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『日本/権力構造の謎(下)』(カレル・ヴァン・ウォルフレン、ハヤカワ文庫)
中曽根首相は…日本人は個人として神道やキリスト教と共に仏教を受け入れる
多神教であると説明した。彼は、その時、日本人の考え方は「一神教の
西洋人」の考え方より寛容であることになる。究極的に相容れない信念を
同時に受け入れるのは、実際には、どれも信じないのと同じだと、彼が
思っても見なかったのは明らかだ。…メソポタミア、ペルシャ、インド、
西洋、そして中国の宗教、哲学は伝統的に弁別法および二分法を欠かせない
ものとした。これに対し、日本人はそれを避けることを日本的なものの
真髄とし、讃えてきた。
『ヒンドゥー・ナショナリズム』(中島岳志、中公新書ラクレ)
彼らは、ムスリムやクリスチャンの宗教復興運動を「常に狂信主義に陥り、
他宗教の集団を攻撃する」原理主義として捉え、一様に批判する。そして、
そのような運動に対して、ヒンドゥーの態度は原理主義的では全く無く、
他宗教に寛容なものであると主張する。
彼らは、ヒンドゥーとイスラームおよびキリスト教の間には根源的な違いが
あるという。それは、自分たちヒンドゥーが、宗教の違いを「一つの真理の
別の形での表れ」と考え、他の宗教も同じ真理を表現する根源的に同一の
ものと見なすのに対して、ムスリムやクリスチャンは、自らの信仰だけが
正しい真理を表現していると考え、他宗教と相容れない別の真理の体系で
あると見なすという違いであるという。そして、彼らは、ムスリムや
クリスチャン達が行う宗教復興運動が他宗教に対して非寛容な態度に
出るのは、この点が大きく作用しているからだと言い、それを偏狭な
態度として批判するのである。つまり、「そもそもイスラームやキリスト教
は一神教だから寛容性がない」という「セム的一神教批判」をしている
のである。