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ドミニク・リーベン『帝国の興亡(下)』(日本経済新聞社)
ソ連工業の発展と似た事例をロシア以外に求めるのであれば、おそらく
西洋の帝国主義ではなく、満州と朝鮮で進められた日本の政策を見る
必要があるだろう。
ソビエト体制と同じく、日本もある程度、自分たちの帝国をひとつの
統合体として認識し、日本の経済力を増す努力の一環として満州と朝鮮の
工業化を推進した。また日本はある程度、人種的、文化的に同一性の高い
地域(少なくとも第二次大戦で東南アジアを征服するまで)のなかにいたので、
日本の帝国は大英帝国よりも均質的で、統合されてもいた。しかし、本国と
植民地の周辺との格差は、ソ連よりも日本の帝国のほうがはっきりしていた。
日本の帝国においては日本人以外は常に公然と、また明白に二流市民であった。
植民地を支配したのは日本の官僚や将校であり、日本人以外は誰一人、東京で
重要な地位に就けなかった。これとは対照的に、ソ連では各共和国の
出身者がその共和国の役職を支配したり、ロシア人以外が政治局員を
務めたりもしていた。