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第37回首を獲る話 精神科医・斎藤学
年明け早々に報道された2件のバラバラ事件についてはいろいろ考えさせられる。
バラバラにするのは持ち運びやすくするためと言うのはそのとおりだろうが、頭部の切り離しというところにひときわ関心が向いてしまう。
その行為に何か呪術的なものを感じてしまうのは私だけではないだろう。
あの2件の場合、兄の妹殺しにしても妻の夫殺しにしても、加害者と被害者の関係は愛憎こもごもの密着関係にあった。
兄は妹の奔放な生活や鋭すぎる母親批判を憎んでいたようだが、真偽不明ながら、殺した後で舐めたり頭を抱いて寝たり、そうかと思うと頭髪を刈りとったりしていたという報道がある。
一方、妻の方の殺意は、既に離婚を決意していたらしい夫を意のままにさせたくないという強い思いから生じていたように思われる。
殴り殺したこと自体は衝動的であったにしても、それから遺体を処理するまでの5日間にはいろいろ考えたことだろう。
胴体と下半身は住まいのごく近くの渋谷や新宿に無造作に放り出しているのに、頭部だけは土地勘がなかった(かに見える)町田にまで電車で運んで埋めている。詳しいことはわからないが、何かありそうだと思ってしまう。
首獲りという行為に愛憎が絡むということになると、連想するのはサロメである。皿に載せた洗礼者ヨハネの首を、美しい顔を幾分そむけながら見下ろしているサロメ。
ティッツアーノの絵が連想される。ヨハネを愛したのはサロメの母ヘロディアだ。
懸想を退けるヨハネを我が者とするためにヘロディアは夫であり、サロメの義父でもあるパレスティナ王ヘロデ・アンティパスにヨハネを捕らえさせた。
サロメを踊らせ、そのご褒美としてヨハネの首を所望させたのもヘロディアだったというのがサロメ物語である。
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