06/08/19 16:22:07 0
P・A・コーエン『知の帝国主義 オリエンタリズムと中国像』(平凡社)
1960年代も末に近づくにつれ、ヴェトナムに対するアメリカの軍事介入の強化と、
それが再び起こした感情の渦を背景に、中国近現代史に対する「近代化」アプローチは、
全く異なる根拠にもとづいて批判されるようになった。攻撃の火蓋を切ったのは、
雑誌『ブレッティン・オブ・コンサーンド・エィシアン・スカラース』1969年
10月号に掲載されたジェームズ・ペックの論文であった。
(中略)
ペックはまた、「中国は日本と異なり、必要な文化的背景を欠いていたため、
結果として西洋帝国主義全面的攻撃に晒されてしまった」という中国専門家の
見解をも拒否し、むしろその逆こそが真に近いと主張した。すなわちペックに
よれば、「中国は西洋列強から全面的な攻撃を受け、そのことゆえに反応しえなかった」
のであり、他方「日本が帝国主義の支配を免れることができたのは」、日本の
伝統文化が西洋型の変革を受け入れる能力をとりわけ有していたということよりも、
むしろある程度までは、「国際環境がたまたま日本にとって好都合だったという
事情によっているのである」。