08/11/19 21:11:34 lZD4P5/K
>>238
、、、掲示板のサイトをしたい放題に実力行使で押し通して投稿するミジンコの私が、
一通り悪質な操作を覆し段階に区切りをつけようとしていると言えそうだ 、、、、
, : ‐ : ̄: ̄:`ー: 、―:<:. :. \
_/:. :. :.‐-、:. :.\:. :. :. \:. :..ヽ:. :. :.\
/:. :|:. :|:. 、:. :. ヽ:. :.:ヽ:. :. :.:ヽ:. ∧::::. |:.|
/:. :. :.:}:|:.:ヽ:. \:斗―‐-|:. :. :. :V/∧:::: :|:.|
//: :. :.i:|:ハ:. \く ァテテミ:ハ: :. :. :.レ: :. |:::ヽ:\
|.|:. |:. :|:レ',ニミヽミ_>ト-ソ.}_./ |:. :. :.:|:: :. :|::::::ヽ:.:\
|:|:. |:. :|:V トrヘ. " ̄ /: :.:/イ }:: .:|:::::|:ハト、_:>
|:ハ:.|:..:.ト:|. ゞ'^、 /_:.イ:. :レ::::: :. |V|::| |
ヾ>、::> ィ } |:. :.:|:::::::: ∧:∨
/ハ:|:. :ト、 ヽノ /|:. : ハ::::::. :∧:.\__ <<、、、いい忘れた事があった、
VV|:. :V ヽ、 / /:. :./::∧::::: :∧ー'´ 、、付け加えて何よりも2ちゃんねる関係者の
|:. :|: :. :::::|`::ーr'´ /. :.:/:::::::∧::::: :.\ 忍耐力にとって可能となった、、。
ヽ、_」:. :.`ー‐::::|::::::」 /イ/ ̄ ̄ ̄ヽ: :. : :.\
ゝ:. .>--ァく|L_/ / ヽ:. ).:. :\
/:.:/ / 辷シ' / ∨:. : :. :.ハ
/:./ / ノ _,, -へ、 へ. ',:.: :. :./: |
|/, へ===" ̄ \. \ ∨:./:. :.|
// .:::::::::... :.ヽ ∧ ∨:. :. }
/ {............. .::::::::::::::::::::::. ::::V:.::∧ ヽ: :/.|
/ ':,:::::::::::::: :::::::::::::::: /:. :/:.∧ ∨: |
/ ,へ_.--======-、 /:. :/: /:. :\ ∨|
/ー-、 / | `/:. :/:. /: :. :. :.} V
251:、ミジンコ
08/11/19 21:15:00 lZD4P5/K
インディオ系 ローマ系 中央系 ギリシア系 黒人・ユダヤ・アーリア系
、、、、ホモサオエンス、、、 、、ネアンデルタールシス 、、、クロマニオン、、、。
カバラの4つの気質、、、モデル立ち型、 ネコ座り型、 鳥もたれ型 触手潰れ型
スレリンク(sm板:320番)
上記は>>157-164と同様の扱いで捉えると良い、、。
精神医療上、見かけと中身について取り組む事は大きな成果に結びつくはずである、、。
つまり、大まかには、原始人から現代人に至るまでの見掛けと、原始人から現代人にまでいたる中身と、
物質から人間にまで至る健康から破綻にまでいたる霊魂の状態の3つの側面から捉えると言う事、、。
4気質は、>>216-219について取り扱う時、重要な意味を持つ事になるはずである、、、。
スレリンク(sm板:315番)-321
人相、風格、風貌の問題は、特にアニメが良い材料を提供しているのかもしれない、、、。
その役割と特性、能力について検討する事は良くやりましたが、、、あーあ [占術理論実践]
表ざたの現実と、不可視の領域での二つの世界の平行の接点としての個人・人格と言う捉え方の扱いの問題、、。特に>157-164の意味で、、
ここまできたら、後は、目に見える解る領域と、目に見えない解らない領域の問題について論じ合うべき問題だ、、。
医療も含め、各方面に貢献する事になる事だろう、、。
252:、
08/11/19 22:12:54 lZD4P5/K
、
253:、禁じられた考古学②
08/11/19 22:15:47 lZD4P5/K
↑252 292 KB 最近、各スレでゾロ目が多い、、。
人間を他の動物と区別する今ひとつの力がある。宗教だ。
なぜかは誰も説明できないが、面白い事に人間はいつも宗教的な動物だった。18
世紀の懐疑主義者たちは、それは単なる迷信に過ぎないとの説明でこれを片付けよ
うとした。人間は自然の力を恐れていたので、雷やら稲妻やらを神として人格化し、
それに祈っただけだというのである。だがこれは、たとえば20万年以上前の氷河
時代に生きた私たちの祖先が、何の現実的な使用目的もないのに、なぜ完璧に丸い
球体をつくりたいと思ったかの説明にはならない。明らかな説明として考えられる
のは、それが宗教的な物体、何らかの太陽盤であるというのもだ。直立原人(ある
いは他の誰でもこれらを作った者たち)は、氷河時代だったのだから太陽を忘れる
必要は無かったはずである。
そして、同じ氷河時代のものである火打石の中には、技能レベルが高く、芸術と呼べ
る領域にまで達しているものもある。少なくともそれは、日常的な使用での必要性
をはるかに超えている事は確かだ。コッツウォルドのボックスグローブでは、同じような道具
で、50万年前のものが見つかっている。これは、道具を作った者たちが、自分の
作品にアーティストとしての誇りを持っていたこと、そしてそれを作る中で、心理学者の
エイブラハム・マズロウが「自己実現」と呼んだプロセスを実行するための手段を見出した事
を示している。あるいは、これらの道具は、宗教上の生贄か、ひょっとすると儀式
的な喰人に関係して使われた物であるとも考えられる。どちらにしても、たとえま
だ類人猿のような姿をしていたといえども、人類はそれをはるかに超えたレベルまで
発達していた事を示す明白な証拠がここにあると言える。
さて、宗教的な衝動は、世界には、隠された意味があるという気持ちに基づいてい
る。知性の無い動物は、宇宙をそのまま当然のものとして受け入れる。これに対し、
知性には神秘の感覚があり、それに答えを求めるが、知性なき者は問いかけを考え
付くことさえできない。山や巨木が神々となる。雷、稲妻も同じだ。太陽、月、星
も、まったく同じなのである。
しかし、人間は、なぜものの神秘を感じ、世界には隠された意味があるという感覚
を発達させたのか。それは恐れのためだという、合理主義的な観点からの見解につ
いては既に述べてきたとおりだが、その説名だけでは十分でない。ある動物が壮麗
な日没を見るとき、それは単なる自然現象としてとらえ考えられる。人が壮麗な日
の出や日没を見ると、それを美しいものとしてとらえる。つまり、ちょうど料理を
しているときに漂ってくる香りのように、ある種の反応を引き起こすのだ。しかし、
料理への反応は、肉体的な空腹によるものだ。日没によって刺激される空腹とは、
いったいどんなものなのだろうか。この疑問に答えることができれば、人間がなぜ
宗教的な動物なのかという疑問にも答えられる。
254:、
08/11/19 22:30:17 lZD4P5/K
さて、宗教的、、、、、、、、、も、まったく同じなのである。 >>
ちょっと危ないかな、、、。、、、その前に動物がそのようなものなのかを動物でもないのに解り得るかと言う反論を受けそうだが、、。
しかし、人間は、な、、、、、、、、宗教的な動物なのかという疑問にも答えられる。 >>
人間も動物も大差ないと思うんだが、、、、。
とにかく、とりあえずその答えについて考え始めてみよう。エミール・カルタイラックがレゼンジ
のロージェリー・バスの洞窟の壁画を見たときに、すぐわかったことがある。それは、「こ
こには、華麗なる芸術的な資質の証左以外の何かがあり、道の動物や目的が存在し
ている、、、、」ということだった。彼は、クロマニオン人が絵画を描いたのは、余暇があっ
たからだと卯考えは退ける。何回の島々の人々は、余暇はたくさんあるが、壁画な
どはほとんど描いたことは無い。これに対し、生存レベルぎりぎりの食物がやっと手
に入るだけのブッシュマンは、豊富な壁画を残しているのだ。
最終的にこの考えを示してくれたのは、オーストラリアの先住民アボリジニー、それにアメリカ・
インディアンであった。これらの壁画は、魔術を行うための目的を果たしていたのだ。
狩をする者と、その獲物との間につながりを作る事がその目的だったのである。人
類学者のイヴァール・リスナーは、「人間、神、魔術」の中で、それをこう説明している。「絵
に描かれた動物はその肖像という媒体を通して呪縛をかけられ、実体として生きて
いる動物の魂も、その分身と同じ運命をたどる、、、。狩人は、いにしえのときから
伝わるある種の儀式を使ってその分身を殺す事によって、その獲物の死を描く事も
できる、、、。」
ここでも、原始人は迷信に生きる生き物である事を立証する証拠があるということ
だ。しかし、その人間が、魔術はうまくいかないということに、気づかぬほど馬鹿
だったというのはどういうことか。つまり、部族のシャーマンが、何かややこしい儀式
を行って、野牛やトナカイを狩人のわなに誘い込もうとしても、その姿さえ見えないと
いう場合の事である。
言い換えれば、もし魔術がその効果を現さなかったのであれば、なぜそれを数世代
の間にやめてしまわなかったのか。
255:白からす黒ひつじ
08/11/19 22:42:20 lZD4P5/K
とにかく、とりあえずその答えについ、、、だけのブッシュマンは、豊富な壁画を残しているのだ。 >>
凄まじい誤字だらけだ、、、。
「絵に描かれた動物、、、、、、できる、、、。」 >>
これですね、、、、。犯罪学・刑事上、医療上、軍事上、の人体実験問題に関するテーマの柱は、、、。
人間の進化に致命傷を負わせた源泉である、、、、、これが、、、、。
、、、曰く、、、、万国の全人類が認めざるを得ない事実、、、、。
、、、さて、寝るか、、、今日は、、
256:,
08/11/20 08:32:57 R8ZkEPSx
懐疑的な向きは、祈りも効果も無いものだと言うだろうが、それでも人々は祈り続
けている。だが、これはまったく違うケースだろう。祈りのほうは、もっと祈ってみ
ようと思わせるだけの頻度でこれがかなっているように思われる。懐疑的な人は、
これも偶然か希望的解釈に過ぎないと主張するだろうし、誰が正しいのかを決める
明確な手段も無い。しかし、部族のシャーマンとなると、ドルドーニュの洞窟の多くに
描かれているように、動物を特定の場所にひきつける事を目的として、狩の前夜に
長く複雑な儀式を執り行うのだ。もしこれが繰り返し失敗するという事になると、
いずれ狩人たちは、これが時間の無駄だと思い始めることだろう。
ところが、これまたなぜかは解らないが、この魔術というのは、どうもうまくいく
ようであることを示す証拠があるのだ。
世界各地の、互いにまったくつながりの無い文化において、シャーマンたちが同じ基本
的信念を持ち、同じ基本的な方法を用いているというのは、驚くべき事実である。
ジョセフ・キャンベルは、1959年に出版された、「神の仮面」(邦訳、青土社、、199
2-95ほか)に収録された「原始神話」の章で、フェゴ島のオナ族と、アラスカのナガジネ
ク・インディアンの部族について述べている。「この地球上で最も原始的な2つの狩猟社
会は、世界の両端にあり、少なくとも何千年の間接触も無く、伝統の起源もまった
く別々なのに、それでもシャーマンの役割と特質について、おおむね同じ概念を持って
いるのである、、、、」
キャンベルは、西欧の人類学者、E・ルーカス・ブリッジスが観察した、シャーマンの魔術の例をあ
げている。最初これは、がっかりさせられるような手品に聞こえる。雪の積もった
夜、明るい月明かりのもとで、オナ族のシャーマンであるホウシュケンは、まず15分間呪文を
唱えてから、手を口に持って粋、そこから靴紐ほどの長さの野生のラマの革の一片
を取り戻すのだった。そして、ゆっくりと両手を広げると、それが1メートルほど
の長さになる。その一端を弟に渡すと、弟は後ろに下がり、その長さが2・5メー
トルにもなるのだ。そしてホウシュケンは、それを再び手繰り寄せ、手を口に持っていく
と、それを飲み込んでしまうのである。「あの2・5メートルもの革紐を、これとい
って苦労する様子も無く一口で飲み込むなどというのは、おそらくダチョウでもで
きない芸当だ。」
257:,
08/11/20 08:40:33 R8ZkEPSx
ホウシュケンが革を袖口に隠していたのではない事は確かだ。何せ裸なのだから。この後
彼は、口から何か半透明なパン生地のように見えるものを取り出すのだった。明ら
かにそれは生きており、非常に速い速度で回転している。そして彼がゆっくりと両
手をさらに広げるていくと、その「生地」が消えてしまう。これも小手先の手品の
ように聞こえるが、このシャーマンが裸であることを思い出すと、それも違う事に気付
かされる。
「アマゾン川上流の魔法使い」という本が、人類学の文献の中でも、シャーマンとしての教
育、その資質の開発については、おそらく最もわかりやすく、詳しい記述であろう。
この分野での古典となったこの作品では、探検家のF・ブルース・ラムが筆記役となり、
1902年に、ブラジルのインディオであるアマワカ族に誘拐されたペルー人の青年、マニュエル・
コルドバがその体験を語る、というものだ。コルドバは、インディオたちにまじって7年間
を暮らし、その生活ぶりを詳細にわたって記録した。
さらに、コルドバは、最終的に部族の長になったことから、旧石器時代のシャーマン/酋
長であるとはどういうことだったのかについて理解する糸口も与えてくれる。内容
をしっかりとらえるには一冊全部を読む事が必要だが、この本は、原始的な部族社
会に存在する驚くほどの一体感をよく現している。そこでは、部族を構成する人地
一人の人間が、ある意味で一つの大きな有機体の一部なのだ。以下にあげる簡単な
記述を読めば、なぜ「魔術」が、自然と親密なつながりを持つ狩猟者たちの生活に
欠かせないン役割を演じているように思えるのかをはっきり示してくれる。
「アマゾン川上流の魔法使い」の中でも最も注目すべき部分は、年老いた酋長のズムが、
嘔吐、下痢、それに鼓動を速める作用がある飲料を含む特別な食物をコルトバに与え、
10日かけて彼に姿勢を整えさせるというくだりである。その後、部族のほかのメ
ンバーとともに、彼は「ヴィジョン・エキス」を与えられる。それは彼に不思議な感覚を
覚えさせ、さまざまな色を目にしたり、動物や、あるいは自然にあるほかの存在の
姿を見るという体験をもたらした。これを何度も繰り返し、やっとのことで彼はこ
の薬物によって解き放たれた混沌をコントロールできるようになる。まさにこれこそが、
本当の目的だったのである。最後に、インディオたちは、ある夜、森の奥深く入り、何
時間もかけて蔓や葉をあつめるのだった。これを砕いてつぶし、そして入り組んだ
儀式を経て(詠唱もあった)、できたものを素焼きのつぼに入れる。この準備はさ
らに3日間続き、絶縁をした抽出液が、小さな壷に移された。
狩猟で運に恵まれない狩人が部族の酋長の元にやってきて、家族をほとんど飢餓状
態に追い込んだ一連の出来事について述べた。酋長は、「ヴィジョン・エキス」(ボニ・ズマ)
のために、次の夜に戻ってくるよう彼に告げた。
これは大きな集団で行われた。液を飲み込むと、色鮮やかなヴィジョンが見え始めた
が、これは全員で共有していたものだった。「大蛇を呼ぶ詠唱」は、巨大なヘビをも
たらし、それは彼の座っていた大地をすべるように通り抜けていったが、その後に
も他のヘビやら鳥の長い列が続き、その中には大きな鷲がいて、彼らの前で羽を広
げ、黄色の目を見せ、くちばしを閉じる音をさせるのだった。そしてその後にも沢
山の動物がやってくるが、コルドバはあまりよく思い出せないという。だが彼は、そ
れは「その知識が私の意識や体験から生じたものではないから」だと語る。これは
一晩中続いた。
258:,
08/11/20 08:47:13 R8ZkEPSx
次の日、その「ついていない」狩猟者は、これで森の精霊たちを支配できるように
なったと思うか酋長に訊ねられ、自分はまた新たな理解を得ることができたので、
もうこれで森が自分が必要なものすべてを与えてくれる、と考えるのだった。
その後、コルドバは猟に出かけた。その前日、狩猟前の入り組んだ儀式が行われ、一
服のみ薬や、薬草の風呂があり、それにこれから狩をする動物の毛や鳥の羽などを
燃やして出る様々な煙を身体に当てたりした。最後の儀式の最中に、一羽のフクロウが
木の枝に舞い降りた。狩人たちはその周りを踊りながら回り、詠唱を続けながら、
自分の矢をある動物がいる方角に向かわせてくれるようフクロウにお願いするのだっ
た。最後にフクロウは飛び去り、皆は眠りについた。
コルドバは、この後に続いた猟について記述し、動物や蛇の匂い、折れた小枝や落ち
葉の意味するものなど、森のあらゆる「兆し」に気付く事を学ばされた事を語って
いる。そして、野生の豚を殺した後、猟のリーダーは、ブタたちが必ずこの道を通るよ
うにするやり方を彼に説明してくれるのだった。ブタの群れのリーダーは普通年老いた
雌ブタだが、それをまず射止め、その頭を、群れが進んでいたのと反対の方向に向
けて深い穴に入れなければならない。その際、森の精霊たちへの詠唱の儀式繰り返
される。これが正しく行われれば、ブタの群れが自分たちの領分を歩き回るときに
は必ずこの地点を通る事になり、その習慣を観察する事で、狩人はそこに横たわり、
ブタが戻ってくるのをいつまでも待っている事ができるのだった。
ある夜、彼らはある独特の虫の鳴き声を耳にする。狩人たちは即座に反応し、耳を
そばだて、彼のうち二人が森の奥に消えていった。何時間も立ったあと、二人は戻
り、その手には葉で包まれた一匹の昆虫があった。そのために小さなカゴをつくり、
この「ワイティティ」を持つと、良い猟を保障してくれると説明するのだった。次の日、
狩人たちは、そこだけ木の無い場所のまわりにある、巧妙にカモフラージュされた
木の小屋に隠れた。予言の通り、ワイティティは多数の獲物をもたらし、その数があまり
にも多かったため、それを燻製にする棚を新たにもう一つ作らなくてはならないほ
どだった。
コルドバは、最後はズムによってその後継者に選ばれる。これは、彼がライフルを撃
てるし、ゴムを製造して売る方法を部族に教えられるほどの商才があったからだけ
ではなかった。仲間の事を理解するのに必要なある種の感性を持ち合わせていたか
らである。
259:,
08/11/20 08:59:26 R8ZkEPSx
コルドバは、この後に続いた猟に、、、、、、待っている事ができるのだった。 >>
だから、インディオと判断されるんだよ、、、。 これで、人体実験が起きる、、。 一昔、こんな営業マンが、電話やらサシやら訪問してきた。
ある夜、彼らはある独特、、、てはならないほどだった。 >>由来は、黒魔術なんですけど、人身御供の由来が隕石なのか、悪魔なのか検討中、、。
エノク書やアトランティス神話では完全に悪魔崇拝、、。
教育を受けている間、私は自分の精神的なプロセスと思考形態に微妙な変化がおきて
いるのに気付がいた。頭の動きが早くなり、ある種の出来事や、部族の反応を予期
する一種の透視能力が身についているのに気付いたのだ。自分お意識を人に向ける
事で、その人間の反応や目的を予知し、どんな行動をとるか、何をしようと考えて
いるかがわかるようになった、、、、。将来の出来事を予知する私のこの能力はさらに
増していくだろうと老酋長はいった。あるものがどこにあるかや、それがなんであ
るかを遠くはなれた場所から言い当てる事ができるようになるともいった。
現にコルドバは、自分の母親のシノヴィジョンを見たが、それが事実を正確に写したもの
だったことが、後に文明社会にもどった際に解ってくる。
酋長のズム自身、この透視能力を有していた。「私たちは、襲撃隊が出かけてから、
ずいぶん長い間村で待った。ある日やっと、酋長は、彼らが次の日に戻るだろうと
いう、、、。」言うまでも無くズムの言う通りになった。
本の全体を通して明らかになるのは、インディオたちの「魔法」のかなりの部分は、一
種のテレパシーであるという事だ。コルドバが、彼らの一員と認められるための魔法の儀
式で森の中に連れていかれるとき、彼は他の皆もテレパシーで繋がっている事は間違い
ないと感じた。
「酋長は心地よい低い声で語り始めた。「これからヴィジョンが始まる。」この魔法の
言葉で、彼は私の意識を完璧に捕らえてしまった。すぐに私は、私たち二人の間の
壁が解けていくのを感じた。私たちは一つだった」
酋長はヴィジョンを呼び起こすが、それはコルドバにも見える。酋長はただ暗示をかけ
ていたに過ぎないとの懐疑的な見方の説明は事実に合わない。酋長は言う。「鳥か
ら始めよう。」すると、信じられないほどの微に入り細にわたる鳥のイメージが現れる。
「私はこれほどの詳細にわたる視覚的イメージを見た事はない、、、、。酋長はまず雌を
呼び起こし、そしてその跡に現れた雄が、交尾の踊りを完了するのだった。その歌
のすべて、その呼び声のすべて、その他の音をすべて私は耳にした。その多様さは、
それまでの知識をはるかに超えるものであった。」
260:、
08/11/20 09:54:43 R8ZkEPSx
>>259の私の書き込み >>
インディオの中には、そういうということは、ウチ等に餓死しろとでも言うのか、と思われる方々が居られる事でしょう、、。
スレリンク(uranai板:405-463番) 花子ブーとか、イイダさんをとりますとか、ニッテレが放送するんですよ、
どうみてもインディオのヤバイ奴にしか見えない人材をヨシモトとニッテレが配置したんです、、、。
営業マンもあの頃が一番やばかった、その向こうに人体実験の精神医療とCIAのやみの組織が潜んでいうるんです、、、。
784-802のレススレリンク(army板)l50 ニッテレ
スレリンク(shugi板:138-146番)
お茶の間に届く人身御供、団塊の世代が物心つき始めるときにお茶の間に届く。
大体、スレリンク(sm板:400番)-500 あたりのレス、、、。
ほんまかいな !? 事実検証スレッド [噂話]スレリンク(uwasa板)
人間の命一人頭、6000万の売買、、、。
よく見てみると、世界各国に、インディオが入り込んでいて、東インド会社の麻薬売りのローマとの協力から始まったものと思われる、、、。
インディオの闇の魔術とローマの病気と犯罪を利用したペテンの操作が隅々まで行き渡った結果なんですよ、、。
スレリンク(uwasa板:647番)(ウィリアム・バッティのペテンの処世術の系譜)
ラッシュの恩寵までアメリカ大陸のでかい所で、こさえてしまったんですよ、、、。
スレリンク(denpa板:260番)
スレリンク(uranai板:226番)恩寵、、、。
巨大な闇の不可視の領域が既に出来上がってしまったんです、、、。ローマとインディオの、、、。
261:、
08/11/20 10:10:52 R8ZkEPSx
>>260ホームページも名前も入れるの忘れていた、、、。名前は無動機単独テロ(自傷他害行為よこくでない)
スレリンク(uranai板:776-786番) URLリンク(www.2chan.net)
このあと、部族全体が見たヴィジョンの長い記述がある。「ヴィジョン・エキス」を飲んだ後、
詠唱によって、様々な動物たちの行列が現れるが、その中に巨大な黒豹がいる。「こ
の巨大な動物は、頭を下げ、口を開けてン下をだらりとさせながら目の前を這い回
った。恐ろしい大きな牙が開いている口いっぱいに広がる。突然その様子が変わり、
残虐そうに辺りをうかがうその姿は、この幻を見ていた者たちの輪に衝撃を走らせ
たのだった。」
コルドバは、このジャガーを呼び起こしたのは自分であることに気付く。ジャングルの小
径で、一度であった事があり、「じっとにらんでおとなしくさせる」のに成功した
相手だったのだ。部族のほかの面々にもこれがわかり、これはコルドバに「ジャガー」
という名前が与えられるという結果を生んだのだった。
コルドバはさらに筆を進め、敵の部族との戦いや、アマワカ族の領地に侵入し、彼らを追
い出して、他に進む場所を探す事を余儀なくしたゴム狩りの侵入者との戦いの場面
が現れたことについて語る。村が燃え上がり、ゴムを植えようと進入してきた入植
者を酋長が殺す場面を見るのだった。この「ショー」は、彼らの新しい村の場面で終
わる。このヴィジョン体験では、まるで映画館に座っている映画を見ているかのよう
に、全員が同じものを見ているのは明らかだった。ただ、その映画は彼らの心が作
り出しているのである。「アマゾン川上流の魔法使い」の前書きで、ハーバード大学の研
究員であるアンドルー・ワイルは言う。「このインディオたちは、集合無意識を、単なる知的概
念としてではなく、直接的な現実として体験している。」
本の後半で、コルドバは、年老いた酋長が死に、彼がその後を告いだ事について述べ
ている。そして、薬物によって呼び起こされたヴィジョンを体験している最中に、詠
唱という手段によって何を見るかをコントロールできる事を発見する。
そのヴィジョンがどんなに複雑で異様なものであっても、私が自分の望みを歌に表し
たものにそれは従うのだった。私がヴィジョンに対する支配を確立したと皆が気付く
と、彼らは私の立場を自分たちよりも限りも無く上にあるものと見るようになった。
同時に私は、自分の環境やまわりの人々に対する鋭い感覚を発達させた。これから
先に起きるかもしれない何か困難な状況を予知できる透視感覚といったようなも
のだ、、、、。
262:,
08/11/20 18:41:55 R8ZkEPSx
コルドバはさらに筆を進め、、、、直接的な現実として体験している。」 >>つまりは、見かけは陽気でも中身は武装されていると言う事だろ
本の後半で、コルドバは、、、、何を見るかをコントロールできる事を発見する。 >>
つまり、不可視の領域からでっち上げて誘導する事をする訳だろ
松本なんかもっとすげぇけど、、、。 中身と印象のギャップの激しい段構え、、闇系、、。
彼は股、老酋長から、夢を利用する力も受け継ぐ。「自分の村を離れていたある夜、
私は眠っている間に、ザナダで何か問題がおきているというヴィジョンを見た。」村に
戻ってみると、自分達の領地が隣の部族から侵略されている事がわかったのだった。
コルドバが最終的に文明社会に戻ったときも、年老いた酋長から受けた訓練で学んだ
ものはそのまま彼とともにあった。インフルエンザの大流行で命を落とすという、彼の母
親の死についてのヴィジョンも正しかった事が解った。そして彼はこう語る。「読者に
は不思議な事に思えるかもしれないが、このほかに、自分の人生での重要な出来事
を後ふたつ、私は予知している。これをどう説明しようと自由だが、私はそれがズ
ムの教えから来たものだと思っている。」
斜にかまえている者は、これでは何の証明にもならないと反論する事だろう。コルド
バは、必ず結果をもたらすとインディアンたちが信じていた儀式に参加したに過ぎず、
その結果が実際にもたらされたとき、それが自分達の魔術のおかげだったと信じた
に過ぎない、という訳だ。だがこれは、「アマゾン川上流の魔法使い」から伝わっ
てくる印象とは違う、アンドルー・ワイルのいうとおり、そこでは「集合無意識」が日常の
現実として語られている事には、まったく疑いの余地はないのだ。
シャーマンの力についてあげる次の例は、何らかの集団幻覚という見方ではどうにも説
明のつかないものである。アーサーフランシス・グリンプル卿は、イギリスの植民地管理の職にあ
って、1914年に太平洋のギルバート諸島で土地監察官となった人物だ。後に彼は、
同地での5年間を、実に楽しい自伝「島の生活」に記述する。この本は、主に彼の
日常生活に関するもので、それにふさわしく、淡々とした調子で語られている。に
もかかわらず、ある章で記述する出来事は、あまりにも軌道を逸しているために、
通常の説明では何の役にも立たない。
キティオナという年老いた酋長が、グリンプルがやせていることをやりたまにあげて、ネズミ
イルカの肉を食べるよう進めた。そして、クマに住むキティオナの従兄弟が、昔から続く「イ
ルカ呼び」の家系の末裔であるという。
たしかにグリンプルは、イルカ呼びの事は耳にしていた。シャーマンが、ある種の魔法を使っ
て呼ぶと、イルカたちがやってきて岸に上がってくるという話だ。彼はこれを、縄を
使ったインド人の手品と同様のものと考えていた。どうやるのかを訊ねてみると、
それはある特定の夢を見る能力にかかっていると聞かされる。イルカ呼びがこの夢を
見る事ができれば、その例は身体を離れて「イルカ人たち」をい訪れ、ご馳走を食べ
たり、踊ったりしにクマ村にやってくるよう招く事ができるというのだ。イルカたちが
港に着くと、夢人の霊は急いで自分の身体に戻り、部族にこれを知らせるという、、、。
263:,
08/11/20 19:23:51 R8ZkEPSx
人体実験、、、共同幻想、、、集合意識、、、宗教、、、、自己欺瞞の構図―インディオ・ローマ
集合意識による操作のことを言っているんだろ?核兵器の原因となるプルトニウムと冥王星の発見が偶然重なった時期で、
人体実験の闇の権力に関係したものである事が、放射能による人体実験の暴露と同時に冥王星が惑星の軌道からずれた事も印象的である。
その集合意識による権力操作と結う動力と人体実験は切り離せないものがあった、、、。特に、インディオとローマは際立っていた。
キティオナという年老いた酋長が、グリンプルがやせていることをやりたまにあげて、、、>> やりたまにあげてですか、、押し売りですね、、。
グリンブルは関心を示し、キティオナは、従兄弟がこれをする用意が整ったときには、自分
のカヌーをよこすと約束した。
その後約束どおりカヌーが迎えに来て、グリンブルはクマ村に連れて行かれた。暑くて汗だ
く、不機嫌な気分でそこについた彼は、自分がイルカを呼び出したという太った人な
つっこい男に迎えられる。
イルカ呼びは、「旅に出てきます」と言い残し、新しいヤシの葉で編んだ窓のある小部
屋の中に姿を消した。グリンブルは隣の家で待たされた。
4時になった。イルカがやってくると魔術師が約束した時間だ。だが何も起きなかっ
た。なのに、まるでこれから競演が始まるかのように、女たちは花飾りを作り、周
辺の村からは親戚や友人たちが次々と到着するのだった。飾りの雰囲気にもかかわ
らず、暑さで重苦しい空気がのしかかってきた。
何かあると信じる気持ちもだんだん由来できた頃、夢日との小部屋から、首を絞め
られているような叫び声が上がった。家を飛び出してみると、彼の不格好な体が、
頭からヤシの窓を突き破って突進してくるのが見えた。うつぶせに倒れると、彼は
何とか起き上がり、よろめきながら外に向かっていったが、顎にはよだれが光って
いる。しばらくの間、空をかきむしるようなしぐさをして、子犬の鳴き声のような
異様な高い声を出しながらそこに立ちすくんでいたが、やがて息を詰まらせながら
言葉がその口から漏れてきた。「テイラケ!テイラケ!(おきろ!おきろ!)、、、、来たぞ、
来たぞ!、、、、海に行って歓迎しよう。」彼はよろめきながら、浜辺に向かってゆっ
くりと歩いていった。
264:,
08/11/20 19:29:17 R8ZkEPSx
村からは一斉にどよめき声が上がった。「来たぞ、来たぞ!」気がついたときは、
自分も千人はいようかという人々と一緒に、西からの親友がやって来た、と大声で
叫びながら、慌てふためいて浅瀬に向かっていた。私は夢人のすぐ後ろを走ってい
たが、残りの人たちもあちこちから彼のところに集まってきた。皆一列に並び、浅
瀬を走っていく、、、、。
頭を冷やそうと水につけたそのとき、近くにいた一人の男が叫び声をあげ、前を指
差しながら立ちすくんだ。他の者たちも後を追って叫び続けたが、私自身は水面に
輝く光がまぶしく、何も見えなかった。やっとのことでイルカの姿が見えたときには、
全員が思いっきり叫んでいた。それまでにはイルカたちは決行近くまで来ており、跳
ね回りながら、かなりの速度で私たちのほうに近づいてきていた。紺碧の海が珊瑚
礁に変わるところまで来たとき、イルカたちはスピードを緩め、横に広がると、私たち
の列の前を右へ左へと泳ぎまわり始めた。そして、突如として、彼らの姿がまった
く見えなくなった。
その後に続いた重苦しい沈黙のなかで、私は彼らにどこかに行ってしまったのかと
思った。失望はひどく、もう自分はかなり異様な光景を既に目にしていたのだと考
え付く余裕さえなかった。浜に戻るつもりで、夢人の肩に手を置こうとした矢先、
彼がその無表情な顔をこちらに向けた。「西の王が私に会いにやって来た。」水面を
指して、彼はこうつぶやいた。私の視線は彼の手のさしているほうに向いたまさに
そこ、わずか10メートルもないところに、ガラスの緑色をした水を通して、ほのかに見
える影のように、一等の大きなイルカの姿が浮かんでいたのだ。その後ろには、青く
ろいイルカたちの群れが続いていた。
イルカたちは、2,3メートルの間隔を置いて、きちんと並んでこちらに進んできて
いたが、その群れは私の視界の及ぶ範囲ではずっと横に広がっていた。あまりゆっ
くり来ていたので、まるでトランス状態で浮かんでいるかのようであった。イルカのリーダー
は、夢人の足のそばを硬直したままで漂っていた。何も言わずに彼は向きを変え、
浅瀬に向かってゆっくり進むそのいるかのそばについて歩き始めた。私は、ほとん
ど動きの見えない尾ひれの後ろ4、50センチのあたりをついて歩いた「。左右に
いたほかのグループも、一つ、またひとつと、みな腕を上げて顔を水面に向け、岸の
方向に歩き始めていた。
265:,
08/11/20 19:34:07 R8ZkEPSx
静かな話し声があちこちでし始めた。私は少し後ろに下がり、この場面全体を眺め
てみた。村人たちは、やさしい言葉でお客を岸のほうへと迎えていたのだ。イルカの
そばを歩いているのは男たちだけだった。女と子供はその後に続き、ある踊りのリ
ズムに合わせて静かに手拍子を取っていた。エメラルド色の浅瀬に近づくに連れて、イ
ルカたちの腹が砂につき始めた。すると、まるで助けを求めるかのように、彼らは
ひれを静かに動かし始めたのである。男たちはかがんで腕をのばすと、そのおきな
胴体を抱え、やさしく岸のほうへと押していった。イルカたちはまったく恐れる様子
を見せなかった。それはまるで、唯一つの望みは浜辺にたどり着く事、といった感
じだった。
水が腿の辺りの深さしかなくなったとき、夢人は腕を高く上げて合図をした。訪問
客の両側にいた男たちが一斉にそばに集まると、一頭あたり10人かそれ以上の人
数がまわりを取り囲んだ。すると、「持ち上げろ!」と夢人が叫び、黒く思い姿の
生き物は、半分引っ張られ、半分運ばれるようなかたちで、まったく抵抗もせずに
波打ち際まで連れてこられた。その威厳ある姿は、完璧に穏やかな様子でその場に
落ち着いたが、まわりでは蜂の巣を突っついたような大騒ぎが始まっていた。男も
女も子供たちも、空に響き渡る嬌声を上げながら飛び回り、花飾りをむしりとって
は、イルカに動かない体にそれを投げつけるのだった。それは、突然起きた、見るに
絶えない自慢の興奮と嘲笑の入り混じった激情の爆発だった。この最後の場面を思
い出すたびに、私の気持ちは沈む。大騒ぎする人間と、勝ち誇ったように穏やかな
姿を見せる対象の図である。イルカたちは、花飾りをつけたまま、横たわっている場
所にそのまま置かれた。私たちは家に戻った。後に引き潮が彼らをそこに置き去り
にすると、男たちがナイフを持ってさばきにいった。その夜クマでは、競演と踊りが
続いた。酋長のための肉は、私のためにわざわざとって置かれた。やせた体のため
の食物として、それを保存しておくようにいわれ、確かにそれに必要な塩漬けにさ
れてはいたが、私はどうしても食べる事ができなかった。
アマゾン川上流でコルドバが学んだ「魔術」、南太平洋のイルカ呼びの魔術には、さしたる
違いがないのは明らかなように見える。どちらも、何か独特のテレパシー能力、あるい
はワイルが集合的無意識と呼んだものに基づいているようだ。
266:,
08/11/24 08:56:53 eOysU+Q0
>>263-265体験において対等でない、、、。
スレリンク(occult板:704番)
イルカに動かない体にそれを投げつけるのだった。それは、突然起きた、見るに
絶えない自慢の興奮と嘲笑の入り混じった激情の爆発だった >>
インディオ、黒魔術、人身御供、、闇系、精神医療、人体実験、、、ウィルヘルム・ヴントや西太后の情報操作、、。
スレリンク(uranai板:28-84番)
スレリンク(uranai板:122-191番)
スレリンク(uranai板:185-230番)
スレリンク(uranai板:369-426番)
URLリンク(namidame.2ch.net)やURLリンク(academy6.2ch.net)の責任者のような奴は居ますが、、。
URLリンク(love6.2ch.net) の関係者も、、、、
スレリンク(pedagogy板:16-32番) バートランド・ラッセル
スレリンク(army板:30-67番)
スレリンク(army板:75-116番)
スレリンク(army板:127-133番)
スレリンク(army板:182-192番)
スレリンク(uwasa板)l50 ほんまかいな !? 事実検証スレッド [噂話]
267:,
08/11/24 14:45:20 eOysU+Q0
この原始的な「魔術」の領域に踏み込んだ私たちは、常識をどこかにおいてきてし
まったようにおもわれるかもしれない。だが、驚くべき事に、夢が「超常的な」力
を引き起こす、というか、私たちが誰でも持っている力を引き出す事ができるとい
う、この考えには、ある程度の科学的な証明があるのだ。
1980年の初期、ロンドンのブルネル大学のアンドレス・マブロマティス教授は、ある学生のグル
ープに、「半覚醒状態」(睡眠と覚醒のちょうど中間状態)の探求をさせた。
「メンタル・ラジオ」という本で、アメリカ人の小説家、アプトン・シンクレアは、妻のメイのテレパシー能
力について述べている。彼女は子供のときからこの能力を持っていた。メイ・シンクレア
の説明によると、テレパシー状態に到達するには、まず意識を集中した状態に自分を置
かなければならないという。何かを対象として集中するのではなく、単に高度に覚
醒した状態になるのである。その後で、深いリラクゼーションに入り、睡眠との境界をさ
まよっている状態までもっていく。いったんこの状態に入れば、彼女はテレパシーがで
きるようになるのだった。
マブロマティスは、これとおなじことを自分に教えたのである。集中していながら、同時
に深くリラックスしている状態だ。眠りに入る寸前、あるいは完全に目覚める寸前
に私たちはみなこの状態を体験しているので、誰もが知っている事だが、こういっ
た状態では、あるイメージや状況をきわめて明晰に見るという現象が起きる。
「オカルト」(邦訳河出書房新社1995ほか)という本で、私は自分の体験について
も述べた。
私自身、マブロマティスの本「半覚醒状態」を読んだ後、偶然にもこの状態に入る事に成
功した。ある夜、夜明けに近い時間に、私は半分目が覚め、心地よく眠い状態で漂
いながら、気がつくと頭の中にある山の風景を眺めていた。自分が目覚めていてベ
ッドに横たわっている事はわかっていたが、同時に、ちょうどテレビ画面に映ってい
る場面にように、山々とそのまわりの白い風景を見ている事も意識していたのであ
る。このすぐ後、また、私は眠りへと入っていっや。一番面白かったのは,この場
面を見ているという感覚で、自分が目覚めているときまったく同じように、終点を
合わせたり、自分の注意をあちこちに向けたりできる事である。
268:,
08/11/24 14:54:38 eOysU+Q0
↑誤字、、だらけ、、、
ある日マプロマティスが、学生の輪の中で半分眠ってしまっているような状態があり、そ
の内の一人が自分の手に持っているものの「霊視鑑定」(その歴史を「感じ取る」
ようにしてみること)を試みているとき、その学生が描写している場面が彼に見え
始めた。そして彼は、この半覚醒状態のヴィジョンを自分で考え始めたのだが(この
能力は彼が訓練によって自分で学んだものだった)、こんどは何と学生のほうが、
自分が変えた新しいヴィジョンを描写し始めたのだ。
半覚醒状態テレパシーのおきやすい状況を作ると確信した彼は、自分の思い描いている
場面を「感じ取る」ように学生たちに促したが、これがしばしば可能である事が解
ったのだ。彼はこう結論を下している。「半覚醒状態で起きる、「何の重要性も無い」
と思われるようなイメージが、、、、、、実は他の人間の心に属する意味ある現象なのかも
しれない。」言い換えれば、T・S・エリオットが、「各人が自分だけの世界という官房
で、それぞれ別々に鍵の事を考えている」と考えたのは誤りなのかも知れないとい
うことだ。もしかすると、ブレイクが示唆したように、人間は「自分でそう決心した
瞬間に」内面の監獄から出ることができるのかもしれない。
実は、さまざまな「超常」能力の中でも、テレパシーはその存在を最もはっきりと証明
されているものだろう、超常現象の研究に携わっている者たちの間では、その証拠
は疑いの余地などまったく残さないほど圧倒的なものであるとの合意がある。マプロ
マティスの本は、それよりもさらに一歩進み、テレパシーと夢状態のつながりを示唆してい
るのである。
すると、マブロマティスが管理された条件下で学生とともに再現したものは、南米のインデ
ィオたちが、シャーマンのガイドのもとで、変性意識を起こす薬物を使ってできたのと同じ
という事になる。つまり、「集団意識」に到達する事だ。
あのイルカ呼びが小屋に入っていたときにいったい何が起きたのかを想像することも、
これでできるようになる。マブロマティスと同じように、彼は夢のコントロールという技を学ん
だのだ。つまり、自分でコントロールできる半覚醒状態に入り込むという事だ。そこから
先は、何がその夢をイルカの意識領域へ差し向け、イルカたちと直接意思を通じ合う事が
できたと考えるしかない(イルカの意識領域へ差し向け、イルカたちと直接意思を通じ合
う事ができたと考えるしかない(イルカの研究によれば、彼らは高度なテレパシー能力を
持っている)。そして、何らかの方法で、陸に向かって泳ぎ、そのまま浜辺に上が
るよう「催眠」にかけられたのだろう。
269:ミジンコ
08/11/24 16:11:46 eOysU+Q0
集合意識、、、、ぶっちゃけ、宗教には、種類がある、、、。つまり、由来、、、。
運命の意思決定が全く利己的動機によって為され、結果として恩を受けて尚且つあだで返す
ようなつくりになっている種類の集合意識もあると言う事、、、。人体実験を促す優生学の柱を為した、、。
つまり、進化の働きを停止させ破綻に居たらしむる種類の集合意識、、、。インディオはかかわれない意味で、滅ぶ人種と言うものも居る、、。
結果論の問題。恐らく、滅ぶ事は無いが、集合的悪と言う普遍的な進化の働きの位置をしめる人種と判断されるようになる事と予測される、、。
簡単に滅ぶと言うような甘い話じゃないかもしれないんです、、、。善人は悪い事をしないと言うことで
成立つと言う真実もこの領域ではわかりやすい、、。滅び新しい何かにかわると言うのはどういうことなのかは未知数、、。
善によってしか、成立たない事を強いるような世界が訪れたとき、新しく変容した人種がそこで適応できるかは定かではない、、。
つまり過去の経過の影響によって、今度は破壊行為のはけ口も無く深遠に転がり込んでいく可能性があると言う事、、。
善人と言えども、破壊行為を継続しようとするものを手助けすることはできない、、。
放置すれば、宇宙レベルの闇の支配が継続するのを放置する事を意味する、、。
例え、インディオやローマの属性のものが善人の手助けをしても、闇のものは闇のものと言う事で、
最終的にやはり、闇のものは闇のものと言う事で闇の取り込めれていく事が予測される、、。
つまり、とるべき人間の手段の体制は、多くない事を暗示している事を明らかにしている、、、。
>>241 インディオとクロマニオン人が同質のものとは言ってはおりません、、。
何時の原始人であっても目に見えぬ精神生活があり、その複雑な不可視の領域に注意が向いたために、
外面上の営みの変化や肉体の複雑な発達は極力避ける傾向があったものと思われるが、
現在にいたる過程でその精神面での発達度や全体的調和の規模の度合いは、恐ろしく磨耗した情況と判断されるが、
それをどのように回復の方に向けるかが今後の焦点の問題になっているものと思われる、、。
270:,
08/11/24 16:26:30 eOysU+Q0
最終的にやはり、闇のものは闇のものと言う事で闇の取り込めれていく事が予測される、、。
訂正、、、
最終的にやはり、闇のものは闇のものと言う事で善に従う闇系や悪人が
破壊行為を行う凶悪な闇の悪人に、闇に取り込まれていく事が予測される、、。
つまり、とるべき人間の手段の体制は、多くない事を暗示している事を明らかにしている、、、。 >>
、、、初めから、、、、とるべき人間の手段の体制は、多くない事を暗示している
271:,
08/11/24 16:45:24 eOysU+Q0
、、、、つまり、、、、、
スレリンク(army板:268-271番)
、、、、と言う事になる、、、。
272:,
08/11/25 21:57:39 ptf1PEeH
「人間、神、魔術」で、イヴァール・リスナーは、およそ2万年前、オーリナシアン文化とマグダレ
ニア文化の中間のどこかの時点で、人間の肖像や彫像が突如として見られなくなる事
を指摘している。「アーティストたちが、もはや人間の分身としての像を描こうとしなく
なったのは明らかのようだ。」彼が示唆していることは明白だ。私たちの祖先は、
獲物の像を使う「狩猟の魔術」がきわめて効果的で、死をもたらす力を持っている
とかたく信じていたのであり、どんな状況においても、人間が描かれている事があ
ってはならないと考えたのである。
再び私たちの疑問に戻ろう。なぜ人類は、何百万年も実質的に進化が停滞状態だっ
たにもかかわらず、過去50万年間、とくにここ5万年間であれほど早く進化した
のか?
ダーウィン主義的進化論の観点からすると明確な事絵は無い。私たちの知る限り、人間
が突然に知性を発揮させて適応するのを余儀なくされたような「出来事」は何も起
きていないのである。
この章が示唆しているのは、その考えは進化論には当てはまらないものであるかも
しれない、という事だ。ダーウィン自身でさえ、頑ななダーウィン主義者でなかったし、生
物はそうしたいと意図することによって進化するというラマルクの見解も受け入れて
いた。だが、それが進化の主要なメカニズムであるとする意見には反対していた。さら
に最近の例では、間違いなくダーウィン論者であったジュリアン・ハクスレー卿は、人類は、現
在の発展段階では「進化の管理者」となったと提唱している。つまり、自分自身の
進化に責任をもてるだけの知性を有しているのである。
ハクスレーが提唱しているのは、いまや人類は、環境、あるいは主としての人類そのも
のにどんな変化が必要なのかを認識できる立場にあり、そういった変化を起す準備
ができているという事だ。しかし、同時に彼は、これが比較的最近の出来事である
と思っている。
だがハクスレーも認めるものは、人類が目的意識によって動かされる可能性を秘めてい
るという事だ。人間は変化を実際に楽しむ事ができるのである。変化しなければな
らない理由が見つからないと、人間は同じ状態でい続ける傾向があるというのは確
かに正しい。私はコーンウォールの小さな村に住んでいるが、ここでの生活は、もう何世
紀も変わっていない。もしエリザベス王朝時代の魚師が、1990年代のこの村に連れて
こられたとしたら、テレビノアンテナや、アスファルト舗装された道路にはもちろん驚かされる
だろうが、それくらいを除けば跡はまったく違和感無く安心できる事だろう。そし
て、蒸気機関やラジオといった発明を通じて、社会全体が変化していなかったとした
ら、この村が1595年以来まったく変わらなかったということも充分考えられる。
平均的な人間は、自分が置かれた状況を受け入れ、それに適応していくものなので
ある。だからこそ、アウストラロピテクスは200万年かそれ以上の間、アウストラロピテクスのままで
いたのだ。
273:出土地不明
08/11/25 22:44:59 ptf1PEeH
「人間、神、魔術」で、、、、、、、とくにここ5万年間であれほど早く進化したのか? >>
特に、ホモ・ハビリスあたりは緩やかで、ネアンデルタールシスあたりから、急速な変容を遂げて、
現在も進行中の出来事のようだ、、、。しかし、かつては、現代のような個人主義のもとでの変化ではなく集合的なものだった。
ダーウィン主義的、、、、、、きていないのである >>
急激に変わりえる能力は、長い年月の間変化し得ないで居られる能力と同等のものと思われる、、、、。
「進化の管理者」 >> 、、、あたらずしも遠からずだけどね、、、色々な意味で、、、。
ハクスレーが提唱しているのは、、、、、、、、、、、、、、、、、と思っている。 >>、、、これは、なんともいえないな、、。
だがハクスレーも認めるものは、人類が目的意識によって動かされる可能性を秘めてい
るという事だ。
>>
変化は、目的意識から、、か、、、長い年月の間、環境によって発達を遂げて、目的意識によって急激な変化を遂げる、、、と、、。
、、、、そのうち、また、長い年月の間、変わりえない状態になるときがくると思われるが、いつか、、、?
274:出土地不明
08/11/25 22:46:05 ptf1PEeH
しかし同時に、人間が最も愛するのも変化だ。ワンルームのマンションからテラスハウスへ、自転車
を自動車に、ラジオからテレビへといったように、一生懸命進歩しようとするのである。
ただその可能性をみせてやる必要があるだけなのだ。変化の可能性が見えないとき
だけ、人間は同じ状態にとどまるのである。
ここで私が示唆したかったのは、宗教というのも変化の可能性をもたらすというこ
とだ。木や山や湖を当たり前のものとしてみる代わりに、人間はそういったものを
神や自然の精霊の棲家としてとらえた。それだけではなく、正しい方法でアプローチす
れば、その精霊はなだめる事もできる存在であるととらえたのだ。したがって、あ
る動物を目指して狩に出かけるとき、もはや槍や石斧だけに頼る事もせず、狩の成
就を祈り、そしておそらくは何か儀式を行い、供物をささげたのである。この意味
で、自分の人生に対する態度が、受動的から能動的になったと言える。何かコントロール
するという感じのはじまりだ。
1950年、スミソニアン研究所のラルフ・ソレッキー博士は、ネアンデルタール人の骨が見つかったという、
イラクのクルド地方の洞窟へ遠征隊に参加する事にした。「シャニダール洞窟の謎」(邦訳 蒼
樹書房、1977)と題された本で、彼はその洞窟での発見について述べている。
ここで彼が発見したのは、屋根が落ちたことが原因で死亡し、儀式を経て埋葬され
た数体のネアンデルタール人の骸骨だった。墓の上にあった灰や食べ物の痕跡は、争議の
宴があったことを示し、鮮やかな色の野草の花の花粉が8種類もあったことは、こ
れらの花が編みこまれていたキルトが死者をおおっていたか、あるいは花で飾られた
潅木が仕切りとしておかれていた事を示していた。長年の間働く事のできなかった
年老いた障害者の男の骨は、彼らが老人の世話をしていた事を教えてくれた
この人々は、明らかに何らかの宗教的信念を持っていたのである。
また、ドルドーニュのラ・キナにある洞窟では、76点にも達する完璧な球体が、道具
に混じって発見された。また、直径20センチの繊細な仕上げを施された「平らな
火打石でできた円盤も見つかっているが、太陽を祭るディスクとして以外、考えられ
る目的はない。
ネアンデルタール人は、赤黄土色素を死者にまぶして埋葬していた。クロマニオン人もこの習慣
を踏襲していたようだ。南アフリカでは、ネアンデルタール人の赤黄土の採集所が沢山見つか
っているが、最古のものは10万年前にさかのぼる。そのうち、規模の大きなもの
からは、100万キロ原石が採取されているのだ。その後、穴は慎重に埋められてい
るが、おそらくは大地の霊をなだめるためと考えられる。
275:、
08/11/25 22:58:28 ptf1PEeH
木や山や湖を当たり前のものとしてみる代わりに、人間はそういったものを
神や自然の精霊の棲家としてとらえた。、、、、、、、供物をささげたのである。この意味
で、自分の人生に対する態度が、受動的から能動的になったと言える。何かコントロール
するという感じのはじまりだ >>
恐らく、ネアンデルタール人、、、。要するに自然との共同行為の営みによって成立っていた、、。
クロマニオン人の場合は、自然との共同のものとは違い、完全に自然と独立した種類の営みに思われたりもする、、。
ここで彼が発見したのは、、、、、、、の世話をしていた事を教えてくれた >>
恐らく、ネアンデルタール人は、最も人間味のありすぎる何らかの特殊な役割の種族だったと思われる、、。
ネアンデルタール人は、、、、、をなだめるためと考えられる。 >>
やはり、埋葬は、ある種の環境による精神的限界の表れによるこだわりにも見て取れるような気がするが、、、
276:,
08/11/28 10:47:03 tkNUPWC7
ネアンデルタール人は、不可視のものもまとめて全体的な調和を図ろうとした
自然の頂点に立つ生物として君臨していた人間の種族だったものと思われた、、。
これからはすべて、ソレッキーの本の副題、「ネアンデルタール人の人間性」の意味の解説とな
る。サルのような顔をしていたかもしれないが、彼らが間違いなく人間であったこと
は強調すべきだ。そして、彼らは明らかに宗教的でもあった。なのに、世界中のネア
ンデルタール人の遺蹟のどこを探しても、洞窟壁画の痕跡すら見つかっていない。赤黄
土や、黒い二酸化マンガンの「クレヨン」(ペチデラゼで見つかっている)さえ持ってい
たネアンデルタール人が、それを使って平面にイメージを描く事が無かったというのは奇妙な
感じがする。どうも、ネアンデルタール人は確かに宗教的であったかもしれないが、私た
ちの知る限り、彼らにとって代わったクロマニオン人と違い、「魔術」は実践していなか
ったようである。
宗教と「魔術」が、過去50万年間になぜ人類があれほど早く進化したのかについ
てのヒントを与えているとは考えられるだろうか。50万年前の北京原人の「喰人」頭
蓋骨と、10万年前のネアンデルタール人の儀式を伴う埋葬との間に何が起こったかについ
て、私たちが何もわかっていないのは確かである。ただしそれは、すでに言及した
氷河時代の道具が、儀式の目的で使われたのではないとすれば、の話だ。しかし、
ネアンデルタール人の赤黄土の採取場は、何か重要な進化が起きた事を示しており、その
進化とは、宗教と埋葬に関連している事を示している(スタン・グーチが示唆したよう
に、彼らが赤黄土を奉ったのは、それが血の色であったからなのか?)
そして私たちは、クロマニオン人が狩猟の魔術を実践している姿に出会う。これは、自然
に対して、さらに自分自身の人生に対して、ある一定の支配ができているという感
覚を彼らに与えたに違いない。のちの原始文化(たとえばアフリカの大ジンバブエや、カン
ボジアのアンコール地方など)が、神官/王を神とあがめていたのと同様に、クロマニオン人た
ちはシャーマンを神とみなしていたという可能性も充分ある。魔術は原始人の科学だっ
たのだ。科学の根本的な目的、つまり基本的な疑問に対する答えを提供するという
役割を見たしているからである。もはや、人間は受動的な動物、自然の犠牲者では
なかった。彼は理解しようとしていたのであり、重要な疑問に関して言えば、自分
は理解していると感じていたのである。
基本的な点をもう一つ強調してオナねばならない。ネアンデルタール人の埋葬の儀式は、彼
らが死後のせいを信じていた事をはっきりと示している。そして、アイスランドから日
本まで、すべてのシャーマンは、自分の事をこの世界と精霊の世界との仲介者と見てい
るのだ。世界中のシャーマンは、ひとかどのシャーマンとして認められるための儀式や訓練を
通過する事によって、自分たちは霊の世界に入ったのであり、死者と語り合ってき
たと断言する。シャ-マンは、自分の力は、精霊と死者たちからのものであると考えて
いる。
この見解の重要性は、神官/シャーマンは、天と地の両方の世界についての理解を有し
ていると考えているとの事実にある。これは、現代の宇宙学者でさえ、なかなか個々
までは言い切れないほどの主張だ。自分は神のような知識を持つ立場にあると感じ
ており、もちろん部族のものたちもこれを認めていた。そしてこれは、4万年前、
あるいはもしかすると10万年前にも、人間は独自の「近代的な精神状態に到達し
ていた事を示唆しているのだ。
277:,
08/11/28 10:58:39 tkNUPWC7
これからはすべて、ソレッキーの本の副題、、、、魔術」は実践していなかったようである >>
魔術と言うのは、世界に放つ罪と言わなければならない、、結局、人の人に対する結果を引き起こす事態を招く、、
何故、魔術が生じたか、、、その前に埋葬が生じたか、、、恐らく、これは、人間固有の権力に通じるもので、
人体実験にも最終的にはいたる種類の流れのものと思われる、、、。
何故、魔術が生じたか、、、その前に埋葬が生じたか、、、好奇心のものですかね、、、?プロメテウス伝説とかパンドラの箱の町域の、、
、、、、特に、問題は、埋葬と言う行為ですか、、、如何なる意味がこもっていたのか、、?
278:,
08/11/29 22:15:43 3LcFvKPZ
埋葬は、人間性や、良心のものであり、帰依のものであり、好奇心のものではない、、、。
一方、好奇心のものは、魔術のものである、、、。
しかし、埋葬は、堕落に繋がったと言う事を意味するだろう、、、 蛇足だった、、、。蛇足の結果、、、、
そして、病的ゆがみのシャーマンの多発、魔術、好奇心、という結果を引き起こすことになったものと思われる、、。
それは、不可視の領域の障害をきたす結果を招き、健全なネアンデルタール人は、少数に
減っていく結果をまねくことになったのかもしれない、、、。
恐らく、それまで育成された資質が調和を図ることに費やされた結果の消耗分が、
埋葬と言う行為によって代償されると思うにいたる結果をまねいたものと思われる、、、、。
279:,
08/11/29 22:48:03 3LcFvKPZ
恐らく、ネアンデルタール人の為しえた事は、全ての自然霊や神々から、存在の秘密を汲み取る事で、
世界と自己の本質の全体像を手中にする営みであったものと思われる、、、。
それに伴い、愛着心というか、保守性が生じた、、、。
得られた調和の全体像の資質は、如何に、維持するかの問題であったものと思われる、、
又、調和を図った後は、消耗の一途を辿る宿命が待ち構えていた可能性がある事によってである、、、。
、、、どういう流れなんでしょうねぇ、、、、。
これは、>>229のユガの問題について取り組む事を迫る問題らしい、、、。
神人の年一年360年 × 数千年 = 1ユガ × 4 = 432万年、、。
4大サイクルのことじゃないですね、、、。、、、???、、、、えーっ、、、。
4大サイクルというのは、黄金時代20000年、白銀時代15000年、青銅時代10000年、鉄の神無き暗黒時代5000年、、、。
(4つのサイクルのユガの呼び名があって、最後の暗黒時代の呼び名は、カリユガ、、、。)
ヒンドゥー教では、1劫(カルパ) = 1000マハーユガ (mahayuga)、
1マハーユガ = 4ユガ (yuga) = 神々の12000年(4つのユガは不等長で、1ユガ =神々の4800、3600、2400、1200年)、
神々の1年 = 360太陽年とされている。
つまり、1劫 = 43億2000万年である。
なお、マハーユガを神々のユガ、あるいは単にユガということもあるため、
1劫 = 1000ユガとする資料もあるが、同じ意味である。
280:,めいちゃん
08/11/29 22:50:27 3LcFvKPZ
、、、、やる気なくなってくるというか、、、、明日、デスマッチと言う事で、、、
281:,ミジンコ
08/11/29 22:56:44 3LcFvKPZ
、、、、、っ、、ぞーぉ、、、、!!!、、、、。
282:,ミジンコ
08/11/30 22:50:32 HYslPuW/
>>280 約束をやぶってごめんなさい、、、。明日こそ、デスマッチと言う事で、、
____ ∠二¨ ___
{ > . ‐≠=―<. \
/:ヽ: . : . : . : . :ヽ:\:ヽ.. \
/{:.::/l: l: . : . : . :ヽハ: .∨:ハ /
/:/|: .|:.l: .'.,: . ヽ: . : . :|: . |:ノ∧ ∧
rォ .〃:/ |: .|ミヽ: .\:_ヽ_: .|: . |:ノ: .} /: .}
| |./:.:.:|: .l:,r|‐ 、 \´\:.:.\|: . |、: :,'ヽ〈: . |
| |{/ 〉:!: .|:N,.rミ ヽ _ヽ.. |: . | l: ハ >:.!
. _r 、l |{ l:. |:l:|:| 代ハ マ=弌j: .:.|ノ/ j/: /
{ ヽ } ' |!:.|:l:Nベ.ゞ'' , ''',イ: ./{'ーイ:}:/
. 「¨.Y .!ヘ!ハ!: . ハ.''' r 1 /:./ T=≠ ‐ァ、
ヽ. イ |! ヽ::.| >_, . ニ .ィ:./ } //⌒ヽ
`; ! |! ヽ! / {l! l/ _ ,.l .// ',
. l l / !l !―-/ //{ マ、
. l: l , イ {\ :l=/ // ! r云マ\
| |ィ' ヽ | > j .ム <.7 :V 代圦_.>
、、、これは、実は、ここだけ10年進んでいるスレ@軍板 [軍事] のスレが後少し進むと、
ちょうど解りやすくなるところなんです、、、。
283:、ミジンコ
08/12/01 07:46:24 2gR50agv
>>213 地球史年表、、、、。46億年前 - 地球誕生。
1劫 = 43億2000万年 、、、、近いものがあるな、、、、。
いえる事は、地球が誕生して以来、1劫経ってから。恐竜が出現している、、、、。
スレリンク(occult板:358番)
恐らく、その地球は、4回目の誕生の惑星と言う説が有力、、、。つまり、生成して出現しは消滅する事を、
4回繰り返してきた、、、。地球誕生の46億年前が、恐らく、第一生命状態の物質状態と言う事になりそうであると思われる、、。
それは、恐らく、地球の出現そのものに、生命の可能性そのものを包括するものがあった事を示唆しているものと思われる。
、、、、今日はあまり寝れてなくて頭の回転が悪い、、ちょっとこのスレは、今日は難しいかもしれない、、ひとまず、保留しますよ、、
、、、上記の書き込みは、一先ず無視するように、、、、
284:、ミジンコ
08/12/01 19:45:29 2gR50agv
解らないなぁ、、、時期違いの化石の件に関しては、地球外知的生命体のものならば、
私の、長期のミッシングリンク説は、破綻する事になるか、、、、。
恐らく、化石に見られる生物そのものは、全て人間の肉体の名残であると言うシュタイナー説が有力になる、、。
つまり、微生物から恐竜、人間へといたると言う事は、微生物、昆虫、爬虫類、、、と順を追って徐々に人間に至った、、。
如何に動物から人間に至ったかは、魚の時期に有性生殖を生じ集合的な群の独立の完成を見たものが、猿にまで至り、
さらに、アトランティス時に、群の自己から個人としての人間に至った、、、。
つまり、古代の生物の化石の中には、猿人にいたる以前の集合的人間のものがあると言う事になるが、
個人としての独立性を持つものではないと考えられることになるはず、、。
ミッシングリンクは、恐らくホモサピエンスそのものと言う可能性が出てくる、、、。個人の出現が、人間の完成と言う事ですから、、
昆虫であっても人間のものであったら、集合的人間か、、、過去には、昆虫や、魚や、サルなどの形をとった、
未完成な集合的人間があったんですよ、、。サルの時に、独立した自己を持つ集合的自己のものでない完成された人間が、
出現したはずなんです、、。それならば、ミッシングリンクは、私の長期の恐竜から人間に至るものを、サルのものにみに修正すれば
良いと言う事ですよね、、、
つまり、不可視の神々によって、集合的自己・自我の人間ー昆虫・魚・恐竜・サル、の存在は、
最後に、サルの状態で、集合的自己から徐々に集合のつながりの分離が起こり始め、ゆっくり変容しながら、
現代人にまで至ったと考える、、、。つまり、>>162-164の範囲に限られると言う事になる、、。
285:、ミジンコ
08/12/01 20:15:43 2gR50agv
物質状態の第4球期のうちのポラール時代、ヒュペルポレアス時代、レムリア時代
アトランティス時代、(洪水の後)ポストアトランティス時代、(万人の万人に対する戦いの後)、第六根幹期、第七根幹期、の
7つの根幹期のうち現在はポストアトランティスの時代に位置し、ポストアトランティス時代の、インド文化期(第1文化期)、ベルシア文化期、
バビロニア・エジプト・カルデア文化期、ギリシア・ラテン期、現在(第5文化期)、ロシア文化期、アメリカ文化期(第7文化期)
と言う事らしい、、、。
>>
ポラール時代、ヒュペルポレアス時代、レムリア時代 、アトランティス時代、、、これらは、各生物の種族の集合的自己の時期に相当するはず、、。
7つの意識状態のうちの地球期は、7つの生命状態の周期があり、現在は、第4生命状態の周期であり、
そして、上位神界、下位神界、魂的状態、物質状態、より完成された魂的状態、下位神界、上位神界、状態の
7つの球期のうちの物質状態の球期に至っており、物質状態の第4球期のうちの
40億年前(±2億年) - この頃、原始生命が誕生したと考えられている。→生命の起源
第一生命状態、の物質状態、、、の可能性がある、、、。
www、、、そんな単純じゃないか、、、地球期と言うのは、太陽と地球や月が同一の時期も含まれるはず、、
と言う事は、地球史の46億年前と言うのは、第4生命状態の物質状態のことだ、、。
と言う事は、ポラール時代、ヒュペルポレアス時代、レムリア時代 、アトランティス時代、のうち、
ポラール時代は、「40億年前(±2億年) - この頃、原始生命が誕生したと考えられている。→生命の起源 」
のあたりじゃないですかね、、、。ひょっとすると、、、。
人間は、誰もがどこかにこの集合魂の記憶を持っているというものも居るし、過去の一切の記録が
記述されている精神領域があるらしい、、、。
地球以前には、月や太陽や土星と呼ばれる意識状態の時期があって、恐らく、月の時期に人間は、
動物で、天使(エンゼル・アンゲロイ)が人間だった、、、。地球が始まったのが46億年前だから、その時が、
第4生命状態の物質状態でしょ?46の倍が、一つの生命状態の時期と考えられると、人間が育つ地球期が始まってから
(3×46×2×7)億年 + 、、、、、と言う時を得て現在にいたっていると言う事になると言う事ですか、、。
286:、タイガードラゴン
08/12/01 20:42:18 2gR50agv
>>279-283と言う事は、
ヒンドゥー教では、1劫(カルパ) = 1000マハーユガ (mahayuga)、
1マハーユガ = 4ユガ (yuga) = 神々の12000年(4つのユガは不等長で、1ユガ =神々の4800、3600、2400、1200年)、
神々の1年 = 360太陽年とされている。 つまり、1劫 = 43億2000万年である。
>>
アカシャ記録(虚空年代記)と言うのは、古代インドのものなんですが、その遥か過去の記憶からさかのぼって成り立った
宗教であると言う事が解ってくると言う事ですか、、、
1劫 = 43億2000万年である。 、、、普通に、1劫、2劫、3劫、、、とか言うと言う事ですよね、、、
>>281 だから、ぞぉーっ、、、と言ったんだよ、、私は、、、。
>>284
つまり、不可視の神々によって、集合的自己・自我の人間ー昆虫・魚・恐竜・サル、の存在は、
最後に、サルの状態で、集合的自己から徐々に集合のつながりの分離が起こり始め、ゆっくり変容しながら、
現代人にまで至ったと考える、、、。つまり、>>162-164の範囲に限られると言う事になる、、。
ひょっとすると、サルの中にも人間になり損ねたものが今も潜んでいるかもしれないと思われるかもしれませんが、
それは、錯覚です、、、。初めから遥か過去から人間の人数は決まっていて、早かれ遅かれ人間になるようになっていると言う事です。
サルのまま留まると言う事は、サルそっくりの人相の人であるということを意味する、、。
人間は、個人以前には集合的自己のものと言う事であり、サルになろうとしてもその前に集合的自己のものであり、
初めからサルになれないように決まっていたと言う事、、。
アトランティスとポストアトランティスの間には、休間期の空白があるようですね、、、氷河期でしょうね、、、。
文化期は7×2200=約1万5千年、、。恐らく、アトランティスは、数万年でしょ?ネアンデルタール人が、40万年くらいの活躍ですかね、、
つまり、休間期が数十万年あると言う風に考える事になる、、、。と言う事は、
(3×46×2×7)億年に1万5千年と数十万年の比率の倍数になると考える事になる、、、。
これが、人間のマクロの歴史観と言う事になるということでよろしいでしょうかね、、、
287:、ミジンコ
08/12/01 20:56:40 2gR50agv
文化期という1万5千年の期間は、文明のトータルの寿命と言う事ですか、、、
、、、と言う事は、後7000年くらい文明は続くと言う事になっているはずなんですがね、、、
、、、しんどいねぇ、、、それが終わったら、数十万年の長期の休間期が待っていると言う事のはずなんですがね、、
、、、これで解った、、、。→ >>277-279 、、、永い眠りに比べれば目覚めはほんの一瞬ですね、、、
288:出土地不明
08/12/01 21:15:22 GcMxTjpx
s
289:、
08/12/01 21:18:10 2gR50agv
>>283-287 適当な書き込みやから無理してわかる必要あらへん、、、なんとなくわかっとれば、、、、
解らなければよみとばしてもよろしい、、、無理しないように、、、、
,.-─‐-- .,,_ ,. -‐''''"~"`' '' ー‐- 、
〈 `''-.,,---- 、/: : : :.:::::::.:.:.::::::::::::::::::___ヽ,,.-,-、
゙、 ゙''7_,:::_::::::::::::::::: : : : : ::::::::/ _ ゙i ゙i, i、 ヽ、
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ヽ、 i! ゙、i:::l、;;l、il' i ::゙i 、_ヽ '′ l:i )'' ノ:゙、 : :::::,,.-`、
ヽ ヽi ヽ``-' , ト_/::::::::゙i: :::i'
ヽ、 |:::゙i ヽ , ノ゙i;;i゙i:::::lヽ|、,/
ヽ |/l lヽ ー '" |i,゙i;l l-、i
゙、 |〉ヽ_>、 ゙ / .!;;>-'
゙、 i / `i - '" l´
゙! /.:::::::::::,.-ノ|ヽ、 ___ ,.彡iヽ
290:、
08/12/01 21:50:10 2gR50agv
>>89
!太陽って無くなると人類は無くなるのか?!
スレリンク(sky板)l50 天文・気象
これは、天文の管轄かな、、、
URLリンク(ja.wikipedia.org)宇宙の年齢、、。
宇宙は約137億年前に生まれたと推定されている。 と言う事は、恐らく、約137億年前に地球の物質状態の期間が始まりだしたんじゃないですかね、、?
宇宙と言う事は、物質状態の領域を意味すると言う事なんですよ、、恐らく、、、。
つまり、宇宙発生以前の領域が、第4の生命状態の物質状態以前の上位神界、下位神界、魂的状態、、
と先行している事を意味するはずと言う事になる、、。
つまり、宇宙外の領域の存在ですよねぇ、、、宇宙の発生以前に不可視の領域が先行しているということは、
地球外知的生命体の不可視の領域もあると言う話、、、、。
現在の地球人は、4度目のビッグバンに地球の第4生命状態の物質状態が始まる意味では、
1度目のビッグバンは、ひょっとすると、第一の生命状態と言うことになりそうだ、、。
と言う事は、ビッグバン以前の大きな領域があって、人間は、ビッグバンとビッグクランチの周期のレベルの
眠りと目覚めの営みがあると言う考え方もありうる、、、。
地球期一つでそう言う事であるとすると、土星から地球に至る間の休間期は、ビッグバンとビッグクランチの
発生と消滅の周期とは別次元の、広大な領域の何かの周期と言う事になる、、この領域からすれば、
1劫なんか、秒にすら満たないと言うか、、、、。
291:、
08/12/01 21:55:38 2gR50agv
天文学者の皆様方、しっかり、しいや~、、、。
天文学から出発する、超宇宙領域の探求の話だな、、、
、、、確か、インドの科学者の誰かが、瞑想しながらやってたな、、、
、、、ノーベル賞受賞者の中にもそんな事探求していた人が居た、、。
292:、
08/12/04 08:10:04 Tv9ANLO1
>>283-287
279>>
4大サイクルというのは、黄金時代20000年、白銀時代15000年、青銅時代10000年、鉄の神無き暗黒時代5000年、、、。
(4つのサイクルのユガの呼び名があって、最後の暗黒時代の呼び名は、カリユガ、、、。) >>
あるオカルトの伝承によると、人類史は、
クリタ・ユガ(金の時代)、 トレタ・ユガ(銀の時代) ドヴァッパラ・ユガ(青銅の時代) カリ・ユガ(暗黒の時代)
西川のシュタイナー用語辞典には、レムリア時代は、中生代・古生代に相当すると記述されている、、。
スレリンク(sm板:16番)
約4億年前に最初に陸上生活を始めた脊椎動物。古生代石炭紀頃より、多くの化石種が知られる。
詳しい説明は、後ほどにまわす、、、。
293:、
08/12/04 18:38:21 Tv9ANLO1
詳しい説明は、後ほどにまわす、、、。
スレリンク(occult板:498-501番)
レムリアーチベット
294:、ミ
08/12/06 10:58:20 dbL1EaXg
>>278 、、、埋葬と言う行為ですか、、、もうちょっと考える必要があるでしょう、、。
クロマニオン人の出現は、埋葬から起きた奴なんでしょうね、、、。
、、、、埋葬には、いくつかの意味があるはずなんですよ、、、。
、、、、、傍ら、埋葬の無い、民族も現在にいたるまで存在する事も救いでしょうね、、。
295:、ミ
08/12/06 10:59:21 dbL1EaXg
、、、その前に、レムリアについて、突っ込みます、、。チベットですね、、、
296:、ミ
08/12/06 20:55:09 dbL1EaXg
>>295 スレリンク(edu板:860-861番)
297:、ミ
08/12/06 22:54:54 dbL1EaXg
>>294 シュタイナーのレムリアの件に関しては、ちょっとややこしいので割愛しましょう、、。
埋葬の中で、いろんな種類の運命のタイプを生んだものと思われるが、ネアンデルタール人の種族の営みの活動の〆を
埋葬自体が意味していたんでないでしょうかね、、、?
ただし、何種類かの気質の目安をつけてはいるが、ネアンデルタール人の埋葬には関係ないものと思われる、、。
埋葬の意味は、時とともに変化していく種類の扱いの問題なのは間違いなさそうです、、、。
この埋葬の意味については、保留しますか、、、、。
ウチにも、外にも向かわず、静止したままさらされて時を経る普通の動物のような時期、、、、。
不可視の領域との関係の中で、意識が、内面に向かう時期、又、外に向かう時期、、、
内面に向かう意識と外に向かう意識の統一の時期、、、
後戻りも引き返しも出来ない何かの進行の流れに乗っているんでしょうね、、。
. /  ̄ ヽ
.(,ノノノ ソ) )
/ l(┃┃j ヽ <無には創造の静止には進行の、不可避の必然の可能性と制約を受ける、、、。
 ̄`ァ┬ ' ̄
/ ヽ/ \ 、、、と言う事を示す話らしい、、、。
|ヽ / / |
| ヽ二/ |
レ___》《_|
/ ) )
 ̄ ̄ ̄ ̄
298:、ミジンコ
08/12/06 23:17:38 dbL1EaXg
>>277-279
絶滅の意味がある、、、。 隕石や氷河期では滅亡するとは限らない、、、。
人口の撃滅と言うのは、れっきとした意味がある、、、。
死者の増加と、死後の営みの長期化、、、。
不可視領域への帰依の休息の問題らしい、、、。
、、、、絶滅や、休息のもんだいについては、地球上の破滅度について考える必要があるか、、、。
、、、生命誕生以来、地球上の生命の絶滅はありえないのは、現在共通に知られている、、、。
、、、植物、バクテリアの微生物から様様な種族が、、、、
ヒントは、物質について、植物について、動物について、人間について、ですか、、、
そして、、可視的領域と、不可視の領域について、、、
既に、ビッグバンの時に、物質、生命、の精神の入れ物としての可能性の獲得があった、、、
特有の物質の生成の環境獲得には、惑星誕生の問題と、その背後に潜む神霊、を認
めることになる、、、。 そして、生命の発現は、その環境の全体像の状態の現れ、、、。
要するに物質の種から生命の根っこが現れるようなもの、または、物質が多様化し
て変容する時に流れの進行を見る傍ら、惑星と言う神霊の働きかけは、生命の発生
と言う情況の進行を見る様、、、。同様に動物の魂、、、人間の記憶、、、。
宇宙人は、人間と同様、記憶・自我がある、、。その意味で、複製のグリーンとペットと
は区別される、、。
神霊は宇宙において作り出す傍ら、休息期間があるはず、、、絶滅はある、、、。
、、、と言うか、消滅と言うか、絶えるというのか、消えるというのか、、。
生成と消滅の長期の大周期 発生と滅亡の大周期がある、生命はバクテリアとして
残る、、。、、。氷河期中周期もある、、、。大破局の小周期もある、、、。ただし、4台サイク
ルのものもある、、いろんな種類の規模の周期がある。
299:、
08/12/06 23:36:21 dbL1EaXg
無には創造の静止には進行の、不可避の必然の可能性と制約を受ける、、、>>
この流れから、解き放たれると言う事は、休間期を意味するわけだ、、、、。
、、、、そうか、、、。クロマニオン人の後にくるのは、恐らく全体的調和と育成に関係した、
、、、時期であるに違いないとは思うが、、そういう、4大サイクルとか、他の、中期、長期の期間がある種類の話か、、。
今重大なのは、人間全体としての精神性の消耗分をどうするかと言う問題だが、可能性の模索では、
科学、宗教、芸術が適しているが、現実的対策としては、正当な、各業界に対しての、医療、刑事・犯罪学、軍事、
からの働きによって成り立つ問題でしょうね、、、。
スレリンク(denpa板:247-254番)
、、、そこで、闇系に対する対策が来ている所なんだけどな、、、。
、、、ちょっと、レムリアについて、突っ込んでみますか、、、、。
300:、
08/12/06 23:45:12 dbL1EaXg
>>299、、、ちょっと、レムリアについて、突っ込んでみますか、、、、。 >>
容量は少ないから、このスレッドでするのは止めた、、、。
301:、
08/12/26 22:57:04 VAtaGU9o
この精神状態が、古代エジプトでも、古代シュメールでも存在していた事はわかっ
ている。そればかりか、私たちが知る古代文明は、すべて神権体制だったのだ。も
しハプグッドが正しく、世界的な海洋文明が紀元前7000万年に存在していたとし
たなら、その文明がこれと同じ世界観を共有していたことは間違いないであろう。
エジプト人が自分達の王国を展開の王国をそのまま映し出したものと見ていた事
は既に見てきたとおりだ。もしシュワレール・ド・リュビックとロバート・ボーヴァルの考えている
ように、スフィンクスが別の文明の生き残りの者たちによって、紀元前1万500年ごろ
に建設されたというのが正しいとしたら、この文明が、天と地、神々と人間との間
の親密な関係について、これと同じ観点を持っていたことは間違いないであろう。
そして、アーサー・ボナンスキー教授が正しければ、それと同時期にティアワナコを建設した古代
インカ人も同様なのである。
この世界的な神権体制はいつごろ終焉を迎えたのだろうか。ソクラテスとプラトンの時代ま
でには間違いなく消滅していた。「双脳的精神構造の崩壊と意識の起源」(1976)
と題された本で、プリンストン大学の心理学者、ジュリアン・ジェインズは、この分かれ目は、
紀元前1250年というかなり最近のできごとである可能性があると論ずる。
ジェインズの議論の起点は、比較的新しい科学である双脳生理学だが、この本の論点
に中心的役割を果たす重要性があるので、簡単に説明しておく必要がある。
脳はふたつに分かれていて、各半球は鏡に映った像のように同じものである。しか
し、その機能はまったく異なる。これは、過去50万年間で最も発達した部分、人
間の脳「最上階」である大脳についてとくにいえることだ。
19世紀にも、すぐに脳のふたつの部分が異なった機能を持っていることは認識さ
れていた。言語機能は左脳半分にあり、その左脳に損傷を受けた人はものがうまく
言えなくなることに医師たちは気がついていた。脳の右側は、明らかに形やパターン
の認識と繋がっていて、右脳に損傷を受けたアーティストは、芸術的才能をすべて失うの
だった。ある男性は、クローバーの葉を描く事さえできなくなっていた。3枚の葉を並
べて同じ位置に描いてしまうのである。
302:、
08/12/26 23:03:08 VAtaGU9o
だが、左脳に損傷を受けたアーティストは、ものがうまく言えなくなるだけだった。それ
までと同じすばらしいアーティストのままだったのである。そして、右脳を損傷した演説
かは、クローバーの葉を描く事はできなくても、それまでと変わらず雄弁だった。
左脳は、論理や理性の思考にもかかわってもいる。例えば、洗濯物のリストを作っ
たり、クロスワードパズルをしたりといった事だ。右脳は、音楽鑑賞や人の顔を認識した
りするといった活動にかかわっている。端的に言うと、左脳は科学者、右脳は芸術
家という事になるだろう。
人間の生理学の奇妙な特徴のひとつが、身体の左半分は右脳に、右半分は左脳にコン
トロールされているという点だ。おそらく統合しやすくするためだという以外、これが
なぜだか誰もはっきりとわかっていない。もし左脳が左側で、右脳が右側をコント
ロールしていたとしたら、そこに「競争争い」が起きるかもしれない。今の状態な
ら、互いの領域に、しっかりと足場がある。
脳の上部、大脳半球をはずしてみると、それはふたつの半球の間に一緒の橋がある
くるみといった形をしている。この橋が、脳幹と呼ばれる神経の束だ。しかし、医
師たちにわかったのは、脳幹がないのに完璧な正常な日常生活を送っている人間が
いるということだった。このことから、脳幹を切断して、転換の発作を防げないか
と考えるようになり、実際に癲癇症の患者に試してみるとうまくいくようであった。
ひきつけの発作は相当へって、患者自身も特に何の害も受けていないようだったの
だ。そのために医師たちは、脳幹はいったい何のためにあるのかと考え込んだ。癲
癇のひきつけを伝達しているというものもいた。脳が真ん中で垂れ下がらないよう
にするためだというものもいた。
1950年代、アメリカで行われたさまざまな実験が、この問題に解明の光を当てはじ
めた。「分析脳」の患者、体の左側をテーブルにつけても、それが解らない問う事に誰
かが気付いたのだ。どうも、右脳と左脳を分断する手術は、片方の脳が、もう一方
が知っている事を学ぶのを妨げる効果があることがわかり始めたのである。分断さ
れた脳の猫に片方の目を閉じたままにしてある芸を教え、こんどは反対の目を覆っ
て同じ芸をさせようとすると、猫は当惑してしまう。私たちは、文字通り2つの脳
を持っていることが明らかになったのだ。
303:、
08/12/26 23:04:40 VAtaGU9o
それだけでなく、分断された脳の患者が、左目にリングを見せられ、右目にオレンジを
見せられたあと、今何を見たかと訊ねられると、「オレンジ」と答える。今何を見たか
を左手で文字を書くよう言われると、「リンゴ」と書くのだ。分断した脳を持つ女性
の患者の右脳だけに恥ずかしい写真を見せると赤面した。なぜ赤面したのかを訊ね
られると、「わかりません」と誠実に答えるのである。赤面した人物は右脳に生き
ているほうだった。一方、彼女自身は、左脳に生きているのだ。
これを私達全員にあてはまる。左利きの人は、脳の半球が反対なので、状況は逆に
なる。自分自身であると認識する人間は、(右利きの人の場合)左脳に生きている
のだ。現実世界に「対処」しているほうの脳である。右脳に生きている人間は知ら
ない人物だ。
自分は分断された脳を持つ患者ではないと反論されるかもしれない。が、それは関
係ない。ある時モーツァルトは、曲はいつも完成された状態で彼の頭に入ってくるのであ
り、自分はただそれを書き留めるだけでいいのだ、と語った事がある。その曲はど
こからやってきたのか?明らかに、右脳、アーティストの部分からである。ではそれはど
こにいったのか?左脳、つまりモーツァルトが生きていた部分だ。つまり、モーツァルトは、分
析した脳を持つ患者と同じだったのである。そして、もしモ^-ツァルトがそうなら、私
たちは皆そうである。私たちが「私」と呼ぶ人物は科学者のほうだ。「芸術家」の
ほうは、陰に生きているのであり、深いリラクゼーションの状態や、「ひらめき」
があるときをのぞいて、私たちはその存在にほとんど気付いていない。
ジェインズがこのテーマに関心を持つようになったのは、幻聴を体験した事がきっかけだ
った。ソファに横たわり、ある問題について、精神的にくたくたになるまで考え込ん
でいたときの事だった。突如として頭の上から声がして、こういったのである。「知
る者を、知る対象に入れるべし。」自分が正気を失ったかと気にした彼は、幻覚、
幻聴について調査を進め、1割ほどの人がこれを体験していると知ってホッとしたの
だった。
そしてさらに、古代の文学の多く、たとえばギルガメシュ叙事詩、聖書、それにイリヤード
などでは、主人公がいつも声を聞いている事に気付いたのである。つまり、神の声
だ。また、こういった古代の英雄たちには、私たちが「内面に自己」と呼ぶ存在が
まったくかけていることにも気付いた。「私たちがお互いの内面に認めるような心
の空間が、英雄たちの鋭い目の奥に存在していると仮定しても彼らを理解する事は
できない。イリヤードに登場する人間には、私たちの持っているような主観性は無かっ
たのだ。世界を意識している自分、という意識もないし、思索するための心の空間
もなかったのである。」
304:、
08/12/26 23:06:19 VAtaGU9o
ジェインズが提唱しているのは、私たちが「主観性」と呼ぶもの、つまり、自分の内
面を見つめて、「さて、これについてどう思うか?」と自分に訊ねるという能力は、
紀元前1250年より前には存在していなかった、ということなのだ。この時代の
人々の心は、「2元的」、つまり2つの部分に分かれていた、と彼は考えている。そ
して、原始の人間が次にどうしたらいいか心配になったときには、ジェインズがソファに
横になっていたときと同じように、自分に語りかける声が聞こえたのだ。彼はそれ
が神の声(あるは神とみなしていた酋長の声)だと思った。実は、それは彼の右脳
から来たものだったのである。
ジェインズによると、自己意識は、紀元前3000年頃から、ゆっくりと発達し始め
たらしい。それは、新たに複雑な要素をもたらした文字の発明がきっかけだった。
そして、紀元前3000年から2000年までの第2000年紀に中近東、地中海
行きを揺るがした大規模の戦争の数々の元では、それまでの子供のような精神構造
ではもはや対処できず、人類は生存のために、無慈悲なタイドと効率性という新しい
資質を発達させる事を余儀なくされたのだ。」生き残った男にとっては、自分の感
情は押し殺し、内省すると言う能力が必要となったはずである。
ジェインズによれば、この「精神の変化」の最初の発達は、メソポタミアで起きている。アッ
シリアの暴君、トゥルクルティ・ニヌルティは、「紀元前1230年頃、意志の裁断を造らせている
が、そこには王が空っぽの神の玉座の前にひざまずいている事がえがかれている。
これに対し、それまでの映像では、王が神に語りかけている姿が描かれていたのだ。
王は孤高の存在になったのである。自分の左脳に囚われの身となっているのだ。
同時代の楔文字の文献にはこういう箇所がある。
神を持たぬもの 町を歩けば
頭痛が衣服のごとくまとわりつくなり
それはストレス、神経的な緊張、右脳とのつながりの喪失、「世界に安心して存在して
いるという感覚」とのつながりの喪失を語っている。私たちは、「断絶した人間」
の誕生を目撃しているようである。そして、やはりジェインズによると、残虐性が歴
史に出現するのもこの時点であるという。アッシリアの彫刻の中に、串刺しになった男
女や、斬首された子供の姿が描かれるようになるのだ。
305:、
08/12/26 23:21:54 VAtaGU9o
この仮説のすべてに賛成しなくても、その重要性は認識できる事と思う。それに対する重
要な反論は、自己意識を持つ動物も多くいるというものだ。ある実験では、さまざまな動
物に麻酔をかけて、その頭を赤く塗る。そして、大きな壁の前にその動物を置いておくの
だ。ほとんどの動物は鏡に映る自分の像に何の興味も示さないが、チンパンジーとオランウータンだけ
は例外だった。彼らは自分の顔を、大いに関心を持って調べたのだが、これは自己意識が
あることを示しているように思える。そして、もしチンパンジーやオランウータンが自己意識を持って
いるなら、最も原子的な人間であっても、それがなかったとは考えがたい。
さらに、現代人がどうも「自分自身と断絶している」という私たちの認識は、心がふたつ
の部分に分かれて「双脳的」なのは私たちであって、原始人は、ほとんどの動物がそうで
あるように、「総脳的」であったことを暗示しているように思える。
だが、こういった反論があるにせよ、ジェインズが提唱するように、歴史のある時点で、何か
根本的な変化が人類に訪れ、それ以外は、人間の意識がより限られた領域に閉じ込められ
てしまうという印象が起きたのは明らかである。そして、その喪失を補うため、私たちは
理性をさらに効果的に使う事を学び、その最終的な結果が私たちの技術文明であるのだ。
こういった洞察は、この本の主要な論点に私たちを戻してくれる。
シュワレード・リュビックは、エジプト人と現代人の精神構造には根本的な違いがあると100パー
セント確信していた。何冊もある自著の中でその事に繰り返し言及している。
この違いの最も重要な形態が、象形文字に見られる。シュワレールは言う。言葉は意味を固定す
る。例えば、「犬」という言葉を読むと、それは「犬らしさ」に関する曖昧な抽象的概念を
呼び起こす。しかし、犬の絵を見たとしたら、それがたとえ単純なものであったとしても、
ずっと生き生きしている。
306:、
08/12/26 23:23:14 VAtaGU9o
子供の頃、誰もが写真や映画を立体像にする赤と緑の根金を試したことがあるだろう。普
通の目で見ると、赤と緑が重なって全体がぼやけてみる写真がある。ボール紙でできた、片
方の目に赤、もう一方に緑のセロファンが張ってある眼鏡をかけてみると、写真はぼやけてなく、
立体映像が飛び出してくる、という奴だ。シュワレールによると、私たちの言葉は、そのぼやけ
た写真のようなものであり、象形文字は、飛び出してきて生き返る立体映像なのだという。
シュワレールは言う。「一つの象形文字は、一般的な使用のための、定められた共通の意味を持つ
ことも可能だが、そこにはさらに(1)それに繋がる考えをすべて、そして(2)個人的
な解釈の可能性、を内包しているのである。」
「新しい宇宙のモデル」(A New Model of the Universe)の中の「実験
的神秘主義」と題された章で、グルジェフの弟子ウスペンスキーは、詳細は語らないものの、何かの
方法で(おそらく酸化窒素だろう)、「神秘的」意識状態に到達した際のことを記述してい
る。この状態の一つの特徴は、ひとつひとつの言葉、もののすべてが、何十というほかの
言葉やものを思い起こさせたという事だった。例えば灰皿ひとつを見ても、それはさまざ
まな意味や関連があるものの洪水を解き放つのだった―銅、銅の採鉱、タバコ、喫煙、な
どなどである。このため、彼は一枚の紙にこう書きとめている。「一つの灰皿から気が狂っ
てしまう事だってありえるのだ。」
同様に、シュワレールはこう語っている。「したがって、象形文字とは、比喩なのではない。たし
かに、いいたいことを直接に現してもいる。しかし同時にこういえるある物(例えば椅子、
花、禿鷹など)について教えるとき、そこにつながる意味をすべて考える事ができたとし
たら、それは信じられないほど深遠で複雑になる事だろう。象形文字の意味するのもこれ
と同じなのである。しかし、私たちは、惰性からか、ただの習慣からか、この類推的な思
考過程を避けて通ってしまい、たった一つの凝結した概念を表現する言葉を使って、ある
ものを示そうとするのである。」
307:、
08/12/26 23:25:11 VAtaGU9o
「人類の神殿」では、今ひとつのイメージを用いている。もし「歩いている人」といえば、私
たちは歩いている人間を思い浮かべるが、それは抽象的でははっきりしない形の話である。
しかし、歩いている人間の絵(象形文字であっても)を見れば、その人はなぜか現実的に
なる。そして、もし歩いている人が緑に塗られていたとしたら、植生や成長といった事も
呼びおこされる。歩く事と成長する事はまったく無関係に思えるかもしれないが、緑の人
間の絵で、私たちはそのつながりを感じる事ができるのである。
私たちの内面に「現実」を呼び起こすという、象形文字を持つこの力が、シュワレールの言う、「個
人的解釈の可能性」なのである。言ってみれば、どこかで開いた事があるという、あの感
覚だ。
同じ本の中にあるエジプト人の精神構造に関する章で、彼はこれを再び説明しようとしてい
る。現代の私たちが概念や思考をつなげるやり方を彼は「機械的」と呼ぶ。ちょうどレバー
が何かの歯車にがっちりと取り付けられている図だ。これとは対照的に、エジプト人の精神
構造は「間接的」だ。ある象形文字は一つの考えを呼び起こすと同時に、それとつながり
のあるほかの何十という考えも呼び起こすのである。これを説明するのに、彼はある単純
なイメージを用いている。私たちが明るい緑色の点を見つめ、すぐに目を閉じると、補色であ
る赤がまぶたの内側に見える。西洋人は、緑が現実であり、赤はその現実に依存する何ら
かの幻であるというはずだ。しかし古代エジプト人たちならば、赤のほうが現実であると
感じた事だろう。なぜなら、それが内側のビジョンだからである。
彼の言おうとしている事を誤解してはならない。シュワレールは、外的な現実は幻であると言っ
ているのではない。象徴や象形文字のほうが、より豊かで、複雑な現実を私たちの内面に
呼び起こす事ができるという事を言いたいのだ。偉大な音楽や詩も、これと同じ効果を与
えてくれる。
動き回る水 さながら僧侶のごとく業にあり
地球の人間の彼岸に ひたすら浄化の旅が続く
308:、
08/12/27 17:04:16 c7ruVsQP
キーツのこの詩は、豊かで複雑に入り込んだ感情を呼び起こす。だからこそ、本当の詩は理解
される前に伝える事ができる、とエリオットは言ったのだ。平常の知恵は、物を単独で見
せるが、それと「共鳴するもの」は失われてしまう。その簡単なたとえは一冊の本だ。そ
れは長方形の形をした物体である、というのがその「外的な」現実になる。しかし、その
内側にあるものは、私たちを魔法のたびへと誘ってくれる。本の現実というのは、隠され
ているものであり、字の読めない人にとっては、それは単なる物理的な物体に過ぎないの
だ。
この本を右脳/左脳についてこれまで述べてきた事と照らし合わせてみれば、象形文字と
いうのは絵であり、したがって右脳で認識されるという事が直ちにわかる。言葉は文字の
連続であり、左脳で認識されるのだ。
では、シュワレールは、単位エジプト人は「右脳人間」で、私たちは「左脳人間」だといってい
るのだろうか。
たしかにそうでもあるが、それだけではない。彼が言うのは、エジプト人は、現代人とは
質的に異なった知性、それも現代人と同じレベルにあり、多くの面ではよりすぐれた知性を
有していたということだ。彼はこれを「根源的知性」あるいは「心の知性」と呼ぶ。これ
は、D・H・ローレンスやヘンリー・ミラーが説いた知性のように聞こえるが、それはある程度当たっ
ている。しかし、この二人が気付いていたよりもずっと深い意味合いが個々に隠されてい
る。「心の知性」を持っていたにもかかわらず、二人とも自分を基本的に現代人と考えてい
た。このため、20世紀に対する彼らの批評は、往々にして辛らつでは快適に聞こえる。
どちらも、物事を違った見方で見るという可能性に気付いていないように思えるのだ。
その一つは、私たちにも既に明らかだ。マニュエル・コルドバがアマゾンの森で学んだ事を考えれば、
それがほとんど「神秘的」といえるような力を学ぶ事であったのがよくわかる。まず、「部
族の集合無意識」に参加する能力だ。コルドバが、鳥や動物たちの行列を見る事ができたと
いう点、そして平常の知性よりもはるかに精密な詳細にわたってこれが見えた事に注意し
てほしい。酋長は、右脳を積極的に使う事を何らかの方法で彼に教えたのだ。その右脳が平常の知覚よりもはるかに豊かな情景(つながりあるもの)を与えたのである。
309:、
08/12/27 17:05:27 c7ruVsQP
テレパシーを「超常的な」能力と考えるのは誤りだ。1960年代を通じて行われた一連の実
験で、ミズーリ大学の物理学者、ザボージ・V・ハーヴァリク博士は、それを科学的な基礎の上にお
いている。最初のハーヴァリクは、すべての原始的な文化の人々が持つ能力であるように思われ
るダウジングに痛く興味を惹かれた。ダウジング棒(Y字型の杖で、Yの分かれたほうを両手に
もつ)が、必ず電流に反応することを発見した彼は、ダウジングというのは基本的に電気的
な現象なのではないかと考え始めた。彼は二本の水道管を、約20メートル離して垂直に
地中に埋め込み、両端を強力な電池に繋いだ。電流を通したとたん、手に持っていたダウジ
ング棒が反応した。友人もこれを試してみて、電流が充分強ければ(大体20ミリアンぺア程
度)、全員がダウジングできることを発見したのである。2割の人間は2ミリアンペアという
低い電流さえ感知することができた。全員が練習とともに上達して行った。
また、ダウジングができなかった人が、1杯のウィスキーを飲んだ後、突如として「波長が合う」
ことがあるのもわかった。明らかに、ウィスキーがその人をリラックスさせ、「左脳」の干渉を
妨げたのである。
ハーヴァリクは、アルミホイルを頭に巻くとダウジングの能力がなくなってしまうことも発見し、これが
電気(あるいは磁気)現象である事を改めて示したの。
ドイツ人のダウジングの、名人、デ・ボーアは、1000分の1ミリアンペアという微弱な
電流を感知する事ができた。彼はラジオ局から発する電波も感じる事ができた。ゆっくり
と体を回し、放送局の方向に向くと止まるのだ。携帯ラジオをその方向に向けて調節するこ
とで、ハーヴァーリクは彼の精度を調べる事ができた。それだけでなく、デ・ボーアは、数ある
ものの中からある特定の波長を選び、それだけを感知することができた。ちょうど私たち
が、パーティでのさまざまな会話から、ひとつに「波長を合わせ」、耳を傾けられるのに似て
いる。
310:、
08/12/27 17:06:45 c7ruVsQP
脳波を感知できるほどの感覚がある磁気計が発明されると、ハーヴェリクはダウジングをする人も
それが感知できるのかを試してみたいと考えた。まず庭に幕を張って、自分は耳栓をし、
背中を向けて立つと、友人たちに幕の反対側に向かって歩いているように指示するのだ。
彼のダウジング棒は、誰かが3メートルの距離にきたときにその存在を感じた。友人に「興
奮するような事」(例えばセックス)を考えてもらうとその距離は倍の6メートルになった。
ダウジングというのは、結局は電流を感知する能力に過ぎないようである。だが、ダウジング
棒は、いったいどうやってそれを感知するのか?どうも身体のある部分(ハーヴァリクは副腎で
あるとの結論を下している)が電流を感知し、それが脳に送られて、脳が筋肉を痙攣させ
るという事のようだ、そのときに使われる筋肉は、右脳の支配下にある。ダウジングは、テレパ
シーと同様、右脳の活動なのである。
グリンブルの記述した、イルカよびがイルカたちを饗宴に招くという現象を思い起こしてみよう。(テ
レパシーを使う)その「魔法」も、右脳の活動であるのは明らかだ。
ダウジングやテレパシーが科学的に説明がつくならば、石器時代のシャーマンが、野牛や鹿の絵を描く
事により、シュワレールの言う「連想」のプロセス稼動させて、その動物たちの動きに影響を与え、
狩人たちの成功を確実なものとすることができたのを理解できるようになる。
これまで述べてきた事を一まとめにすると、それは「新しい歴史観」を構築する視点を私
たちに与えてくれる。
「最古の人類」(Eary Man)という「タイムーライフ」の本では、サルのようなドリオピテクスやラマ
ピテクスから、アウストラロピテクス、直立原人などを経て現代人にいたる人間の進化を示すイラストページ
が、真ん中から引っ張り出せるようになっている。このような表の問題は、自然淘汰と適
者生存という手段を通じ、何か規則正しい進化が起きて、それが確実にホモ・サピエンス・サピエン
スに繋がっていったとの印象を与えることだ。
311:、
08/12/27 17:08:14 c7ruVsQP
この図式に対する反論は、まずそれがあまりに機械的過ぎるように思わせるという点だ。
だからこそ、クリモも「禁じられた考古学」が、他の視点もある事を改めておもいださせてく
れるのである。解剖学的に見ると、現代人は、もうすでに何百万年もの間存在してきたと
いう驚くべき主張を展開する事によって、彼は機械的な進化という見解に、少なくとも疑
問を投げかけさせたことは確かだ(ただし、「機械的進化」というのは、「ダーウィン主義」で
はないということは強調されねばならない。ダーウィンは自然淘汰だけが進化のメカニズムである
と主張するほど教条的ではなかった。彼の後に続いたネオ・ダーウィン主義たちがこれを強固な
ドグマとしてしまったのだ)。
それではまず、メアリー・リーキーが正しくて、「人間らしい」姿で直立歩行していた人間は、35
0万年前のルーシーや「最初の家族」の時代に既に地上を歩き回っていた可能性があるという
見解を私たちの新説にお出発点としよう。彼女はまた、オルドバイ渓谷を調べ、道具の形態に
まったく変化が無い50万年間があったとしている。人間は、進化しなければならない理
由がなかったために、変化しないままでいたのだ。その精力のほとんどは、ただ存在する
事に費やされていた。
それでは、いったいなぜ、「脳の爆発的発達」と呼ばれるほどの速度で進化が始まったのか。
現代人にとって、文明や文化も無く、自然だけが自分を取り巻く生き物の立場に立つこと
はほとんど不可能である。マニュエル・コルドバの記述したアマワコ族でさえ、小屋に住み、槍や弓矢
を使っていた。しかし、少なくとも、毎晩毎晩、自然と接触しながら生きる事がどんな体
験であるかについて、彼らはヒントを与えてくれるはずだ。コルドバのインディオたちは、森の
あらゆる兆候を読む。私たちが朝刊を読むように、見えるもの聞こえるものすべてだ。私
たちの祖先も、生き延びていくために、これと同じ能力を持っていたに違いない、、。
彼らが目に見えるもの、見えないものも含め、姿を現さない存在に囲まれて過ごしていたところ
を創造しなくてはならない。そして、私たちが考える限りの自然との緊密なつなが
りを持っている姿を思い描かねばならないのだ。シュワレール・ド・リュビックじゃ、古代エジプトの
ことを語っていながらも、この原始人の意識の感じを表現しようとしている。「、、、個々の
生き物は、自分の生きる宇宙にあらゆるエネルギーのリズム、ハーモニーと繋がって生きている。こ
のつながりの媒体となっているのは、もちろん自己だ。その特定の生き物に内包された、
宇宙のものと同じエネルギーである。ある固体の内面にあるエネルギー状態と、そのまわりを浸し
ている宇宙のエネルギーとを分かつものは何も無い、、、」
312:、
08/12/27 17:09:16 c7ruVsQP
つまり、シュワレールは、原始人、そして動物たちが、水中にいる魚のように、エネルギーの海に浸
っている姿を見るのである。それは、生き物がすべてあたかもその海の一部であり、生き
物自身もまた、まわりを囲み、その存在を維持しているエネルギーより密度の濃いエネルギーその
ものであるようなものだ。シュワレールは、「ネテル」の事を言う。エジプト後の言葉で、ふつう「神」
と訳されるが、ここでは各個体のエネルギーの波動に近い意味を持っている。
、、、1年の四季のそれぞれの月、1日のそれぞれの時刻には、すべて独自の「ネテル」があ
る。それぞれの時刻にはそれ自身の性質があるからだ。青い朝顔の花は、日の出とともに
咲き、はすの花のように、昼には閉じる、、、熟して色づいていくのに午後の太陽を必要と
する果物もある、、、たとえば、若い故障の木は、朝の燃えるような太陽の方角に向くが、
それはじりじりと照りつける午後の太陽とは違う、、、、そこから私たちは、例えば果物の味
と、成熟させる太陽との間に、また、こしょうの燃えるような味と、太陽の火との間にも
関係があるらしいという結論をくだす。その「自然」には、調和があるのだ。
腕の良い庭師がカリフラワーを満月の夜に植え、腕に悪い庭師が新月の日に植えたとした
ら、前者は立派な白いカリフラワーができるだろうし、後者は発育の止まったものしか収
穫できないだろう.。これを立証するには、試してみるだけでよい。すべて育つもの、生き
るものは、これと同じなのだ。なぜこういう効果が生まれるのか?直接当たる陽の光、つ
きに反射する間接的な陽光のためだろうか。もちろんそれもそうだが、それとはまったく
別の、非物質的な理由がある。宇宙の調和だ。純粋に物質的な理由だけでは、なぜ最良の
結果を得るためには、季節や、特定の月、日にちまでも考えなければならないのか、もは
や説明できない。目に見えない、宇宙の影響力がかかわっているのだ。
これだけ長い引用をしたのは、シュワレールのこの言葉が、エジプト人の心理状態だけでなく、
原始人がなぜあれほどに月と太陽にあれほどの注意を払っていたのかについても、一つの
洞察を与えてくれるからだ。完璧な球体の石や、太陽盤を作ったり、後に死者を円形の墓
に埋葬するようになったのは、このためだったのだ。彼らにとって、太陽、そして月は、
現代人には計り知れないほど深い意味を持っていたのである。
313:、
08/12/27 17:10:26 c7ruVsQP
シュワレールは、古代エジプト人のみならず、初期のホモ・サピエンスにとって大事な点をあげている。
彼らは死後のせいというものを当然のことと考えていたのだ。地球上の生は、別の世界で
始まり、また終わる偉大な周期の一部に過ぎないのである。精霊、つまり自然の精霊と死
者の霊は、生きている人々とまったく同じように現実の存在だったのだ。ネアンデルタール人の複
雑な埋葬の儀式は、彼らもまた死後のせいを当然のものとして受け入れていた事をはっき
りと示しており、儀式として行われた喰人も、これと同じだ。喰人をする者は、敵の生命
力の源泉を吸収しようとしたのである。周口店の洞窟で見つかった頭蓋骨にあった穴は、
北京原人も喰人をしていた事を示唆しているが、これも彼らが精霊の存在を示唆していた
ことを示しているのだ。
どんなものであっても、儀式そのものが、単なる動物を超えた知性のレベルを示している。
ある儀式というのは、現実世界の出来事を象徴化しているのである、象徴とはひとつの抽
象的概念だ。この抽象化ができる生き物は、人間しかいない。したがって、もし北京原人
が儀式として喰人を行っていたとしたら、それは彼らが真の人間である事を既に示してい
ると思われる。そして、何らかの意思の伝達なしに儀式を行う事は創造しがたい事から、
彼らは言語能力も持っていたと考えなくてはならないのだ。
先の章で、「脳の爆発的発達」が言語の発達によるものかもしれないという説を考察したが、
その際に、それにはまず、原始人は何を話したのかという点を説明する必要があると指摘
した。儀式としての喰人、つまり宗教の存在があったとの説は、
この問いに対する一つの答えを提供している。北京原人は、妻に対して「もう皿は洗った
のか?」などと訊ねる必要はもちろん無かっただろう。しかし、もし彼らが、シュワレールの提
供するような、一日のあらゆる時刻に独自の「ネテル」(あるいは波動)があり、太陽、月、
そして死者の精霊が生きている存在であるような豊かで複雑な世界にいたのだとしたら、
言語は、言わば練習の対象となるのを待っていた事になる。