06/02/02 18:20:53 0
>>852 >僧侶だから朱元璋に目をつけられたのか?
>>856 >「文句があるならいつでも勝負してやる」みたいな書状を送ってるので
当時の明廷では日本の事情がよく了解されてなかったみたいです。時あたかも日本は
南北朝動乱の最中ですが、九州の辺陬で頑張ってた征西大将軍府が「天朝に興戰の
策あれば、小邦にも亦た禦敵の圖あり」などとはったりをかましたので、余ほどの勢力と
誤信してしまった節があります。
一方「明史」の「日本傳」には「時に良懷は年少(わか)し、持明なる者あり、之と爭ひ立ち
國內は亂る」として、持明院統の政権と対立抗争していたことは判っていたようですが、
更に洪武十三年には征夷將軍の源義滿が丞相の書面を持った使者を派遣して来て、
勢力関係が理解しにくかったようです。
胡惟庸はこれらのうちのどの勢力と結託しようとしたのかが不明ですが、「日本傳」には
「其の王は僧の如瑤を遣はし、兵卒四百餘人を率ゐ、詐りて入貢と稱し、且つ巨燭を獻じ、
火藥刀劍を其の中に藏す、既に至るに而も惟庸は已に敗れ、計は行はれず、帝も亦た
未だ其の狡謀を知らざる也、越えて數年にして其の事は始めて露はる、・・・而して日本を
怒ること特に甚だしく、意を決して之と絶つ」とあって、この陰謀に日本の僧侶が関与した
事実が存在したらしいのです。太祖が坊主だった前歴を気にしたせいではありません。