正攻法の正規の考古学・百鬼夜行の戦慄のデスマッチat ARCHEOLOGY
正攻法の正規の考古学・百鬼夜行の戦慄のデスマッチ - 暇つぶし2ch80:,
08/05/23 18:58:41 rDsvgyyQ
(テオティワカン遺跡の太陽の神殿。この都市遺構はメキシコで最も重要なメキシコで最も重要な先史遺跡
とされ、最盛期には帝政ローマ以上に巨大な都市だったと言われている。)

考古学者たちは、テオティワカンから5つの異なる都市の遺跡を発掘している。もしも文明と言う
ものが紀元前一万年以前から存在していたとするなら、テオティワカンが紀元前4000年よりもは
るかいぜんから整地とされていた土地の上に建てられた都市であったということは十分あ
りうるのである。

フレマスはテオティワカン以外にも4つの遺跡―トゥーラ、テナユカン、ソチカルコ、コパン―を調べてみたが、結
果は同じだった。いずれの遺跡もやはり、まるで何かの目印のように、旧北極を指してい
たのである。そこでもし仮に、紀元前1万年以前のテオティワカンに間ラ化の神殿があり、他の4
9の「傾いた」祭祀遺跡がすべてハドソン湾の北極に向けて設計されたものだ、と仮定してみ
よう。すると、残された遺跡の分布からして、この文明は広大な範囲に広がっていたこと
になる。前述のように、ボナンスキー教授によれば、ティアワナコは紀元前1万5000年ごろに遡り、
またハプグッドは、かつて全世界的な規模の海洋文明があったと考えていた(彼はこれを紀
元前7000年ごろと見積もっていたが、同時に彼は、アトランティスの終焉を紀元前9600年として
いる)。

もし、このような文明が存在したなら、全世界的な規模で測量が行われたとしても、不思
議はない。項考えたフレマスは、各遺跡の位置関係に注目することを思い立った。

 たとえば、ギザの大ピラミッドが驚くほど高度な数学と地理学の知識を示していると言うこ
とは、よく知られている。その4つの面が正確に東西南北の方向を向いているのみならず、
その位置は赤道からちょうど30度北にあるのだ―つまり赤道から北極までの距離のちょ
うど3分の1である。エジプト人は赤道の長さを知り、赤道から極までの距離を知っていた。



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