08/08/18 14:42:50 TdsZfYug
「クシャン帝国を形成したが、その民族名は民衆の記憶に残らなかった民族とは異なり、エフタルはトカラ
同様地元の民族であるとする現地の慣習がある。私の知人のアリフベク・ヒイシャロフ、44才、シュグナン
族、はイスマイル僧に学んだ人物であるが、若い時に読んだ原稿について言及した。その一つで出版され
たものを見つけtのだがTa'rikh Nama-i-Haratといった。その中でヘラトの基礎作りについての伝承があり、
あるときフシャングの子タフムラシなるものがカンダハル近辺に住んでいた同民族を抑圧したという。この
ときにその民族5,000人はカブールの方に出て行き、そこに住み着いたのであるが、気候が合わず、
グールの国に移動したが、そこからさらにアウベと言うところに移動し、そこで紛争を起こし、戦争を始める
にいたり、彼らの一部はクシャン・オルヴィアン、すなわち、高クシャンと言う場所に出て行ったとされる。
このとき留まった方の指導者はHAYATLE(日本語読みにすれば隼人/疾風と読める)であった。出て行っ
たものと残ったものとの戦いの話は省略する。大事なことはそれではなく、HAYATLEという言葉に
「Haytal」及び「Heptal」という民族名を認めないわけにはならないことである。」1967 L.N. Gumilyov
隼人とは鷹匠か。