08/12/07 22:17:52 jJMoUQTy
しかし、これでもまだ、一番よくわからない疑問が残されている。もしそうだとしたら、
なぜエジプト人はスフィンクスを紀元前1万500年に建造し、ピラミッドをその8000年後に建
造したのか?
「創世の守護神」によると、その答えは、天文学にあるという。彼らは、ある重要な出来
事が天空で起こるのを、さらに8000年間待たなければならなかったということだ。そ
れが何かということについては、すぐ後に詳しく述べる。
さて、ボーヴァルとハンコックの仮説はかなりの議論を呼ぶものである事ははっきりしている。二
人の見解によると、最初の「神官」たちは、紀元前1万500年よりある程度前にエジプト
にやってきたが、彼らは歳差運動についてはよく知っており、紀元前1万500年の時点
にオリオン座が天空の最も低い位置に来ることも解っていた。東側を向いたスフィンクスは、こ
の時代の幕開けを印すための記念碑として建てられたのだ。
こういうと、私が第3章で述べた反対意見が出てくるだろう。古代の神官たちが、800
0年も先のことを計画し、かつその計画を壮麗華美に実行したと私たちは本気で信じるよ
う求められているのか?どうもこれは可能性が低いように思われる。
ボーヴァルとハンコックがこれを立証する試みの第一歩は、まず古代エジプト人の精神構造につい
ての基本的な事実から始まる。つまり、彼らはエジプトの地を、地上で天空と対を成すもの
と考えていた。そこに流れる天の川は、天のナイル川であり、エジプトは展開の再現された像
であったのだ。
それでは、スフィンクスを建造した神官たちと彼らに秘伝を受けたものたちは、基本的に一体何
を目的としていたのか。それは、シュワレール・ド・リュビックが、なぜあれほど古代エジプトの精
神に精通していたのかを理解させてくれるものでもある。つまり、不死の探求である。錬
金術師たちが、「賢者の石」を作り出そうとする試みと同じ探求の道なのだ。
52:、
08/12/07 22:18:45 jJMoUQTy
「創世の守護神」の見解は、かなりの部分、「死者の書」やピラミッド・テキスト、あるいは「ドゥ
アウトにあるものについての書」など、エジプトの文献をそのよりどころとしている。こういっ
た文献は、星座の配置から私たちが推論できるものを、しばしばきわめて正確に教えてく
れる。「ドゥアウト」はふつう「天界」と訳されているが、ボーヴァルとハンコックは、これが天空のと
くていの領域、紀元前2500年に、オリオンとシリウスが天の川の「右岸」に見られた部分
を指しているとする、きわめて説得力のある議論を展開している。そして、それが重要な
意味を持っていたのは、シリウス星が夜明けとともに地平線に昇り、ナイル川の氾濫の季節が
音連れタことを知らせる夏至のときだけであった。
彼らの議論の次の重要な一歩は、「ゼプ・テビ」と呼ばれる、始めの時代、あるいは、より
正確に言うと、この、言わば「エジプト版エデンの園」があったとされる場所に関すること
だ。さまざまな文献から、これが大ピラミッド群のある地域、それにナイル・デルタのすぐ南側
のメンフィス、ヘリオポリスという古代都市であったことは明らかになっている。そこは、オリシス
とイシスがともに治めていた場所であったが、オリシスの兄であるセト(闇の神)がオリシスを殺
害し、園身体を切断すると、異国の地にそれを撒き散らしてしまったのだ。イシスはこれ
を再び一つにすることに成功し、オリシスノペニスを自分に挿入する事で、妊娠する事もできた。
この二人の息子がホルスであり、の地に乳の敵を討つのである(ちょうどハムレットのように、、、)。
イシスとオリシスの父であるゲプは、最初セトと彫るスにエジプトの国を半分ずつ与えた。だがそ
の後考えを変えて、すべてをホルスに与え、エジプトを統一したのだった。北エジプトと南エジプ
トの統一が起きたのは、歴史学者によると、メネス王の時代、紀元前3000年頃だという。
しかし、エジプトの神話を読むと、それがこれとは別のときに起きたという事をはっきりと
示唆しているのだ。エジプトの南部にあったオリシスの身体は、ナイル川に浮かべられ、南のアビド
スにあった墓地から「ソカールの地」、つまりロスタウ(ギザの古代の名)の地域、そして北の
ヘリオポスへと移される。これでやっと、オリシスはオリオン座にある天の天国の故郷へと旅立つ
事ができるのだった。そして、園旅立ちはギザからとなる。
53:、
08/12/07 22:19:31 jJMoUQTy
これは一体いつ起きた事なのだろうか。著者の二人は、天文学の証拠が紀元前2500年
を示していると論じている。
ではどこに向かってなのか。ハンコックによれば、ソカールの地を描いたあるピラミッド壁画があ
り、そこに描かれた回廊や通路は、大ピラミッドのものを思わせるという。そしてもちろん、
ボーヴァルは、「オリオン・ミステリー」で、オリシスと同一視されていた王は、「通気孔」がオリオン座に
向けられていたときに、大ピラミッドの王の間から旅立っていった、と論じているのだ。
さてこれをじっくり考えてみよう。ボーヴァルとハンコックによれば、オリオン星(オリシス)が歳差周期
の天底にあった、紀元前1万500年に一つの周期が始まっている。そして、もしハンコックが
正しいとしたら、大洪水の生存者である彼らは、この天変地異が、一つの時代の終わり(そ
してもちろん、別の時代の幕開け)を告げたと考えた。この次の周期は、2万5920年
間続き、一周期の半分(オリオン座が再び下降し始める時点)は、西暦2460年に起き
る。
かなり現実離れはしているという事を充分意識しながらも、紀元前1万500年にスフィンクス
を建造した天文学者/神官が、やはりピラミッドの建設も計画し、その配置にオリオン座のベ
ルトを正確に反映させ、それを通して、いつかの未来の時代に重要なメッセージを伝えたかっ
たと仮定してみよう。明らかに問題となるのは、園検察がいつ行われるべきかという事だ。
もうひとつ、これはもうほとんど確実ではあるが、彼ら神官たちは歳差運動のことを知っ
ていたと仮定してみよう。つまり、春分/秋分は、いつも同じ星座を背景に起きるわけで
はなく、時計の針のように、星座から星座へと動いていき、一つの星座から次に行くのに
2200年かかるというのを知っていたという事だ(ややこしいことに、この時計の針は
逆方向に動く)。最も重要と考えられてきたのは、やはりエジプト暦の都市発に起きる春分で
ある。そして、「春分点」とは、天空の黄道帯で、その「針」がさしている正確な位置のこ
とを言う。紀元前一万500年には、これはしし座であった。
54:、
08/12/07 22:21:00 jJMoUQTy
レベルの高い天文学者であった彼ら神官たちは、その時点から先の1000年ほどの間に
何が起こるのかもわかっていた。まず第一に、春分点は逆方向に動き、しし座からかに座、
そしてふたご座、おうし座と続き、私たちの時代には魚座となり、それがみずがめ座に入
ろうとしているところとなる。
この間、オリシスの身体、つまりオリオン座は、天空を上昇して行き、天の川の「右岸」を北
に向かって漂っていくように見える。
さて、いずれは、オリシスが天空での「ソカールの地」に到達する時点がやってくるはずだ。
この地とは、地上ではスフィンクスが建造されている場所である。そして、正しい式典を行う事
によって、オリシスは遂に天空の主としてふさわしい場所に収まる事ができるのだ。
では、遂に園式典が最高潮に達するとき、偉大な星の神殿を建設するときが来たとしよう。
園時点での春分点はどこにあるのだろうか。歳差時計の針は、正確にどこを指しているの
か。
紀元前3000年から2500年の間、春分点は天の川の「西岸」にあり、おうし座の牛
の頭の部分をゆっくりと通過していた。この「頭」は冷でス性ダンと呼ばれる星星によって
形作られており、その中でも二つの星が特に明るい。
天から地上に目を転じると、ナイル川、それにメンフィス、ヘリオポス、ロスタウ(ギザ)を擁する「ソ
カールの地」がめにはいる。
そして、もし今日の私たちが、冷でス性ダンの二つの明るい星が地上に反映される位置を見
ると、そこにやはり2つのピラミッドを見ることができる。ケオプス王の父であるスネフェル王が建設
した、ダシュールにある、俗に「屈折ピラミッド」と「赤ピラミッド」と呼ばれるものだ。
55:、
08/12/11 16:38:06 qYKpzo6m
ボーヴァルとハンコックは、スネフェルがその場所にピラミッドを建設したのは、ある目的があってのこと
だと論じているが、これはきわめて妥当な考えといえるだろう。つまり、ある遠大な計画
の始まりを知らせるためなのだ。
では、オリシス(オリオン座)は、この時点ではどこにいるのか。もうほぼ「ソカールの地」
に到達しようというところであり、シリウス星(イシス)も、天空の同じ領域にある。
だが、紀元前1万500年にはこうではなかった。しし座に向かって、東、つまり、春分
点のある位置を向くと、オリオン座を見るためには、きっかり90どかいてんしなくてはなら
なかった。8000年後のこの時点で、その二つの星が一緒になってきたのだ。
これこそ、大ピラミッドがなぜスフィンクスの8000年後に建造されたかの理由である、とボーヴァ
ルとハンコックは言う。「天界」で、遂にその準備態勢が整ったのだ。
二人のこの説明を論破するのは不可能なように思える。古代エジプト人が歳差運動につい
てすべて知っており(今ではこれを疑うものはまずいないが、、、、)そしてオリオン座が彼
らにとって最も重要な星であったと思うのならば、春分点がオリオン座と同じ領域に入っ
た辞典こそが、おそらくエジプト史上最も重要な瞬間であったはずだという見方に異議を唱
える事は不可能である。
その後に続いたのは、ロスタウにピラミッド群を建造する事であり、その位置が、「始めの時代」
である紀元前1万500年をはっきりと指し示すようにすることだ。
そしてこんどは、王がオリシスをその本来の故郷に送り帰す儀式を執り行う事であり、それは
同時に、彼とその臣民を付し不滅の存在としてくれるのである。
この儀式は、シリウスが夜明けとともに地平線から昇るときに行われた。しかし、実際にそれ
は10週間前に始まっていた。シリウスは、70日間、地平線の下に隠れていたのだ(もちろ
ん、これは地軸が傾いているためである)。もちろん、園近くに位置するオリオン座―オリシス
も同じであった。
56:、
08/12/11 16:38:56 qYKpzo6m
オリシスを「救う」儀式が毎年行われていたのはおそらく間違いないだろう。しかし、ナイル川の
氾濫を知らせる出来事である夏至、それも大ピラミッドの完成後に行われた儀式は、絶頂を極
めるものであった事だろう。
ホルス王(ケオプスが園役割を演じたとかんがえられる)は、父オリシスの生命をよみがえらせるた
びに出なくてはならなかった。太陽という姿で、ホルス王は太陽船に乗り、偉大なる川、天の
川を渡り、オリシスが幽閉されている東の地平線へと旅たたなくてはならなかった。園地上で
の追うという姿では、海に乗ってナイル船を渡り、ギザに旅して、スフィンクスの面前に立たなくて
はならなかったのだ。
ボーヴァルとハンコックは語る。
「オリシスの息子」として、彼は、イシスの子宮、つまりシリウス星から、夏至の夜明けに生まれ
出てこなくてはならなかった、、、。その瞬間、そしてその位置で、天の地平、そして地上の
「地平線」の両方で、ホルス王がロスタウの入り口に立つよう定められていたのである。地上の地
平線では、入り口を守っているライオンの像、偉大なるスフィンクスに彼は遭遇する。そして、
これと対を成す、天空の地平を守っているのは、一体何か?
答えはもちろん、しし座である。
ピラミッドテキストは、ホルスの地下世界へのたびの始まりは、偉大な儀式の70日前に起こる
と説明している。その25日後、太陽は既に「川」、つまり天の川を渡り、東のしし座のほ
うへと向かっている。そして45日後、つまり70日の期間の終わりに、太陽はししの前
足の間に来る。
地上では、王がナイル川の東岸に立ち、太陽の船(1954年に大ピラミッドの近くで発見され
た船だった可能性もある)で川を渡り、ダシュ―ルの2つのピラミッドを通り、スフィンクスの面前に
立つ。
57:、
08/12/11 16:40:40 qYKpzo6m
文献によれば、この時点で、王は儀式的な試練に直面しなければならない。それは、モーツァル
トの「魔笛」に登場するフリーメーソンのようでもある。父を救うために地下世界に旅立つのに、
陸上か、あるいは水上の道筋かの二つの選択を与えられるのだ。陸の道とは、海岸神殿と
大ピラミッドを繋げている大規模な通路(その一部が現在も残っている)であると著者の二人
は考える。かつてそれは、石灰岩の石板の屋根が付けられており、天井には星が描かれて
いたという。
「水上の道」のほうは、まだ未発見だが、ナイル川の流れを利用して引き込まれた水で、常に
半分(あるいはそれ以上)満たされていた地下水路だったと二人は考えている(スフィンクスは、
大ピラミッドに繋がっている700メートルを越える長さのトンネルの上に建てられているとす
る、フランス人のエンジニア、ジャン・ケリセルを引用している)。
それから何が起きるかは、まったくの推測となる。ただ、その儀式が、オリオン座とシリウス
星が東の地平に再び登場する事で終わったことは間違いないだろう。ボーヴァルとハンコックは、
この儀式は来たエジプトと南エジプトの象徴的な統一、つまりは天と地の統一であると考える。
はっきりしているのは、神官たちが、これを、エジプト史の中で、「始めの時代」以降、最
も重要な催し事と見ていたことだ。
では、彼ら神官たちとは、一体誰だったのか?ボーヴァルとハンコックはこう書いている。
私たちが主張したいのは、「真剣で知性の高い男たち」、それに女たちが、有史以前のエジプ
トの舞台裏で活躍していたという事だ。そして、彼らが呼ばれていた多くの名前の一つが、
「ホルスに従うものたち」というものだったと提唱したい。また、その後何千年にもわたり、
数多くの世代を経ながらも、救世主の再来を信じるカルトのごとき厳しさで守ろうとした彼ら
の目的とは、ある遠大な宇宙的規模の青写真の完遂であった可能性があるとも提唱したい
と思う.
58:、
08/12/11 16:41:20 qYKpzo6m
二人はさらに論を進め、現在残っている形では紀元前237年から57年の間に建造され
てはいるが、その一部はピラミッド時代までさかのぼるという、エドフの神殿について述べてい
る。その「建造文書」は、「始めの時代」までさかのぼる昔について語っており、当時の賢
者の語る言葉は、トト神によって文字に記録され、奇妙なほど現代的なだいの「原初の時代
の塚に関する詳細」という本にまとめられている。その中には、そこで世界が創造された
という「偉大なる原初の塚」についてふれてある。イオデン・エドワーズ教授は、この丘の上に
大ピラミッドが建てられたと考えている。
この建造文書によると、各神殿や塚は、すべて「7人の賢者たち」によって設計されたも
のであり、その中には「神の館」(大ピラミッドのことと考えられる)もあるが、これは、大
ピラミッドがスフィンクスと同じ時期に計画されていた(そしてひょっとすると建設作業の一部が行
われていた)とする、ボーヴァルの考えが正しい事を示しているようにも思える。7人の賢者
は、天変地異に伴う大洪水の生存者たちで、ある島からやってきたという。彼ら7人は、
ピラミッド・テキストなど、他の文献で「建造神」「目上の人たち」あるいは「ホルスに従う者たち」
(シェムス・ホル)などと呼ばれているのと同一の人物であるように思われる。ホルスに従うものた
ちは神ではなく、大規模な天変地異の後、世界を再建した人間であり、これに先立って神々
の時代があったのである。
つまり、「創世の守護神」の基本的な仮説はこういうことだ。私たちの知る古代エジプトは、
何らかの天変地異を生き延びた神官の一段によって実質的には想像されたのである。この
本は、「ハムレットの臼」や、ジェーン・B・セラーズの「古代エジプトの神々の死」の続編とも言える。
後者は、古代エジプト人は、やはり歳差運動についてよく知っていたという強力な議論を
展開している。しかし、「創世の守護神」は、数学と天文学による議論において、これらの
本よりもさらに進んでいる(それについては、ここではお粗末な概略だけを紹介できる紙
数しかない)。スフィンクスとピラミッド郡の天文学的な配置についての議論は、まさに力作そのも
のだ。ジェーン・セラーズが既に数字の「歳差暗号」について論じており、グラハム・ハンコックがかの
じょの研究成果を「神々の指紋」で要約している。しかし、ボーヴァルによるコンピュータ・シュミレー
ションは、これらをすべてさらに精度の高いレベルにまであげ、その結果、たとえば何千年と続
く神官の系譜という考えに疑いを持つものでさえも、数学的にはこれに反論の余地がない
ことを認めざるをえないほどなのだ。
59:、
08/12/11 16:41:56 qYKpzo6m
著者の二人は、今ひとつ興味深い結論に達している。2人は、コンピュータに、紀元前1万50
0年には、春分点が一体どこにあったのかを訊ねたのだ。答えは次のようなものだった。「そ
れは、紀元前2500年の位置よりも、111・11度東の位置にあった。紀元前250
0年には、天の川の右岸に近い位置、おうし座とヒヤデス星団の頭の部分にあったが、その8
000年前には、しし座の後ろ足の真下にあった。」
もしも、これに相当する「地上の存在」があるとしたら、スフィンクスの後ろ足の地下に何か未
発見の秘密があることを暗示しているようには思えないだろうか。棺文書には、「封印され
たルもの、暗闇にあり。周りを日が囲むその物は、オリシスよりの流れを内包し、それはロスタウに
措かれたり」とある。スフィンクスの後ろ足にある地下室に置かれているというその「隠された
る物」とは、古代エジプト人に関する私たちの知識を根底から変えてしまうような「宝物」
であるという可能性はあるだろうか。エドガー・ケーシーは、20世紀が終わりに近づく頃、スフィ
ンクスの地下に「記録の殿堂」が発見されると予言した。ハンコックとボーヴァルは、スフィンクスに近づく
ことができるのは「正規のエジプト学者」たちだけが、彼らは今これを調査する事さえして
いないのではないかと推測している。
このため、無理からぬ事なのかもしれないが、「創世の守護神」は疑問符で終わる。という
のも、コの遠い過去の探求の裏にある真の疑問とは、ただひとつ、それは一体どういう意味
があるのか、ということだからだ。私たちが認識しなければならないのは、エジプト人の
歳差運動に関する暗号についてのきわめて正確な知識をもってしても、私たちは彼らの偉
業に関する最も単純な疑問に対する答えにさえ、少しも近づきはしないということだ。彼
らが一体どうやって200トンもの重さの石を持ち上げたのかという、これ以上単純なも
のはないという疑問さえもである、、、、。
60:、
09/04/06 22:38:24 rMTUD+fs
,
61:出土地不明
09/05/28 14:04:46 g3WdahUo
ピラミッドはトランスフォーマーじゃねぇの?
変態してキンニクマンのサンシャインみたくなるんだよ。
62:,
09/06/09 09:51:53 G24brIIG
,
63:出土地不明
09/07/05 21:59:56 E+WwGcQL
>>61
キングピラミッダーに変形することは周知の事実。
64:出土地不明
09/07/22 10:00:07 KTa8olRr
前方後円墳が宇宙船であるという事実も隠されてるよなぁ
本当は、前円後方分が正しいんだが、悟られないように逆にしてある。
65:出土地不明
10/01/14 00:38:50 9OkyPcYM
高橋克彦の小説に確かあったよな・・・
66:出土地不明
10/01/16 18:45:27 VJhpMPIH
三十年くらいまえに、ビデオ屋に古墳は神々の宇宙船だというアニメイトがあったな
非常に見ごたえがあり、続編も出るとかで期待していたけれども、見ることできなかった
題名はなんだったかな?
続編はクライシス1999とかだったとおもう
67:出土地不明
10/01/17 22:30:57 l3+/bLex
↑単なるアニメの変換ミスです
68:出土地不明
10/03/10 10:28:06 zxGwjjct
「アニメイト」も「宇宙船」も同名の雑誌があるから、紛らわしいじゃまいかw。
69:。
10/04/22 20:40:09 5MbrEkyt
ピラミッドは、夜、空全部の星座のを測って記録するために、側面で角度を測るため
に作って(側面から水平に空を見て測る。)昼は、太陽の光の動きを見て日時計にし
て使ってたのではないかと思うのですが。船を逆さに埋めたのは、空が海みたいにな
ってると思ったのでは?と思うのですが。
70:出土地不明
10/06/13 08:32:30 Cfqxp1YD
ちょっとだけワロタ
71:出土地不明
10/07/14 02:02:20 2RkOxu3N
ばかじゃねえ?
あの下にマクロスの10倍位ある本体が埋まってるの知らねえの?
3大ピラミッドはソイツの艦橋部分がちょこっと突き出ちゃっただけだよ。