06/11/25 01:40:44 0
1922年 ローマ進軍でファシスタ党政権獲得
1924年 イタリア政府がソ連承認
ファシスタ政権は反共のはずなのに、24年にソ連承認した理由・背景は何なのでしょうか。
通商の希望、NEPに対する安心感、
がヨーロッパ諸国がソ連を承認した理由、と教科書にはありますが、
イタリアが、この時期にソ連を承認しているのは不自然な感じがします。
484:世界@名無史さん
06/11/25 09:46:53 0
>>483
基本的に教科書が指摘しているとおりで間違いないですよ。
前提として、後の世界がどうなるか解っているわけじゃないので、当時の視点で考えてください。
当時のソ連は、ポーランド侵攻で敗北し、軍事的には二流の国家とみなされていました。
次に、政治的にはネップが展開されて数年経過し、すでに急進的なボルシェビズムは放棄され、
西欧的な穏健社会主義へと政策を転換していると考えられていました。
イメージ的には、ベトナムに侵攻してボロ負けし、改革開放経済に転換して数年経過した中国と
いう感覚で見てください。
そこにあるのは、何をやるか予想のつかない強力な革命集団などではなく、経済の疲弊にあえ
ぎ、援助を求める巨大な潜在的市場、資源を豊富にもつ弱体化した国家であったわけです。
送れてきた資本主義産業国家であったイタリアは、資源の確保先や市場の確保を求めていた
わけで、イギリスやフランスがソ連の承認に踏み切り、通商を拡大しようとしているのを無視する
ことは出来なかったということですね。
485:世界@名無史さん
06/11/25 20:46:16 0
ドイツ・イタリアの統一のところで質問があります。
学校の先生はドイツはずーーとバラバラだったから、今になっても地方の
力が強く、州ごとに内閣がある。と言っていたので、なぜイタリアでは
そうなってないのですか?と質問したらお茶を濁されました。
なぜイタリア連邦共和国でなく、イタリア共和国なのですか?
486:世界@名無史さん
06/11/25 21:15:39 0
統一過程の問題じゃないのか?
プロイセンは他の領邦を征服したわけではなく、ドイツ帝国はもともと独立した領邦が集まった連邦国家だった。
サルデーニャは他の地域を割譲・住民投票・占領などで獲得したため、イタリア王国のときから連邦国家ではなかった。
487:世界@名無史さん
06/11/25 21:36:42 0
イタリアはイタリアで都市ごとにバラバラだけどね。
この辺り都市国家の寄せ集めというイメージが残ってるのかね。
488:受験生
06/11/25 22:09:25 0
大学入試過去問をやっていたら、
正誤問題で、つぎのような問がありました。
ビザンツ帝国で実施された軍管区制に関する正誤問題です。
「軍管区制の実施により、中央集権化がすすんだ」
これは、正しいでしようか、間違いでしょうか。
中央の支配力は後退したという文献もありますが、山川の教科書では
「中央集権化がすすんだ」とあります。
入試問題の性格上、二者択一ですから、悩んでいます。
よろしくお願いします。
489:世界@名無史さん
06/11/25 22:30:07 0
確かこんな経過だ。
7C世紀にスラーム勢力侵入。非常時のため軍管区をつくり、司令官に強い権限を与える
→軍管区司令官による反乱続発、すなわち中央権力が弱体化する
→8~9世紀、対イスラームの戦局が好転し、中央軍の強化や軍管区細分化で中央集権化し反乱が収まる
軍管区そのものは、地方軍の司令官に権限を与えるわけだから、軍管区制を実施すれば中央集権化するわけではない。
が、結局は軍管区制を施行したまま集権化するし、山川のように記述している教科書もあり、それに従って問題を作れば正解になるので微妙なところだ。
正解になるか間違いになるかは、問題を作った大学教員のレベルによって、異なるような気がするな。
あまり良い問題じゃないと思うので、気にしたり悩んだりしないほうが良いかも知れない。
490:世界@名無史さん
06/11/26 01:51:03 0
イタリアは風土や方言が地方によって異なるので郷土意識は強いですよ。
ただ政治体制として連邦制にならなかっただけ。
日本も連邦制ではないけど「お国自慢」が各県それぞれあって郷土愛がけっこう強い。
491:世界@名無史さん
06/11/26 05:07:49 0
>>488
凄まじい近視眼的回答(軍管区制→封建的制度 中央集権→皇帝の権力強化と読み替える)をすると×だと思うが・・・
489氏の言うとおり、テマ制自体の変化があるから、良い問題じゃないなぁ。
492:受験生
06/11/26 06:40:05 0
>>489
>>491
ありがとうございました。
493:485
06/11/26 09:42:46 0
>>485
>>486
>>487
>>490
ありがとうございました。イタリアも地方意識が強いが、統一過程で連邦制にはならなかった。
のですね。
494:世界@名無史さん
06/11/26 12:32:58 0
19世紀末に、中国分割が行われて
日、露、英、仏、独の勢力範囲が決定しますよね。
あの勢力範囲というのは、いつ無効になるのでしょうか。
資料集などを見ると、北伐の頃の地図には
日本以外の列強の勢力範囲は全く消えています。
ロシアは、日露戦争後極東から撤退し、
ドイツは、第一次世界大戦中に日本に山東省を奪われるので
この両国の勢力範囲が消滅するのは分かるのですが。
英仏の勢力範囲はどうなったんでしょうか。
考えられるのはワシントン会議なのかな、と思うのですが。
495:世界@名無史さん
06/11/26 13:13:05 0
>>494
会議とかではなく、アメリカの門戸開放政策にもとづく「通牒」を、日本以外が拒否しなかった
ことで、中国の門戸開放と領土保全の原則が認められた形になり、1900年以降、個別条約に
よる租借地そのものの存続は別として、後背地を勢力圏とすることは認められなくなった。
日本も、日露戦争前にアメリカがロシアの満州進出を領土保全の原則に反すると非難したこ
とで、アメリカの門戸開放政策方針に従うことになり、中国の門戸開放・領土保全についての
合意が形成された。
しかし、その後は日本が満州における利権の独占を試みてこの原則に反するとして非難され、
満州事変や日中戦争、さらにはアメリカとの軍事対立に至ることになる。
496:494
06/11/26 13:45:11 0
>>495
ありがとうございます。
ということは、教科書などに出てくる中国分割の地図は実は数年間しか
当てはまらないもの、ということなのですね。
大々的に出てくる割には、肩透かしな感じですね。
あともう1点。
では、第一次世界大戦中に日本がドイツの勢力範囲である山東半島を占領した、
というのは、あくまでも膠州湾と言う「租借地」とその周辺を占領したのであって、
もうその時には「ドイツの勢力範囲である山東半島」は存在しない、ということでよいのでしょうか。
497:485
06/11/26 15:28:55 0
もう一点ありました。普仏戦争でプロイセンはフランスからアルザス・ロレーヌと
賠償金を得たとありますが、地図帳で見るとアルザスとロレーヌの一部でした。当時
はロレーヌの範囲が狭かったのでしょうか?
498:世界@名無史さん
06/11/26 16:37:20 0
山東半島の南側のチンダオはドイツが租借して、北側の威海衛はイギリスが租借?
鉱山採掘権は南北全てドイツ?
499:世界@名無史さん
06/11/26 20:55:24 0
>>496
つか、清は原則として外国人の自由行動を認めていなかったのを、列強が力づくで
租借地をつくり、鉄道を引き、その周辺を勢力圏として認めさせていった完成の型が
歴史地図に出てくる中国分割図。
1900年の北清事変以降は、清が列強の進出に対抗する手段はなくなってしまった
わけで、アメリカが提唱して中国の領土は侵食しないかわりに自由貿易を認めさせ
たってことで、独占的な勢力圏は否定されても、鉄道利権や鉱山開発利権など、そ
の地域でそれまで活動してきた国は事実として優勢なのは変わらない。
日本は対華21ヵ条要求の中で、膠州湾の租借権とともに、ドイツが持っていた山東
半島での利権を要求して認めさせているから、事実上の勢力圏を引き継いだ形で、
結果的には、中国自身とアメリカやイギリスの反発もあり、返還することになる。
500:世界@名無史さん
06/11/26 21:13:37 0
こんばんは、質問です。
第一次世界大戦は、連合国側が「デモクラシー対オートクラシー」と意義付けていたと
いう記述を参考書か何かで読んだのですが、
これは「デモクラシー」が連合国で、「オートクラシー」が同盟国ということでしょうか?
このあたりについて詳しく教えていただけると幸いです。
どなたか教えて下さい。よろしくお願いします。
501:世界@名無史さん
06/11/26 21:24:38 0
>>497
アルザス・ロレーヌ(エルザス・ロートリンゲン)と総称されているけれど、ドイツ語住民が住んで
いたのは、アルザス全体とロレーヌの一部、現在のモゼル県。
普仏戦争でブロイセンに割譲されたのは、アルザス全体と現在のモゼル県に相当する地域で、
残りのロレーヌ地域はフランス領のまま。
ちなみに、アルザス出身のインテリお婆さんとちょっと話をしたことがあるけど「私のフランス語は、
あなたの英語くらいひどいもんだよ」と笑っていた。要するに母語はドイツ語、旅行時などは英語
で、南ドイツ在住のフランス人だけどフランス語は片言と身振り手振りでなんとか通じるかも、くら
いしか話せないとのこと。
ただし、お子さん達の世代はドイツ語とフランス語のバイリンガルだそうな。
502:世界@名無史さん
06/11/26 21:52:40 0
>>500
> これは「デモクラシー」が連合国で、「オートクラシー」が同盟国ということでしょうか?
それで正しいです。
第一次大戦は、なぜ発生したのかいまだに議論があるほど「誰も望んでいなかった戦争」なのです。
しかも、ヨーロッパ諸国、とりわけ英仏にとっては、第二次大戦と比べて比較にならない大量の戦死
者を出した悲惨な戦争でした。
このため、何のための戦争なのかを国民に説明する必要があり、たまたま同盟国側の政治体制が
ドイツ、オーストリア・ハンガリー、トルコとも、帝政であることを取り上げて、民主主義と専制軍国主
義との戦いと位置付けたということです。
もともと、政治体制の違いで対立していたわけではないですし、戦前は協商国側にもロシア帝国が
存在していたわけで、後から言い訳として持ち出した論理にすぎません。
503:世界@名無史さん
06/11/26 22:04:52 0
>>502
そうだったのですか。
詳しく説明して下さって、ありがとうございました。
非常にわかりやすく良かったです。
504:世界@名無史さん
06/11/29 15:09:30 0
第一次囲い込みと第二次囲い込みの違いって時代だけですか?
それとエンクロージャーと云う訳は共通なのでしょうか?
505:世界@名無史さん
06/11/29 15:35:33 0
>>504
第一次は羊の放牧地を確保する為
第二次はいわば国策としてノーフォーク農法を導入し集約的に農業を行う為
enclosure=囲い込み
詳しくは検索した方が早い
506:世界@名無史さん
06/11/29 15:51:55 0
17・18世紀の文化を勉強していて思ったのですが、
文学、絵画、建築は西欧の人物が中心なのに、
なぜ音楽はバッハ、ハイドン、ヘンデル、モーツァルトと、
ドイツ(オーストリア)が中心になるのでしょうか
もちろん、英仏にも作曲家はいるでしょうし、ドイツにも作家画家はいるでしょうが、
有名どころの分布が偏っているのが、何か気になります。
クラシック板ですべき質問かもしれませんね。
507:世界@名無史さん
06/11/29 17:18:12 0
>>506
音楽に関しては、たまたま日本の教育や日本人の趣味が交響曲や協奏曲に偏っているため
ドイツ系の作曲家が有名なってしまっただけ。
欧米では、むしろ歌劇(オペラ)こそが音楽の王道で、イタリアこそが中心地。有名な音楽家なると
イタリア系のヴェルデイ、ロッシーニ、プッチーニになる。
ドイツ音楽はドイツ人自身の評価としても田舎音楽とされ、歌劇を多く作り国境を越えて活躍した
モーツアルトはともかく、バッハは単なる音楽理論家とされ、ハイドン、ヘンデルを招いて高く
評価して国際的にしたのはイギリス、ぺートーペンなどは一部のマニアを除いて国際的には
根暗なワケワカメな音楽として評価されてなかった。
ドイツ音楽が評価され出すのはブラームス、ヴァーグナー、ワルツのシュトラウスが登場する19世紀から。
あと絵画に関しても、日本では印象派の人気があるのでフランス系画家に偏りがちだが
欧米では、16世紀から21世紀に至るまで、やはりイタリアこそ絵画を含め文学、建築、演劇、映画
あらゆる芸術の中心地と見なされることが多いようだ。
508:宿題丸投げと思われるがよろしく
06/11/29 19:42:06 0
74 名前: 世界@名無史さん [問題です] 投稿日: 2006/11/29(水) 19:24:30 O
①中国に最後まで植民地を保有していた国はどこか。
②香港がイギリスより中国に返還された際
50年は資本主義体制を保障するという制度を何というか
③ベルギー国王がアフリカに所有していた
「コンゴ自由国」の自由とはどういう意味か
又、この国を保有していたベルギー国王の名前を答えよ。
509:世界@名無史さん
06/11/29 19:44:38 0
>>508
丸投げというより、問題を出題しているつもりなのか?
自分でわからないから教えてほしいというのならまだしも、世界史板で「問題です」とか
書き込むようなレベルじゃないぞゴルア
510:世界@名無史さん
06/11/29 19:50:53 O
もういい、俺が答える
①ポルトガル 1999年に返還
②一国二制度
③国王が自由にできるという意味
ちなみに国王はレオポルドⅡ世
511:世界@名無史さん
06/11/29 19:52:42 0
自演乙
512:世界@名無史さん
06/11/29 19:58:21 0
>>510
いや、コンゴ自由国の「自由」は、国王(白人)が自由に統治できるという意味だと揶揄的に
いわれるが、命名の由来はもちろん違うぞ。
コンゴ地方は、ヨーロッパ列強の申し合わせで、自由貿易地域として指定されていたから、
ヨーロッパ各国の自由貿易を認める国という意味で「自由」国という名前になったのだが。
513:世界@名無史さん
06/12/01 20:58:56 0
週末アゲ
>>510-511
プ!
514:世界@名無史さん
06/12/01 21:24:55 0
何故スペインは近くのカタロニアの統治には手をやいているのに、海をヨイショと
越えたところの新大陸植民地の統治は上手くやっていたのですか?
515:世界@名無史さん
06/12/02 00:27:07 0
>>514
なによりも、人々の意識の違い。
インディオは白人には勝てないと思っていたし、植民者は本国を向いていた。
カタロニアは歴史的にスペインの中でも文化的な先進地域だったから、政治
的にカステリアの風下に立ったとしても、内心では自分達のほうが上と信じて
いた(る)。この手の人々を統治するのは至難のこと。
516:世界@名無史さん
06/12/02 00:32:58 0
植民地はまず軍事力で制圧した。
しかしいくらうまくやっているように見えても最終的には独立したからねえ。
カタロニアは独立までいかないから、かえって揉め事が残る。
517:世界@名無史さん
06/12/02 04:15:32 O
第一次世界大戦で日本がロシア,イギリス,フランスの連合国側で参戦した理由は何ですか?教えてください
518:世界@名無史さん
06/12/02 04:56:21 0
>>517
日英同盟を結んでたから
519:世界@名無史さん
06/12/02 05:21:08 O
>>518
ありがとうございます!!!!!!!!!!!!! !!!!!!!!!!!!!!!
520:世界@名無史さん
06/12/02 09:16:09 0
喪前ら、質問スレはアゲ進行ですよ!
521:世界@名無史さん
06/12/02 11:57:58 0
>>514
まず新大陸の文明はスペイン人が侵攻した段階で未だ青銅器時代のもので、
技術的に数千年の差があったので簡単に制圧されてしまった。
加えてユーラシアから伝播した伝染病に抵抗力が全くなかったので、
大量の人間が死滅してしまい、旧来の体制が極めて根源的な部分で崩壊してしまい、
植民地支配に甘んじる他なくなった。
522:514
06/12/02 21:04:09 0
なるほどなるほど。カタロニア人は精神的に屈服していないし、技術も高かったから
反発が強く、新大陸の人々は圧倒的格差の前にあきらめてしまっていたのですね。
ありがとうございまいsた。
523:世界@名無史さん
06/12/03 19:41:28 0
第ニ次世界大戦で日本がロシア,イギリス,フランスの連合国側で参戦しなかった理由は何ですか?教えてください
524:世界@名無史さん
06/12/03 19:48:15 0
>>523
枢軸国側のドイツ、イタリアと条約上の同盟関係にあったからなんだが、
この質問は単なるアラシなのかな?
525:世界@名無史さん
06/12/03 20:31:11 0
>>524
ありがとうございます!!!!!!!!!!!!! !!!!!!!!!!!!!!!
その同盟関係に満洲国や中華民国南京維新政府が加わらなかったのは残念でなりません
526:世界@名無史さん
06/12/03 21:01:47 O
5・15事件って何やったの?
527:世界@名無史さん
06/12/03 21:16:28 0
教えてくださいよ
イギリスの植民地料理だったカレーは日本に広まったのに、
フランスの植民地料理だったクスクスはなぜ日本に広まらなかったのでしょうか?
528:世界@名無史さん
06/12/03 21:17:03 0
>>526
日本史の質問は日本史板で。
世界史的に言えば、5月15日は初めてミッキーマウスが映画館で上映された日。
1928年のことだな。
529:世界@名無史さん
06/12/03 21:28:49 0
>>527
西欧の食品や料理が日本に導入され、普及したのは、明治時代になってから。
明治維新時にフランスは幕府側に付いたことと、普仏戦争の結果、フランスが
敗れたことから、明治政府はフランスからの技術導入には熱心でなく、陸軍は
プロシャ、海軍はイギリスを範とし、この両国への留学生も多く交流が盛んだっ
た。
このために、日常家庭料理としてのカレー料理がイギリス経由で日本に入り、
米飯との調和性のよさから普及することとなる。
フランス料理は、高級料理としてレストランのコック経由で入ってきたため、日常
家庭料理のクスクスは伝わりにくかったのと、クスクスの材料が特定の小麦粒
等の穀物であったため、米飯との調和性を欠いているので普及しなかったもの
と思われ。
530:世界@名無史さん
06/12/03 22:19:53 0
ありがとうですよ
531:世界@名無史さん
06/12/04 02:07:10 0
晋、秦、新、清の読み方がすべて「しん」で非常に紛らわしいのですが、
先生が口頭で説明するときに「きよい清」などの通称で呼ぶことがあります。
ほかのものについてもそれぞれ通称があれば教えていただきたいです。
532:世界@名無史さん
06/12/04 02:10:30 O
通称の意味分かってる?
533:世界@名無史さん
06/12/04 02:25:07 0
晋は「すすむ晋」、秦は「はた秦」。
新は「王莽の新」かな?
534:世界@名無史さん
06/12/04 11:59:40 O
普通に「春秋の晋」とか「司馬氏の晋」、「始皇帝の秦」、「満州(女真)族の清」と覚えたほうが、数倍ましな気がする。
535:世界@名無史さん
06/12/04 12:29:54 0
1096年、教皇ウルバヌス2世の呼びかけに応じたヨーロッパ中の騎士たちは、
聖地イェルサムへ行軍し、奪還した。
世に言う第一回十字軍である。
十字軍の遠征ではあらゆる階層の人々の思惑が交錯し、
またそれによって、たくさんの人々の血が流れた。
宗教による対立。威信や、権益をめぐる争い。
人間とは、戦わずして生きていく事は、出来ないのでしょうか。
536:世界@名無史さん
06/12/04 12:50:59 0
中二病 乙
537:世界@名無史さん
06/12/04 12:53:50 0
>>536
僕は真面目に聞いているんです!
それが、歴史を学ぶ意義じゃないんでしょうか!
538:世界@名無史さん
06/12/04 13:23:40 O
争いは人の性。
どう付き合っていくかだよ。
「争いを無くす」という理想が、かえって争いを起こすという逆説もある。
539:世界@名無史さん
06/12/04 16:23:28 0
歴史=争いの記録 だからなあ・・・
540:世界@名無史さん
06/12/04 16:28:27 0
どうせなら、全ての中学生と高校生に対して、世界史検定試験を
国に要請しょう。そうすれば、全ての問題が解決します。
541:世界@名無史さん
06/12/04 16:29:16 0
どうせなら、全ての中学生と高校生に対して、日本史検定試験を
国に要請しょう。そうすれば、全ての問題が解決します。
542:世界@名無史さん
06/12/04 20:05:43 O
宋の文政政治の特色をどのようなものだったか説明お願いします(長所と短所、内政と外政をポイントにして)
あと宋が長続きしたことを留意してお願いします
543:世界@名無史さん
06/12/04 20:39:15 0
歴史と国語、どちらの勉強が大事でしょうか?
544:世界@名無史さん
06/12/04 21:13:33 O
両方
545:世界@名無史さん
06/12/04 21:26:47 0
>>542 >>543
とりあえず、自分の持っている教科書をきちんと読んで、書いていることを読み取れるレベルになってくれ。
話はそれからだ。
546:世界@名無史さん
06/12/04 23:49:35 0
>>535
十字軍当時の人は、異教徒をやっつけたら神が喜ぶと真剣に信じていたんですよ。
戦争はいつも「敵」を作り、それを倒すことこそ正義だと信じこまされます。
ブッシュがイラク戦争を始めるときもそうでした。
必ずしも「戦いが好きだから」始めるわけではありません。
547:世界@名無史さん
06/12/05 00:32:40 O
世界史が苦手でなかなか覚えられなくて友達に相談したら、教科書の範囲丸暗記しろと言われました。
世界史はどうやって暗記すれば効率いいですか?
548:世界@名無史さん
06/12/05 00:38:17 0
流れで暗記しろ
549:世界@名無史さん
06/12/05 00:43:22 O
>547
この板の歴史廃人ニートよりも、受験系の板で聞いた方がいいよ
550:世界@名無史さん
06/12/05 01:00:56 0
>>547
同じ話がちょうど「なんでも質問スレ」で出ているから参考にしてみれば?
世界史はあくまで「一般教養」だから深くなくてもいいと思う、暗記もそれほど必要ない。
この板でこれ言うと怒られるかもしれないけど関心持つ必要なんてそんなにない
てか日本史か地理(世界地理含む)を履修するからなんとなく高校社会科の勉強のコツは
つかめると思うんだが。カタカナ用語だって中学地理の序盤で理不尽にも教えられるし。
鳥取―梨、とか和歌山―みかんとか覚えたっていうか頭に入ったでしょう?
そんなこと全く興味がないのに。歴史は地理みたいに科学知を生活知にするのは難しいけど
流れをつかめばなんてことはないよ。中学地理で稲作とそうでない特色ある地域と気候との因果関係を
習ったように教科書レベルの知識はある程度の因果関係踏まえた流れを理解すれば何とかなる。
むやみやたら暗記するのは逆によくない。用語と年号だけ知っていてもトンチンカンな答えを導くことになるから。
551:世界@名無史さん
06/12/05 02:27:11 0
>>547
テスト対策なら受験板で聞いた方がいいぞ。
ここは基本的に歴史が好きな人の集まりなんだから。
丸暗記したけりゃ、ひたすら教科書音読+教科書を元に自分でノートを作る→それを音読、が王道。
敢えて付け加えるなら、長い「文章」(教科書なら段落単位)を暗記しろ。単語の暗記は効率悪い。そこは語学と一緒。
552:世界@名無史さん
06/12/05 04:41:27 0
質問です。
問題集に、穴埋め問題で「西ローマ帝国の滅亡に伴いローマ教会の東方教会からの分離傾向が強まり、
( )王国の成立はローマ教会の東ローマ皇帝権からの自立化を一歩進めることとなった。」
とあって、答えはロンバルドなのですが…
なぜローマ教会の自立とロンバルド王国が関係しているのか教えてください。
553:世界@名無史さん
06/12/05 07:07:19 0
>>550
ゆとり教育の学習指導要領では、小中学校で具体的な地名はあまり教えてはいけないことになっている。
今は高校に入った段階で、例えばフランスがどこにあるかもわからない人間が、いっぱいいる。
>>552
イタリアでは、
東ゴート王国→一時ビザンツ帝国が支配(ユスティニアヌス)→ロンバルド王国、の流れ。
つまり、ロンバルド王国の成立によって、イタリアにおけるビザンツ帝国の支配権が後退したから。
554:世界@名無史さん
06/12/05 08:14:21 O
>>547です
アドバイスありがとうございます。やってみます。
他の板も覗いてみます!
555:世界@名無史さん
06/12/06 04:42:04 O
荘園を経済基盤としーーーにより階層組織を持つ社会
というあなうめの問題のーーーの部分に入る言葉がわからなくて悩んでるんですけど誰かわかる方教えて下さい。
556:世界@名無史さん
06/12/06 06:12:45 0
いつのどの地域の話だ
問題もっと丁寧に書け
557:世界@名無史さん
06/12/06 17:23:10 0
百年戦争のところでフランスはサリカ法だから男性長子相続だと習いましたが、以前ユーグ・カペーは貴族たちに選出されたと習いました。
いつ選挙王制からサリカ法に変わったんですか?
それともユーグ・カペーのときはカロリング朝が断絶してしまったから緊急措置として選挙しただけなんですか?
558:世界@名無史さん
06/12/06 23:24:58 0
30年戦争においてもジェームズ1世は議会と対立した理由は何でしょうか?
回答は『ジェームズ1世は長女エリザベスを~にもかかわらず~』ってなってるんですが、
~には何がくるんでしょう。
559:世界@名無史さん
06/12/07 04:16:12 0
>>557
>サリカ法
サリカ法は元々、家産の相続に関する部族法で、王位継承には関係なかったが、
英王エドワード3世による女系を通じた仏王位継承要求を退けるために、
百年戦争の期間中(≒シャルル5世朝)に持ち出され、
王位継承に関するフランスの根本法として再解釈された。
>いつ選挙王制からサリカ法に変わったんですか?
ポスト・カロリング期のフランスの王位継承は
世襲原理(≒同一家系内での継承)+選挙原理(≒有力諸侯による同意)
(+教会による聖別原理)
の微妙な組み合わせでやっていた。
選挙原理が衰えて、世襲原理が完全に確立するのはフィリップ尊厳王の頃とされる。
ちなみに、
>ユーグ・カペーは貴族たちに選出された
とされるのは、
カロリング家傍流との対抗上、カペー家は、
世襲原理のみに拠っていては不利は否めないので、
ことさら選挙原理が持ち出されたという事情がある。
図式化すると、
初期カペー朝・・・選挙王政の要素がプラスされた世襲王政
後期カペー朝・・・事実上の男系長子相続による世襲王政
ヴァロワ朝・・・サリカ法によって強化された男系長子相続による世襲王政
560:世界@名無史さん
06/12/07 04:42:27 0
>>558
>『ジェームズ1世は長女エリザベスを~にもかかわらず~』
「・・・エリザベスを、神聖ローマ帝国内における新教陣営の盟主である、
ファルツ選定侯フリードリヒ5世に嫁がせたにもかかわらず・・・」
となるんじゃないかな?
>30年戦争においてもジェームズ1世は議会と対立した理由は何でしょうか?
フリードリヒとの姻戚関係にも関わらず、
ジェームズが大陸への不介入政策を追求したため。
この不介入政策は、議会内で力の強かったプロテスタント強硬派を刺激した。
ちなみに、
そもそも不介入政策を取らざるをえなかったのは、財政的余裕が無かったため。
というか、軍備拡張案が議会の抵抗にあったためでもある。
議会側の要求は、「タカ派的外交政策+緊縮財政政策」という
なかなかに両立の難しいものであった。
ちなみに次代のチャールズ1世は、
スペイン(及びフランス)への出兵に失敗して前者に躓き、
結果、後者にも失敗して内乱への道を開くことになる。
561:世界@名無史さん
06/12/07 21:44:43 0
>>560 詳しくありがとうございました。
562:世界@名無史さん
06/12/07 23:10:11 0
喪前ら! 質問スレはage進行でつよ。
563:557
06/12/08 13:45:47 0
>>559さんありがとうございます。もう少し質問させてください。
>カロリング家傍流との対抗上
ということは、カロリング朝が断絶したからユーグ・カペーが王になったというのは間違いですか?
>選挙原理が衰えて、世襲原理が完全に確立するのはフィリップ尊厳王の頃とされる。
「とされる」ってことは、選挙しなくなったのがいつなのかは明確にはわかってないってことですか?
あとフランスの選帝侯(帝じゃないけど)って誰?
564:世界@名無史さん
06/12/08 22:17:38 0
>>563
>カロリング朝が断絶したからユーグ・カペーが王になったというのは間違いですか?
カロリング正系断絶の時点で、
カロリング家最後の王ルイ5世の叔父にあたる下ロレーヌ公シャルルというのがいて、
これがユーグ・カペーの対抗馬だった。
またユーグの家系で彼が初めて王に選ばれたというわけではなく、
ユーグの祖父ロベール1世、その兄ウード、ロベール1世の女婿ブルゴーニュ公ラウールは、
カロリング正系に対抗する形でそれぞれ王位に就いている。
だから987年の時点で、ユーグがぽっと出の新人であるというわけではなかったし、
どうしてもカロリング家の王でなくてはならないというわけでもなかった。
565:世界@名無史さん
06/12/08 22:19:11 0
>>563
>選挙原理が衰えて、世襲原理が完全に確立するのはフィリップ尊厳王の頃とされる。
これは書き方がまずかったです。
「有力諸侯の同意を前提とせず、前王の長子がそのまま次の王になるというような慣行が定着するのは尊厳王の頃」
ということです。
当時の「選挙」は、現在のように制度化されたものではなく、単なる「有力諸侯の同意」です。
また、対立候補が出てくる形の「選挙」はユーグ・カペーの時だけですから、
「緊急措置」という理解もまるっきり外れているわけではありません。
(同様に、カペー朝・ヴァロワ朝交代期に、もう一度このような「選挙」が重要な意味を持つようになる。)
また、制度化された「選挙」ではありませんから、選定侯のようなものもありません。
(ドイツでも選定侯の制度が確立するのはかなり後になってからでしょう。)
566:世界@名無史さん
06/12/08 22:23:30 0
>>563
参考までに「フランス中世政治権力構造の研究」、渡辺節夫、東大出版会、1992年
の中から抜き書きしときます。これで勘弁して。
↓
一般に西フランク(フランス)では、カロリング王権の衰退の下で、9-10世紀に選挙制が導入されたとされている。
正当な首長を見出すための密やかな啓示であり、総ての権力の正当な源泉と見なされたこの選挙制はカペー王朝成立以降も維持されたと考えられてきた。
これに対し、歴代のカペー王は、選挙の偶然性を避けるべく、
生前に自己の嫡子を次代の王として聖別させることにより、事実上の世襲的継承を実現し、
やがて世襲制が制度として確立するに到ったと考えられてきたのである。
しかし最近では、この選挙制は初発からさほど厳格なものではなく、
9世紀末以降ユーグ・カペーの即位に到る、約1世紀に渡るカロリング家とロベール家(※ユーグのご先祖たち)の王位をめぐる抗争の下で、
王に相応しい適性を有する家系の成員の中から最も有能な者を選ぶ
という意味に限定されていたことが指摘されている。
(中略)
この名目上の選挙制の原理と事実上の世襲的継承というアンチノミーは聖別の儀式にも反映している。
即ち、候補者は先ず
1.大諸侯たちの同意を前もって得た後、
2.ランス大司教により"王に選出され”、次いで、
3.塗油と戴冠を受け、その後、
4.ランス大司教座聖堂を埋め尽くした”大小の人々”の歓呼による賛同を得るというものである。
(中略)
この選出行為を含む聖別の日からその王の治世が始まるという形が約2世紀間(987-1179年)つづくことは、
形式的であれ、選挙制の原理が生きていたことを示すものである。
しかしフィリップ2世の子ルイ(後のルイ8世)の王位継承に際し、画期的な変化が起こった。
父王の生前に次王の聖別を行う慣行は放棄され、前者の死後に後者の聖別が行われるようになったのである。
↑
同じ著者の「フランスの中世社会 王と貴族たちの軌跡」、吉川弘文館、2006
にも選挙制と世襲制の問題が触れられています。
567:世界@名無史さん
06/12/11 16:04:50 O
夏の政府について教えてください
568:世界@名無史さん
06/12/11 17:39:41 0
1858年 東インド会社解散イギリスの直轄統治
1877年 インド帝国成立
1858~77年と1877年以降で何が変わったんですか?
統治方法の違いがイマイチピンとこないんです
569:世界@名無史さん
06/12/11 19:32:21 0
インド帝国というのは、英国王がインド皇帝を兼ねたことで生まれた国号であり、
皇帝号のあるなしに関係なくインドは1858年以降、英本国の直轄統治。
570:世界@名無史さん
06/12/11 22:13:55 0
>>567
クールビズとかやってるよね
571:世界@名無史さん
06/12/12 14:59:39 0
同君連合とは違うの?
572:世界@名無史さん
06/12/13 23:31:49 0
銀経済圏、金経済圏、金本位制などを勉強していて思うのですが、
なぜ、人間は金などの「貴金属」に普遍的な価値を見出すのでしょうか。
○○民族は金(gold)に価値を見出さない、ということがあってもいいと思うのですが。
金塊を持っていてもお腹は一杯にならないし、
他の人が価値を認めなければ、単なる石ころです。
もっとも、自分も管理通貨制の現代社会で、紙切れに過ぎないお札を妄信してますがw
573:世界@名無史さん
06/12/13 23:37:59 0
>>572
君は「綺麗・美しい」というのは、価値があることだとは思わないのか?
貴金属は美しい装飾品の原料としての価値がある。
もしかしたら、貴金属に価値を見いださない民族もあるかもしれないが、
カラスでさえ、きらきら光るものを集めるという現とした事実があるのだが。
574:世界@名無史さん
06/12/14 00:23:16 0
>>572
貴重性が価値の根源になる事はある。
有名なのは、南洋の石貨だね。
575:世界@名無史さん
06/12/14 00:39:38 0
>>572
蛇足。商業民族(シナとかアラブ)はそういう傾向が強いらしい。
576:世界@名無史さん
06/12/14 00:44:11 0
ガリバヴァー旅行記はイギリスへの批判が含まれたと習いました。
一見穏やかに見えるリリパット王国では、ここのところ2つの国難を抱えてるという。
1つは、長い間、トラメクサン党(1)とスラメクサン党(2)という2つの政党が激しく争っているということ、
もうひとつは隣国のブレフスキュ国(3)との関係が悪化しているということ。
リリパット国では、元々卵を食べるとき、大きい方の端から食べることになっていたが、現皇帝の祖父(4)が子供であった頃、
大きい端から卵を食べようとして、指に怪我をした。それがきっかけで、大きい方の端から食べるやり方(太割党)(5)が禁止された。
国民はこの問題をきっかけに反乱を起こし、そのためにある皇帝は命を失い(6)、ある皇帝は地位を追われた(7)。
実は背後で糸を引いていたのがブレフスキュ国の国王(8)で、内乱が鎮圧されると反乱者はいつもブレフスキュに亡命するのだった。
リリパット国では太割党のメンバーは役人になることも禁じられている(9)という。
ガリヴァーはリリパットに加勢して、ブレフスキュとの戦争に勝利した。
するとリリパットの皇帝は、ブレフスキュを支配し、その人民に卵の小さい方の端から割らせ、(10)自分は全世界の唯一人の
君主になろうと計画する。しかし、ガリヴァーはそのような計画には反対するのだった。
↑のようなガリヴァー旅行記の大まかな内容が載ってたんですけど、(1)~(10)が何を指すのかわからないのでどなたか教えてください。
1はトーリー党、2はホイッグ党、3はフランスだと思うんですけど・・・よくわからないのでどなたかお願いします。
577:世界@名無史さん
06/12/14 00:45:08 0
金はさびない、腐らない。だから価値が持続する。
578:世界@名無史さん
06/12/14 01:02:44 0
>>576
岩波文庫(平井正穂訳注)で確認しました。
4)ヘンリー8世
5)ローマ・カトリック教
6)チャ-ルズ1世
7)ジェイムズ2世
8)ルイ14世
9)審査律(審査法)
10)プロテスタンティズム(の強制)
1)2)は政治的にはトーリー、ホイッグだが、
宗教的にはハイ・チャーチ、ロー・チャーチである、
ということだそうです。
579:世界@名無史さん
06/12/14 01:07:01 0
>>578 お早いレスありがとうございます。助かりました。
580:世界@名無史さん
06/12/14 23:40:08 0
センター世界史の95年度の追試で、こんな問題がありました。
第3問 問1
次のうち誤っているものを一つ選べ
①略
②略
③ソクラテスがソフィストとして活躍した
④ゼノンは心の平静を主張した
③と④は両方とも誤りですよね?
581:世界@名無史さん
06/12/14 23:44:33 0
とりあえず略すな
582:世界@名無史さん
06/12/14 23:51:12 0
>>581
問1 下線部①(古代ギリシア人は、文化の分野でも独創的な活動を行った)に関連して述べた次の文①~④のうちから、誤っているものを一つ選べ。
①貴族が政治の実権を握っていた中で、ヘシオドスは、『労働とヒビ』 を書いて勤労の尊さを主張した。
②貴族性から民主制への過渡期には、抒情詩が盛んとなりサッフォーのような女性詩人も現れた。
③民主制の発展とともに、弁論術の必要性が高まり、ソクラテスなどのソフィストが活躍した。
④ポリスが衰退したヘレニズム時代には、個人の心の平静を追及するゼノンラの哲学が盛んになった。
583:世界@名無史さん
06/12/14 23:52:16 0
×ヒビ → ○日々
584:世界@名無史さん
06/12/15 00:00:59 0
×ゼノンラ → ○ゼノンら
585:557
06/12/15 19:08:23 0
>>564-566
お礼が遅れてすいません、ありがとうございます。
なんだかしつこいようで申し訳ないんですけど、
「有力諸侯の同意」って具体的にどういう感じなんですか?
ドイツの選帝侯だったら、決まってる人がどっかに集まって投票とか挙手とかしたんだろうなあって想像つくんですけど、
手紙を出して「俺で良いか」って聞いたとか?
あ、でも、
>父王の生前に次王の聖別を行う慣行
ってことは、王子を次期国王に任命してみせて、どこからも文句が来ないってことを確認したのでしょうか。
586:世界@名無史さん
06/12/20 05:46:01 0
マドラサとニザーミーヤ学院の違いがイマイチ分かりません
ニザーム=アル=ムルク時代に建てられた学院を特別にニザーミーヤ~と呼ぶ
ってことでいいのでしょうか?
587:世界@名無史さん
06/12/20 08:21:50 0
>>586
ニザーム・アル=ムルクが創設したマドラサのことを一般に
「ニザーミーヤ学院」(al-Madrasa al-Nizamiya)と呼んでいる。
勿論、マドラサ自体は10世紀頃にホラーサーン地方で発祥したようだが、
ニザーム・アル=ムルクがニーシャープールにはじまり、バグダード、イスファハーン、
レイなど各主要都市に建設したため、その後のイスラーム世界で君主や有力者たちは競って
モスクなどに附随してマドラサという施設を建設する事が一般化した。
建設者に由来して「ニザーミーヤ」と呼ばれているのであって、他の人物が建設した場合は
無論違う人物の名前が冠せられる。
例えば、ザンギー朝の君主ヌールッディーン・マフムード・ブン・ザンギーがアレッポや
ダマスクスに建設したマドラサはヌーリーヤ学院(al-Madrasa al-Nuriya)と呼ばれる。
588:世界@名無史さん
06/12/20 16:35:38 0
>>587
丁寧な説明どもでした
589:世界@名無史さん
06/12/23 14:38:42 0
冬休み中に世界史に関する本を読んで、
感想を書けとのことなのですが、
お勧めの本を教えてくださいませんか?
590:世界@名無史さん
06/12/23 15:50:28 0
ローマ帝国衰亡史 ビザンツ編
591:世界@名無史さん
06/12/23 16:00:35 0
バカな質問だとは思いますがずっと悩んでいるので教えて下さい。
フランス・ブルボン朝のルイ14世の奥さんのマリア=テレジアと
オーストリア継承戦争、七年戦争で有名なマリア=テレジアって同じ人ですか?
別人ですか?
592:世界@名無史さん
06/12/23 16:51:17 0
ルイ14世の奥さんはスペイン生まれのマリア・テレサ。
読み方によってはテレジアになるけど別人。
593:世界@名無史さん
06/12/23 16:51:39 0
他人に聞く前に年代が合わないことに気がつかないのか?
594:世界@名無史さん
06/12/23 17:15:30 0
>>592
どうもありがとうございます。
やっと解決しました。
>>593
気付いていました。
だからこそ教科書なのに同じ名前で書いてあるのは変だなって思ったんです。
595:世界@名無史さん
06/12/23 17:51:46 0
URLリンク(www2u.biglobe.ne.jp)
URLリンク(www2u.biglobe.ne.jp)
596:世界@名無史さん
06/12/23 22:43:39 0
>>590
ありがとうございます!
597:世界@名無史さん
06/12/24 01:12:01 0
>>591
もちょっと補足して置きます。
「オーストリア継承戦争、七年戦争で有名なマリア=テレジア」は通常
「オーストリアの女帝」と言われる人。
オーストリア・ハプスブルク家の当主で若くしてハプスブルク家を継いで
オーストリアを統治し名君と言われるようになりました。
娘の一人がフランス王妃マリー・アントワネットで、オーストリアとフランスの和平のために
政略結婚させたもの。
夫は神聖ローマ帝国皇帝フランツ・シュテファン。
普通「マリア・テレジア」というとこちらの人を指します。
世界史上の重要人物なので覚えて置いてください。
598:世界@名無史さん
06/12/24 01:50:45 0
>>596
>>590はおそらく罠だ。
599:世界@名無史さん
06/12/24 01:52:17 O
せ、世界史の教師かよ!オメーはよォ――ッ!
600:世界@名無史さん
06/12/24 01:53:55 O
>>589
漫画でいいなら手塚治虫のアドルフに告ぐとかね
601:591
06/12/24 02:00:27 0
>>597
返事が遅れて申し訳ございません。
大変参考になりました。
しっかり覚えておきます、どうもありがとうございます!
それから何度も教科書を読み返すと自分の質問が相当アホだったことに気付きました。
恥ずかしいです・・・。
602:世界@名無史さん
06/12/24 02:41:37 O
砂糖法により密貿取り締まりが強化されることになぜ怒るのでしょうか?
あと印紙法で怒るのもピンときません。
これら以前に植民地の人たちはルイジアナがイギリスの手中なので重税を我慢していたそうですがなぜルイジアナを気にかけるんですか?
多くてすいません
よろしくお願いします
603:世界@名無史さん
06/12/24 02:47:48 0
砂糖を多く使うのは京料理では敬遠される。田舎くさい味だといわれるからだ。
しかし、おいしんぼによると、長崎では砂糖をガッツリ使った料理が喜ばれるらしい。
だからこそ、復帰前の沖縄人は台湾との密貿易に精を出したわけだ。
世界で始めて活版印刷を実現したのがウリナラだということをはlfはおいっふじこfsじょfぐえをtふぇ
ルイジアナは服部和巳くんが射殺された土地だから、気になるんだよ。
全部返事してやったんだからもう一度あやまれ。ついでに性器見せろ。
604:世界@名無史さん
06/12/24 02:53:02 0
かずみ?剛丈君だろ
彼がロドニー・キングに頃されて、もう何年になるだろう
605:世界@名無史さん
06/12/24 04:41:22 0
いくらハロウィンとは言え無防備すぎだろ服部君。友達も止めたのに。
606:世界@名無史さん
06/12/24 08:44:04 0
>>601
同姓同名の人はどこにでもいるからね、同じ名前でも時代が違えば、
同姓同名の別人だよ。
まあ、そこに言葉ごとの発音の違いで、カタカナ表記が違ってきたりもするし面倒だけど。
ちなみに、逆にスペイン王カルロス1世と神聖ローマ皇帝カール5世や、
オラニエ公ウィレム3世とイングランド王ウィリアム3世とかは、
カタカナ表記は別だけど、同一人物だったりする。
607:世界@名無史さん
06/12/24 18:01:17 O
詳説世界史にはドルショックとオイルショックで先進国の経済交代云々とありますが二つのショックが同時
期に起きたこと自体にはなんの相関関係もないのでしょうか?
608:世界@名無史さん
06/12/24 20:01:41 0
>>603
氏ね
609:世界@名無史さん
06/12/24 20:35:04 0
何故クリスマスが日本に普及したのですか?
男子校のオレにとっては悪魔の日だ
610:世界@名無史さん
06/12/24 20:53:47 O
男同士のクリスマスもまた味のあるものだと思わんかね
俺は思わない
611:世界@名無史さん
06/12/24 20:57:01 0
>>609
男子校ならホモになればラブラブ。
612:世界@名無史さん
06/12/25 00:16:44 0
戦後、豊かなアメリカに憧れてアメリカの真似をするのがオサレだったから。
昭和ヒトケタ生まれの私の母は戦争が終わるまでクリスマスなんてものは
知らなかったそうな。
それからクリスマスが「恋人と過ごす日」に特化されたのはバブル全盛の時期。
あのころは日本中が狂乱して高級レストランや高級ホテルに押しかけ
高価なプレゼントが飛び交い、誰もがそれに乗っかろうとして浮かれていた。
言っとくけど、クリスマスはキリストの誕生日であって、恋愛とは何の関係もない日。
恋人がいなかったら教会へ行って静かにお祈りでもしてなさい。
613:世界@名無史さん
06/12/25 00:22:05 0
キリスト教徒でも無いのにか?荘厳な雰囲気に溶け込むのはいいが、そんな事してる暇があるなら勉強しろ。
614:世界@名無史さん
06/12/25 01:43:30 O
仏図澄が洛陽にやってくるまでにどんなことがあったかご存じの方は教えてください。
615:世界@名無史さん
06/12/27 16:02:44 0
うえへまいりまーす
616:世界@名無史さん
06/12/27 21:48:27 0
ユダヤ人が聖書を幼い頃から全部覚えさせられたのが
載ってるサイト教えて。
617:世界@名無史さん
06/12/27 22:41:15 0
いやだ。
618:世界@名無史さん
06/12/27 23:03:46 0
ほかの人おしえて。
619:り
06/12/28 00:28:11 O
フランス革命時の普通選挙制と制限選挙制の違い教えてください
620:世界@名無史さん
06/12/28 00:29:06 0
第一次世界大戦でもしアメリカがドイツに宣戦布告しなければ、ドイツはイギリス・フランスに勝てた
っていう仮定は成り立ちますか?
もしドイツが戦争に勝利していたら世界がどうのような構図になっていたのかも知りたいです。
621:世界@名無史さん
06/12/28 00:30:03 0
歴史にIFは無いよ
622:世界@名無史さん
06/12/28 00:36:11 0
あぁ やはりそうですか・・w
623:世界@名無史さん
06/12/28 01:31:17 0
どちらかというとそういう質問は軍事板か?
まぁ結局たどり着くのは「勝ったかもしれないけど、負けたかもしれない」だと思うよ。
624:世界@名無史さん
06/12/28 19:24:39 0
ジェントリというのは、中国における豪族的な士大夫のことなのでしょうか。
また士大夫というものに関して、今まで知識人層という認識があったのですが、それ以上に軍事力を持った豪族としての面が強いのでしょうか。
それとも両要素とも切り離すことの出来ない士大夫の構成要件なのでしょうか。
625:世界@名無史さん
06/12/28 20:41:12 O
メルセン条約で西ローマ帝国はなくなったんですか?
626:世界@名無史さん
06/12/28 20:42:25 0
>>624
士大夫は主に宋代以降の知識人を指すが、「儒教的教養を備えている」ということに
焦点を当てた言葉なので、軍事力は構成要件ではない。
627:世界@名無史さん
06/12/28 22:07:40 0
>>624も>>625も答えにくいな。
>>624の1行目
「ジェントリは士大夫のことか」(同様のものか)と聞かれたら、「違う」としか答えようがない。歴史的背景も性質も違う。
>>625
「西ローマ帝国」をどういう意味で使っているかによる。とりあえず、西ローマ帝国は476年にすでに滅んだ。
「カール大帝の国がなくなったのか」であれば、分裂した時点で、すでに実態としてはなくなっている。
「西ローマ皇帝の称号が使われたか」であれば、wikiの「ローマ皇帝一覧」の「フランク・ローマ帝国」の項を見ればわかる。
というか、西ローマ皇帝の称号だけで考えれば、神聖ローマ帝国も勘定に入ってしまう。
628:世界@名無史さん
06/12/28 23:14:52 O
ムスリム商人とイスラム商人って違うんですか?
629:世界@名無史さん
06/12/29 00:38:35 O
高校二年のカズヤと言います。
南京大虐殺について質問ですが、
Q1人民軍を除いた当時の南京の総人口
Q2被害者数30万人の内、戦闘員は含まれているのか?
Q3死体の処理方法
Q4その際、日本兵による家宝や貴重品等の略奪は?
また、本土に持ち帰った戦利品等の話はありますか?
また何故、右翼団体は共産党よろしくイチ政党とし得ないのですか?
思想は正しいのに、在日が迷惑な街宣をするお陰で説得力を無くすのには
わざとらしく見えますが何か訳があるのですか?
日本一の正論を解いているのに‥不思議です
630:世界@名無史さん
06/12/29 01:19:41 0
>629
本屋に沢山あるから立ち読みでもしなさい。
631:世界@名無史さん
06/12/29 02:57:24 0
>>628
ムスリムとはイスラームを信奉している人の事を指すので、同義と見て差し支えないです。
質問です。
ヒトラーの国家社会主義論と、スターリンの一国社会主義論ではどこが最も大きな違いとなるのでしょうか?
いずれも独裁(といっても、後者は最高会議という機関があったわけですが)という点では違いは無く、
ナチズムにおけるゲルマン至上主義と相対してスターリニズムにおいてスラブ至上主義があったのか?
その辺りの事をお聞かせ下さい。
632:世界@名無史さん
06/12/29 08:52:52 0
>>626-676
有難う御座いました。新しく質問なのですが
清朝末期から国共内戦間において活動した団練等の私兵集団はその後どうなったのでしょう。
国民党の武備学堂新軍ないし中国赤軍に吸収統合されたのでしょうか。
633:世界@名無史さん
06/12/29 08:57:53 0
>>631
国家社会主義と一国社会主義は土俵が違うのではないでしょうか。
国家社会主義は国内政策思想であり、一国社会主義は有り体に言えば世界における革命勢力の存立に関する思想だと思います。
また、ヨシフ・スターリンもスラブ系とは言え主流であるロシア人ではなくグルジア出身であることや、その後のソ連における民族融和に関する事象からみても
スラブ至上主義といったものは無かった、もしくはそれ程大きな勢力では無かったのではないでしょうか。
僕も一受験生に過ぎないので、識者様の御解答を待つ所存です。
634:カラジチ ◆mWYugocC.c
06/12/29 17:20:05 0
スターリンはあまり知らないけれども、スラヴ至上主義なるものがあったとは聞いたことないな。
革命によって民族・文化的差違が消えてくって主張したマルクスの系譜を引いている以上、
あまり民族主義は前面に押し出しにくいと思う。
ただロシアがソ連において最重要の位置を占めていたのは間違いない。
例えば行政言語がロシア語だったりしたせいで少数民族言語が危機に瀕したりとか。
ヒトラーはナチスの組織化の上で共産党を参考にしたらしいので、形態上ソ連と似ているのはしょうがないと思われ。
635:世界@名無史さん
06/12/29 22:42:05 0
スラブ至上主義に繋がったわけじゃないが、民族識別工作みたいなことやって民族を大量生産したのもスターリン時代じゃなかったっけ?
636:世界@名無史さん
06/12/29 23:53:40 0
>>623
亀レスだが、確かドイツが勝つ可能性(ドイツは勝てた、ということ)を論考した本があったな
残念ながらタイトルやら著者やら忘れてしまったが…
637:世界@名無史さん
06/12/30 00:05:06 0
>>633
どうしてグルジアがスラヴ系なんだよ。
638:世界@名無史さん
06/12/30 00:05:17 0
>>636
かの名著、マーチン・ファン・クレフェルトの『補給戦』を読む限りでは、
マルヌ会戦でドイツ軍が勝っていたとしても、補給の問題から、
いずれは国境線近くまで戦線が押し戻されるのは不可避だったように思う。
そうなってしまっては、ドイツの勝ち目はなかっただろう。
(痛み分けには持ち込めたかもしれないけど。)
639:世界@名無史さん
06/12/30 00:10:22 0
>>638
正直俺も勝てたとは思わないな、実際あの本も目にしただけで読んでないし
年明けにでもさらっと見てみることにする
640:世界@名無史さん
06/12/30 00:12:48 0
>>637
グルジアがスラヴなんじゃなくて同志スターリンがスラヴなんじゃまいか
641:世界@名無史さん
06/12/30 17:49:03 0
>>632
すべて日本軍との戦闘でその若い命を散らせました。
642:世界@名無史さん
06/12/31 02:26:47 0
質問を2つお願いします
①中国の仏教について
中国に仏教が伝来したのはおよそ紀元前後となっていますが、
大乗仏教が成立したのはクシャーナ朝のカニシカ王のときですよね
矛盾してるように感じます
②スターリン批判について
スターリン批判がなぜハンガリーやポーランドの反ソ暴動につながるのか
つながりがわかりません
643:世界@名無史さん
06/12/31 12:38:23 0
漢に伝来した仏教は大乗以前のものと考えれば?
644:世界@名無史さん
06/12/31 20:01:18 0
>>644
大乗仏教の成立はクシャーン(クシャーナ)朝ではありません。
マウリア朝のアショーカ王の時に仏教が大きく変貌し始め
その死後教派が分裂したことに始まります。
カニシカ王の時にその全盛期を迎えたということです。
中国に仏教が伝来したのは諸説ありますが、後漢のころ、
1世紀後半とみていいと思われます。
仏教は中央アジア経由で中国へ入りましたが、中央アジアでは
小乗仏教・大乗仏教共にさまざまな経典と共に入ってきており、
中国へは中央アジアの言葉に訳された経典と共に入ってきたと
見られます。
大乗仏典の経典は1~2世紀ごろから現在に伝わる主要なものが
書かれており、中国での仏教の受容が最初はいつだったかはともかく、
3~4世紀ごろには大乗仏典が盛んに訳されて入ってくるようになり、
大乗仏教が中国の主流になりました。
645:カラジチ ◆mWYugocC.c
07/01/03 09:07:25 0
>>642
もともと東欧諸国には反ソ感情があったんだけど、それを国内の独裁者が抑えつけていた。
この独裁者たちは第二次世界大戦中にモスクワに亡命していた人々で、モスクワ派と呼ばれ、
スターリンの権力を背景に自国を統治していた。
だからスターリンが死に、批判されるとその権力基盤は一気に揺らいだ。
一方で東欧各国の共産党には反スターリン派がいた。
彼らは第二次世界大戦中に国内レジスタンスを率いていた人たちで、国内派と呼ばれ、
ソ連と西欧の間で独自の道を模索しようという考え方を持っていた。
スターリンの死やスターリン批判で国内派が政権を執り、
穏健路線を模索したり、西欧との対話を模索しようとすると、民衆はこれを歓迎した。
もちろんソ連がこれを許すはずもなく、政治・軍事的な介入を起こす。
で、民衆がこれに反対して暴動を起こす、と。
こういう流れ。
646:世界@名無史さん
07/01/04 00:00:00 0
地域によって顕著に宗教勢力が分離したのはなぜですか?(中東:イスラム教
欧米:キリスト教など)
647:世界@名無史さん
07/01/04 02:55:49 0
中東の心臓部にはマロンはキリスト教徒とかユダヤ教徒とかいろいろいるんだが…。
648:世界@名無史さん
07/01/04 12:34:16 0
中国史にどうやっておもしろさを見出せばいいのか教えてください。
649:世界@名無史さん
07/01/04 13:24:52 0
また反乱で王朝潰れてるよプギャーwwwwwwwwwwww
な感じで。
650:世界@名無史さん
07/01/04 16:56:22 0
質問です
1828年審査法廃止で国教徒以外も公職に就ける=カトリックもOKじゃないんですか?
何で翌年のカトリック教徒解放法が必要なのか分からないので誰か教えてください
651:世界@名無史さん
07/01/04 16:58:43 0
易姓革命繰り返すごとに振れ幅がでかくなってるトコ、くらいか
652:世界@名無史さん
07/01/04 20:19:18 0
>>648
人物に注目する。
とんでもない人物がゴロゴロいるから。
年表を暗記するような勉強じゃおもしろくなくて当たり前。
でも試験対策なら年表暗記的な勉強が必要だけどね。
653:世界@名無史さん
07/01/04 20:52:55 0
>>648
もう少しで大陸統一できそうだったのに、敵をだますにはまず味方から・・をやろうとして
ホントに味方もだましちゃってその後滅んだアホとか そういうのに注目する
654:世界@名無史さん
07/01/06 10:50:55 0
保甲制という言葉は受験歴史用語では常識なんでしょうか?
655:世界@名無史さん
07/01/06 11:25:03 0
>>648
三国志読んでみれば?小説でも漫画でも。
ぶっちゃけ私が中国史、ひいては世界史・歴史に興味持ったのは、
正直横山光輝の三国志からだったりする。
656:世界@名無史さん
07/01/06 12:25:07 0
アメリカがここ数年なぜEUに覇権を取られるようになるまで衰退したのか
教えてください。
657:世界@名無史さん
07/01/06 15:46:31 0
>アメリカがここ数年なぜEUに覇権を取られるようになるまで衰退した
こういう知識は朝日新聞の読者だけが洗脳されて持つ。
事実はそんなことはない。
658:世界@名無史さん
07/01/06 23:09:06 0
在日ども! 寄生虫 中国、韓国、北朝鮮!!
そしてキャツラと同根の日教組! 民主党!共産党!社民党!公明党!加藤紘一など一部の自民党!
糞サヨ知識人ども! 売国マスコミ 朝日!毎日!
嘘、歴史の歪曲、捏造を即刻中止し日本国及び日本人全員に土下座、謝罪せよ!!!!!!
URLリンク(www25.tok2.com)
659:世界@名無史さん
07/01/07 09:18:06 0
>>650
念押しした。
660:世界@名無史さん
07/01/07 21:47:40 O
ユトレヒト条約でアシエントがイギリスのものになるまでのアシエントの流れがよくわからないのでわかる人助けて下さい。
661:世界@名無史さん
07/01/08 01:48:24 0
>660
URLリンク(www10.plala.or.jp)中南米年表%20その1
662:世界@名無史さん
07/01/08 16:25:22 0
西ローマ帝国の滅亡から8世紀後半までのイタリアの政治状況を次の語句を使って300字程度で説明しなさい。
【ビビン、ランゴバルド、東ゴート、ユスティニアヌス、カール大佐】
という問題を教えてほしいです。
一つ一つの語句の意味はわかるのですが、このような記述問題だと全くわからないのです。
663:世界@名無史さん
07/01/08 16:29:51 0
カール大佐は難しいなw
ってか一度まとめて御覧なさいな
664:世界@名無史さん
07/01/08 18:10:19 0
>>662
>一つ一つの語句の意味はわかるのですが
嘘つけ。わかってないだろ。
「大佐」ってタイプミスで書き込むのは考えられないから、
基本的な知識が相当程度欠落しているようにしか見えないが。
665:世界@名無史さん
07/01/08 18:27:01 0
いや、ビビンも難しいと思うぞw
韓国料理かな?w
666:世界@名無史さん
07/01/08 19:39:15 0
カール大佐ってタイプミスだったのか
てっきり、近代~現代にいたカールっていう大佐が
昔の歴史を参考に戦略理論でもまとめたのかと思った
最近の受験は随分とマニアックなことを問うんだなって思ってたら・・・
タイプミスって書き込みで、全てが氷解した
よく見ると、ピピンもビビンになってるし(気づかなかったけど)
667:世界@名無史さん
07/01/08 20:56:46 0
カール大佐というと「恋する潜水艦」U-713の艦長にして「地獄の黙示録」で有名な人。
668:世界@名無史さん
07/01/08 22:48:56 0
地獄の黙示録はカーツ大佐ではないか
669:世界@名無史さん
07/01/08 23:20:58 0
>>662
結局宿題丸投げか。
670:世界@名無史さん
07/01/09 21:13:53 0
イスラム教におけるシーア派とはアリーの子孫をムハンマドの政党後継者と主張する派閥と書いてありますが、
現在でもシーア派が存在するということはアリーの子孫も存在しているということなのでしょうか?
671:世界@名無史さん
07/01/09 23:15:50 0
質問です。
独立国家共同体(CIS)が成立してゴルバチョフが大統領を辞任すると、
なぜソ連が消滅するのですか?
あと、独立国家共同体(CIS)は、統制の緩い(資本主義の)ソ連
という認識でいいのですか?
672:世界@名無史さん
07/01/09 23:26:52 0
>>670
シーア派が従うべき指導者様(イマーム)はもうかれこれ1000年以上も
「お隠れ」になっておられます
最後の審判のときにマフディー(救世主)として姿を現すということなの
ですが何時のことになるのやら・・・
673:世界@名無史さん
07/01/10 01:02:09 0
>>671
「ソ連」とは「ソビエト社会主義共和国連邦」の略で、「ソビエト」とは
固有名詞ではなくロシア語で「会議」「協議会」などの意味。
ソ連はいくつもの社会主義国が集まってできた連邦。
ソビエト連邦のもとにあった国々が連邦が解体したから「独立国家共同体」
という独立国の集合になった。
独立国とソビエト連邦は両立しない。
社会主義色がどれだけ残っているかはそれぞれの国によって異なる。
674:カラジチ ◆mWYugocC.c
07/01/10 11:42:32 0
>>670
シーア派の中でも誰を正統なイマームつまり後継者として認めるかで争いはあるんだけども。
最大派閥の十二イマーム派では、第12代イマームのムハンマド・アルマフディーは死んだのではなく「隠れた」とされている。
で、将来帰ってくるんだと。
それ以降はイスラム法学者がイマームの代理として信者を指導する。
ニュースなんかでイスラム法学者の言動が話題になることがあるのはこのせい。
>>671
CIS結成前の8月にクーデターが起こって、現状のソ連をよしとする保守派がゴルバチョフを監禁した。
ところがこのクーデターは国民からも国際社会からも支持されず失敗。保守派は失権した。
またクーデターに対して何も手を打てなかったゴルバチョフも共産党書記長を引責辞任、求心力を失った。
一方でクーデター失敗で、ソ連解体を支持するエリツィンら改革派が勢力を拡大。
ロシア大統領エリツィンと、ウクライナ、ベラルーシの大統領がCIS結成を宣言。
これによってソ連は存在意義を失い、しかも中核を為していた共和国の離脱が決定的となった。
それでゴルバチョフはソ連大統領を辞任、ソ連を解体した。
CISはいろんな国の集合体で、必ずしも資本主義資本主義しているわけでもない。
一応ソ連の後組織として経済協力なんかも行われているけど、仲良しクラブみたいなもん。
ソ連崩壊直後の混乱で旧ソ連諸国の多くが独裁制に入ったし、アフガニスタン関係でアメリカが中央アジアに勢力拡大しているし。