08/03/30 18:18:57 qCJGDHh0
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/ ̄ ̄ ヽ,
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\ ノ//, {0} /¨`ヽ {0} ,ミヽ / \ /
\ / く l ヽ._.ノ ', ゝ \ < そろそろやデ >
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/_ノ / ,ノ 〈 \
( 〈 ヽ.__ \ \
ヽ._> \__)
2:、めいちゃん
08/03/30 18:20:15 qCJGDHh0
ふふん
/ ̄ ̄ ヽ, / ̄ ̄ ヽ, / ̄ ̄ ヽ,
/ ', / ', / ',
{0} /¨`ヽ {0} {0} /¨`ヽ {0} {0} /¨`ヽ {0}
l トェェェイ ', l トェェェイ ', l トェェェイ ',
ノ `ー'′ ', ノ `ー'′ ', ノ `ー'′ ',
/,, -ー 、 , -‐ 、 /,, -ー 、 , -‐ 、 /,, -ー 、 , -‐ 、
( , -‐ '" ( , -‐ '" ( , -‐ '" )))
`;ー" ` ー- -ー;'" `;ー" ` ー- -ー;'" `;ー" ` ー- -ー;'"
l l l l l l
3:、
08/03/30 18:21:29 qCJGDHh0
正攻法の正規の考古学・百鬼夜行の戦慄のデスマッチ
、、、、、、、、、、スレッド、、、、、、、、、。
4:、
08/03/30 18:45:29 qCJGDHh0
6
5:、
08/03/30 19:52:14 qCJGDHh0
先ずは、適当に、ぶっちゃけからはじめよう、、。
/ ̄ ̄ ヽ,
/ ',
{0} /¨`ヽ {0},
・ 。 ||.l ヽ._.ノ ', i
\. ||リ `ー'′ ', | i
゚ヽ | | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | ダンッ
。 ゚ _(,,) めいちゃん (,,)_ / ゚
・/ヽ| |て ─ ・。 :
/ .ノ|________.|( \ ゚ 。
 ̄。゚ ⌒)/⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒ヽ\  ̄ 。
6:、
08/03/30 20:04:46 qCJGDHh0
URLリンク(ja.wikipedia.org) 古人類学
URLリンク(ja.wikipedia.org) 考古学
7:、犬猫にゃんわん
08/03/30 20:15:04 qCJGDHh0
ほとんどの歴史学者が承認するであろう、シナリオを要約してみよう、、、。
およそ、1万2千年前のアフリカ。降雨量が減るにしたがって、中新世ののどかな森林が消滅
しはじめた。700万年後の鮮新世までには、森林は草原にとって代わられる。
この時点で、人類の祖先、ラマピテクスの一種である類人猿が、木々から降り、
サバンナで運を試してみようと決心したのだった。300万年前後、類人猿はアウストラロピテクス・
アファレンシスへと進化した。ルーシーと彼女の同類は、肉食のダルシアンと菜食のアウストラロピテクス・
ロブストスの二つの種類に分かれていく。
8:、犬猫にゃんわん
08/03/30 20:33:24 qCJGDHh0
今から、200年前、再び雨が降り始め、洪積世の時代が始まったが、この氷河期は
6万5000年続いた。そして、洪積世の残りの時代にも、「間氷期」、つまり、砂漠を作り出した
温暖期が何度かあり、その後に、氷河期が訪れると言う周期が4回あった。
この時期、アウストラロピテクスは、自分の才能に気づき、武器を使う事を覚え、進化の階段を駆け足で上り始めて、
人類となったのである。まずはホモ・ハビリスに、そして、脳の容量がアウストラロピテクスの倍あった、ホモ・エレクトス
になったのだ。
そしてこんどは、約50万年前に、科学がこれまで説明できていないもう一つの謎の出来事が起きる。
「脳の爆発的発達」である。50万年前から近代までに、人間の脳はさらに3分の1拡大したが、そのほとんどは大脳、
つまり、脳の上部にある思考に使われる部分で出来ている。「アフリカ創世記」の中で、
ロバート・アードリーは、これが、どうして起きたのかについて、興味深い仮説を提示している。
9:、犬猫にゃんわん
08/03/30 21:19:15 qCJGDHh0
約70万年前、巨大な隕石、あるいは小惑星がインド洋上空で爆発し、テクタイトと呼ばれる小さな破片を
2000万平方マイルにわたる地域に降らせた。地球の極も、やはりこの時期に逆転し、北が南に
南は北になった。(これがなぜ起きたのか、また、なぜ地球史の中でこれが数回にわたって起きているのかは
解かっていない。)。この時期、地球は磁場が無い状態となり、遺伝子の突然変異を引き起こす可能性のある
宇宙線や高速度分子が地球に降り注ぐ状態につながった事もありうる。理由はどうあれ、
人類は、それまでの300万年間よりも、この50万年の間のほうが著しい進化を遂げたのである。
「脳の爆発的発達」は、真の人類の時代への幕開けとなった。ネアンデルタール人は15万年前(あるいはその倍の期間)
続いた進化の実験の失敗例で、彼ら猿人は、クロマニオン人との競争に生き残れず、
この実験は崩壊する。クロマニオン人は、約万年前にネアンデルタール人を絶滅に追い込んだのだった。
ここではじめて、近代人類が登場する舞台が整う。
10:、犬猫にゃんわん
08/03/30 21:40:05 qCJGDHh0
そして、突如として歴史は早く動き出すのである。
およそ1万8000年前の氷河時代のエジプトで、小川のほとりの沼の割れ目に落ちた種が
作物となり、それを石器のカマによって収穫できると言う事に誰かが気づく。
その1000年後、綱や獣脂を使った明かりを作る事を学んだ狩猟者たちが、
フランスのラスコーで洞窟に動物の絵を描いた。それは、これまで見てきたように、
芸術的な理由からではなく、動物たちを自分の罠に誘うための魔術の儀式の一部としてであった。
1万4000年前、氷が溶け始めた頃、アジアにいた狩猟者達が、当時は陸続きだった現在のベーリング海峡を渡り
アメリカ大陸に生息を始める。他の者たちは、船や漁業のの道具(モリ、釣り針など)
を作る事を覚え、海から取れるもので生活した。日本では、初めての陶器がつくられる。
1万2000年前、狼が飼いならされて犬となり、続く千年紀の間に羊とヤギがこれに続いた。
11:犬猫
08/04/03 23:56:00 Ybu2jLr8
1万600年前、ヨルダン川流域にある、今はジェリコと呼ばれている場所に、城壁がある
場所に、城壁のある都市がはじめて出現し、その居住者たちは、麦と言う作物を収穫していた。
つぎの1000年間で、遺伝子上の偶然が、麦とその原種のひとつであるクサビコムギ草を交配させ、
さらに重く、まるまるとした変種であるエンマ小麦を作り出した。さらに偶然が重なり、このエンマ小麦がクサビコムギ草と
交配してパン小麦を作り出すが、その穀物の粒は、重く、びっしりと詰まっていたため、
風で飛散することもなかった。この新しい穀物を栽培することを覚えたのが人間であり、このため
狩猟収集者である事を辞め、農民となったのである。家畜に牛を加え、羊や山羊の毛を布地にする方法や、
畑を灌漑する方法を学んだのであった。
12:犬猫
08/04/04 09:28:47 MjpiujhS
理由はなぞだが、この農業革命は、世界中に広まった。アフリカと中国では、きびが栽培される。
アメリカ大陸では、豆腐とトウモロコシが、ニューギニアではサトウキビ、インドシナでは、米が栽培されるようになった。
8000年前、今日の私たちが文明と考えるものが、地球の隅々まで広がった。オーブンでパンが焼かれ、
陶器も作られた。地表に塊としてあった銅が発見され、それが打ち延べられて刃物が作られる。
しかしある日、たまたま火に落ちた緑色の孔雀石の塊から金色の液体が流れ出しているのに誰かが気づき、
これが固まると純粋な銅に変わることが解った。次の一歩は孔雀石の塊をパン焼きオーブンに入れ、そこから流れ出す、
銅を集めることだった。それを使って、斧ややじりを作ることが出来た。
13:犬猫
08/04/04 09:52:29 MjpiujhS
問題は、胴がやわらかいためにすぐきれなくなってしまったことだったが、これも、6000年前に、
砒素が銅を硬化させて合金を作る力があることがわかり、解決した。錫も同様の性質があり、この結果、
作られた、剣を作るほどの高度を持つ金属は、青銅と呼ばれた。新たに飼いならされて家畜となった馬と言う動物
(現在の子馬程の大きさ)と、この剣によって戦士階級は周辺に住むものたちを恐怖に陥れることが出来るようになったため、
城壁で囲まれた町が増えて行った。
また、6000年前には、鍬で大地を耕す労働がきついと考えた誰かが、午を鍬につなげる事が出来れば、作業が楽になると思いついた。
引き具の発明でこの問題が解決すると農民はもっと重い鍬つまり鋤をつかい、中近東の大地の細かい乾いた土を耕すことが出来きるようになった。
数世紀後、この鋤を使う中近東の農民たちが北へと移動し、ヨ^ロッパの森を切り倒して、
鍬で耕すには重過ぎる土壌であることの土地を開墾することが出来た。彼らが、現在のヨーロッパ人の祖先となる。
14:犬猫
08/04/04 14:57:30 MjpiujhS
町と町の間の交易は、羊、山羊、あるいは、穀物の量など物資をあらわす何
かのしるしが必要であることを意味していた。実は、およそ、一万年前の最
古の農民たちは、石器時代の人間の使っていた、印をつけた骨などを元に、
粘土で円錐や円筒や球体などのさまざまな形を作りそれを交換できる物資
を表すものとして使っていた。5600年前、メソポタミアのシュメールでは、王の会
計を担当していた者が同様の代貨を陶器の入れ物に入れ、税の要求として送
っている。次のステップは明らかだ。やわらかい粘土にさまざまな形を押し
付け、円錐や円筒や球体を作る手間を省くのである。だが、やわらかい粘土
を使うことを考えたのだから、そこに何か動物や人間を表すシンボルを刻むこ
とをおもいつくのは当然だ。こうしてはじめて文字が使われ、これは、人間
の発明の中で最も重要なものとされている。ついに、使いものの記憶に頼ら
ずとも、人は遠くにいる相手と意思を伝え合うことが出来るようになった。
石器時代の人間が、月の満ち欠けを骨の上に刻み込んだように、人間は自分
の知識を蓄積することが出来るようになったのである。
15:犬猫にゃんわん
08/04/04 17:55:27 MjpiujhS
そして、この時点、文明の発達においてこれだけ遅い時期に、私たち現代人があらゆるものの中で最も重要だと見
る発明、車輪が登場する。これがどうしておきたのかは誰も定かではないのだが、一番可能性が高いのは、地中海
沿岸の陶器を作っていた者の発明だと言うものだ。つまり、回転するテーブルの上で粘土を回転してやると、手で
形をつけやすくなると言うということをおよそ6000年前に学んだと言うことである。だが、回転テーブルをどう
やってまわせばいいのか?明らかな答えは、地面にあけた穴にまっすぐ立てたじくの上にのせてやると言うことだ。
もうひとつ別の車輪を地上すぐの位置につけてやれば、それを足でまわすことが出来る。車輪が重ければ重いほど
それは、一定の速度で回ることとなる。
16:犬猫にゃんわん
08/04/04 18:47:18 MjpiujhS
それまでの交通は、まだ車輪なしでやってきていたが、私達の祖先は、コロヲ並べることで重い物体を動かせる事
を知っていたことは確かだ。雪の降る地方では、それがそりとなった。しかし、軸の両側に二つの車輪をつけると
言う考えは、新たな可能性を示した。例えば、鋤にこれをつけると、ひくのを楽にしてくれた。そして、大きな箱
の下にこれを四つつければ、重いものを運ぶことも出来た。
車輪を作る最も簡単な方法は、丸太を輪切りにすることだった。だが、これには欠点があった。年輪と交差する形
で外に広がる線は、木の弱い部分であり、このような形で作られた車輪は、すぐに割れてしまう。外側に金属のバ
ンドをつけても、バラバラになるのを防いではくれるが、それでもやはりどうしょうもなく弱い。これを解決するに
は、何本かの板材を一つにまとめ正方形を作った後、円形にきることだ、これで外側に金属のバンドを打ちつけれ
ばきわめて耐久性のある車輪が出来る。
17:犬猫にゃんわん
08/04/04 18:48:43 MjpiujhS
だが、軸の両端に車輪がこていされていたら、いったいどうやってそれが回ることが出来るのか。最初に使われた
解決策は、革紐か金属のバンドをもちいて荷車(あるは鋤)の下側に車軸を固定することで、軸自体をかいてんさ
せるということだった。すぐに技術は進歩し、車軸と車輪の中心との間に小さな隙間を残すことでこれは解決した。
この隙間に円筒形の短い杭を埋め込むことも出来た。最初のポールベアリングの誕生だ。
こうして、およそ5500年間、地中海人は歴史に対する最も重要な二つの貢献を生み出した。文字と車輪である。
文字とは、ひとつの進歩的な絵文字であり、車輪もこれも荒削りな部品で出来ていた。だが、それはその役目を十
分に果たした。そして、もしも文明が、初期の農耕時代のように平和で安定していたとしたなら、その後、400
0年は何の変化もなしに続いて行ったのかもしれない。だが、人類の歴史に一つの新たな要素が加わり、それが、
変化の速度を速めたのだった。戦争である。
18:犬猫にゃんわん
08/04/04 18:49:56 MjpiujhS
馬を飼いならしたことと青銅の発見は戦士という、新しい種類の人間をすでに創り出していた。しかし、初期の戦
士たちの活動は、自分の領土を守ることと、時としてほかの領土を奪うことだけに限られていた。だが、町が都市
へと発展し、都市がどんどん繁栄の度を増して行くにつれ、その支配者の力も強大になって行った。必然的に彼ら
は、領土拡大を考え始めた。それは、征服であり、税の収入が増えることを意味していた。車輪が発明されてから
数世紀の間に、中近東では、こうした王たちの時代がはじまった。だが、戦争では早い馬車が求められ、それは、
軽い車輪によって初めて可能になる。その結果起きたのが、スポーク付の車輪の発明だった。そして、これらの車輪
に刃が取り付けられると、それは戦いで絶大な力を発揮した。バビロニアの北部アカードは世界で最初の帝国となり、4
400年前までには、その王は自分のことを「地上すべての帝王」と称していた。
19:犬猫にゃんわん
08/04/04 19:12:15 MjpiujhS
帝国においては遠く離れた場所の間でのコミュニケーションが必要であり、それ間伝初期的な絵文字では、もはや対応でき
ず、不十分となった。約4400年前、メソポタニアで暑気をしていた誰かが人類史を通じて最もすばらしいひらめきで
あるひとつのアイデアを思いついた。物の絵ではなく、人間の言語に基づいた文字の体系をあみだすことである。言
い換えれば、アルトクテイノシンボルが、一つの音節を表すようにするのである。その2000年後、中国では古い絵文字に基
づいた文字体系を作り上げる。その結果中国には約8万物文字がある。二つの河の地(メソポタミア)で、この音節文
字を考えついた天才は、人類史上、最も重要で、想像力あふれた一歩を踏み出したと言える。
これとほぼ時を同じくして、ロシアの大草原地方の騎馬民族が南下し、現在のトルコにあたる地域に侵入した。彼ら
戦車駆る者たちは、地中海人に比べ、肌の色が白く、中国とインドへと進入して行く過程で、現在ではインド―ヨーロッパ
系と呼ばれるようになった言語と文化を持ち込んだ。さて、一方、地中海と隔ててたエジプトでは、5200年前まで
には、遊牧民の各部族が、伝説のメネス王のもと、ひとつにまとまり、およそ4600年前、ミイラを作る技術を発見し、
人類史への貢献をする。そして、マスタバと呼ばれる、王の墓を、巨大な石を使って建設されるピラミッドへと発展
させたのだ。数百年の間に、エジプト人は、驚くほど高度な科学、数学、天文学、医学を発展させた、、、。そして、
もちろんこれが、この本(コリンウィルソンの著作)のはじまる時点でもある。
20:、無動機単独テロ
08/04/04 19:23:34 MjpiujhS
、、、、ここまでが、このスレッドの出発点の前置きです、、、、。
_,.、-‐――- 、__
,ィ´:.,.ィ'´ ̄``:.:ー-、\`丶、
/: ://: '"´ ̄: : :\ヽ:}>、:.\
. ,r‐fーマ,イ : /:/ ̄ ̄ ̄``丶 :.:\:.:\
く―‐-、__〉/:/-――- 、 \:、\: ヽ
,.ィ''7ミ_,斗<,イ:.:./: : :./: :,.ィ'"´: : } :\ ヘヽ:ヽ:.ヘ
/ /:.く. //:.:.:./: \': :/: : : : :./: :,'!: \ハ:ヘ:. :ハ
. /| /:.:.ハムイ: : :/:./!: X: : : :._,イ:.:/ / | : |: ヽ!:.:!-‐┴-、
ムj _,厶://{ ,':.:. :i,ィfテッ、-ヘr''"/:./,イ 」_;ム:.:.リ:.:ト、ー-、 {
「 ̄、-‐<:.:./∨:.:.:.:.|`|ハ::::},ハ -‐''"´/ィ'"´!:/!: :/:.:.:!:|、\ーリ
レ'´ ,':.ハ:.:.:/:.:.:|:.:. : :|ヽ'=ソ /刋ミハ/:./: : :,':.| | K、
i/ |: :|:.:.:.:| : : : i {krjノ '",イ : : /!:.| レ'ト \
|! !: :ハ:.:.ハ : : :ハ /ヽ、 _'_ `"´ / : :./|: :.|.〈:.:.i ヽ
/∨::,ヘ: :|、: : : iヘ. {::::::::::ノ ,イ_,.イ:/| : |ヘ∨ !ヘ
. / i::./ ∧:| ヘ : ハ \`ニ´-‐ '"´-―‐-、:./|: ,'/\ | ∧
,イ |::i ,'::.ヽ! ∧:.|、_ / ̄`Y´ \ ∧_/i/ ヽ ム-‐'
/ |::|.! : :: :: 厶ハ|.::`Y´ / ̄`ヽ ヽ } / i\
〃 ヽ |::||:: :: ::.::レ、__``/ / ヘ`ヽ.ノ:| |/~
〈 \ |:∥: :: :: | :: ::`7 {__ ハ_/::.::|_
. { `'ー-、ハ ハ :: :: ::! :: ::/ /``ヽ\ | }-┤:: \
∨ \. V.∧:: :: ,>'"ヽ_/ |:: ハ !,イ └‐ー-ヽ
∨ ヽ ハ.∧::/__ / ∠ `ュ::| 〃
∨ >―\ {__ ``く / 〈/ | `>
. ∨ { :: ::r==t\` ー''tイ _,.、r'フ }__//ム
21:、参考データ
08/04/04 19:30:26 MjpiujhS
スレリンク(utu板:662-667番)
スレリンク(utu板:673-681番)
スレリンク(utu板:695-698番)
スレリンク(utu板:710-711番)
スレリンク(utu板:719-721番)
22:、↑
08/04/04 19:36:28 MjpiujhS
いかに解明されていないことがたくさん放置されたままになっている事か、、、、、。
23:、↑
08/04/16 19:29:23 +tkLtTil
URLリンク(ja.wikipedia.org) 春分点
URLリンク(ja.wikipedia.org) 差異差運動
URLリンク(ja.wikipedia.org) 大陸移動説
URLリンク(ja.wikipedia.org) 大陸と海洋の起源
URLリンク(ja.wikipedia.org) 極移動
24:、↑
08/04/16 19:41:18 +tkLtTil
23>>要するに確かな事は何一つ今のところ解っていないと言うか、、、。
URLリンク(ja.wikipedia.org)古代エジプト
URLリンク(ja.wikipedia.org) マヤ文明
URLリンク(ja.wikipedia.org) マチュピチュ
URLリンク(ja.wikipedia.org) ティアワナコ
25:、めいちゃん
08/04/16 20:10:39 +tkLtTil
24>> WIKIでは、古代エジプト文明は紀元前3000年発祥ですが、現在の最新の一般説は、BC7000年発祥と言う事です。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
その決め手はスフィンクスの洪水による侵食であると言う事になります。
洪水による侵食と言う事は、紀元前3000年よりはるか以前にさかのぼると言うことになるからです、、、。
同様に、インディオの文明も紀元前7000年にさかのぼると言う事らしい、、、。
このことによって、文明の発祥と同時に突如現代の科学技術でも追いつかない位の技術を必要とする
遺跡の謎に対する疑問が少し納得される事になる。
./" ̄ ̄"''ヽ
./ ̄"ヽ i | / ̄ ̄ ヽ,
/ ̄'',!-、bi | ./¨ヽ {0} .| / ',
,!-、bヽニ .', i_,.ノ .| .{0} /¨`ヽ {0}
ヽニ, ,' /´ \ `‐- _,,,,..| .l ヽ._.ノ
l´ >、_/ \__,>、,r'''" | ノ `ー'′
. l l / /〈 ー' ヽ |
l ノ l .l / / l,r‐';"´〉 ,r'",r''"
l,--、l / l ,l / / 〈 /'-'フ" <
_,r==' ノ`〉 l / / / l ヽl/"''''''''"
26:、訂正
08/04/16 20:12:56 +tkLtTil
25>>
このことによって、文明の発祥と同時に突如現代の科学技術でも追いつかない位の技術を必要とする
遺跡の謎に対する疑問が少し納得される事になる。
→ 遺跡 の文明の発生の 謎に対する疑問が少し納得される事になる。
27:、ミジンコ
08/04/16 20:35:00 +tkLtTil
次に、エジプトや中国やマヤやメソポタミアの文明の交流の痕跡が、つまり高度な科学技術の
共通点の事ですが、古代の人たちが何故当時、大西洋の横断までして交流があったのかの疑問も出てくる。
そして、どの文明も極点の同じ方向を指していてそれぞれの文明同士の遺跡が幾何学的関連のもとに
配置されたものである事を示す位置付けを占めている事が解ってきている、、、。
そこで、古代海洋地図(ポルトラーノ、古代の船乗りが使っていた地図)にまだ氷河に覆われていない
南極大陸が書かれているのがあり、その地図の作成が15世紀以前のものであるらしいのである。
氷に覆われる事の無い南極大陸の時代はいつか?ここで、大陸移動の問題がある。先ず、これが未だに解明されていない。
ぶっちゃけ現代の地質学では解明しきれてないのではっきりしないと言う事なのだが、
ここで、全ての鍵を握るのは伝説や古代遺跡の高度な科学力が手がかりになると言う事なのである。
28:、ミジンコ
08/04/16 20:43:24 +tkLtTil
/// //// // ,、-‐ヽ'、 ヽ',
/ / / / //,/_`` / /´ -- ハ| , lヽ
i/ / / //シ'rーt.ヽ / i´,彳'。) )ミ/ / ,|||
|! | / l. | |/ゝ,.'、.ソ ' | i ゝ-rrシ//;イj!!
! | :ト || ハ| ^'' ´` l! /'/ /
', |:;|ヽト! ト|:ト ´ イ´
ヽヽヽ|ヽト、:ヽ ー---' /
ヽ ` ヽ、 ` . /
_ 」,`ヽ、._ _/:',
、-''/ / ',  ̄ 'ヽ、
ここで、進行の手順を説明をするとすれば、これまで一般に言われてきた考古学の報告。
古代遺跡の科学力の分析の問題。 そしてそこから明らかになる歴史の真相の全体像の問題。
をこのスレッドで扱うと言う事なのです。
29:、
08/04/16 22:54:08 +tkLtTil
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旧約聖書エゼキエル書とUFO・宇宙船
エーリッヒ・フォン・デニケン著 『 未来の記憶 』 をきっかけに、 ...
エーリッヒ・フォン・デニケン著作も紹介。 旧約聖 >>m9(^Д^)プギャー
URLリンク(ja.wikipedia.org) コリン・ウィルソン
30:、
08/05/09 22:10:45 LVxXOCfn
、
31:、
08/05/20 07:41:43 2LlKsiTc
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_/:. :. :.‐-、:. :.\:. :. :. \:. :..ヽ:. :. :.\
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//: :. :.i:|:ハ:. \く ァテテミ:ハ: :. :. :.レ: :. |:::ヽ:\
|.|:. |:. :|:レ',ニミヽミ_>ト-ソ.}_./ |:. :. :.:|:: :. :|::::::ヽ:.:\
|:|:. |:. :|:V トrヘ. " ̄ /: :.:/イ }:: .:|:::::|:ハト、_:>
|:ハ:.|:..:.ト:|. ゞ'^、 /_:.イ:. :レ::::: :. |V|::| |
ヾ>、::> ィ } |:. :.:|:::::::: ∧:∨
/ハ:|:. :ト、 ヽノ /|:. : ハ::::::. :∧:.\__
VV|:. :V ヽ、 / /:. :./::∧::::: :∧ー'´
|:. :|: :. :::::|`::ーr'´ /. :.:/:::::::∧::::: :.\
ヽ、_」:. :.`ー‐::::|::::::」 /イ/ ̄ ̄ ̄ヽ: :. : :.\
ゝ:. .>--ァく|L_/ / ヽ:. ).:. :\
/:.:/ / 辷シ' / ∨:. : :. :.ハ
/:./ / ノ _,, -へ、 へ. ',:.: :. :./: |
|/, へ===" ̄ \. \ ∨:./:. :.|
// .:::::::::... :.ヽ ∧ ∨:. :. }
/ {............. .::::::::::::::::::::::. ::::V:.::∧ ヽ: :/.|
/ ':,:::::::::::::: :::::::::::::::: /:. :/:.∧ ∨: |
/ ,へ_.--======-、 /:. :/: /:. :\ ∨|
/ー-、 / | `/:. :/:. /: :. :. :.} V
、、、、、、、、、、、、さてと、、、、、、、、、、
32:、ミジンコ
08/05/20 07:46:29 2LlKsiTc
URLリンク(ja.wikipedia.org) スフィンクス
URLリンク(ja.wikipedia.org) ギサのピラミッド
URLリンク(ja.wikipedia.org) ハールーン・アル・ラシード
URLリンク(ja.wikipedia.org) トート
URLリンク(ja.wikipedia.org) 箱舟
222 :,:2008/05/17(土) 19:26:27
URLリンク(www.fitweb.or.jp)
223 :,:2008/05/17(土) 19:34:4
URLリンク(ja.wikipedia.org)
33:、
08/05/20 07:48:32 2LlKsiTc
、
34:、
08/05/20 07:48:53 2LlKsiTc
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35:、
08/05/20 08:08:24 2LlKsiTc
、
36:、
08/05/20 08:16:59 2LlKsiTc
URLリンク(ja.wikipedia.org) 秘密結社
URLリンク(ja.wikipedia.org) エノク
URLリンク(ja.wikipedia.org)
スレリンク(occult板:348-353番)
スレリンク(occult板:359番)
スレリンク(occult板:384番)
37:、ミジンコ
08/05/20 08:57:55 2LlKsiTc
URLリンク(ja.wikipedia.org) シュメール文明
URLリンク(ja.wikipedia.org) カッパドキア
URLリンク(ja.wikipedia.org) ニネヴェ
URLリンク(ja.wikipedia.org) メソアメリカ文明
URLリンク(ja.wikipedia.org) テオティワカン
スレリンク(utu板:830番)
スレリンク(army板)l50
URLリンク(ja.wikipedia.org) トルテカ帝国
URLリンク(ja.wikipedia.org) トツテカ文明
URLリンク(ja.wikipedia.org) 与那国島
URLリンク(ja.wikipedia.org) 西安
URLリンク(ja.wikipedia.org) 平壌
URLリンク(ja.wikipedia.org) 高麗
38:、ミジンコ
08/05/20 10:01:14 2LlKsiTc
URLリンク(ja.wikipedia.org) ストーンヘンジ
URLリンク(ja.wikipedia.org) イースター島
URLリンク(ja.wikipedia.org) コスタリカの石球群
URLリンク(ja.wikipedia.org) ナスカの地上絵
39:、
08/05/20 10:22:16 2LlKsiTc
このスレッドでは、古代エジプトの科学技術や、メソポタミアやメソアメリカの天文知識(ニネヴェ定数)、ストーンヘンジの機能、
コスタリカの巨大石球群、等の各遺跡の配置の全体的関連、そして、ポルトラーノ(古代海洋地図)等の各オーパーツ、
ギザの本初子午線、スフィンクスの年代測定、トートの聖室、黄金分割(フィボナッチ数列、等の各遺跡の配置の全体的関連も含めて)、
死海文書(エノク、洪水問題)、ネアンデルタール人文明(古代アトランティス文明)について扱うと言う事なのです。
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40:、
08/05/20 10:24:19 2LlKsiTc
、
41:、
08/05/20 19:29:18 2LlKsiTc
>>39
とりあえずネアンデルタール人文明とアトランティス文明は別にしておきますか、、、、。
プラトンやシュタイナーやブラバッキーらが言うように空中に物が舞うような証拠を示す遺跡は現時点では
見つかっていないのでアトランティス文明の存在は架空と推定する方が無難でしょう。
42:、
08/05/21 08:53:12 uqTiLED6
,
43:、ヤダネー、、、
08/05/21 08:53:48 uqTiLED6
過去に関する困難な問題はまだ出ていない。マイケル・ペイジェントの「古代の遺跡」では、人間
はいつから地上にいるのかという「疑惑」について一章が費やされている。たとえば、1849
年のカリフォルニアのゴールド・ラッシュの後、鉱員達はわけのわからない異物を数多く発見した。それ
は、900万年前の岩石に深く食い込んだ石の乳房や、3800万年前のものとされる、金を含
んだ結晶の塊の中に埋め込まれた鉄の釘などだ。
このような「異物」が少数であれば、捏造であるとか、あるいは先住民の墓に埋められ
ていたものが何かの具合に深い地層に入り込んでしまったのだとかいうこともできるだろ
う。だが、それらは何百例も見つかっているのだ。
1847年、フランク・カルヴァートという考古学者が、角のある動物やその他の図像が刻まれたマスト
ドンの骨を発掘した。だが、それは2500万年前の中新世の地層にあったもので、その彫刻
が人間の手によるものであるはずがない。
1891年6月、イリノイ州のある主婦が石炭の塊を割ったところ、立派な金の鎖が出てきた。鎖
の半分は依然として石灰の中に埋もれていたが、その石灰はおよそ300万年前のものだっ
た。
1922年、ジョン・リードという炭鉱技師が、縫い目まで確認できる人間の靴の後ろの半分の化
石を見つけた。コロンビア大学(ニューヨーク)の教授たちは、それが発見された岩は3畳紀のもの、
つまり2億1300万年以上前のものだと述べた。また彼らは、この化石が驚くほど人間の靴
に似ている、とも認めている。
とはいうものの、議論を万人の納得し得る範囲に留める為、ここではとりあえず、人間が
地球上に現れたのはおよそ300万年前だという一般的な見解が正しいと仮定しておこう。
44:、ミジンコ
08/05/21 08:56:20 uqTiLED6
/// //// // ,、-‐ヽ'、 ヽ',
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i/ / / //シ'rーt.ヽ / i´,彳'。) )ミ/ / ,|||
|! | / l. | |/ゝ,.'、.ソ ' | i ゝ-rrシ//;イj!!
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ヽ ` ヽ、 ` . /
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、-''/ / ',  ̄ 'ヽ、
、、、、、、まず、ネアンデルタール人の最新情報を取り上げよう、、、。
45:、
08/05/21 20:57:58 uqTiLED6
トートの秘密の部屋があるらしいんだが、、、、。謎に満ちた言い伝えだが、恐らく
あるものと思われます、、、。かなりの謎が隠れている、、、。
地球人の最高位を誇った文明と推測されるだけに、多くの遺跡が失われたのは残念だが、、、。
スタンフォードのチームが発見した地下道がトートのものであるのではないかという話が焦点になっている、、、、。
まぁ、ハプグッド問題のところで論じるだけの試みは必要かな、、、、。
46:、
08/05/21 20:58:35 uqTiLED6
星を見るもの、、、、
1989年7月のある朝、ナーマ・ゴレン=インバル教授の率いるイスラエルの考古学者グループが、ヨルダン渓
谷で発掘作業に当たっていた。この場所の地質学的特性を明らかにするため、掘削機が二
つの深い溝を掘った。シャベル一般分ずつの土を地面に積み、骨や遺物を探し出すのだ。
だが、一つの山の中に、まったく予期せぬものが見つかった。それは、カンナがけされ、
研磨された木の厚板で、長さ10インチ(約25センチ)、幅はその半分。どう見てももっと
大きな厚板から切り取られたもので、厚板の半分はやや凸状になっており、カンナがけや研磨
はされていないようだった。
このれ一体何がそんなに奇妙なのか?それが発見された地層が今から50万年前の、北京
原人の時代だったということだ。これはホモ・エレクトゥスと呼ばれる原人、つまり、最初の人
類の一種だ。おそらくその脳容積は現代人の半分ほどだった。だが彼らは、この研磨され
た厚板を作ったのだ。ゴレン=インバル教授自身、まったく説明がつかないことだ、と認めた。
47:、
08/05/21 20:59:24 uqTiLED6
厚板の写真は、ベイジェントの「古代の痕跡」(1998)に収録されている。これは、実に幸
運だった。というのも、ベイジェントがゴレン=インバル教授に電話をした時点で、すでにその写真
はたった一枚のポジフィルムを残すのみとなっていたのだ。彼がその写真を収録出来たのは僥
倖といえる。というのも、その厚板は―無論自己なのだが―ヘブライ大学遺跡保全部によ
って破壊されてしまったのである。
これはそれ自体、耳を疑うような話だ。破壊された?―-現代考古学史上、最も重要な発
見となりうる木の板が?それは、、、、つまり、ホモ・エレクトゥスが今から80年前に、家族を乗せ
てフロレス島に渡る筏を造る事ができたからには、彼は我々が想像するよりもはるかに知的だ
ったに違いないという仮説を裏付けるものになっていただろう。オクスフォードのピットリヴァース博
物館のリチャード・ラジュリーは、その問題を簡潔に述べている―。
「先入観のために、その時代の考古学のドグマと一致しない証拠は常に排除されてきた。そ
の結果、同じイスラエルのハヨニム洞窟遺跡から出土したものでも、上部旧石器時代の線刻入りの骨
は当たり前のように認められ、中部石器時代の線刻入りの骨は同じく当たり前のように否
定されている。中部旧石器時代の骨のほうが、上部旧石器時代のものより複雑な印が刻ま
れていても、である」。上部旧石器時代は4万年前から1万年前までで、中部旧石器時代は
20万年前から4万年前までだ。
48:、
08/05/21 21:00:02 uqTiLED6
これはまるで正気の沙汰とは思えない―4万年以上前には、人間には彫刻は不可能だった
と考えられているから、彫刻の入った骨は認められない、とは。そのドグマを改訂するほう
がはるかに理性的というものではないか?
ラジュリーは正統派の考古学者だが、彼の本「旧石器時代の失われた文明」(1998 邦訳「石
器時代の文明の脅威」)には、このような例が満載されている。中でも最も驚くべき例は、
おうし座の(7姉妹)と呼ばれるプレアデス星団だ。
彼によれば、この星は北アメリカ、シベリア、オーストリア先住民の間で(7姉妹)と呼ばれてい
る。これは偶然ではありえない。もしそれが偶然ではないとしたら、それはオーストラリに人間
が定住するころから(7姉妹)と呼ばれてきたことになる。それは今では4万年前以上と
されているが、ほとんどの人類学者に言わせればはやすぎる見積もりなのだ。
さらに厄介なのは、オーストラリアはヴィクトリアのモナッシュ大学、ピーター・カーショーの主張だ。彼によれば、
オーストリアに人間が定住したのは14万年前かもしれないという。彼の仮説の根拠は、今から14
万年前に突如として炭素が増え、同じくして突如として花粉が減少しているという事実だ。
カーショーは、その原因は人間の火の使用ではないかと考えた。
49:、
08/05/21 21:02:29 uqTiLED6
1996年に発見されたものはさらに厄介だ。西オーストラリアのウーロンゴン大学、レスリー・ヘッド博士率い
るチームが、西オーストラリアのジンミウム遺跡で、「岩面画と膨大な円石彫刻の制作に用いられた道具で、
17万6000年前のものと考えられる」ものを発見したのだ(「ザ・タイムズ1996年9月22日
日付」。もしそうなら、我々の先祖はほとんど20万年も前から、プレアデスを(7姉妹)と呼
んで来たことになる。
とはいうものの、たとえそれが4万年前だとしても困ったことには変わりない。もしそ
うなら、我々の先祖は、洞窟に住んで棍棒で獣をひっぱたいていたとされている時代から、
星を観測していたことになるからだ。ジョルジョ・デ・サンティラーナとヘルタ・フォン・デヒェンドの「ハムレッ
トの水車」(1969)によれば、「星伝承」は文明以前に遡るもので、歴史の前から何者か
がすでに星座に名前を付けていたという。だが、サンティラーナのいう「歴史の前」とは何を意味
しているのか?どうやらそれはホモ・サピエンスが出現したという紀元前8000年以前を指してい
るらしい。スタン・グーチの「夢の都」でも、(7姉妹)について長々と論じられている。同書の
副題は「我等の文明を形成したネアンデルタール人の豊かな遺産」。
1989年に出版されてすぐに私はそれを読んだのだが、正直言って途方に暮れた。グーチに
よれば、ネアンデルタール人は複雑な文明を持っていたのだが、その文明を築いたのは煉瓦とモル
タルではなく、「夢」だったという。まったくわけがわからない。文明というものは、自然
の驚異から身を守る術ではないのか?
50:、
08/05/21 21:04:41 uqTiLED6
暴風雨やサーベルタイガーから身を守るのに、夢はあまり役に立ちそうではない。私の印象に
残ったのは、ネアンデルタール人が10万年前に大量の赤鉄鉱を掘り出したという事実だ。
だが、それだけでは文明とはいえないのは確実ではないか?
最近になってこの本を見返したとき、私はカバー裏の宣伝文句の最初の数行に惹きつけら
れた。「本書は、最初の氷河期とそれに続く現代人の出現の時代(3万年ほど前)以前には
文明の名に値するものは何もなかったという、正統派の観点に挑戦するものである」。これ
はまさに、ハプグッドのいう10万年前の化学と同じではないか。
グーチはまず、ネアンデルタール人とアメリカ先住民を比較する。
「紀元前2000年より前に、この北アメリカ先住民諸族は、機織、テント、武器、医薬品、音
楽、そのほかさまざまな技術を知っていた、、、、、、またこのころまでにはすでに複雑な政治
と、豊かな文化的・宗教的伝統、膨大な民間伝承を持っていた、、、、、部族の中には、日々
の多くを複雑な宗教儀礼に費やすものもあった。今日の正統派ユダヤ教徒やムスリムに似ていな
くもない。だが、ここで強調しておかなくてはならないが、これらの複雑な先住民が、実
は文字を持っておらず、また恒久的な住居を建てたこともないのである」。
グーチは問う、もしも疫病や何らかの破局によって彼等が滅亡していたら、どうなってい
ただろうか?考古学者は彼等の骨を発見し、「未開人」として一蹴していただろう。
現在我々は、アメリカ先住民の「未開性」は自ら選択したものであることを知っている。
彼らは単に自然に近い生活をしているだけではない。自然と共生的な関係を持っているの
だ。「アトランティスからスフィンクスへ」では、ホピ族と同様にシャーマン的だ。人類学者エドワード・ホールは、
徐々に彼等の生活様式を理解するようになり、そしてそれこそが西洋文明に対する完璧な
代替物であると認識するようになった。多くの点で―たとえば、キチェ族族の暦だ―それ
は我々西洋の生活様式よりもはるかに豊かで複雑なものだ。それを「右脳文明」と呼んで
も間違えではないだろう。彼らは自らそのような発展の方向性を選択したのだ。
51:、
08/05/21 21:07:10 uqTiLED6
(7姉妹)について、グーチは次のように述べている。「プレアデスは、過去と伝在を問わず、最
も高度なものから最も原始的なものまで、地球上のあらゆる文化が認識し、名を付けた唯
一の星座である」。そして彼はオーストラリアのアボリジニ、ワイオミングの先住民、そして古代ギリシア
の伝説の類似を指摘する。
ギリシアの伝説では、狩人であるオリオンが6人の乙女とその母を森の中で追いまわす。ゼ
ウスが彼女たちを哀れみ、全員(オリオンを含め)を星に変える。オーストラリアの伝説では、この
狩人はウルンナと呼ばれ、7人の乙女のうち2人を捕らえる。だが彼女たちは木の上に逃れ、
それは突然成長して天に達する。そこで彼女たちは永遠に暮す。ワイオミングの先住民の伝説で
は、7人の乙女は熊に追われ、高い岩に登り、それが成長して天に達する。
1989年、グーチはオーストラリアのアボリジニとワイオミングの先住民との間には2万年の隔たりがある、
と述べた―その時点では、現代の人類学者がすぐにそれを4万年にまで延長するなどと
は考えてもいなかったのだ。次にグーチは(7姉妹が)アステカ、インカ、ポリネシア、中国、マサイ、キクユ、
ヒンドゥ、古代エジプトの伝説でも同様に重要な役割を果たしている、と述べる。プレアデスに
対するこの全世界的な関心は、それが極めて古い、そしてかつて中心的であった文化に発
祥することを示している、という。
グーチによれば、その文化とはネアンデルタール人のものである。われわれとしては信じられない、
というか、我々自身の祖先であるクロマニオン人を推したいと思うかもしれない。だがグーチは、
ネアンデルタール人の洗練された知性を証明する印象的な証拠を集めている。たとえば彼は、スイス・
アルプスのドラッヒェンロッホを例に挙げる。そこでは、洞窟の中に7万五千年前の森の祭壇が発見さ
れている。分厚い石板の蓋のついた長方形の石櫃の中に、7つの熊の頭骨が発見された。
その鼻面は洞窟の入り口を向いていた。洞窟の後ろの壁には壁がん(西洋建築で壁や柱の
垂直面につくったくぼみ。彫刻などを飾る)があり、そこにさらに6つの熊の頭骨があっ
た。
52:、
08/05/21 21:08:16 uqTiLED6
すでに見たように、7はシャーマニズムと関連した数だ。ドラッヒェンロッホ洞窟は明らかに際議場だ
った―いうなれば教会だ。さらに、エリアーデが言うように、世界的に熊は月と繋がってい
る。そしてこのことは、洞窟内の頭骨の総数が13―-太陰暦の月の数であることから推測
できる。このことと、他の多くの手がかりに基づくグーチの推論によれば、ネアンデルタール人の宗
教は月崇拝に基づくものであり、ネアンデルタール人こそ最初の「星を見る者」であったという。
彼によれば、サンティラーナの言う春秋分点歳差の知識はネアンデルタール人に由来するという。
「教会」があるということは、そこには神官かシャーマンがいたということだ。これによって、
ジグソーパズルのもう一つのピースがはまった。ネアンデルタール人には独自のシャーマン、「魔術師」
がいたに違いない。世界中のシャーマンがそうであるように、彼らもまた狩猟儀礼において重要
な役割を果たしていたのだ。月の女神であるディアナが女狩人であることは偶然なるだろう
か?彼女もまた、ネアンデルタール人からの遺産なのだろうか?
53:、
08/05/21 21:09:08 uqTiLED6
ネアンデルタール人の文明
1989年にグーチの本が世に出て以後、ネアンデルタール人がテクノロジーを所有していたことを示す証拠
も山積している。1996年、タラゴナのロビリ・イ・ビルギリ大学の科学者たちが、バルセロナの北方
カペラデス近郊で15基の炉を発掘した。エウダルド・カルボネル教授は、ネアンデルタール人がこれまで誰
一人想像もしていなかったほどの高度な技術を持っていたことが証明された、と述べた。
彼によれば、ホモ・サピエンスはクロマニオン人を飛び越す「進化的跳躍」ではなく、ネアンデルタール人か
らの穏やかな一歩である。発掘された炉のそれぞれは、その大きさにしたがって特定の用
途を持っていた。あるものはかまであり、あるものは炉床であり、あるものは溶鉱炉だっ
た。さらにまた、「驚くほど多様な」石器や骨器のほか、広範囲にわたる木製器具の痕跡が
発見された。
グーチの最も驚くべき主張の一つは、ネアンデルタール人が10万年前に南アフリカで赤鉱石を得る
ために深い鉱脈を掘っていたというものだ。「中でも最大の赤鉄鋼坑遺跡は、その採掘量が
100万キロに達していたことを示している」。ほかにも、4万五千年前、4万年前、3万
五千年前とされる坑が発見されている、そしてどの場合も、坑はわざわざ苦労して埋めな
おされており、これは恐らく大地が神聖視されていたからだろう。ネアンデルタール人はこの赤鉄
鉱を儀式に用いたらしい。
54:、
08/05/21 21:11:12 uqTiLED6
1950年、スミソニアン研究所のラルフ・ソレッキ博士は、イラク・クルディスタンのシャニダール洞窟を発掘し、ネア
ンデルタール人の埋葬儀礼の証拠を発見した。そこでは死者に野生の花を編んで作ったキルトが掛
けられていたのだ。彼の著書「シャニダール」(1971)の副題は、「ネアンデルタール人の人間性」
である。彼はネアンデルタール人が猿とは、まったく異なるということを示した最初の人類学者だ。
グーチによれば、赤鉄鉱は少なくとも10万年前から今日に至るまで使われている。オーストラ
リアのアボリジニが今もなお使っているのだ。彼の引用しているある専門家によれば、それは「あ
らゆる物質の中で最も霊的に豊かで、魔術的なもの」だという。
赤鉄鉱は磁鉄鉱と呼ばれる鉱物が酸化した物で、これはその名がしめすように磁力を帯びている。
その小片を水面に浮かべると、それはくるくるまわって磁北を示す。そして、紀元前10
00年、オルメカ人はそれをコルクにつけて水に浮かべ、コンパスの針として用いていた。中国人が
コンパスを発明するより1000年も前だ。
グーチによれば、はとも含む多くの動物が、脳の中に磁鉄鉱のクラスターを持っており、帰巣に
用いられる。では、ネアンデルタール人もまた脳の中に磁鉄鉱のクラスターを持っていたのではないだ
ろうか、と彼は問う。それによって彼らは地中の赤鉄鉱を探すことができたのだ。いうま
でもなく、これは単に地中の水を探知するダウザーの能力の変種である。
ネアンデルタール人が赤鉄鉱を求めた理由は何であれ、彼等が何らかの文明を持っていたことは確実だ。
2002年1月、ネアンデルタール人が一種の瞬間接着剤を使っていたことが明らかとなった。こ
れはハルツ山脈の褐炭工で発見された一種のコールタールで、8万年前のものとされる。その一つに、
手の指紋と石器と木器の印象があった。つまりこのコールタールは、木の柄を石器の刃に固定す
る一種の接着剤として用いられていたのだ。
コールタールは樫の木から作られるが、製造には摂氏300~400度の温度が必要だ。ドイツ、
イェナのフリードリヒ・シラー大学のディートリヒ・マニア教授は言う、「これはネアンデルタール人がこれらのコールター
ルを偶然手に入れたのではなく、自ら意図的に作り出したものであることを示している」。
55:、
08/05/21 21:13:07 uqTiLED6
明らかに、これらすべては革命的なことだ。我々は人間の文化はクロマニオン人、ホモ・サピエンスと
ともに始まった事を当然としている。我々の祖先であるクロマニオン人は、35000年前に洞
窟画を描き始めたので、我々は常にその時点を持って文明が開始されたと考えている。だ
が、もしも4万年前にプレアデスが新式され、グーチの言うネアンデルタール人が宗教を持っていた
のならば、文明の起源は遥かに古いものとなる。
むろん、17600年前のオーストラリアに道具と岩面彫刻があったというレスリー・ネッドの主張が正しいなら、それはさらに古いものとなる。
となればその担い手がネアンデルタール人であること、そしてネアンデルタール人が天を観測していたこ
とは明らかとなる―われわれのクロマニオン系の祖先は、178000年前にはまだアフリカ
にいたのだから、その担い手であるはずがない。
さらにまた、1995年、スロヴェニア科学アカデミーのアヴァン・チュルク博士は、82000年前の
骨笛を発見した。つまり、ネアンデルタール人は、独特の音楽を持っていたのだ。グーチによれるネア
ンデルタール人とアメリカ先住民の比較は、ますます説得力を持つ一方であるようだ。また別のネアンデ
ルタール人の遺跡からは、36000年前の骨製の縫い針が発見されている。糸を通す穴まで
ついたものだ。
おそらく、ネアンデルタール人の知性を示す最も重要な証拠は、1990年代の初め、南アフリ
カの先端にあるブロンボス洞窟から発見されたものだ。この洞窟はクロマニオン人とネアンデルタール人の
双方が用いていたが、ニューヨーク州立大学のクリストファー・ヘントルウッドの発見は、典型的なネアンデルタール
人の層から出土したものだ。それは平らに加工した表面に幾何学模様の装飾が施された、
大量の赤鉄鉱だった。
56:、
08/05/22 07:04:57 vm8SBrt0
この発見の意味するところは、2005年2月20日のBBCの「ホライゾン」で放送された
「考えることを覚えた日」で示された。
番組では、まず始めに、35000年前の洞窟絵画がこの分水嶺を示しており、これは
彼が「人類革命」と呼ぶ何らかの遺伝的変化によって引き起こされた、というリチャード・クライ
ン教授の仮説が示される。だが、この仮説が依拠するネアンデルタール人に対する前提は、ここま
でで、疑問を呈してきたものだ。
この観点に反対する大きな一歩を記したのは、耳鼻咽喉学校の教授ジェフリー・レイトマンだ。彼
によれば、ほとんどの生物の喉頭は人間よりも高い位置にある。ゆえにその音声は我々の
声よりも音高が高い。喉頭が下がると声が低くなり、発話に適するようになる。これは少
なくとも20万年前からネアンデルタール人に生じており、発話に適した喉頭を持っていたのに、
話す能力がなかったとは考えがたい。
ヘンシルウッドが発見した幾何学模様は、7万年以上も前のものだ。思うにこれらは芸術では
なく何らかの記号であり、恐らく天文学に関するものだろう。ピーボディ研究所のディヴィッ
ド・マーシャックが発見した3万5千年前のアンテロープの骨に刻まれていた点と線の記号に似
たものであると思われる。マーシャックによればそれは我々の祖先であるクロマニオン人が、月の諸相
を示す記号として刻んだものであり、彼は、それを最初の文字の実例としている。だがブロ
ンボス洞窟の赤鉄鉱の模様は、それよりも4000年以上古い。
57:、
08/05/22 07:06:50 vm8SBrt0
だがそれらすべては、もしかしたら的外れかもしれない。その証拠となりそうなのが、「ベ
レカトラムの小像」と呼ばれる彫像だ。これは、古代の厚板を発見した人物として紹介したナーマ・
ゴレン=インバル教授が、1980年に発見したものだ。
発掘場所はゴラン高原。年代決定の根拠は、それが―7500もの掻器(掻きとったり削
り取ったりする道具)とともに―年代決定可能な2つの凝灰岩の層の間から発見された
ことだ。その年代は、25万年前から28万年前の間だった。そして電子顕微鏡のによる
検査の結果、単に奇妙な形の石なのではなく、彫刻されたものであることが判明した―
ネアンデルタール人の手で、だ。
小像は有名なヴェレンドルフのヴィーナスに似てはいるが、はるかに稚拙だ。とはいえその石器は、
溝筋の中に粉末を残していたのだ。つまりネアンデルタール人は、25万年以上前に、小さな女性
像、恐らくは月の女神の像を刻んでいたのである。すなわちネアンデルタール人は、ドラッヒェンロッホ洞
窟の熊の頭骨によって示されたように、すでに宗教を発達させていた―それも、我々の
想像より20万年も前に、である。
ロバート・ロマスとクリストファー・ナイトの「ウリエルの機械」でも、ネアンデルタール人に焦点が当てられ、
彼らは現代人よりも大きな脳を持っていたこと、そして彼等の登場から退場までは23万年
もの時間があったことが示されている。つまり、ネアンデルタール人にイは、高度な文明を築き上
げるのに十分な時間があったのだ。
彼らは明らかに死後生を信じていた。というのも、彼らは死者を宗教儀礼によって埋葬し、
あの世での必要のために道具や肉などを副葬していたからだ。死者は装飾用の玉(ボタン
穴が開いている)で覆われた外套、装飾入りの帽子、彫刻入りのブレスレットやペンダントを着用
した。彼らは少なくとも、完璧な真円のチョークの円盤を作った。それが月を表すものである
ことはほぼ確実だ。
58:、
08/05/22 07:08:01 vm8SBrt0
ロマスとナイトは、次のような重要な指摘をしている。
「ネアンデルタール人の文化が、現代の人間の一部、たとえばオーストラリアのアボリジニと同等のレベルにま
で達していたということはありえないことではない。彼らはテクノロジーを忌避し、環境との調
和に基づく昔ながらのやり方をこのんだのだ」
10万年前の原始人に関して言えば、もし、ネアンデルタール人の子供をタイムマシンを使って誘拐して
きたとしたら、園子を大学に入れて現代人と同じレベルにまで教育することも可能だっただ
ろう、という。
ネアンデルタール人といえば、ウホウホというような鳴き声でコミュニケーションしていた猿みたいな生き物と
いうイメージがある。だがロマスとナイトが引用している学術論文によれば、もしもネアンデルタール人に
現代人の服を着せ、ニューヨークの地下鉄を歩かせれば、誰もそれとは気づかないだろうという。
そしてもしもネアンデルタール人が宗教儀礼を行い、笛を吹き、天を観測し、溶鉱炉を作っている
のなら、ウホウホ以外の言語を持っていたことは確実だ。
59:,
08/05/22 08:43:35 vm8SBrt0
全体と繋がる感覚
「アトランティスからスフィンクスへ」では、私はネアンデルタール人よりもクロマニオン人に関心を持っており、そ
の結果ネアンデルタール人のシャーマニズムの重要性を見過ごしていた。同書では、シャーマニズムこそが文明
の発展に中心的な役割を果たした、と論じた。もしもクロマニオン人の洞窟絵画が、狩人が獲物
を捕らえることを助ける儀式を示しているのなら、シャーマンは部族で最も重要な人物であり、
恐らく指導者となっていただろう。祭司王の伝統は、クロマニオン人の洞窟から、古代シュメールやエ
ジプトまで続いていたのだ。そして古代エジプトは、祭司権と王権がほとんど同一であっ
た最後の大文明だ。以後、現代人は自らを直感的な自己から分離し、不安と疑念を供給し
始めたのだ。
先の章で、「シャーマン的文化」は一種の「集合意識」を当然のものとして受け入れている、と
いうことを見た。ブラジルのアマワカ族は、全員座って、マヌエル・コルドバとオナジヴィジョンを共有した
―ボアの歌によって巨大なボアが現れ、他の蛇が現れ、鳥や動物が現れた。同じ理由で、
ジェレミーナーバイのキリシャリ族の師は、その幻覚剤を「森のTV」と呼んだ。
誰もが、秋の空を飛ぶ鳥の群れを見たことがあるだろう。彼らは全員が同時に、一羽の
遅れもなく旋回する。また、水族館の大量の魚群が同じことをするのも見たことがあるは
ずだ。田舎の人は、鳥や魚の群れのここの成員の間に何らかの繋がりがあることを直感的
に知っている。蜂や蟻もそうだ。
60:,
08/05/22 08:45:54 vm8SBrt0
これらの生き物は、群れになると各個体ではなく集合的な存在となり、集団精神に支配さ
れる。扁形動物の身体の細胞が、各細胞よりも上位にある「集団精神」によって支配され
るように見えるのと同様だ。
信じがたいことに現代人も今なお集団精神の支配に身をゆだねることがあるケヴィン・ケリー
の「アウト・オブ・コントロール」(1994)には、ラスヴェガスでおこなわれたコンピューター大会の話が出
てくる。そこでは5000人の人が、自分自身の姿を写す巨大スクリーンの前に集まった。さ
らに彼らは、棒を使ってスクリーン上の像を制御することができた。その棒は一端が赤、
反対側が緑になっていた。それから全員が赤組と緑組に分かれ、2人の人間のように、電子
ピンポンゲームをしたのだ。
さらに、同じ様な集団活動の練習をいくつかこなした後、画面にフライトシュミレーターが現れた。左
側の人々は飛行機の横運動を、右半分の人は上下運動を任された。5000人の人間が心を一
つにして、飛行機を無事に着陸させようというのだ。だがしばらくして、このままでは着
陸はうまくいかず、失敗に終わる、ということが明らかとなった。だがこのとき、観客全
員が―何のコミュニケーションもなしに―自発的に飛行機を宙返りさせようと決意し、それを実
現したのだった。
あの古代の能力は、明らかにまだそこにある。この文明社会では、すっかり錆付いている
けれども。我々は個人として活動することに慣れすぎている。現代の都市生活者が混雑し
た通りを歩くとき、他人と「繋がっている」感覚を感じることはほとんどない。むしろ逆
だ。だが、コンピューターの画面上で少し練習すれば、すぐに「繋がっている」感覚を回復させ
ることができるのだ。
シュワレール・ド・リュビックによれば、古代エジプト社会の特徴はこの「繋がり」の感覚だった。
彼の主張を要約すると―「エジプトの科学、エジプトの芸術、エジプトの医学、エジプトの天文
学は、エジプト人の生活の別の側面と見なされていた訳ではない。それらは同じものの諸
側面であり、広い意味での宗教だったのである。宗教は知識と同じものであった」。シュワレール
は言う、「、、、、、4000年以上、古代エジプトは宗教というものを「持っていた」わけではな
い。それはそっくりそのまま、宗教そのものだった」(神聖科学)
61:,
08/05/22 08:48:03 vm8SBrt0
「そっくりそのまま宗教そのものである社会」の意味を理解することは我々には不可能だ。
現代のユダヤ教、現代のイスラムにしたところで、社会と宗教が同じものであった当時のルーツ
からかけ離れてしまっている。古代社会では、それは日常生活のまさに本質だった。狩猟
ですら―つまり食べることですら―それに頼っていた。ネアンデルタール人にしてもクロマニオン人
にしても、宗教のない生活など想像もできなかっただろう。
我々は実際にネアンデルタール人の何を知っているのか?まず第一に、彼らは我々よりも1フィート(約
30センチ)低く、巨大な脳のために高等部が烏賊の様に出っ張っていた。(この出っ張りは、
ネアンデルタール人の小脳の大きさによる。小脳に関しては今なおほとんど何もわかっていないが、
夢に関係しているとされる―だからグーチの本のタイトルは「夢の都」なのだ)。さらに、
彼等が左利きであったことはほぼ確実だ。後期の洞窟絵画のほとんども左利きの画家によ
って書かれている。グーチはこれをことのほか重視している。生物学者が脳の研究を始めて
以来、左利きの人は右利きよりも直感的だということが判明している。
私は、ロバート・テンプルの「中国の天才たち」(1986)へのジョセフ・ニーダムの序文を読んでい
て、突然グーチのネアンデルタール人の本を思い出した。ニーダムは第一次世界大戦中、重慶に滞在
しているときに、あの膨大な「中国の科学と文明」(1954)の研究を始めた。そんなこ
とに手を付けようと考えた人が誰もいなかった理由は、極めて単純だ。「私より上の時代に
属する中国学者の友人たちは、そんな研究で何らかの成果が上がるとは考えていなかった」
―-まさにネアンデルタール人の場合と同様だ。だが逆に、「光り輝く財宝の洞窟が口を開いたの
だ!」。そして彼は、中国人は発明の才がないどころか、二項式から種痘まで、西洋がそれ
を発見する前に、ほぼすべてを発明していたことをしった。「我々の見るすべてのものは、
最初の後の『最初』だったのだ。」
62:,ミジンコ
08/05/22 08:55:30 vm8SBrt0
スレリンク(rikei板:239-240番) ニネヴェ定数
先史時代の数のカノン、、、、
ニネヴェ定数のことを調べていたとき、私はジョン・ミッチェルに手紙を書いて、彼の意見を聞いた。
「楽園の次元」(1988)の中で、ミッチェルは次のように述べていたからだ。「、、、、、、古代
人は数字を宇宙の象徴と見なし、特に固有の構造と、あらゆるタイプの形態と運動の間に
関係性を見出した。」「彼らは生きた神聖科学の宇宙に暮らしていた。それは聖なる構成の
産物であり、理性との調和において構想されている」。
ミッチェルの返信は、私の研究をこれまでで最も驚くべきステージへと持ち上げた。まず始めに、
彼の私的によれば、ニネヴェ定数は地球の歳差周期で割り切れると同時に、太陽の直径(864000
マイル)でも月の直径(2160マイル)でも割り切れる。彼は言う、「また1から10までの
数と、その積(3628800)によってもだ」。さらに言う、「結節点となる数というも
のは確かにある。たとえば24時間の秒数である86400、そして太陽の直径である
864000マイル」。
63:,ミジンコ
08/05/22 08:56:52 vm8SBrt0
そして彼は、「楽園の次元」の「数と測定」の章を読むように進めてくれた。
私はその勧めに従った。最初は頭がかなり混乱した。というのも、長い数字や少数がこ
れでもかとばかりに出てきたからだ。たとえば、ローマのキュビットは、1・4598144英フィ
ートに等しいとか、ギリシアのキュビットは1・52064英フィートだとか、エジプトのキュビットは1・7
28英フィートだとか。これらすべては、地球の測定に関するヘンリー・リンカーンの発見を思い起こさ
せたがこれら小数の意味はまったく解らなかった。
彼の主張の中には、確かに私の注意を惹くものがあった。「、、、、、、赤道を360度で割る
と、1度は365243・22フィート、つまり1000年の日数に等しくなる」確かに驚くべきことだ―だが、それこそ偶然というものではないか?
だが、ギリシア、ローマ、ヘブライ、エジプトの測定単位の対応表を見て、私の毛は逆立った。これ
らの単位が、地球の極円周を正確に分割したものであることはもはや疑いの余地がない。
あまりにも驚愕した私は、ともかく本を置き考えをまとめようとした。
クニドスのアガタルキデスによれば、ダイピラミッドの底辺は地球の円周の1分の8分の1である。
それは古代エジプト人が地球の正確な大きさを知っていたということを示している。そこ
までは私にも解っている。
だが、mジョン・ミッチェルの挙げた数字は、そのはるかに先をいている。ギリシア、ローマ、エジプト、
ヘブライの単位がすべて地球の大きさに基づいているということは、そのすべてが同じ古代の
伝統の一部であるということを示しているのだ。
64:,
08/05/22 08:58:13 vm8SBrt0
だがもしもマイルで表した太陽の直径が、1日の秒数の倍数であるなら、シュメール人―秒を発
明(もしくは継承)した―もまた、太陽の正確な直径を知っていたということになる。
それだけではない」。天文学を論じた部分で、ジョン・ミッチェルは月と地球と太陽の円周、お
よび月の公転軌道と地球の公転軌道もまた、12の7乗で割り切れるということを示し、古
代の哲学者たちは「フィートで表した数を月の円周の単位とし、それを宇宙を測るための天文
学的基本単位にした」と結論した。(もしもこれが正しいなら―ヘンリー・リンカーンも信じてい
るが―メートル法を重視してフィートを駆逐しようとする現在の傾向は、致命的誤りということ
になる)。
私は、同封された手紙にあった彼の次の言葉の意味が解りかけてきた。「われわれがここで
扱っているのはこの宇宙を構成する、全体的かつ友好的な数の暗号であって、決して単な
る偶然ではないのです」。
ミッチェルが挙げたこれらの数字はすべて、彼の言う「カノン」に属している。彼の考えを理解
するための格好の出発点は、1897年にロンドンで出版されたウィリアム・スターリングの「カノン」と題す
る著作だ。かの有名な冒険家R・Bカニンガム・グレアムが序文を寄せているにもかかわらず、こ
の本はまったく世に知られていない。そして著者は後に自殺した。ジョン・ミッチェルは1974年、
「カノン」を復刻した。
65:,
08/05/22 08:59:22 vm8SBrt0
一見したところ、「カノン」は典型的なトンデモ本だ。。曰く、古代の密議宗教の参入者たちは、
ある「宇宙法則」を教えられ、社会の安定はその法則に依拠していた。これらの法則は数
の形で表現され、その数は名前として暗号化することができた―ギリシャ語とヘブライ語では、
アルファベットの各文字は数と関連付けられている(いわゆるゲマトリアだ)。
ジョン・ミッチェルによれば、これらすべてには一つの真実が含まれている。それはすでに忘れ
去られて久しいが、多くの古代の文書に見出すことができる。
「楽園の次元」の出発点はプラトンの「法律」で、そこではエジプトの神官が数千年の歴史を
持つ「比例と調和」の「カノン(法律)」をもっていた、と語られる。
プラトンは彼がマグネシアと呼ぶ理想都市の基本単位としてこのカノンを用いている。だが、この数
と比例はプラトンの発明ではない。というのも、ミッチェルが説得力の豊かに論証しているように、
それは、ストーヘンジの平面図にも見出せるし、また後には「黙示録」の新しきイェルサレムにも見出
せるのだ。
ミッチェルがその数の「カノン」で言わんとした事を簡単に説明するには、「黄金分割」に立ち返
るのが一番だろう。これがフィボナッチ数列から導き出せるということはすでに述べた。フィボナッ
チ数列においては、すべての数が直前の2数の和になっている。0、1、1、2、3、5、
8、13、21、34、、、、、だどの数も、その前にある数で割ると、その解はφ、、、、1.
618、、、、、に近づいていく。数が大きくなればなるほど、それに近づくのだ。驚くべき
ことに、この単純な数列が、貝殻から銀河の渦まで、あらゆる自然現象を記述していると
いうことが判明したわけだ。先に述べたように、ミッチェルは地球の赤道の1度(をフィートで示し
た数)が1000年のに数に等しいことを指摘したが、これもまた往古の数を暗号を示す多く
の「偶然の一致」の一つだ。
66:,
08/05/22 09:08:10 vm8SBrt0
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67:,
08/05/23 08:05:30 rDsvgyyQ
だが、このことは―これが何千年も前から知られていたということは―数字と天文
学に関する驚愕すべき知識を持った古代文明が、はるかな過去に存在したということを示
している。モーリス・シャトランのいう6万5千年も、もはやさほどばかげたものには見えない。
ベリマンの「歴史上の度量衡」を扱った際に、ギリシャのスタディオンには地球の極円周の正確な知
識が含まれているという話をした。だが、ギリシャ人が地球の大きさを知ったのは紀元前240
年、エラトステネスが計算したときだ。つまり、この知識もまた、何らかのはるかな過去から伝え
られたものと思しい。
ストーンヘンジの平面図にもカノンが見出せるというジョン・ミッチェルの主張は魅力的な仮説を生み出
す。アレクサンダー・トムは、巨大サークルの建造者たちを「先史時代のアインシュタインたち」と読んだ。
だが彼によれば、彼らは「石の暦」を作る際に信じられないほどの幾何学的才能を示した
だけのことにすぎない。だがもしもミッチェルが正しければ、とてもそれだけでは収まらない。
先史時代のアインシュタインたちは、いかなる文明をも遥かに遡る、古の宇宙知識を継承していた
ということになるのだ。ニネヴェ定数とキグリア定数もまた、その「カノン」の一部なのだ。
68:,タイガードラゴン
08/05/23 08:21:00 rDsvgyyQ
引き続き、古代文明遺跡同士の配置の全体的関連について取り上げてみましょう、、、。
__
,.-''";;;;;;;;;;``'ヽ、
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_ゞ;! r─-- 、 ,rェ--- 、ミ;リ
!ヘl;|. ぐ世!゙`` ,ィ '"世ン 「ヽ
!(,ヘ!  ̄'" |:::.`  ̄ ,ドリ
ヾ、! !; ,レソ
`| ^'='^ ム'′
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゙! ゙、 `ー─''゙:::;:'::::|::::::::::\
゙、 :::/::::::|::::::
`ヽ、 ゙、 ./ .| ,-、、
69:,タイガードラゴン
08/05/23 08:25:29 rDsvgyyQ
ウェストは、秘教学者として知られるルネ・シュヴァレ・ド・リュビチュの著作に興味を持ってい
た。20世紀半中世の大聖堂を建築した石工たちはその英知を古代エジプトから受け継いだ
という話に興味を持ち、特にエジプトの寺院建築を詳しく研究した。
たとえば、エジプトのルクソール神殿の方庭は真上から見るとひしゃげたように歪んでいるが、
これは決して偶然ではない。なぜなら、エジプトの石工たちはカミソリ一枚入る隙間もないほど
に巧みに石を組み合わせることができる、建築の名手だからだ。したがって、この『ゆが
みには意図的な理由があるに違いない。
シュヴァレの代表作「人間の神殿」(1949)によれば、エジプトのルクソール神殿は、巨大な幾
何学的複合体であり、全体がひとりの人物を象徴する巨大なヒエログリフになっている。この人
物は、ちょうど神殿の南東の隅にあるラムセス2世の像と同様、片足を前に踏み出している。
先の方庭は、この人物像の中ではこの足に当たっており、ゆえにひしゃげた形で作られて
いるというのだという。
またシュヴァレは、この神殿には「黄金分割」(ギリシャ文字φで表される)がふんだんに取り
入れられていることを見抜いた。この「黄金分割」は極めて重要な概念であり、特に古代
祭祀遺跡の位置の分析にはなくてはならないものだ。
フフリーメーソン、、、、自由な石工、、、つまり、古代のエンジニア。
URLリンク(ja.wikipedia.org) ギルド
URLリンク(ja.wikipedia.org) 黄金比
70:,ミジンコ
08/05/23 08:40:41 rDsvgyyQ
URLリンク(ja.wikipedia.org) 文化遺産
URLリンク(ja.wikipedia.org) 世界遺産一覧
URLリンク(ja.wikipedia.org) エジプトの遺跡
URLリンク(ja.wikipedia.org)古代エジプト神話
URLリンク(ja.wikipedia.org) 古代エジプト文明
71:,
08/05/23 08:44:50 rDsvgyyQ
「黄金分割」の実例は、自然界に無数に見出すことができる。たとえば、あなた自身の
肉体がそうだ。あなたの臍は、上半身と下半身を黄金分割する位置にある。のみならず、
小は植物の葉や花びらの配置から、巻貝の形、そして大は銀河系の渦に至るまで、自然界
のあらゆるところに黄金分割は潜んでいる。そしてまた、芸術家は古くからこの比率が人
間の目をことのほか楽しませるものであるということに気づいていた。
黄金分割を数字で表すと、0・618034、、、、と、無限に、そして反復なく続いていく
数列となる。また、これに1を加えた1・618も、やはり黄金分割の数字である。重要
な数学的概念にはもうひとつ、「フィボナッチ数列」というものがある。これは、先行する2項
の和が次の項の数となっている数列のことだ。たとえば0を基点にするなら、0、1、1、
2,3,5,8,13,21、、、、、と続いていく数列である。そして、この数列上の連続
する2数を取り、前の数で後の数を割っていくと、数列の後ろに行くほどその答えは黄金
分割の数である
0・618034、、、、、に無限に近づいていく。そしてこのフィボナッチ数列もまた、自然界の
いたるところに見つかるのだ。シュヴァレはシャルトル大聖堂のような建築物に封じ込められた大宇
宙の調和の法則の研究に打ち込んだが、彼の研究はフルカネリという錬金術師に盗まれてしまっ
た。フルカネリは1925年に大聖堂の秘密という著書を書いてこの法則を発表し、それはたち
まち世に知られるようになった。シュヴァレは、こうした調和の法則は古代エジプトよりも貼
る改善の伝承に含まれていたものと考えていた。彼が1949年に「人間の神殿」を発表
すると、それはフランス国内で大評判となり、彼はサルトルやカミユと並ぶ名声を獲得するに至った。
シュヴァレがこの伝統を古代エジプトよりも古いものと見なしていたのは、彼が、初めてスフィンク
スを見たとき、その侵食は風ではなく、水によるものであると確信したからだ。スフンクスが水
による浸食を受けているとするなら、その建造年代は通常言われている紀元前2500年
よりも遥かに古いものということになる。
72:,
08/05/23 08:52:33 rDsvgyyQ
URLリンク(ja.wikipedia.org) スフィンクス
シュヴァレが親しんでいた秘教の伝承によれば、スフィンクスを建造したのは古代エジプト人ではな
くアトランティス人である、とされている。かれらは、最後の破局が起こる前に、エジプトに脱出し
てきたというのだ。シュヴァレは最後の著作となった「聖なる科学」の中でこの伝承を紹介し、
スフンクスの真の建造年代は紀元前1万年ごろであると主張した。
1961年、74歳でシュヴァレは死んだ。このシュヴァレの著書に感銘を受けたジョン・アンソニー・
ウェストは、通常言われているように、古代エジプトの出現がたかだか紀元前3100年であ
る、などということはありえないと考えていた。その年代を信ずるなら、それからわずか
5世紀後にはあのダイピラミッドが造られていたことになるからだ。それはまるで、ヨーロッパ人
が何もないところからたった5世紀でシャルトル大聖堂を築いたというようなものだ。エジプトの
科学、医学、数学、天文学を学べば学ぶほど、エジプト文明の起源は古くならざるを得な
くなるのである。
ウェストは「天空の蛇」とだいされた書物を書き、スフィンクスが水による浸食を受けたものであ
ることを証明しようとした。私は1979年7月にこの本を贈られたが、その最終章「エジ
プト―アトランティスの後継者」と題された章には、スフィンクスの写真と、水の浸食を受けたハトシェプスト神殿の
背後の崖の写真が比較対照されていた。私の目には、その両者は極めて似通っているように見えた。
後にウェストはボストン大学の地質学者ロバート・ショックを実際にスフィンクスの前まで連れて行き、
その浸水が水によるものであることを認めさせた。
ショックの見解では、この侵食の後から見て、スフィンクスの建造年代は紀元前7000年、すなわ
ち今から9000年前のことであるという。1991年10月、彼がこの見解をアメリカ地質
学会で発表すると、たちまち激しい反発が引き起こされた―。が、奇妙なことに、地質
学者の中には彼に賛同する人々も大勢いた。むしろ彼の説を頭から否定したのは、決まっ
てエジプト学の専門家たちだったのである。
73:,
08/05/23 08:55:52 rDsvgyyQ
次にウェストは、ニューヨーク警察の法医学の専門家であるフランク・ドミンゴに依頼し、スフィンクスの顔が
通常そのモデルとされるカフラー王のミイラの顔と同一かどうかを鑑定させた。その結果、スフィンクスの
顔は、カフラー王とはまったく別人であるということが判明したのである。ウェストは、これらの
侵食結果を雑誌に発表し、私に送ってくれた。ちょうど私はアトランティスの映画を撮るというハリ
ウッドのプロデューサーに協力しているところだったので、さっそくウェストのアイデアを使わせて
もらうことにした。1993年9月、私はニューヨークでウェスト」に会った。そこで私は、ちょう
ど計画中だった、スフィンクスの謎と文明の起源をテーマにした本(アトランティスからスフィンクスへ)の話を
した。
すると彼は、私と同じ様な研究をしている二人の人間の存在を教えてくれたのである。
そのひとりはジャーナリストのグラハム・ハンコックで、ちょうど契約の聖櫃をテーマとする「象徴と封印」
(邦訳:神の刻印)を書き上げ、次に先史時代文明をテーマとする著作に取り組んでいるとこ
ろだった。もうひとりはカナダの図書館司書ランド・フレマスで、アトランティスに関する本を書いていた
が、それはまだ出版はされていなかった。
イングランドに戻ると、すぐさまこの二人に手紙を書いた。1週間もしないうちに、私はフレマ
スの「空が落ちるとき」と、ハンコックの「神々の指紋」のタイプの原稿を受け取った。
ハンコックの原稿は膨大だった。古代の文明のことは語って入るが、彼はデニケンのように古代
宇宙人などを持ち出すことはない。単に先史時代の我々の祖先―アンデスのティアワナコや、メキシコ
やエジプトのピラミッドを築いた人々―は、一般に考えられているよりも遥かに高度な文明を
持っていた、と述べているだけだ。
彼はティアワナコの遺跡の研究に生涯を捧げたボリヴィアの学者アーサー・ボスナンスキーの資料を挙げている
が、それによると、ティアワナコの神殿は、一般に最古の文明が築かれたと考えられている時代
よりも9000年も前、すなわち紀元前1万5000年ごろ建てられたものだという。
またハンコックは、ベルギーのエンジニアであるロバート・ボーヴァルによる「オリオン・ミステリー」という本を
紹介している。ボーヴァルによれば、ギザの3大ピラミッドは実に奇妙な配置のされ方をされて
いるという。最初の2つのピラミッド―クフ王の大ピラミッドと、彼の息子であるカフラー王のそ
れ―が、それぞれの対角線を結んだ一直線上に並んでいるのに対して、最も小さなメンカう
ラー王のそれだけが、この直線から外れているのだ。
URLリンク(ja.wikipedia.org) ギザ
74:,
08/05/23 08:57:08 rDsvgyyQ
何のためにあえてこのような配置がなされ、また何のために第三のピラミッドだけが非常に
小さくつくられているのか。メンカウラー王はクフ王の孫、カフラー王の息子であり、年代的には最も
後ということになるのだが、彼の王としての権力は、父や祖父にも決して引けをとらなか
ったはずなのだ。
そこでボーヴァルは、実はこのピラミッドの配置はオリオン座の3つの配列を忠実に写し取ったも
のである、と考えたのである。古代エジプト人は地上を天の繁栄と見なし、天の銀河は地上
のナイル川である、と考えていた。そこで彼らは、この対応を示すために、聖なる星座である
オリオン座の3つ星に合わせてピラミッドを配列したのだ。おそらくこの星座は、古代エジプ
ト人にとってはオシリス神を表していたのだろう。
だが3大ピラミッドの配列は、厳密に言えば、完璧に現在のオリオン座の3つ星に対応して
いるわけではない。ここで重要となってくるのが、春分点歳差と呼ばれる現象である。こ
の現象のために、星座の見え方は2万6千年周期で変化するのでありう。ボーヴァルの計算に
よれば、3大ピラミッドの配列は、厳密に言えば、完全に現在のオリオン座の3つ星に対応し
ているわけではない。ここで重要となってくるのが、春分点歳差と呼ばれる現象である。
この現象のために、星座の見え方は2万6000年周期で変化するのである。ボーヴァル
の計算によれば、3大ピラミッドの配列とオリオン座の3つ星が完璧に位置していたのは、紀
元前1万五千年ごろであったという。
75:,
08/05/23 08:59:43 rDsvgyyQ
>>23
ボーヴァルは、この年代が古代エジプト人にとって極めて重要な意味を持つと考えた―事
実、それは彼等のヒエログリフに「最初の時」と記されている、エジプト史の始まりのと
きにあたっているのである。もしかしたらスフィンクスは、この「最初の時」を記念するために、
紀元前1万500年ごろに築かれたののだろうか?もしそうなら、スフィンクスの建造はショックの推
定による紀元前7000年よりもさらに古いことになる。ボーヴァルによれば、3大ピラミッドその
ものは紀元前1万500年に建てられたものではないという。女王の間の「通気孔」の角度
と星の関係からすると、大ピラミッドの建造はエジプト学者が言うとおり紀元前2500年ごろに
違いないらしい。だが彼は、この3大ピラミッドの設計がなされたのが紀元前1万500年ごろ
であったのは確実である、と言うのだ。またグラハム・ハンコックの「神々の指紋」では、石材の
素材の違いから、カフラー王のピラミッドの下半分だけは紀元前1万500年に築かれた、との説が
示されている。
このように、ボーヴァルやハンコックが紀元前1万500年という年代をはじき出しているのに対
して、先述のようにハプグッドやランド・フレマスは、最後の地殻滑動が紀元前9600に起こったと
考えている。この900年の誤差は一体なにを意味しているのだろうか?
フレマスはいう―ハプグッドの年代は考古学・地質学的データから得られた正確なものである
のに対して、ボーヴァルの年代は、その推定自体に誤りはないとはいえ、スフィンクスがその同じ時
に建造されていなければならないと言う必然は何もない。スフィンクスはあくまでも「最初の時」
を記念して建てられたものである。多くの記念碑と言うものがそうであるように、その建
造は、記念すべき時自体よりもかなり後のことかもしれない、と言うのだ。
グラマム・ハンコックは、私の「アトランティス・からスフィンクスへ」と執筆に最大限の協力をしてくれた。
まだ出版される前の「神々の指紋」と、その続編である「創世の守護神」のタイプの原稿を
送ってくれ、それを自由に引用していい、とまで言ってくれたのである。
この「神々の指紋」の成功には、ランド・フレマスも寄与していた。ハンコックは、古代エジプト・
シュメール以前の文明の存在を推定しながらも、それに疑問を持ち、精神的にも鬱屈した状態に
なっていた。そんな文明が存在していたとしたら、それはどこにあったのか、という謎が
解けなかったからである。そんな文明の担い手となるような広大な大陸が、大西洋のそこ
に沈んでいるなどと言うことはありえないからだ。
76:,白からす黒ひつじ
08/05/23 09:53:56 rDsvgyyQ
スレリンク(psycho板:403番)
スレリンク(army板:53-58番)
スレリンク(utu板:814-824番)
スレリンク(utu板:830-831番)
スレリンク(uwasa板:504-530番)
、、、、、、、、、、
スレリンク(esp板:1-73番)
77:,
08/05/23 09:56:10 rDsvgyyQ
超能力板の掲載に関しては、何ともいえませんが、、、。
、、、、、ぶっちゃけ、、、、?、、、、です、、、。
78:,
08/05/23 18:55:46 rDsvgyyQ
このヒントによって、ハンコックのすべての疑問は氷解したのだった。
「空が落ちるとき」には、もひとつ、非常に興味深いエピソードが紹介されている。ティティカカ湖
畔に、アイマラ族と言うインディオが暮らしている。彼等の言語であるアイマラ語は、構造が極めて論
理的であり、コンピュータによって判読可能な数学的記号で書き表すことができるという。この
特質ゆえに、アイマラ語はコンピューターによる翻訳システムに使う中間言語として理想的なものだ
ったのである。
ボリビアの数学者ロハス・デ・グスマンによれば、これほど完璧な言語は他の言語のように「発
達」してきたものではなく、まったくゼロから「開発」されたものであるとしか考えられな
いと言う。この事実は暗に、彼等にこの言語を伝えた他者の存在を示唆しているようだ。
事実、中南米の諸部族に広がる伝承によれば、太古、彼等の「神々」はひがしからやっ
て来たという。神々の王(ヴィラコチャ、ケツァルコアトル、コン・ティキ、ヴォタン、ククルカンなど、)
さまざまな名称で呼ばれる)は髭を蓄え、ヨーロッパ人のような顔つきで、人々に文明と倫理
基準を伝えた。そしていつの日か再び戻ってくるとの約束を残して、海に戻っていったと
言う。
79:,
08/05/23 18:57:27 rDsvgyyQ
後年、アステカ人はスペインの侵略者たちをこの神々の再来と誤解したために、あの帝国は
あんなにも簡単に征服されてしまったのである。そして前述のアーサー・ボスナンスキー教授によれ
ば、アイマラ人は自らの言語を、この神々から与えられたと信じたと言う。様々な紆余曲
折を経て、フレマスの「空が落ちるとき」は、私の序文を添えて1995年に出版された。そして
その翌年には、私の「アトランティスからスフィンクスへ」と、ボーヴァルとハンコック
の共著「創世の守護神」が世に出た。
「創世の守護神」では、古代エジプト人が紀元前1万500年にギザ・ピラミッドの設計を
行っていながら、実際に建造するまでに8000年もの期間を待機したのは、際差運動によっ
てオリオン座が元の位置に戻ってくるのを待つという儀式的な意味合いのためである、と
言う推論がなされている。「空が落ちるとき」は、9つの言語に翻訳される大成功を収めた。
そこでフレマスはさっそく次の仕事に取り掛かった。彼は、メキシコの先史遺跡に目を付けた。
メキシコで最も重要な先史遺跡と言えば、それは間違えなくテオティワカンである。それが最盛期
を迎えたのは6000年ごろで、統治の広さは12平方マイル(約19・3平方キロ)もあり、
帝政ローマ以上に巨大な都市だった。だが、この都市は750年ごろに突如、完全に崩壊して
しまう。その原因は判明していないが、広い地域に地震に襲われた形跡が残されている。
この都市には、「月の神殿」と「太陽の神殿」を結ぶ「使者の大通り」と呼ばれる長さ2マ
イル(約3・2キロ)の通りが南北に延びている。だがこの道は、厳格に言えば15・5度
ほど、東北に傾いているのだが、その理由もまた不明である。だがフレマスは、このテオティワカン以
外にも、南米には東北東に傾いた祭祀遺跡が49もあると言うことに気づいた。
もしかしたら、テオティワカンが最初に設計されたとき、「死者の大通り」は正確に真北を指し
ていたのではないだろうか―すなわち、ハドソン湾の旧北極を―。一見したところ、それはありえない。テオティワカンは、最大限に見積もっても、紀元前4000年より古いものではありえないとされているのだ。
だが、そもそも宗教的遺跡と言うものは、それ以前から存在した宗教の聖地に建てられ
るという性質がある。古い宗教の遺跡があった場所そのものが神聖な土地と見なされるた
めである。ヨーロッパでも、キリスト教の教会の多くは異教の聖地の上に建てられている。
80:,
08/05/23 18:58:41 rDsvgyyQ
(テオティワカン遺跡の太陽の神殿。この都市遺構はメキシコで最も重要なメキシコで最も重要な先史遺跡
とされ、最盛期には帝政ローマ以上に巨大な都市だったと言われている。)
考古学者たちは、テオティワカンから5つの異なる都市の遺跡を発掘している。もしも文明と言う
ものが紀元前一万年以前から存在していたとするなら、テオティワカンが紀元前4000年よりもは
るかいぜんから整地とされていた土地の上に建てられた都市であったということは十分あ
りうるのである。
フレマスはテオティワカン以外にも4つの遺跡―トゥーラ、テナユカン、ソチカルコ、コパン―を調べてみたが、結
果は同じだった。いずれの遺跡もやはり、まるで何かの目印のように、旧北極を指してい
たのである。そこでもし仮に、紀元前1万年以前のテオティワカンに間ラ化の神殿があり、他の4
9の「傾いた」祭祀遺跡がすべてハドソン湾の北極に向けて設計されたものだ、と仮定してみ
よう。すると、残された遺跡の分布からして、この文明は広大な範囲に広がっていたこと
になる。前述のように、ボナンスキー教授によれば、ティアワナコは紀元前1万5000年ごろに遡り、
またハプグッドは、かつて全世界的な規模の海洋文明があったと考えていた(彼はこれを紀
元前7000年ごろと見積もっていたが、同時に彼は、アトランティスの終焉を紀元前9600年として
いる)。
もし、このような文明が存在したなら、全世界的な規模で測量が行われたとしても、不思
議はない。項考えたフレマスは、各遺跡の位置関係に注目することを思い立った。
たとえば、ギザの大ピラミッドが驚くほど高度な数学と地理学の知識を示していると言うこ
とは、よく知られている。その4つの面が正確に東西南北の方向を向いているのみならず、
その位置は赤道からちょうど30度北にあるのだ―つまり赤道から北極までの距離のちょ
うど3分の1である。エジプト人は赤道の長さを知り、赤道から極までの距離を知っていた。
81:,
08/05/23 18:59:52 rDsvgyyQ
そしてまた、前述のように大ピラミッド事態が地球の北半分、すなわち赤道から北極までを象
徴している。これらのことは、そして大ピラミッドをあえてその位置に置いたと言うことは、
紀元前2500年のエジプト人が全世界的な規模の地理地形を持っていたことを意味する。そ
れでは、この大ピラミッドはハドソン湾にあった北極となんらかの関係を持っているのだろうか。
ハドソン湾の北極の時代、大ピラミッドは今よりも15度南にあった。そのため、まず大ピラ
ミッドからハドソン湾の北極に向かって1本の直線を引き、さらにもう1本を現在の北極に
向かって引くと、この二本の直線の角度は28度となる。
フレマスは、この28と言う数字が、ギザにおいて極めて重要な役割を果たしていることに気が
ついた。大ピラミッドの王の間に続く大回廊には28度の会談があり、スフィンクス神殿には28本の
柱がある。さらに、大ピラミッドから見ると、夏至と冬至の日の出の位置は56度離れている
―すなわち、春秋分点と夏冬至点はそれぞれ28度ずつ離れていると言うことだ。
さらにフレマスは、スフィンクス神殿が大ピラミッドの葬祭殿から見て28度の角度を持っている事を発
見した。そしてこの角度をそのまま延長していけば、その直線は正確にハドソン湾の旧北
極に達するのである。
スフィンクスの前に並んで立つスフィンクス神殿と谷の神殿は、両者とも「巨石時代風」のスタイルを持っ
ており、ウェスト、ハンコック、ボーヴァルの一致した見解では、これは他の遺跡よりも遥かに古い。
同じことは、大ピラミッドの葬祭殿にも言えるのである。
これらの計算結果は、単なる偶然であるとは考えられない。そこでフレマスは、大西洋から遠
く離れた中東の遺跡について、さらに慎重に研究を進めた。その結果、以下のような遺跡
がハドソン湾の旧北極を指していることが判明したのである。
82:,ミジンコ
08/05/23 20:38:56 rDsvgyyQ
>>78 URLリンク(ja.wikipedia.org) チチカカ湖
>>79 URLリンク(ja.wikipedia.org)
URLリンク(ja.wikipedia.org) ハドソン湾?
、、、マズッタかな、、、、。、、、まぁいいか、、、後で修正して行こう、、、。
>>80 URLリンク(ja.wikipedia.org) トゥーラ
URLリンク(ja.wikipedia.org) ソチカルゴ
URLリンク(ja.wikipedia.org) コパン
スレリンク(rikei板:232番)
83:,ミジンコ
08/05/23 20:57:38 rDsvgyyQ
1) カルデアのウル。有名なジッグラトと、月の女神イナンナの神殿。
2) バグダッドの南にあるニップール(ここで発見されたギルガメシュ叙事詩の粘土板には、理想郷ディルムンが洪水で滅びる描写あり)。
3) シュメールの都市のウルクのジッグラトと「白き神殿」。
4) エルサレムのヘロデ王の神殿の嘆きの壁。
次にフレマスは、多くの遺跡が、彼のいう「聖なる緯度」上にあるということに気づいた。こ
れは、360の約数となる数字を持つ緯度である。たとえば30度、45度などがそうだ。
そして彼は、こうした「聖なる緯度」の上にある遺跡を、次のように40あまりも発見した
のである。これはもはや、単なる数字の遊びとして片付けられるものではない。
ハドソン湾(北緯60度/西経83度)が北極であった当時の聖なる緯度
以下にあげる遺跡はいずれも、聖なる緯度から0・5度以内(30海里)の位置にある。南
太平洋のライアテアとタヒチは、聖なる緯度に最も近い島である。
50度 ロスロリン/ローンヘッド/キルウィニング、タラ/ニューギレインジ/ノウス、ダネエヒト、ウシュマル、チチェン・イツァ
45度 コパン/キリングア、カンタベリー
30度 カルタゴ、キト
25度 コンスタンティノープル
15度 ギザ、エリコ/エルサレム、アッシュール、ナスカ、ギルガル、ヘリオポリス
12度 バビロン、平壌
10度 ウル/ウルク/エリドゥ、テーベ/ルクソール、スサ、伊勢、奈良、京都・平安京、クマシ、ナカダ、ラガシュ
5度 ビュブロス、西安、ラリバラ、エレファンティン、ライアテア、タヒチ
0度 ラサ、粟国島、モヘンジョ・ダロ、イースター島
(/で繋いだ都市は極めて近接していることを示す)
84:,↑
08/05/23 21:11:15 rDsvgyyQ
恐らく、WIKIで出ないのは沢山あると思うが、ご自由にお調べください、、、、。
85:,↑
08/05/23 21:12:33 rDsvgyyQ
フレマスの「空が落ちるとき」は、1995年1月にカナダで出版され、すぐにいくつかの言語に翻
訳される成功を収めた。グラハム・ハンコックの「神々の指紋」もまた、1995年4月に出版されれ
るになるやいなや世界的なベストセラーとなり、古代文明に対する人々の関心の高さを改
めて明らかにする結果となった。
私自身の「アトランティスからスフィンクスへ」は1996年5月に出版され、初刷りはその日のうちに売
切れてしまった。ハンコックとボーヴァルの共著「創世の守護神」は1996年に出版され、これ
もすぐさまブストセラーとなった。そしてクリストファー・ナイトとロバート・ロマスの「ヒラムの鍵」(邦訳:封印
のイエス)もまた、好調な売れ行きを示している。
こうした機運にのって、フレマスは次の作品「未来の発見―アトランティスからの青写真」と題す
る本を計画していたが、フレマスのパートナーであるローズは小説の執筆に専念しており、また彼自
身も図書館司書の仕事に忙殺されていた。そこで彼らは計画の概要を私に送ってくれ、こ
れを本にするよう依頼してきたのである。
この概要を読んで、私は脳天を一撃されたようなショックを感じた。もしも祭祀遺跡の配置
に関する彼の仮説が正しいなら、これはアトランティス以前の文明に関する、これまでで最強の物
的証拠となる。私は一も二もなく執筆役を引き受けた。彼は直ちに大量の資料を送りつけ
てくれた。
そこにはハプグッドのいう有史以前の「高度科学文明」の存在を裏付ける、信じがたいよ
うな証拠がちりばめられていたのである。
86:,
08/05/23 21:20:41 rDsvgyyQ
ギザの本初子午線
1884年10月。スコットランドの王室天文学者チャールズ・ピアッツィ・スマイスは、地球上の経度の基
点となる子午線、すなわち「本初子午線」を、ギザの大ピラミッドに置こうと考えていた。奇
妙なことかもしれないが、巨大な蒸気船が世界中の海を航行していた19世紀末に至って
もなお、このような基本的なことがまだ定められていなかったのである。
当時は多くの国が盛んに天文台を作り、それぞれ自国内に本初子午線を持ってくること
を主張していたのだ。そこで、この問題」をかいけつするためにヨーロッパ25カ国の代表が
ワシントンDCに会し、会議を開いたのである。
その会議も場で、スマイスは自国のグリニッジよりも、世界最大の遺跡であるギザの大ピラミッド
こそが本初子午線にふさわしい、と主張した。そして彼はその理由の一つとして、恐らく
古代人もギザを本初子午線として用いていたと思われる、と論じたのである。
だが、ご存知のように、多くの国はグリニッジに投票し―当然ながらフランスは棄権したが―
スマイスの論理的な主張は退けられてしまった。もしもこのとき、本初子午線の位置がギザに
決まっていたら、世界中の何百と言う聖地が、一つの巨大なパターンを構成していると言うこ
とが手に取るようにわかっていただろう。
87:,
08/05/23 21:22:40 rDsvgyyQ
たとえば、グリニッジを起点にした場合は西経69度にあるティアワナコは、大ピラミッドを起点に
すれば西経100度となる。かつてのインカ帝国の首都であるキトは西経110度で、テオティワカン
やイースター島などの重要な遺跡も、西経120、130、140度と言った位置に見出される
のだ。
統計の場合も、カルデアのウルは正確に東経15度で、チベットの首都ラサは東経60度となる。
さらに重要なのは、経度がこのように端数のない数字で表される聖地の多くは、この経
度がφに関係のある数字になっている。
たとえば、ティアナワコの緯度は10φ。ポリネシアの霊的センターであるライアテア(ここはギザ経180度
でもある)もまた10φである。実を言うと、私が拙著「聖なる遺跡の地図」でとりあげ
ていた数多くの遺跡が、まさにこの条件に当てはまっていたので、最初フレマスからこの話を
聞いたときには、本当に仰天したものだ。
88:,
08/05/23 21:25:44 rDsvgyyQ
URLリンク(ja.wikipedia.org) φ 幾何学
URLリンク(ja.wikipedia.org) φ
89:,
08/06/01 09:41:19 9Af/B2Au
スレリンク(ruins板)l50 Wikipediaで世界遺産
スレリンク(geo板)l50 地理学・人類学
スレリンク(sky板)l50 天文・気象
スレリンク(min板)l50 民俗学・神話学
90:,ミジンコ
08/06/03 18:25:27 GKr+Wrrq
スフィンクスの建造年代、、、、。
スレリンク(ruins板:37-39番) ピラミッド
スレリンク(ruins板:40-43番) スフィンクス
スレリンク(geo板:45-47番) 地球の大きさを知っていた古代人、、、
スレリンク(ruins板:44-48番) :、ピラミッドに秘められた音の秘儀、、、
91:,ミジンコ
08/06/03 19:08:40 GKr+Wrrq
スレリンク(ruins板:49-53番) デンデラ神殿とオリシスの墓、、、、、
スレリンク(earth板)l50 地球科学
スレリンク(psycho板:383番)
スレリンク(rikei板:241番)
スレリンク(whis板)l50x
92:,二つのタイプに分かれる脳の力、、、、
08/06/03 19:12:51 GKr+Wrrq
デンデラ神殿とオリシスの墓、、、、、 のつぎ、、、、
夕方までに我々はカイロに戻り、24時間後にはコーンヲールのわが家にもどった。だがもうひとつい
い忘れたことがあった。このナイル遡航のたびの最も重要な発見の一つだー―我々の祖先が6
万年以上も前に歳差運動を知っていたということを示す驚くべき証拠である。
隣のキャビンに、南アフリカの魅力的なカップル、ウォルトン夫妻がいたー―ガースとマリーだ。私の講
義の夜、フランスの宇宙科学者モーリス・シャトランの「宇宙から来た我らの祖先」を知っていますか、
と彼等にたずねられた。知らないと答えると、その本を貸してくれた。それから数時間の
うちに、私は10万年前に高度な科学が存在したというハウグッドの主張を裏づける発見に出
くわしたことを知った。
1843年、イラク(当時はメソポタミア)のモスルの領事であったポール・エミール・ボッタというフランス人が居た。
彼がティグリス上流のユクンジクと呼ばれる塚の発掘を始めた頃、アッシリアの王アッシュールバニパル(在位紀
元前669-627)の書庫を発見した。その粘土板の中に、膨大な数の書かれたのもが
あったのだー―195955200000000(195兆552億)である。この廃墟と
化した都市の名はニネヴェであった。
その当時は、100万という観念すらほとんど用いられることはなかったので、ボッダは困
惑した。一体古代アッシリア人はこんな膨大な数字を何に使ったのだろうか?
シャトランはコンピュータを使って計算し、この数字が見た目ほど面妖なものではないというこ
とを見出した。これは60の7乗×70だったのだ。
ここでシャトランはおぼろげな記憶を思い出した。文字を発明したシュメール人は、10進法ではなく
60進法を使っていたという話だ(彼らは60秒で1分、60分で1時間という単位を発
明した)。突如、ある直感がひらめいた。この巨大な数字は、もしかして秒じゃないのか?
計算してみると、それは22億6800万日、つまり600万年以上に相当していた。
93:,
08/06/03 19:14:30 GKr+Wrrq
シュメール人はまた偉大な天文学者でもあり、すべての惑星の動きを図表化していた天王星や海
王星までもだ。シャトランは考えた、彼らは春秋分点歳差のことまで知っていたのか?地球が歳
差運動の1周期を完了する時間は2万6000年程だ。彼はニネヴェ定数をこの数で割ってみた。
すると驚いたことに、それはぴったり歳差運動の240周期―すなわち240「大年」に
当たっていたのだ。
ここで再び彼は考えた、この巨大数は天文学者やオカルティストの言う「太陽系の大定数」、すな
わち他のすべての数字―例えば惑星の軌道などー―を包含する「最大公約数」ではない
のだろうか?彼は惑星とその衛星の周期を秒に換算して計算を進め、そのすべてがニネヴェ定
数の約数であることを見出した。
これは仰天すべき発見だった。現代の科学によれば、これらの古代の天文学者が天体に興
味を持ったのは。純然たる迷信的理由のためであるはずだ。だがもしもニネヴェ定数がシャトラン
の言う通りのものであるなら、カルデアの天文学者は、太陽系に関してアイザック・ニュートンにも比
肩しうる理解を持っていたということになる。
この結果をさらに検証するために、シャトランは地球の自転周期とニネヴェ定数を比較した。だが、
小数点以下第六位に誤差があることがわかり、彼は少し失望した。それは1年当たり100
万分の1日(1・0368秒)という微々たる誤差に過ぎない。だがニネヴェ定数は極めて正
確であったので、この程度の誤差すら彼には許せないのだった。
そうこうするうちに、またしても新しい考えを思いついた。よく知られている通り、地球の自転速度は徐々に落ちてきている。今から100年後には1年の長さは12日も短くなるの
だ。ニネヴェ定数が地球の自転と完璧に合致していたとするなら、それが計算されたのは今か
ら6万4800年前ということになる。
だがそんな昔に、知的生命が存在しなかったのは確かではないか?
ところがニネヴェ定数を見る限り、人類は現在のみならず、その当時においても同様に高度な
科学を持っていたに違いないのだ。
94:,
08/06/03 19:17:54 GKr+Wrrq
では、彼らは何者だったのか?候補は選り取り緑だ。ネアンデルタール人かもしれない。そのころ
にはまだ彼らは居た。あるいは我々の同類であるクロマニオン人かもしれない。あるいはデニケンの
いう宇宙からの訪問者かもしれない。シャトランもそういう考えのようだ。だから彼の本は「宇
宙から来たわれらの祖先」と題されている。その冒頭はこうだ。
「マーキュリーやジェミニからアポロまで、アメリカが行った宇宙飛行のほとんどは、未知の宇宙船の追跡
を受けた。それらは外宇宙のほかの文明から飛来したのかもしれない、、、、そうしたことが
起こるたびに、宇宙飛行士は管制センターに報告している。彼らは完全な沈黙を強いられた」
シャトランは、サンディエゴ近郊で発見されたクロマニオン人の頭蓋骨を引き合いに出す。それは5万年か
ら6万5千年前のものとされたが、彼の引用する二人の科学者によれば、その脳容量は「最
高の知性」を示しているという。彼等によれば、その人間たちは「天文周期を観測し、こ
れを記録する能力をもっていただろう」。
シャトランは忘れているがー―あるいは知らないのかもしれないがー―ネアンデルタール人の脳容量は、
我々のものと遜色ない大きさなのだ。
だがもうひとつ考慮すべき可能性がある。あなたや私のような普通の人間でも、実に驚く
べき脳の力を秘めているということだ。私の好きな例はベンジャミン・ブライズという6歳児の
話だ。
1826年のこと、父親と散歩中だった彼は「今何時?」とたずねた。「7時50分だよ」と父は答えた。それから5分ほど歩いたところで、ベbbジャミンはいった。「だったら、僕の生き
た時間は、、、」、そして彼はひとつの数字を示したー―1億9000万秒に近い数字だった。父
親はそれをとっさに書きとめ、家に帰ってから紙で計算してみた。彼は言った。「いや、1
7万2800秒ほどまちがえてるよ」。「ううん、間違ってないよ」とベンジャミンは答えた。「お
とうさん、うるう年を一回飛ばしているよ」