正攻法の正規の考古学・百鬼夜行の戦慄のデスマッチat ARCHEOLOGY
正攻法の正規の考古学・百鬼夜行の戦慄のデスマッチ - 暇つぶし2ch50:、
08/05/21 21:04:41 uqTiLED6

 暴風雨やサーベルタイガーから身を守るのに、夢はあまり役に立ちそうではない。私の印象に
残ったのは、ネアンデルタール人が10万年前に大量の赤鉄鉱を掘り出したという事実だ。
だが、それだけでは文明とはいえないのは確実ではないか?
 最近になってこの本を見返したとき、私はカバー裏の宣伝文句の最初の数行に惹きつけら
れた。「本書は、最初の氷河期とそれに続く現代人の出現の時代(3万年ほど前)以前には
文明の名に値するものは何もなかったという、正統派の観点に挑戦するものである」。これ
はまさに、ハプグッドのいう10万年前の化学と同じではないか。
 グーチはまず、ネアンデルタール人とアメリカ先住民を比較する。
「紀元前2000年より前に、この北アメリカ先住民諸族は、機織、テント、武器、医薬品、音
楽、そのほかさまざまな技術を知っていた、、、、、、またこのころまでにはすでに複雑な政治
と、豊かな文化的・宗教的伝統、膨大な民間伝承を持っていた、、、、、部族の中には、日々
の多くを複雑な宗教儀礼に費やすものもあった。今日の正統派ユダヤ教徒やムスリムに似ていな
くもない。だが、ここで強調しておかなくてはならないが、これらの複雑な先住民が、実
は文字を持っておらず、また恒久的な住居を建てたこともないのである」。

 グーチは問う、もしも疫病や何らかの破局によって彼等が滅亡していたら、どうなってい
ただろうか?考古学者は彼等の骨を発見し、「未開人」として一蹴していただろう。

 現在我々は、アメリカ先住民の「未開性」は自ら選択したものであることを知っている。
彼らは単に自然に近い生活をしているだけではない。自然と共生的な関係を持っているの
だ。「アトランティスからスフィンクスへ」では、ホピ族と同様にシャーマン的だ。人類学者エドワード・ホールは、
徐々に彼等の生活様式を理解するようになり、そしてそれこそが西洋文明に対する完璧な
代替物であると認識するようになった。多くの点で―たとえば、キチェ族族の暦だ―それ
は我々西洋の生活様式よりもはるかに豊かで複雑なものだ。それを「右脳文明」と呼んで
も間違えではないだろう。彼らは自らそのような発展の方向性を選択したのだ。

51:、
08/05/21 21:07:10 uqTiLED6

(7姉妹)について、グーチは次のように述べている。「プレアデスは、過去と伝在を問わず、最
も高度なものから最も原始的なものまで、地球上のあらゆる文化が認識し、名を付けた唯
一の星座である」。そして彼はオーストラリアのアボリジニ、ワイオミングの先住民、そして古代ギリシア
の伝説の類似を指摘する。

 ギリシアの伝説では、狩人であるオリオンが6人の乙女とその母を森の中で追いまわす。ゼ
ウスが彼女たちを哀れみ、全員(オリオンを含め)を星に変える。オーストラリアの伝説では、この
狩人はウルンナと呼ばれ、7人の乙女のうち2人を捕らえる。だが彼女たちは木の上に逃れ、
それは突然成長して天に達する。そこで彼女たちは永遠に暮す。ワイオミングの先住民の伝説で
は、7人の乙女は熊に追われ、高い岩に登り、それが成長して天に達する。

1989年、グーチはオーストラリアのアボリジニとワイオミングの先住民との間には2万年の隔たりがある、
と述べた―その時点では、現代の人類学者がすぐにそれを4万年にまで延長するなどと
は考えてもいなかったのだ。次にグーチは(7姉妹が)アステカ、インカ、ポリネシア、中国、マサイ、キクユ、
ヒンドゥ、古代エジプトの伝説でも同様に重要な役割を果たしている、と述べる。プレアデスに
対するこの全世界的な関心は、それが極めて古い、そしてかつて中心的であった文化に発
祥することを示している、という。

 グーチによれば、その文化とはネアンデルタール人のものである。われわれとしては信じられない、
というか、我々自身の祖先であるクロマニオン人を推したいと思うかもしれない。だがグーチは、
ネアンデルタール人の洗練された知性を証明する印象的な証拠を集めている。たとえば彼は、スイス・
アルプスのドラッヒェンロッホを例に挙げる。そこでは、洞窟の中に7万五千年前の森の祭壇が発見さ
れている。分厚い石板の蓋のついた長方形の石櫃の中に、7つの熊の頭骨が発見された。
その鼻面は洞窟の入り口を向いていた。洞窟の後ろの壁には壁がん(西洋建築で壁や柱の
垂直面につくったくぼみ。彫刻などを飾る)があり、そこにさらに6つの熊の頭骨があっ
た。


52:、
08/05/21 21:08:16 uqTiLED6


 すでに見たように、7はシャーマニズムと関連した数だ。ドラッヒェンロッホ洞窟は明らかに際議場だ
った―いうなれば教会だ。さらに、エリアーデが言うように、世界的に熊は月と繋がってい
る。そしてこのことは、洞窟内の頭骨の総数が13―-太陰暦の月の数であることから推測
できる。このことと、他の多くの手がかりに基づくグーチの推論によれば、ネアンデルタール人の宗
教は月崇拝に基づくものであり、ネアンデルタール人こそ最初の「星を見る者」であったという。
彼によれば、サンティラーナの言う春秋分点歳差の知識はネアンデルタール人に由来するという。

「教会」があるということは、そこには神官かシャーマンがいたということだ。これによって、
ジグソーパズルのもう一つのピースがはまった。ネアンデルタール人には独自のシャーマン、「魔術師」
がいたに違いない。世界中のシャーマンがそうであるように、彼らもまた狩猟儀礼において重要
な役割を果たしていたのだ。月の女神であるディアナが女狩人であることは偶然なるだろう
か?彼女もまた、ネアンデルタール人からの遺産なのだろうか?


53:、
08/05/21 21:09:08 uqTiLED6


ネアンデルタール人の文明


1989年にグーチの本が世に出て以後、ネアンデルタール人がテクノロジーを所有していたことを示す証拠
も山積している。1996年、タラゴナのロビリ・イ・ビルギリ大学の科学者たちが、バルセロナの北方
カペラデス近郊で15基の炉を発掘した。エウダルド・カルボネル教授は、ネアンデルタール人がこれまで誰
一人想像もしていなかったほどの高度な技術を持っていたことが証明された、と述べた。

 彼によれば、ホモ・サピエンスはクロマニオン人を飛び越す「進化的跳躍」ではなく、ネアンデルタール人か
らの穏やかな一歩である。発掘された炉のそれぞれは、その大きさにしたがって特定の用
途を持っていた。あるものはかまであり、あるものは炉床であり、あるものは溶鉱炉だっ
た。さらにまた、「驚くほど多様な」石器や骨器のほか、広範囲にわたる木製器具の痕跡が
発見された。

グーチの最も驚くべき主張の一つは、ネアンデルタール人が10万年前に南アフリカで赤鉱石を得る
ために深い鉱脈を掘っていたというものだ。「中でも最大の赤鉄鋼坑遺跡は、その採掘量が
100万キロに達していたことを示している」。ほかにも、4万五千年前、4万年前、3万
五千年前とされる坑が発見されている、そしてどの場合も、坑はわざわざ苦労して埋めな
おされており、これは恐らく大地が神聖視されていたからだろう。ネアンデルタール人はこの赤鉄
鉱を儀式に用いたらしい。


54:、
08/05/21 21:11:12 uqTiLED6

1950年、スミソニアン研究所のラルフ・ソレッキ博士は、イラク・クルディスタンのシャニダール洞窟を発掘し、ネア
ンデルタール人の埋葬儀礼の証拠を発見した。そこでは死者に野生の花を編んで作ったキルトが掛
けられていたのだ。彼の著書「シャニダール」(1971)の副題は、「ネアンデルタール人の人間性」
である。彼はネアンデルタール人が猿とは、まったく異なるということを示した最初の人類学者だ。

 グーチによれば、赤鉄鉱は少なくとも10万年前から今日に至るまで使われている。オーストラ
リアのアボリジニが今もなお使っているのだ。彼の引用しているある専門家によれば、それは「あ
らゆる物質の中で最も霊的に豊かで、魔術的なもの」だという。
赤鉄鉱は磁鉄鉱と呼ばれる鉱物が酸化した物で、これはその名がしめすように磁力を帯びている。
その小片を水面に浮かべると、それはくるくるまわって磁北を示す。そして、紀元前10
00年、オルメカ人はそれをコルクにつけて水に浮かべ、コンパスの針として用いていた。中国人が
コンパスを発明するより1000年も前だ。
グーチによれば、はとも含む多くの動物が、脳の中に磁鉄鉱のクラスターを持っており、帰巣に
用いられる。では、ネアンデルタール人もまた脳の中に磁鉄鉱のクラスターを持っていたのではないだ
ろうか、と彼は問う。それによって彼らは地中の赤鉄鉱を探すことができたのだ。いうま
でもなく、これは単に地中の水を探知するダウザーの能力の変種である。
ネアンデルタール人が赤鉄鉱を求めた理由は何であれ、彼等が何らかの文明を持っていたことは確実だ。

2002年1月、ネアンデルタール人が一種の瞬間接着剤を使っていたことが明らかとなった。こ
れはハルツ山脈の褐炭工で発見された一種のコールタールで、8万年前のものとされる。その一つに、
手の指紋と石器と木器の印象があった。つまりこのコールタールは、木の柄を石器の刃に固定す
る一種の接着剤として用いられていたのだ。

コールタールは樫の木から作られるが、製造には摂氏300~400度の温度が必要だ。ドイツ、
イェナのフリードリヒ・シラー大学のディートリヒ・マニア教授は言う、「これはネアンデルタール人がこれらのコールター
ルを偶然手に入れたのではなく、自ら意図的に作り出したものであることを示している」。


55:、
08/05/21 21:13:07 uqTiLED6

明らかに、これらすべては革命的なことだ。我々は人間の文化はクロマニオン人、ホモ・サピエンスと
ともに始まった事を当然としている。我々の祖先であるクロマニオン人は、35000年前に洞
窟画を描き始めたので、我々は常にその時点を持って文明が開始されたと考えている。だ
が、もしも4万年前にプレアデスが新式され、グーチの言うネアンデルタール人が宗教を持っていた
のならば、文明の起源は遥かに古いものとなる。

むろん、17600年前のオーストラリアに道具と岩面彫刻があったというレスリー・ネッドの主張が正しいなら、それはさらに古いものとなる。

となればその担い手がネアンデルタール人であること、そしてネアンデルタール人が天を観測していたこ
とは明らかとなる―われわれのクロマニオン系の祖先は、178000年前にはまだアフリカ
にいたのだから、その担い手であるはずがない。

 さらにまた、1995年、スロヴェニア科学アカデミーのアヴァン・チュルク博士は、82000年前の
骨笛を発見した。つまり、ネアンデルタール人は、独特の音楽を持っていたのだ。グーチによれるネア
ンデルタール人とアメリカ先住民の比較は、ますます説得力を持つ一方であるようだ。また別のネアンデ
ルタール人の遺跡からは、36000年前の骨製の縫い針が発見されている。糸を通す穴まで
ついたものだ。

 おそらく、ネアンデルタール人の知性を示す最も重要な証拠は、1990年代の初め、南アフリ
カの先端にあるブロンボス洞窟から発見されたものだ。この洞窟はクロマニオン人とネアンデルタール人の
双方が用いていたが、ニューヨーク州立大学のクリストファー・ヘントルウッドの発見は、典型的なネアンデルタール
人の層から出土したものだ。それは平らに加工した表面に幾何学模様の装飾が施された、
大量の赤鉄鉱だった。


56:、
08/05/22 07:04:57 vm8SBrt0

この発見の意味するところは、2005年2月20日のBBCの「ホライゾン」で放送された
「考えることを覚えた日」で示された。

 番組では、まず始めに、35000年前の洞窟絵画がこの分水嶺を示しており、これは
彼が「人類革命」と呼ぶ何らかの遺伝的変化によって引き起こされた、というリチャード・クライ
ン教授の仮説が示される。だが、この仮説が依拠するネアンデルタール人に対する前提は、ここま
でで、疑問を呈してきたものだ。

 この観点に反対する大きな一歩を記したのは、耳鼻咽喉学校の教授ジェフリー・レイトマンだ。彼
によれば、ほとんどの生物の喉頭は人間よりも高い位置にある。ゆえにその音声は我々の
声よりも音高が高い。喉頭が下がると声が低くなり、発話に適するようになる。これは少
なくとも20万年前からネアンデルタール人に生じており、発話に適した喉頭を持っていたのに、
話す能力がなかったとは考えがたい。

 ヘンシルウッドが発見した幾何学模様は、7万年以上も前のものだ。思うにこれらは芸術では
なく何らかの記号であり、恐らく天文学に関するものだろう。ピーボディ研究所のディヴィッ
ド・マーシャックが発見した3万5千年前のアンテロープの骨に刻まれていた点と線の記号に似
たものであると思われる。マーシャックによればそれは我々の祖先であるクロマニオン人が、月の諸相
を示す記号として刻んだものであり、彼は、それを最初の文字の実例としている。だがブロ
ンボス洞窟の赤鉄鉱の模様は、それよりも4000年以上古い。


57:、
08/05/22 07:06:50 vm8SBrt0

だがそれらすべては、もしかしたら的外れかもしれない。その証拠となりそうなのが、「ベ
レカトラムの小像」と呼ばれる彫像だ。これは、古代の厚板を発見した人物として紹介したナーマ・
ゴレン=インバル教授が、1980年に発見したものだ。

発掘場所はゴラン高原。年代決定の根拠は、それが―7500もの掻器(掻きとったり削
り取ったりする道具)とともに―年代決定可能な2つの凝灰岩の層の間から発見された
ことだ。その年代は、25万年前から28万年前の間だった。そして電子顕微鏡のによる
検査の結果、単に奇妙な形の石なのではなく、彫刻されたものであることが判明した―
ネアンデルタール人の手で、だ。

小像は有名なヴェレンドルフのヴィーナスに似てはいるが、はるかに稚拙だ。とはいえその石器は、
溝筋の中に粉末を残していたのだ。つまりネアンデルタール人は、25万年以上前に、小さな女性
像、恐らくは月の女神の像を刻んでいたのである。すなわちネアンデルタール人は、ドラッヒェンロッホ洞
窟の熊の頭骨によって示されたように、すでに宗教を発達させていた―それも、我々の
想像より20万年も前に、である。

ロバート・ロマスとクリストファー・ナイトの「ウリエルの機械」でも、ネアンデルタール人に焦点が当てられ、
彼らは現代人よりも大きな脳を持っていたこと、そして彼等の登場から退場までは23万年
もの時間があったことが示されている。つまり、ネアンデルタール人にイは、高度な文明を築き上
げるのに十分な時間があったのだ。

彼らは明らかに死後生を信じていた。というのも、彼らは死者を宗教儀礼によって埋葬し、
あの世での必要のために道具や肉などを副葬していたからだ。死者は装飾用の玉(ボタン
穴が開いている)で覆われた外套、装飾入りの帽子、彫刻入りのブレスレットやペンダントを着用
した。彼らは少なくとも、完璧な真円のチョークの円盤を作った。それが月を表すものである
ことはほぼ確実だ。


58:、
08/05/22 07:08:01 vm8SBrt0



ロマスとナイトは、次のような重要な指摘をしている。

「ネアンデルタール人の文化が、現代の人間の一部、たとえばオーストラリアのアボリジニと同等のレベルにま
で達していたということはありえないことではない。彼らはテクノロジーを忌避し、環境との調
和に基づく昔ながらのやり方をこのんだのだ」

 10万年前の原始人に関して言えば、もし、ネアンデルタール人の子供をタイムマシンを使って誘拐して
きたとしたら、園子を大学に入れて現代人と同じレベルにまで教育することも可能だっただ
ろう、という。

ネアンデルタール人といえば、ウホウホというような鳴き声でコミュニケーションしていた猿みたいな生き物と
いうイメージがある。だがロマスとナイトが引用している学術論文によれば、もしもネアンデルタール人に
現代人の服を着せ、ニューヨークの地下鉄を歩かせれば、誰もそれとは気づかないだろうという。
そしてもしもネアンデルタール人が宗教儀礼を行い、笛を吹き、天を観測し、溶鉱炉を作っている
のなら、ウホウホ以外の言語を持っていたことは確実だ。



59:,
08/05/22 08:43:35 vm8SBrt0



全体と繋がる感覚

「アトランティスからスフィンクスへ」では、私はネアンデルタール人よりもクロマニオン人に関心を持っており、そ
の結果ネアンデルタール人のシャーマニズムの重要性を見過ごしていた。同書では、シャーマニズムこそが文明
の発展に中心的な役割を果たした、と論じた。もしもクロマニオン人の洞窟絵画が、狩人が獲物
を捕らえることを助ける儀式を示しているのなら、シャーマンは部族で最も重要な人物であり、
恐らく指導者となっていただろう。祭司王の伝統は、クロマニオン人の洞窟から、古代シュメールやエ
ジプトまで続いていたのだ。そして古代エジプトは、祭司権と王権がほとんど同一であっ
た最後の大文明だ。以後、現代人は自らを直感的な自己から分離し、不安と疑念を供給し
始めたのだ。

先の章で、「シャーマン的文化」は一種の「集合意識」を当然のものとして受け入れている、と
いうことを見た。ブラジルのアマワカ族は、全員座って、マヌエル・コルドバとオナジヴィジョンを共有した
―ボアの歌によって巨大なボアが現れ、他の蛇が現れ、鳥や動物が現れた。同じ理由で、
ジェレミーナーバイのキリシャリ族の師は、その幻覚剤を「森のTV」と呼んだ。

 誰もが、秋の空を飛ぶ鳥の群れを見たことがあるだろう。彼らは全員が同時に、一羽の
遅れもなく旋回する。また、水族館の大量の魚群が同じことをするのも見たことがあるは
ずだ。田舎の人は、鳥や魚の群れのここの成員の間に何らかの繋がりがあることを直感的
に知っている。蜂や蟻もそうだ。


60:,
08/05/22 08:45:54 vm8SBrt0

これらの生き物は、群れになると各個体ではなく集合的な存在となり、集団精神に支配さ
れる。扁形動物の身体の細胞が、各細胞よりも上位にある「集団精神」によって支配され
るように見えるのと同様だ。

 信じがたいことに現代人も今なお集団精神の支配に身をゆだねることがあるケヴィン・ケリー
の「アウト・オブ・コントロール」(1994)には、ラスヴェガスでおこなわれたコンピューター大会の話が出
てくる。そこでは5000人の人が、自分自身の姿を写す巨大スクリーンの前に集まった。さ
らに彼らは、棒を使ってスクリーン上の像を制御することができた。その棒は一端が赤、
反対側が緑になっていた。それから全員が赤組と緑組に分かれ、2人の人間のように、電子
ピンポンゲームをしたのだ。

さらに、同じ様な集団活動の練習をいくつかこなした後、画面にフライトシュミレーターが現れた。左
側の人々は飛行機の横運動を、右半分の人は上下運動を任された。5000人の人間が心を一
つにして、飛行機を無事に着陸させようというのだ。だがしばらくして、このままでは着
陸はうまくいかず、失敗に終わる、ということが明らかとなった。だがこのとき、観客全
員が―何のコミュニケーションもなしに―自発的に飛行機を宙返りさせようと決意し、それを実
現したのだった。


あの古代の能力は、明らかにまだそこにある。この文明社会では、すっかり錆付いている
けれども。我々は個人として活動することに慣れすぎている。現代の都市生活者が混雑し
た通りを歩くとき、他人と「繋がっている」感覚を感じることはほとんどない。むしろ逆
だ。だが、コンピューターの画面上で少し練習すれば、すぐに「繋がっている」感覚を回復させ
ることができるのだ。

シュワレール・ド・リュビックによれば、古代エジプト社会の特徴はこの「繋がり」の感覚だった。
彼の主張を要約すると―「エジプトの科学、エジプトの芸術、エジプトの医学、エジプトの天文
学は、エジプト人の生活の別の側面と見なされていた訳ではない。それらは同じものの諸
側面であり、広い意味での宗教だったのである。宗教は知識と同じものであった」。シュワレール
は言う、「、、、、、4000年以上、古代エジプトは宗教というものを「持っていた」わけではな
い。それはそっくりそのまま、宗教そのものだった」(神聖科学)


61:,
08/05/22 08:48:03 vm8SBrt0

「そっくりそのまま宗教そのものである社会」の意味を理解することは我々には不可能だ。
現代のユダヤ教、現代のイスラムにしたところで、社会と宗教が同じものであった当時のルーツ
からかけ離れてしまっている。古代社会では、それは日常生活のまさに本質だった。狩猟
ですら―つまり食べることですら―それに頼っていた。ネアンデルタール人にしてもクロマニオン人
にしても、宗教のない生活など想像もできなかっただろう。

我々は実際にネアンデルタール人の何を知っているのか?まず第一に、彼らは我々よりも1フィート(約
30センチ)低く、巨大な脳のために高等部が烏賊の様に出っ張っていた。(この出っ張りは、
ネアンデルタール人の小脳の大きさによる。小脳に関しては今なおほとんど何もわかっていないが、
夢に関係しているとされる―だからグーチの本のタイトルは「夢の都」なのだ)。さらに、
彼等が左利きであったことはほぼ確実だ。後期の洞窟絵画のほとんども左利きの画家によ
って書かれている。グーチはこれをことのほか重視している。生物学者が脳の研究を始めて
以来、左利きの人は右利きよりも直感的だということが判明している。

私は、ロバート・テンプルの「中国の天才たち」(1986)へのジョセフ・ニーダムの序文を読んでい
て、突然グーチのネアンデルタール人の本を思い出した。ニーダムは第一次世界大戦中、重慶に滞在
しているときに、あの膨大な「中国の科学と文明」(1954)の研究を始めた。そんなこ
とに手を付けようと考えた人が誰もいなかった理由は、極めて単純だ。「私より上の時代に
属する中国学者の友人たちは、そんな研究で何らかの成果が上がるとは考えていなかった」
―-まさにネアンデルタール人の場合と同様だ。だが逆に、「光り輝く財宝の洞窟が口を開いたの
だ!」。そして彼は、中国人は発明の才がないどころか、二項式から種痘まで、西洋がそれ
を発見する前に、ほぼすべてを発明していたことをしった。「我々の見るすべてのものは、
最初の後の『最初』だったのだ。」


62:,ミジンコ
08/05/22 08:55:30 vm8SBrt0
スレリンク(rikei板:239-240番) ニネヴェ定数


先史時代の数のカノン、、、、



ニネヴェ定数のことを調べていたとき、私はジョン・ミッチェルに手紙を書いて、彼の意見を聞いた。
「楽園の次元」(1988)の中で、ミッチェルは次のように述べていたからだ。「、、、、、、古代
人は数字を宇宙の象徴と見なし、特に固有の構造と、あらゆるタイプの形態と運動の間に
関係性を見出した。」「彼らは生きた神聖科学の宇宙に暮らしていた。それは聖なる構成の
産物であり、理性との調和において構想されている」。

ミッチェルの返信は、私の研究をこれまでで最も驚くべきステージへと持ち上げた。まず始めに、
彼の私的によれば、ニネヴェ定数は地球の歳差周期で割り切れると同時に、太陽の直径(864000
マイル)でも月の直径(2160マイル)でも割り切れる。彼は言う、「また1から10までの
数と、その積(3628800)によってもだ」。さらに言う、「結節点となる数というも
のは確かにある。たとえば24時間の秒数である86400、そして太陽の直径である
864000マイル」。




63:,ミジンコ
08/05/22 08:56:52 vm8SBrt0

 そして彼は、「楽園の次元」の「数と測定」の章を読むように進めてくれた。

 私はその勧めに従った。最初は頭がかなり混乱した。というのも、長い数字や少数がこ
れでもかとばかりに出てきたからだ。たとえば、ローマのキュビットは、1・4598144英フィ
ートに等しいとか、ギリシアのキュビットは1・52064英フィートだとか、エジプトのキュビットは1・7
28英フィートだとか。これらすべては、地球の測定に関するヘンリー・リンカーンの発見を思い起こさ
せたがこれら小数の意味はまったく解らなかった。

 彼の主張の中には、確かに私の注意を惹くものがあった。「、、、、、、赤道を360度で割る
と、1度は365243・22フィート、つまり1000年の日数に等しくなる」確かに驚くべきことだ―だが、それこそ偶然というものではないか?

 だが、ギリシア、ローマ、ヘブライ、エジプトの測定単位の対応表を見て、私の毛は逆立った。これ
らの単位が、地球の極円周を正確に分割したものであることはもはや疑いの余地がない。
あまりにも驚愕した私は、ともかく本を置き考えをまとめようとした。

 クニドスのアガタルキデスによれば、ダイピラミッドの底辺は地球の円周の1分の8分の1である。
それは古代エジプト人が地球の正確な大きさを知っていたということを示している。そこ
までは私にも解っている。

 だが、mジョン・ミッチェルの挙げた数字は、そのはるかに先をいている。ギリシア、ローマ、エジプト、
ヘブライの単位がすべて地球の大きさに基づいているということは、そのすべてが同じ古代の
伝統の一部であるということを示しているのだ。


64:,
08/05/22 08:58:13 vm8SBrt0

 だがもしもマイルで表した太陽の直径が、1日の秒数の倍数であるなら、シュメール人―秒を発
明(もしくは継承)した―もまた、太陽の正確な直径を知っていたということになる。

 それだけではない」。天文学を論じた部分で、ジョン・ミッチェルは月と地球と太陽の円周、お
よび月の公転軌道と地球の公転軌道もまた、12の7乗で割り切れるということを示し、古
代の哲学者たちは「フィートで表した数を月の円周の単位とし、それを宇宙を測るための天文
学的基本単位にした」と結論した。(もしもこれが正しいなら―ヘンリー・リンカーンも信じてい
るが―メートル法を重視してフィートを駆逐しようとする現在の傾向は、致命的誤りということ
になる)。

私は、同封された手紙にあった彼の次の言葉の意味が解りかけてきた。「われわれがここで
扱っているのはこの宇宙を構成する、全体的かつ友好的な数の暗号であって、決して単な
る偶然ではないのです」。

 ミッチェルが挙げたこれらの数字はすべて、彼の言う「カノン」に属している。彼の考えを理解
するための格好の出発点は、1897年にロンドンで出版されたウィリアム・スターリングの「カノン」と題す
る著作だ。かの有名な冒険家R・Bカニンガム・グレアムが序文を寄せているにもかかわらず、こ
の本はまったく世に知られていない。そして著者は後に自殺した。ジョン・ミッチェルは1974年、
「カノン」を復刻した。


65:,
08/05/22 08:59:22 vm8SBrt0

 一見したところ、「カノン」は典型的なトンデモ本だ。。曰く、古代の密議宗教の参入者たちは、
ある「宇宙法則」を教えられ、社会の安定はその法則に依拠していた。これらの法則は数
の形で表現され、その数は名前として暗号化することができた―ギリシャ語とヘブライ語では、
アルファベットの各文字は数と関連付けられている(いわゆるゲマトリアだ)。

 ジョン・ミッチェルによれば、これらすべてには一つの真実が含まれている。それはすでに忘れ
去られて久しいが、多くの古代の文書に見出すことができる。

 「楽園の次元」の出発点はプラトンの「法律」で、そこではエジプトの神官が数千年の歴史を
持つ「比例と調和」の「カノン(法律)」をもっていた、と語られる。

プラトンは彼がマグネシアと呼ぶ理想都市の基本単位としてこのカノンを用いている。だが、この数
と比例はプラトンの発明ではない。というのも、ミッチェルが説得力の豊かに論証しているように、
それは、ストーヘンジの平面図にも見出せるし、また後には「黙示録」の新しきイェルサレムにも見出
せるのだ。

 ミッチェルがその数の「カノン」で言わんとした事を簡単に説明するには、「黄金分割」に立ち返
るのが一番だろう。これがフィボナッチ数列から導き出せるということはすでに述べた。フィボナッ
チ数列においては、すべての数が直前の2数の和になっている。0、1、1、2、3、5、
8、13、21、34、、、、、だどの数も、その前にある数で割ると、その解はφ、、、、1.
618、、、、、に近づいていく。数が大きくなればなるほど、それに近づくのだ。驚くべき
ことに、この単純な数列が、貝殻から銀河の渦まで、あらゆる自然現象を記述していると
いうことが判明したわけだ。先に述べたように、ミッチェルは地球の赤道の1度(をフィートで示し
た数)が1000年のに数に等しいことを指摘したが、これもまた往古の数を暗号を示す多く
の「偶然の一致」の一つだ。


66:,
08/05/22 09:08:10 vm8SBrt0


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科学関係ぶっちゃけスレ [理系全般]


67:,
08/05/23 08:05:30 rDsvgyyQ


 だが、このことは―これが何千年も前から知られていたということは―数字と天文
学に関する驚愕すべき知識を持った古代文明が、はるかな過去に存在したということを示
している。モーリス・シャトランのいう6万5千年も、もはやさほどばかげたものには見えない。

 ベリマンの「歴史上の度量衡」を扱った際に、ギリシャのスタディオンには地球の極円周の正確な知
識が含まれているという話をした。だが、ギリシャ人が地球の大きさを知ったのは紀元前240
年、エラトステネスが計算したときだ。つまり、この知識もまた、何らかのはるかな過去から伝え
られたものと思しい。

 ストーンヘンジの平面図にもカノンが見出せるというジョン・ミッチェルの主張は魅力的な仮説を生み出
す。アレクサンダー・トムは、巨大サークルの建造者たちを「先史時代のアインシュタインたち」と読んだ。
だが彼によれば、彼らは「石の暦」を作る際に信じられないほどの幾何学的才能を示した
だけのことにすぎない。だがもしもミッチェルが正しければ、とてもそれだけでは収まらない。
先史時代のアインシュタインたちは、いかなる文明をも遥かに遡る、古の宇宙知識を継承していた
ということになるのだ。ニネヴェ定数とキグリア定数もまた、その「カノン」の一部なのだ。


68:,タイガードラゴン
08/05/23 08:21:00 rDsvgyyQ

引き続き、古代文明遺跡同士の配置の全体的関連について取り上げてみましょう、、、。


             __
          ,.-''";;;;;;;;;;``'ヽ、
       /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ、
      /;;;;、;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;、
      ,!;;;!゙`''~^~ァrr-'゙`'´''ラヘ;;;!
      |;;;|      ノリ     ミ;;;|
     _ゞ;! r─-- 、  ,rェ--- 、ミ;リ
      !ヘl;|. ぐ世!゙`` ,ィ '"世ン 「ヽ
     !(,ヘ!   ̄'"  |:::.`  ̄  ,ドリ
     ヾ、!      !;     ,レソ
       `|      ^'='^     ム'′
       ,rト、  ー- ─-:  /|
    _../ i| \   ===   ,イ.:ト、
    /  i| ゙、\  ;   /リ.:;!:::\、_
       ゙!  ゙、 `ー─''゙:::;:'::::|::::::::::\
        ゙、      :::/::::::|::::::
    `ヽ、  ゙、     ./  .|  ,-、、



69:,タイガードラゴン
08/05/23 08:25:29 rDsvgyyQ


ウェストは、秘教学者として知られるルネ・シュヴァレ・ド・リュビチュの著作に興味を持ってい
た。20世紀半中世の大聖堂を建築した石工たちはその英知を古代エジプトから受け継いだ
という話に興味を持ち、特にエジプトの寺院建築を詳しく研究した。

 たとえば、エジプトのルクソール神殿の方庭は真上から見るとひしゃげたように歪んでいるが、
これは決して偶然ではない。なぜなら、エジプトの石工たちはカミソリ一枚入る隙間もないほど
に巧みに石を組み合わせることができる、建築の名手だからだ。したがって、この『ゆが
みには意図的な理由があるに違いない。

 シュヴァレの代表作「人間の神殿」(1949)によれば、エジプトのルクソール神殿は、巨大な幾
何学的複合体であり、全体がひとりの人物を象徴する巨大なヒエログリフになっている。この人
物は、ちょうど神殿の南東の隅にあるラムセス2世の像と同様、片足を前に踏み出している。
先の方庭は、この人物像の中ではこの足に当たっており、ゆえにひしゃげた形で作られて
いるというのだという。

 またシュヴァレは、この神殿には「黄金分割」(ギリシャ文字φで表される)がふんだんに取り
入れられていることを見抜いた。この「黄金分割」は極めて重要な概念であり、特に古代
祭祀遺跡の位置の分析にはなくてはならないものだ。


フフリーメーソン、、、、自由な石工、、、つまり、古代のエンジニア。

URLリンク(ja.wikipedia.org)  ギルド

URLリンク(ja.wikipedia.org) 黄金比


70:,ミジンコ
08/05/23 08:40:41 rDsvgyyQ

URLリンク(ja.wikipedia.org)  文化遺産

URLリンク(ja.wikipedia.org) 世界遺産一覧

URLリンク(ja.wikipedia.org) エジプトの遺跡

URLリンク(ja.wikipedia.org)古代エジプト神話

URLリンク(ja.wikipedia.org) 古代エジプト文明


71:,
08/05/23 08:44:50 rDsvgyyQ

 「黄金分割」の実例は、自然界に無数に見出すことができる。たとえば、あなた自身の
肉体がそうだ。あなたの臍は、上半身と下半身を黄金分割する位置にある。のみならず、
小は植物の葉や花びらの配置から、巻貝の形、そして大は銀河系の渦に至るまで、自然界
のあらゆるところに黄金分割は潜んでいる。そしてまた、芸術家は古くからこの比率が人
間の目をことのほか楽しませるものであるということに気づいていた。

黄金分割を数字で表すと、0・618034、、、、と、無限に、そして反復なく続いていく
数列となる。また、これに1を加えた1・618も、やはり黄金分割の数字である。重要
な数学的概念にはもうひとつ、「フィボナッチ数列」というものがある。これは、先行する2項
の和が次の項の数となっている数列のことだ。たとえば0を基点にするなら、0、1、1、
2,3,5,8,13,21、、、、、と続いていく数列である。そして、この数列上の連続
する2数を取り、前の数で後の数を割っていくと、数列の後ろに行くほどその答えは黄金
分割の数である

0・618034、、、、、に無限に近づいていく。そしてこのフィボナッチ数列もまた、自然界の
いたるところに見つかるのだ。シュヴァレはシャルトル大聖堂のような建築物に封じ込められた大宇
宙の調和の法則の研究に打ち込んだが、彼の研究はフルカネリという錬金術師に盗まれてしまっ
た。フルカネリは1925年に大聖堂の秘密という著書を書いてこの法則を発表し、それはたち
まち世に知られるようになった。シュヴァレは、こうした調和の法則は古代エジプトよりも貼
る改善の伝承に含まれていたものと考えていた。彼が1949年に「人間の神殿」を発表
すると、それはフランス国内で大評判となり、彼はサルトルやカミユと並ぶ名声を獲得するに至った。
シュヴァレがこの伝統を古代エジプトよりも古いものと見なしていたのは、彼が、初めてスフィンク
スを見たとき、その侵食は風ではなく、水によるものであると確信したからだ。スフンクスが水
による浸食を受けているとするなら、その建造年代は通常言われている紀元前2500年
よりも遥かに古いものということになる。


72:,
08/05/23 08:52:33 rDsvgyyQ

URLリンク(ja.wikipedia.org) スフィンクス

 シュヴァレが親しんでいた秘教の伝承によれば、スフィンクスを建造したのは古代エジプト人ではな
くアトランティス人である、とされている。かれらは、最後の破局が起こる前に、エジプトに脱出し
てきたというのだ。シュヴァレは最後の著作となった「聖なる科学」の中でこの伝承を紹介し、
スフンクスの真の建造年代は紀元前1万年ごろであると主張した。

 1961年、74歳でシュヴァレは死んだ。このシュヴァレの著書に感銘を受けたジョン・アンソニー・
ウェストは、通常言われているように、古代エジプトの出現がたかだか紀元前3100年であ
る、などということはありえないと考えていた。その年代を信ずるなら、それからわずか
5世紀後にはあのダイピラミッドが造られていたことになるからだ。それはまるで、ヨーロッパ人
が何もないところからたった5世紀でシャルトル大聖堂を築いたというようなものだ。エジプトの
科学、医学、数学、天文学を学べば学ぶほど、エジプト文明の起源は古くならざるを得な
くなるのである。

 ウェストは「天空の蛇」とだいされた書物を書き、スフィンクスが水による浸食を受けたものであ
ることを証明しようとした。私は1979年7月にこの本を贈られたが、その最終章「エジ
プト―アトランティスの後継者」と題された章には、スフィンクスの写真と、水の浸食を受けたハトシェプスト神殿の
背後の崖の写真が比較対照されていた。私の目には、その両者は極めて似通っているように見えた。
後にウェストはボストン大学の地質学者ロバート・ショックを実際にスフィンクスの前まで連れて行き、
その浸水が水によるものであることを認めさせた。

ショックの見解では、この侵食の後から見て、スフィンクスの建造年代は紀元前7000年、すなわ
ち今から9000年前のことであるという。1991年10月、彼がこの見解をアメリカ地質
学会で発表すると、たちまち激しい反発が引き起こされた―。が、奇妙なことに、地質
学者の中には彼に賛同する人々も大勢いた。むしろ彼の説を頭から否定したのは、決まっ
てエジプト学の専門家たちだったのである。


73:,
08/05/23 08:55:52 rDsvgyyQ
 次にウェストは、ニューヨーク警察の法医学の専門家であるフランク・ドミンゴに依頼し、スフィンクスの顔が
通常そのモデルとされるカフラー王のミイラの顔と同一かどうかを鑑定させた。その結果、スフィンクスの
顔は、カフラー王とはまったく別人であるということが判明したのである。ウェストは、これらの
侵食結果を雑誌に発表し、私に送ってくれた。ちょうど私はアトランティスの映画を撮るというハリ
ウッドのプロデューサーに協力しているところだったので、さっそくウェストのアイデアを使わせて
もらうことにした。1993年9月、私はニューヨークでウェスト」に会った。そこで私は、ちょう
ど計画中だった、スフィンクスの謎と文明の起源をテーマにした本(アトランティスからスフィンクスへ)の話を
した。

 すると彼は、私と同じ様な研究をしている二人の人間の存在を教えてくれたのである。
そのひとりはジャーナリストのグラハム・ハンコックで、ちょうど契約の聖櫃をテーマとする「象徴と封印」
(邦訳:神の刻印)を書き上げ、次に先史時代文明をテーマとする著作に取り組んでいるとこ
ろだった。もうひとりはカナダの図書館司書ランド・フレマスで、アトランティスに関する本を書いていた
が、それはまだ出版はされていなかった。

 イングランドに戻ると、すぐさまこの二人に手紙を書いた。1週間もしないうちに、私はフレマ
スの「空が落ちるとき」と、ハンコックの「神々の指紋」のタイプの原稿を受け取った。

 ハンコックの原稿は膨大だった。古代の文明のことは語って入るが、彼はデニケンのように古代
宇宙人などを持ち出すことはない。単に先史時代の我々の祖先―アンデスのティアワナコや、メキシコ
やエジプトのピラミッドを築いた人々―は、一般に考えられているよりも遥かに高度な文明を
持っていた、と述べているだけだ。

彼はティアワナコの遺跡の研究に生涯を捧げたボリヴィアの学者アーサー・ボスナンスキーの資料を挙げている
が、それによると、ティアワナコの神殿は、一般に最古の文明が築かれたと考えられている時代
よりも9000年も前、すなわち紀元前1万5000年ごろ建てられたものだという。

 またハンコックは、ベルギーのエンジニアであるロバート・ボーヴァルによる「オリオン・ミステリー」という本を
紹介している。ボーヴァルによれば、ギザの3大ピラミッドは実に奇妙な配置のされ方をされて
いるという。最初の2つのピラミッド―クフ王の大ピラミッドと、彼の息子であるカフラー王のそ
れ―が、それぞれの対角線を結んだ一直線上に並んでいるのに対して、最も小さなメンカう
ラー王のそれだけが、この直線から外れているのだ。

URLリンク(ja.wikipedia.org) ギザ

74:,
08/05/23 08:57:08 rDsvgyyQ
何のためにあえてこのような配置がなされ、また何のために第三のピラミッドだけが非常に
小さくつくられているのか。メンカウラー王はクフ王の孫、カフラー王の息子であり、年代的には最も
後ということになるのだが、彼の王としての権力は、父や祖父にも決して引けをとらなか
ったはずなのだ。

 そこでボーヴァルは、実はこのピラミッドの配置はオリオン座の3つの配列を忠実に写し取ったも
のである、と考えたのである。古代エジプト人は地上を天の繁栄と見なし、天の銀河は地上
のナイル川である、と考えていた。そこで彼らは、この対応を示すために、聖なる星座である
オリオン座の3つ星に合わせてピラミッドを配列したのだ。おそらくこの星座は、古代エジプ
ト人にとってはオシリス神を表していたのだろう。

 だが3大ピラミッドの配列は、厳密に言えば、完璧に現在のオリオン座の3つ星に対応して
いるわけではない。ここで重要となってくるのが、春分点歳差と呼ばれる現象である。こ
の現象のために、星座の見え方は2万6千年周期で変化するのでありう。ボーヴァルの計算に
よれば、3大ピラミッドの配列は、厳密に言えば、完全に現在のオリオン座の3つ星に対応し
ているわけではない。ここで重要となってくるのが、春分点歳差と呼ばれる現象である。
この現象のために、星座の見え方は2万6000年周期で変化するのである。ボーヴァル
の計算によれば、3大ピラミッドの配列とオリオン座の3つ星が完璧に位置していたのは、紀
元前1万五千年ごろであったという。



75:,
08/05/23 08:59:43 rDsvgyyQ
>>23
 ボーヴァルは、この年代が古代エジプト人にとって極めて重要な意味を持つと考えた―事
実、それは彼等のヒエログリフに「最初の時」と記されている、エジプト史の始まりのと
きにあたっているのである。もしかしたらスフィンクスは、この「最初の時」を記念するために、
紀元前1万500年ごろに築かれたののだろうか?もしそうなら、スフィンクスの建造はショックの推
定による紀元前7000年よりもさらに古いことになる。ボーヴァルによれば、3大ピラミッドその
ものは紀元前1万500年に建てられたものではないという。女王の間の「通気孔」の角度
と星の関係からすると、大ピラミッドの建造はエジプト学者が言うとおり紀元前2500年ごろに
違いないらしい。だが彼は、この3大ピラミッドの設計がなされたのが紀元前1万500年ごろ
であったのは確実である、と言うのだ。またグラハム・ハンコックの「神々の指紋」では、石材の
素材の違いから、カフラー王のピラミッドの下半分だけは紀元前1万500年に築かれた、との説が
示されている。

 このように、ボーヴァルやハンコックが紀元前1万500年という年代をはじき出しているのに対
して、先述のようにハプグッドやランド・フレマスは、最後の地殻滑動が紀元前9600に起こったと
考えている。この900年の誤差は一体なにを意味しているのだろうか?

 フレマスはいう―ハプグッドの年代は考古学・地質学的データから得られた正確なものである
のに対して、ボーヴァルの年代は、その推定自体に誤りはないとはいえ、スフィンクスがその同じ時
に建造されていなければならないと言う必然は何もない。スフィンクスはあくまでも「最初の時」
を記念して建てられたものである。多くの記念碑と言うものがそうであるように、その建
造は、記念すべき時自体よりもかなり後のことかもしれない、と言うのだ。

 グラマム・ハンコックは、私の「アトランティス・からスフィンクスへ」と執筆に最大限の協力をしてくれた。
まだ出版される前の「神々の指紋」と、その続編である「創世の守護神」のタイプの原稿を
送ってくれ、それを自由に引用していい、とまで言ってくれたのである。

 この「神々の指紋」の成功には、ランド・フレマスも寄与していた。ハンコックは、古代エジプト・
シュメール以前の文明の存在を推定しながらも、それに疑問を持ち、精神的にも鬱屈した状態に
なっていた。そんな文明が存在していたとしたら、それはどこにあったのか、という謎が
解けなかったからである。そんな文明の担い手となるような広大な大陸が、大西洋のそこ
に沈んでいるなどと言うことはありえないからだ。


76:,白からす黒ひつじ
08/05/23 09:53:56 rDsvgyyQ

スレリンク(psycho板:403番)

スレリンク(army板:53-58番)

スレリンク(utu板:814-824番)

スレリンク(utu板:830-831番)

スレリンク(uwasa板:504-530番)

、、、、、、、、、、


スレリンク(esp板:1-73番)


77:,
08/05/23 09:56:10 rDsvgyyQ


    超能力板の掲載に関しては、何ともいえませんが、、、。

   、、、、、ぶっちゃけ、、、、?、、、、です、、、。



78:,
08/05/23 18:55:46 rDsvgyyQ



このヒントによって、ハンコックのすべての疑問は氷解したのだった。

「空が落ちるとき」には、もひとつ、非常に興味深いエピソードが紹介されている。ティティカカ湖
畔に、アイマラ族と言うインディオが暮らしている。彼等の言語であるアイマラ語は、構造が極めて論
理的であり、コンピュータによって判読可能な数学的記号で書き表すことができるという。この
特質ゆえに、アイマラ語はコンピューターによる翻訳システムに使う中間言語として理想的なものだ
ったのである。

 ボリビアの数学者ロハス・デ・グスマンによれば、これほど完璧な言語は他の言語のように「発
達」してきたものではなく、まったくゼロから「開発」されたものであるとしか考えられな
いと言う。この事実は暗に、彼等にこの言語を伝えた他者の存在を示唆しているようだ。

 事実、中南米の諸部族に広がる伝承によれば、太古、彼等の「神々」はひがしからやっ
て来たという。神々の王(ヴィラコチャ、ケツァルコアトル、コン・ティキ、ヴォタン、ククルカンなど、)
さまざまな名称で呼ばれる)は髭を蓄え、ヨーロッパ人のような顔つきで、人々に文明と倫理
基準を伝えた。そしていつの日か再び戻ってくるとの約束を残して、海に戻っていったと
言う。



79:,
08/05/23 18:57:27 rDsvgyyQ
 後年、アステカ人はスペインの侵略者たちをこの神々の再来と誤解したために、あの帝国は
あんなにも簡単に征服されてしまったのである。そして前述のアーサー・ボスナンスキー教授によれ
ば、アイマラ人は自らの言語を、この神々から与えられたと信じたと言う。様々な紆余曲
折を経て、フレマスの「空が落ちるとき」は、私の序文を添えて1995年に出版された。そして
その翌年には、私の「アトランティスからスフィンクスへ」と、ボーヴァルとハンコック
の共著「創世の守護神」が世に出た。

「創世の守護神」では、古代エジプト人が紀元前1万500年にギザ・ピラミッドの設計を
行っていながら、実際に建造するまでに8000年もの期間を待機したのは、際差運動によっ
てオリオン座が元の位置に戻ってくるのを待つという儀式的な意味合いのためである、と
言う推論がなされている。「空が落ちるとき」は、9つの言語に翻訳される大成功を収めた。

そこでフレマスはさっそく次の仕事に取り掛かった。彼は、メキシコの先史遺跡に目を付けた。

メキシコで最も重要な先史遺跡と言えば、それは間違えなくテオティワカンである。それが最盛期
を迎えたのは6000年ごろで、統治の広さは12平方マイル(約19・3平方キロ)もあり、
帝政ローマ以上に巨大な都市だった。だが、この都市は750年ごろに突如、完全に崩壊して
しまう。その原因は判明していないが、広い地域に地震に襲われた形跡が残されている。

この都市には、「月の神殿」と「太陽の神殿」を結ぶ「使者の大通り」と呼ばれる長さ2マ
イル(約3・2キロ)の通りが南北に延びている。だがこの道は、厳格に言えば15・5度
ほど、東北に傾いているのだが、その理由もまた不明である。だがフレマスは、このテオティワカン以
外にも、南米には東北東に傾いた祭祀遺跡が49もあると言うことに気づいた。

 もしかしたら、テオティワカンが最初に設計されたとき、「死者の大通り」は正確に真北を指し
ていたのではないだろうか―すなわち、ハドソン湾の旧北極を―。一見したところ、それはありえない。テオティワカンは、最大限に見積もっても、紀元前4000年より古いものではありえないとされているのだ。

 だが、そもそも宗教的遺跡と言うものは、それ以前から存在した宗教の聖地に建てられ
るという性質がある。古い宗教の遺跡があった場所そのものが神聖な土地と見なされるた
めである。ヨーロッパでも、キリスト教の教会の多くは異教の聖地の上に建てられている。


80:,
08/05/23 18:58:41 rDsvgyyQ
(テオティワカン遺跡の太陽の神殿。この都市遺構はメキシコで最も重要なメキシコで最も重要な先史遺跡
とされ、最盛期には帝政ローマ以上に巨大な都市だったと言われている。)

考古学者たちは、テオティワカンから5つの異なる都市の遺跡を発掘している。もしも文明と言う
ものが紀元前一万年以前から存在していたとするなら、テオティワカンが紀元前4000年よりもは
るかいぜんから整地とされていた土地の上に建てられた都市であったということは十分あ
りうるのである。

フレマスはテオティワカン以外にも4つの遺跡―トゥーラ、テナユカン、ソチカルコ、コパン―を調べてみたが、結
果は同じだった。いずれの遺跡もやはり、まるで何かの目印のように、旧北極を指してい
たのである。そこでもし仮に、紀元前1万年以前のテオティワカンに間ラ化の神殿があり、他の4
9の「傾いた」祭祀遺跡がすべてハドソン湾の北極に向けて設計されたものだ、と仮定してみ
よう。すると、残された遺跡の分布からして、この文明は広大な範囲に広がっていたこと
になる。前述のように、ボナンスキー教授によれば、ティアワナコは紀元前1万5000年ごろに遡り、
またハプグッドは、かつて全世界的な規模の海洋文明があったと考えていた(彼はこれを紀
元前7000年ごろと見積もっていたが、同時に彼は、アトランティスの終焉を紀元前9600年として
いる)。

もし、このような文明が存在したなら、全世界的な規模で測量が行われたとしても、不思
議はない。項考えたフレマスは、各遺跡の位置関係に注目することを思い立った。

 たとえば、ギザの大ピラミッドが驚くほど高度な数学と地理学の知識を示していると言うこ
とは、よく知られている。その4つの面が正確に東西南北の方向を向いているのみならず、
その位置は赤道からちょうど30度北にあるのだ―つまり赤道から北極までの距離のちょ
うど3分の1である。エジプト人は赤道の長さを知り、赤道から極までの距離を知っていた。


81:,
08/05/23 18:59:52 rDsvgyyQ
そしてまた、前述のように大ピラミッド事態が地球の北半分、すなわち赤道から北極までを象
徴している。これらのことは、そして大ピラミッドをあえてその位置に置いたと言うことは、
紀元前2500年のエジプト人が全世界的な規模の地理地形を持っていたことを意味する。そ
れでは、この大ピラミッドはハドソン湾にあった北極となんらかの関係を持っているのだろうか。

 ハドソン湾の北極の時代、大ピラミッドは今よりも15度南にあった。そのため、まず大ピラ
ミッドからハドソン湾の北極に向かって1本の直線を引き、さらにもう1本を現在の北極に
向かって引くと、この二本の直線の角度は28度となる。

フレマスは、この28と言う数字が、ギザにおいて極めて重要な役割を果たしていることに気が
ついた。大ピラミッドの王の間に続く大回廊には28度の会談があり、スフィンクス神殿には28本の
柱がある。さらに、大ピラミッドから見ると、夏至と冬至の日の出の位置は56度離れている
―すなわち、春秋分点と夏冬至点はそれぞれ28度ずつ離れていると言うことだ。

さらにフレマスは、スフィンクス神殿が大ピラミッドの葬祭殿から見て28度の角度を持っている事を発
見した。そしてこの角度をそのまま延長していけば、その直線は正確にハドソン湾の旧北
極に達するのである。

スフィンクスの前に並んで立つスフィンクス神殿と谷の神殿は、両者とも「巨石時代風」のスタイルを持っ
ており、ウェスト、ハンコック、ボーヴァルの一致した見解では、これは他の遺跡よりも遥かに古い。
同じことは、大ピラミッドの葬祭殿にも言えるのである。

これらの計算結果は、単なる偶然であるとは考えられない。そこでフレマスは、大西洋から遠
く離れた中東の遺跡について、さらに慎重に研究を進めた。その結果、以下のような遺跡
がハドソン湾の旧北極を指していることが判明したのである。


82:,ミジンコ
08/05/23 20:38:56 rDsvgyyQ

>>78 URLリンク(ja.wikipedia.org) チチカカ湖

>>79 URLリンク(ja.wikipedia.org)

URLリンク(ja.wikipedia.org) ハドソン湾?
、、、マズッタかな、、、、。、、、まぁいいか、、、後で修正して行こう、、、。

>>80 URLリンク(ja.wikipedia.org) トゥーラ
URLリンク(ja.wikipedia.org) ソチカルゴ
URLリンク(ja.wikipedia.org) コパン
スレリンク(rikei板:232番)


83:,ミジンコ
08/05/23 20:57:38 rDsvgyyQ
1) カルデアのウル。有名なジッグラトと、月の女神イナンナの神殿。
2) バグダッドの南にあるニップール(ここで発見されたギルガメシュ叙事詩の粘土板には、理想郷ディルムンが洪水で滅びる描写あり)。
3) シュメールの都市のウルクのジッグラトと「白き神殿」。
4) エルサレムのヘロデ王の神殿の嘆きの壁。

次にフレマスは、多くの遺跡が、彼のいう「聖なる緯度」上にあるということに気づいた。こ
れは、360の約数となる数字を持つ緯度である。たとえば30度、45度などがそうだ。
そして彼は、こうした「聖なる緯度」の上にある遺跡を、次のように40あまりも発見した
のである。これはもはや、単なる数字の遊びとして片付けられるものではない。

ハドソン湾(北緯60度/西経83度)が北極であった当時の聖なる緯度

以下にあげる遺跡はいずれも、聖なる緯度から0・5度以内(30海里)の位置にある。南
太平洋のライアテアとタヒチは、聖なる緯度に最も近い島である。

50度 ロスロリン/ローンヘッド/キルウィニング、タラ/ニューギレインジ/ノウス、ダネエヒト、ウシュマル、チチェン・イツァ
45度 コパン/キリングア、カンタベリー
30度 カルタゴ、キト
25度 コンスタンティノープル
15度 ギザ、エリコ/エルサレム、アッシュール、ナスカ、ギルガル、ヘリオポリス
12度 バビロン、平壌
10度 ウル/ウルク/エリドゥ、テーベ/ルクソール、スサ、伊勢、奈良、京都・平安京、クマシ、ナカダ、ラガシュ
5度 ビュブロス、西安、ラリバラ、エレファンティン、ライアテア、タヒチ
0度 ラサ、粟国島、モヘンジョ・ダロ、イースター島
(/で繋いだ都市は極めて近接していることを示す)

84:,↑
08/05/23 21:11:15 rDsvgyyQ

恐らく、WIKIで出ないのは沢山あると思うが、ご自由にお調べください、、、、。



85:,↑
08/05/23 21:12:33 rDsvgyyQ

フレマスの「空が落ちるとき」は、1995年1月にカナダで出版され、すぐにいくつかの言語に翻
訳される成功を収めた。グラハム・ハンコックの「神々の指紋」もまた、1995年4月に出版されれ
るになるやいなや世界的なベストセラーとなり、古代文明に対する人々の関心の高さを改
めて明らかにする結果となった。

私自身の「アトランティスからスフィンクスへ」は1996年5月に出版され、初刷りはその日のうちに売
切れてしまった。ハンコックとボーヴァルの共著「創世の守護神」は1996年に出版され、これ
もすぐさまブストセラーとなった。そしてクリストファー・ナイトとロバート・ロマスの「ヒラムの鍵」(邦訳:封印
のイエス)もまた、好調な売れ行きを示している。

 こうした機運にのって、フレマスは次の作品「未来の発見―アトランティスからの青写真」と題す
る本を計画していたが、フレマスのパートナーであるローズは小説の執筆に専念しており、また彼自
身も図書館司書の仕事に忙殺されていた。そこで彼らは計画の概要を私に送ってくれ、こ
れを本にするよう依頼してきたのである。

 この概要を読んで、私は脳天を一撃されたようなショックを感じた。もしも祭祀遺跡の配置
に関する彼の仮説が正しいなら、これはアトランティス以前の文明に関する、これまでで最強の物
的証拠となる。私は一も二もなく執筆役を引き受けた。彼は直ちに大量の資料を送りつけ
てくれた。

 そこにはハプグッドのいう有史以前の「高度科学文明」の存在を裏付ける、信じがたいよ
うな証拠がちりばめられていたのである。


86:,
08/05/23 21:20:41 rDsvgyyQ

ギザの本初子午線


1884年10月。スコットランドの王室天文学者チャールズ・ピアッツィ・スマイスは、地球上の経度の基
点となる子午線、すなわち「本初子午線」を、ギザの大ピラミッドに置こうと考えていた。奇
妙なことかもしれないが、巨大な蒸気船が世界中の海を航行していた19世紀末に至って
もなお、このような基本的なことがまだ定められていなかったのである。

 当時は多くの国が盛んに天文台を作り、それぞれ自国内に本初子午線を持ってくること
を主張していたのだ。そこで、この問題」をかいけつするためにヨーロッパ25カ国の代表が
ワシントンDCに会し、会議を開いたのである。

その会議も場で、スマイスは自国のグリニッジよりも、世界最大の遺跡であるギザの大ピラミッド
こそが本初子午線にふさわしい、と主張した。そして彼はその理由の一つとして、恐らく
古代人もギザを本初子午線として用いていたと思われる、と論じたのである。

だが、ご存知のように、多くの国はグリニッジに投票し―当然ながらフランスは棄権したが―
スマイスの論理的な主張は退けられてしまった。もしもこのとき、本初子午線の位置がギザに
決まっていたら、世界中の何百と言う聖地が、一つの巨大なパターンを構成していると言うこ
とが手に取るようにわかっていただろう。



87:,
08/05/23 21:22:40 rDsvgyyQ


 たとえば、グリニッジを起点にした場合は西経69度にあるティアワナコは、大ピラミッドを起点に
すれば西経100度となる。かつてのインカ帝国の首都であるキトは西経110度で、テオティワカン
やイースター島などの重要な遺跡も、西経120、130、140度と言った位置に見出される
のだ。

統計の場合も、カルデアのウルは正確に東経15度で、チベットの首都ラサは東経60度となる。

 さらに重要なのは、経度がこのように端数のない数字で表される聖地の多くは、この経
度がφに関係のある数字になっている。

たとえば、ティアナワコの緯度は10φ。ポリネシアの霊的センターであるライアテア(ここはギザ経180度
でもある)もまた10φである。実を言うと、私が拙著「聖なる遺跡の地図」でとりあげ
ていた数多くの遺跡が、まさにこの条件に当てはまっていたので、最初フレマスからこの話を
聞いたときには、本当に仰天したものだ。



88:,
08/05/23 21:25:44 rDsvgyyQ

URLリンク(ja.wikipedia.org) φ 幾何学

URLリンク(ja.wikipedia.org)  φ



89:,
08/06/01 09:41:19 9Af/B2Au

スレリンク(ruins板)l50 Wikipediaで世界遺産

スレリンク(geo板)l50 地理学・人類学

スレリンク(sky板)l50 天文・気象

スレリンク(min板)l50 民俗学・神話学


90:,ミジンコ
08/06/03 18:25:27 GKr+Wrrq


スフィンクスの建造年代、、、、。
スレリンク(ruins板:37-39番) ピラミッド

スレリンク(ruins板:40-43番) スフィンクス

スレリンク(geo板:45-47番) 地球の大きさを知っていた古代人、、、

スレリンク(ruins板:44-48番) :、ピラミッドに秘められた音の秘儀、、、



91:,ミジンコ
08/06/03 19:08:40 GKr+Wrrq

スレリンク(ruins板:49-53番)  デンデラ神殿とオリシスの墓、、、、、

スレリンク(earth板)l50 地球科学

スレリンク(psycho板:383番)

スレリンク(rikei板:241番)

スレリンク(whis板)l50x


92:,二つのタイプに分かれる脳の力、、、、
08/06/03 19:12:51 GKr+Wrrq
デンデラ神殿とオリシスの墓、、、、、 のつぎ、、、、


夕方までに我々はカイロに戻り、24時間後にはコーンヲールのわが家にもどった。だがもうひとつい
い忘れたことがあった。このナイル遡航のたびの最も重要な発見の一つだー―我々の祖先が6
万年以上も前に歳差運動を知っていたということを示す驚くべき証拠である。

隣のキャビンに、南アフリカの魅力的なカップル、ウォルトン夫妻がいたー―ガースとマリーだ。私の講
義の夜、フランスの宇宙科学者モーリス・シャトランの「宇宙から来た我らの祖先」を知っていますか、
と彼等にたずねられた。知らないと答えると、その本を貸してくれた。それから数時間の
うちに、私は10万年前に高度な科学が存在したというハウグッドの主張を裏づける発見に出
くわしたことを知った。

1843年、イラク(当時はメソポタミア)のモスルの領事であったポール・エミール・ボッタというフランス人が居た。
彼がティグリス上流のユクンジクと呼ばれる塚の発掘を始めた頃、アッシリアの王アッシュールバニパル(在位紀
元前669-627)の書庫を発見した。その粘土板の中に、膨大な数の書かれたのもが
あったのだー―195955200000000(195兆552億)である。この廃墟と
化した都市の名はニネヴェであった。

その当時は、100万という観念すらほとんど用いられることはなかったので、ボッダは困
惑した。一体古代アッシリア人はこんな膨大な数字を何に使ったのだろうか?

シャトランはコンピュータを使って計算し、この数字が見た目ほど面妖なものではないというこ
とを見出した。これは60の7乗×70だったのだ。

ここでシャトランはおぼろげな記憶を思い出した。文字を発明したシュメール人は、10進法ではなく
60進法を使っていたという話だ(彼らは60秒で1分、60分で1時間という単位を発
明した)。突如、ある直感がひらめいた。この巨大な数字は、もしかして秒じゃないのか?
計算してみると、それは22億6800万日、つまり600万年以上に相当していた。


93:,
08/06/03 19:14:30 GKr+Wrrq

シュメール人はまた偉大な天文学者でもあり、すべての惑星の動きを図表化していた天王星や海
王星までもだ。シャトランは考えた、彼らは春秋分点歳差のことまで知っていたのか?地球が歳
差運動の1周期を完了する時間は2万6000年程だ。彼はニネヴェ定数をこの数で割ってみた。

すると驚いたことに、それはぴったり歳差運動の240周期―すなわち240「大年」に
当たっていたのだ。

ここで再び彼は考えた、この巨大数は天文学者やオカルティストの言う「太陽系の大定数」、すな
わち他のすべての数字―例えば惑星の軌道などー―を包含する「最大公約数」ではない
のだろうか?彼は惑星とその衛星の周期を秒に換算して計算を進め、そのすべてがニネヴェ定
数の約数であることを見出した。

これは仰天すべき発見だった。現代の科学によれば、これらの古代の天文学者が天体に興
味を持ったのは。純然たる迷信的理由のためであるはずだ。だがもしもニネヴェ定数がシャトラン
の言う通りのものであるなら、カルデアの天文学者は、太陽系に関してアイザック・ニュートンにも比
肩しうる理解を持っていたということになる。

この結果をさらに検証するために、シャトランは地球の自転周期とニネヴェ定数を比較した。だが、
小数点以下第六位に誤差があることがわかり、彼は少し失望した。それは1年当たり100
万分の1日(1・0368秒)という微々たる誤差に過ぎない。だがニネヴェ定数は極めて正
確であったので、この程度の誤差すら彼には許せないのだった。

そうこうするうちに、またしても新しい考えを思いついた。よく知られている通り、地球の自転速度は徐々に落ちてきている。今から100年後には1年の長さは12日も短くなるの
だ。ニネヴェ定数が地球の自転と完璧に合致していたとするなら、それが計算されたのは今か
ら6万4800年前ということになる。

だがそんな昔に、知的生命が存在しなかったのは確かではないか?

ところがニネヴェ定数を見る限り、人類は現在のみならず、その当時においても同様に高度な
科学を持っていたに違いないのだ。

94:,
08/06/03 19:17:54 GKr+Wrrq
では、彼らは何者だったのか?候補は選り取り緑だ。ネアンデルタール人かもしれない。そのころ
にはまだ彼らは居た。あるいは我々の同類であるクロマニオン人かもしれない。あるいはデニケンの
いう宇宙からの訪問者かもしれない。シャトランもそういう考えのようだ。だから彼の本は「宇
宙から来たわれらの祖先」と題されている。その冒頭はこうだ。

「マーキュリーやジェミニからアポロまで、アメリカが行った宇宙飛行のほとんどは、未知の宇宙船の追跡
を受けた。それらは外宇宙のほかの文明から飛来したのかもしれない、、、、そうしたことが
起こるたびに、宇宙飛行士は管制センターに報告している。彼らは完全な沈黙を強いられた」

シャトランは、サンディエゴ近郊で発見されたクロマニオン人の頭蓋骨を引き合いに出す。それは5万年か
ら6万5千年前のものとされたが、彼の引用する二人の科学者によれば、その脳容量は「最
高の知性」を示しているという。彼等によれば、その人間たちは「天文周期を観測し、こ
れを記録する能力をもっていただろう」。

シャトランは忘れているがー―あるいは知らないのかもしれないがー―ネアンデルタール人の脳容量は、
我々のものと遜色ない大きさなのだ。

だがもうひとつ考慮すべき可能性がある。あなたや私のような普通の人間でも、実に驚く

べき脳の力を秘めているということだ。私の好きな例はベンジャミン・ブライズという6歳児の
話だ。

1826年のこと、父親と散歩中だった彼は「今何時?」とたずねた。「7時50分だよ」と父は答えた。それから5分ほど歩いたところで、ベbbジャミンはいった。「だったら、僕の生き
た時間は、、、」、そして彼はひとつの数字を示したー―1億9000万秒に近い数字だった。父
親はそれをとっさに書きとめ、家に帰ってから紙で計算してみた。彼は言った。「いや、1
7万2800秒ほどまちがえてるよ」。「ううん、間違ってないよ」とベンジャミンは答えた。「お
とうさん、うるう年を一回飛ばしているよ」

95:,
08/06/03 19:19:18 GKr+Wrrq

このようなことがどうして可能なのだろうか?すばやい計算能力は、数千年という文明を
経て初めて発見したものだ。だが一方で、いかなる種類の知的洗練もない人々が、複雑な
計算を行う場合があるー―事実、彼らはしばしば、我々のほとんどよりも遥かに有能にそ
れを行うのだ。

こういったいわゆる「サヴァン症候群」のような人々がいることからして、人間の脳の力には
2つの種類があることが推測されるー―偉大な哲学者に必要な類のものと、ベンジャミン・プラ
イズのような計算の天才に必要な類のものの2つだ。後者は1種のスーパーコンピューターと見なし
てもいいかもしれない。

だがその説明ではうまくいかないこともある。たとえば、素数と呼ばれる数字は、自分以

外のほかの数字で割り切れない数を言うー―5、7、11などがこれにあたる。そして、
ある巨大数が素数かそうでないかを調べる数学的な近道は存在しない。ただ別の数でひた
すら割り続けるしかないのだ。コンピューターですら、このような遠回りをしなければならない。

ところが、数学的天才は、しばしば、巨大数を人目見るだけで、それが素数かどうかを判別
することができる。精神科医オリバー・サックスによれば、ニューヨークの精神病院に居た知的障害の
双子は、24桁の素数を指摘しあって遊んでいたという。例えるなら、この双子の精神は高
のように空中を飛びながら、すべての数字の領域を見回し、ウサギを捕まえるように素数
を狩ることができるのだ。


96:,
08/06/03 19:23:59 GKr+Wrrq

建築家のキース・クリッチロウが書いた「静止した時間」(1979・このタイトルは、マイケル・ベイジェント
のエドフでの体験を思い起こさせる)によれば、この能力こそ、バビロニア人が何千フィートも
ある直角三角形を描くことができた理由だという。たぶん、モーリス・シャトランが研究したニネヴェ
定数もまたこれによるものなのだろう。

クリッチロウはまた、古代の巨石や環状列石、そしてアレクサンダー・トム教授の作品に興味を抱いてい
た。1933年、トムはヘプリディーズ諸島(スコットランド西方)のルイス島に自分の帆走ヨットを繋留し、た
そがれ時にカラニシュの巨大環状列石を見るために上陸した。その南北軸は精確に北極星を指していたが、この環状列石が築かれた5000年前の時点では、北極星はその位置にはなか
ったはずだ。

カラニシュとそのほかの環状列石を調べたトムは、これらの環状列石のいくつかは実際には環状で
はなく、卵型だったり、あるいはD字型だったりすることに気づいた。最終的にトムは、こ
れらの不規則な形がピュタゴラスの三角形を用いて作られていることを見出した。大ピラミッドの
ことを思い出すなら、単なる偶然とは思えない。トムは、これを作った人間が極めて高度な知性
を持っていた、と結論した。実際、彼は彼らのことを「先史時代のアインシュタインたち」と
呼んでいる。

トムはまた、これらの環状列石のすべてに同じ基準尺度が用いられていることに気づき、こ
れを「巨石ヤード」と名づけた。1巨石ヤードは2・7272フィートに当たる(約83センチ)-―
実際には基準尺度はその半分だったが、トムはヤードに近づけるためにそれを二倍にした。さらに巨石フィートは、大ピラミッドに用いられたエジプトの尺度、つまり、「プレトマイオス・フィート」と
同じものであることが判明した。トムの後継者の一人である数学者B・L・ファン・デ・ヴェ
ルデンによれば、バビロニア以前にも遡る幾何学と算術の源泉が存在し、これこそがギリシア、
インド、中国、のすべての知識の源であるという。

クリッチロウによれば、文化とは必ずしも非常に複雑かつ技術的に高度なものであるとは限らな
い。何も摩天楼や大鉄橋だけが文明ではないのだ。高度な文明を持つ人々が非常な質素な
暮らしをしていることもありうる。だがそれでも、彼らの知識はニネヴェ定数を作り出すほど
に深遠なのだ。

我々は再び、あの問題に直面したーー我々の遠い祖先は、どうやって15桁もの数字を扱う
ことができたのか?それはー―もしシャトランが正しいならー―22億6800万日を秒で表した数
なのだ。


97:,
08/06/03 19:26:04 GKr+Wrrq

計算の天才たちを観察することによって少なくともその答の一端を垣間見ることはできそ
うだ。多分我々の祖先は、5歳のベンジャミン・プライズや、オリヴァー・サックスがいう知的障害を持っ
た双子のように、容易にこれらの数を計算することができるのだ。

脳の力には二つのタイプがあるという私の示唆は、ここでひとつのヒントになるだろう。高速の
計算機に必要な脳は、機械的なものだ。これに対して、偉大な哲学者に必要な能力はそれ
とは違っているー―それはかつて、「インスピレーション」と呼ばれた能力だ。「ジュピター交響曲」を
書いているときのモーツァルトに降った類のものだ。

1969年、マリョルカにいたころ、詩人のロバート・グレイウズにインスピレーション体験の話をせがんだところ、
彼の短編「大嫌いなガン先生」を読むようにいわれた。この話には、彼の学友で計算の天
才F・Fスマイリーの奇妙な能力が出てくる。

ガン先生がクラス全員に難しい数学の問題を出すと、スマイリーだけは簡単にその答を書いてしま
って、あとはただ窓の外をぼんやり眺めている。何故計算もせずに答がわかるのかと聞か
れると、スマイリーは答える、「浮かぶんです」。ガン先生は言う、「本の後ろの答を見ているの
か?」。スマイリーはいう、そんなことありません。その本の後ろの答は2つも間違っているし。
ガン先生は、「カンニングと口答のため、鞭打ちの必要あり」スマイリーを校長のもとに送る。
グレイヴズ自信も、これに似た体験をしたことがある。クリケットの観覧席の後ろのローラーに座って
いたとき、突然、「天からの啓名」を受けたのだ。


98:,タイガードラゴン
08/06/03 19:27:10 GKr+Wrrq


まるで自分が何もかも知っているような気がした。それで、よく知っている学問のあらゆ
る領域に考えを巡らせた。すると、これが単なるばかげた空想じゃないってことがわかっ
た。私はすべてを知っていたんだ。簡単に言おうー―当時の私は学校教育の3分の一にも
達していなかったし、数字が苦手で、ギリシア語文法はまったくできず、英語史もあやふやだ
ってことはよくわかっていたのに、手の中には真実の鍵があった。それを使えば、どんな
扉でも開くことができるんだ。それは宗教でも哲学でもない、無秩序な事実を横目に見て、
それを完璧に理解する方法だった」

グレイウズは言う。かれはこの洞察力を「さまざまな、びくともしないような扉の錠前に使っ
てみた。どんな扉でもカチリと音がして簡単に開いたんだ」。

翌朝、目を覚ましたときも、その洞察力は依然として有効だった。だが午前中の授業の後、
その洞察を練習長の裏に書きとめようとしたとき、「精神の速度が速すぎて、ペンが追いつ
かないんだ。そこでかいたものに×ををつけて消し始めたー―致命的なミスだったなー―
しばらくして紙をくしゃくしゃにしてた」。その後、それを敷布に書きとめようとしたとき
には「魔法は消えて、洞察力も雲散霧消した」。

このときの体験について、彼はこう書いている。「突然、赤ん坊のように直観力に目覚めた
ものだった。それは通常の思考のプロセスのすべてを省略し、問題から答へと直接跳躍するも
のだった」

私はグレイウズの言いたかったことを再現するつもりなのだ。


99:,ミジンコ
08/06/03 19:49:38 GKr+Wrrq

URLリンク(ja.wikipedia.org) メソアメリカ文明

スレリンク(geo板:35-40番)  世界最高の精密な暦

スレリンク(geo板:40-44番)  マヤの残虐な人身供儀、、、、

スレリンク(rikei板:246-252番) 占星術と太陽活動の照応

スレリンク(psycho板:404-410番) 聖都テオティオワカンの大破局


100:,ミジンコ
08/06/04 10:33:16 3b6MvOg+


スレリンク(geo板:49-51番) ペルー 月のピラミッド

スレリンク(min板:67-70番) 石棺の蓋に刻まれた視覚的暗号、、、



101:出土地不明
08/06/23 16:04:10 7aXWrBkO
反応が無いからって、他の板にコピペするのはやめような。

102:,
08/06/27 22:10:03 IuLgLq/i
101>>
意味不明


103:,ニネヴェ定数
08/07/03 20:24:50 CV57LdfX
URLリンク(ja.wikipedia.org) ボッタ
URLリンク(ja.wikipedia.org) シャンパリオン
1840年、ティグリス河畔の街モスルのフランス領事ポール・エミール・ボッタ博士は、古代都市ニネヴェが何
処にあったかという問題に興味を抱いていた。ナポレオンがエジプト遠征に大勢の学者を連れて
行き、シャンポリオンがロゼッタストーンを解読して以来、フランスでは考古学が大いに人気を博してい
たのだ。ニネヴェは古代アッシリアの首都で、一説によればモスルにあったということだが、実
際にはその位置はまったく判明していなかった。

 仕事が暇だったボッタは、夕刻になると馬を駆って河畔や砂漠を走ったり、地元のアラブ
人から古い陶器のかけらなどを買ったりするのを楽しみとしていたが、そのうち、暇に飽
かしてクユンジクという村の土塁を発掘し始めた。こうして彼は数ヶ月に渡って発掘を続けた
のだが、結局めぼしいものは何も見つからなかった。そんなこんなで情熱もさめ、そろそ
ろ考古学を諦めようかとしていた矢先のことだった。

そこから7マイルほど北にあったコルサバードという村で、彼は石板のついた壁を発掘したの
だ。そしてその石板には、動物をモチーフとした絵も書かれていたのである。―-実際には
それは誤りで、彼の発見したものは、紀元前700年ごろに統治したサルゴン二世の宮殿だっ
たのだが。そうはいっても、そのサルゴン2世の宮殿も2000もの部屋を持つ巨大なもので、
壁画には髭の男たち、馬に乗った戦士たち、羽の生えた動物たちなどが描かれていたm。

 紀元前911年から前610年までの3世紀、彼らは圧政を持ってこの地に君臨してい
た。2世紀後、ペルシアのキョロス王の傭兵達がニネヴェとニムルドの広大な遺跡を見て驚嘆したエピソード
を、ギリシアの歴史家クセノフォンが伝えている。
URLリンク(ja.wikipedia.org) コルサバート


104:,ニネヴェ定数
08/07/03 20:28:32 CV57LdfX
1842年、ボッタはヘンリー・レアードという若いイギリス人とであった。このレアードは少年時
代に、「千夜一夜物語」を読んで以来、中東に取り付かれていた男で―ふたりはときに、
一緒に阿片を吸うほどの仲となった。そしてレアードは、一目見てクユンジクの遺跡にほれ込んだ。

レアードは金こそなかったが口は達者だった。3年後にはコンスタンティノープルの大英大使から60ポ
ンドをせしめ、これを元手にニムルド土塁の発掘を開始し、そしてボッタ以上に派手なものを掘
り出した。―-巨大な有翼ライオンや雄牛の像である。

これらは、発見される端から直ちに大英博物館に送られた。こうして有名にもなり、大英
大蔵省の後ろ盾も得ることに成功したレアードは、今度はボッタが数年前に発掘を放棄してい
たクユンジクに目を向けた―そしてこれが、考古学史上、最大の発見であることに気づいた
のである。ボッタは見落としていたが、やはりここは、聖書に記された古代都市のニネヴェだっ
たのだ。こうしてレアードは自ら、アッシュールバニパル王の宮殿を掘り出したのだった。

 これを聞いたボッタもあわてて駆けつけた。こうして、レアードとボッタは発掘地に線引きをし
てお互いの領分を決め、発掘合戦が始まった。ところが1852年のある日、ボッタがいな
い間に、レアードの部下はボッタの領分の入り込み、アッシュールバニパルの図書館を発見してしまっ
たのである。

 残忍無比の暴君として知られるアッシュールバニパルはまた、文献の保存にも熱心であり、ニネヴェ
の図書館に3万枚にも及ぶ粘土板を集めていた。レアードの協定違反のおかげで、この貴重極
まりない膨大な古代の文献が大英博物館に送られることになったのである。

URLリンク(ja.wikipedia.org) 千夜一夜物語
URLリンク(ja.wikipedia.org) アッシュールバニバル

スレリンク(sky板:24-34番)

105:,ミジンコ
08/07/27 08:05:56 4zeVLeTK

   失われた古代テクノロジー



スレリンク(ruins板:75-79番) 精巧な長首瓶と砂漠のガラス、、、、


スレリンク(geo板:88-90番) 砂の海のそこに眠る緑の大地、、、、、


スレリンク(rikei板:244番) 超高温で冷たいブラウン気体

                              古代人が使っていたブラウン気体
スレリンク(ruins板:55-59番) 石像が手にするサーモジェット噴射機


スレリンク(ruins板:60-64番) ティアワナコ遺跡の建造年代



106:,異界への扉を開くシャーマンの儀礼
08/07/27 19:00:26 4zeVLeTK


スレリンク(geo板:73-76番)  異界への扉を開くシャーマンの儀礼

スレリンク(geo板:77番)    コンドルの裁き

スレリンク(geo板:78-87番)   アトランティスの神像  、、、

スレリンク(ruins板:80-82番)   鳥に変身して地上絵を見る。
                            
スレリンク(esp板:65-78番)  獲物を狩るシャーマン儀礼
                             苦行に満ちたシャーマンへの道




107:,
08/07/28 09:28:28 4iraUn5u
111kb

108:エノクの燃える山とフリーメーソンリー
08/07/28 09:40:31 4iraUn5u


スレリンク(min板:72-77番) 古代の天文学「ウリエルの機会」

スレリンク(occult板:550-551番) >>69-72 ロスロリン礼拝堂とテンプル騎士団 

スレリンク(whis板:74-77番)   ナザレの人イエスの秘密

スレリンク(psycho板:370-377番)
パウロのキリスト教、、、   迫害者から加害者への変貌


スレリンク(occult板:552-572番)
教会の虚偽を暴露する死海文書  フリーメーソンの起源

スレリンク(occult板:450-455番) フリーメーソンの系譜



109:、レンヌ=レ=シャトの魔術地形
08/07/28 09:42:53 4iraUn5u


スレリンク(occult板:595-604番) 大金持ちになったソニエール

スレリンク(occult板:623-627番)  シオンの僧院

スレリンク(occult板:588-594番)  マグダラのマリアとイエス

スレリンク(occult板:605-612番)  レンヌ=ル=シャトーの聖なる地形

スレリンク(geo板:62-67番)  聖地を貫く直線パターン、、、

スレリンク(geo板:68-72番)  絵の中に隠されていた5角星

スレリンク(occult板:457-464番) まとめ 聖なる血脈





110:、ミジンコ
08/07/28 10:00:45 4iraUn5u


スレリンク(army板:150-158番)

スレリンク(uwasa板)l50

人体実験の問題は、皆が本当に怖がっていたらしい、、、。


>>1-109  なぜ、このような迂回をしなければならなかったのが、その歴史の真実と
(アトランティスの暗号、コリンウィルソンの著作)
人体実験による恐怖の支配力の権力による情報操作の社会体制がそこにあったことを示している。

  

111:,
08/10/15 19:59:06 tuFlM8ox




















,








112:,人類の起源
08/10/15 20:17:51 tuFlM8ox













人類の起源







113:,人類の起源
08/10/15 20:51:23 tuFlM8ox





ニュールンベルグの近郊にある小さな町、アルドフは、ほとんどの百科事典や地名辞典にも載ってな
いが、ウィリアム・テルが息子の頭に向けて弓の矢をいたということで有名なスイスの同名の町のほ
うはしっかり掲載されている。だが、前者のほうがずっと重要な意味を持っている。ここ
は、近代の人間が、自分の祖先はもしかすると何百万年も前にさかのぼるのではないかと
考え始めた場所なのである。

そのきっかけを作った男、ヨハン・ヤコブ・ショイヒツァーは、そんな考えを聞いたら恐れおののいて
しまったことだろう。彼は、聖書の一字一句が真実であると信じていた敬虔なクリスチャンだっ
た。それを立証しようとする過程で、彼は古代の絶滅した生命体の科学である古生物学と
いう分野の奔流を解き放ってしまったのである。

それはどうも1705年のことだったらしい。ショイヒツァーは正確な日付を記録することは無かっ
たが、とにかく彼はランガンスという名の友人と散歩をしていた。2人の若者はどちらも学生で、
頂上に町の絞首台のある丘に登り、一息入れてまわりの景色を眺めた。ホップ畑が夕刻の陽
射しを浴びて、黄金に輝いていた。ショイヒツァーは、足元にある大きな岩に気づいた。岩そのも
のは灰色だったが、その中に、数本の脊椎がはっきりと見えていたのだ。ショイヒツァーをそれを
さしてこういった。

「ほら見ろよ。大洪水が本当に起こったという証拠がそこにあるじゃないか!この背景は
人間のものだよ。」


114:,
08/10/19 09:58:27 uJjl7FjS
ヨハン・ヤコブ・ショイヒツァー ,,,wikiでは出ない、、、。
URLリンク(ja.wikipedia.org) 古生物学

ランガンスは岩を気持ち悪そうに見つめた。

「そうだろうね。何世紀も前に首吊りになったかわいそうなやつなんだろう。ほら、そん
なものは捨ててしまえよ。」

そして彼は岩をショイヒツァーの手から払い落とした。それは丘の斜面を落ちていき、別の岩にあ
たって砕けた。ショイヒツァーは、声を上げてそのあとを追った。砕けたときの衝撃で、灰色の岩
は周囲の広い範囲に散らばってしまっていて、彼は土の中をしばらく探し回って、やっと
黒く変色した脊椎を見つけた。興奮に息を詰まらせ、彼はそれを絞首台まで持っていった。

「ほら、見てみろよ。人間の骨だ。岩の内部にあったのを見ただろう? 首吊りにあった
男の骨がどうして岩の内側に入ることができるんだい? これはノアの洪水のとき以来、何
千年もここにあったのさ。」

「でも何で黒いんだ?」

「それはこの人間が、神が息の根を止めようと考えていた罪人だからさ。ソドムの住人たちのようにね。」

友人がとめるのも聞かず、ショイヒツァーはその背骨を自分のフロックコートの広いポケットに入
れた。それは医者が着るようなコートで、彼はよく散歩に着ていったが、途中でよくふるい骨
や火打石の破片を拾い、聖書の真実を立証できるようにと集めていた変わったコレクションに加
えた。


115:,ミジンコ
08/10/19 10:23:13 uJjl7FjS
1705年、、、、化石の年代の見当がついた? 石になると言う事が解っていたと言うのか、、、。


化石と言う存在について知っていたのは、ダヴィンチであり、天体と地動説や地球が丸い事、空の青の本質の大気の存在

など、宗教を否定しない科学と芸術の探求から始まった統一的世界観の流れでメモとして記述されていたものの、

つい最近になってその解読が可能となったくらいの話である、、、。


ショイヒツァーのエピソードは、不可思議な話だ。


116:,
08/10/19 10:30:28 uJjl7FjS
ショイヒツァーは何者だ?  ダヴィンチは、科学的分析なしでも、そのトータルの思想の世界観の全体性の天才的インスピレーション
から、直感的に理解して見当をつけることができた。



それから5年後、チューリッヒにある病院の内科となり、教会の重要メンバーにもなっていたショイ
ヒツァーは、大洪水が大洪水が本当に起こったのだと立証する小冊子を書いた。内部に魚の骨
を残した岩が、陸内部で何百と見つかっていることを指摘し、それはみな洪水が収まった
ときに取り残されたものだと論じた。さらに彼は、絞首台の丘で見つけた岩石に埋め込ま
れた脊椎について述べた。それはどうやって石の中に入ったのか。

この小冊子はかなりの議論を巻き起こし、聖職者は演壇の上から聖者の真実を立証するた
めにこれを引用した。だが、科学者からは反感を買った。化石の存在はもう何世紀も知ら
れていた。アヴィセンナという博識のアラブ人が、西暦1000年ごろにこれについて書いており、
それは文字どおり冗談であると説明した。つまり、雲が顔の形になるように、生き物の形
をまねることの好きな、いたずら好きの自然が作った珍品だというのだ。その3世紀後、
運河の建設を指揮しているときによく化石を掘り出していたレオナルド・ダ・ヴィンチはは、これ
が生物の名残だと提唱したが、誰も耳を傾けなかった。そして、ショイヒツァーの脊椎については、
ただの岩であると科学者たちは断言したのだった。

だが、ショイヒツァーを何よりも怒らせたのは、ジョン・バジエという鉱物学者が出版したばかりの
本で、そこにはアルドルフの絞首台の下で発見されたのとまったく同じ脊椎の絵があった。そ
して、バジエはそれを魚の脊椎と呼んでいたのだ。ショイヒツァーはバジエを批判する小冊子を出し
たが、バジエは自分の意見を曲げなかった。実はどちらも間違っており、それは有史以前に
生息したワニの一種であり、およそ2億年前、ジュラ紀に生息していたイクティオザウルスであると科
学が確定するのは、それより1世紀もあとのことであった。

117:,
08/10/19 10:36:02 uJjl7FjS
、、、こまったな、この話、、、。ローマの病気と犯罪の影響力を利用したペテンの操作の影響はあるし、

、、、ダヴィンチが、天才的に一人で知っていたとしても、、、。混乱に拍車をかけるだけですよ、、、。

下手するとインディオの人身御供の支配的影響力の餌食になりかねない。


118:,
08/10/19 10:38:55 uJjl7FjS
ショイヒツァーは化石が洪水の犠牲者の骨であることを立証しようとすることを決意していた。彼
には多くの弟子があり、自分たちを「洪水主義者」と称していた。その16年後の1726年、
ショイヒツァーが洪水が事実だったという決定的な証拠を提示したとき、洪水主義者たちは勝ち誇
ったように感じた。これは、バーデン地方にあるオニンゲンの石灰石の石切り場から出てきた岩
で、人間らしき生物の骨であることは間違いないものが入っていて、ほぼ完璧な頭蓋骨、
背骨、それに骨盤があった。この発見についてかかれた小冊子は、またベストセラーとなった。
そしてふたたび、時がたつとショイヒツァーが誤っていたことがわかる。彼の死後、長い時間が過
ぎてから、この書記の人間と思われた生物は、トカゲの骸骨であったことが分かったのだ。

だが、それは自らの役割を果たしたのだ。ショイヒツァーの小冊子は幅広い議論を巻き起こし、彼
の見解を支持する人の数は増えていった。彼らはほとんどの場合、大司教ジェームズ・アッシャー
と意見を同じくしていた。アッシャーは、王ジェームズ一世の時代に、世界は紀元前4004年に創造
されたと計算し(聖書にある日付をすべて計算して得られた結果だった)、出土してきた骨
やそのかけらから、驚くような生き物を再現した。その中には一角獣や龍まで居たくらい
だ。だが、観察眼の鋭いものは、地層の深さによって、異なる化石が発見されていること
に気づいていた。これはどうも、時代によって生物は変化することを示唆しているようだ
った、、、、。


119:,ミジンコ
08/10/19 10:43:02 uJjl7FjS
ショイヒツァーは1733年に61歳で世を去ったが、聖書には創造に関するすべてが網羅されている
と固く信じたままだった。それは、彼の時代のキリスト教世界のほとんども同じことだっ
た。だが、18世紀初頭には、ある非凡な人物が真実をつかんでいた。その名をベノワ・ド・
マイエといい、1615年生まれのフランス人外交官だった。1715年、マイエは「Telliamed
(彼の名前を逆に読んだもの)」と題された本を出し、生命の芽は宇宙からやってきて、徐々
に海洋生物へと発達したとした。魚が陸に這い上がり、鳥や動物へと発達した。これらは、
すべて何百万年もかけておきたことであるというのだ。しかし、マイエは、自分が生きている
間はこの本を出版しないことにした。政府高官としての立場を危険に陥れないためだった。
これが世に出たのは、彼の死後11年たった1749年のことだ。しかし、それは原型の形で
多くの教養ある人々に読まれており、広く議論されていた。今では忘れ去られてしまって
いるマイエこそ、進化論の創始者として見られるべきなのだ。



、、、、、これ、、、、怖いぞ、この話、、、。

ほんまかいな !?  事実検証スレッド  [噂話]


120:,ミジンコ
08/10/19 10:46:58 uJjl7FjS
ダーウィンの進化論の論争で、宗教家がダーウィンの言うようなサルから進化したものではないと

訴えてピストルで自殺しているものを出しているほどの話ですよ、、、。


NHKのダーウィンが来たとかの特集があるが、、、、やっぱりだ、、、、。

URLリンク(www.nhk.or.jp) NHK

121:,ミジンコ
08/10/19 10:52:43 uJjl7FjS
進化論の創始者は、ダヴィンチ?、、、恐らく、化石についての理解はあったが、人間の進化についてはまだ解っていなかった。

ゲーテ?  顎間骨の発見から、人間は変容を遂げるものである事を明らかにしていた。

やはり、マイエか、、、、進化論の創始者は、、、。   ある意味、ダヴィンチもマイエも人間に進化が適用される事について知っていたに違いない。 

コリンウィルソンさん、凄いね、、、。


122:,ミジンコ
08/10/19 10:55:55 uJjl7FjS
URLリンク(ja.wikipedia.org)ヴォルテール

ヴォルテールはマイエの説を嘲笑していたが、それは化石が有史以前の生物の残骸であるというこ
とについても同じだった。彼の考えでは、山で見るかる魚の化石は、旅行者の食べ残しだ
というものだった。骨が腐らずに、なぜ岩の中に化石化したのかについては説明しなかっ
た。ヴォルテールのような懐疑的な見方には、18世紀の後半に広く見られた。

とはいうものの、変化は徐々におきていた。1780年、ドイツ陸軍の医師、フリードリッヒ・ホフマンが、
オランダのマーストリヒト近郊にある白亜石の採石場を歩いていると、白亜石の中に大きな「龍の」
頭蓋骨が見えた。彼はそれを取り除かせると、ハーレムにあるタイレー博物館に持っていったが、
それでそれはセンセーションを巻き起こした。彼と仲間の科学者たちは、それを「ザウリアン(トカゲの
一種)となづけることにした。残念なことに、ホフマンは、その採石場の所有者である、ゴダン
という名の僧侶から、この頭蓋骨を持ち去る許可を得るのを怠っていた。ゴダンはその返還
を求めて訴  を起こし、勝訴した。自分の画期的発見を奪われ、ホフマンはうつ状態となり、この世を去った。
.
どうもかなりのいやみな人間のように聞こえるゴダンは、この頭蓋骨を秘匿し、科学者に見
せることを拒否したのである。だが、1794年、フランスがオランダに侵入し、ゴダンは必死でこれ
を隠そうとしたが、彼にとっては無念なことにこの頭蓋骨は没収された。それはパリ植物園
に送られ、高名な自然科学者、ジョルジュ・キュヴィエによって研究された。

突如として、誰もが恐竜を求めてあちこち掘り返し始め、古代生物の多くが出土した。キュヴ
ィエは、絶滅した種に関する一大専門家となり、一片の骨があれば、その骨全体を再構築で
きると自慢していた。だが、これらの種は、いったいどうして地球上から消滅してしまっ
たのだろうか。先輩のビュフォン伯爵の仮説をそのまま借りたものではあるが、キュヴィエによれ
ば、その答えは、地球は洪水や地震といった大規模な天変地異に何度か襲われており、そ
れが何種もの生物を消滅させたというものだった。そして自然はまた一から出なおさなけ
ればならなかった。人間とその徒兄弟の類人猿は、前回の天災以降に起きた一番新しい想
像の段階の産物なのだ、、、、、。

123:,ミジンコ
08/10/19 10:57:47 uJjl7FjS
ヴォルテール、、、、、ヤミ系が、、、啓蒙家、、、、、。

124:白からす黒ひつじ
08/10/30 08:05:36 I+qarmzA
、、、、、ヤミ系の自由主義、、、。時とともに、その本性は、ラッセルを見ても解るように顕著なものとなった、、、。

特に、二つの革命後に、宗教によって覆い隠されてきた、ヤミ系と光系の問題点は、時の経過とともに浮き彫りになっていき、

特に、精神医療による人体実験によってその両者の実態の真相が明らかとなってきたのである、、、。


125:、
08/10/30 08:24:34 I+qarmzA
>>122  、、、、コダン、、、。



126:、
08/10/30 08:25:25 I+qarmzA





   //:/ /:/{ヘ>、:\:\:\: : :\        /  /
  .,r≦こ}彡/ メ;∧ く  ヽ: :ヽ:ヽ :ヽ ヽ :ヽ___    /  /
  i </77: :|: | :「:∧ハ   jハ: }: :ト :/} : } : :}≦, _/  /
  |: : :<7{ミ |: | :| fz三≧'' jム斗fハj :∧ :jー/´  ⌒ヽ
  | i: : : :| : 」: l:∧!  ,、    }F气/⌒¨7´    ヽ  } }
  | l: : :i |、{^ヘ{ヾ   { `¨¨¨} ,/¨7ー{   r- }_ノー'⌒)
  | | : :ハ \     ヽ__.. - '´    {  \___><_/⌒´
, イ:ノ :/    `>=¬¨7/     ヽ、ヽ、___/
 { : /     ,/{    {{   ,.ァ< ̄´}/|: :}ヽ
 Ⅵ{      {ハヽ   ヽf7f} /^ヽ, `「}-、j;ノ
  ヾ、    |i∧ ¨ア´ ̄[´∧> :}: //rー`¬、 < とりあえず、お前は、、、、
          !! ∨    <7 }>  |</^}   /
        .レ'´ {       i!   {/⌒7__,/   、、、wwwwプギャー、プギャ、プギャ



127:、
08/10/30 08:42:16 I+qarmzA
コダン、、、>>   >>126「、、プギャ、ギャギャギャ、ベルベロバーァ、、、!」 コダンは、本当の意味でかなりヤバイ位置付けにいる人ということになる、、、。
URLリンク(ja.wikipedia.org) ジョルジュ・キュビエ
やはり、神話は、大きいかもしれないね、、。

ウィリアム・スミスという若い英国人は、国内の鉱山の内部を這い回り、化石を含んでいる地層を
32種類も区別することができたと発表した。彼はそれに、石灰紀、白亜紀、デボン紀などの
名前をつけた。これらのそうはきわめてはっきりとわかれていた。デボン紀の化石が石灰 
紀の地層から見つかることは無かった。どうもこれは、地質学上の各時代は、天変地異に
よって、みな突然の終焉を迎えたことを意味しているようだった。

最も忠実な弟子の一人、エルンスト・シュロツハイムの1820年の発見のせいで、キュヴィエが短期間ではあ
ったにせよ不安に陥ったのは事実だ。チュリンギアでマンモスの骨の周辺を調査していて、シュロツハイム
は、人間のはを見つけたのだ。キュヴィエによれば、それはありえないことだった。マンモスの段
階でいうなら、前の時代の属しているはずだった。キュヴィエは、それはおそらくどこかの墓
守が、洪水以前の時代に属している地層に誰かの遺体を埋めたのだろう、と慰めるように
説明し、シュロツハイムは安心したようにため息をついたのである。彼は自分の考えを変えるには
もう年をとりすぎていたのだ。しかし、あと二つの人骨が絶滅した生物の骨の間から発見
された。ふたたび、シュロツハイムは、これは何かの間違いだと説明される。

しかし、1823年に、頭のない人間の骨がウェールズのパヴィランドにあった古代地層から発見
された。土のせいで赤い色がしみこんでいたため、パヴィランドの赤色夫人と呼ばれた(実は
男だったことが後に分かる)。これに誘発され、マキナリーという聖職者が、デボンにあるケント洞
窟で、マンモスの骨の間から古代の道具を発見する。これでキュヴィエは自分が誤っていたことを
納得すべきであった。だが、彼はただ肩をすくめ、この新発見を何かの間違いであるとし
て退けたのだった。キュヴィエは間違いなく偉大な科学者だった。しかし同時に意地悪な頑固
者でもあった。種は徐々に進化するばかりでなく、そうしたいから進化するのだと考えて
いた進化論者で、同僚の教授だったジャン・パブティスト・ラマルクの業績を、彼は台無しにしたの
である。

128:、
08/10/30 09:00:51 I+qarmzA
URLリンク(ja.wikipedia.org)(%E5%9C%B0%E8%B3%AA%E5%AD%A6%E8%80%85)ウィリアム・スミス
URLリンク(ja.wikipedia.org)ラマルク
キュビエは、肝っ玉の小さいやつだな、、、。

キュヴィエは運が良かった。1832年、つまり、地質学という科学分野が、彼の天変地異仮
説の信憑性を失墜させる直前に、この世を去ったのだった。

失墜させたのは、法廷弁護士であり、熱心な地質学の学究の徒でもあったチャールズ・ライエルだ。
地球の地殻を10年間に渡って詳しく研究した後、彼は、当時も何百万人のキリスト教徒の間
で受け入れられていたアッシャー大司教の見解は

ばかばかしいほど誤ったものであり、地球は何百万年の時代をかけて形成されたものであ
るとの結論をくっ出したのだ。この時間の枠組みで考えれば、天変地異が山を押し上げた
り、洪水で峡谷ができる必要も無かった。すべてはゆっくりとした侵食で説明することが
できたのである。彼の「地質学言論」は、科学史上、最も画期的な本の一つだった。彼は、
大洪水は確かに現実だったが、それは前回の大氷河期の終わり、およそ1万5000年前
に溶け出した光がその原因となったのだと結論を下した。地形は、何十万年という時間を
かけて氷河によってゆっくりと削りだされたものだった。そして、山で見つかった魚の化
石は、有史以前の海のそこにかつて実際にあったものなのだ。ライエルは、天変地異論者、洪
水主義者や、宗教原理主義者たちに反対されたが、その見解は徐々に広がっていった。

その後50年ほどの間に、徐々に現れてきた地球史の仮説は、おおむね次のようなものだ
った。

私たちの地球は誕生してから約45億年たっているが、最初の10億年間は赤熱した火の
玉で、それが徐々に冷却していった。続く10億年間のある時期、最初の生命が暖かい海
で誕生した。誕生も死も無い、ごく小さな細胞だ。最古の化石は、これらの単細胞生物で、
35億年前のものだ。

129:、めいちゃん
08/10/30 09:24:56 I+qarmzA
そして、キュビエは、頭の固いやろうだぜ、、、。、、、あれを石頭と言うんだよ、、、。
;;;;;;;;;__;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;_;;_;;;;、,、、 -‐'′゜´    .!;;;;;;;;;/
;;;/ ヽ;;;;;;;;;r-‐'′゜´-- 、            .!;;;;;;;;}
/  /! !;;/         ゜ヽ     ○    !;;;;;;;;!
  /  !;/   ゞ;'"゛゛ ゜i゜ヽ、´         .!;;;;;/
  ! /!;;;!    \  _ , '  i          !;;;;;/
  ) !;;;!      ゜、 _ , '       -‐‐‐/;;;/
    !;!                r ‐ 、 ./;;;;/
ヽ   !!               / _ ノ //;;;/
;;;Y  /              l  ヽ- ' /_/
;;;;!                  .!   i'
;;;;;!                 !  ./
;;;;;;! \              >' ./
;;;;;;!  \        ' 、 _ ,    ./
;;;/   \            /
/     \         /

>>128 結論をくっ出したのだ。 、、、→下したのだ、、。
溶け出した光がその、、、→溶け出した氷がその
URLリンク(ja.wikipedia.org)ライエル

130:、
08/10/30 18:20:37 I+qarmzA
わずか6億3000万年前、最初に真の生命体と呼べるものが出現する。つまり、子孫を
作ることができるため、死ぬこともできる生物だ。生命は一つの世代から次の世代へとた
いまつを手渡していく方法を発達させ、新世代はそれまであった問題に新たに対処してい
くことができるようになった。

三葉虫のような最初の無脊椎動物が海に出現するまでには、さらに4000万年待たねば
ならなかった。この5億9000万年前の時代を、私たちはカンブリア期と呼んでおり、それ
は初めて魚が現れた時代でもあった。陸地では、最初の植物も現れ始めた。

4億800万年前のデボン期には、海は危険すぎると考えた魚が陸に向かって進み始め、ひ
れが足に変わるにつれて

、両生類となった。爬虫類は、その4000万年後の石灰期に現れた。地球史上はじめて
この隆盛期は、古代人と呼ばれ、それは2億8600万年前、2畳紀とともに終わりを告
げた。

残る2つの隆盛期の一つ、中生代紀には、まず哺乳類の時代があり、続いて恐竜の時代が
あったが、2億5000万年前からわずか6500万年前まで続いた。また、ビュフォンやキュヴ
ィエの天変地異仮説は、すべて誤りであったわけではないことも現在では分かっている。ど
うも、宇宙からやって来た何か大きな物体が、6500万年前に地球に衝突したようで、
その生物の75パーセントを絶滅させたらしく、恐竜もその中に含まれる。巨大な隕石、
あるいは彗星、小隕石でさえあったかもしれないが、何であろうと、それは大気を水蒸気
で満たしてしまい、気温を上昇させて、大きな生物のほとんどを死に追いやったのである。
だが、この大異変当時は、人間が存在していた可能性は低い。
URLリンク(ja.wikipedia.org) 地球史


131:、
08/10/30 18:26:16 I+qarmzA

地球史上第3の隆盛期、新生代記と呼ばれるこの時代のはじめには、北ヨーロッパ奥深くまで
をおおう膨大な熱帯林の暖かい、湿った世界が広がっていた。肉食のティラノザウルスや、鋭い歯
を持つ巨大なコウモリなどが居ないこの世界は、比較的平和な場所で、鳥や、木々の間を飛び
ながら、虫や鳥の卵を食料としていた、リスのような、げっ歯類が生息していた。この小動
物たちは、卵ではなく、自分たちの身体から子供を生み、大事に保護したため、生存率が
高まった。

1億4400万年前に始まった白亜紀の中ごろ、おそらく木の根に住み、昆虫を食べてい
た地ネズムのような生物が進化した。地ネズミは信じられないほど獰猛な(英語で気の短い女
性を地ネズミを表すshrewと呼ぶのはこのためだ)、ちょうど小さなネズミのような生き物であ
る。心拍数は毎分800回にもなり、自分の体重の数倍の重さの食物を毎日食べる(身体
が小さいので、熱を保持することができない)。これに続いた平和な新生代紀に、これら地
ネズミたちは、木に登ってみる自信をつけ、種子や、柔らかい葉、それに新たに進化した果
物を食べた。木の上に生息するに連れて、親指と4本の指がある「手」を発達させ、
枝にぶら下がった。伸び続けるために決して減ることの無い歯を持った、従兄弟に当たる
げっし類に根絶やしにされることも多かった。しかし、アフリカ、というよりも、当時はアフリカ
と南アメリカを擁していた巨大な大陸では何とか生き延び、猿となった。猿は頭の両側で
はなく、前面に並んでいる眼を持っていたため、距離感がずっと良くなっていた。私たち
人間は、これらの木々に生息していた地ネズミの子孫なのである。



132:、
08/10/30 18:50:56 I+qarmzA
URLリンク(ja.wikipedia.org)ダーウィン
人間の思考における、この偉大な革命は、誰もが知っているように、若い自然学者チャールズ・
ダーウィンが1831年の12月、ビーグル号という船で南アメリカに出帆していたことから起こっ
たものである。

おかしなことに、この航海の主な目的というのは、南アメリカ海岸の沖合いにあるフェゴ島の肌
の黒い原住民3人を、彼らの故郷の島まで送り届けることであった。ビーグル号の船長、ロバ
ート・フィッツロイは、敬虔なキリスト教徒で、奴隷制度を支持していたが、この3人をわずかな
金で購入しており、英国で無給の召使として使うつもりだった(一人は真珠のボタン一個
で買い、思春期の娘のほうは、裸で歩き回っているのを見るに耐えられず買ったという)。
運悪く、彼が航海中に反奴隷法が議会を通過し、怒る彼の元に、3人を連れ戻すよう命令
が下ったのだった。そして、その航海になにか実質的な目的を与えるため、内務省の担当
官が、南アメリカの植物と動物を調査するために科学者を乗船させるべしと命じた。そのため
に選ばれた男は、人生の敗者と見られていた人物だった。チャールズ・ダーウィンは、22歳にし
て、医学生としても、聖職者になることにも失敗していた。そして、動物学、植物学の面
白さに目覚め、ケンブリッジ大学での彼の教授が、ビーグル号での職責に彼を推薦したのだった。

また、ダーウィンは自由党支持者であり、3人の原住民は返されるべきだという意見にまった
く同感だった。船長は生涯ずっと保守党支持者で、この若い科学者に、感傷的になりすぎ
ると諭した。人生では、最も適応したもの、最も早いものが勝つのであり、強者は生存し、
弱者は死に絶えるのだ、と。

ダーウィンはこの説がどうも気に入らなかった。だが、彼の祖父、エラスムス・ダーウィンは、「自然の
神殿」という長い詩を書き、その中で、生命は海にその起源があり、それが陸地に上がり、
四肢を発達させ、動物となったと語っていた。フィッツロイ船長は結局正しいのかもしれない。
もしかすると、競争こそが、種のゆっくりとした改善の原動力となっているのだろう
か、、、、、。

133:、
08/10/30 19:34:12 I+qarmzA
人生では、最も適応したもの、最も早いものが勝つのであり、強者は生存し、
弱者は死に絶えるのだ、と。                       >>

ヤミの優生学から来た合理主義、、、のケースが多い。

ダーウィンは人体実験にまでいたることになるヤミの優生学の実態については知ることは無かったので、

優生学が正しいか否かを判断するのに葛藤したに違いない、、、。

スレリンク(uwasa板:602番)
スレリンク(uwasa板:608番)
スレリンク(uwasa板:682-683番)


134:、
08/10/30 19:42:21 I+qarmzA
フェゴ島の3人の原住民の帰還は、彼のこの思いをさらに強めた。その内の一人、彼らが
ヨック・ミンスターと名づけた若者は、屈強で彼を支配するタイプだったが、すぐに他の野蛮人の同
胞たちの間に溶け込んでいった。彼は文明社会の週間はすぐに捨ててしまい、裸で歩き回
っていたが、これは、原住民をキリスト教に改宗させる目的で送り込まれていたマシューズという
宣教師の悩みの種となった。フィッツロイがユージアと名づけた10代の少女も同じだった。しかし、
一番やさしく若かったジェミー・ボタンは、いじめられ、殴られて、涙を流しながらビーグル号に
戻らせてくるよう乞うのだった。船長にはこれを拒むことしかできず、ビーグル号が出向し、
文明という人工的な保護の無くなったジェミー・ボタンが、これから辛い人生を送ることになる
のは明らかだった。

フェージアについても結局同じであったことが後に分かる。10年後、アザラシ狩りの男たちを満
載したある船がこの島に立ち寄ると、フュージアは、白人の男たちとの親交を再開しようとた
だちに乗船してきた。この信じられないような幸運に驚き、男たちはフュージアを繰り返し強
姦し、彼女は疲労で倒れて命を失いかけた。次にイギリス人が彼女の姿を見かけたときに
は、まるで老女のような姿になっていたという。ダーウィンはこれを知らなかったが、もし知
っていたら、自然は自由主義的な原理にのっとって作られてはいないという、彼が徐々に
確信を深めていた見解をさらに強めたことだろう。

パダゴニアの植物、動物を調査するに連れて、ダーウィンは、キュヴィエ(まだ生きていた)の天変
地異説は誤りであるという、確定的な証拠を見つけていった。メガテリア(大きなナマケモノ)やトク
ソドンのような絶滅した生き物の骨を発見したが、それと同様に「有史以前」の生き物であ
るアルマジロやアリ食いなどの動物が生き延び、繁殖しているところも目にした。また、絶滅し
たヤマの一種の歯を見つけたかと思えば、グアナコという、それと奇妙なほどに通ったヤマが
歩き回っている姿も見た。絶滅したヤマのほうが小さかった。しかし、神、あるいは自然
が、古代のヤマを絶滅させ、そのあとでわざわざそれよりもっと大きなヤマを創造するな
どという可能性はまずないだろう。グアナコは、絶滅した祖先から進化したと考えたほう
が自然ではないのか。


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