06/07/22 20:05:13 0
>>707
>今の日本人ならそれが釣りである事も分からず
それが問題ですね。近世には既にいい加減な信仰態度が見られましたが、パ
ロディの一方で真面目な祈願もあった。
明治に無理矢理国家神道に一本化しようとして、それも否定されて訳が分か
らなくなった(代替する存在を見失ったまま)という気もします。
要するに、それもこれも明治政府が悪(ry
しかし、本当に「神道と禅」だけですね。先入観で書いている。
>安らぎも、救済も、贖罪、希望も、励ましも、そして最も重要なのは個性概念がない
逆に言えば、これはサンの記者と読者(キリスト教徒)が、自分たちの信仰には
それがあり、故に価値があると見做しているという事でしょうね。
ただ、そもそもここに挙げられた価値観が無条件で首肯すべきものなのか否か、
日本の信仰では代わりに何が言われて来たのか(何も無いと言っている様です
が)、それが本当に正しいのかという問いかけが欠けている。
先代や当代のローマ教皇もそうですが、どうもキリスト教徒は聞きかじりの知
識で佛教を「虚無主義」と捉える傾向が強いらしく、この場合も禅を虚無主義
「神道」を無教義として「救済なき教え」と見做している様です。
そもそも、(上位者による)救済が無いといけないとするのもどうかと思いま
すが、自文化を上位においた偏見なしでは書けない記事でしょう。
ただ、実はあまり伝統のない「アニミズム系神道」を古代からの伝統として説
明して来た(来ている)日本の宗教界(特に神社)にも問題はあります。