仮面
08/09/25 13:25:58 1WU1pFAN
>>451
突帯文土器だが、バイカル湖Glazkov文化、黒竜江・松花江Wanyanghe-Poltse文化、 吉林省Tubren文化、
韓国、美沙里、江原道旌善、本村里、蔚山市玉見等とか日本各地、バイカル湖Glazkov文化から裏日本
東北にかけての木製食器、竹細工、マゲワッパ等とGlazkov文化の白樺加工文化に共通のものを感じるが、
土器の起源は籠のようなものであり、突帯文とは桶のたがのようなものを真似ているのかも。ところが
沿海州ウラジオストーク後背地では紀元前4-3千年紀にこんな突帯文土器が出現している。
URLリンク(khasan-district.narod.ru)


459:出土地不明
08/09/25 16:48:08 a72pwVRY
引篭もり馬鹿、  そろそろ失せろ!

460:出土地不明
08/09/25 22:45:13 LBkTA2d4
>>455
DNA鑑定したことある香具師なんて、そんなに居ない希ガス

461:出土地不明
08/09/26 00:25:02 urcK6G68
>>460
DNA鑑定とY染色体測定は違うんだが・・・

462:出土地不明
08/09/26 10:53:51 KwZHBe5E
>>455
ハプログループCですがなにか?

463:出土地不明
08/09/26 14:05:00 5m46Xx1c
>>455
ハプログループD2ですがなにか?

464:出土地不明
08/09/27 01:34:34 yTP1npSj
>>462
C1とC3どっちですか?

465:出土地不明
08/09/27 09:57:19 oU8lDKwX
>>464
Genographic Projectだとサブタイプまで出ないんだよ。

466:出土地不明
08/09/27 12:41:20 yTP1npSj
>>465
GENETIC MARKERSにリストされているマーカーであれば
サブタイプまで出るみたいですね。C3やD2、O3などはそこまで出ます。
O2はその下のサブタイプまでは出ないようですね。
C1はリストされていないのですが、C3であればC3と出るので、
Cと出たという事は、おそらくC1でしょうね。
C1は貝文文化人の末裔であり、D2とともにオリジナル日本人です。
良かったですね。

467:出土地不明
08/09/27 13:53:06 /ZI966cp
YDNA Haplogroup C 2008 ISOGG tree:
C (RPS4Y [M130], M216, P184, P255, P260)
C* Found especially in          South and South East Asia ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ズンダランド
C1 (M8, M105, M131, P122) Limited to a low frequency in ・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Japan
                                                           (第一次)
C1*
C1a (P121)
C2 (M38) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ズンダランド
Typical of Polynesians and certain populations of eastern Indonesia and Melanesia
C2*
C2a (formerly C2b) (M208)
C2a*
C2a1 (formerly C2a) (P33)
C2a2 (P54)
C3 (M217, P44, PK2)
C3* Typical of Buryats, Mongolians, Daurs, Kalmyks, Manchus, Sibes, Oroqens, Koryaks, and Itelmens;
also found with significant frequency among other Tungusic peoples, Koreans, ・・・・・・・・・・・・Ainus,
                                                           (第二次)
Nivkhs, Altaians, Tuvinians, Uzbeks, and Han Chinese[1][2][3][4][5][6]

C3a (M93) Observed sporadically among ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Japanese[7]
       (第3次)
C3b (P39) Typical of the Na-Dene peoples of North America ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・北米に渡る
C3c (M48, M77, M86) Typical of Northern Tungusic peoples, Kazakhs, Oirats, Kalmyks,
Outer Mongolians, Yukaghirs, Nivkhs, Koryaks, and Itelmens, with a moderate distribution
among Southern Tungusic peoples, Inner Mongolians, Buryats, Tuvinians, Yakuts, Chukchi,
Kyrgyz, Uyghurs, Uzbeks, Karakalpaks, and Tajiks[4][8][9]

C3d (M407) Observed sporadically among Yakuts and Han Chinese[7]
C3e (P53.1)
C3f (P62)
C4 (M347) Typical of indigenous peoples of Australia ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・豪州に渡る
C4*
C4a (formerly C4b) (M210)
C4b (formerly C4a) (DYS390.1 del)
C5 (M356) Limited to a low frequency in South Asia and the Arabian Peninsula ・・・・・アフリカに後退か
C5*
C5a (P92)
C6 (P55)
ズンダランドを最初に飛び出したものは日本列島に上陸したようだ。

468:出土地不明
08/09/27 15:41:37 oU8lDKwX
>>466
正確には「C(M130)」だからC1じゃないようだ。
東南アジア系?

469:出土地不明
08/09/28 01:40:17 vs3tO3eb
【アメリカ】祇園祭とシオン祭…「日本人とユダヤ人は共通の祖先を持つ?」 米ブロガーが「日ユ同祖論」を検証[9/27]
スレリンク(news5plus板)l50

470:出土地不明
08/09/28 12:43:57 ENmDQB68
>>468
ハプログループCであればC1でもC3でもM130は共通に持ちます。
日本ではC1とC3以外は確認されていないため、C3という判定が出ないハプログループC
あればC1で間違い無いと思います。
>>467を参考にすれば、
C1はRPS4Y [M130], M216, P184, P255, P260に加えて、M8, M105, M131, P122を
マーカーに持つグループ、
C3はRPS4Y [M130], M216, P184, P255, P260に「加えて」、M217, P44, PK2をマーカーに
持つグループという事になります。
Genographic Projectは安価な分析(それでも$110ですが・・・)のため、割とメジャーな
ハプログループ以外はサブタイプまでは出してくれません。(欧米白人系のR系統は細かい)
ので、ハプルグループCの場合、C3以外は全てCに分類されてしまいます。


471:出土地不明
08/09/28 12:49:53 ENmDQB68
ちなみにC1は今のところ日本以外では見つかっていない(痕跡が無い)ので、
どういう経路でやってきたかは謎のままです。
D2は低頻度ながら朝鮮、中国でも確認できます。

472:出土地不明
08/09/28 14:45:00 ENmDQB68
水稲農耕は工程が100あると言われるほど高度な熟練技術を要する、知識集約型農業です。
日本にはほぼ完成された形で持ち込まれており、水稲農耕民そのものの移動があったと考える方が自然です。

農耕民族ではない者が、移動途中に水田を見たからといって、水稲農耕の技術を日本に伝えるのは不可能です。
技術を必要とする文化が到来するには、一定数の技術者集団が移住してくる必要があります。
技術を持たない一般市民が未開の地に自動車と共に渡っても、自動車を再生産できない事と同じです。

朝鮮半島南岸から縄文土器が見つかっているため、縄文人と半島南部の交流があったのはほぼ間違いないと思われます。
そのため、日本より朝鮮半島の稲作開始が早かった場合は、縄文人が水稲農耕を学んで日本に持ち帰った可能性もありますが、
日本での試行錯誤の痕跡が無いため、今のところその可能性も少なくなります。


473:出土地不明
08/09/28 15:15:28 ENmDQB68
長江流域から水稲農耕民が来たのなら、当時の炊飯器が日本から見つからないのは変だ、という疑問に関しても、
水稲農耕技術を持つ者は渡来したが、炊飯器の製作技術を持つ者が渡来しなかった、と単純に説明できます。
日本の縄文時代においても、縄文土器を作る専門の技術者集団の存在が指摘されており、当時から職業分化が
進んでいたと考えても変ではありません。
炊飯器が高度であれば高度であるほど専門技術者を必要とします。
また農耕民は農耕に特化して炊飯器は自作せず、物々交換等で入手する方が効率の面から考えても有利です。
炊飯器は作れないが、水稲農耕技術を持つ民が日本にやってきた。日本には縄文土器があり、
それを薄くする等の改良を加えると十分炊飯器として使えた(弥生土器の誕生)ので、
結局元の地の炊飯器は顧みられなくなった、というストーリーは成り立ちます。
技術を要する文化の到来には、技術者の存在、原材料や環境の適合性、そして何よりも既存の技術より
圧倒的に有利な面がある必要があります。
炊飯器を作る技術者がほとんど来なかったか、来ていたとしても弥生土器の方が縄文人の既存技術者を
活用できる等で有利だったため、炊飯器が選択されなかった、とも考えられます。
長江人が来たかどうかは別として、「日本では出土しないから、その地域の人は来なかった」とは単純に言えないと思います。




474:出土地不明
08/09/29 14:57:43 lG/Wna1l
>473

渡来人してきた人たちが「稲作」を持ってきたにしろ、
縄文人(海人)が稲作を習得してきたにしろ、
「炊飯器の製作技術を持つ者が渡来しなかった」ことに同意。

土器を作るのって古代ではほぼ世界共通で女性の仕事ですよね。
ある意味シャーマニズムというか「生む」ことの神秘というか・・。

男性は土器製作を習得しなかったし、古代では船に女性を
乗せるのは禁忌的な風潮があったというので、連れてこなかった
といえるのではないでしょうかね。


475:出土地不明
08/09/29 19:10:06 iKqcgDFz
                             
 皆さん、面白い事実を教えてあげましょう!!

 実は、古代の京畿湾(黄海に面する京畿道の湾)に、倭人が住んでいたんですよ。
中国の歴史書=漢書・地理誌に、その記録があります。

「夫れ楽浪海中に倭人有り、分れて百余国を為す。歳時を以って来り献見と云ふ」
<漢書・地理志>

『楽浪郡の海の中に倭人が住んでいるよ。100ヵ国あまりの倭人国があるよ』
と、いう意味です。どうですか、面白いでしょう。
 「楽浪郡の海」っていうのは、黄海のことですね。半島中部の西側。それは京畿湾しかない。
今の江華島、永宗島、喬桐島、席毛島、霊興島、仙才島、大阜島、これらの島々に倭人が住んでいたと
記録されているんですよ。
 つまり、半島の南部はもちろん、半島中部(西側)も古代日本領土だったということです(笑
楽しい話でしょう。





476:出土地不明
08/09/29 20:09:57 1CjtS5/3
>>475
「倭人」が固有名詞ではなく一般名詞である可能性は?

477:出土地不明
08/09/29 22:36:38 bNhazwVK
>>475
楽浪海中って日本海ってのが通説でしょ。


478:出土地不明
08/09/30 07:37:54 cnbFDS5r
「縄文人=バイカル湖畔起源」説を最初に説いた
松本秀雄「日本民族の源流」のすごい所は、
当初大陸書房の「日本古代文明シリーズ」の一冊で在ったこと。
つまり、「日本のピラミッド」「日本の宇宙人遺跡」「古事記以前の書」
「日本の故郷はヒマラヤ山麓」等のトンデモ本と同じ扱い。
当時は「縄文人=南方起源」が定説だったからねえ。
それが今では、「縄文人=バイカル湖畔起源」と言うのが定説になった。

479:月光仮面
08/09/30 10:54:19 vQ3uFxFE
>>458
日本のまげわっぱ
URLリンク(www.kcb-net.ne.jp)
突帯文土器の原型をよく留めるブリャートのまげわっぱ、「トゥイェース」
URLリンク(www.ivanovoweb.ru)
ロシアではマグ、ジョッキのように柄をつけるが、土器においても同様の傾向があるようだ。
URLリンク(schools.techno.ru)

480:出土地不明
08/10/01 02:35:25 KrXtSpaR
>>471-474
学問板で最も不自然、まさに不自然さのエベレストとでも言うべき
詭弁の長編大作を自演も兼ねてわざわざご苦労さんw

さてさて、

日本最古の水田遺構からは当時の沿海州方面の土器と特徴が一致する
土器が出土しているけど何か?

そこには縄文土器にはない新型器種、貯蔵器の壺、盛付器の高坏、
煮沸器の甕が新たに登場して加わっている。

貯蔵器の製作技術を持つ者と盛付器の製作技術を持つ者がしっかりと
やって来ているのに、どうして炊飯器の製作技術を持つ者だけが
やって来ないの?

というか、貯蔵器の製作技術を持つ者と盛付器の製作技術を
持つ者が代わりに作ればいいだけじゃないの。

単に浅鉢に棒足を三本付ければいいだけだろうが。

それに縄文土器を改良するより三足土器をさっさと作った方が早いじゃないの。

それに縄文人の既存技術者を活用するなら教えて作らせればいいだけじゃないの。

炊飯器、三足土器が伝わっていないのは、ただ単純に、



 中 国 か ら や っ て 来 て い な い か ら 。



たったそんだけの話。

481:出土地不明
08/10/01 03:40:21 kWTQ2HkT
>>480

471-473と474は別人です。

>日本最古の水田遺構からは当時の沿海州方面の土器と特徴が一致する
>土器が出土しているけど何か?
文献ソース求めます。既出かもしれませんが、最近このスレにやってきたので。

農耕民族でない者が何故水田を見ただけで水稲農耕技術を伝えられたかについて
現在の稲作農家(=私の実家)が納得できる説明を求めます。
これが可能であれば、水田を見た事のあるほとんどの人が水稲農耕を習得できるはずです。
現実には、土地等諸条件がそろっていても、文字情報のある現在ですら、
稲作を修得できるには短くても4、5年かかります。
貴方は、土地と水があれば、今すぐ稲作を開始できますか?
もちろん、沿海州からの移動途中に5年程度朝鮮南部に滞在したのであれば、
貴方の説は現実味を帯びます。

貴説は、現在は可能性のある1つの説にすぎません。自説を展開するのは全く問題ないと思います。
ただ、反論可能な諸説ある中で、断定調に書く事に違和感を感じる方は少なくないはずです。
少なくとも、沿海州来訪説を唱える論文なり書籍は提示すべきと思います。
(沿海州にこんな文化が栄えた、ではなく、その文化がどんな理由で、どのように日本に来て
稲作を伝えたか、がきちんと説明されているもの)
それを読んで納得できれば、今後一切の反論は致しません。



482:出土地不明
08/10/01 04:09:56 KrXtSpaR
全部勝手な決め付け。

おい、ニート。

俺は寝るぞ。

483:出土地不明
08/10/01 09:44:27 8SGAWqtA
>>479
職人の弁当は皆まげわっぱです。
「輪 二葉 来栖 三角」 形も技もとても素晴らしいですね。
けど、中仕切りの配分の割には、蓋の二色分けが逆さだと思います。
でないと若いもんに「示」が付きません。
 


面白い

484:月光仮面
08/10/01 10:50:43 nWLATaDH
窯業は伊万里、有田から東は益子等太平洋岸に広がりますが、製造工程の一部に乾燥が入るのでしょ
うか、裏日本では漆器、お椀、まげわっぱとなる。つまり、食器へのニーズに対応する産業であり、
日本の気候が地域的に特徴を持っているから、供給サイドのこれに対応しているッツーことでしょうね。
弁当用としては瀬戸物もありますが、もったいなさ過ぎて置き場所に困りますね。プラスチック金物では
味気ないし、ご飯のうまみが心理的になくなる。

485:出土地不明
08/10/01 13:29:08 2TqOz+AP
>>481
その前に弥生開始時の最古の水田遺構から出土する最古級の弥生土器が
どんな土器なのか君は知っているのかね?

486:出土地不明
08/10/02 02:26:42 +etRH7fK
>>480
>皆さん三足土器は東北,九州地方を中心に、数多く出土してるよ土器人に騙されないでね。
 北方沿海州だの九州から出てこないだのとワメキ騒ぐので要注意!!!

1. PDF] 縄文土器は、多種多様で彫り刻む文様が組み合わさり、世界的にみても ...
ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat
漆塗り皿形土器〔大洞式土器〕/. 青森県重宝. 024. /注口形土器〔大洞式土器〕
/風韻堂コレクション. /鬲状三足土器〔大洞式土器〕. /漆塗り壺形土器〔大洞式土器〕
/重要文化財. /漆塗り壺形土器〔大洞式土器〕/重要文化財 ...

1. [PDF] 青森県虚空蔵遺跡出土土器の共同研究
ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat - HTMLバージョン
六ヶ所村富ノ沢遺跡と、相次いで縄文晩期の大洞式に伴って三足土器が発見されることになる。
いずれも青森県埋蔵文化財センターの正式調査による出土であり、ことに今津例はポジの雲形文
’. とネガの工字文からなる大洞C2式ないしは聖山式特有の文様を ...



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