08/08/24 11:55:43 JYIfnJkg
後漢書六夷伝ワイ(Ye)
「麻の栽培・養蚕・綿布の製造を知っている。星宿(星座)の観察に明るく、その年の収穫の多寡を予知
する。毎年、十月に天を祭り、昼夜に渡って酒を飲んで歌い踊り、これを舞天と呼んでいる。また虎を祀っ
て神としている。邑落に互いに侵犯する者があれば、直ちに双方を罰し、生口(奴隷)・牛馬を取り立て、
これを責禍と呼んでいる。人を殺した者は死を以て償う。略奪・窃盗は少ない。徒歩の戦闘に優れ、長さ
三丈の矛を作り、時には数人でともにこれを持つ。楽浪の檀弓はその地に産す。また文豹(斑模様の豹)
が多く、果下馬がおり、海には班魚を産し、使者は来貢の際に皆これを献じた。]
これはロシア研究者のエフタルの定義と合致している。もし、ロシア学者が認めているHAYATLEとか
HAYTALという部族称号が正しいのならば、これは磯城県主ハエ(延)に通じる。これは邪馬台国建国
当時の高霊帝と関係が深い。出雲日御碕伝承ではこのころ月支国ヒコハニの来襲があったという。
エフタルは月支国の一員として大夏で活躍している。馬韓目支国とは月支国が冒頓単于に分断され
その一部が残存したものであろう。