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スレリンク(kokusai板)
2001年9月9日、サンデイタイムズ マガジン(The Sunday Times magazine)は
"狂った日本(Mad in Japan)"と題したA.A.Gill氏の記事を掲載しました。
(中略)
宗教は日本の社会が不具な理由の一つである。過去には神道があった、そして今日、
宗教を車に例えるならば、神道は手押し車のようなものだ。それはアニミズム、
つまり先祖崇拝、精霊、霊魂、木や石の霊への信仰である。
それは最も初歩的な理論に欠ける。神道は天皇を太陽の神と見立てた。日本の
宗教は、この神道に間違った仏教を接ぎ木した。ダライラマの幸福な仏教では
なく、中国経由の禅仏教である。それは生気のない美意識であり、誰もその
意味する事が理解できない。さらに日本人は儒教をその上に足した。
悪い哲学などと言うものはない、あるレベル以下は、哲学にはなり得ないと
言われている。儒教はその言葉を証明している。
不愉快極まりなく、低級である。儒教・道教は全てを許し、責務を免れる侍用の
信仰である。近代の日本人は神道教徒として生まれ、キリスト教で結婚し、
仏教徒として埋められ、マツダで働く。
結果として、彼らは全てを信じ、また信じない。日本の宗教の中には安らぎも、
救済も、贖罪、希望も、励ましも、そして最も重要なのは個性概念がないことで、
このため日本人は大衆心理に走る。自己を明確に見詰める日本人は自己の存在を
不定する。その心理は静的で、悲惨な法人としての責任と子としての義務
そのものである。日本ほど信仰的選択が限られ空しい国は無い。
このような信仰概念は刈り込まれ、根っこをぎりぎり巻きにされた松の木の
ように日本の成長を妨げている。