08/11/06 10:12:53 vCVBwhWV
しかし、ピルトダウン化石の捏造が明らかになった前後に
関係者らはことごとく他界しており、真相の究明は非常に困難である。>>
怖いなぁ、これ、、、、
150:、
08/11/06 10:15:17 vCVBwhWV
実は、「種の起源」が出版されてからわずか7年後の1856年、最初の原始人が発見され
たかに見えた。デュッセルドルフから数キロはなれたところに、教会の賛美歌の作曲家にちなん
で名づけられた、ネアンデルという風光明媚な峡谷(ドイツ語ではネアンデルタールになる)がある。そ
こには石灰岩の断崖があり、それを切り出していた作業員が骨を発見したのだが、それは
あまりに重く、荒削りだったため、熊の骸骨だと思ったほどだった。しかし、ヨハン・フルロット
という地域の学校長がこれを見て、人目でこれが熊などではなく、類人猿のような人間の
骨であることがわかった。湾曲して突き出た額と、顎がほとんど無い形をしていた。奇妙
なことに、この生き物の脳は、現代人より大きかった。だが、大腿骨の曲がり具合を見る
と、かがみ込んだ姿勢で歩いていたことを示唆していた。この小さめのゴリラのような生き
物が、人間最古の祖先なのだろうか。
教育を受けたもの達は、そうではないといった。彼らのほとんどはキュヴィエの弟子であり、
なかには、この頭蓋骨は1814年にロシアからナポレオンを追ってきたコサック人のものであると提
唱するものまでいた。そして、細胞病理学の創始者として高名なルドルフ・ウィルハウは、これは
痴呆者の骨だと考えていた。しばらくの間、学校長のフルロットは意気消沈していた。だが、チャ
ールズ・ライエル卿が、この「痴呆者」は、間違いなく原始人であるとの見解を発表したのであ
る。ヴィルハウは自分が誤っていたことを認めようとはしなかったが、その後25年間で成さ
れた多くの新たな発見を通じて、ネアンデルタール人が、まさに初期の人類であったことに疑いの
余地はなくなった。
すると、これこそが「失われたつながり」、あるいはダーウィンの弟子で議論好きのヘーケルがこの
んだ呼び方だと「ピテカントロプス」、猿人というもののようであった。でも本当にそうなのか?
エンジンの脳は、現代人よりもずっと小さいはずで、大きいはずはないのではなかろうか。も
しそうならば、ネアンデルタール人は、もっと最近、たとえば10万年くらい前の存在でなくては
ならない。
151:、
08/11/06 10:59:37 vCVBwhWV
URLリンク(en.wikipedia.org) プロフィール不明、、、。
152:、
08/11/06 21:05:29 vCVBwhWV
URLリンク(ja.wikipedia.org)ネアンデ\ルタール人
原始人の探求の次の一歩は、フランス人の手でなされた。それも、人間は比較的新しい創造物
であるとすると、キュヴィエの主張が正しいと信じていたパリの地質学教授たちではなく、二人
の特筆すべきアマチュアたちの手によってである。彼らは、現代人の直接の祖先であるクロマ
ニオン人を発見したのだ。
それは、1820年のある日、南仏のゲールという村に住んでいた、エドワール・ラルテというフランス
人の弁護士が、近くの農民が持ち込んできた大きな歯を見て興味をそそられたことから始
まったラルテは、キュヴィエの著書を調べ、それがマンモスの歯であることを発見した。キュヴィエによれ
ば、マンモスは人間が地球上に現れるずっと前に死に絶えていたが、ではなぜ表層近くにマンモス
の歯があったのか。ラルテは自分でも発掘をはじめ、1837年に、おそらく1500年前の
第3紀半ばのものである類人猿のような生物の頭蓋骨の破片を発見した。これはその後、
「ドリオピテカス」と名づけられたが、現代の科学者の中には、これが人類の最古の祖先である
と考える者もいる。
ラルテは、ソンムのアベヴィルに住んでいた税関吏で、劇作家でもあったブシェール・ド・クレヴェスール・ド・
ペルテの考えに影響を与えていた。彼は、人間の存在は、200万年以上前の第3紀までさ
かのぼると信じていたのである。ラルテとブシェール・ド・ペルテは、どちらも第3紀の堆積層を探
してみたが、何も発見できなかった。
だが、ブシェール・ド・ペルテは、こんどはプカルディで熱心に発掘作業をして、多くの古代の動物
の骨を見つけたが、そこで明らかに人間の手で作られた手斧、削る道具やキリなども発見し
ていた。これらを地質学の教授に見せると、それは人間の作ったものではなく、珪土が硬
化したものが道具のように見えるに過ぎないと、慰めるかのように言われただけだった。
しかし、ブシェールは、チャールズ・ライエルの訪問によって落胆から救われる。ライエルは、この手斧が
人間の手で作られたことは間違いないと判断したのだ。
153:、
08/11/06 21:40:15 vCVBwhWV
URLリンク(ja.wikipedia.org) マンモス
これは、キュヴィエ門下の者にとっては、横面を殴られたも同然だった。最も著名な近代の地
質学者が、マンモスや、剣歯トラ、あるいは洞窟熊と同時代に、「化石人」が何万年にもわたって
存在していたと断言したのである。これは、科学史上にライエルがその名を残すことになった2
つ目の偉業だった。ダーウィンに対し、人間の祖先についてはあまり騒がないほうがいいと助
言した慎重派の英国人が、いまや古代人類の科学に決定的なはずみをつけたのである。
ブシェールの問題は、彼がある種の楽天家というか、正確さにかけていたことで、そのせいで
彼はキュヴィエ派の人間の格好の餌食となっていた。彼の曖昧さは、ライエルでさえ苛立ちを覚え
るほどだったのだ。それでも、非科学的で、いつも誤った結論に飛びついてしまうこの人
物は、計り知れないほどの重要性を持つ発見をしているのである。だが、これまでのとこ
ろ、最も興奮する発見をしていたのは、彼の仲間であるラルテのほうだった。
英国の実業家、ヘンリー・クリスティーから調査資金をもらうようになったラルテは、他のことをすべて
やめて、発掘調査に専念するようになったが、まず第3紀の地層で発掘をあきらめ、次の
時代、つまり洪積世か、氷河期の調査を始めた。1860年の9月、アリエージュ県のマサーで、彼は
古代の台所のゴミの山を発見し、その中から洞窟熊の絵が描かれている牡鹿の角を発見し
た。原始人は芸術家であったようだ。これより20年前、ブルイエットという男が、2頭の牝鹿
の彫られた骨を発見したとき、教授たちはそれを子供の悪戯だとして一笑に付した。しか
し、ラルテの角はまったく発掘されていない地層からのものだったのだ。学界は、彼に対して
まっとうな扱いをせざるを得なくなったのである。
つぎにラルテは、ドルドーニュにあるヴェーゼル河の渓谷に場所を移した。かつてハーバート・ウェントが語
ったように、地質学史にとってこの渓谷は、エジプト学にとっての王家の谷と変わらないほ
ど重要なものだ。1864年、ラルテは、手斧でつけた傷があるマンモスの牙を見つけた。人間が
マンモスと同時代に存在していたという確固たる証明である。
154:、
08/11/06 22:02:06 vCVBwhWV
1868年、ラルテはヴェゼール渓谷での新たな発見のことを耳にする。レゼイジという村の近く
にある鉄道建設現場で発掘された洞窟で、クロ=マニヨンという場所にあった。ラルテは息子のルイ
を派遣してこれを調べさせた。ルイは、これが史上最大の発見であることに疑いは無いと感
じた。洞窟は、かつてこの場所に住んでいた者たちの作った物が沢山あった。だが、もっ
と重要なのは、そこに骸骨があったことだ。洞窟の奥で見つかった頭蓋骨は、その辺の教
会墓地に埋葬されているものとはほとんど変わらず、大きな脳の入る頭蓋と、現代人と同
じ突き出した顎を持っていた。
この近代人類の棲家が暴力行為の行われた場でもあったことは、不吉な意味合いがあるの
かもしれない。3人の若者、一人の女性と赤ん坊を含む、6人のクロマニオン人たちが、奇妙な
状況の下で死んでいるのだ。女性の頭蓋骨には、既に直りかけてはいたが、深い傷の痕跡
があった。どうも彼女は、赤ちゃんを産んでいるときに死を迎えたらしい。彼女や他の者
たちがどうして死んだのかは、遂に不明のままだった。クロマニオン洞穴は、人類史上初めての
推理小説の舞台を提供していた。
いつものように、教授たちは頭からこれを信じようとしなかった。彼らは、この洞穴はた
だの埋葬場であり、どちらかというと近代のものであろうというのだ。しかし、明らかに
埋葬場ではないほかの場所でもクロマニオン人の頭蓋骨が発見されるに至って、彼らの確信は揺
らぎ始めた。レ・コンバイユの洞穴の壁には、髭を生やした人間の彫り物があった。すべての証
拠は、これらの洞穴には狩猟者が住んでいたことを示していた。ヴェーゼル渓谷に生きていた
原始人は、動物を追って狩猟することで生活していたようだった。ソリュートレの村の近くでは、
急斜面の険しい岩石のふもとから、何千という野生の馬の骨が見つかった。狩人たちは、
わなに午を追い込むと、崖から追い落としたのである。
155:、ミジンコ
08/11/07 03:31:46 GnCo6O2J
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156:、ミジンコ
08/11/07 03:34:54 GnCo6O2J
つまるところ、人間の直接の先祖とは、ネアンデルタール人ではなく、狩猟者であり、芸術家でも
あり、その女性たちは彫刻を施した象牙や貝を身につけていた、彼らクロマニオン人だったのだ。
クロマニオン人は、スペインの貴族、ドン・マルセリーノ・デ・サウチュオーラがもう少し好奇心を見せていたとし
たら,これよりも10年早く発見されていたかもしれない。1859年、その正確な日付は
不明だが、アルタミラに住んでいたドン・マルセリーノが狩りに出ているとき、一緒にいた犬が地面に
あった割れ目に落ち、姿が見えなくなってしまった。この割れ目は、地下の洞窟への入り
口である事がわかった。ドン・マルセリーノは、安全のため、これを封鎖させた。それから約20
年後、1878年、パリで開かれていた氷河時代の道具の展示会を見た彼は、ふたたび洞窟
の中に入り、あたりを掘って人間の作った物を探し始めた。そして、手斧と意思の矢じり
を幾つか見つけた。そして、ある日、いっしょに洞穴に入ってきた5歳になる娘マリーが、何
かを見つけたらしく、大喜びしたのだ。彼女は壁に描かれた、突き進む雄牛の姿を見たの
だが、そこは天井が低すぎて父親には入りにくい場所だったのである。絵の具はまだ湿っ
ている事がわかった。そしてこれが、ドン・マルセリーノの不運となる。この発見を世界に発表す
ると、専門家たちはこれを詐欺として非難したのだ。ドン・マルセリーノは、苦々しい失意の内に
この世を去った。だが、かなりの年月がたってから、彼を非難した専門家の一人、カルタイラック
という男が、レゼンジにあった同様の洞窟壁画を調査した結果、ドン・マルセリーノに対し、不当な
非難を浴びせかけた事に気付き、謝罪すべく急いで彼の元に走った。すでに老婦人となっ
ていたマリー・デ・サウチュオーラは、悲しい微笑を浮かべ、彼をドン・マルセリーノの墓へと連れて行くこ
とができなかった。
157:、ミジンコ
08/11/07 03:55:32 GnCo6O2J
約50万年前 - 北京原人。
約23万年前 - ネアンデルタール人の出現。
約20万-19万年前 - ホモ・サピエンス(現在のヒト)の出現。
約5万年前 - クロマニョン人。
約3万年前 - ネアンデルタール人がこの頃絶滅。 >> そうか?
本当は、現在人には種類があると言うべき問題なんでしょう、、、。優生学の人種差別上は、
このような実体は隠したがるんでしょうね、、、、。
つまるところ、人間の直接の先祖とは、ネアンデルタール人ではなく、狩猟者であり、芸術家でも
あり、その女性たちは彫刻を施した象牙や貝を身につけていた、彼らクロマニオン人だったのだ。 >>
ウィキでは現代人とネアンデルタール人が、ほぼ同時期に出現している、、。若干ネアンデルタール人の方が早いようであるが、、、。
ネアンデルタール人は、クロマニオン人の出現によって滅ぼされていると言う事になっていると言う事でしょ?
まだ、北京原人に相当する人も居るんでしょ? 煽りや悪口の意味でなくて、、、。
158:、無動機単独テロ
08/11/07 04:07:54 GnCo6O2J
これから、恐らくは、クロマニオン人は地獄に落ちるときがきているぞ、、、。
精神医療上の必要によって、、、、人体実験が起きちゃったからね、、、、。
要するに戦争や優生学やカリスマとか病気や犯罪の原因はこいつらだろ?
クロマニオン人そのものは、クロマニオン人は、北京原人やネアンデルタール人やホモサピエンスのおまえらの
延長上としてウチ等がそういうことをしているだけだと言うかもしれないが、
やはり、クロマニオン人が一番危険で凶悪で迷惑だと言われる事にれば、反論できるのだろうか、、?
159:、ミジンコ
08/11/07 04:12:39 GnCo6O2J
ひょっとすると、精神医療で、北京原人やネアンデルタール人やホモサピエンスに、
クロマニオン人が人体実験されてきたということなんでしょうか?
クロマニオン人は、まだ新しいので未成熟だとか、、、。
>>141
スレリンク(utu板:387-388番)
(表面的知的肉体的発達と人間の存在としての先天的資質は、反比例する、、、)
160:、ミジンコ
08/11/07 04:15:28 GnCo6O2J
エガス・モニスやウォルター・J・フリーマンとか、ウィリアム・バッティとか、色々居るけど、、、。
何の種族の人間でしょうかね、、、。
161:、
08/11/07 04:31:01 GnCo6O2J
その後、多くの洞窟壁画が見つかった。その最も壮大なものの一つがラスコーのものだ。野牛
や牡牛、野生の馬、熊、サイ、あるいは鹿の角を身につけた人間の姿まで描かれていた。こ
れは明らかにシャーマン(あるいは魔術師)の姿で、この絵の目的は、魔術的なものであるよう
だった。つまり、彼ら石器時代の狩人たちの下へ、魔物が必ず誘われていくようにするた
めのものだったのだ。
では、クロマニオン人がこのような魔術の儀式を行っていた、今から5万年前の時代にまだ生息
していたネアンデルタール人はどうなったのだろうか。クロマニオン人がまだ栄えていた時代に消滅して
いるとの事実は、芸術的な従兄弟たちに彼らが滅ぼされたという、恐ろしい仮説を暗示し
ている、、、、、。
それで、結局のところ人間はいったいいつ出現したのか?
これまで古生物学者は、人類の歴史を、約10万年前、洪積世の時代まで追跡する事がで
きている。1907年、ハイデルベルク近郊の砂坑から発見された顎の骨は、ネアンデルタール人の生
きていた時代を、およそ15万年前まで逆戻りさせた。しかし、ネアンデルタール人が「失われた
つながり」ではないことははっきりしていたので、これは人類の黎明期について何も
教えてはくれなかった。が、原始時代の頭蓋骨や手工品は、古い地層でどんどん発見され
続けていたため、人類の存在は第3紀の時代までさかのぼれるとする、プシェール・ド・ペルテ
の確信の正しさをだんだん証明していくような結果となっていた。
たとえば、1866年に、カリフォルニア州のカラヴェラス郡にあるボールド・ヒルという場所で、地表か
ら43メートル地下にあった砂利の地層から、人間に類するような頭蓋骨の一部が、その
鉱山の所有者だったマティソンによって発見された。この地層は、200万年以上も前の鮮新世
の時代のもののようだった。地質学者J・D・ホイットニーはこれを調査し、カリフォルニア科学評議会
に、確かに鮮新世の地層から見つかったものであると報告した。
162:、
08/11/07 04:33:20 GnCo6O2J
>>158 それぞれが、やった事に関しては、いずれそのツケが回るようになっているからな、、、、。
163:、ミジンコ
08/11/07 08:53:18 GnCo6O2J
いくつかの、分類が起こってくる訳ですね、、、。
一つの時代における猿人の種族の種類の問題、、、。
そして、その猿人の種族の時代における、人種の問題、、、。
一つの人種の中での一つの民族における、DNAにおける遺伝子上の人種や種族の
混合の要素の個性の問題、、、。
164:、ミジンコ
08/11/07 08:58:38 GnCo6O2J
要するに、現在民族意識があるのは、その人生のスタート地点と、その取り巻きによる、
習慣によるものであって、個々の人間としては、それぞれがそれぞれの度合いのすべての
種族や人種の混合であると考えたら全てが説明させる事になる、、、。
人生のスタート地点の習慣によって、それぞれの人種は力を合わせてそれぞれの人種や民族や国民が
その特性を世界において発揮して、その独自の役割を果たしている、、、。会社や法人みたいなものですね、、。
165:、ミジンコ
08/11/07 16:33:07 GnCo6O2J
305 :,ミジンコ:2008/11/07(金) 10:08:04
スレリンク(archeology板:150番)
ERROR:連続投稿ですか?? 10回
ホストsoftbank2
名前: 、ミジンコ
E-mail: sage
内容:
__ _
_,、-‐‐'ー- 、,_ヽ_
/ ,、 -‐ ''"´;: ; ヽ
/ / ,、‐''"´´ ;: ;;`ヽ
/ (/ ,、-‐''"´´ _, ,丶
i (ゝ /, , 、ー''"、´ _ヽ
| /'''_ー-<___, -'´ lー''"ノ ヽ. , へ、 _
、 'l { `ヽ;ー-、-,ー‐,r''1 ; ;ヽ<''ヘ ヽー---‐'''"""""
r、 iヽ ヽ' `' .|、 ,. | |
{λヽ.ヽ ,,ソ ヽ-' t' __ノ ,______
\ゝ、iヽー '`ー'''`1´ ~ヽ、、、/~  ̄ ̄,~"= / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
、‐'''''ヽ `'ヘ.',ヽ , 、 { ,、< アーーーッハッハッハッ、これで、みんな繋がった、、、。
/ \ ヾ ヽ⌒ヽ ヽ { , ‐、_ / \__________
. | ゛‐-ー'.,!\\__ `ヽ. ,、 / `'´ ,
、 / / | \ \゛、ー'>' ノrー' ´ | , /
r; / / |\,_\ `""´r''| ト、 | | /
i / | フ 丶、___ノヽ. |/ / /
rヽ\ ( | ,ヘ | | ヽ \ ∥/ /
166:、
08/11/07 17:14:18 GnCo6O2J
種族の隠蔽の操作が起きていたんですね、、、、。
連中が何であんなあこぎだったのか、これでよくわかった、、、。
誰がどうで、自分がどうか、解っちゃうし、芋づる式に多くの秘密が公になってしまう、、、。
これは、自由からの逃走ならぬ、自己と他者からの逃走と言う奴だった訳だ、、、、。
、、、、、やれやれ、、、、、。
`l `l、__ ,r‐ー-、
| ) /" ̄ ̄ ̄\ / ヽ、
l ,r'"" ̄ニ、 .,// ヽ、 / i
/ _,r"∠ニ、'L- l,,/ l ,rー---ヽ、 l / ,,r 、 ゙l
<" ,,r'" l 、___`_|. | / ,,/" ``ヽl l/ ,,,,ノ" ,,ハ ゙l
`>i`|.l ヒーーーラli. |.i´l.| '⌒ L ⌒ l/ l" ニ= r-‐ l l
〈 ゝ'ヘ、\., - 、/.li____ゝ || 、___イ_, 〔 r、 !、 ヽ l 丿
vヘ、 ヽ、 ヽ==l,,ハ,, ハミ lーー--ー-//ゝ、 ゝゝ7 、__ ' //
,,_.n ,,ゝ、,,,,,,,゙゙''''^'',,,,,,彡ーく./ ミ \, ‐-‐.// l`ー‐=ト、`ー' /l ̄\_
. / l,,l,,厂 l\∧l'''''l∧l ヽ \`ー-' イ ノ,,r‐'''| | ヽ ,,イ .l l'",,,、 ヽ
/,∪ l, >‐i l l >ー‐ヘヽ / l l | .| ∪ l |.゙ト、
167:、
08/11/07 17:17:35 GnCo6O2J
,/ ,..:::=ー,..:-=-::、
(( 、、_/ i'´ / _....,_ `ヽ
、ヽ ミゞ ゝ ヽ/ ; r','"⌒~^'ー::、
''=,ミ -- ' ^ ~ ^ ニ _ ^ヾー-:、 ミ:、
∠./,:=ニニ - 二 =ー::、 ^ ミ 、 ー
,.::-=ニ'レ,.:--‐ ー--:: 、ヽ ヽ ミ ヾヽ
/ , ,.-‐i ;::::::-、 ! .;:::::;;;::;、 ; ヽ ミ 、ヽ、
〃 ./'i ,,:=:, 、 _ ,:=::.、 .; ニ ヾミ、_
,! i l,γ @> ゙:. .: k @ ミ:、 .i ,:-' 、^ミ=-
ノ. !,tゞニ彡'ノ : . ^ミ=ニイ、、 彡ソヘ ヾヽヽ、<<、、、相対性理論、、、w
/ . レ / :. '-、 :, / ,ソミ:、 〉 )
| / /ゝ、_ノ..,)ヽ 、 l i /ヽヾ j λ
! ヘノ/ノ川 !.ヘヾ、ミ、 i :l ハノ .)ノ人 ヽ、
!.i^'=ァ~'T''⌒ナヾヘ ! i /`´
ヽ、`l ; /,/ / ./ノ
ヾ、i. ; 〃゙ / ,.ノ'´
ヾゝi_,ノ ノ/
ヽ、_,,../゙
168:、私は、何でしょう?
08/11/07 17:22:36 GnCo6O2J
,. - ─ - 、
r'つ)∠── ヽ
〆⌒  ̄ ̄ ̄ \__r 、 \
,.イ ,イ \ヽ,\rv-,
ヾイ /{ { ヽ、ト、 \Y <ノノ\
{ .ト{\ヽ', メ __\ } ⌒ヽ }へ
ゝ |"ひ) \ イびゞ \ ヽ- 、ノ // >=
ノ ト、"´,. ー ノ ///\/ / \
/. { ゝ / レ// } Y´ \
{ ヽ ヽ⌒> / レ´TTア⌒>、_ \
V{ \ └ ´ / ,.イ/ /ll | /≦__ }
V{ >ー┬|/ ! ,.イノ || | /  ̄ ̄ ̄ /
リヽイ| /:| l _|' '´ || | | _/
/{{ | |===| || | __/
__ | : : : : : /
,. :'"-─‐-、ヾー、 │ .: : : : :/
//'¨´ ̄、 \〉 V ヽ | .: : : : :/
/// /l ヽ ヽ .l} ドマハ | . : : : /
<ク,゙ 〈.:l | \ };.ィ:| |__X ! | , .: : :.:/
ノ7{:\\ヽ\X,ィc、| }|ヘヘ>| | 、゙.: : :./
,<」| トYトがヽ `ヒュリ1 |l)」 :i } |. .: : :/
,'│ト、| ハ ゞ' ,  ̄ ゙! |:.:.| |!| j ゙ .: : /
{ |.:|.:.:|:.人 く ノ / .::j:.: | |リ !ー-::7ア
ヽ.j ト、{:.:.{{:>.、_,. イ .:.:/!:.:j|:. | ム:::::.7´
`リ _,レ弌‐千} //テ=くj:丿 ム.::::7
169:、あなたは、何でしょう?
08/11/07 17:29:03 GnCo6O2J
_ / ̄ > 、
/ |┌ \
/ / / {{ 、 \ ヽ
,' / / , '´ 「V \ ヘ l
| l ノノ/ ヽ\ 、 l,1|
l ト、/ ー=、‐、\ ≠|マハ
l |ヘ kfツ水`¨ fケヤ lV', <、、、あっ!、この人は~だ、、!
l ト、_、 ゞ' 〈´ i::l | V',
/ i::::::l 、 , ‐ァ' /:/| l V',<、、、うわっ!、あの人は、、、だ!
〃 ,:::::/ \ └='/:::; l | !ハ
/ .::::ノ\ /`¨´:::::::/ j| |l l<、、、こいつは、、、だ、、!
/ .::/ \' \::::::/ / /
' }ヘ l'´ / / <、、、あいつは、、、、だ、、、!
170:、、、、本当だ、なるほど、、
08/11/07 17:38:21 GnCo6O2J
_,,.....,,,_
_.-:::":::::: : : : :`:丶、
r::::.: : : : :.:.:::::ヽ
/::.: : : :.:;:;;:i
{::.:.:. :.;;;::i
i::.: : :.;;::::L_
r';::: :.... ,.,.,.. ''" '''i
`'i::;;ⅷi;:, 'ヾヒi::iァ- ."'''! !<、、、ゲーテは、真に知りたいものしか知りえないと言っている
|''::;:;:;:;' ''':;::: . .:.: .: ./ 、、、が、、、、。
:;;:;;:;:;;'.. ヽ : :.: : '''i
:;;:,;''':;;:'''" \ ト、
i":;;;;;;;::::::::::.. ./ //::\
. :. . . . .: / /::::::::::::::;:;:,,,,
:.. / /::::::::::::::::::::::::::;;;;;;;:;:,,,,,
': .,,,,,,,;;iii!'' /::::::::::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;r;;;;;;;;;;;;:;,,,
/;;::ヽ/ /::i:::::::::;;;;;;;;;;;;};;;;;;;;;;;;;;;/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ,,
、、、、ilr, ,. _,, ,
,;r-ミヾ、iヾヾヾ-'、r '彡,r
;rニヾミ` :ヾ ミ_,
彡,= 'i': ::ミ ミ,
r'i'´ .,r!::. ::i .ミ
. ヾ ' ,r' ;:!::::. _,;;;;;;, ,,;;;;;;;,_ヾ ミ
ミ=-'ィ;' 、_r'て!." :.r'て! :!ヾ'
ヾ;::r'l il!. - ´' ' ::..、 .:::l,:j!
ヽl.'ヾ! ,r :::、 l;!
ヾ::ヽj ' ー' '::. l <<、、、メタモルフォーゼ、、、
r'ヽ :. ' ニニニ ;: : l: ヽ
7 .:::i'! ,::;:イ::. ヽ
l ::::lヽ ` ―‐_'r' :l::: ヽ_
i :l i ` ― '´ 'l:: :l::.
171:、
08/11/07 17:42:58 GnCo6O2J
, -=-‐~--へ__,,- 、
< ヽ ゝ
ノ 二、___ゝ,/_/ヘ |
| ヲ | | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ┤ ===、 , ==| | < 改革は徐々に退きながら進みつつここまで至った、、。
ノ 彳 ―ェ 〈‐ェ〈 ゝ \
ゝ、 イ6|ゝ / \ |‐" \_________
く .^| - ゝ
ヒi_,| \l [ ―.|
,,, -/\ \____,|
―'| \ \ |\_
| \ \. / 〉 \ ̄
|__,\ / ̄〕/ 、/
172:、
08/11/07 17:45:15 GnCo6O2J
これはアメリカ宗教界を激怒させた。聖書を否定するものだと言うのである。宗教系の新聞は、
カラヴェラスの頭蓋骨を詐欺だとして攻撃し、組合教会派(コングリゲーショナル)のある牧師は、ホイット
ニーに一杯食わせようとしてこの頭蓋骨を埋めたという鉱山労働者たちに話を聞いたと発表
いた。もともとこの冗談をいいだしたのは、ウェス・ファーゴ銀行の職員で、スクリブナーという男だ
ったが、マティソンはそれを冗談と知らず、頭蓋骨を最初に彼のところに持っていった、という
のだ。しかし、A・S・ハドソン博士というある学者が、数年後にこの話の白黒を付けさせよう
として話を聞くと、スクリブナー自身から、そんな悪ふざけはしていないとの確証を得たのであ
る。そして、マティソンの妻も、夫が鉱山から持ってきたときには、その頭蓋骨は砂と化石で覆
われており、家に一年以上置いてあったことを確信したのだった。こういうことがあった
にもかかわらず、悪戯説はそのまま定着してしまった。
これが悪戯ではないと信じていたものの中に、進化論の始祖の一人、アルフレッド・ラッセル・ウォレス
がいた。ホイットニーが人間の骨が鉱山の地層で発見されたという報告について他にも沢山調査
していたこと、その中には鮮新世より古い地層から発見されたらしいと言うものも何例か
あったことをウォレスは知っていた。ホイットニーはまた、何百万年も前のものであるように思われ
る道具や手工芸品も調べていた。これより10年前、カリフォルニアのテュオラムニ郡のテーブル・マウンテンの
地下から、人間の全身の骸骨が見つかり、その近くにあった骨や歯の中に、マストドン(象に
似た古生物)の歯もあった。これは、この骨が、500万年以上も前の中新世までさかの
ぼるらしい事を意味していたのだ。1857年、これとは別の頭蓋骨のかけらが、やはり
テーブル・マウンテンで、マストドンの骨の近くに見つかった。ホイットニーは、同じ山の地中から出土した、
人間の顎の骨と石器を調べたが、これは900万年前のものである可能性があった。ブレイサ
ー郡にあるミズーリ・トンネルで見つかった人骨は、800万年以上前に、堆積した地層からのも
のだった。ホイットニーはまた、エルドラド郡のクレイ・ヒルにある鮮新世、あるいはもしかすると中
新世の地層から人骨を発見していた、H・H・ボイス博士という人にも話を聞いている。ホイット
ニーは、こうした「第3紀原人」に関する証拠を集めて、1880年に、「化石あふれる砂利
層―カリフォルニア州シェラ・ネヴァダ」と題された一冊の本を出版した。
173:、
08/11/07 18:23:58 GnCo6O2J
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>>
出ないんですよねー、、、。
174:、
08/11/07 18:32:32 GnCo6O2J
>>172は、怖い部分があるね、、少し、話はとって保留して起きましょうか、、、。
175:、
08/11/08 07:46:12 wQDoB1Nn
チュオラムニで見つかった石器の中には、あまりにばかげているので、悪戯としか考えられない
ものもあった。たとえば、3500万年以上も前の砂利の層で見つかった、原位置にある
(つまり、それがもともとあった場所で見つかったもので、川や氷河によって運ばれてき
たかもしれない流域地帯でではないという意味)乳鉢、あるいは乳鉢と乳棒の両方が、こ
れと同じ深さの地層で発見されたケース、それにキング乳棒とよばれている乳鉢が、990万年
以上も前の地層から見つかる、などである。しかし、これらが、比較的最近になって「埋
め込まれた」という可能性は無い。何千年か前の古代に鉱物を探していた者が、そこに持
ってきたという可能性のほうが考えられる。
なるほどこれなら、アルフレッド・ラッセル・ウォレスが、これらの発見(それに何十という、これに類
したもの)は、人類はダーウィンやヘッケルが考えていたより何百万年も前から存在していたこと
を確かに示していると感じたのも当然だといえる。それは、「文化というもののおかげで、
〔人間は〕自然淘汰の気まぐれからか隔離されていた」からだったのかもしれない。そん
なこともあって、ケントにある食料品店の店主、ベンジャミン・ハリソンが、鮮新世(200万年以上
前)の地層、あるいは中新世(500万年以上前)の地層からさえも手斧を発見していた
と耳にしたとき、彼は急いでハリソンに会いに行った。ハリソンは、ロンドンからそう遠くないイグサム
に住んでいたが、そこはウィールド地方の一部で南北の丘陵地帯にはさまれた、川による浸食
を受けた地域だった。
川は、一種の掘削機械として働く。大地を侵食して行くに連れて、過去を砂利の形で露出
させるのである。そして、この場合は、深い地層ほど古いという、通常の考古学の法則が
逆転する。なぜなら、上にある砂利の層ほど古いものになるからだ。こういった上のほう
の地層を調べていたハリソンは、「新石器」(過去10万年に作られた、比較的高度な道具)だ
けでなく、「旧石器」(おそらく100万年前の道具)、それに何と「原石器」(あまりに原
始的なため、自然が作り出した石と見分けがつきにくい事が良くある道具)まで発見した
のである。
176:、
08/11/08 08:28:57 wQDoB1Nn
>>175 3500万年以上も前の砂利の層で
約600万~500万年前 - この頃、ヒトとチンパンジーが分化したとされる。
ヒト亜科とチンパンジー亜科の分岐。ヒト上科参照。
約250万年~約180万年前 - この頃、石器の使用がはじまった。
鮮新世(200万年以上
前)の地層、あるいは中新世(500万年以上前)の地層からさえも手斧を発見していた
川は、一種の掘削機械として働く。大地を侵食して行くに連れて、過去を砂利の形で露出
させるのである。 >>
つまり、露出した古い時代の地層に、新しい時代のものが落っこちている事がある可能性も示しているが、、、
、、、ところが、意表を突いて、常識を覆す種類の報告事例がいくつもある意味では、
、、、簡単に、判定しがたい、、。
177:、
08/11/08 08:30:47 wQDoB1Nn
1891年、ウォレスはハリソンに会いに行き、彼の石に深く興味をそそられた。高名な地質学者
であったジョン・プレストウィッチ卿と同様に、ハリソンの旧石器や原石器は、道具を作る動物が何百万
年も前から存在していたことを間違いなく立証しているとウォレスは考えたのである。
だが、世紀末は近づいており、ウォレスやプレストウィッチのような科学者は、徐々に少数派となりつ
つあった。人間は猿の子孫であるというダーウィンの説は、嘲笑を伴う強い反発を引き起こし
ていた。そのようなことを公衆の面前で口にするだけで、怒りとヤジと、皮肉っぽい笑いを
誘うに充分だった。議論は両極端に分かれていたのだ。偏狭な宗教派か、猿人の支持者か
の、どちらかという状態だったのである。猿人支持者たちは、ネアンデルタール人の発見に大喜び
した。それが、個々10万年ほどの間は、人間は猿とほどんど変わらなかったことを立証
しているように思えたからだ。したがって、ウォレス、プレストウィッチや、彼らと同じ見方をしてい
た者たちは、好むと好まざるとにかかわらず、「石鹸サム」や、かつてダーウィンと同船し、ダーウ
ィン主義には断固反対の立場を貫き通していたフィッツロイ船長(いまや副提督だった)などと同
類とみなされることになってしまった。ドイツの進化論者エルンスト・ヘーケルは、「人間が類人猿の
子孫である事は、議論の余地が無い事実である」と公言するのがお気に入りだったが、そ
の彼も、一つ基本的な点についてはヲレスと同意見だった。初期の人間の痕跡は、およそ50
0万年前の、第3期に探し求めるべきであるという点だ。また彼は、人類の最初の祖先は、
スマトラとジャワに見られるてながざるだと確信していた。その後これは間違っている事がわか
ったが、この考えを受け入れる環境は整っていたと言えるというのも、それは、オランダの若
い解剖学者で、医学よりも古生物学のほうがずっとお気に入りだったユージン・デュボアの耳に
届いたからだ。
デュボアには、自分の情熱を届けたいテーマである原始人について調査するには、軍医となり、
オランダ領東インド諸島に派遣される事が一番いいと思えた。1888年、彼はスマトラに向けて出
帆し、後に医学的な理由という事で、ジャワに転勤させてもらうことに成功した。実はその
前に、ジャワ島中央部のトリニル高原で見つかったという頭蓋骨が彼の元に送られてきていた。
その頭蓋骨には、ネアンデルタール人のものと同様、並外れた大きさの脳蓋があった。彼はそれが
見つかった場所を発掘しに行く事になっていたのだった。そこでは、すぐにもう一つ別の
頭蓋骨が見つかり、さらに第3紀の堆積層から歯がついたままの顎の骨のかけらが発見さ
れた。多数の動物の骨のかけらも見つかり、箱をいくつか一杯にするまでになった。そし
てこんどは、臼歯、ボウルの形をした大きな頭蓋骨の破片、それに大腿骨の化石をたて続け
に見つけたのである。これこそ「失われたつながり」であり、ヘーケルの言う猿人である事を
彼は確信した。だが、ネアンデルタール人とは相反する特徴が既に見られた。大腿骨を見ると、こ
の猿人はまっすぐ立って歩いていたのであり、かがんではいなかった。これは「ピテカントロプ
ス・エレクトゥス」、直立猿人だったのだ。
178:、
08/11/08 08:59:39 wQDoB1Nn
URLリンク(ja.wikipedia.org) ヘッケル
URLリンク(ja.wikipedia.org) デュボア
URLリンク(ja.wikipedia.org) ピテカントロウス
デュボアはヘーケルに手紙を書き、ヘーケルはこれを開いて大喜びした。その後デュボアは、発見した
ものをライデンに持ち帰り、ある国際会議でこれを展示した。だが、残念な事に、彼の見
解が正しいと確信してくれたのは、そこに集まった教授たちの3割にも満たなかった。一
部のものはこれが手長ザルだと考えたし、大腿骨と頭蓋骨が同じ身体のものでないと思っ
たものも、これは第3期からのものではありえないとしたものもいた(この点は正しい事
が後に解る)。そして、ネアンデルタール人を痴呆者のものと断言したヴィルハウは、こんどは、ピテカン
トロプスが近代のものであると断言したのだった。
これに対し、デュボアは、科学者精神の科学者精神の嘆かわしき欠如を見せた。展示した骨
をすべて梱包してしまい、誰にも見せる事を拒んだのだ。これは強迫観念にとらわれた反
応であり、当然彼のものであるべきだった勝利を得る事を妨げてしまう結果となった。と
いうのも、1927年、ついに箱を開ける事を彼が許したときには、さらに4点の大腿骨
が見つかったからだ。もっと早くこれを見せる事を許していれば、ヴィルハウは、敗北を認め
ざるをえなかったことだろう。ところが、デュボアは人生の後半をほとんど仙人のようにす
ごし、彼の発見したピテカントロプスというのは、結局手長ザルだったと信じるようになっていた
のだ。
そのころまでには、今ひとつの古生物学者、G・フォン・ケニングワルドが、トリニルの地層の詳しい研
究を行い、デュボアの発見した猿人は、鮮新世の中期、約30万年前に存在した事を立証し
ていた。やがて、充分な量の骨や石器が見つかり、ジャワ原人が間違いなく人間であること
に疑いの余地はなくなった。しかし、ジャワ原人は、はたして現代人の祖先だったのだろう
か?
そこに新しいライバルが登場した。
179:、無動機単独テロ
08/11/08 09:52:48 wQDoB1Nn
ピルトダウン人、、そのような時代の1909年から11年にかけて、弁護士でありアマチュア考古学者でもあった
イギリス人、チャールズ・ドーソン(Charles Dawson)によってピルトダ、、、 >>
弁護士、、、ですか、、、。大戦前ですね、、。優生学やら、kkkやらの変態どもの時代ですよ、、。
嘘でもいいから、ミッシングリンクのデータが欲しかった訳だ、、、。ローマのペテンの流れの闇の流れのものとみなす事になるが、、
何か、やったろ、、、訴訟の正当化に使うとか、、、その場しのぎの、、。
議論は両極端に分かれていたのだ。偏狭な宗教派か、猿人の支持者か
の、どちらかという状態だったのである。 >>
精神医療のペテンの処世術には、初めは善と悪、等の対立、次は、進化論の世界観の観念上の対立、次は、
米ソのイデオロギー上の対立などの、破綻の関係を利用し悪化の方向付けを行うところから出発すると言う
人間のものでない常套手段がある、、、。
18世紀初頭にさかのぼる精神医療の収容施設の大義名分の正当化の技術に由来する働きかけのものであるが、、、。
現在にいたるまで、最も影響力を放ってきたものであるには間違いない、、。
それは、グリーン・ランや4・1プロジェクトやプルトニウム人体実験などの意図的な放射能による人体実験、
精神医療や旧731部隊やナチ、による生体解剖や人体実験、大戦後のローマのペテンとインディオの人身御供の
世界規模のヤミの支配体制の確立に関する問題である。
いずれにせよ、精神医療による操作の影響力の表れの情況をうかがうことが出来る、、。
>>172 にもかかわらず、悪戯説はそのまま定着してしまった。 >>
ローマの病気と犯罪を利用したペテンの影響力のものですな、、。かつての田中真紀子の処世術や外交のノリと言うか、、。
URLリンク(ja.wikipedia.org) 田中真紀子
ローマのそのペテンの本領は、田中真紀子系の働きに見る事が出来ると言えるでしょう、、、。
犯罪や病的働きかけのためなら、でっち上げも殺しも何でも出来るんです、、、。
キリスト教の由来や成り立ちを見ればわかるが、そのヤミの大黒柱を為す地位を占めるものなのです、、。
(自傷他害行為予告ではない)
180:、ミジンコ
08/11/08 10:19:41 wQDoB1Nn
>>176 、、、ところが、意表を突いて、常識を覆す種類の報告事例がいくつもある意味では、
、、、簡単に、判定しがたい、、。
>>
>>179 の精神医療方面の捏造かと思われるでしょ? ところが、、、、>>43それらは何百例も見つかっているのだ。
、、、幾らやみ側でも、そんな事まで当時やりましたでしょうかね、、、?
と言う事は、本当にとんでもない奴が、血のにじむような汗水流して桁外れの大規模なヤミの計らいを、大昔から仕組んだか、
それは、何らかの偶然によって大昔の地層に多くの近い古代の遺跡や現代のものが埋没するに至ったか、
本当に大昔の古代の時代に現代人に相当する存在があったかの、いずれかと言う事になってくる、、。
後は、UFO説、現代人による高度な科学技術による捏造のヤミの働きかけのものの可能性、、、。
先ず初めに、ヤミのペテンについて取り組む事と、正当な現状の化石の洞察とそのより正確な見解に焦点を定める
真相や事実の追求が求められる事である。
181:、ミジンコ
08/11/08 10:27:45 wQDoB1Nn
>>178 のデュボアの問題も、>>179方面の話ですよね、、、。
>>180 直ぐに出来る事ですね、、、。
182:、
08/11/08 10:34:55 wQDoB1Nn
ヤミ系は、宗教家にしても、どの業界にしろ、真実によって正すことなく逃げるんですよ、、。
うそを放ったらかして、傅く仕方で、、、、。
183:、
08/11/08 10:43:03 wQDoB1Nn
>>182 あーあ [占術理論実践] ブラヴァッキー >> 大方、最終的にはね、、、。
1911年、カトウィンケルという名の蝶の収集家が、網を手に一匹の蝶を追いかけてきたとき、
ふと足元を見ると、自分が急な断崖から落ちそうなところまで来ている事に気付いた。当
時のドイツ領東アフリカ(現在のタンザニア)にあるオルドバイ渓谷は、周りからはほとんど見えず、谷
底に落ちそうになる地点今できて初めてその存在がわかる。カトウィンケルは、100メートルの
斜面を下り、渓谷には化石のある岩が山ほどあることに気付いた。自分の袋に2、3個入
れると、彼はそれをベルリンにもって帰った。その中に、それまではしられていなかった3つ
の指の蹄を持つ馬が見つかった事を受けて、ハンス。レック教授という地質学者が、同渓谷に赴
いて調査をするよう依頼された。
彼はすぐにいくつか重要な発見をした。古代のカバや、象、カモシカの骨などである。つぎに、
現地人の助手が地面から骨が突き出ているのを見つけた。表面の土をどけてみると、それ
は岩の中に埋まった類人猿の頭蓋骨のように見えた。ハンマーとノミでまわりの岩を取り除かね
ばならなかったが、類人猿ではなく、人間の頭蓋骨である事がわかった。レックは、それが埋
まっていた地層を、約80万年前のものと判断した。
これがもっと最近埋められたという事は考えられるだろうか。レックは最終的にそれはないと
判断した。もし墓場に新たな土が満たされた場合、たとえそれが10万年前のものであろ
うとも、有能な地質学者にはわかる。
どうもレックは、現代人とそう変わらない人類が100万年近く前のアフリカに生息していた事を
立証したように見えた。これがダーウィン主義の教えのすべてに真っ向から挑戦したと言って
しまうのは正しくないが(人類は過去200万年の間に類人猿から進化したとはダーウィンは
言っていない)、ダーウィンが「失われたつながり」の概念を発表して以来、当然のこととされ、
クロマニヨン人の発見でしっかりと立証されたように思われた前提を覆しているように思えた。
184:、
08/11/08 10:51:05 wQDoB1Nn
ベルリンに戻ったレックは、この発見を発表したが、それが巻き起こした反感に驚かされた。い
つものように、専門家たちは、これが太古の人間の祖先かもしれないということを認めよ
うとはしなかったのである。それは、類人猿らしさがなさ過ぎたのた。レックは、つまるとこ
ろ進化論を攻撃していたのである。この頭蓋骨はもっと最近のものでなくてはならなかっ
た。おそらく、わずか5000年前くらいのものだろう、、、、。
第一次世界大戦が、この論争を忘れさせた。だが、アフリカではそうではなかった。ケンブリッジ
大学のセントジョンズ・カレッジの研究員だった人類学者、ルイス・リーキー博士は、1925年、23歳
のときにベルリンに渡り、レックにあって、その頭蓋骨をみせてもらった。かれもまた、これは
もっと最近のものではないかと考えるほうだった。しかし、1931年に、彼とレックは、他
の地質学者とともにその発見場所に赴き、詳細にわたる地層の調査を行った。そして、そ
の同じ地層から(さらにしたの地層からも)発見されたという石器を見て、彼はレックと意見
を同じくするようになっていった。
ある意味でこれは、現代人が第3期に存在していたという、アルフレッド・ラッセル・ウォレスの見解と
変わらぬほど異端であった。リーキーは、デュボアのジャワ原人は人間の祖先ではあり得ないと公
言したのである。そしてそれは、もっと最近の1929年、中国の周口店で発見され、北
京原人と名づけられていた。類人猿のような頭蓋骨も同じだった。もし、同時期に高度な
発達をした生物がいたとしたなら、レックの頭蓋骨のほうが現代人の祖先である可能性は高か
った。
専門家はこれを攻撃した。クーバー、ワトソンという2人のイギリス人の古生物学者はこういった。
完全な形を止めている頭蓋骨がそれほど前のものである事はまずありえない。それに、歯
の詰め物というと、近代のアフリカ人のように聞こえてくる、、、。
そのときまでには、リーキーは、ヴィクトリア湖の近くのケナムとカンジェラで、さらにふたつの発見をし
ていた。ケナムで臼歯を見つけ、カンジェラでは頭蓋骨を3点見つけたのだ。これらもまた、完全
に発達した人間、ホモ・サピエンスのものであるようだった。カンジェラの地層は、40万年から7
0万年前のものだった。言い換えれば、リーキーは、本来の時期よりも4倍も前に存在したクロマ
ニオン人を発見したのである。彼はこれが、レックの頭蓋骨は人間のものであるという自分の見
解をされに立証してくれるものと考えていた。
185:、
08/11/08 17:14:00 wQDoB1Nn
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186:、
08/11/08 17:15:16 wQDoB1Nn
しかし、この時点で、さらに別の横槍が入る。T・モリソンなる教授は、レックの頭蓋骨は近代の
マサイぞくのものだと考えている事を公言していたが、彼はベルリンに赴き、頭蓋骨が発見され
たときに周りにあった物質の一部を入手すると、パーシー・ボズウェルという地質学者に送って
これを調べてもらった。ボズウェルは、リーキーの伝記を書いた著者によれば、「すぐ人に反対し、、、
感情的」で、「けんか腰であることで知られた人物」だったらしい。ボズウェルはこれを調べ、
「ネイチャー」誌に発表したレポートで、そこで第3層(頭蓋骨の見つかった第2層の上にある)
にあるような明るい赤色の小石と、第二層のずっと上にある第5層にあるような石灰岩の
破片を見つけたと主張したのだ。レックもリーキーもこれに気付かなかったというのは奇妙な事だ。
それなのに、この点を指摘する代わり、2人はどちらも納得し、おそらく自分たちは誤っ
ていたのだろうと認めてしまったのである。頭蓋骨は、おそらく埋葬(レックが一番最初に否
定した可能性だ)、あるいはひょっとすると地震の結果として、第3層まで下がってきたの
だろうという見解を認めたのだ。
しかし、1933年の3月、38人の科学者からなる委員会が、カンジェラの頭蓋骨とケナムの顎
を調べ、顎のほうは鮮新世初期(100万年以上前の可能性もある)のものであり、頭蓋
骨は鮮新世中期(50万年前の可能性あり)のものであるとの結論を下したのだった。
ここでふたたび、パーシー・ボズウェルが騒ぎに加わってくる。彼の疑いを受け、リーキーは彼にアフリ
カに来るよう招いた。だが、リーキーは自説を立証できなかった。発見した場所には鉄の杭で印
をつけておいたのだが、現地の人間が、矢じりか釣り針にするために盗んでしまったよう
なのだ。現場の写真も撮影していたのだが、カメラがうまく作動してくれなかった。妻の
友人が撮影した写真を借りたが、それは別の渓谷のものとわかった。そして、詳細な智頭
が存在しなかったため、地図上の正確な場所も記す事はできなかったのだった。これらの
不手際に対し、ボズウェルは反発し、彼の報告も批判に満ちたものとなった。要するに、リーキー
の言う事を信じるのを拒んだのである。
187:、
08/11/08 18:07:58 wQDoB1Nn
URLリンク(ja.wikipedia.org)ルイス・リーキー
URLリンク(ja.wikipedia.org)
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51 件中 1 - 20件目の検索結果を表示 T・モリソン
(前 20)(次 20)(20 | 50 | 100 | 250 | 500)を見る
永久欠番
60 キロバイト (1099語) - 2008年10月20日 (月) 13:34
アロサウルス
ボズウェルの報告の後、リーキーは、ボズウェルには、頭蓋骨の一つを発見した正確な場所を間違い
なく見せたと反論し、頭蓋骨ナンバー3にぴったりとあう骨の破片を選んでこれを立証し
た。顎については、マストドンとデイノテリウムの化石の発見された場所に関連して見つかったもの
で、どちらも顎が鮮新世初期のものである事を示している、とした。
ボズウェルはこれにまったく耳を傾けようともしなかった。原位置にある顎を見た科学者はい
ないのだから、これは受け入れられないと感じていたのだ。しばらく議論が続き、曖昧な
化学実験が行われた後、専門家たちは、顎と頭蓋骨は、古くても2万年から3万年前のも
のであろうとの結論を下したのだった。
真の問題とは、もちろん、もしもリーキーの発見とレックの頭蓋骨がホモ・サピエンスのものとして受け
入れられたとしたら、人類の歴史そのものが書き換えられねばならなかったという事だ。
ジャワ原人と北京原人は、50万年前に存在した類人猿のような生き物を祖先とする、まっ
すぐな進化の過程を示していたが、リーキーは、これらの生き物はホモ・サピエンスの従兄弟に過ぎ
ず、ホモ・サピエンスの方は、ウォレスが考えていたように、第3紀の時代からずっと存在していた
と示唆していたのである。
レックの頭蓋骨については、リーキーは既に自分の意見を引っ込めていたが、こんどばかりは
頑張った。「ケニアの石器時代人」の中で、ケナムの歯は、アフリカで発見された最古の人類の痕跡で
あるばかりか世界中でこれまで見つかった、真のホモ・サピエンスの痕跡の中でも最古のもの
であると断言したのである。彼の伝記作家、ソニア・コールでさえも、自分お立場を決して変え
ようとはしないこの態度を嘆かわしく思い、これをただの頑固さの表れと見ている。
188:、
08/11/08 18:18:06 wQDoB1Nn
>>186 ボズウェルの呪術だ、、、、。支配力だ、、、。、、、、悪質な、、、。
リーキーたちは、だらしねぇな、、、
しかし、より正統派に近い人類学者たちにとって、これまで最も強力な証拠が見つかろう
としていた。
1924年、ミナミアフリカはヴィットワータスランド大学の解剖学教授、レイモンド・ダート博士の自宅に、ヨハネ
スブルグの南西320キロほど離れたタングという場所にある石灰岩の採石場から出土したと
いう化石が2つの木箱に詰められて届けられた。ダート夫妻は、結婚式のパーティをこれから開
こうというところだったので、ダート夫人は、客が帰るまでは箱の事は忘れているように夫
にたのっだ。しかし、ダートは待ちきれなかった。2番目の木箱の中に、頭蓋骨の頭骨部が
含まれた化石を見つけた。最後の客が帰ったとたん、彼は急いで妻の手編みの棒を借り、
石を取り除き始めた。その作業にほとんど3ヶ月もかかったが、12月23日、遂に岩が
割れ、その顔面を見る事ができた。大きな脳を持ったこの生き物は、信じられない事に、
乳歯の生えた赤ん坊だった。500ccもの大きさの脳がある赤ん坊となると、人間でしか
あり得ない。だが、ダートの考えでは、これが見つかった地層は、少なくとも100万年前
のものだったのだ。
タングの頭蓋骨の骨が、1925年2月7日の「ネイチャー」誌に出ると、彼は一夜にして有名人
となった。これは、「失われたつながり」に間違いないのではないか?
多くの専門家がこれに異を唱え、タング・ベビーは類人猿であると提唱した。高名な権威の一
人、アーサー・キース卿は、ちょっと違う理由からこの赤ん坊が「失われたつながり」だという意
見には反対だった。もしそれが100万年前の存在であり、クロマニオン人が10万年前のもの
なら、とにかくタング・ベビーがホモ・サピエンスへと発達するだけの時間が無い、ということだっ
た。
だがいずれにしても、ダートの頭蓋骨は広く注目を集めた。そして、それに対する論調も変
化していったのである。1931年までには、科学界は彼に反対の立場をとるようになっ
ていた。その年、彼は、北京原人を発見したデヴィッドソン・ブラックとともに、ロンドン・動物学
会で公演した。デヴィッドソン・ブラックの公演は、ヴィジュアルな資料などを用い、きわめて専門的
な質の高いものだった。それに比べ、この赤ん坊の頭蓋骨をしっかりと抱きかかえたダート
は、話もつっかえがちで、説得力が無かった。英国学士院も、彼がアウストラロピテクス
(南の猿人の)となずけた頭蓋骨についての論文を受け入れる事はしなかった。
189:、
08/11/08 18:47:02 wQDoB1Nn
URLリンク(ja.wikipedia.org)レイモンド・ダート
当初から疑惑が無かったわけではない。 ドーソンが自宅で骨を造っているのを見たという話が流れた。 専門家の中でも、ボヘミア(現在のチェコ西部)
生まれの米国の人類学者アレシュ・ヘリチカ(Ale? Hrdli?ka)は、下顎骨は類人猿のものであろうと唱えてピルトダウン人の化石を否定した。
しかし多くの学者は肯定し、イギリス人類学界の大御所であったアーサー・キース卿(Arthur Keith)やグラフトン・エリオット・スミス卿
(Grafton Elliot Smith)などの著名な学者の支持を得たこともあり、ピルトダウン人は現生人類の直系の祖先と認められた。
URLリンク(en.wikipedia.org) アーサー・キース
タートはミナミアフリカに戻り、古巣である解剖学部の仕事に没入した。リーキーと同様、自説を変えた
わけではなかったが、それを自分の心の内に止めておこうと決心したのだ。ダートに暖かい
支持を送っていた一人が、退職した動物学者ロバート・ブルームだった。こんどはブルームが、悠々
自適の生活から市井に登場し、彼のために戦おうと決心した。1936年に、ステルクフォンティン
にある石灰岩の採石場の監督が、頭蓋骨のかけらを含んでいる別の岩をブルームに手渡した。
これは、アウストラロピテクスの大人の女性のものである事がわかった。そして、大腿骨が見つかっ
たが、これは間違いなく人間のものであるようにみえた。1938年には、ある少年が歯
や顎の骨のかけらをポケットにいっぱいに持っているのを見つけ、これらを見て、自分が新種
のアウストラロピテクスを発見した事に気付いたのだった。かれはこれをパントロプス(人間もどき、の
意)・ロブストスと呼んだ。これは、アウストラロピテクスの中でも、菜食をしていた種のようだった。
菜食だったという事実は、これが人間の祖先よりも、動物のほうの祖先である事を示して
いる可能性もあった。
1947年、ブルームはスワルトクランスの洞窟で、新たなパラントロプスの化石を見つけた。また、もう
少し小さくて、より人間らしい生き物も発見したが、こちらのほうはテアレントロプスと呼んだ。
その後彼は、これがジャワ原人や北京原人と同じ種に属すると判断したが、それについては
既にホモ・エレクトゥス(直立原人)という分類をされるようになっていて、現代人の直接の祖先
として広く受け入れられていた。やはりスワルトクランスで発見された石器や骨でできた道具類は、
パラントロプスが間違いなく人間であるらしい事を示していた。
ブルームが活動した事に刺激され、ダートもやはりタイ食生活から戻ってきた。1948年、彼は、
1925年に自分が骨を見つけたマカパンスガットのトンネルに戻ってみた。前回は、火が使われて
いたらしい証拠を見つけたが、これは、アウストラロピテクスが原人であるという彼の意見を立証し
ていた。今回もさらに別の骨や火の使用の痕跡を見つけ、個々に生息した生き物をアウストラロピ
テクス・プロメテウスと名づけた。
190:、
08/11/08 20:09:09 wQDoB1Nn
URLリンク(ja.wikipedia.org) ロバート・ブルーム
URLリンク(ja.wikipedia.org)アウストラロピテクス
URLリンク(ja.wikipedia.org)パラントロプス
しかし、マカパンスガットでは、ダートはそれよりもずっと興味深いものを見つけたのである。そ
こで発見された42個のヒヒの頭蓋骨のうち、47個に何か棒のようなもので殴られた後
のようなものがあったのだ。この棒は、頭蓋骨にくぼみを2箇所作っていたが、「ダートはこ
れがカモシカの前足の上の部分の骨であったとの結論を下した。このことから、アウストラロピテクスは
他を殺すものであり、人類の祖先として最初に武器を使った存在だったという、驚くべき
結論に彼はみちびかれて言ったのである。さらに、南の猿人は、唯一つの理由、つまり、
武器によって殺人を犯す事を学んだために、他の類人猿から一歩進化したという仮説を展
開した。1961年、劇作家でありながら人類学者となったロバート・アードリーが、「アフリカ創世
記」(邦訳 筑摩書房 1973年)と題した本で、この考えを広く一般に浸透させた。その論ずるところは、人間が人間となったのは、殺す事を学んだからであり、その性癖をす
ぐに捨てなければ、人類は自滅するだろうというものだ。
1953年、物議をかもした論文、「捕食による類人猿から人間への移行」をダートが発表し
たその年、大英博物館のケネス・オークリーは、ピルトダウン頭蓋骨をフッ素試験にかけ、それが偽物
だったと発表した。1930年代、アーサーキース卿は、アウストラロピテクスの正当性に疑いを投げかけ
るのに、このピルトダウン頭蓋骨を使っていたが、それはこの頭蓋骨が、「まず知性の存在が先
にあった」ことを示しているかに見えたからだ。その頭蓋骨そのものの信用が失墜したの
で、ダートのアウストラロピテクスに対する反対は、だんだんと影を潜め、彼の「殺す類人猿」説も、
突如として充分あり得る恐ろしい可能性となったのだった。ここにきてやっと、ダーウィンの
「適者生存」を立証するのにぴったりと思われる、進化に関する仮説が登場したのである。
だが、戦いはまだ終わったわけではなかった。ルイス・リーキーもやはり再登場し、妻のメアリーとと
もにオルドバイ渓谷で発掘作業を進めた。その第1層、レックが頭蓋骨を発見した層のさらに一
つ下の層で、小石を砕くための原始的な道具と丸い石を見つけたが、これは、革の紐に丸
石を2,3個くくりつけ、動物の足に投げつける、ボラと呼ばれる狩猟具として使われた
可能性があった。革を加工するための道具であったかもしれない骨まで発見されたのであ
る。
191:、
08/11/08 20:21:29 wQDoB1Nn
その頭蓋骨そのものの信用が失墜したの
で、ダートのアウストラロピテクスに対する反対は、だんだんと影を潜め、彼の「殺す類人猿」説も、
突如として充分あり得る恐ろしい可能性となったのだった。ここにきてやっと、ダーウィンの
「適者生存」を立証するのにぴったりと思われる、進化に関する仮説が登場したのである。 >>
ピルトダウン人をよくもここまで使い込みはったのぉ、、、、。
しかし、1959年、アウストラロピテクス・ロブストスに似た生き物の頭蓋骨のかけらを見
つけたときには、彼はがっかりさせられた。彼の妻も認めている事だが、30年たっても
まだ、彼は、ホモ・サピエンスを見つけたいと望んでいたのだった。この新しい猿人を、
彼はジンジャントロプス(ジンジは東アフリカを意味している)と名づけた。奇妙な事に、そこで見つ
かった道具もすべてジンジャントロプスのものであると彼は判断している。だが、道具を見る限
り、それより高い知性の持ち主を思わせる。
ジンジャントロプスのおかげで、リーキーは、すくなくとも古生物学者たちの間での評価を取り戻す
事ができた。まるでそれは、彼が以前の異端振りを悔い改めたかのようであった。その一
年後、息子のジョナサンが、やはり第一層で、ジンジャントロプスの下にあった別の頭蓋骨を発
見した。その脳はジンジャントロプスよりも大きく(530ccに対して、これは690あった)、
それでもまだ直立原人(800cc)よりは小さかった。その近くで、ルイスとメアリー・リーキーの
夫婦が発見した手と足は、間違いなく人間のものだった。周辺で見つかった道具は、これ
は人間の祖先である事を示唆していた。ダートの提案で、リーキーはこれをホモ・ハビリス(道
具を作る人間)と呼んだ。
リーキーは自分の業績に満足していた。ホモ・ハビリスの発見以前には、古代人類学者は、直立原
人がアウストラロピテクスの直接の子孫であると考えていた。だが、リーキーは、その間にはさまれて、
より人間らしい祖先がいたことを示したのだ。確かにこれは、ホモ・サピエンスの痕跡が鮮新
世初期に見つかるかもしれないという彼の初期の信念からは後退してはいるが、何もない
よりはましだった。実際、リーキーは、まだかつての異端振りを垣間見せ、アウストラロピテクスは、人
間への進化に繋がらなかった様々な特化された発達を見せていると発現していた。
192:、
08/11/08 20:35:08 wQDoB1Nn
URLリンク(ja.wikipedia.org) ホモ・ハビリス
しかし、鮮新世の地層には、初期の人間の少なくとも一部は、道具を作っていた事に疑い
の余地はないことを示す石器が沢山あった。だが、そのような石器がアウストラロピテクスの化石の
近くで見つかることは無かった。
このとき、つまり1960年代後半までには、ルイス・リーキーの息子のリチャードと妻ミーヴが、この
人類の起源の探究に参加するようになっていた。1972年8月、リチャード・リーキーのチームの一
つが、トゥルカナ湖で粉々になった頭蓋骨を発見する。ミーヴ・リーキーの手で再構築されたこの頭蓋
骨は、隆起した額と800ccを超える脳の容量を持ち、アウストラロピテクスよりもずっと人間らし
く見えた。リーキーはその年代を、およそ290万年前と考え、ホモ・ハビリスの新たな標本と判
断した。しかし、もしこれがそれほど前の時代のものであるとしたら、それはアウストラロピテクス
と同時代に生息していたことになる。という事は、アウストラロピテクスは、結局人間の祖先ではな
い事を意味していた。リーキーは、アウストラロピテクスが、ネアンデルタール人のように、前史時代から消滅
してしまったのだと提唱した。
「人間の進化」と題された本の著書、J・D・バードセルは、リチャード・リーキーの発見したホモ・ハビ
リスを、およそ200万年前のものと考えた。だが、ホモ・ハビリスが直立原人に繋がる
というリーキーの主張には頭を悩ませていた。バードセルには、ホモ・ハビリスのほうが、解剖学
的に見て、直立原人よりも「近代的」であり、前者から後者への発達は、退化であるよう
に思えたのだ。彼はどちらかというと、おそらく直立原人は人間の進化の主要な部分では
ないという、リチャードの父のルイスのほうの意見に賛成していたのだ。
より「人間らしい」祖先がいたという証拠は、その跡も発見が続いた。リーキーは、学者仲間
のジョン・ハリスに呼ばれ、260万年以上も前の堆積層にあった像の骨に混ざって見付かった、
人間のものと思しき大腿骨を見せられた。これもまた、アウストラロピテクスのものとは異なってい
て、現代人のほうに近かったのだ。これは、この生き物、ホモ・ハビリスはいつも直立歩行を
していたが、アウストラロピテクスは、そういう時もそうでない時もあったことを示しているとリーキー
は考えた。カリウム・アルゴン鑑定法と呼ばれる技術を使い、この本が見付かった地層の物質(凝
石灰と呼ばれる)を調べたところ、290万年前のものという結果が出たときには、ホモ・
ハビリスこそが、やはりこれまで見つかった中では最も古い人間の標本であるのは確実なよう
に思えた。
しかし、この話には、まだ続きがあるのだ。
193:、
08/11/08 20:56:39 wQDoB1Nn
>>192URLリンク(ja.wikipedia.org)
人間の進化も弁証法だね、、、進化もらせん状に進むんだよ、、、。ちなみにボクのあだ名はサルなんだ、、。
ちなみに、神経症のダーウィンのあだ名はガスだと思った、、、。子供の頃、ガスくさかったらしい、、。
ところがさ、優越感を誇りたい奴や、優生学のばかどもがさ、これを認めちゃったりしたら成立たないだろ?
だから、みんな黙っちゃってさ、、、、、言いたがらないんだよね、、、。
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:::::::::::::::::::::::::ヽ  ̄ ̄ ,r::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
手塚治虫のクレオパトラのエンディングは、俺たちはサルだぜのセリフの繰り返しなんだ、、、。
194:、
08/11/08 20:59:21 wQDoB1Nn
1973年、シカゴ大学の若い人類学者、ドナルド・ヨハンソンは、ナイロビで開かれた会議に出席し、
そこでリチャード・リーキーと出会った。彼はリーキーに、あるフランス人類学者から、エチオピア北東部の砂
漠地帯のハダ-ルにある、相当見込みのある場所についてきいており、ヒトの化石を見つけ
るべく、自分はこれからそこへ向かうところだと話した。本当にヒトの化石を発見するの
かと思うとリーキーに訊ねられ、彼はこう答えた。「ええ。それもあなたのよりも前の奴をね。」
2人は、この発見にワイン一本を賭けた。
現実には、最初の調査期間は彼にとってうまくいかなかった。ヨハンソンは化石を見つける事が
できず、調査活動を支える補助金もそこをつきかけた。しかし、ある午後、脛骨(すねの
部分の骨)を見つけたのだ。さらに調べてみると、ひざの関節と、上部の骨の一部が出土
した。これらが見つかった堆積層は、300万年以上前のものだった。この発見を報告す
る論文で、ヨハンソンは、これが400万年のものである可能性と示唆し、彼がなぜこれが原人の
ものだと考えるかの理由をあげた。この発見は、さらに2万5000ドルの追加の補助金
をもたらしてくれた。
1974年11月30日、ヨハンソンと同僚のトム・グレイは、ハダールの別の場所を調査していた。
気温が40度にも達しようとするなか、そろそろ作業をやめる準備にかかっていた。しか
し、ヨハンソンはその日、なぜか一日中「ツキがある」と感じていたので、既に調べを終えていた
小さな峡谷をもう一度調べてみようと言い張ったのだった。そこで彼は、猿のものらしき
腕の骨のかけらを見つけた。さらに周辺を調べたグレイは、頭蓋骨のかけらと、大腿骨の一
部を見つけた。頭蓋骨のほかの部分も見つかったとき、二人は勝利の踊りに狂喜した。そ
の後で、キャンプに戻ってこれを祝いながら、ビートルズの曲「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤ
モンズ」をかけていたとき、彼らは自分たちの発見した生き物(小さめだった事から、女性
と考えられた)を、ルーシーと呼ぶ事にしたのである。カリウム・アルゴン鑑定法は、ルーシーがおよそ3
50万年前のものであることを示していた。
翌年、ハダールの丘で、ヨハンソンと彼のチームは、13体以上のヒトの骨を見つけ、これらを「最
初の家族」と名づけた。すべて、ルーシーと同じころに生息していた事もわかった。また、オルド
バイ渓谷のものよりも質の高い武器も見つかった。ジョン・ハリスが、これらの道具は地表近く
で見つかったため、近代のものである可能性があると異論を挟むと、ヨハンソンはさらに発掘作
業を進め、およそ25万年前の地層の中に、原位置にあるままの石器を新たに掘り出した
のだった。
195:、
08/11/08 22:36:56 wQDoB1Nn
URLリンク(ja.wikipedia.org)アウストラロピテクス・アファレンシス
アウストラロピテクス・アファレンシス 1977年、ルーシーの発見で知られるドナルド・ヨハンソンとティム・ホワイトは彼らの発見した
化石の詳細な形態 ... 初めての膝関節の化石で、1973年11月にドナルド・ヨハンソン、ティム・ホワイトらのチームによりエチオピアの[[ア ...
13 キロバイト (138語) - 2008年10月9日 (木) 01:06
ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ ... は人類学上の発見にも影響を与えた。
1974年11月30日に[[ドナルド・ヨハンソン]]およびトム・グレイは[[エチオピア]]の[[アワッシュ川 ...
彼はリーキーに、あるフランス人類学者から、エチオピア北東部の砂
漠地帯のハダ-ルにある、相当見込みのある場所についてきいており >> ひっかかるな、、、。
およそ25万年前の地層の中に >> およそ250万年前の地層の中に、、でした、、。
まぁ、あえて、言うほどのものじゃないでしょ、、。 、、、この場合は、、、。他にも間違えた書き込むがあるが,,,
どうもルーシーと「最初の家族」は、間違いなくヒトであるようだったし、そればかりか、リーキ
ーのホモ・ハビリスよりも前に存在していたらしかった。この時点では、ヨハンソンは、ルーシーがアウストラロ
ピテクスで、「最初の家族」はホモ・ハビリスの一種であると考えられる方向に向かっていた。リチャー
ド・リーキーは、ルーシーはおそらく「後期のランピテカス」、つまり、初期の類人猿で、人間の祖先で
ある可能性はほとんどないものであると思っていた。しかし、その後ヨハンソンは、ティモシー・ホワイ
トという古生物学者に説得され、自分の発見したものは、すべてアウストラロピテクスの一種である
と考えるようになった。このとき彼は、ハダールのグループを、アウストラロピテクス・アファレンシス(アファール
砂漠の、の意)と呼ぶ事にした。
したがって、結局どうもこれが、原始人の科学が到達した結論であるようだった。人類は、
過去350万年かけて進化したもので、まずは類人猿のようなアウストラロピテクス・アファレンシスがい
た。100万年後、これがアウストラロピテクス・アフリカヌス(ダートの原人)に進化した。そして、ホモ・
ハビリスが登場し、ホモ・エレクトゥス(直立原人)、そして最後にホモ・サピエンスとなる。この系統図は、
確かに満足のいくものだし、きちんと完成してもいる。
196:、
08/11/08 22:45:16 wQDoB1Nn
だが、まだ疑問が残る。アウストラロピテクスは、道具を作る存在とはされていないのに、「最初の
家族」の発見場所では道具が見つかっている。結局、「最初の家族」は、ホモ・ハビリスの一団
であり、ホモ・ハビリスはアウストラロピテクスと共存していたという事は考えられるだろうか。
今ひとつの発見が、この疑問をさらに深める。1979年、メアリー・リーキーは、オルドバイ渓谷の
南30キロにあるラトエリにいた。そして、彼女の息子のフィリップと、調査隊のもう一人の退院
が、火山灰についた動物の足跡にまじって、ヒトの足跡があるのを発見したのだ。カリウム・
アルゴン鑑定法によると、これは380万年前のものだという。なのにその足跡は、「高い土
踏まず、丸いかかと、前を向いた親指、その付け根のふくらみなど、直立歩行に必要な特
徴」を持つ、典型的な人間のものだったのだ。
300年近くを経たというのに、どうもショイヒツァーの見つけた、例の「罪人」の問題は、ある
意味では今も昔も変わらずあやふやなままであるようだ。
197:、
08/11/09 04:55:26 cfsR6IHR
222 KB
198:、ミジンコ
08/11/09 04:57:52 cfsR6IHR
URLリンク(ja.wikipedia.org)
俺たちは、サルだぜ、、、、て、、
∧_∧ ∧_∧
_(´∀`) (´∀`)
三(⌒)_ ノ⊃( ) 手塚治虫
 ̄/ /) ) | | |
〈_)\) (__(_)
、、、そりゃ、、、
∧_∧ ∧_∧
( ´∀) (´∀`)
≡≡三 三ニ⌒) )
/ /) ) ̄| | |
`〈__)_) (__(_)
どういうことヤネン、、、、
∧_∧ _∧_∧
( ´)ノ );)∀`)
/  ̄_ノ" )
C /~ / / /
/ / 〉 (_(_/
\_)\)
ヤミ系手塚治虫の
ヴォケがーー! ヽl//
∧_∧(⌒) ―★―
( ) /∥ /|ヽ
(/ ノ 川 | ヽ
(O ノ 彡 |
/ / 〉
\_)_)
青いブリンクが途中で終わっちゃうし、、、。
199:、ミジンコ(自傷他害行為予告でない)
08/11/09 05:25:07 cfsR6IHR
手塚さん、、、ヤミの人体実験の操作から来ていたんですね、、、。
解る事になる奴、、、。
、、、、どうあがいても、ヤミのものはヤミのもの、、、。
、、、だとすると、やはり、きわめてヤバイ情況ですね、、、。
旧731部隊の末裔が取り仕切る双葉ちゃんのサイトを見ても、、、。
200:、ミジンコ(自傷他害行為予告でない)
08/11/09 05:37:01 cfsR6IHR
スレリンク(soc板:472-485番)
あーあ [占術理論実践]スレリンク(uranai板)l50x
、、、、AA板の連中を見ても、、、
、、、芸術家、、、クロマニオン人、、、、恐らく、、、クロマニオン人ということは、ヤミのものになるのかな、、、?
まだ、クロマニオン人って、詳しい事が解っていないので、なんともいえないが、、、ユリ・ゲラーや
他の人を見ても振り返ってみると闇ではないなと思われる人もいるし、、、。
、、、芸術家というのは、大きな問題でして、やはり、精神医療や軍事や刑事が芸術教育にまで至らないと、
芸術を運用できるような教育であるとは言いがたいといわざるを得ないと言うか、、、。
201:、無動機単独テロ(自傷他害行為予告でない)
08/11/09 05:44:22 cfsR6IHR
>>158-160 >>198-200
人体事件と芸術は、切り離せない印象が付きまとう、、、。
202:、無動機単独テロ(自傷他害行為予告でない)
08/11/09 05:54:49 cfsR6IHR
芸術が人体実験と切り離せない繋がりの関係にあるのは、刑事上、軍事上、精神医療上、の見解から、
明らかになりつつあるのは、自明である、、。
203:、
08/11/09 09:52:11 cfsR6IHR
>>193 ちなみにボクのあだ名はサルなんだ、、。
サルとはいわれてないかも、、、。知恵ある獣とか、たとえば、ゲーテからは、聖者の衣を
よだれで汚したとか、いろいろな人から、なぜか非難を受けてきた人だったと思う、、、。
204:無動機単独テロ(自傷他害行為予告でない)
08/11/09 09:57:38 cfsR6IHR
アニメは、ダメだ、、、ウォルト・ディズニーも、、、こいつもヤミ系だ、、、。
205:、ミジンコ
08/11/09 10:02:17 cfsR6IHR
写真も絵も作り出した分は」、責任を持つ種類の問題だ、、、。
やはり、その種類の差し引きや制約を受ける、、、。 それが、芸術と言うのもだ、、。
また、芸術以前の普遍的な問題としての意味でも、、、。
206:、ミジンコ
08/11/16 11:26:23 73lXe4/s
>>126 「はい、ダーウィンさん、残念、、、ハズレです、、、。不可知論者としては妥当ですが、迷惑すぎましたね、、覚えてろよ#」 >>
確かに、そうなんですけど、その前にダーウィンは病人なんですよね、、、。そいつを配置して使い込んだ奴も責任は大きい、、、。
と言う事はやはりそれは、特に精神医療・インディオ・ローマ関係、、、。
207:、ミジンコ
08/11/16 15:30:52 73lXe4/s
URLリンク(ja.wikipedia.org)
よく見てみると、どの種類の猿人も少なくとも2種類が共存していた事が明らかとなってくる、、。
とりあえず、WIKIとコリンさんの著作で纏めてみると、、、、
208:、ミジンコ
08/11/16 15:32:09 73lXe4/s
>>113-118
1000年、、、アヴィセンナ 板面好きな自然の冗談
ルネッサンス ダヴィンチ イタリアであってイタリアのものでない人。孤立超然 脊椎動物
ヨハン・ヤコブ・ショイヒツァー 1705年 トカゲの脊椎動物を人のものと主張、、。
>>119-122
ベノワ・ド・ マイエ
1715年、マイエは「Telliamed
(彼の名前を逆に読んだもの)」と題された本を出し、生命の芽は宇宙からやってきて、徐々
に海洋生物へと発達したとした。魚が陸に這い上がり、鳥や動物へと発達した。これらは、
すべて何百万年もかけておきたことであるというのだ。しかし、マイエは、自分が生きている
間はこの本を出版しないことにした。
>>122-127
1780年、ドイツ陸軍の医師、フリードリッヒ・ホフマンが、
オランダのマーストリヒト近郊にある白亜石の採石場を歩いていると、白亜石の中に大きな「龍の」
頭蓋骨が見えた
僧侶ゴダンへ返還 自然科学者ジョルジュ・キュヴィエによって研究された。 恐竜 天変地異説
ウィリアム・スミス 化石を含む地層を32種類区別可能と主張、、、。地質学
エルンスト・シュロツハイムの1820年の発見 人の刃と二つの人骨。
1823年に、頭のない人間の骨がウェールズのパヴィランドにあった古代地層から発見された
マキナリーという聖職者が、デボンにあるケント洞窟で、マンモスの骨の間から古代の道具を発見する
ジャン・パブティスト・ラマルクの自由進化論とともにキュヴィエによって否定、、。
>>128
1832年法廷弁護士であり、熱心な地質学の学究の徒でもあったチャールズ・ライエル「地質学原論」
すべてはゆっくりとした侵食で説明することができたのである。
天変地異論者、洪水主義者や、宗教原理主義者 と対立、、、。
>>128-131地球史の仮説
209:、
08/11/17 16:05:41 ezqymSWP
人類史 (エキストラを含む、、たとえば>>43とか、、、)
>152 1820年 エドワード・ラルテ プルカディエで石器が沢山、、。プシェール・ド・ペルテ そこで
明らかに人間の手で作られた手斧、削る道具やキリなども発見していたチャールズ・ライエル
ラルテ 1837年に、おそらく1500万年前の第3紀半ばのものである類人猿のような生物
の頭蓋骨の破片を発見した。これはその後、「ドリオピテカス」と名づけられた
>43 1847年、フランク・カルヴァートという考古学者が、角のある動物やその他の図像が刻まれた
マストドンの骨を発掘した。だが、それは2500万年前の中新世の地層にあったもので、その彫
刻が人間の手によるものであるはずがない
>43 1849 年のカリフォルニアのゴールド・ラッシュの後、鉱員達はわけのわからない異物を数多く発見
した。それ は、900万年前の岩石に深く食い込んだ石の乳房や、3800万年前のものとされ
る、金を含んだ結晶の塊の中に埋め込まれた鉄の釘などだ。 何百例
>150 1856年 ネアンデル ヨハン・フルロット ネアンデルタール人 40万くらい
>172 カリフォルニアのテュオラムニ郡のテーブル・マウンテンの地下から、人間の全身の骸骨が見つかり、その
近くにあった骨や歯の中に、マストドン(象に似た古生物)の歯もあった。これは、この骨が、
500万年以上も前の中新世までさかのぼるらしい事を意味していたのだ
1857年、この骨が、500万年以上も前の中新世までさかのぼるらしい事を意味して
いたのだ。これとは別の頭蓋骨のかけらが、やはりテーブル・マウンテンで、マストドンの骨の近くに
見つかった。ホイットニーは、同じ山の地中から出土した、人間の顎の骨と石器を調べたが、こ
れは900万年前のものである可能性があった。ブレイサー郡にあるミズーリ・トンネルで見つかった
人骨は、800万年以上前に、堆積した地層からのものだった。ホイットニーはまた、エルドラド郡
のクレイ・ヒルにある鮮新世、あるいはもしかすると中新世の地層から人骨を発見していた
こうした「第3紀原人」に関する証拠を集めて、1880年に、「化石あふれる砂利
層―カリフォルニア州シェラ・ネヴァダ」と題された一冊の本を出版した。
>175 チュオラムニで見つかった石器 3500万年以上も前の砂利の層で見つかった、原位置に
ある乳鉢、あるいは乳鉢と乳棒の両方が、これと同じ深さの地層で発見されたケース、それに
キング乳棒とよばれている乳鉢が、990万年以上も前の地層から見つかる
210:、
08/11/17 16:11:51 ezqymSWP
>159 1859年、ドン・マルセリーノ その正確な日付は不明だが、アルタミラの壁画
>153 1860年の9月、アリエージュ県のマサーで、彼は古代の台所のゴミの山を発見し、その中か
ら洞窟熊の絵が描かれている牡鹿の角を発見した。3人の若者、一人の女性と赤ん坊を含
む、6人のクロマニオン人
1864年、ラルテは、手斧でつけた傷があるマンモスの牙を見つけた。
>161
1866年に、カリフォルニア州のカラヴェラス郡にあるボールド・ヒルという場所で、地表か
ら43メートル地下にあった砂利の地層から、人間に類するような頭蓋骨の一部が、その
鉱山の所有者だったマティソンによって発見された。この地層は、200万年以上も前の鮮新世
の時代のもののようだった。地質学者J・D・ホイットニーはこれを調査し、カリフォルニア科学評議会
に、確かに鮮新世の地層から見つかったものであると報告した。
>154 1868年、ラルテはヴェゼール渓谷での新たな発見のことを耳にする クロ=マニオン洞窟 レ・コンバイユの洞穴
>177 1888年 ユージン・デュボア ジャワ島 ピテカントロプス・エレクトゥス
>178 G・フォン・ケニングワルドが約39万年前と立証
>177 1891年、ウォレスはハリソンに会いに行き、彼の石に深く興味をそそられた。高名な地質学
者 であったジョン・プレストウィッチ卿と同様に、ハリソンの旧石器や原石器は、道具を作る動物が何
百万 年も前から存在していたことを間違いなく立証しているとウォレスは考えたのである。
>43 1891年6月、イリノイ州のある主婦が石炭の塊を割ったところ、立派な金の鎖が出てき
た。鎖の半分は依然として石灰の中に埋もれていたが、その石灰はおよそ300万年前のも
のだった。
>161 1907年、ハイデルベルク近郊の砂坑から発見された顎の骨は、ネアンデルタール人の生
きていた時代を、およそ15万年前まで逆戻りさせた。
211:、
08/11/17 16:19:19 ezqymSWP
>148 1908年 チャールズ・ドーソン 英国のイースト・サセックスにあるピルトダウンという場所で、古代の人間の頭蓋骨を発見したと発表したのだ
>183 1911年、カトウィンケル オルドバイ渓谷 ハンス・レックが100万年前に類人猿が生息していたと推定。
>43 1922年、ジョン・リードという炭鉱技師が、縫い目まで確認できる人間の靴の後ろの半分の化
石を見つけた。コロンビア大学(ニューヨーク)の教授たちは、それが発見された岩は3畳紀のもの、
つまり2億1300万年以上前のものだと述べた。また彼らは、この化石が驚くほど人間の靴
に似ている、とも認めている。
>188 1924 ヴィットワータスランド大学の解剖学教授、レイモンド・ダート博士 タングという場所に
ある石灰岩の採石場から出土 100万年前の赤ん坊の人間 アウストラロ・ピテクス
>184 1929年、中国の周口店で発見され、北京原人と名づけられていた
1931年 ハンス・レックの推定に ルイス・リーキーが同意 石器を確認 その後、リーキーは、ヴィクトリア湖
の近くのケナムとカンジェラで、さらにふたつの発見をしていた。ケナムで臼歯を見つけ、
カンジェラでは頭蓋骨を3点見つけたのだ。これらもまた、完全に発達した人間、ホモ・サピエンス
のものであるようだった。カンジェラの地層は、40万年から70万年前のものだった。言い
換えれば、リーキーは、本来の時期よりも4倍も前に存在したクロマニオン人を発見したのである
>186 1933年の3月、38人の科学者からなる委員会が、カンジェラの頭蓋骨とケナムの顎
を調べ、顎のほうは鮮新世初期(100万年以上前の可能性もある)のものであり、頭蓋
骨は鮮新世中期(50万年前の可能性あり)のものであるとの結論を下したのだった。
>189 1936年に、ステルクフォンティンにある石灰岩の採石場 パラントロプス(人間もどき、の
意)・ロブストス 動物学者ロバート・ブルーム
1947年、ブルームはスワルトクランスの洞窟 テレアントロプス 直立原人
1948年 マカパンスガットのトンネル アウストラロピテクス・プロメテウス
212:、
08/11/17 16:25:02 ezqymSWP
>190 1953年大英博物館のケネス・オークリーは、ピルトダウン頭蓋骨をフッ素試験にかけ、それが
偽物 だったと発表した
>191 1959年 リーキー ジンジャントロプス530cc
1960年 リーキーの息子 ホモ・ハビリス690cc
>192 1972年8月トゥルカナ湖で粉々になった頭蓋骨を発見する。ホモ・ハビリス 290万年 800cc
>194-196 1973年、シカゴ大学の若い人類学者、ドナルド・ヨハンソン
1974年 アウストラロピテクス・アファレンシス(アファール砂漠の、の意
したがって、結局どうもこれが、原始人の科学が到達した結論であるようだった。人類は、
過去350万年かけて進化したもので、まずは類人猿のようなアウストラロピテクス・アファレンシスがい
た。100万年後、これがアウストラロピテクス・アフリカヌス(ダートの原人)に進化した。そして、ホモ・
ハビリスが登場し、ホモ・エレクトゥス(直立原人)、そして最後にホモ・サピエンスとなる。この系統図は、
確かに満足のいくものだし、きちんと完成してもいる。
213:、ミジンコ
08/11/17 17:35:49 ezqymSWP
エキストラの説明だけは、まだ終わっていないけど、どうしましょうか、、?
URLリンク(ja.wikipedia.org) 地球史年表
URLリンク(ja.wikipedia.org) 人類の進化
URLリンク(ja.wikipedia.org) 古生物学
URLリンク(ja.wikipedia.org) 地質年代
このリストは時系列順に並んでいる:
サヘラントロプス チャドの、600万年~700万年前の地層
サヘラントロプス・チャデンシス オロリン オロリン・トゥゲネンシス
アルディピテクス 610万から580万年前の中新世
アルディピテクス・カダバ アルディピテクス・ラミダス
アウストラロピテクス 約540万~約150万年前
アウストラロピテクス・アナメンシス アウストラロピテクス・アファレンシス アウストラロピテクス・バーレルガザリ
アウストラロピテクス・アフリカヌス アウストラロピテクス・ガルヒ
パラントロプス 200~120万年
パラントロプス・エチオピクス パラントロプス・ボイセイ パラントロプス・ロブストゥス
ケニヤントロプス
ケニヤントロプス・プラティオプス
ホモ・ 250年前~現代
ホモ・ハビリス ホモ・ルドルフエンシス ホモ・エルガスター ホモ・ゲオルギクス ホモ・エレクトゥス
ホモ・セプラネンシス ホモ・アンテセッサー
ホモ・ハイデルベルゲンシス ホモ・ローデシエンシス ホモ・ネアンデルターレンシス ホモ・サピエンス・イダルトゥ
ホモ・サピエンス(クロマニヨン人) ホモ・サピエンス・サピエンス ホモ・フローレシエンシス
214:、ミジンコ
08/11/17 17:59:02 ezqymSWP
コリンさんもWIKIも似たようなものでしょ、、、。
それなら問題は、エキストラですね、、、。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
問い合わせ: "テーブル・マウンテン" (全ページ/リンク元)
移動: ナビゲーション, 検索
項目名とは一致しませんでした
検索した名称のページは存在しませんでした。全文検索を試みます。 >>出ませんね、、、。
シエラ郡 (Sierra County) 、、、なし、、。
URLリンク(ja.wikipedia.org)(%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%82%A2%E5%B7%9E)エルドラド群、、、なし
プレイサー郡 (Placer County) 、、、なし、、。
チュオラムニ、、、、なし、、、。
カリフォルニア州には、エキストラがあるが、記載は無いようですね、、、。
フランク・カルヴァート、、、なし、、、。
せめて、仮説ぐらいはあっても、、、。
215:、
08/11/17 18:27:49 ezqymSWP
、、、、おかしいぞ、、、、何故か、エージがうごかない意味で、書き込み途中投稿が出来なくなってるが、、、。
仕方なく、新しいネットを開いてとりあえずこうして書いているんだが、、、。
216:、ミジンコ
08/11/17 19:07:17 ezqymSWP
一回、強制終了、、、。
シエラ郡,,, グーグル検索で出ますね、、、。でも、化石について触れたきじゅつは見当たりません。
他は、大体、名詞ぐらいは出るんですけどね、、、。
つまり、検索では調べようもなさそうです、、、。
>>43のマイケル・ペイジェントの「古代の遺跡」関係の話は、ネットでは調べようがなさそうですが、
テレビでやっていましたよね、、、。とある地域の地形のジオラマが古代の遺跡から見つかったとか、、、。
その意味では、恐らく、本当でしょう、、、。
後は、アンビリバボーで、巨人の骨とか足跡とか、、、、。恐竜の時代から居たらしい、、。
なにやら酸素が濃密で、巨大な肉体が可能だった時代だとか言っていた、、、。
カブレラストーンと言うのも紹介されていたが、捏造であるとWIKIでは記述されている、、、。
しかし、捏造と言う記述が本当か、わかりにくいものがある、、。何だってでっち上げの情報操作で成立ってきた意味では、、。
どんな主張もへたにまに受けられないんです、、、。特に、キャトルミューティレーションが一番きわどい、、、。
ところで、>>43は科学的分析はしたの? これほどの話だったら普通、言うよねぇ、、、。
乳棒や鉄のくぎの件に関しては、自然現象でありうるんじゃないでしょうか? 何でコリンさんほどの人がそういうんでしょうか?
マストドンの骨の彫刻だって自然現象で起きませんでしょうか?
金の鎖の件は捏造できませんかね、、、?
靴の足跡も岩石による跡によって起きませんかね、、?
乳棒の件は、使い古した痕があるとか聞いたような覚えもあるが、、、。困ったなぁ、、。何百例だよね、、。
217:、ミジンコ
08/11/17 19:36:15 ezqymSWP
早い話、宇宙人の地球訪問を引き合いにすれば、それで済む問題ですけど、、、。
確かに、現在でも宇宙人は痕跡を残すんですよね、、、、。
後は、それが人のものである可能性の場合、何を意味するかですよねぇ、、、。
2億年前と言うと恐竜が絶滅したあたり、、、恐竜が絶滅しても人が生き残った?
>>140-144ミッシングリンク >>157-170 過去から現在にまでいたる異種族の共存
、、、そして、退化と進化の弁証法>>193
ちょっと、恐竜の時代にサルは居ないでしょう、、、。ミッシングリンクと言う事は、人間の出現は、
つまり、サルから人間に至る時に、早く人間になったものと遅れて人間になったものに分かれるものと考えられる、、。
ひょっとすると、その場合、恐竜の時代にサルや猿人が居た可能性があるか、靴を履く知的恐竜が居たのかもしれない、、。
シュタイナーの言うレムリアは、爬虫類のはずですからね、、、。いや、レムリアでなくても、それ以前の進化段階は、アトランティス以前は、動物ですからね、、。
、、、ちょっと、考えられないか、、。人間の出現は、アトランティスに起こったと言っている意味では、、。
と言う事は、人間ではないが、現在の人間と同様の振るまいをする機械的な動物が偶然に出現しうる事が起こりうる
と言う世界の作りを教えているのか、、、、?でも、ダヴィンチを見てみると、次元を事にしてそういう事が起きうるような気は
しないわけではない、、、。一部の人間が神を越えたことについて扱う事がありえれば、
動物が現在の人がしうる事をなすことが何らかの理由によって起こりうることがあるのかもしれない、、。
現在の人間には、はるかかこのものが含まれる事もあれば、そのなかにはるか未来のものも含まれる事もありうるはずである、、。
218:ミジンコ
08/11/17 20:24:56 ezqymSWP
石器を使う猿人と使わない猿人が共存していた時代があることは、既にわかっている、、。
同様に知的な恐竜とそうでない経竜が居たか、恐竜と猿人・人であって人ではない動物人間が共存していた可能性、、。
ひょっとすると、未進化の猿人と進化を初めから先に遂げていた人が、全体的人間としての人として繋がったのがアトランティスなのかもしれない、、。
現在は、原始から現在にいたるいろんな種族が共存していると言う見解は否定できまい、、。
先ず、異種族の共存と言う考え方は、平行世界・パラレルワールドとその交流と言う見方が出来るかもしれない、、。
また、現在の人間には、はるかかこのものが含まれる事もあれば、そのなかにはるか未来のものも含まれる事もありうる
というのは、重層性の問題なのかもしれない、、、。
スレリンク(mental板:311番)重層性
スレリンク(mental板:265番)平行世界
重層性は、平行世界として隔たった異なる複数の次元にまたがる性質のものであることを示す有様、、、。
一つの存在も人の見方によって、様様異なった姿をとると言うのは、量子力学やゲーテの色彩論テーマでもある、、。
スレリンク(rikei板:286番)平行宇宙
スレリンク(rikei板:280番)シュレディンガーの猫 自然科学はおとぎの世界をさまよう有様です。
ファンダジーの問題ですよね、、、。特にエルフとか、、。見方によってはコウモリに見える人相はあるが、
もともと人間の表情や人相は、相手次第で変わるものです、、。私は、二度ほど変なものを見た覚えがある、、。
スレリンク(sm板:315番)
スレリンク(uranai板:426-435番)
魚みたいな顔になった奴と、コウモリみたいな顔になった奴、、、。 多重人格と言う問題もあるし、、。
情況や見る相手や見方によって、変容する奴、、、。
それぞれの種類の人間がそれぞれの種類の人間の影響に応じて姿を変えるというか、、、。
それに応じて能力も急激に変わっていく事が起こりうるのかもしれない、、。
サルだが,一時的にある範囲で人になったり、科学技術を駆使するようになったり、空を飛べたり、、。
UFOの宇宙人の影響を受けたり、神や悪魔の影響を受けるとか、、、。
219:、
08/11/18 07:58:03 ypkSazEo
ただし、その存在の物質的な痕跡は、骨格だけが屍骸では残るように自然法則が成立っているとか、、。
、、、、。キーワードは、ミッシングリンクの異種族の共存、重層性と平行宇宙、、、ですね、、、。
220:、
08/11/18 08:00:41 ypkSazEo
、
221:、禁じられた考古学
08/11/18 08:02:00 ypkSazEo
それにしても、人類が出現したのが、200万年前か、1000万年前か、あるいはもっと前で
あっても、いったいどんな違いがあるというのか。
アウストラロピテクス・アファレンシスが、およそ350万年前かかってホモ・サピエンスに進化したという仮説を
受け入れるならば、別にまったく違いは無い。
というのも、問題は、時間の経過、ということなのだ。
アーサーキース卿は、タングの頭蓋骨について、「人間の祖先の系譜に属するには、時間的に見てそ
の登場があまりに遅すぎる」と書いた。その時点では、タングの頭蓋骨は、100万年前のもの
考えられていたので、この類人猿のような生き物がホモ・サピエンスになるのに、90万年では時
間的に無理があるとキースは考えたのだ。
しかし、たとえルーシーが、それよりもずっと初期の人類の原型であったと考えたとしても、
問題はまだ残る。ルーシーと「ダートの赤ちゃん」との間に流れた200万年ほどの年月では、変
化らしい変化はほとんど無い。両者とも類人猿であることも考えられるのだ。50万年前の
直立原人でさえ、まだ類人猿らしいところがある。それなのに、その後わずか40万年、地
質学で言えば、瞬きの一瞬にしか過ぎないこれだけの時間で、ホモ・サピエンスが現れ、現代
人よりも大きな脳を持つネアンデルタール人が現れるのである。
が、そうではなくて、もしレックやリーキーがただしいとすると、ホモ・サピエンスは200万年以上も存
在していたことになり、時間の経過は、はるかに信じやすいものになる。メアリー・リーキーは、
ラテオリの足跡についてこう書いている。「、、、、、少なくとも360万年前、鮮新世の時代に、人
間の直接の祖先と考えられる存在が、2本の足でまっすぐに立ち、地上を闊歩していた、、、、、
その足の形状は、私たちのものとまったく同じだ。」そして、人類の進化で大事なのは足の
形であるため(その生き物がいつの木の上から地上に降りてきたかを示す)、これは極めて
大きな重要性を持つ。
222:、
08/11/18 08:20:40 ypkSazEo
人間お足を持つ人が300万年以上前に存在していたとすると、文明は歴史学者が考えてい
るよりも何千年も前から存在していたという、この本の論点に対して有益な指示を加える
ことになる。一見これは馬鹿らしいことのように聞こえる。何百万年という単位の話をし
ているときに、どうして数千年が問題になるのか?だが、ここで問題の核心となっている
のは、人間の精神の発達なのだ。ナイジェル・コールダーは「タイムスケール」の中で、人類学者のT・ウィ
ンを引用し、心理学者のジャン・ピアジェの開発した試験を、タンザニアのイシミラの石器(ウラニウム鑑定
法によると、これは33万年前のものであるとの結果が出ている)に引用してみると、これ
を作ったものは、現代人と変わらぬ知性のレベルの持ち主だったことを示しているという
のだ。
これは直立姿勢の生物が360万年前に闊歩していたという、メアリー・リーキーの言葉と変わらぬ
ほど驚愕する概念である。もし高度な知性を持つ生き物が33万年前に歩き回っていたなら、
彼らはなぜそれを用いて何かをしなかったのか?例えば弓矢を発明するとか、絵を描くと
かである。だが、実はこの問い自体が妥当なものではない。発明というのは、難題に直面
した結果として生まれる傾向があるのだ。それがないと、ものごとは、昨夜やその前の日
とまったく同じように進んでいきがちなのである。広漠とした環境に離れ離れに生息して
いる小さな人の集団は、ちょうど、いまから数世紀前に、隔絶された遠い村々に住んでい
た人たちと同じ立場にあったといえる。彼らは信じられないほど限られた偏狭な生活を送
っていたに違いない。各世代は、その父、祖父、曽祖父たちとまったく同じことをしてい
たことだろう。それは誰も新しい考えをするものなど居なかったからだ。19世紀のロシアを舞
台にした小説に出てくるようなむらをまず想像し、その退屈さや偏狭振りを10倍にしてみ
れば、人間がどうして何十万年も変わらないままでいることができるのかわかってくるだ
ろう。
言い換えれば、高度な知性を持った人間が、ひたすら同じ稚拙な石器を作り続けていた可
能性もあるということで、それはわざわざ別のことをする理由も無かったからなのだ。直
立歩行はたしかにある種の強みを与えてくれる。ヒトは、サルや犬に比べて遠くまで見ること
ができるし、両眼が頭の両側ではなく、並んで位置しているということは、距離感覚がよ
くなり、狩猟においては強みとなる。しかし、もし新たな難題が出現しなければ、直立歩
行している生物といえど、100万年たとうとも何か変化がおきねばならないという理由は何
もないのだ。
223:、
08/11/18 08:30:42 ypkSazEo
それでは、もっと明らかな反論についてはどうか。つまり、もし300万年ないし400万年
前に人類の祖先が大地を歩いていたとするなら、なぜこの化石が見つかっていないのかと
いう疑問だ。その答えは、(著書「湖の人々」にある)リチャード・リーキーの言葉に見出すことが
できる。「もし、これまで発見された私たち人類の祖先(そしてその生物学上親戚)の化石
すべてを、ひとつの部屋にわざわざ集めたとしても、、、、大きなテーブルが2つもあれば、そ
れを全部広げることができてしまう。」先史時代の大地を歩いていた何百万の人のうち、私
たちの手元にあるのは、わずか数片の骨にしか過ぎないのだ。。
だが、今の状態でも、そのテーブルには、レックの頭蓋骨やリーキーのカナム顎骨など、きわめて興味深
い証拠があり、人間は、私たちが考えているよりも長い間存在していたことを示している
のである。
1976年、マイケル・A・クリモという政治学専攻の若いアメリカ人の学生が、ヒンドゥー教の一つの形
態である、ガウディヤ・ヴィシュヌ教を教える、フロリダ州のヴァクティヴェダンタ研究所の一員となった。
スワミ・プラブパーダという名で知られるクリモの導師は、彼に対し、ホモ・サピエンスが、普通考えら
れているよりも何百万年も前から存在していたことを立証しようとする見地に立って、古
代人類学を研究してはどうかと示唆したのだった(プラブパーダは、翌1977年にこの世
を去った)。
宗教的な理由から科学研究を始めるというのは、考えるだけで疑惑の念がわいてくるのも
仕方の無いことだ。進化論の是非が問われたテネシー州でのスコープス裁判、あるいは今日でも進
化論に反対している現代の再生キリスト教徒のことが思い起こされる。だが、ヒンドゥー教の基本
的な考え方を、キリスト今日の一部に当たる教条的な形とひとくくりにしてしまうのは間違え
である。ヒンドゥー教というのは、驚くほどドグマのない宗教だからだ。その最も基本的な信
念は、サンスクリット語で言う「タット・トゥヴァム・アシ」、「汝、ただあるなり」、つまり、個人の魂の本
質(アートマン)は、神の本質(ブラフマン)と同一のものである、ということだ。キリスト教では、「神
の王国はあなたの内にある」という言葉が、普通これと同じ事を表していると考えられて
いる。
つまり、ヴェーダンタ哲学(ヒンドゥー教の基本哲学)の中核を成すのは、現実の精神的/霊的な
本質を信ずるという、非教条的信念なのである。したがって、クリモの与えられた研究課題を、
聖書の創世記の記述に反するからといって、キリスト教原理主義者がダーウィン主義の誤りを
照明しようとするのにたとえるのは正しくない。ヒンドゥー教で創世記に当たるのは、お
そらく世界最古の文学作品であるヴェーダ聖歌で、ヴェーダについての論表であるヴァガヴァッ
タ・プラーナにつは、人類はこの地球上に、「ユガ」と呼ばれる膨大な周期を4回繰り返すだけ
の時間、存在しているとかかれている。一つのユガは、「神人の年」数千年であり、神人の
一年というのは地球の360年に当たることから、4回のユガ周期の合計は432万年とな
る。
224:、
08/11/18 09:01:55 ypkSazEo
誰が、ヤフー関係が、操作をやってる、、、?
しばらくの間、何故か、原因不明のムデムのランプの点滅があって、つながらなかったんですけど、
天候もおかしくないし、、、。
ペースを壊す働きかけだとか、西太后のタイミングのやり方だよな、、、。
225:、
08/11/18 09:04:56 ypkSazEo
こんな事があったのは、8月4日前後以来かな、、、、。
226:、
08/11/18 09:08:52 ypkSazEo
やってられねーな、、、30分きっかりだな、、、。
恐怖の占い 百期夜行の地獄スレ [占術理論実践]
工事が来なくなったかと思えば、今度は、ネットの中断か、、、、。
、、、あの手この手だな、、、、。
227:無
08/11/18 09:11:27 ypkSazEo
>>224
、、、、、一部の人は気付いていると思うが、やはり、オカルトだ、、、。
228:、
08/11/18 09:41:21 ypkSazEo
やだねー、、、どことどこが、どういうつながりになっているか解らないでしょ?
ネットは闇のものですかね、、、今は、、、。
スレリンク(sm板:561番)-565
恐らく、人工衛星のサーチくらいに、網の目になっている、、、、。
、、、化学から魔術まで、様様な方面から、、、。
229:、
08/11/18 15:17:58 ypkSazEo
>>223
スレリンク(mental板:263番) ウパニッシャド教
URLリンク(ja.wikipedia.org) ユガ
しかし、クリモは、バガヴァッタ・プラーナの正しさを「証明」するのではなく、ただ古代人類学の
証拠を調べ、それを客観的に評価するよう依頼されていたのである。
彼と、数学者、科学者である同僚のリチャード・L・トンプソンは、その後、数年かけて、人類の
起源についての証拠材料を調べることになる。最終的に、2人の著書「禁じられた考古学」
は、1993年に出版される。この本は、ダーウィン主義に賛成あるいは反対の立場で論陣を
張るものではなく、古代人類学の歴史の徹底的な研究である(その長さは900項を超え
る)。
クリモは、1859年に「種の起源」が出版されてから、1894年にジャワ原人が発見され
るまでの期間、先史時代の人類についての研究報告がほとんど無いことにいたく好奇心を
そそられた。19世紀後半から20世紀初頭の人類学の文献を調査してみると、この期間
の論文は、その多くについて悪い評価が下されていることが分かった。このことから、研
究報告は実際には数多くあったのだが、新たに確立されたダーウィン主義の正統派の観点を否
定していたために、無視されていたのだと彼は気付いた。脚注などからこういった論文の
所在を突き止め、その各地の大学図書館で元の論文を探し出して、やっとこれらの報告を
目にすることができたのだった。
彼らの著書に引用されている何百という例の中から、ここにいくつかあげてみよう。
1870年代初期、フォン・デュッケル男爵は、アテネ博物館で、骨髄を取り出すために意図的に砕
かれた痕跡のある動物の骨に興味を惹かれた。その中には、絶滅した三つの指の蹄を持つ
馬、ヒバリオンのものもあり、砕かれた破片の角がとがっていたことから、それは動物の歯で
徐々に噛み切られたというよりは、思い意思で砕かれた可能性が高いことを示しているよ
うだった。フォン・デュッケルは、発見場所の、ピケルミという村に行き、ほどなくして、こういう
砕かれた骨を山ほど発掘したが、それは、中新世後期の地層であることに疑いの余地は無
いという立場彼であった(中新世後期といえば、確実に500万年以上前である)。
230:出土地不明
08/11/18 17:22:16 ypkSazEo
博物館でこの骨を展示品として選んだアルバート・ゴードリー教授は、「確かに、人間の手で砕い
たときと似たような砕け方をした骨を見つけることがたまにある」と認めた。そして、こ
うも付け加えたのだ。「でも、そのことを認めるのは、私にとって難しいことなのです。」
他の学者たちは、これらの骨はハイエナのような動物によって砕かれたのだと主張した。
ちょうどこのころ、1872年地質学者のエドワード・チャールズワースは、ちょうど現代の南海の
島の人々がするように、ネックレスを作るためであるかのごとく穴が開けられたサメの歯
を王立人類学学会で見せた。これが見つかった地層は、200万年前から250万年前の
ものであった。リチャード・オーウェン教授は、「人間による機械的な作用」が可能性としては一番
高いとの意見を述べた。もちろん、アウストラロピテクスは、装飾品は使っていない。チャールズワースは、
穿孔性の軟体動物の可能性は否定していたのに、学者たちは、これらの穴は、磨
耗、腐食、そして寄生物の組み合わせによってできたものだとの結論を下したのである。
1847年、考古学者のフランク・カルバートは、中新世の時代に人間が存在していた証拠を発見
したと発表したのだ。ダルダネユにある断崖で、彼はディオテリウムかマストドンのものである骨が、「角
のある4足獣」の絵の一部として埋め込まれているのを、7,8点のほかの絵とともに見
つけたのだ。チハチェフというロシア人の地質学者も、この地層は中新世のものであるとの意
見に賛成だった。だが、カルヴァートはアマチュアであるとみなされていたため、この発見は無視さ
れた。
ここでは要点だけをあげているに過ぎないが、クリモは、このほかに何十という例を記してい
る。その中で最も印象深いのが、カルロス・リベイロのケースだ.
前章で、カリフォルニア州のでの発見に関連して名前の出てきた地質学者J・D・ホイットニーの書いた
文献の中に、クリモは、1860年代にいくつか興味深い発見をしたというポルトガル人の地質
学者、カルロス・リベイロという名前が何回か出てくるのに気付いた。しかし、リベイロの研究など
は図書館では見当たらなかった。やっと、ガブリエル・ド・モルティエの「先史時代」に、リベイロの
話が出てくるのを見つけ、その脚注から、フランスの考古学者や人類学の学術誌に載ったリベイロ
の記事を難点か探し出すことができた。