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西洋人にとって、日本人は紙と木の文明だと映っていた例を一つ。
支倉常長つながりですが、伊達政宗の命を受け、支倉常長は慶長遣欧使節と
してヨーロッパの地を踏みました。
パリの国立図書館にそのときの記録が残されています。
「日本人一行は、鼻紙ではなをかみ、その鼻紙は二度と使わずに捨ててしま
った。見物に集まった人々は、その鼻紙を拾い集めていた」
一行の鼻紙はローマでも珍しがられて、アンジェリカ博物館や人類学博物館
には、“支倉の鼻紙”が保管されているそうです。当時、ヨーロッパでは重
い羊皮紙がまだ中心で紙は極めて貴重品であり、洟をかむのに上流階級はハ
ンカチを、庶民はもっぱら手鼻か袖でかんでいたとか。
そんな高価な貴重品の紙で洟をかむのですから、びびったのでしょうね。
ペリーやその部下達、イギリス公使等も日本のドア(障子のこと)には紙が
張られていると驚愕の手紙を送っています。
もう一つは木綿と絹・錦ですね。この素材もヨーロッパでは垂涎の品でした。
光沢のあるなめらかなシルクは王侯貴族の衣装で庶民さえ手がでないもの
でした。これも紙と同じく、繊細な技術が必要でしたが、化学繊維が現れ
るまで、日本は素材産業でヨーロッパを超越していたのです。
日本は黄金の国ジパングだったのです。