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Duncan McCargo,“Contemporary Japan”を読んで
しかし、本人が、「序文と謝辞」の中で「日本語についての学術的な知識を
習得しなかった」と書いているように、日本語については、おそらく話せは
しても読むことはできないようです。この点は、本書の限界となっていますが、
これについては後ほど触れることになるでしょう。
(中略)
この歪みの一例は、三里塚闘争が過大に評価されていると思われる点です。
この運動については、このわずか200頁ほどの本の中に、152頁から154頁まで
3頁にわたって断続的に出てきます。これはおそらく、D・E・ApterとN・
Sawaによる、“Against the State:Politics and Social Protest in
Japan”という立派な本に引きずられた結果でしょう。
このような「新左翼運動」への過大評価によって、マッカーゴ氏はさらなる
誤りを犯すことになります。それは、60年安保闘争がこのような新左翼運動に
主導されていたかのような思い込みに捕らわれてしまったことです。彼は次の
ように書いています。
「日本の新左翼の絶頂期(The heyday of the Japanese New Left)に、
この抵抗闘争は日米安保条約の改定に反対して、武装闘争(armed straggle)
に専念するグループと共に、数多くの学生(急進的なものも急進的でないものも)、
知識人、大学教授、主婦、女優、労働組合員を結集し、数百万の人々を動員した。」
(p.152)
60年安保闘争について知る日本人なら、誰でもこの記述の誤りに直ぐ気が付く
でしょう。60年安保当時、「新左翼」という言い方はありませんし、またこの
運動の一部には彼らの先輩が加わっていたとはいえ、それは学生の一部に過ぎず、
運動全体が彼らによって主導されていたわけでもありません。したがって、
安保闘争を「新左翼運動」の「絶頂期」などと評価することはできません。
しかし、日本についての実際の知識が少なく、主として英語文献で知識を得た
マッカーゴ氏は、ここでの誤りに気が付かなかったわけです。