08/08/19 15:55:12 t6ZkdYrR
↑しかし、景行-仲哀、磐井、隼人の反乱や征伐の歴史は神武東遷とか日本国王説がありえるはずはない
ことを示し、考古学的に青銅器・古墳の分布からも日本の建国は畿内が中心であったことは歴然として
いる。B.C.627年秦がエフタルの滑国を討って、これを滅ぼしたコウ山の戦いと言うのがあり、秦氏とエフ
タルの関係も複雑である。有明湾の夕日であるとか、高千穂の峯であるとかは、歴史の動きとは関係が
ないだろうが、アラル海の夕日も同様に太陽崇拝の古い記憶によるものかもしれない。