05/09/22 21:59:16 0
>>30
人材補給のため。
イスラム圏ではアッバース朝以来、グラーム、マムルークといった奴隷軍人制度が
確立するに伴い、奴隷が国家システムに組み込まれていくようになった。
その完成形はマムルーク朝とオスマン朝で現出。
マムルーク朝では、代々、君主の後継者が奴隷から選ばれていた。
(ちなみに君主の息子はウラマーというイスラム知識人となった。)
オスマン朝では奴隷はイェニチェリという常備軍を構成すると共に、
政府の中枢に携わっていた。とくにコンスタンティノープル陥落後は
国家のNo.2たる大宰相以下、官僚は奴隷出身者で占められるようになった。
イスラム法ではムスリムを奴隷にすることは禁じられていたので、
必然的に奴隷はみな異教徒出身。
主な入手先は戦争捕虜。それに加えて、マムルーク朝までは奴隷貿易、
オスマン朝ではデヴシルメという、バルカン半島のキリスト教徒の子弟を
強制徴収する方法で奴隷が集められた。
参考文献
佐藤次高『マムルーク 異教の世界からきたイスラムの支配者たち』東京大学出版会、1991年。
鈴木董『オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい」専制』講談社現代新書、1992年。