08/08/18 08:45:28 TdsZfYug
「「エフタルは山岳民族か、或いは、草原民族か」 1967 L.N. Gumilyov
婚姻制度について言及されていることが特に重要。エフタルは一妻多夫制で、兄弟で妻を共有した。こうし
た婚姻制度はチベットで定着しているが、それも、定住性チベット人の間だけであって、BC3世紀にアムド
で遊牧をしていて4世紀に鮮卑に滅ぼされる羌族にはない。チベット族がブラフマプートラ河に沿って移動
しながらパミール山系の峡谷に到着するのは晩く、5世紀を早回るものではなく、かれらは一妻多夫制を
原住民から取り入れたのであり、その逆ではない。現地人との密接な交流、混血を保つ1000年間の
共存はそれなりの結果を残したようである。エフタルの一妻多夫制とそれの広がりについては衣服と言う
民族誌学的資料も取り入れる必要がある。
中国の史家は一様に女性が一本の角をつけた毛皮の帽子を被り、その角には夫の数だけの枝がある
としている。同様の帽子はカフィルスtンの女性と、まさにエフタルの主要な集合が居住していたと推定
されるインド北西の地域において見られるということは極めて重要である。インドでは古来よりこうした帽子
は知られておらず、クシャン朝の例えばフヴィシュカ王の硬貨において見られるが、これはとりもなおさず、
パミール、ヒンズークシの山国起源のこととなり、これはエフタルがこの地で形成された民族であることを
裏付けるものである。」
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