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中国とその文化伝統に対する態度が18世紀日本の知識人の世界観の中心にあったことは
疑いない・・・指導者層が彼らを中国の伝統に従わせようと努力したこと、また西洋から
の隔離という事情のために、中国観は彼らの多くの者にとって決定的な要因として働いた。
多くの日本人がこれまでにないほど深く中国文化の圏内に入り込んで暮らしていた。
アーサー・ライトが指摘しているように、徳川の儒者には中国の儒者の「中国」イメージ
をそのまま受け入れている者が多く、彼らは時おり外夷に生まれたことを嘆いては、同時代
人やライヴァルたちの怒りを買ったのであった。この誇張された中国礼賛のうちに、西洋を
前にして明治人が示した自己卑下と自己非難の徳川版を見ることも可能である。たしかに、
この種の卑下は深い根拠があるものというよりはむしろ儀礼的な哀歌風なものというべき
場合の方が多い。
中国が漢学者たちの上に一箇の政治勢力ないしは戦略問題として押しかぶさってきたことは
なかったし、中国の叡智を学び取るべく辛苦はしても、同時に中国の強大さを怖れねばなら
ない必要はなかった。しかしそれにもかかわらず、彼らの中国に対する讃美と尊敬の念は深く、
その多くは19世紀にいたるまで生きながらえてゆくのである。
この18世紀中に、国学者という思想上の敵対派が登場してきて漢学者の中国崇拝に挑戦した。
だが、そうはいっても、彼らの中国伝統を攻撃する辛辣さそのものが、また中国一辺倒の
同時代人に対する彼らの悪罵そのものが、国学者たちはいかに的確に、日本における中国
文化の名声と勢力を測知していたかを示すものに他ならなかった。
マリウス・B・ジャンセン『近代化に対する日本人の態度の変遷』