正攻法の正規の考古学・百鬼夜行の戦慄のデスマッチat ARCHEOLOGY
正攻法の正規の考古学・百鬼夜行の戦慄のデスマッチ - 暇つぶし2ch179:、無動機単独テロ
08/11/08 09:52:48 wQDoB1Nn
ピルトダウン人、、そのような時代の1909年から11年にかけて、弁護士でありアマチュア考古学者でもあった

イギリス人、チャールズ・ドーソン(Charles Dawson)によってピルトダ、、、              >>

弁護士、、、ですか、、、。大戦前ですね、、。優生学やら、kkkやらの変態どもの時代ですよ、、。

嘘でもいいから、ミッシングリンクのデータが欲しかった訳だ、、、。ローマのペテンの流れの闇の流れのものとみなす事になるが、、

何か、やったろ、、、訴訟の正当化に使うとか、、、その場しのぎの、、。


議論は両極端に分かれていたのだ。偏狭な宗教派か、猿人の支持者か
の、どちらかという状態だったのである。                 >>

精神医療のペテンの処世術には、初めは善と悪、等の対立、次は、進化論の世界観の観念上の対立、次は、
米ソのイデオロギー上の対立などの、破綻の関係を利用し悪化の方向付けを行うところから出発すると言う
人間のものでない常套手段がある、、、。

18世紀初頭にさかのぼる精神医療の収容施設の大義名分の正当化の技術に由来する働きかけのものであるが、、、。
現在にいたるまで、最も影響力を放ってきたものであるには間違いない、、。
それは、グリーン・ランや4・1プロジェクトやプルトニウム人体実験などの意図的な放射能による人体実験、
精神医療や旧731部隊やナチ、による生体解剖や人体実験、大戦後のローマのペテンとインディオの人身御供の
世界規模のヤミの支配体制の確立に関する問題である。

いずれにせよ、精神医療による操作の影響力の表れの情況をうかがうことが出来る、、。

>>172 にもかかわらず、悪戯説はそのまま定着してしまった。   >>

ローマの病気と犯罪を利用したペテンの影響力のものですな、、。かつての田中真紀子の処世術や外交のノリと言うか、、。
URLリンク(ja.wikipedia.org) 田中真紀子

ローマのそのペテンの本領は、田中真紀子系の働きに見る事が出来ると言えるでしょう、、、。
犯罪や病的働きかけのためなら、でっち上げも殺しも何でも出来るんです、、、。
キリスト教の由来や成り立ちを見ればわかるが、そのヤミの大黒柱を為す地位を占めるものなのです、、。

                       (自傷他害行為予告ではない)

180:、ミジンコ
08/11/08 10:19:41 wQDoB1Nn
>>176   、、、ところが、意表を突いて、常識を覆す種類の報告事例がいくつもある意味では、

  、、、簡単に、判定しがたい、、。  
                                               >>
>>179 の精神医療方面の捏造かと思われるでしょ?  ところが、、、、>>43それらは何百例も見つかっているのだ。

 、、、幾らやみ側でも、そんな事まで当時やりましたでしょうかね、、、?


と言う事は、本当にとんでもない奴が、血のにじむような汗水流して桁外れの大規模なヤミの計らいを、大昔から仕組んだか、

それは、何らかの偶然によって大昔の地層に多くの近い古代の遺跡や現代のものが埋没するに至ったか、

本当に大昔の古代の時代に現代人に相当する存在があったかの、いずれかと言う事になってくる、、。

後は、UFO説、現代人による高度な科学技術による捏造のヤミの働きかけのものの可能性、、、。

先ず初めに、ヤミのペテンについて取り組む事と、正当な現状の化石の洞察とそのより正確な見解に焦点を定める

真相や事実の追求が求められる事である。


181:、ミジンコ
08/11/08 10:27:45 wQDoB1Nn
>>178 のデュボアの問題も、>>179方面の話ですよね、、、。

>>180  直ぐに出来る事ですね、、、。

182:、
08/11/08 10:34:55 wQDoB1Nn
ヤミ系は、宗教家にしても、どの業界にしろ、真実によって正すことなく逃げるんですよ、、。

うそを放ったらかして、傅く仕方で、、、、。



183:、
08/11/08 10:43:03 wQDoB1Nn
>>182 あーあ [占術理論実践] ブラヴァッキー >>  大方、最終的にはね、、、。


1911年、カトウィンケルという名の蝶の収集家が、網を手に一匹の蝶を追いかけてきたとき、
ふと足元を見ると、自分が急な断崖から落ちそうなところまで来ている事に気付いた。当
時のドイツ領東アフリカ(現在のタンザニア)にあるオルドバイ渓谷は、周りからはほとんど見えず、谷
底に落ちそうになる地点今できて初めてその存在がわかる。カトウィンケルは、100メートルの
斜面を下り、渓谷には化石のある岩が山ほどあることに気付いた。自分の袋に2、3個入
れると、彼はそれをベルリンにもって帰った。その中に、それまではしられていなかった3つ
の指の蹄を持つ馬が見つかった事を受けて、ハンス。レック教授という地質学者が、同渓谷に赴
いて調査をするよう依頼された。

彼はすぐにいくつか重要な発見をした。古代のカバや、象、カモシカの骨などである。つぎに、
現地人の助手が地面から骨が突き出ているのを見つけた。表面の土をどけてみると、それ
は岩の中に埋まった類人猿の頭蓋骨のように見えた。ハンマーとノミでまわりの岩を取り除かね
ばならなかったが、類人猿ではなく、人間の頭蓋骨である事がわかった。レックは、それが埋
まっていた地層を、約80万年前のものと判断した。

これがもっと最近埋められたという事は考えられるだろうか。レックは最終的にそれはないと
判断した。もし墓場に新たな土が満たされた場合、たとえそれが10万年前のものであろ
うとも、有能な地質学者にはわかる。

どうもレックは、現代人とそう変わらない人類が100万年近く前のアフリカに生息していた事を
立証したように見えた。これがダーウィン主義の教えのすべてに真っ向から挑戦したと言って
しまうのは正しくないが(人類は過去200万年の間に類人猿から進化したとはダーウィンは
言っていない)、ダーウィンが「失われたつながり」の概念を発表して以来、当然のこととされ、
クロマニヨン人の発見でしっかりと立証されたように思われた前提を覆しているように思えた。

184:、
08/11/08 10:51:05 wQDoB1Nn
ベルリンに戻ったレックは、この発見を発表したが、それが巻き起こした反感に驚かされた。い
つものように、専門家たちは、これが太古の人間の祖先かもしれないということを認めよ
うとはしなかったのである。それは、類人猿らしさがなさ過ぎたのた。レックは、つまるとこ
ろ進化論を攻撃していたのである。この頭蓋骨はもっと最近のものでなくてはならなかっ
た。おそらく、わずか5000年前くらいのものだろう、、、、。

第一次世界大戦が、この論争を忘れさせた。だが、アフリカではそうではなかった。ケンブリッジ
大学のセントジョンズ・カレッジの研究員だった人類学者、ルイス・リーキー博士は、1925年、23歳
のときにベルリンに渡り、レックにあって、その頭蓋骨をみせてもらった。かれもまた、これは
もっと最近のものではないかと考えるほうだった。しかし、1931年に、彼とレックは、他
の地質学者とともにその発見場所に赴き、詳細にわたる地層の調査を行った。そして、そ
の同じ地層から(さらにしたの地層からも)発見されたという石器を見て、彼はレックと意見
を同じくするようになっていった。

ある意味でこれは、現代人が第3期に存在していたという、アルフレッド・ラッセル・ウォレスの見解と
変わらぬほど異端であった。リーキーは、デュボアのジャワ原人は人間の祖先ではあり得ないと公
言したのである。そしてそれは、もっと最近の1929年、中国の周口店で発見され、北
京原人と名づけられていた。類人猿のような頭蓋骨も同じだった。もし、同時期に高度な
発達をした生物がいたとしたなら、レックの頭蓋骨のほうが現代人の祖先である可能性は高か
った。

専門家はこれを攻撃した。クーバー、ワトソンという2人のイギリス人の古生物学者はこういった。
完全な形を止めている頭蓋骨がそれほど前のものである事はまずありえない。それに、歯
の詰め物というと、近代のアフリカ人のように聞こえてくる、、、。

そのときまでには、リーキーは、ヴィクトリア湖の近くのケナムとカンジェラで、さらにふたつの発見をし
ていた。ケナムで臼歯を見つけ、カンジェラでは頭蓋骨を3点見つけたのだ。これらもまた、完全
に発達した人間、ホモ・サピエンスのものであるようだった。カンジェラの地層は、40万年から7
0万年前のものだった。言い換えれば、リーキーは、本来の時期よりも4倍も前に存在したクロマ
ニオン人を発見したのである。彼はこれが、レックの頭蓋骨は人間のものであるという自分の見
解をされに立証してくれるものと考えていた。


185:、
08/11/08 17:14:00 wQDoB1Nn



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186:、
08/11/08 17:15:16 wQDoB1Nn
しかし、この時点で、さらに別の横槍が入る。T・モリソンなる教授は、レックの頭蓋骨は近代の
マサイぞくのものだと考えている事を公言していたが、彼はベルリンに赴き、頭蓋骨が発見され
たときに周りにあった物質の一部を入手すると、パーシー・ボズウェルという地質学者に送って
これを調べてもらった。ボズウェルは、リーキーの伝記を書いた著者によれば、「すぐ人に反対し、、、
感情的」で、「けんか腰であることで知られた人物」だったらしい。ボズウェルはこれを調べ、
「ネイチャー」誌に発表したレポートで、そこで第3層(頭蓋骨の見つかった第2層の上にある)
にあるような明るい赤色の小石と、第二層のずっと上にある第5層にあるような石灰岩の
破片を見つけたと主張したのだ。レックもリーキーもこれに気付かなかったというのは奇妙な事だ。
それなのに、この点を指摘する代わり、2人はどちらも納得し、おそらく自分たちは誤っ
ていたのだろうと認めてしまったのである。頭蓋骨は、おそらく埋葬(レックが一番最初に否
定した可能性だ)、あるいはひょっとすると地震の結果として、第3層まで下がってきたの
だろうという見解を認めたのだ。

しかし、1933年の3月、38人の科学者からなる委員会が、カンジェラの頭蓋骨とケナムの顎
を調べ、顎のほうは鮮新世初期(100万年以上前の可能性もある)のものであり、頭蓋
骨は鮮新世中期(50万年前の可能性あり)のものであるとの結論を下したのだった。

ここでふたたび、パーシー・ボズウェルが騒ぎに加わってくる。彼の疑いを受け、リーキーは彼にアフリ
カに来るよう招いた。だが、リーキーは自説を立証できなかった。発見した場所には鉄の杭で印
をつけておいたのだが、現地の人間が、矢じりか釣り針にするために盗んでしまったよう
なのだ。現場の写真も撮影していたのだが、カメラがうまく作動してくれなかった。妻の
友人が撮影した写真を借りたが、それは別の渓谷のものとわかった。そして、詳細な智頭
が存在しなかったため、地図上の正確な場所も記す事はできなかったのだった。これらの
不手際に対し、ボズウェルは反発し、彼の報告も批判に満ちたものとなった。要するに、リーキー
の言う事を信じるのを拒んだのである。

187:、
08/11/08 18:07:58 wQDoB1Nn
URLリンク(ja.wikipedia.org)ルイス・リーキー
URLリンク(ja.wikipedia.org)

ウィキペディアの検索についての詳しい情報は、Help:検索をご覧下さい。
51 件中 1 - 20件目の検索結果を表示  T・モリソン
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永久欠番
60 キロバイト (1099語) - 2008年10月20日 (月) 13:34
アロサウルス

ボズウェルの報告の後、リーキーは、ボズウェルには、頭蓋骨の一つを発見した正確な場所を間違い
なく見せたと反論し、頭蓋骨ナンバー3にぴったりとあう骨の破片を選んでこれを立証し
た。顎については、マストドンとデイノテリウムの化石の発見された場所に関連して見つかったもの
で、どちらも顎が鮮新世初期のものである事を示している、とした。

ボズウェルはこれにまったく耳を傾けようともしなかった。原位置にある顎を見た科学者はい
ないのだから、これは受け入れられないと感じていたのだ。しばらく議論が続き、曖昧な
化学実験が行われた後、専門家たちは、顎と頭蓋骨は、古くても2万年から3万年前のも
のであろうとの結論を下したのだった。

真の問題とは、もちろん、もしもリーキーの発見とレックの頭蓋骨がホモ・サピエンスのものとして受け
入れられたとしたら、人類の歴史そのものが書き換えられねばならなかったという事だ。
ジャワ原人と北京原人は、50万年前に存在した類人猿のような生き物を祖先とする、まっ
すぐな進化の過程を示していたが、リーキーは、これらの生き物はホモ・サピエンスの従兄弟に過ぎ
ず、ホモ・サピエンスの方は、ウォレスが考えていたように、第3紀の時代からずっと存在していた
と示唆していたのである。

レックの頭蓋骨については、リーキーは既に自分の意見を引っ込めていたが、こんどばかりは
頑張った。「ケニアの石器時代人」の中で、ケナムの歯は、アフリカで発見された最古の人類の痕跡で
あるばかりか世界中でこれまで見つかった、真のホモ・サピエンスの痕跡の中でも最古のもの
であると断言したのである。彼の伝記作家、ソニア・コールでさえも、自分お立場を決して変え
ようとはしないこの態度を嘆かわしく思い、これをただの頑固さの表れと見ている。

188:、
08/11/08 18:18:06 wQDoB1Nn
>>186  ボズウェルの呪術だ、、、、。支配力だ、、、。、、、、悪質な、、、。

リーキーたちは、だらしねぇな、、、


しかし、より正統派に近い人類学者たちにとって、これまで最も強力な証拠が見つかろう
としていた。

1924年、ミナミアフリカはヴィットワータスランド大学の解剖学教授、レイモンド・ダート博士の自宅に、ヨハネ
スブルグの南西320キロほど離れたタングという場所にある石灰岩の採石場から出土したと
いう化石が2つの木箱に詰められて届けられた。ダート夫妻は、結婚式のパーティをこれから開
こうというところだったので、ダート夫人は、客が帰るまでは箱の事は忘れているように夫
にたのっだ。しかし、ダートは待ちきれなかった。2番目の木箱の中に、頭蓋骨の頭骨部が
含まれた化石を見つけた。最後の客が帰ったとたん、彼は急いで妻の手編みの棒を借り、
石を取り除き始めた。その作業にほとんど3ヶ月もかかったが、12月23日、遂に岩が
割れ、その顔面を見る事ができた。大きな脳を持ったこの生き物は、信じられない事に、
乳歯の生えた赤ん坊だった。500ccもの大きさの脳がある赤ん坊となると、人間でしか
あり得ない。だが、ダートの考えでは、これが見つかった地層は、少なくとも100万年前
のものだったのだ。

タングの頭蓋骨の骨が、1925年2月7日の「ネイチャー」誌に出ると、彼は一夜にして有名人
となった。これは、「失われたつながり」に間違いないのではないか?

多くの専門家がこれに異を唱え、タング・ベビーは類人猿であると提唱した。高名な権威の一
人、アーサー・キース卿は、ちょっと違う理由からこの赤ん坊が「失われたつながり」だという意
見には反対だった。もしそれが100万年前の存在であり、クロマニオン人が10万年前のもの
なら、とにかくタング・ベビーがホモ・サピエンスへと発達するだけの時間が無い、ということだっ
た。

だがいずれにしても、ダートの頭蓋骨は広く注目を集めた。そして、それに対する論調も変
化していったのである。1931年までには、科学界は彼に反対の立場をとるようになっ
ていた。その年、彼は、北京原人を発見したデヴィッドソン・ブラックとともに、ロンドン・動物学
会で公演した。デヴィッドソン・ブラックの公演は、ヴィジュアルな資料などを用い、きわめて専門的
な質の高いものだった。それに比べ、この赤ん坊の頭蓋骨をしっかりと抱きかかえたダート
は、話もつっかえがちで、説得力が無かった。英国学士院も、彼がアウストラロピテクス
(南の猿人の)となずけた頭蓋骨についての論文を受け入れる事はしなかった。

189:、
08/11/08 18:47:02 wQDoB1Nn
URLリンク(ja.wikipedia.org)レイモンド・ダート
当初から疑惑が無かったわけではない。 ドーソンが自宅で骨を造っているのを見たという話が流れた。 専門家の中でも、ボヘミア(現在のチェコ西部)
生まれの米国の人類学者アレシュ・ヘリチカ(Ale? Hrdli?ka)は、下顎骨は類人猿のものであろうと唱えてピルトダウン人の化石を否定した。
しかし多くの学者は肯定し、イギリス人類学界の大御所であったアーサー・キース卿(Arthur Keith)やグラフトン・エリオット・スミス卿
(Grafton Elliot Smith)などの著名な学者の支持を得たこともあり、ピルトダウン人は現生人類の直系の祖先と認められた。
URLリンク(en.wikipedia.org) アーサー・キース

タートはミナミアフリカに戻り、古巣である解剖学部の仕事に没入した。リーキーと同様、自説を変えた
わけではなかったが、それを自分の心の内に止めておこうと決心したのだ。ダートに暖かい
支持を送っていた一人が、退職した動物学者ロバート・ブルームだった。こんどはブルームが、悠々
自適の生活から市井に登場し、彼のために戦おうと決心した。1936年に、ステルクフォンティン
にある石灰岩の採石場の監督が、頭蓋骨のかけらを含んでいる別の岩をブルームに手渡した。
これは、アウストラロピテクスの大人の女性のものである事がわかった。そして、大腿骨が見つかっ
たが、これは間違いなく人間のものであるようにみえた。1938年には、ある少年が歯
や顎の骨のかけらをポケットにいっぱいに持っているのを見つけ、これらを見て、自分が新種
のアウストラロピテクスを発見した事に気付いたのだった。かれはこれをパントロプス(人間もどき、の
意)・ロブストスと呼んだ。これは、アウストラロピテクスの中でも、菜食をしていた種のようだった。
菜食だったという事実は、これが人間の祖先よりも、動物のほうの祖先である事を示して
いる可能性もあった。

1947年、ブルームはスワルトクランスの洞窟で、新たなパラントロプスの化石を見つけた。また、もう
少し小さくて、より人間らしい生き物も発見したが、こちらのほうはテアレントロプスと呼んだ。
その後彼は、これがジャワ原人や北京原人と同じ種に属すると判断したが、それについては
既にホモ・エレクトゥス(直立原人)という分類をされるようになっていて、現代人の直接の祖先
として広く受け入れられていた。やはりスワルトクランスで発見された石器や骨でできた道具類は、
パラントロプスが間違いなく人間であるらしい事を示していた。

ブルームが活動した事に刺激され、ダートもやはりタイ食生活から戻ってきた。1948年、彼は、
1925年に自分が骨を見つけたマカパンスガットのトンネルに戻ってみた。前回は、火が使われて
いたらしい証拠を見つけたが、これは、アウストラロピテクスが原人であるという彼の意見を立証し
ていた。今回もさらに別の骨や火の使用の痕跡を見つけ、個々に生息した生き物をアウストラロピ
テクス・プロメテウスと名づけた。


190:、
08/11/08 20:09:09 wQDoB1Nn
URLリンク(ja.wikipedia.org) ロバート・ブルーム
URLリンク(ja.wikipedia.org)アウストラロピテクス
URLリンク(ja.wikipedia.org)パラントロプス
しかし、マカパンスガットでは、ダートはそれよりもずっと興味深いものを見つけたのである。そ
こで発見された42個のヒヒの頭蓋骨のうち、47個に何か棒のようなもので殴られた後
のようなものがあったのだ。この棒は、頭蓋骨にくぼみを2箇所作っていたが、「ダートはこ
れがカモシカの前足の上の部分の骨であったとの結論を下した。このことから、アウストラロピテクスは
他を殺すものであり、人類の祖先として最初に武器を使った存在だったという、驚くべき
結論に彼はみちびかれて言ったのである。さらに、南の猿人は、唯一つの理由、つまり、
武器によって殺人を犯す事を学んだために、他の類人猿から一歩進化したという仮説を展
開した。1961年、劇作家でありながら人類学者となったロバート・アードリーが、「アフリカ創世
記」(邦訳 筑摩書房 1973年)と題した本で、この考えを広く一般に浸透させた。その論ずるところは、人間が人間となったのは、殺す事を学んだからであり、その性癖をす
ぐに捨てなければ、人類は自滅するだろうというものだ。

1953年、物議をかもした論文、「捕食による類人猿から人間への移行」をダートが発表し
たその年、大英博物館のケネス・オークリーは、ピルトダウン頭蓋骨をフッ素試験にかけ、それが偽物
だったと発表した。1930年代、アーサーキース卿は、アウストラロピテクスの正当性に疑いを投げかけ
るのに、このピルトダウン頭蓋骨を使っていたが、それはこの頭蓋骨が、「まず知性の存在が先
にあった」ことを示しているかに見えたからだ。その頭蓋骨そのものの信用が失墜したの
で、ダートのアウストラロピテクスに対する反対は、だんだんと影を潜め、彼の「殺す類人猿」説も、
突如として充分あり得る恐ろしい可能性となったのだった。ここにきてやっと、ダーウィンの
「適者生存」を立証するのにぴったりと思われる、進化に関する仮説が登場したのである。

だが、戦いはまだ終わったわけではなかった。ルイス・リーキーもやはり再登場し、妻のメアリーとと
もにオルドバイ渓谷で発掘作業を進めた。その第1層、レックが頭蓋骨を発見した層のさらに一
つ下の層で、小石を砕くための原始的な道具と丸い石を見つけたが、これは、革の紐に丸
石を2,3個くくりつけ、動物の足に投げつける、ボラと呼ばれる狩猟具として使われた
可能性があった。革を加工するための道具であったかもしれない骨まで発見されたのであ
る。

191:、
08/11/08 20:21:29 wQDoB1Nn
その頭蓋骨そのものの信用が失墜したの
で、ダートのアウストラロピテクスに対する反対は、だんだんと影を潜め、彼の「殺す類人猿」説も、
突如として充分あり得る恐ろしい可能性となったのだった。ここにきてやっと、ダーウィンの
「適者生存」を立証するのにぴったりと思われる、進化に関する仮説が登場したのである。 >>

ピルトダウン人をよくもここまで使い込みはったのぉ、、、、。


しかし、1959年、アウストラロピテクス・ロブストスに似た生き物の頭蓋骨のかけらを見
つけたときには、彼はがっかりさせられた。彼の妻も認めている事だが、30年たっても
まだ、彼は、ホモ・サピエンスを見つけたいと望んでいたのだった。この新しい猿人を、
彼はジンジャントロプス(ジンジは東アフリカを意味している)と名づけた。奇妙な事に、そこで見つ
かった道具もすべてジンジャントロプスのものであると彼は判断している。だが、道具を見る限
り、それより高い知性の持ち主を思わせる。

ジンジャントロプスのおかげで、リーキーは、すくなくとも古生物学者たちの間での評価を取り戻す
事ができた。まるでそれは、彼が以前の異端振りを悔い改めたかのようであった。その一
年後、息子のジョナサンが、やはり第一層で、ジンジャントロプスの下にあった別の頭蓋骨を発
見した。その脳はジンジャントロプスよりも大きく(530ccに対して、これは690あった)、
それでもまだ直立原人(800cc)よりは小さかった。その近くで、ルイスとメアリー・リーキーの
夫婦が発見した手と足は、間違いなく人間のものだった。周辺で見つかった道具は、これ
は人間の祖先である事を示唆していた。ダートの提案で、リーキーはこれをホモ・ハビリス(道
具を作る人間)と呼んだ。

リーキーは自分の業績に満足していた。ホモ・ハビリスの発見以前には、古代人類学者は、直立原
人がアウストラロピテクスの直接の子孫であると考えていた。だが、リーキーは、その間にはさまれて、
より人間らしい祖先がいたことを示したのだ。確かにこれは、ホモ・サピエンスの痕跡が鮮新
世初期に見つかるかもしれないという彼の初期の信念からは後退してはいるが、何もない
よりはましだった。実際、リーキーは、まだかつての異端振りを垣間見せ、アウストラロピテクスは、人
間への進化に繋がらなかった様々な特化された発達を見せていると発現していた。


192:、
08/11/08 20:35:08 wQDoB1Nn
URLリンク(ja.wikipedia.org) ホモ・ハビリス
しかし、鮮新世の地層には、初期の人間の少なくとも一部は、道具を作っていた事に疑い
の余地はないことを示す石器が沢山あった。だが、そのような石器がアウストラロピテクスの化石の
近くで見つかることは無かった。

このとき、つまり1960年代後半までには、ルイス・リーキーの息子のリチャードと妻ミーヴが、この
人類の起源の探究に参加するようになっていた。1972年8月、リチャード・リーキーのチームの一
つが、トゥルカナ湖で粉々になった頭蓋骨を発見する。ミーヴ・リーキーの手で再構築されたこの頭蓋
骨は、隆起した額と800ccを超える脳の容量を持ち、アウストラロピテクスよりもずっと人間らし
く見えた。リーキーはその年代を、およそ290万年前と考え、ホモ・ハビリスの新たな標本と判
断した。しかし、もしこれがそれほど前の時代のものであるとしたら、それはアウストラロピテクス
と同時代に生息していたことになる。という事は、アウストラロピテクスは、結局人間の祖先ではな
い事を意味していた。リーキーは、アウストラロピテクスが、ネアンデルタール人のように、前史時代から消滅
してしまったのだと提唱した。

「人間の進化」と題された本の著書、J・D・バードセルは、リチャード・リーキーの発見したホモ・ハビ
リスを、およそ200万年前のものと考えた。だが、ホモ・ハビリスが直立原人に繋がる
というリーキーの主張には頭を悩ませていた。バードセルには、ホモ・ハビリスのほうが、解剖学
的に見て、直立原人よりも「近代的」であり、前者から後者への発達は、退化であるよう
に思えたのだ。彼はどちらかというと、おそらく直立原人は人間の進化の主要な部分では
ないという、リチャードの父のルイスのほうの意見に賛成していたのだ。

より「人間らしい」祖先がいたという証拠は、その跡も発見が続いた。リーキーは、学者仲間
のジョン・ハリスに呼ばれ、260万年以上も前の堆積層にあった像の骨に混ざって見付かった、
人間のものと思しき大腿骨を見せられた。これもまた、アウストラロピテクスのものとは異なってい
て、現代人のほうに近かったのだ。これは、この生き物、ホモ・ハビリスはいつも直立歩行を
していたが、アウストラロピテクスは、そういう時もそうでない時もあったことを示しているとリーキー
は考えた。カリウム・アルゴン鑑定法と呼ばれる技術を使い、この本が見付かった地層の物質(凝
石灰と呼ばれる)を調べたところ、290万年前のものという結果が出たときには、ホモ・
ハビリスこそが、やはりこれまで見つかった中では最も古い人間の標本であるのは確実なよう
に思えた。

しかし、この話には、まだ続きがあるのだ。


193:、
08/11/08 20:56:39 wQDoB1Nn
>>192URLリンク(ja.wikipedia.org)
人間の進化も弁証法だね、、、進化もらせん状に進むんだよ、、、。ちなみにボクのあだ名はサルなんだ、、。
ちなみに、神経症のダーウィンのあだ名はガスだと思った、、、。子供の頃、ガスくさかったらしい、、。
ところがさ、優越感を誇りたい奴や、優生学のばかどもがさ、これを認めちゃったりしたら成立たないだろ?
だから、みんな黙っちゃってさ、、、、、言いたがらないんだよね、、、。
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手塚治虫のクレオパトラのエンディングは、俺たちはサルだぜのセリフの繰り返しなんだ、、、。

194:、
08/11/08 20:59:21 wQDoB1Nn
1973年、シカゴ大学の若い人類学者、ドナルド・ヨハンソンは、ナイロビで開かれた会議に出席し、
そこでリチャード・リーキーと出会った。彼はリーキーに、あるフランス人類学者から、エチオピア北東部の砂
漠地帯のハダ-ルにある、相当見込みのある場所についてきいており、ヒトの化石を見つけ
るべく、自分はこれからそこへ向かうところだと話した。本当にヒトの化石を発見するの
かと思うとリーキーに訊ねられ、彼はこう答えた。「ええ。それもあなたのよりも前の奴をね。」
2人は、この発見にワイン一本を賭けた。

現実には、最初の調査期間は彼にとってうまくいかなかった。ヨハンソンは化石を見つける事が
できず、調査活動を支える補助金もそこをつきかけた。しかし、ある午後、脛骨(すねの
部分の骨)を見つけたのだ。さらに調べてみると、ひざの関節と、上部の骨の一部が出土
した。これらが見つかった堆積層は、300万年以上前のものだった。この発見を報告す
る論文で、ヨハンソンは、これが400万年のものである可能性と示唆し、彼がなぜこれが原人の
ものだと考えるかの理由をあげた。この発見は、さらに2万5000ドルの追加の補助金
をもたらしてくれた。

1974年11月30日、ヨハンソンと同僚のトム・グレイは、ハダールの別の場所を調査していた。
気温が40度にも達しようとするなか、そろそろ作業をやめる準備にかかっていた。しか
し、ヨハンソンはその日、なぜか一日中「ツキがある」と感じていたので、既に調べを終えていた
小さな峡谷をもう一度調べてみようと言い張ったのだった。そこで彼は、猿のものらしき
腕の骨のかけらを見つけた。さらに周辺を調べたグレイは、頭蓋骨のかけらと、大腿骨の一
部を見つけた。頭蓋骨のほかの部分も見つかったとき、二人は勝利の踊りに狂喜した。そ
の後で、キャンプに戻ってこれを祝いながら、ビートルズの曲「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤ
モンズ」をかけていたとき、彼らは自分たちの発見した生き物(小さめだった事から、女性
と考えられた)を、ルーシーと呼ぶ事にしたのである。カリウム・アルゴン鑑定法は、ルーシーがおよそ3
50万年前のものであることを示していた。

翌年、ハダールの丘で、ヨハンソンと彼のチームは、13体以上のヒトの骨を見つけ、これらを「最
初の家族」と名づけた。すべて、ルーシーと同じころに生息していた事もわかった。また、オルド
バイ渓谷のものよりも質の高い武器も見つかった。ジョン・ハリスが、これらの道具は地表近く
で見つかったため、近代のものである可能性があると異論を挟むと、ヨハンソンはさらに発掘作
業を進め、およそ25万年前の地層の中に、原位置にあるままの石器を新たに掘り出した
のだった。


195:、
08/11/08 22:36:56 wQDoB1Nn
URLリンク(ja.wikipedia.org)アウストラロピテクス・アファレンシス
アウストラロピテクス・アファレンシス 1977年、ルーシーの発見で知られるドナルド・ヨハンソンとティム・ホワイトは彼らの発見した
化石の詳細な形態 ... 初めての膝関節の化石で、1973年11月にドナルド・ヨハンソン、ティム・ホワイトらのチームによりエチオピアの[[ア ...
13 キロバイト (138語) - 2008年10月9日 (木) 01:06

ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ ... は人類学上の発見にも影響を与えた。
1974年11月30日に[[ドナルド・ヨハンソン]]およびトム・グレイは[[エチオピア]]の[[アワッシュ川 ...


彼はリーキーに、あるフランス人類学者から、エチオピア北東部の砂
漠地帯のハダ-ルにある、相当見込みのある場所についてきいており  >> ひっかかるな、、、。

およそ25万年前の地層の中に  >>  およそ250万年前の地層の中に、、でした、、。

まぁ、あえて、言うほどのものじゃないでしょ、、。  、、、この場合は、、、。他にも間違えた書き込むがあるが,,,


どうもルーシーと「最初の家族」は、間違いなくヒトであるようだったし、そればかりか、リーキ
ーのホモ・ハビリスよりも前に存在していたらしかった。この時点では、ヨハンソンは、ルーシーがアウストラロ
ピテクスで、「最初の家族」はホモ・ハビリスの一種であると考えられる方向に向かっていた。リチャー
ド・リーキーは、ルーシーはおそらく「後期のランピテカス」、つまり、初期の類人猿で、人間の祖先で
ある可能性はほとんどないものであると思っていた。しかし、その後ヨハンソンは、ティモシー・ホワイ
トという古生物学者に説得され、自分の発見したものは、すべてアウストラロピテクスの一種である
と考えるようになった。このとき彼は、ハダールのグループを、アウストラロピテクス・アファレンシス(アファール
砂漠の、の意)と呼ぶ事にした。

したがって、結局どうもこれが、原始人の科学が到達した結論であるようだった。人類は、
過去350万年かけて進化したもので、まずは類人猿のようなアウストラロピテクス・アファレンシスがい
た。100万年後、これがアウストラロピテクス・アフリカヌス(ダートの原人)に進化した。そして、ホモ・
ハビリスが登場し、ホモ・エレクトゥス(直立原人)、そして最後にホモ・サピエンスとなる。この系統図は、
確かに満足のいくものだし、きちんと完成してもいる。

196:、
08/11/08 22:45:16 wQDoB1Nn

だが、まだ疑問が残る。アウストラロピテクスは、道具を作る存在とはされていないのに、「最初の
家族」の発見場所では道具が見つかっている。結局、「最初の家族」は、ホモ・ハビリスの一団
であり、ホモ・ハビリスはアウストラロピテクスと共存していたという事は考えられるだろうか。

今ひとつの発見が、この疑問をさらに深める。1979年、メアリー・リーキーは、オルドバイ渓谷の
南30キロにあるラトエリにいた。そして、彼女の息子のフィリップと、調査隊のもう一人の退院
が、火山灰についた動物の足跡にまじって、ヒトの足跡があるのを発見したのだ。カリウム・
アルゴン鑑定法によると、これは380万年前のものだという。なのにその足跡は、「高い土
踏まず、丸いかかと、前を向いた親指、その付け根のふくらみなど、直立歩行に必要な特
徴」を持つ、典型的な人間のものだったのだ。

300年近くを経たというのに、どうもショイヒツァーの見つけた、例の「罪人」の問題は、ある
意味では今も昔も変わらずあやふやなままであるようだ。


197:、
08/11/09 04:55:26 cfsR6IHR
222 KB




198:、ミジンコ
08/11/09 04:57:52 cfsR6IHR
URLリンク(ja.wikipedia.org)
俺たちは、サルだぜ、、、、て、、
   ∧_∧  ∧_∧
  _(´∀`) (´∀`)
三(⌒)_  ノ⊃(    ) 手塚治虫
   ̄/ /) ) | | |
  〈_)\) (__(_)

 、、、そりゃ、、、
  ∧_∧  ∧_∧
  ( ´∀) (´∀`)
≡≡三 三ニ⌒)   )
  / /) ) ̄| | |
`〈__)_) (__(_)
どういうことヤネン、、、、
  ∧_∧  _∧_∧
 (  ´)ノ );)∀`)
 /   ̄_ノ"   )
C  /~  / / /
/ / 〉 (_(_/
\_)\)
ヤミ系手塚治虫の
ヴォケがーー! ヽl//
 ∧_∧(⌒) ―★―
(   ) /∥ /|ヽ
(/   ノ 川 | ヽ
(O ノ 彡  |
/ / 〉
\_)_)
青いブリンクが途中で終わっちゃうし、、、。

199:、ミジンコ(自傷他害行為予告でない)
08/11/09 05:25:07 cfsR6IHR

手塚さん、、、ヤミの人体実験の操作から来ていたんですね、、、。

解る事になる奴、、、。

、、、、どうあがいても、ヤミのものはヤミのもの、、、。

、、、だとすると、やはり、きわめてヤバイ情況ですね、、、。

旧731部隊の末裔が取り仕切る双葉ちゃんのサイトを見ても、、、。


200:、ミジンコ(自傷他害行為予告でない)
08/11/09 05:37:01 cfsR6IHR
スレリンク(soc板:472-485番)


あーあ [占術理論実践]スレリンク(uranai板)l50x

、、、、AA板の連中を見ても、、、

、、、芸術家、、、クロマニオン人、、、、恐らく、、、クロマニオン人ということは、ヤミのものになるのかな、、、?

まだ、クロマニオン人って、詳しい事が解っていないので、なんともいえないが、、、ユリ・ゲラーや

他の人を見ても振り返ってみると闇ではないなと思われる人もいるし、、、。

、、、芸術家というのは、大きな問題でして、やはり、精神医療や軍事や刑事が芸術教育にまで至らないと、

芸術を運用できるような教育であるとは言いがたいといわざるを得ないと言うか、、、。


201:、無動機単独テロ(自傷他害行為予告でない)
08/11/09 05:44:22 cfsR6IHR
>>158-160   >>198-200

人体事件と芸術は、切り離せない印象が付きまとう、、、。



202:、無動機単独テロ(自傷他害行為予告でない)
08/11/09 05:54:49 cfsR6IHR
芸術が人体実験と切り離せない繋がりの関係にあるのは、刑事上、軍事上、精神医療上、の見解から、

明らかになりつつあるのは、自明である、、。



203:、
08/11/09 09:52:11 cfsR6IHR
>>193 ちなみにボクのあだ名はサルなんだ、、。

サルとはいわれてないかも、、、。知恵ある獣とか、たとえば、ゲーテからは、聖者の衣を

よだれで汚したとか、いろいろな人から、なぜか非難を受けてきた人だったと思う、、、。




204:無動機単独テロ(自傷他害行為予告でない)
08/11/09 09:57:38 cfsR6IHR
アニメは、ダメだ、、、ウォルト・ディズニーも、、、こいつもヤミ系だ、、、。



205:、ミジンコ
08/11/09 10:02:17 cfsR6IHR

写真も絵も作り出した分は」、責任を持つ種類の問題だ、、、。

やはり、その種類の差し引きや制約を受ける、、、。 それが、芸術と言うのもだ、、。

また、芸術以前の普遍的な問題としての意味でも、、、。


206:、ミジンコ
08/11/16 11:26:23 73lXe4/s
>>126 「はい、ダーウィンさん、残念、、、ハズレです、、、。不可知論者としては妥当ですが、迷惑すぎましたね、、覚えてろよ#」 >>


確かに、そうなんですけど、その前にダーウィンは病人なんですよね、、、。そいつを配置して使い込んだ奴も責任は大きい、、、。

と言う事はやはりそれは、特に精神医療・インディオ・ローマ関係、、、。


207:、ミジンコ
08/11/16 15:30:52 73lXe4/s
URLリンク(ja.wikipedia.org)

よく見てみると、どの種類の猿人も少なくとも2種類が共存していた事が明らかとなってくる、、。

とりあえず、WIKIとコリンさんの著作で纏めてみると、、、、



208:、ミジンコ
08/11/16 15:32:09 73lXe4/s
>>113-118
1000年、、、アヴィセンナ 板面好きな自然の冗談
ルネッサンス ダヴィンチ イタリアであってイタリアのものでない人。孤立超然 脊椎動物
ヨハン・ヤコブ・ショイヒツァー 1705年 トカゲの脊椎動物を人のものと主張、、。

>>119-122
ベノワ・ド・ マイエ
1715年、マイエは「Telliamed
(彼の名前を逆に読んだもの)」と題された本を出し、生命の芽は宇宙からやってきて、徐々
に海洋生物へと発達したとした。魚が陸に這い上がり、鳥や動物へと発達した。これらは、
すべて何百万年もかけておきたことであるというのだ。しかし、マイエは、自分が生きている
間はこの本を出版しないことにした。

>>122-127
1780年、ドイツ陸軍の医師、フリードリッヒ・ホフマンが、
オランダのマーストリヒト近郊にある白亜石の採石場を歩いていると、白亜石の中に大きな「龍の」
頭蓋骨が見えた 
僧侶ゴダンへ返還  自然科学者ジョルジュ・キュヴィエによって研究された。 恐竜 天変地異説
ウィリアム・スミス 化石を含む地層を32種類区別可能と主張、、、。地質学
エルンスト・シュロツハイムの1820年の発見  人の刃と二つの人骨。
1823年に、頭のない人間の骨がウェールズのパヴィランドにあった古代地層から発見された
マキナリーという聖職者が、デボンにあるケント洞窟で、マンモスの骨の間から古代の道具を発見する
ジャン・パブティスト・ラマルクの自由進化論とともにキュヴィエによって否定、、。

>>128
1832年法廷弁護士であり、熱心な地質学の学究の徒でもあったチャールズ・ライエル「地質学原論」
すべてはゆっくりとした侵食で説明することができたのである。
天変地異論者、洪水主義者や、宗教原理主義者 と対立、、、。


>>128-131地球史の仮説

209:、
08/11/17 16:05:41 ezqymSWP
人類史 (エキストラを含む、、たとえば>>43とか、、、)

>152 1820年  エドワード・ラルテ プルカディエで石器が沢山、、。プシェール・ド・ペルテ そこで
明らかに人間の手で作られた手斧、削る道具やキリなども発見していたチャールズ・ライエル
ラルテ 1837年に、おそらく1500万年前の第3紀半ばのものである類人猿のような生物
の頭蓋骨の破片を発見した。これはその後、「ドリオピテカス」と名づけられた

>43 1847年、フランク・カルヴァートという考古学者が、角のある動物やその他の図像が刻まれた
マストドンの骨を発掘した。だが、それは2500万年前の中新世の地層にあったもので、その彫
刻が人間の手によるものであるはずがない

>43 1849 年のカリフォルニアのゴールド・ラッシュの後、鉱員達はわけのわからない異物を数多く発見
した。それ は、900万年前の岩石に深く食い込んだ石の乳房や、3800万年前のものとされ
る、金を含んだ結晶の塊の中に埋め込まれた鉄の釘などだ。  何百例

>150 1856年 ネアンデル  ヨハン・フルロット  ネアンデルタール人 40万くらい
>172 カリフォルニアのテュオラムニ郡のテーブル・マウンテンの地下から、人間の全身の骸骨が見つかり、その
近くにあった骨や歯の中に、マストドン(象に似た古生物)の歯もあった。これは、この骨が、
500万年以上も前の中新世までさかのぼるらしい事を意味していたのだ
1857年、この骨が、500万年以上も前の中新世までさかのぼるらしい事を意味して
いたのだ。これとは別の頭蓋骨のかけらが、やはりテーブル・マウンテンで、マストドンの骨の近くに
見つかった。ホイットニーは、同じ山の地中から出土した、人間の顎の骨と石器を調べたが、こ
れは900万年前のものである可能性があった。ブレイサー郡にあるミズーリ・トンネルで見つかった
人骨は、800万年以上前に、堆積した地層からのものだった。ホイットニーはまた、エルドラド郡
のクレイ・ヒルにある鮮新世、あるいはもしかすると中新世の地層から人骨を発見していた
こうした「第3紀原人」に関する証拠を集めて、1880年に、「化石あふれる砂利
層―カリフォルニア州シェラ・ネヴァダ」と題された一冊の本を出版した。

>175 チュオラムニで見つかった石器 3500万年以上も前の砂利の層で見つかった、原位置に
ある乳鉢、あるいは乳鉢と乳棒の両方が、これと同じ深さの地層で発見されたケース、それに
キング乳棒とよばれている乳鉢が、990万年以上も前の地層から見つかる


210:、
08/11/17 16:11:51 ezqymSWP
>159 1859年、ドン・マルセリーノ その正確な日付は不明だが、アルタミラの壁画

>153 1860年の9月、アリエージュ県のマサーで、彼は古代の台所のゴミの山を発見し、その中か
ら洞窟熊の絵が描かれている牡鹿の角を発見した。3人の若者、一人の女性と赤ん坊を含
む、6人のクロマニオン人
1864年、ラルテは、手斧でつけた傷があるマンモスの牙を見つけた。

>161
1866年に、カリフォルニア州のカラヴェラス郡にあるボールド・ヒルという場所で、地表か
ら43メートル地下にあった砂利の地層から、人間に類するような頭蓋骨の一部が、その
鉱山の所有者だったマティソンによって発見された。この地層は、200万年以上も前の鮮新世
の時代のもののようだった。地質学者J・D・ホイットニーはこれを調査し、カリフォルニア科学評議会
に、確かに鮮新世の地層から見つかったものであると報告した。

>154 1868年、ラルテはヴェゼール渓谷での新たな発見のことを耳にする クロ=マニオン洞窟   レ・コンバイユの洞穴

>177 1888年 ユージン・デュボア ジャワ島 ピテカントロプス・エレクトゥス
>178 G・フォン・ケニングワルドが約39万年前と立証
>177 1891年、ウォレスはハリソンに会いに行き、彼の石に深く興味をそそられた。高名な地質学
者 であったジョン・プレストウィッチ卿と同様に、ハリソンの旧石器や原石器は、道具を作る動物が何
百万 年も前から存在していたことを間違いなく立証しているとウォレスは考えたのである。

>43 1891年6月、イリノイ州のある主婦が石炭の塊を割ったところ、立派な金の鎖が出てき
た。鎖の半分は依然として石灰の中に埋もれていたが、その石灰はおよそ300万年前のも
のだった。

>161 1907年、ハイデルベルク近郊の砂坑から発見された顎の骨は、ネアンデルタール人の生
きていた時代を、およそ15万年前まで逆戻りさせた。

211:、
08/11/17 16:19:19 ezqymSWP
>148 1908年 チャールズ・ドーソン 英国のイースト・サセックスにあるピルトダウンという場所で、古代の人間の頭蓋骨を発見したと発表したのだ

>183 1911年、カトウィンケル オルドバイ渓谷 ハンス・レックが100万年前に類人猿が生息していたと推定。

>43 1922年、ジョン・リードという炭鉱技師が、縫い目まで確認できる人間の靴の後ろの半分の化
石を見つけた。コロンビア大学(ニューヨーク)の教授たちは、それが発見された岩は3畳紀のもの、
つまり2億1300万年以上前のものだと述べた。また彼らは、この化石が驚くほど人間の靴
に似ている、とも認めている。

>188 1924 ヴィットワータスランド大学の解剖学教授、レイモンド・ダート博士 タングという場所に
ある石灰岩の採石場から出土 100万年前の赤ん坊の人間 アウストラロ・ピテクス

>184 1929年、中国の周口店で発見され、北京原人と名づけられていた
1931年 ハンス・レックの推定に ルイス・リーキーが同意 石器を確認 その後、リーキーは、ヴィクトリア湖
の近くのケナムとカンジェラで、さらにふたつの発見をしていた。ケナムで臼歯を見つけ、
カンジェラでは頭蓋骨を3点見つけたのだ。これらもまた、完全に発達した人間、ホモ・サピエンス
のものであるようだった。カンジェラの地層は、40万年から70万年前のものだった。言い
換えれば、リーキーは、本来の時期よりも4倍も前に存在したクロマニオン人を発見したのである

>186 1933年の3月、38人の科学者からなる委員会が、カンジェラの頭蓋骨とケナムの顎
を調べ、顎のほうは鮮新世初期(100万年以上前の可能性もある)のものであり、頭蓋
骨は鮮新世中期(50万年前の可能性あり)のものであるとの結論を下したのだった。

>189 1936年に、ステルクフォンティンにある石灰岩の採石場 パラントロプス(人間もどき、の
意)・ロブストス  動物学者ロバート・ブルーム
1947年、ブルームはスワルトクランスの洞窟 テレアントロプス 直立原人
1948年 マカパンスガットのトンネル アウストラロピテクス・プロメテウス

212:、
08/11/17 16:25:02 ezqymSWP
>190 1953年大英博物館のケネス・オークリーは、ピルトダウン頭蓋骨をフッ素試験にかけ、それが
偽物 だったと発表した

>191 1959年 リーキー ジンジャントロプス530cc
1960年 リーキーの息子 ホモ・ハビリス690cc

>192 1972年8月トゥルカナ湖で粉々になった頭蓋骨を発見する。ホモ・ハビリス 290万年 800cc

>194-196 1973年、シカゴ大学の若い人類学者、ドナルド・ヨハンソン
1974年  アウストラロピテクス・アファレンシス(アファール砂漠の、の意

したがって、結局どうもこれが、原始人の科学が到達した結論であるようだった。人類は、
過去350万年かけて進化したもので、まずは類人猿のようなアウストラロピテクス・アファレンシスがい
た。100万年後、これがアウストラロピテクス・アフリカヌス(ダートの原人)に進化した。そして、ホモ・
ハビリスが登場し、ホモ・エレクトゥス(直立原人)、そして最後にホモ・サピエンスとなる。この系統図は、
確かに満足のいくものだし、きちんと完成してもいる。


213:、ミジンコ
08/11/17 17:35:49 ezqymSWP
エキストラの説明だけは、まだ終わっていないけど、どうしましょうか、、?

URLリンク(ja.wikipedia.org) 地球史年表
URLリンク(ja.wikipedia.org) 人類の進化
URLリンク(ja.wikipedia.org) 古生物学
URLリンク(ja.wikipedia.org) 地質年代

このリストは時系列順に並んでいる:

サヘラントロプス    チャドの、600万年~700万年前の地層
サヘラントロプス・チャデンシス オロリン オロリン・トゥゲネンシス

アルディピテクス   610万から580万年前の中新世
アルディピテクス・カダバ  アルディピテクス・ラミダス 

アウストラロピテクス   約540万~約150万年前
アウストラロピテクス・アナメンシス アウストラロピテクス・アファレンシス アウストラロピテクス・バーレルガザリ
アウストラロピテクス・アフリカヌス アウストラロピテクス・ガルヒ

パラントロプス  200~120万年
パラントロプス・エチオピクス パラントロプス・ボイセイ パラントロプス・ロブストゥス

ケニヤントロプス
ケニヤントロプス・プラティオプス

ホモ・ 250年前~現代
ホモ・ハビリス ホモ・ルドルフエンシス ホモ・エルガスター ホモ・ゲオルギクス ホモ・エレクトゥス
ホモ・セプラネンシス ホモ・アンテセッサー
ホモ・ハイデルベルゲンシス ホモ・ローデシエンシス ホモ・ネアンデルターレンシス ホモ・サピエンス・イダルトゥ
ホモ・サピエンス(クロマニヨン人) ホモ・サピエンス・サピエンス ホモ・フローレシエンシス

214:、ミジンコ
08/11/17 17:59:02 ezqymSWP
コリンさんもWIKIも似たようなものでしょ、、、。

それなら問題は、エキストラですね、、、。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
問い合わせ: "テーブル・マウンテン" (全ページ/リンク元)
移動: ナビゲーション, 検索
項目名とは一致しませんでした
検索した名称のページは存在しませんでした。全文検索を試みます。    >>出ませんね、、、。

シエラ郡 (Sierra County) 、、、なし、、。

URLリンク(ja.wikipedia.org)(%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%82%A2%E5%B7%9E)エルドラド群、、、なし

プレイサー郡 (Placer County) 、、、なし、、。

チュオラムニ、、、、なし、、、。

カリフォルニア州には、エキストラがあるが、記載は無いようですね、、、。

フランク・カルヴァート、、、なし、、、。

せめて、仮説ぐらいはあっても、、、。

215:、
08/11/17 18:27:49 ezqymSWP
、、、、おかしいぞ、、、、何故か、エージがうごかない意味で、書き込み途中投稿が出来なくなってるが、、、。

仕方なく、新しいネットを開いてとりあえずこうして書いているんだが、、、。


216:、ミジンコ
08/11/17 19:07:17 ezqymSWP
一回、強制終了、、、。

シエラ郡,,, グーグル検索で出ますね、、、。でも、化石について触れたきじゅつは見当たりません。

他は、大体、名詞ぐらいは出るんですけどね、、、。

つまり、検索では調べようもなさそうです、、、。


>>43のマイケル・ペイジェントの「古代の遺跡」関係の話は、ネットでは調べようがなさそうですが、

テレビでやっていましたよね、、、。とある地域の地形のジオラマが古代の遺跡から見つかったとか、、、。

その意味では、恐らく、本当でしょう、、、。

後は、アンビリバボーで、巨人の骨とか足跡とか、、、、。恐竜の時代から居たらしい、、。

なにやら酸素が濃密で、巨大な肉体が可能だった時代だとか言っていた、、、。

カブレラストーンと言うのも紹介されていたが、捏造であるとWIKIでは記述されている、、、。

しかし、捏造と言う記述が本当か、わかりにくいものがある、、。何だってでっち上げの情報操作で成立ってきた意味では、、。

どんな主張もへたにまに受けられないんです、、、。特に、キャトルミューティレーションが一番きわどい、、、。

ところで、>>43は科学的分析はしたの? これほどの話だったら普通、言うよねぇ、、、。

乳棒や鉄のくぎの件に関しては、自然現象でありうるんじゃないでしょうか? 何でコリンさんほどの人がそういうんでしょうか?

マストドンの骨の彫刻だって自然現象で起きませんでしょうか?

金の鎖の件は捏造できませんかね、、、?

靴の足跡も岩石による跡によって起きませんかね、、?

乳棒の件は、使い古した痕があるとか聞いたような覚えもあるが、、、。困ったなぁ、、。何百例だよね、、。

217:、ミジンコ
08/11/17 19:36:15 ezqymSWP
早い話、宇宙人の地球訪問を引き合いにすれば、それで済む問題ですけど、、、。

確かに、現在でも宇宙人は痕跡を残すんですよね、、、、。

後は、それが人のものである可能性の場合、何を意味するかですよねぇ、、、。

2億年前と言うと恐竜が絶滅したあたり、、、恐竜が絶滅しても人が生き残った?

>>140-144ミッシングリンク   >>157-170 過去から現在にまでいたる異種族の共存

、、、そして、退化と進化の弁証法>>193

ちょっと、恐竜の時代にサルは居ないでしょう、、、。ミッシングリンクと言う事は、人間の出現は、

つまり、サルから人間に至る時に、早く人間になったものと遅れて人間になったものに分かれるものと考えられる、、。

ひょっとすると、その場合、恐竜の時代にサルや猿人が居た可能性があるか、靴を履く知的恐竜が居たのかもしれない、、。

シュタイナーの言うレムリアは、爬虫類のはずですからね、、、。いや、レムリアでなくても、それ以前の進化段階は、アトランティス以前は、動物ですからね、、。

、、、ちょっと、考えられないか、、。人間の出現は、アトランティスに起こったと言っている意味では、、。

と言う事は、人間ではないが、現在の人間と同様の振るまいをする機械的な動物が偶然に出現しうる事が起こりうる

と言う世界の作りを教えているのか、、、、?でも、ダヴィンチを見てみると、次元を事にしてそういう事が起きうるような気は

しないわけではない、、、。一部の人間が神を越えたことについて扱う事がありえれば、

動物が現在の人がしうる事をなすことが何らかの理由によって起こりうることがあるのかもしれない、、。

現在の人間には、はるかかこのものが含まれる事もあれば、そのなかにはるか未来のものも含まれる事もありうるはずである、、。


218:ミジンコ
08/11/17 20:24:56 ezqymSWP
石器を使う猿人と使わない猿人が共存していた時代があることは、既にわかっている、、。

同様に知的な恐竜とそうでない経竜が居たか、恐竜と猿人・人であって人ではない動物人間が共存していた可能性、、。

ひょっとすると、未進化の猿人と進化を初めから先に遂げていた人が、全体的人間としての人として繋がったのがアトランティスなのかもしれない、、。

現在は、原始から現在にいたるいろんな種族が共存していると言う見解は否定できまい、、。

先ず、異種族の共存と言う考え方は、平行世界・パラレルワールドとその交流と言う見方が出来るかもしれない、、。

また、現在の人間には、はるかかこのものが含まれる事もあれば、そのなかにはるか未来のものも含まれる事もありうる

というのは、重層性の問題なのかもしれない、、、。  
スレリンク(mental板:311番)重層性
スレリンク(mental板:265番)平行世界
重層性は、平行世界として隔たった異なる複数の次元にまたがる性質のものであることを示す有様、、、。

一つの存在も人の見方によって、様様異なった姿をとると言うのは、量子力学やゲーテの色彩論テーマでもある、、。

スレリンク(rikei板:286番)平行宇宙
スレリンク(rikei板:280番)シュレディンガーの猫 自然科学はおとぎの世界をさまよう有様です。

ファンダジーの問題ですよね、、、。特にエルフとか、、。見方によってはコウモリに見える人相はあるが、

もともと人間の表情や人相は、相手次第で変わるものです、、。私は、二度ほど変なものを見た覚えがある、、。

スレリンク(sm板:315番)
スレリンク(uranai板:426-435番)

魚みたいな顔になった奴と、コウモリみたいな顔になった奴、、、。 多重人格と言う問題もあるし、、。

情況や見る相手や見方によって、変容する奴、、、。

それぞれの種類の人間がそれぞれの種類の人間の影響に応じて姿を変えるというか、、、。

それに応じて能力も急激に変わっていく事が起こりうるのかもしれない、、。

サルだが,一時的にある範囲で人になったり、科学技術を駆使するようになったり、空を飛べたり、、。

UFOの宇宙人の影響を受けたり、神や悪魔の影響を受けるとか、、、。

219:、
08/11/18 07:58:03 ypkSazEo
ただし、その存在の物質的な痕跡は、骨格だけが屍骸では残るように自然法則が成立っているとか、、。


、、、、。キーワードは、ミッシングリンクの異種族の共存、重層性と平行宇宙、、、ですね、、、。




220:、
08/11/18 08:00:41 ypkSazEo












221:、禁じられた考古学
08/11/18 08:02:00 ypkSazEo
それにしても、人類が出現したのが、200万年前か、1000万年前か、あるいはもっと前で
あっても、いったいどんな違いがあるというのか。

アウストラロピテクス・アファレンシスが、およそ350万年前かかってホモ・サピエンスに進化したという仮説を
受け入れるならば、別にまったく違いは無い。

というのも、問題は、時間の経過、ということなのだ。
アーサーキース卿は、タングの頭蓋骨について、「人間の祖先の系譜に属するには、時間的に見てそ
の登場があまりに遅すぎる」と書いた。その時点では、タングの頭蓋骨は、100万年前のもの
考えられていたので、この類人猿のような生き物がホモ・サピエンスになるのに、90万年では時
間的に無理があるとキースは考えたのだ。

しかし、たとえルーシーが、それよりもずっと初期の人類の原型であったと考えたとしても、
問題はまだ残る。ルーシーと「ダートの赤ちゃん」との間に流れた200万年ほどの年月では、変
化らしい変化はほとんど無い。両者とも類人猿であることも考えられるのだ。50万年前の
直立原人でさえ、まだ類人猿らしいところがある。それなのに、その後わずか40万年、地
質学で言えば、瞬きの一瞬にしか過ぎないこれだけの時間で、ホモ・サピエンスが現れ、現代
人よりも大きな脳を持つネアンデルタール人が現れるのである。

が、そうではなくて、もしレックやリーキーがただしいとすると、ホモ・サピエンスは200万年以上も存
在していたことになり、時間の経過は、はるかに信じやすいものになる。メアリー・リーキーは、
ラテオリの足跡についてこう書いている。「、、、、、少なくとも360万年前、鮮新世の時代に、人
間の直接の祖先と考えられる存在が、2本の足でまっすぐに立ち、地上を闊歩していた、、、、、
その足の形状は、私たちのものとまったく同じだ。」そして、人類の進化で大事なのは足の
形であるため(その生き物がいつの木の上から地上に降りてきたかを示す)、これは極めて
大きな重要性を持つ。

222:、
08/11/18 08:20:40 ypkSazEo
人間お足を持つ人が300万年以上前に存在していたとすると、文明は歴史学者が考えてい
るよりも何千年も前から存在していたという、この本の論点に対して有益な指示を加える
ことになる。一見これは馬鹿らしいことのように聞こえる。何百万年という単位の話をし
ているときに、どうして数千年が問題になるのか?だが、ここで問題の核心となっている
のは、人間の精神の発達なのだ。ナイジェル・コールダーは「タイムスケール」の中で、人類学者のT・ウィ
ンを引用し、心理学者のジャン・ピアジェの開発した試験を、タンザニアのイシミラの石器(ウラニウム鑑定
法によると、これは33万年前のものであるとの結果が出ている)に引用してみると、これ
を作ったものは、現代人と変わらぬ知性のレベルの持ち主だったことを示しているという
のだ。

これは直立姿勢の生物が360万年前に闊歩していたという、メアリー・リーキーの言葉と変わらぬ
ほど驚愕する概念である。もし高度な知性を持つ生き物が33万年前に歩き回っていたなら、
彼らはなぜそれを用いて何かをしなかったのか?例えば弓矢を発明するとか、絵を描くと
かである。だが、実はこの問い自体が妥当なものではない。発明というのは、難題に直面
した結果として生まれる傾向があるのだ。それがないと、ものごとは、昨夜やその前の日
とまったく同じように進んでいきがちなのである。広漠とした環境に離れ離れに生息して
いる小さな人の集団は、ちょうど、いまから数世紀前に、隔絶された遠い村々に住んでい
た人たちと同じ立場にあったといえる。彼らは信じられないほど限られた偏狭な生活を送
っていたに違いない。各世代は、その父、祖父、曽祖父たちとまったく同じことをしてい
たことだろう。それは誰も新しい考えをするものなど居なかったからだ。19世紀のロシアを舞
台にした小説に出てくるようなむらをまず想像し、その退屈さや偏狭振りを10倍にしてみ
れば、人間がどうして何十万年も変わらないままでいることができるのかわかってくるだ
ろう。

言い換えれば、高度な知性を持った人間が、ひたすら同じ稚拙な石器を作り続けていた可
能性もあるということで、それはわざわざ別のことをする理由も無かったからなのだ。直
立歩行はたしかにある種の強みを与えてくれる。ヒトは、サルや犬に比べて遠くまで見ること
ができるし、両眼が頭の両側ではなく、並んで位置しているということは、距離感覚がよ
くなり、狩猟においては強みとなる。しかし、もし新たな難題が出現しなければ、直立歩
行している生物といえど、100万年たとうとも何か変化がおきねばならないという理由は何
もないのだ。

223:、
08/11/18 08:30:42 ypkSazEo
それでは、もっと明らかな反論についてはどうか。つまり、もし300万年ないし400万年
前に人類の祖先が大地を歩いていたとするなら、なぜこの化石が見つかっていないのかと
いう疑問だ。その答えは、(著書「湖の人々」にある)リチャード・リーキーの言葉に見出すことが
できる。「もし、これまで発見された私たち人類の祖先(そしてその生物学上親戚)の化石
すべてを、ひとつの部屋にわざわざ集めたとしても、、、、大きなテーブルが2つもあれば、そ
れを全部広げることができてしまう。」先史時代の大地を歩いていた何百万の人のうち、私
たちの手元にあるのは、わずか数片の骨にしか過ぎないのだ。。

だが、今の状態でも、そのテーブルには、レックの頭蓋骨やリーキーのカナム顎骨など、きわめて興味深
い証拠があり、人間は、私たちが考えているよりも長い間存在していたことを示している
のである。

1976年、マイケル・A・クリモという政治学専攻の若いアメリカ人の学生が、ヒンドゥー教の一つの形
態である、ガウディヤ・ヴィシュヌ教を教える、フロリダ州のヴァクティヴェダンタ研究所の一員となった。
スワミ・プラブパーダという名で知られるクリモの導師は、彼に対し、ホモ・サピエンスが、普通考えら
れているよりも何百万年も前から存在していたことを立証しようとする見地に立って、古
代人類学を研究してはどうかと示唆したのだった(プラブパーダは、翌1977年にこの世
を去った)。

宗教的な理由から科学研究を始めるというのは、考えるだけで疑惑の念がわいてくるのも
仕方の無いことだ。進化論の是非が問われたテネシー州でのスコープス裁判、あるいは今日でも進
化論に反対している現代の再生キリスト教徒のことが思い起こされる。だが、ヒンドゥー教の基本
的な考え方を、キリスト今日の一部に当たる教条的な形とひとくくりにしてしまうのは間違え
である。ヒンドゥー教というのは、驚くほどドグマのない宗教だからだ。その最も基本的な信
念は、サンスクリット語で言う「タット・トゥヴァム・アシ」、「汝、ただあるなり」、つまり、個人の魂の本
質(アートマン)は、神の本質(ブラフマン)と同一のものである、ということだ。キリスト教では、「神
の王国はあなたの内にある」という言葉が、普通これと同じ事を表していると考えられて
いる。

つまり、ヴェーダンタ哲学(ヒンドゥー教の基本哲学)の中核を成すのは、現実の精神的/霊的な
本質を信ずるという、非教条的信念なのである。したがって、クリモの与えられた研究課題を、
聖書の創世記の記述に反するからといって、キリスト教原理主義者がダーウィン主義の誤りを
照明しようとするのにたとえるのは正しくない。ヒンドゥー教で創世記に当たるのは、お
そらく世界最古の文学作品であるヴェーダ聖歌で、ヴェーダについての論表であるヴァガヴァッ
タ・プラーナにつは、人類はこの地球上に、「ユガ」と呼ばれる膨大な周期を4回繰り返すだけ
の時間、存在しているとかかれている。一つのユガは、「神人の年」数千年であり、神人の
一年というのは地球の360年に当たることから、4回のユガ周期の合計は432万年とな
る。

224:、
08/11/18 09:01:55 ypkSazEo
誰が、ヤフー関係が、操作をやってる、、、?

しばらくの間、何故か、原因不明のムデムのランプの点滅があって、つながらなかったんですけど、

天候もおかしくないし、、、。

ペースを壊す働きかけだとか、西太后のタイミングのやり方だよな、、、。



225:、
08/11/18 09:04:56 ypkSazEo
こんな事があったのは、8月4日前後以来かな、、、、。



226:、
08/11/18 09:08:52 ypkSazEo
やってられねーな、、、30分きっかりだな、、、。

恐怖の占い    百期夜行の地獄スレ [占術理論実践]

工事が来なくなったかと思えば、今度は、ネットの中断か、、、、。

、、、あの手この手だな、、、、。


227:無
08/11/18 09:11:27 ypkSazEo

>>224


、、、、、一部の人は気付いていると思うが、やはり、オカルトだ、、、。



228:、
08/11/18 09:41:21 ypkSazEo

やだねー、、、どことどこが、どういうつながりになっているか解らないでしょ?

ネットは闇のものですかね、、、今は、、、。

スレリンク(sm板:561番)-565

恐らく、人工衛星のサーチくらいに、網の目になっている、、、、。

  、、、化学から魔術まで、様様な方面から、、、。



229:、
08/11/18 15:17:58 ypkSazEo
>>223
スレリンク(mental板:263番) ウパニッシャド教
URLリンク(ja.wikipedia.org) ユガ
しかし、クリモは、バガヴァッタ・プラーナの正しさを「証明」するのではなく、ただ古代人類学の
証拠を調べ、それを客観的に評価するよう依頼されていたのである。

彼と、数学者、科学者である同僚のリチャード・L・トンプソンは、その後、数年かけて、人類の
起源についての証拠材料を調べることになる。最終的に、2人の著書「禁じられた考古学」
は、1993年に出版される。この本は、ダーウィン主義に賛成あるいは反対の立場で論陣を
張るものではなく、古代人類学の歴史の徹底的な研究である(その長さは900項を超え
る)。

クリモは、1859年に「種の起源」が出版されてから、1894年にジャワ原人が発見され
るまでの期間、先史時代の人類についての研究報告がほとんど無いことにいたく好奇心を
そそられた。19世紀後半から20世紀初頭の人類学の文献を調査してみると、この期間
の論文は、その多くについて悪い評価が下されていることが分かった。このことから、研
究報告は実際には数多くあったのだが、新たに確立されたダーウィン主義の正統派の観点を否
定していたために、無視されていたのだと彼は気付いた。脚注などからこういった論文の
所在を突き止め、その各地の大学図書館で元の論文を探し出して、やっとこれらの報告を
目にすることができたのだった。

彼らの著書に引用されている何百という例の中から、ここにいくつかあげてみよう。

1870年代初期、フォン・デュッケル男爵は、アテネ博物館で、骨髄を取り出すために意図的に砕
かれた痕跡のある動物の骨に興味を惹かれた。その中には、絶滅した三つの指の蹄を持つ
馬、ヒバリオンのものもあり、砕かれた破片の角がとがっていたことから、それは動物の歯で
徐々に噛み切られたというよりは、思い意思で砕かれた可能性が高いことを示しているよ
うだった。フォン・デュッケルは、発見場所の、ピケルミという村に行き、ほどなくして、こういう
砕かれた骨を山ほど発掘したが、それは、中新世後期の地層であることに疑いの余地は無
いという立場彼であった(中新世後期といえば、確実に500万年以上前である)。


230:出土地不明
08/11/18 17:22:16 ypkSazEo
博物館でこの骨を展示品として選んだアルバート・ゴードリー教授は、「確かに、人間の手で砕い
たときと似たような砕け方をした骨を見つけることがたまにある」と認めた。そして、こ
うも付け加えたのだ。「でも、そのことを認めるのは、私にとって難しいことなのです。」
他の学者たちは、これらの骨はハイエナのような動物によって砕かれたのだと主張した。

ちょうどこのころ、1872年地質学者のエドワード・チャールズワースは、ちょうど現代の南海の
島の人々がするように、ネックレスを作るためであるかのごとく穴が開けられたサメの歯
を王立人類学学会で見せた。これが見つかった地層は、200万年前から250万年前の
ものであった。リチャード・オーウェン教授は、「人間による機械的な作用」が可能性としては一番
高いとの意見を述べた。もちろん、アウストラロピテクスは、装飾品は使っていない。チャールズワースは、

穿孔性の軟体動物の可能性は否定していたのに、学者たちは、これらの穴は、磨
耗、腐食、そして寄生物の組み合わせによってできたものだとの結論を下したのである。

1847年、考古学者のフランク・カルバートは、中新世の時代に人間が存在していた証拠を発見
したと発表したのだ。ダルダネユにある断崖で、彼はディオテリウムかマストドンのものである骨が、「角
のある4足獣」の絵の一部として埋め込まれているのを、7,8点のほかの絵とともに見
つけたのだ。チハチェフというロシア人の地質学者も、この地層は中新世のものであるとの意
見に賛成だった。だが、カルヴァートはアマチュアであるとみなされていたため、この発見は無視さ
れた。

ここでは要点だけをあげているに過ぎないが、クリモは、このほかに何十という例を記してい
る。その中で最も印象深いのが、カルロス・リベイロのケースだ.

前章で、カリフォルニア州のでの発見に関連して名前の出てきた地質学者J・D・ホイットニーの書いた
文献の中に、クリモは、1860年代にいくつか興味深い発見をしたというポルトガル人の地質
学者、カルロス・リベイロという名前が何回か出てくるのに気付いた。しかし、リベイロの研究など
は図書館では見当たらなかった。やっと、ガブリエル・ド・モルティエの「先史時代」に、リベイロの
話が出てくるのを見つけ、その脚注から、フランスの考古学者や人類学の学術誌に載ったリベイロ
の記事を難点か探し出すことができた。

231:、
08/11/18 17:43:10 ypkSazEo
URLリンク(ja.wikipedia.org) マストドン
三畳紀(さんじょうき、Triassic)は、現在から約2億5,100万年前に始まり、約1億9,500万年前まで続く地質時代である
中新世ーーー約2,300万年前から約500万年前までの期間ーーーの地層の時代に、、、、。
ディオテリウムかマストドンのものである骨が、「角のある4足獣」の絵の一部として埋め込まれているのを、
7,8点のほかの絵とともに見つけたのだ。


二人が発見したのは、リベイロはそこらのアマチュアではないということだった。彼はポルトガ
ル地質調査委員会の会長だった。1860年代初期には、ポルトガル各地の第4紀地層(つま
り洪積世)で見つかった石器を調査していた。タグース川流域にある第3紀の石灰岩層で火打
石の石器が見つかっているらしいと聞くと、彼は急いでそこに向かい、自分でも発掘作業
を始めた。水平より30度以上傾いている石灰岩層の深い位置から、彼は人の手が加えら
れた火打石を見つけたが、これには当惑した。この層は、人間の手工芸品が出土するには
古すぎるのを知っていたからだ。このため、報告書では、この地層は洪積世のものに違い
ないと記述した。

1866年度のポルトガル地質層地図で、リベイロがこれらの地層を洪積世と呼んだ事について、
フランスの地質学者エドワール・ド・ヴェルネールからクレームがついた。これらの層は、一般に鮮新世と中
新世のものとされている、というのだ。

同時に、フランスはオレルアン近郊のテネイにおいて、高名な研究者であるルイ・ブルジョア僧院長の手によ
って、さらに興味深い発見がなされていた。ここの火打石は粗野なつくりではあったが、
層院長の意見では間違いなく人間の手によるものだというのである。そればかりか、中に
は火と接触した痕跡を持つものもあったとの事実は、この見方を指示しているように思え
た。

さて、ブルジョア僧院長は、ダーウィン革命のずっと以前、1840年代半ばから火打石を探し求
めてあちこち発掘していたので、その石が中新世(2500万年前から500万年前まで)
の地層から出土したということについても別に気にもとめていなかった。しかし、186
9年にパリでこれを公開したとき、他の学者たちは面白くなさそうだった。

232:、
08/11/18 18:16:22 ypkSazEo
報告書では、この地層は洪積世のものに違いないと記述した。 、、、、>>172関係の話で、、
この層は、人間の手工芸品が出土するには古すぎるのを知っていたからだ、、、、>>でも、何百例の話、、。
                            でっち上げたって、、。単なるデクノボウ
とにかく中新世に石器があっても驚く必要は、もはやないね、、、。ルイ・ブルジョアも出ない、、中新世石器支持派はwikiも黙殺ですね、、


彼らの最初の反論は、これは手工品ではなく、「自然産品」だというものだ。しかし、火打
石に人の手が加えられたことを見分ける簡単な方法がいくつかある。地中に見つかる自然
のままの火打石は、丸い表面を持っていて、普通の石となんら変わらないように見える。
だが、火打石と普通の石との違いは、それを斜めに打ち付けると、前者は一部がはげおち
て、平らな面を残すという点だ(衝撃が波上の表面を残すこともままある)。

火打石道具を作る第一歩は、片側の丸い面を打ち落とすことだ。この平らな面は、火打ち
台と呼ばれる。その後、デリケートに、高い技能で繰り返し打ってやる必要がある。この結果、
普通見られるのが、「打たれ球」、手足にできるマメにような小さな隆起だった。小さなかけ
らが落ちて、傷の形をした穴(eraillureかすり傷)を残すことも良くある。両側がナイフ状に
なっていて、しかもこれらの特徴がある火打石は、確実に人間が手を加えたものである。
激流のそこを転がったり、鍬がぶつかったりしたものは、どこと無く人間が作ったのと似
たようなものを生み出すかもしれないが、普通専門家は人目でこれを見分けることができ
る。

ブルジョワの場合のように、そのような火打石が何十とあるときには、それをすべて「自然産
品」として説明するには困難が生じてくる。ジョン・プレストウィッチ卿(のちにベンジャミン・ハリソンの
スポンサーとなる)が、これらの石は表層で見つかったので、もっと近代のものである可能性
があると反対すると、ブルジョワはさらに深い層からこれらの石を見つけてきた。批判的な向
きが、これらは台地の上にある裂け目から深い地層に落ちたのではないかと示唆すると、
ブルジョワは台地を掘り下げ、30センチの厚みのある石灰岩層を見つけると、人の手になる
火打石が「さらに古代の」地層に落ちるのをこれが妨げたことを示して、それを論破した
のだった。

233:、
08/11/18 18:28:38 ypkSazEo
リベイロがこのことを耳にしたとき、彼はダグース川の流域の層を第4紀のものと呼ぶのをやめ、
第3紀であることを認めることにした。そして、中新世の地層で見つかった、人間の手で
加えられた火打石について、公に語り始めたのである。

1878年のパリの博覧会では、リベイロは自分の発見した火打石、それに石英でできた「道
具」など95点を展示した(この博覧会では、ドン・マルセリーノ・デ・サウチュオーラがアルタミラの洞窟を
探索するきっかけとなった)。ド・モルティエはこれらを調べ、その内73点は疑わしいと思っ
たものの、22点については、人間の加工の痕跡があると認めたのだった。クリモが指摘する
ように、これだけのことを認めるというのは、ド・モルティエとしては、かなりのものである。
何しろ彼は、第3期に人類が存在したという考えには根本的に反対だったのだ。そして、
のちにサウチュオーラが食わせ物であると非難した一人であるエミール・カルティラックは、これらの火打石
を見て興奮し、友人に見せるために、何度も展示所に戻ってきていた。ド・モルティエは、ムステリ
アン期の道具(ネアンデルタール人によって作られたもの)の中でも、より下等なものと考えられる、
としていた。

当時は、ヘーケルが、「失われたつながり」は、鮮新世、あるいは中新世後期にさえ見つかるだ
ろうと提唱していたのに対し、ダーウィンは、5500万年前に始まった始新世までさかのぼ
る可能性さえあると語っていたことをおぼえておく必要がある。このため、カルタイラックなどの
者たちは、自分を異端者と感じる必要はあまり無かったのである。

1880年、リベイロは、リスボンで開かれた国際人類学・考古学会議で、さらにべつの火打石
をいくつか示し、ポルトガルの第3紀に存在した人類について論文を書いた。会議は、カルタイラッ
ク、ド・モルティエ、それにネアンデルタール人は痴呆者の骨だと断言した有名なドイツのルドルフ・ヴィルハウ
を含む数人の地質学者からなる調査団を任命し、地層を見てくるように命じた。1880
年9月22日、彼らは朝6時にリスボン発の特別列車で出発し、車窓から見えるジュラ紀や、白
亜紀その他の地層を互いに指摘しあった。リベイロが相当数の火打石が発見したモンテ・レドンド
につくと、何班かに分かれ、調査を進めた。地表では、手が加えられた火打石が数多く見
つかったが、イタリアのG・ベルーチは、中新世初期の地層で、全員が「手が加えられている」こ
とで意見が一致した火打石を、原位置にある状態で発見したのである。


234:、
08/11/18 18:37:22 ypkSazEo
その後、会議の席上で行われた討議では、人類が中新世に存在していたことをリベイロが立証
したという、実質的な合意が出来上がっていた。リベイロについては、人々が考えを変えたわ
けでもなかったし、科学界が突然非難をし始めたということもなかった。デュボアによるジャ
ワ原人の発見(これまで見てきたとおり、これ事態も激しい議論の対象だ)の後は、リベイロ
の見解、それに彼の発見した証拠は、ただ忘れ去られてしまったのである。彼の火打石が
中新世のものであるというのが誤りだったと証明した者も、なぜ中新世の地層で見つかっ
たのかについて、説得力ある理由を提示したものもいなかった。ただ、自然に記録から消
えていくままに放置されたのだった。

1880年の夏の後半、プレシア工科大学のジュゼッペ・ラガゾーニ教授は、ブレシアの南東10キロ
にあるカステノドーロにいた。そこにある低い丘、コーレ・デ・ヴェントのふもとに露出したという鮮
新世の地層にある貝の化石を見に来たのだった。

貝の中から、彼は頭骨の上部のかけらを見つけたが、それは青い粘土で固まった珊瑚が詰
まっており、近くからは胸骨や四肢の骨が出てきた。

一緒にいた二人の地質学者は、これが人間の骨であることは間違いないと見てはいたが、
比較的最近の埋葬のものであると考えていた。だが、ラガゾーニはこれに満足してはいなかっ
た。鮮新世の時代、この丘のふもとには、暖かい海が打ち寄せていたことを彼は知ってい
た。骨は珊瑚と貝殻で覆われていた。ということは、つまりそれは鮮新世の海によって海
岸に打ち寄せられていたのである。のちにラガゾーニは、同じ場所でさらに2点の骨のかけら
を見つけた。

その15年後、同地の事業家であるカルロ・ジェルマーニが、リンの含有量がのどかな粘土を肥料と
して売ろうとこの土地を購入したため、ラガゾーニは、骨に気をつけるように頼んだ。5年後
の1880年1月、ジェルマーニの作業員が、下顎の一部と数本の歯とともに、頭蓋骨の一部を
見つけた。さらに続いて破片が発見された。そして、2月になると、人間の頭蓋骨全体が
出土した。ほんの少し歪んでいたが、それは明らかに地層の圧力によるものだった。これ
が復元されると、頭骨は現代の女性の胸と見分けがつかなかった。それは海洋性の泥に埋
まっていて、上のほうの地層にあった黄色の砂や、赤鉄色の粘土は混じっていなかったの
である。それを覆っていた粘土そのものもいくつかの層を形成していたことから、この頭
蓋骨は長い時間をかけてゆっくりと粘土に埋もれていったということが分かり、この頭蓋
骨が、川の流れの作用で青い海粘土の層に紛れ込んだという可能性は退けれられた。この
地層を調べた地質学者たちは、中新世の半ば、約350万年前のものと判断した。ルーシーや
最初の家族と同じ時期だ。

235:、
08/11/18 18:45:35 ypkSazEo
ただ、自然に記録から消えていくままに放置されたのだった。 >> ちょっとねぇ、、、どういうこと、、、何ていったらいいか、、


1883年、ローマ大学の解剖学者、ジュゼッペ・セルジ教授がこの現場を訪れ、そこにあった様々
な骨は、男性一人、女性一人、それに二人の子供のものであるとの結論を下した。188
0年に掘られた溝はまだそのままそこにあり、くっきりとわかれた地層をすべてはっきり
見ることができた。埋葬という可能性については、その女の頭蓋骨は、うつぶせの姿勢に
なっていたことから、その可能性も低いことをはっきりと示したのだった。

したがって、ホモ・サピエンスが鮮新世に存在していたという、疑いようもない証明が之で確立
されたかのように見えた。

しかし、新たな問題が生じる。1889年、カステノドーロでべつの頭蓋骨が発見された。これ
は仰向けになって牡蠣の貝殻の層の上に横たわっていて、埋葬されたかのように見えた。
セルジが再び、同僚の教授アーサー・イッセルを伴ってやって来た。二人ともこの頭蓋骨は埋められ
たもので、したがって比較的最近主のであるということで意見が一致した。なのにイッセルは、
これについて書いた論文で、それまでに発見された骸骨も、おそらく農作業によって掘り
返された、最近の埋葬によっるものであることを立証したとの結論を下したのである(そ
れまで発見された骨とは何の関係もないのだから、このようなことが立証されたなどとい
うことは一切ない)。彼はまた、セルジもこれと同じ意見であるとも付け加えたのだった。こ
れで、地質学から見れば、カステノドーロで発見される骨は、すべて第四紀のものとして退けら
れることが可能になってしまったのだ。

しかし、後に彼自身が明言しているように、セルジはこの意見には賛成していなかった。前
に発見された骨が鮮新世であるという見解を変える理由などまったくないと彼は考えていた。

マイケル・クリモは、さらに考古学者のR・A・S・マカリスター教授が1921年に書いた文章を引用し
ている。マカリスターは、まずラガゾーニとセルジが、かなり評価の高い人物であったのを認めるとこ
ろから文を起こし、したがって、彼らの意見には真剣に耳を傾けなければならない、とし
ている。そしてさらに、こうつけくわえているのだ。「どこかで何かが間違ってしまったに
違いない。」鮮新世時代のホモ・サピエンスの骨は、「長期間にわたる進化のプロセスの停止」を
暗示しているため、それがどんな証拠であろうとも、初期に発見されたカステノドーロの骸骨は
許されないのである。クリモはこれを、先入観念をもって証拠を見ることだとしているが、こ
れは妥当な見方だ。もし、ホモ・サピエンスか、それに属する生物が鮮新世に生息していたとす
るなら、人類は過去400万年間あまり進化したとは言えず、これはダーウィンの進化論に反
することになる。でもそれを言うなら、1億5000万年前の間変わらずにいるサメもまた、
進化論を否定しているのである。

236:、
08/11/18 19:19:48 ypkSazEo
>>234 中新世の半ば、約350万年前 、、、中新世の半ば、約3500万年前
ホモ・サピエンスが鮮新世、、、現代人に通じる奴のホモも人科の現生人が、、、。
と言う事は、アウストラロイテクスなどの見かけ上の退化とその資質の進化を目的として居たんじゃないか?
進化論の否定か、、、。進化の弁証法なのか進化論は架空なのか、、、オシロスコープのサインカーブのような波のような振る舞いの問題ですかね、、?
確かに、特にサメは、、、。教授アーサー・イッセル、、、犯罪者、、。 235の人物は、全員WIKIにはありません、、、。


洞窟に絵を残した芸術家たち、クロマニオン人の世界を描いた「氷河時代の秘密」(secrets of  
the ice Age-1980)で、エヴァン・ハンディガムはこう書いている。

アメリカ東部における最近の発見は、確かに興奮を誘うものではあるが、ひとつの重要な事実
をぼかしてしまう傾向にある。それは、人類の黎明期の時代は、急速度で起きる変
化と才能の開花ではなく、ほとんど考えられないほどの停滞と惰性の連続であるというこ
とだ。初期の人の特性のいくつか、特に歯と顎の形態は、何百万ものあいだ基本的に変わ
らぬままだった。それに、200万年もの長い間、脳の要領が600から800ccで、
ほぼ一定だったことは特に驚かされる(現代人の平均の半分をわずかに超えるレベルだ)。

脳の要領自体が必ずしも知性を判断する基準にならないことは説明しておくべきだろう。
現代人の平均は1400ccだが、これよりもずっと小さい脳を持つ人が高い知性を持つこ
ともむろんありうる。アナトール・フランスの脳は1000ccしかなかった。そして、もちろん、
ネアンデルタール人は1000ccの脳を持っていたのだ。したがって、800ccの脳を持った人類
の祖先は、現代人よりも明らかに知能が劣るというのは必ずしも正しくない。

ハディンガムの本に出てくる今ひとつの話は、一つの教訓としてとらえるべきだろう。オーストラリア
のムンゴ湖の近くで、「現代人」を埋葬したものとされる、約3万年前の墓が発見された。そ
れは、洞窟壁画で使われた物質であり、ネアンデルタール人が多量に用いてもいた赤黄土に埋めら
れていた。しかし、カウ沼という場所では、身体的に見てそれよりもずっと原始的な人々
の化石が見つかった。彼らは紀元前1万年、つまりムンゴ湖の人々よりも、二万年後に生息
していたことがわかったのだ。これらの2つの種類の人間、現代人と原始人は、共存して
いたのである。だから、とクリモは論ずる。200万年前、アウストラロピテクスと、それよりも現代
人に近い人類が共存していたことも可能なのだ。証拠はある。レックの骸骨、ケナムの顎、ラテオリ
の足跡、それにリベイロの発見、カステノドーロの骸骨、さらにJ・D・ホイットニーが述べている、カリフォル
ニアのテュルオルムニ・テーブル山での数多くの発見などだ。それなのに、これらの証拠は、今日の古
代人類学者によって信憑性が無いものとされているのである。

クリモは何も、ホモ・サピエンスが10万年前よりもずっと長く存在してきたという証拠を押さえ込
もうとする科学界の陰謀があるなどと言っているのではない。彼の趣旨は、現代の人類学
は、単純で、科学的に一貫性のある「人類史の物語」を作り上げ、この極めて分かりやす
いシナリオに対する修正は、きちんと考慮しようとしないということなのだ。

ではほとんどの歴史学者が承認するであろう、その「シナリオ」を、一度個々で要約してみよう。>>7-19

237:、タイガードラゴン
08/11/18 19:47:27 ypkSazEo
>>236 ネアンデルタール人は1000ccの脳を持っていたのだ、、訂正→、、ネアンデルタール人は2000ccの脳を持っていたのだ。

、、、そして、全てそこでまとまっていますね、、、それをそのまま恐竜の時代にまで拡大する事が出来るんです、、。

、、、恐らくさらに地球生成のところまで拡大するとシュタイナーの進化論同様の神と悪魔と人間の世界成立ちのの全貌までが見えてくるようになりそうだ、、。

、、、そこの記述には、その意味を既に含んでいるんですよ、、恐らく、、、。後は、UFOとダヴィンチの重層性を加えれば全てパズルがおさまる事になる。

、、、コリン・ウィルソン氏もトリック型の天才ですね、、、ダヴィンチ級の、、、。あの人、犯罪も超常現象も全てやっちゃってるから、、。完璧な意味で、、。


以上が、一応「正統派の歴史」とよべるものであろう。そして既に見てきたように、これ
は多くの疑問を残したままである。

ハプグッドは、「古代海洋王国の地図」の中で、これに対する大掛かりな反論を提示している。
つまり、およそ7000年前、南極大陸に氷が無かったころに、世界を股にかけた海洋文
明が存在していたという証拠があるというものだ。これまでのところ、ピリ・レイス地図をは
じめ、他のポルトランの地図は、「正統派の歴史」には何か重大な誤りがあるという強力な証拠
となっている。

しかし、もしこの議論が、ただ文明の起源を数千年逆戻りさせるだけのためだとしたら、
探求の価値があるとはとてもいえないだろう。それは、人類が百万年やそこら長く存在し
ていたかもしれないと提唱しようとするのも同じことである。人類が200万年前から存
在していようが、1000万年前からであろうが、ハプグッドの海洋文明には、実質的に関
係のないことだ。

教科書に記されたものに代わる「別の歴史」が意味するもの、それがきわめて重要なので
ある。

クリモが示唆しているのは、現代人と身体構造が似通った生物が、中新世あるいはひょっとす
るともっと以前に存在していた証拠があるっということだ。

238:、ミジンコ
08/11/18 20:18:33 ypkSazEo
、、、コリン・ウィルソン氏もトリック型の天才ですね、、、ダヴィンチ級の、、、。
あの人、犯罪も超常現象も全てやっちゃってるから、、。完璧な意味で、、。>>そして、2ちゃんと私の医療の切れ味のパーツが揃った、、。

2ちゃんは、コリン・ウィルソンとCCHRと私の人体実験たたきと私の奇形児スレと占いで成立っているようなものですよ、、、。
コリン氏は、人体実験の闇の操作の真っ只中の時代の人ですからトリックスターであらざるを得ない、、。
cchrは、人体実験たたきの先駆者だが、社会的制約の元のハンデがある、、。そこに、さらに、ひろゆきの2ちゃんの
掲示板のサイトをしたい放題に実力行使で押し通して投稿するミジンコの私が、一通り悪質な操作を覆し段階に区切りをつけようとしていると言えそうだ
そのまま、シュタイナーやゲーテやダヴィンチと修正されつつ繋がっていく、、。後は、このまま普通に一般の人が直に触れて自由に感じ取る、、、


>>237
、、、アトランティス文明、、、。地球科学、、、地質、、地形の問題、、、これが一番苦しい、、、。

、、、特に、2ちゃんで、凄い激論になるかと、、、、。ハプグッドは、隕石によって地球が逆さになったとか言っている人です、、。

、、ハプグッドより、私やコリン氏の方がもっと凄い事を言っている事になるし、既に見つかっている化石事態がハプグッドより過激のようだ、、



239:、
08/11/18 20:30:56 ypkSazEo
>>238 閲覧者や投稿者や職員の中には不満を抱かれるものも居るかもしれないが、それでも、世の中は皆ミジンコで成立っている、、。

もしこれらの仮定上の生物の身体構造が私たちと似ていたとするなら、彼らは直立歩行を
していたことになり、それは両手を自由にする。という事は、たとえそれが原始的な石器
であったとしても、何らかの道具(古石器)を使っていたことを暗示している。道具の使
用は知性を要求するだけでなく、それを発達させる傾向がある。道具を使う事で解決でき
るかもしれない問題に直面すると、道具を使うものは、さまざまな可能性を考慮し、自分
の知性を駆使するのである。

ならば、彼らは、なぜもっと早くホモ・サピエンスへと発達していかなかったのか。それ
は、私たちが機械的な繰り返しで生きる傾向があるからだ。水と食物などの基本的なニーズ
が満たされれば、私たちはなにか新しい事をする必要は感じない。現代の実験で、サルに手
話で意思を伝えたり、絵を描いたりするのを教える事が可能であるのが解っている。彼ら
はそれに必要な知性を有しているのだ。では、なぜ進化の過程でこういった能力を発達さ
せてこなかったのか?それを教えるものが誰もいなかったからだ。単なる知性を持つのと、
それを適切に使用するのとでは雲泥の差がある。ピアジェの知性テストによると、33万年前の
道具を作った者たちの知性が、現代人と変わらないという、ウィンの記述にこの点は明確に現
れている。

それでは、50万年前の人類のほうは、なぜそれほど急速に進化し始めたのか?もしかす
ると、これについてはアードリーが正しく、外部的な要因、例えば地球全体をテクタイトが覆うほど
の大規模な爆発が、何らかの遺伝子の突然変異をもたらしたのかもしれない。だが、それ
だけでは、すべての答えをあたれてはくれない。ネアンデルタール人が現代人よりも大きな脳を持
っていたのは、これまで見てきたとおりだが、それでも彼は、ホモ・サピエンス・サピエンスに発達
していく事はなかったのだ。

もしも人間が、突如として道具を使う力を発達させたのなら、これが明らかな説明となる。
しかし、ヨハンソンの「最初の家族」は、これより300万年前原始的な道具を既に使っていた
のだ。それに、天候の変化が一つのチャレンジの役割を果たしたという説明もできない。
というのも、洪積世の天候は、その時点で既に150万年間続いていたからである。

240:、
08/11/19 07:38:03 lZD4P5/K
いまひとつの、いかにもありそうな仮説は、50万年前の人間は、言語を発達させ始めた、
というものだ。つまりそれは、ただうめくよりは高度な言語、という意味だ。しかし、こ
れも明らかな反論が出てくる。いったい彼らは言葉で何を言おうとしたのか、という点だ。
原始的な狩猟者の共同体は、言語の必要性という意味では、狼の一団とそう変わらないだ
ろう。言語は、社会がある程度複雑化したことに対する反応として発達する。例えば、新
しい技術はすべて新しい言語を必要とする。しかし、原始社会には新しい技術がなかった。
このため、言語仮説も、道具仮説の場合と同じ反論の餌食となってしまうのである。

ハンガリーの人類学者、オスカー・メアスは、答えは喰人にあるかもしれないという、興味深い仮説を
掲示している。1929年、古生物学者のパイ・ウェン・チャンが、周口店の近郊の洞窟で、人類
の最古の祖先の頭蓋骨の化石を発見した。それは人間よりもチンパンジーのように見えたが、
友に発達をしていたテイヤール・ド・シャルダンは、歯は何か猛獣のものではないかと考えた。頭蓋
骨の額は突き出し、肩の部分は大きく隆起して、額は突っ込んでいた。しかし、脳はチンパン
ジーの倍の容量(800cc)があった。さらに、四肢、頭蓋骨、歯などが発見されていくに
連れて、この動物は直立歩行をしていたことが明らかになった。最初は、これこそが長い
間捜し求められてきた「失われたつながり」であるかのように見えたが、それはすぐに誤
りである事がわかった。この「北京原人」は、火の使い方を知っており、好んだ食べ物は
鹿肉だった。そして、50万年前に生きたこの生き物は、真の人類だったのだのである。

それはまた、人喰いをする者でもあった。周口店で見つかった40点の頭蓋骨は、すべて
首の付け根で切断され、そこにできた割れ目から手を入れて脳を取り出せるようになって
いた。調査の責任者であった科学者のフランツ・ヴィディンライヒは、これらの生き物は生きたまま
殺され、洞窟に運び込まれて、焼かれて食べられたのは間違いないと考えている。では、
誰に食べられたのか。それは、他の北京原人と考えられる。周口店のほかの洞窟では、クロマ
ニオン人の化石が見つかっているが、ここでも喰人の証拠が見られたのである。


241:白からす黒ひつじ
08/11/19 08:36:57 lZD4P5/K
私は、喰人なら、意味は解るがDSMの属性で無関心に冷酷に殺す働きかけの鬼畜サイトがあるが、その意味が解らない、、。

優生学は喰人では説明がつかない、、、。喰人は、ある種の高度な性行為の共同の営みの進化に通じるものに相当するが、

優生学は、そういうのではなく、離反であり孤立であり衰弱で消耗で退化のものといわねばならないでしょう、、、。

敵の脳を食べる事も味方の脳を食べる事もあったはず、、、。クロマニオン人にとっては、ネアンデルタール人や北京原人の共同行為が

体験において対等でなかったものと思われる、、、。それと、部族内のシャーマンというものも体験において対等でないと言う特殊な運命に没頭する

種類の人間の発生が起こりうる世界の仕組みについて示している、、、。その意味で精神病は昔からあったはずである、、、。

何時の原始人であっても目に見えぬ精神生活があり、その複雑な不可視の領域に注意が向いたために、

外面上の営みの変化や肉体の複雑な発達は極力避ける傾向があったものと思われる、、、。

シャーマンの存在による集合的運命的錯覚からクロマニオン人が生じ、ある種の利己的権力がそこから生じ優生学に繋がったものと思われる、、。

恐らくネアンデルタール人の発生は、不可視の領域から本人そのものへと注意が向き始めたことを意味しそうだ、、。

つまり、未発達な猿人とは異なり、不可視の領域での営みは完了した事の表れと見て取れる、、。


242:、
08/11/19 08:39:58 lZD4P5/K
ネアンデルタール人もやはり喰人をしていたことを示唆する証拠もある。メアス自身、アジアのあるレスト
ランで、猿の脳みそを生で食した次の日には、自分の脳に暖かい感触があり、強力な性的衝
動を含む強い精力が湧いて来るのを感じたと主張している。メアス自身がボルネオ、スマトラ、ニューギ
ニアで調査した、儀式として行われる喰人は、死んだ敵を食すれば、その力が自分に乗り移
るという信念に基づいている。そしてこれも、メアスの語る、強い精力を感じたという体験に
基づいていた可能性も充分考えられる。彼は「知性は食べられる」と信じているのだ。

が、メアスの仮説には明らかな疑問がある。もし人間の脳を食べる事が知性を生み出すのなら
ば、今でもこの行為に耽っている少数の東南アジアの部族は、それを数千年前にやめた西
欧人よりもずっと知的レベルが高くなくてはならないことになるが、どうもそうではなさ
そうだ。そればかりか、50万年前以降の人間の進化を説明するには、喰人が広範囲にわ
たって行われていたという、もっと多くの証拠が必要だが、とにかくそれは見られない。
したがって、ざんねんではあるが、喰人仮説も、立証できずとせざるをえない。

先に記した「正統派」の歴史の問題は、人間が本質的に受動的な存在であると暗に示して
いる点だ。大地の割れ目に種子を落とし、それが作物となるのに気付く、コロで重いものを
動かしてみて、そのコロを輪切りにすると車輪ができる事に気が付く。こういったことすべ
ては、あまりにも偶然的であり、言ってみれば、ダーウィンの自然淘汰のように聞こえる。

もちろん、人間は受動的な生き物であり、挑戦すべき対象があるときに最大の力を発揮す
るというのは事実だ。だが、人間に関して最も重要なことは、まさにその対象に反応する
という、驚くべき力なのだ。他のすべての動物と人間を区別するのは、対象に対し、人類
がもたらす決意、意志の力、それに想像力なのである。これこそが、人類の進化の本当の
秘密なのだ。

古生物学者は、進化の勢いについて、一つの明白な説明をおざなりにした。それはセックスで
ある。人類と他の動物との性的な違いは、人間の雌が、年間を通していつでも性的関係を
持つことができるという点だ。類人猿の雌は、雄を性的に受け入れる姿勢になるのは、一
月に一週間だけである。


243:、
08/11/19 08:46:21 lZD4P5/K
人間に関して最も重要なことは、まさにその対象に反応するという、驚くべき力なのだ  >> 体験において対等でない。

歴史上のある時点で、人間の雌は、一ヶ月に数日間だけ「交尾期」に入るということをや
めてしまい、雄に対し、常にセックスを受け入れる姿勢でいるようになった。これに関する最
も可能性の高い説明としては、狩猟者たちが、一度に何週間もの間(あるいはひと夏中)
自分の集落をはなれて過ごした後は、雄がその姿勢にあろうとなかろうと、戻ってきたと
きには性的欲求を満足させる事を欲求した、というものだ。これにとくに異を唱えなかっ
た子孫を多く残し、断った雌は自然淘汰によって徐々に消滅して行ったのだろう。

進化のある時点で、人類の雌は、より目立つ性的な特徴を発達させるようになった。厚み
のある口ぶり、大きな胸、丸みのある臀部や太ももといったものだ。チンパンジーの雌の性器
は、盛りになると、大きく隆起して明るいピンク色になる。この特徴が、もしかすると唇に
も移っていったのかもしれない。ロバート・アードリーは、「動物界では、セックスはただのおまけに
過ぎない」と語っているが、人間界では、女が常に受け入れ姿勢を取れるようになり、性
的特徴が目立って発達してくるようになるにつれて、それはだんだん重要な役割を演じる
ようになっていったのだ。毛皮が薄くなり、交尾の最中に顔と顔を合わせるようになった
のも、セックスをより官能的なものにした。

進化のこの時点では、雄たちは互いに競争するという、強い動機を持つようになった。誰
にも属していない雌の存在は、新たな興奮をもたらしたのだ。狩猟者が集落を離れている
間に、やせこけた少女たちは年頃の10代の娘に育っていった。それより以前の部族集団
では、狩猟者の目的とは、獲物を殺す事だけだった。いまや、最強の者は最も魅力的な雌
を手に入れる事ができるのだ。突如として、優秀な狩猟者になるという強力な動機ができ
た。セックスという報酬だ。

もちろん、あの「脳の爆発的発達」が、女に起きた性的な変化と関連している事を立証す
るような証拠は無い。だが、説得力ある仮設が無い現状では、これはかなりあり得る説の
ように思える。文明の歴史の中で、性的なロマンティシズムが演じてきたきわめて大きな
役割の事を考えてみれば、それがつねに人間を動かす動機の中でも最も強力なもののひと
つであった事はすぐにわかるはずだ。アントニーとクレオパトラ、ダンテとベアトリーチェ、アベラールにェロイーズ、
ランスロットとグイネヴィア、ロミオとジュリエット、そしてファウストとグレートヒェンなど等、曽祖父の時代とまった
く同じように、それは私たちをも魅了してやまない。心理的に言っても、セイテキロマンティズムは、
人の人生で最も強力な原動力の一つなのだ。ゲーテが「永遠の女性が人を向上させる」と書
いたとき、彼は生物学的に見ても意味を成す考えを語っていたのかもしれない。

244:、
08/11/19 08:59:02 lZD4P5/K
これにとくに異を唱えなかっ た子孫を多く残し、断った雌は自然淘汰によって徐々に消滅して行ったのだろう。 >>

御伽噺、ハンスはりねずみ坊や、、、。

性的ロマンティズムは、人の人生で最も強力な原動力の一つなのだ >> 私が性は媒体であると言う根拠、、。

。いまや、最強の者は最も魅力的な雌
を手に入れる事ができるのだ。突如として、優秀な狩猟者になるという強力な動機ができ
た。セックスという報酬だ。                              >>      

新しい種類の不可視の領域の営みが始まったと考えられなくはないが、人体実験に繋がる優生学の
歴史的事例が、その意味を覆している、、。

さて、ここでも大事な疑問は、人間がさらに「人間らしく」なったのが、セックスか言語か、
あるいはテクタイトに関連した遺伝子の事故のためだったとしても、いったいそれに何の違いが
あるというのか。

そしてこんどは、その答えは、かなりの違いがある、となるだろう。ある特定の女を所有
しようという欲求に動かされた男が、強い目的意識を持った1個の人間であるという事は
間違いないといえる。進化のプロセスは、進化する理由がないときには、時間が過ぎ去る
ままに任せておく傾向があることは既に見てきたとおりだ。同じことは個人にも当てはま
る。才能と知性にあふれていても、なぜかそれを使う動機が見つからないために、人生を
無駄にする事もある誰にとっても、自分の訪れる一番の幸運とは、強い目的意識を持つこ
とであろう。

ホモ・サピエンスが、ある種の性的ロマンティシズムのおかげで進化してきたというのは、真実
かもしれないし、そうでないかもしれない。だが、それが正しいという可能性は、本質的
な重要性を持つ一つの点に私たちを気付かせる役割を果たしている。つまり、ホモ・サピエ
ンスの進化が(意識を意味するサピエンスという言葉が示しているように)意識の進化であっ
たことを考えれば、進化の理由を見つけるのに、私たちは自然淘汰や偶然という領域では
なく、動機と目的意識の領域を探すべきなのかもしれない、ということだ。そして、それ
にはこう訊ねるべきなのだろう。いったいどんな目的意識が、ホモ・サピエンスを、ホモ・サピエンス・
サピエンスに変質させたのであろうか、と。


245:、
08/11/19 09:05:50 lZD4P5/K
新しい種類の不可視の領域の営みが始まったと考えられなくはないが  >>

特に、ローマやラッシュが築いたアメリカに見る事が出来るが、それが正しいと言えるのか?

恐らく、悪の人種のもの、滅ぶ性質のもの、、、。

健全な感覚で滅ぶものとそうでないものを的確に判断できるようになる必要がある、、。

滅びたくなければ、滅ぶ性質のものを放棄するか、除外すればそれで済む事である、、、、。

さもなければ、滅びは不可避で長い成り行きに委ねる問題を意味する、、、。



246:、
08/11/19 10:16:25 lZD4P5/K
げー消しちゃった、、、ページ変えちゃったら、もどっても、書き込み消えるな、、、。

あーめんどくせ、、、。



247:、
08/11/19 10:17:20 lZD4P5/K
最後の最後でうっかりやっちゃったんです、、、。



248:、
08/11/19 10:20:14 lZD4P5/K
1時間以上かけて、、、消しちゃうんだもん、、、。



249:、
08/11/19 10:57:41 lZD4P5/K
>>246-248隣家の触手の影響の送れた現われというか、、限界来てるな、、。


シャーマンの存在による集合的運命的錯覚からクロマニオン人が生じ、ある種の利己的権力がそこから生じ優生学に繋がったものと思われる、、。


新しい種類の不可視の領域の営みが始まったと考えられなくはないが、人体実験に繋がる優生学の
歴史的事例が、その意味を覆している、、。


>>245

ラッシュの博愛は、クロマニオン人のものであり、シャーマンの運命的錯覚のものであり、それが優生学に通じるのもうなずける、、。

アメリカはクロマニオン人で本質的に成立つ、、、。シュタイナーの言う悪の人種の国と一致。エノク書とも一致、、。

アメリカ建国についでアメリカ精神医学会のDSM法の存在は、クロマニオン人が、家族が殺された死体の化石で

発見されている事や、獣をがけに追い込んで落として捕まえる習性のを見て取れる。

つまりは、シャーマンの体験において対等でない錯覚から生じた運命の営みから始まるもの、、。

つまり、体験において対等でない触手の由来はクロマニオン人であることもわかる事になる、、、。

これで、人体実験と特に死後生存を否定するカトリックの宗教の関連も説明される、、。


クロマニオン人は特にインディオとローマとなじみやすそうだ、、、。

クロマニオン人の土台となるシャーマンによって、インディオの影響に無防備にさらされるか、インディオに由来するものである可能性がある、、、。

傍ら、フリーメーソン系はネアンデルタール人に由来しそうである、、、。特に、元祖のキリストは、ネアンデルタール人の典型、、。

(黒人はクロマニオン人といわれているが、、、真相は定かでない、、、、)

アメリカ、、、歴史と現在の世界の現状
スレリンク(army板:161-171番)
 
スレリンク(mental板:326番)
スレリンク(uwasa板:647番)(ウィリアム・バッティのペテンの処世術の系譜)
スレリンク(denpa板:260番)
スレリンク(uwasa板:662-685番)

告発、、、。
スレリンク(uranai板:107番)
スレリンク(shugi板:138-146番)
スレリンク(soc板:472番)


250:、めいちゃん
08/11/19 21:11:34 lZD4P5/K
>>238
、、、掲示板のサイトをしたい放題に実力行使で押し通して投稿するミジンコの私が、
一通り悪質な操作を覆し段階に区切りをつけようとしていると言えそうだ 、、、、


     , : ‐ : ̄: ̄:`ー: 、―:<:. :. \
       _/:. :. :.‐-、:. :.\:. :. :. \:. :..ヽ:. :. :.\
     /:. :|:. :|:. 、:. :. ヽ:. :.:ヽ:. :. :.:ヽ:. ∧::::. |:.|
    /:. :. :.:}:|:.:ヽ:. \:斗―‐-|:. :. :. :V/∧:::: :|:.|
   //: :. :.i:|:ハ:. \く ァテテミ:ハ: :. :. :.レ: :. |:::ヽ:\
   |.|:. |:. :|:レ',ニミヽミ_>ト-ソ.}_./ |:. :. :.:|:: :. :|::::::ヽ:.:\
   |:|:. |:. :|:V トrヘ.   " ̄  /: :.:/イ }:: .:|:::::|:ハト、_:>
   |:ハ:.|:..:.ト:|. ゞ'^、      /_:.イ:. :レ::::: :. |V|::| |
     ヾ>、::>   ィ  }     |:. :.:|:::::::: ∧:∨ 
     /ハ:|:. :ト、   ヽノ    /|:. : ハ::::::. :∧:.\__  <<、、、いい忘れた事があった、
     VV|:. :V ヽ、     / /:. :./::∧::::: :∧ー'´ 、、付け加えて何よりも2ちゃんねる関係者の
       |:. :|: :. :::::|`::ーr'´  /. :.:/:::::::∧::::: :.\ 忍耐力にとって可能となった、、。
     ヽ、_」:. :.`ー‐::::|::::::」   /イ/ ̄ ̄ ̄ヽ: :. : :.\
        ゝ:. .>--ァく|L_/  /       ヽ:. ).:. :\
       /:.:/  / 辷シ'   /         ∨:. : :. :.ハ
       /:./ /   ノ _,, -へ、  へ.      ',:.: :. :./: |
       |/, へ===" ̄    \.  \    ∨:./:. :.|
      //       .:::::::::...   :.ヽ  ∧    ∨:. :. }
     / {.............   .::::::::::::::::::::::.  ::::V:.::∧    ヽ: :/.|
    /  ':,::::::::::::::    ::::::::::::::::    /:. :/:.∧    ∨: |
   /    ,へ_.--======-、  /:. :/: /:. :\    ∨|
 /ー-、 /  |            `/:. :/:. /: :. :. :.}    V



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