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121-鐸、青銅、中国、赤峰市付近収集、前九-七世紀(西周-春秋時代)、長さ一・八cm、文学部考古学
研究室列品室
122-鐸、青銅、中国、赤峰市付近収集、前九-七世紀(西周-春秋時代)、長さ二・〇cm、文学部考古学
研究室列品室
赤峰市付近を中心として内蒙古東部に分布する夏家店上層文化の鐸である。夏家店上層文化は、初期
遊牧民文化のなかでも早い時期の文化で、スキトーシベリア動物意匠も既に見出される。(高浜)
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この頃フィンランドのA・M・タールグレンは、叢書Eurasia Septentrionalis Antiqua(古代北方ユーラシア)
を創刊してユーラシア北方文化の研究に努めている(一九二六・三八年)。また南シベリアの青銅器時代
の考古学的編年も、S・A・テプロウホフによってこの時期に基本的に確立された。北方ユーラシア草原
地帯の東端に所在する中国北方において遊牧民の残した青銅器の研究も、ようやくその糸口が開かれ、
多くの研究が出始めた。
中国北方で中原とは異なる銅器が出土することは以前から既に知られており、欧米の学者の関心を引
いていた。例えば『金石索』(一八二一年刊)には中国北方系の動物闘争紋帯飾板が著録されており、
ミンズはそれをシベリアの影響と考えている[4]。また、P・ライネッケは一八九七年に、スキタイやシベリア
の民族と古代中国との関連を指摘した[5]。
グレゴリー・ボロフカは一九二八年に『スキタイの芸術』を著して[6]、シベリア芸術の影響がモンゴリアに
まで及んでいることを指摘している。M・ロストフツェフも一九二九年に『南ロシアと中国の動物意匠』を著
して、同様なことを述べた[7]。ハルピンで研究を進めていたトルマチェフも「マンチュリアにおける
スキタイ・シベリア文化の痕跡」と題する論文を書き[8](一九二九年)、幾つかの資料を紹介して、
スキタイ文化などと類似した文化が中国東北地方に見られることを指摘した。スウェーデンのJ・G・
アンダーソンは、ストックホルムの東アジア博物館の紀要に「草原を通る道」(一九二九年)を発表して
[9]、黒海沿岸のスキタイ文化、東ロシアのアナニノ文化、南シベリアのクルガン(タガール)文化などと
並ぶスキタイ系遊牧民文化の中心の一つが中国北方にあったことを明らかにし、「草原の道」が
きわめて古くから機能していたことを述べた。このような著作のなかで、いわゆるオルドス青銅器が少し
ずつ紹介されている。
江上波夫の内蒙古における調査とオルドス青銅器研究
高浜 秀 東京国立博物館学芸部
中国の北には、内蒙古を中心として草原地帯が広がっている。この草原地帯はシベリアを通って
ハンガリーにまで及ぶユーラシア北方草原地帯の東端であり、ここには中原の農耕文化とは異なり牧畜
に基礎を置いた文化が栄えた。青銅器時代から初期鉄器時代にかけてこの地域の遊牧民が残した
青銅器も、ユーラシア北方草原地帯の青銅器と関連が深い。綏遠青銅器、オルドス青銅器あるいは
北方系青銅器などと呼ばれているが、日本においてこの種の青銅器の研究に先鞭をつけたのは、
江上波夫である。
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