08/08/25 14:34:34 u+CsINZX
>>184
「この器物は,その文様から農耕祭祀にかかわる儀器であると推測されているが,人物の特有の表現
(図27)は,石寨山型銅鼓等に施されている人物表現(図28・29・30)と酷似している。この防牌形銅器は,
朝鮮では異形青銅器と分類される一連の器物の一つである。これらの異形青銅器は,紀元前4世紀から
紀元前3世紀頃,忠清道に分布し,突然現れて短期間で消えていったとされている。これらの諸点は,
これらの青銅器が朝鮮半島本来のものではなく,外から入ってきた要素であること,またその製作には
そうした要素の関与があったことを暗示しているように思える。」
URLリンク(www.hum.u-tokai.ac.jp)
この頃忠清道には対岸の山東半島から徐福の百工が到来している筈で、日本には垂仁天皇のときに
不老不死の薬を求めて旅立ったタジマモリの話が入っている。当時の倭国王はとてもそんな余裕はなか
った筈なんだが。これは後に辰韓に入って古い秦語を話したとされる秦系の人々ではなかろうか。