正攻法の正規の考古学・百鬼夜行の戦慄のデスマッチat ARCHEOLOGY
正攻法の正規の考古学・百鬼夜行の戦慄のデスマッチ - 暇つぶし2ch69:,タイガードラゴン
08/05/23 08:25:29 rDsvgyyQ


ウェストは、秘教学者として知られるルネ・シュヴァレ・ド・リュビチュの著作に興味を持ってい
た。20世紀半中世の大聖堂を建築した石工たちはその英知を古代エジプトから受け継いだ
という話に興味を持ち、特にエジプトの寺院建築を詳しく研究した。

 たとえば、エジプトのルクソール神殿の方庭は真上から見るとひしゃげたように歪んでいるが、
これは決して偶然ではない。なぜなら、エジプトの石工たちはカミソリ一枚入る隙間もないほど
に巧みに石を組み合わせることができる、建築の名手だからだ。したがって、この『ゆが
みには意図的な理由があるに違いない。

 シュヴァレの代表作「人間の神殿」(1949)によれば、エジプトのルクソール神殿は、巨大な幾
何学的複合体であり、全体がひとりの人物を象徴する巨大なヒエログリフになっている。この人
物は、ちょうど神殿の南東の隅にあるラムセス2世の像と同様、片足を前に踏み出している。
先の方庭は、この人物像の中ではこの足に当たっており、ゆえにひしゃげた形で作られて
いるというのだという。

 またシュヴァレは、この神殿には「黄金分割」(ギリシャ文字φで表される)がふんだんに取り
入れられていることを見抜いた。この「黄金分割」は極めて重要な概念であり、特に古代
祭祀遺跡の位置の分析にはなくてはならないものだ。


フフリーメーソン、、、、自由な石工、、、つまり、古代のエンジニア。

URLリンク(ja.wikipedia.org)  ギルド

URLリンク(ja.wikipedia.org) 黄金比


70:,ミジンコ
08/05/23 08:40:41 rDsvgyyQ

URLリンク(ja.wikipedia.org)  文化遺産

URLリンク(ja.wikipedia.org) 世界遺産一覧

URLリンク(ja.wikipedia.org) エジプトの遺跡

URLリンク(ja.wikipedia.org)古代エジプト神話

URLリンク(ja.wikipedia.org) 古代エジプト文明


71:,
08/05/23 08:44:50 rDsvgyyQ

 「黄金分割」の実例は、自然界に無数に見出すことができる。たとえば、あなた自身の
肉体がそうだ。あなたの臍は、上半身と下半身を黄金分割する位置にある。のみならず、
小は植物の葉や花びらの配置から、巻貝の形、そして大は銀河系の渦に至るまで、自然界
のあらゆるところに黄金分割は潜んでいる。そしてまた、芸術家は古くからこの比率が人
間の目をことのほか楽しませるものであるということに気づいていた。

黄金分割を数字で表すと、0・618034、、、、と、無限に、そして反復なく続いていく
数列となる。また、これに1を加えた1・618も、やはり黄金分割の数字である。重要
な数学的概念にはもうひとつ、「フィボナッチ数列」というものがある。これは、先行する2項
の和が次の項の数となっている数列のことだ。たとえば0を基点にするなら、0、1、1、
2,3,5,8,13,21、、、、、と続いていく数列である。そして、この数列上の連続
する2数を取り、前の数で後の数を割っていくと、数列の後ろに行くほどその答えは黄金
分割の数である

0・618034、、、、、に無限に近づいていく。そしてこのフィボナッチ数列もまた、自然界の
いたるところに見つかるのだ。シュヴァレはシャルトル大聖堂のような建築物に封じ込められた大宇
宙の調和の法則の研究に打ち込んだが、彼の研究はフルカネリという錬金術師に盗まれてしまっ
た。フルカネリは1925年に大聖堂の秘密という著書を書いてこの法則を発表し、それはたち
まち世に知られるようになった。シュヴァレは、こうした調和の法則は古代エジプトよりも貼
る改善の伝承に含まれていたものと考えていた。彼が1949年に「人間の神殿」を発表
すると、それはフランス国内で大評判となり、彼はサルトルやカミユと並ぶ名声を獲得するに至った。
シュヴァレがこの伝統を古代エジプトよりも古いものと見なしていたのは、彼が、初めてスフィンク
スを見たとき、その侵食は風ではなく、水によるものであると確信したからだ。スフンクスが水
による浸食を受けているとするなら、その建造年代は通常言われている紀元前2500年
よりも遥かに古いものということになる。


72:,
08/05/23 08:52:33 rDsvgyyQ

URLリンク(ja.wikipedia.org) スフィンクス

 シュヴァレが親しんでいた秘教の伝承によれば、スフィンクスを建造したのは古代エジプト人ではな
くアトランティス人である、とされている。かれらは、最後の破局が起こる前に、エジプトに脱出し
てきたというのだ。シュヴァレは最後の著作となった「聖なる科学」の中でこの伝承を紹介し、
スフンクスの真の建造年代は紀元前1万年ごろであると主張した。

 1961年、74歳でシュヴァレは死んだ。このシュヴァレの著書に感銘を受けたジョン・アンソニー・
ウェストは、通常言われているように、古代エジプトの出現がたかだか紀元前3100年であ
る、などということはありえないと考えていた。その年代を信ずるなら、それからわずか
5世紀後にはあのダイピラミッドが造られていたことになるからだ。それはまるで、ヨーロッパ人
が何もないところからたった5世紀でシャルトル大聖堂を築いたというようなものだ。エジプトの
科学、医学、数学、天文学を学べば学ぶほど、エジプト文明の起源は古くならざるを得な
くなるのである。

 ウェストは「天空の蛇」とだいされた書物を書き、スフィンクスが水による浸食を受けたものであ
ることを証明しようとした。私は1979年7月にこの本を贈られたが、その最終章「エジ
プト―アトランティスの後継者」と題された章には、スフィンクスの写真と、水の浸食を受けたハトシェプスト神殿の
背後の崖の写真が比較対照されていた。私の目には、その両者は極めて似通っているように見えた。
後にウェストはボストン大学の地質学者ロバート・ショックを実際にスフィンクスの前まで連れて行き、
その浸水が水によるものであることを認めさせた。

ショックの見解では、この侵食の後から見て、スフィンクスの建造年代は紀元前7000年、すなわ
ち今から9000年前のことであるという。1991年10月、彼がこの見解をアメリカ地質
学会で発表すると、たちまち激しい反発が引き起こされた―。が、奇妙なことに、地質
学者の中には彼に賛同する人々も大勢いた。むしろ彼の説を頭から否定したのは、決まっ
てエジプト学の専門家たちだったのである。



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