08/11/19 22:15:47 lZD4P5/K
↑252 292 KB 最近、各スレでゾロ目が多い、、。
人間を他の動物と区別する今ひとつの力がある。宗教だ。
なぜかは誰も説明できないが、面白い事に人間はいつも宗教的な動物だった。18
世紀の懐疑主義者たちは、それは単なる迷信に過ぎないとの説明でこれを片付けよ
うとした。人間は自然の力を恐れていたので、雷やら稲妻やらを神として人格化し、
それに祈っただけだというのである。だがこれは、たとえば20万年以上前の氷河
時代に生きた私たちの祖先が、何の現実的な使用目的もないのに、なぜ完璧に丸い
球体をつくりたいと思ったかの説明にはならない。明らかな説明として考えられる
のは、それが宗教的な物体、何らかの太陽盤であるというのもだ。直立原人(ある
いは他の誰でもこれらを作った者たち)は、氷河時代だったのだから太陽を忘れる
必要は無かったはずである。
そして、同じ氷河時代のものである火打石の中には、技能レベルが高く、芸術と呼べ
る領域にまで達しているものもある。少なくともそれは、日常的な使用での必要性
をはるかに超えている事は確かだ。コッツウォルドのボックスグローブでは、同じような道具
で、50万年前のものが見つかっている。これは、道具を作った者たちが、自分の
作品にアーティストとしての誇りを持っていたこと、そしてそれを作る中で、心理学者の
エイブラハム・マズロウが「自己実現」と呼んだプロセスを実行するための手段を見出した事
を示している。あるいは、これらの道具は、宗教上の生贄か、ひょっとすると儀式
的な喰人に関係して使われた物であるとも考えられる。どちらにしても、たとえま
だ類人猿のような姿をしていたといえども、人類はそれをはるかに超えたレベルまで
発達していた事を示す明白な証拠がここにあると言える。
さて、宗教的な衝動は、世界には、隠された意味があるという気持ちに基づいてい
る。知性の無い動物は、宇宙をそのまま当然のものとして受け入れる。これに対し、
知性には神秘の感覚があり、それに答えを求めるが、知性なき者は問いかけを考え
付くことさえできない。山や巨木が神々となる。雷、稲妻も同じだ。太陽、月、星
も、まったく同じなのである。
しかし、人間は、なぜものの神秘を感じ、世界には隠された意味があるという感覚
を発達させたのか。それは恐れのためだという、合理主義的な観点からの見解につ
いては既に述べてきたとおりだが、その説名だけでは十分でない。ある動物が壮麗
な日没を見るとき、それは単なる自然現象としてとらえ考えられる。人が壮麗な日
の出や日没を見ると、それを美しいものとしてとらえる。つまり、ちょうど料理を
しているときに漂ってくる香りのように、ある種の反応を引き起こすのだ。しかし、
料理への反応は、肉体的な空腹によるものだ。日没によって刺激される空腹とは、
いったいどんなものなのだろうか。この疑問に答えることができれば、人間がなぜ
宗教的な動物なのかという疑問にも答えられる。