05/07/06 22:16:01 0
2ゲットしたらそんだけ先生降臨
3:世界@名無史さん
05/07/07 18:55:10 0
3ゲット!!
4:4げっと
05/07/07 19:12:10 0
URLリンク(yasai.2ch.net)
そんだけさんの講義スレ
一応はっときます
5:世界@名無史さん
05/07/08 00:11:11 0
誤
6:世界@名無史さん
05/07/08 13:13:03 0
時代の最先端は6getなのだよ
7:ナナたんが7ゲット
05/07/08 14:41:28 0
_ _ _ _
,.r ' ,´tー-、__ _ー 、
./─t' i ー-, ヽ 、\
,,..-/ i | i l ヽ`ー- _、
∠,__/ i l | l | i- ' ´ /
', / l | | | i | l /
∨i i | ! | l l ! l / i
i i | i! i! ! i! i! i ヽ l/ |
| ! l ム ム ム ム、ヽ ヽ !/ i
l | 人jr〒ミヽ ヽ |7T〒ミ、\ ヽ l //
li ', { | ヒ'゙;;|` \ .ゝ ト'゙;;;|ヾ 7\_ヽ{/
丶', |ヽ! ゞ.シ ヾ ゞ.シ '// /7'
ヽ!ー-ゝ"" """ ノ/ノ从/
\! 、 ` _ ∠ク^ヽ
> 、 __ . イ/ i`ヽ 、
/::::i ` t、 / !:::::::::::`丶、
/:::::::::/ /⌒ヽ_/⌒l !::::::::::::::::::::::::ヽ
/:::::::::::::ノノ::::::::::| |::::::::ヽ、 /::::::::::::::::::::::::::::::i
i::::i::::::::::::::::::::::::::| |:::::::::::::::`::::::::::::::::::::::::::::::::::|
|::::ヽ::::::::::::::::::::::| |:::::::::::::::::::::::::|:::i:::::::::::::::::::::::|
8:世界@名無史さん
05/07/08 15:06:59 0
>>7
おまえ飛び道具使うけど火薬使ってねーだろ
9:世界@名無史さん
05/07/08 15:38:05 0
他板のスレより
スレリンク(sf板:879-895番)
10:4げっと
05/07/08 19:11:32 0
なんかあんまり人こないし、
「細々と銃・火砲を語り合う」というスレにした方がいいと思う
11:世界@名無史さん
05/07/08 19:20:55 0
後装式ライフルが出てくるまではそれほど凄い兵器でもなかったのでは。
12:世界@名無史さん
05/07/08 19:48:38 0
チャルディラーンの戦い
13:世界@名無史さん
05/07/08 20:00:03 0
じゃあ 火薬が発明されたところから始めようか
14:世界@名無史さん
05/07/09 15:55:51 0
火薬を発明したのはイギリス人の学者ロジャー・ベーコン
またはドイツのバルトリド・シュワルツ修道士といわれている。
15:世界@名無史さん
05/07/09 16:13:12 0
中国で唐末ないし北宋初期から花火に使われていただろーが!
16:世界@名無史さん
05/07/09 16:23:31 0
>>15
ソース
17:世界@名無史さん
05/07/09 16:36:15 0
>>16
学校で習わなかった?
18:世界@名無史さん
05/07/09 16:46:30 0
いきなり中国で発明されたといわれても納得いかない。
まだイギリスやドイツのほうが信憑性あると思う。
19:世界@名無史さん
05/07/09 17:18:55 0
花火の原型は万里の長城の烽台から打ち上げられた狼煙だそうですが(秦代)
20:世界@名無史さん
05/07/09 17:19:50 0
支那の話はいまいち信用できない。
21:世界@名無史さん
05/07/09 17:22:07 0
>>18
そりゃ君がおかしな先入観を持ってるにすぎん。
イギリスやドイツなんてのは、世界史的にみれば後発国だ。
それならスペインやオランダやポルトガルが、と言われたほうが
まだ説得力がある(w
22:世界@名無史さん
05/07/09 17:22:43 0
>>18 >>18 >>18
なんじゃそりゃwww
23:世界@名無史さん
05/07/09 17:26:31 0
火薬の発明は中国だってのはよく聞く話だけど具体的なソースを見たことがない。
大体それならなんでポルトガル人が来るまで銃がなかったの?
24:世界@名無史さん
05/07/09 17:28:35 0
後発だったはずのヨーロッパでなぜあんなに銃が発達したのか
25:世界@名無史さん
05/07/09 17:32:15 0
>>23>>24
おおい、元寇の時に元軍は「てつほう」という火薬を使った兵器を使用しているじゃないか。
中国で火器が余り発展しなかったのは、統一王朝が成立しやすいという
地理的な条件が関与していると思われ。
26:世界@名無史さん
05/07/09 17:35:18 0
>>23
具体的なソースをあげるとするなら、中国、唐代に書かれた、
「真元妙道要路」があげられる。この書物には硝石、硫黄、炭を
混ぜ合わせると激しく燃焼する物体ができるということが記されているぞ。
つか、君、頭大丈夫?
27:世界@名無史さん
05/07/09 17:41:45 0
>>24
ローマ帝国分裂以後、ついに統一欧州帝国が誕生しなかったから、
四六時中外敵の脅威に晒される時代が長く続き、戦争技術が発展していった。
小銃の発展はそういった戦争技術発展の中の一つ。
また、欧州は気候に恵まれず貧しかったから、技術を発展させて
自然を克服しなければ、生存すらも危ぶまれた。腰巻一つでたらたら
やってても食べるものに不自由しなかった熱帯とは違う。
自然によって強要された技術の発達を、近接しつつ敵対する国家関係が
軍事への応用を強要した。それが欧州発展史。
28:世界@名無史さん
05/07/09 17:52:16 0
中国でも元末明初の戦乱なんかでは銃や大砲が結構使われてたらしい。
漢人勢力同士だと歩兵中心の軍隊で城塞都市を奪い合う、わりとヨーロッパ型の
戦争になりがちだからね。
統一王朝ができると主敵が遊牧民になるので、騎兵中心のユーラシア型軍隊に
なっちゃうんだけど。中国はその二つのパターンの繰り返し。
29:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/07/09 17:53:39 0
とりあえず、『金史』巻123に、「震天雷」が出て来ますね。
其攻城之具有火砲、名震天雷者、鉄爟(火では無く、石)盛薬、以火点之、
砲起火発、其声如雷、聞百里外、所爇囲半畝之上、火点著甲鉄皆透、大
兵又為牛皮洞、直至城下掘城為龕、間可容人、則城上不可菜何矣、人有
献策者、以鉄縄懸震天雷者、順城而下、至掘処火発、人与牛皮皆砕迸無迹、
・・・とまあ、白髪三千丈混じりとしても、凄まじいのなんの。
これを使用され、鎌倉武士がえらい目に遭ったのは、よく知られている通り。
1232年には、金軍が防戦に震天雷を使用しています。
30:世界@名無史さん
05/07/09 18:21:46 0
1540年代より前から日本にも原始的な火器はあったと聞いたが。
あと宋代以降の中国では小型の原始的なミサイルとかも使ってたらしいね。
31:世界@名無史さん
05/07/09 18:31:36 0
中国では宋以後に使われたそうだけど
欧州では百年戦争時期でも大型の火砲が少し使われた程度だとか。
32:世界@名無史さん
05/07/09 18:36:22 0
たしか太田天洋が描いた文禄の役の海戦図で、日本の武士が
中国風のロケット槍をもってたような気が。
「海と水軍の日本史」って本の表紙なんだけど。
33:世界@名無史さん
05/07/09 18:43:55 0
ミサイルの起源は北朝鮮の(ry
34:世界@名無史さん
05/07/09 19:25:37 0
元軍がジョウハンを包囲したときにペルシアから巨大投石器かなんかをもってこなかったっけ。
イスラム世界に火砲が伝播した時期は?
35:世界@名無史さん
05/07/09 19:40:30 0
>>34
それは回回砲。カウンターウエイト式投石器だったはず。
モンゴル侵攻以前から「中国の雪」つまり火薬はイスラム圏に伝わってたらしい。
アイン・ジャールートの戦いでマムルーク朝軍が火砲を使ったという記録まであるそうだ。
36:世界@名無史さん
05/07/09 19:43:18 0
URLリンク(www.gabarin.com)
>Four Arabic treatises describe or mention small portable cannon.[24] All these treatises report that
>cannon were used in the battle of `Ayn Jalut in Palestine in 1260 between the Arab Army and the Mongols,
>in which the latter were defeated. It was used once more against the Mongols in 1304. The purpose of the
>early cannon and other gunpowder devices as we shall see was to frighten the enemy’s horses and cavalry
>and cause disorder in their ranks.
37:世界@名無史さん
05/07/09 20:17:11 0
いずれにしろ、13世紀には実用化されてるってことは確実だな。
年代が十字軍と微妙にかぶる気がするが、その頃イスラム側が火器
を使ったという認識がない。ギリシャ火なら使ってるはずだが、
あれって、石油の類のようなものか?
38:朱由檢 ◆MfD.4zQt1.
05/07/09 21:46:06 0
>>37
ギリシャ火は粗製石油説も確かにあるけど、水に触れて発火するため、
生石灰が原料ではないかと考えられてるけど、詳細は不明なの。
イスラム帝国の焼夷特殊部隊“バファットム”が使用した焼夷兵器は、
生石灰、樹脂、硫黄などの混合物であり、ギリシャ火と同種と考えられてる。
39:世界@名無史さん
05/07/09 23:30:18 0
「中国の雪」は硝石のことでしょう。
未だ火薬じゃないでしょ。
火薬は、道士たちが外丹術とかで、怪しげな薬をたくさん作っていたら
できたらしいね。唐は道教が盛んだったから。
ギリシャ火は名前からビザンツの発明かと思っていたら、ルーツは中近東と聞いた
んだけど、真相はどうなんでしょう?
あと、火炎放射器は中国でもあったという話を聞いたことがあるけど、これも中近東から
伝わったんでしょうか?
40:世界@名無史さん
05/07/09 23:41:56 0
ギリシャの火は、七世紀ころシリア人のカリニコスが発明したはずだよ。
41:4げっと
05/07/10 00:28:44 0
『戦争の科学』っていう本によると紀元900年頃に中国で発明されていると
書かれている
その後、交易を通じて西へ伝わっていった
(※下記は火薬とは少し関係ない)
同本によればギリシャ火の「前身」というものが、古代ギリシャで
発明されている
ギリシャ火薬(古代ギリシャ人たちはそう名付けた、厳密には火薬ではない
ややこしいので注意)というもので、今で言えば「火炎瓶」にあたる
松やに、硫黄、粒状にした乳香、松の木のおがくずを混ぜて、布製の袋に
入れる。袋を紐で縛り、火をつけて、カタパルトで投げて敵の要塞内に
投げ込む地面に激突すると炎が四方に飛び散る
「水をかけると」さらに炎は勢い良く燃える
ギリシャ火は上記に書いたギリシャ火薬を手本に作ったと書かれている
ギリシャ火は港湾都市であるコンスタンティノーブルが
海から攻められるのを防ぐための防衛手段から発明された
相手は当然(木製の)軍船で攻めてくるから火を使った攻撃が有効だと
思い、古代ギリシャ人が使ったギリシャ火薬を使おうと検討した
しかし、「皮袋」をカタパルトを使って百メートルも飛ばしてもまずほとんど
命中しない
船に乗っけて、至近距離から投げるという案もあったが船に乗ってる
自分たちも揺れるので余計に当たらない。
そこで開発に携わった科学者たちは、異臭を放ち、可燃性の高い奇妙な液体
ペトロレウムの存在を思い出した
42:4げっと
05/07/10 01:29:30 0
ペトロレウムは当然石油(粗製石油だと思う、本には書いてない)だが
彼らは油とギリシャ火薬を組み合わせ、ギリシャ火薬を「液状化」することを
思いついた。
液状化したギリシャ火薬に石灰、骨粉、尿から作った燐火アンモニウムを
組み合わせ、混合液をつくった
これにより、火炎放射器「ギリシャの火」が完成した。
なお構造は混合液を大きなタンクにいれ、手押しポンプを付け、
火花を発する引き金(火打ち石)がとりつけられたノズルを
引くことで火が出る(※厳密には油が飛ぶ)
またギリシャの火を使うための専用の小型ガレー船も作られた
43:4げっと
05/07/10 01:32:14 0
この兵器がつくられてすぐ、サラセン人が海上から攻撃をしかけてきた
ギリシャの火を搭載したガレー船は機動力を生かし、サラセン艦隊に接近、
なおガレー船の甲板の下では男たちが必死にポンプで上下させている
射程範囲内に近づくとノズルを向け混合液が噴出する、その瞬間
火打ち石をから火花が飛び、燃える液体が最大で45メートル(小学生の頃
読んだ本では30メートル)サラセンの艦隊に向かって吹き出す
一隻、また一隻と船が炎上し、恐怖に駆られたほかの船はほうほうの体で
逃げ出した
後に716年にイスラム勢力の艦隊が攻撃をしかけたが、ギリシャの火に
艦隊を丸ごと焼かれた(※本にはオスマン・トルコと書いてあるが時代的にありえない)
(※秘密を手に入れようとコネや金を使って交渉したが、
取引に応じず、コンスタンティヌス帝の下に
天使が舞い降りて新兵器の作り方を教えてもらった、という話しまで広まった
結局最後まで秘密は暴かれなかった)
44:世界@名無史さん
05/07/10 01:50:09 0
やっぱり、あらゆる兵器は男根の象徴だというのは本当のようね
45:4げっと
05/07/10 02:00:28 0
上記の文の8割が本をそのまんま写したものです
(残り2割は憶測にならない程度に書きました)
補足・訂正
石油の世界史によれば、
「ギリシヤの火は石灰岩と石油を混ぜたもので
石灰が海水と化学反応を起こして発火しました」
微妙に違っています
また、ギリシアの火同様に水に触れても消えない、逆に燃え広がる
というのは、確実のようです
またギリシアの火に関する機密は完全に守られていたようで
「放出されると火を吹きながら飛び」も伝承ではないかと疑う向きもあるようです。
URLリンク(www.geocities.jp)
なお、>>41から43のソースは
『戦争の科学』という本を参考にしました
筆者 アーネスト・ヴェルクマン
訳者 茂木健(たかし)
発行所 株式会社 主婦の友者
3000円
(なおこの本は記述ミスや科学の発展による兵器の発達に偏重した書き方を
しているので、首をかしげる記述もあります)
ソースが少なく、自分自身の知識不足もあるので
問題があったら片っ端から指摘してください
ひょっとしたら、とんでもない間違いがあるかもしれませんし
46:4げっと
05/07/10 02:05:58 0
訂正です
>>45
石油の世界史によれば、
「ギリシヤの火は石灰岩と石油を混ぜたもので
石灰が海水と化学反応を起こして発火しました」
微妙に違っています
上の文は間違いを訂正したわけではなく、
異なった意見を載せただけです
どちらが正しいのか正直わたしにも・・・わかりません
47:世界@名無史さん
05/07/10 12:14:24 0
>>39
猛火油櫃のことかな
48:乙事主さん
05/07/10 13:58:34 o
映画「もののけ姫」で登場した「石火矢」って中国に本当にあったようですが
我が国にも実際に伝来したのでしょうか?
確かあれは時代設定が室町中期頃(1450頃か?)らしいですけど
49:世界@名無史さん
05/07/10 14:06:12 0
タッチホール式の銅銃ですか?
たしか鉄砲伝来以前に武田家が輸入してたとかどっかのスレに書いてたような。
50:世界@名無史さん
05/07/10 14:26:43 0
>>47
>>猛火油
そりゃフタバガキの樹脂だって
51:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/07/10 15:33:32 0
>>48
>室町中期頃(1450頃か?)
この頃なら、琉球に原始的な鋳銅製の銃が伝来しており、その後間も無く
日本にも伝わって、所謂「鉄砲伝来」の頃には、瀬戸内の海賊衆が火器を使
用しています。応仁・文明頃には、火薬が渡来していた筈。
映画の時代は、もう50年ほど後ではないかと思いましたが。
もう少し、正確なソースを探しておきます。
52:乙事主さん
05/07/10 17:32:10 o
49様、山野様
レス有難うございます
あの棒の先に付いてたのは銅銃というのですね
もののけ姫ではタタラの鉄で作ってましたね
しかも弾倉部を脱着するタイプも開発してましたね
ところであのような物の資料はどこかに現存しているのでしょうか?
もしあるとすれば種子島銃以前の火器ですね
あと戦闘で使用された記録や絵巻など現存してるのでしょうか?
53:世界@名無史さん
05/07/10 18:36:11 0
>>52
すでに応仁の乱に銅銃の使用が記録より確認されています。
54:世界@名無史さん
05/07/10 19:49:49 0
そんだけ氏気取りの4げっとは完全に無視されたな(藁)
55:世界@名無史さん
05/07/10 21:53:11 0
世界銃砲史
URLリンク(books.rakuten.co.jp)
火器の誕生とヨーロッパの戦争
URLリンク(books.rakuten.co.jp)
鉄砲
URLリンク(books.rakuten.co.jp)
上二つは、品切れか。良い本なんだけどな~。
56:世界@名無史さん
05/07/11 18:27:41 0
>>52
銅銃は支那に実物が残ってる。最古のは1374年製のものらしい。
57:世界@名無史さん
05/07/11 20:54:51 0
世界最古の銃器は銅銃なのかな?
ヨーロッパで銃器が出始めた頃とどっちが早いのだろう?
58:世界@名無史さん
05/07/11 21:49:33 0
中国とヨーロッパかあ。
そういや間に位置するイスラム世界では何もなかったの?
59:世界@名無史さん
05/07/11 21:53:58 0
オスマン・トルコがコンスタンティノープル攻略で、大砲の威力を
ヨーロッパに知らしめていますが、なにか?
60:世界@名無史さん
05/07/11 21:55:25 0
例えば中国や欧州とも違う中東独自の火器発明とかじゃない?
61:世界@名無史さん
05/07/11 21:59:00 0
回回砲と書いてフイフイホウと読む。
これも中東かな?
62:世界@名無史さん
05/07/11 22:53:08 O
それは単なるカウンター・ウェイト方式の投石機。モンゴルが宋の攘陽攻略戦で使用した。
63:てる兄
05/07/12 03:13:52 0
>>52
宮崎駿監督の映画もののけ姫で出てきた明の指火式手銃は日本には伝来していない。
古銃研究の第一人者である所壮吉氏や国立民俗博物館教授の宇田川武久氏の調査によって立証済み。
当然ながらそのような手銃の現物資料など日本のどこにも無い。
応仁の乱で使用されたものをただちに火砲の類と考えるのは早計過ぎるし、他の文献にしても信憑性が低い。
琉球の使節が足利将軍に謁見した際に鉄砲を打ち鳴らしたという記録があるが現在の研究では爆竹のような物だとする見方が妥当らしい。
一部では火薬の使用はあっただろうが実戦で武器として火砲が使われたのはポルトガル人来航以降の事である。
だからあの映画で出てきた火砲・爆雷などはすべては宮崎氏の空想である。
64:世界@名無史さん
05/07/12 07:49:03 0
>>63
銅銃は応仁の乱以後に多用されているのは何故?
65:世界@名無史さん
05/07/12 15:02:05 0
>>57
欧州でも火器が使われ始めたのは百年戦争の頃なのでだいたい支那と同時期。
>>59
作ったのはセルビア人ですが。
66:世界@名無史さん
05/07/12 16:48:39 0
>>65
突っ込みどころ満載
>欧州でも火器が使われ始めたのは百年戦争の頃なのでだいたい支那と同時期。
百年戦争も後期になってからだから、
14世紀末から15世紀初頭、対して
中国で火器が作られるようになったのは13世紀ごろから。
百年くらいの差がある。
>作ったのはセルビア人ですが。
残念!ハンガリー人ですから!ギリ!
67:世界@名無史さん
05/07/12 17:01:10 0
>>65
ウルバンがセルビア人ってをいをい…
68:世界@名無史さん
05/07/12 17:25:44 0
イスラム独自の火器といえば、全身に花火をつけて突撃する騎兵とかいたらしいよ(w
69:世界@名無史さん
05/07/12 20:25:05 0
初めて火薬を発明したのって中国の錬丹術師だっけ?
おそらく当初は爆竹レベルの炸裂だったのだろうけど
ビックリしただろうなぁ~。
オレがもし術師で、研究中に偶然「パンッ!」って爆発したら
「うおッ!」ってビビって以降錬丹術から足を洗うかも知れん。
70:世界@名無史さん
05/07/12 22:07:41 0
ウルバン砲の弾丸の装填ってどうやったんだ?
あれって、一発600キロぐらいあるだろ?
71:世界@名無史さん
05/07/12 22:10:20 0
イスラム独自の火器にはマドファというものがある。
1300年頃の文献には出てくるから相当古くからある銃器。
あるいはこれが銃器の起源かもしれない。
木製のタッチ・ホール式の銃。
72:世界@名無史さん
05/07/13 11:22:46 0
>>71
>マドファ
たぶんこの右側のやつかと
URLリンク(www.sfusd.k12.ca.us)
手投げ弾
URLリンク(www.sfusd.k12.ca.us)
花火部隊
URLリンク(www.sfusd.k12.ca.us)
73:世界@名無史さん
05/07/13 15:04:28 0
ウルバンて最後は大砲が暴発して死んだらしい。
74:世界@名無史さん
05/07/14 00:54:22 0
>>73
本望だったでしょうな。
75:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/07/15 20:10:54 0
>>52
>あと戦闘で使用された記録や絵巻など現存してるのでしょうか?
『蔭涼軒日録』に、文正元年(1466)に、その頃喜界が島を征伐するなど武
力を振るっていた琉球の使節が足利義政に謁見し、「鉄放」を放ったとあり
ますが、形状などの詳細は不明です。文字通り鉄製かも不明。
『碧山日録』には、応仁2年に細川軍が「火槍」を使用していたと書かれていま
すが、これまた詳細不明。文字通り、長柄の先に(ヤリは鑓と表記されるのが
普通でしたが、長柄の使用を強調したものか)手筒花火の様なものを取り付
けたのではないかとも言われています。
53氏が仰られたのも、おそらくこれの事でしょうが、銅銃とも判断し難いの
で、「応仁・文明頃には、火薬が渡来していた筈」で済ませました。
当時の合戦を描いた史料としては、『真如堂縁起』などがありますが、少なくと
も、火器の使用は見られません。ただ、先にも少しばかり言及致しましたが、
所謂「鉄砲伝来」の3年後には、瀬戸内での戦闘に「鉄砲」が使用されたとい
う記録があり、おそらく旧式の銃だったのではないかと推測されます。
名称は「鉄砲」ですが、『太平記』にも出て来る元軍の記憶によるものか。
76:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/07/15 20:19:36 0
曲亭馬琴の『近世説美少年録』には、永正6年(1509)に九州で鉄砲が
使用されていますが、何に拠ったものか分りません。
なお、『南総里見八犬伝』に、火縄銃が出て来るのは、明らかな考証ミス。
嫌味と博覧強記の人というイメージが強いですが、ご存知無かったか。
77:世界@名無史さん
05/07/15 22:22:24 0
応仁の乱より前の応永の乱の時にも、
銅銃が使用されていたらしい。
78:世界@名無史さん
05/07/15 22:44:14 0
「晴天の霹靂」の霹靂ってのは炸薬弾のことでしょ? 何もない青空で突然
霹靂が炸裂してビックリするって意味だよね。応仁の乱のころにはもうあったらしい
79:世界@名無史さん
05/07/15 23:17:16 O
>>78 「霹靂」とは元々は雷という意味ですよ。
「青天の霹靂」とは晴れているのに雷が鳴るように、前ぶれもなく突然事件が起こることです。
兵器としての「霹靂砲」は「雷のような音を出すもの」というニュアンスであとからつけられた名前でしょう。
80:世界@名無史さん
05/07/18 16:07:08 0
青銅や鋳鉄でできた前装式大砲が破裂したら、周りにいる人は具体的にどういう被害を受けますか?
とりあえず悲惨なことになるのは想像つきますけど。
81:朱由檢
05/07/18 20:55:49 0
>>80さん
『当代記』(成立年代、著者不明)に大阪冬の陣での記述には、
天王寺門の大和衆が使用していた石火矢(国産大砲)が暴発し、
5~6人が爆死し、7~80人が火傷を負ったとあるよ。
82:世界@名無史さん
05/07/18 22:17:00 0
後装式の大砲は19世紀の代物だと皆思ってるだろうが、実は16世紀に既に
存在していた。豊臣秀吉がインドのゴアで製造された青銅製の大砲が今も
残っている。ただ、当時は閉鎖機の技術がまだまだ未熟だったので、早々
に廃れてしまったが・・・
83:ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w
05/07/18 23:22:27 0
>73
ウルバンに関する資料をご存知でしたら、ご教示いただけると幸いです。
非常に興味があるもので。
84:世界@名無史さん
05/07/18 23:26:16 0
>>82
閉鎖機が不十分な後装砲って、世界初のロシアンルーレットだね
85:朱由檢
05/07/18 23:32:21 0
>>82さん
“仏朗機”は世界史板ではよく知られてるよ~。
現物が見たければ、靖国神社へどうぞ。
86:世界@名無史さん
05/07/19 02:07:10 0
>>81
情報サンクスです。へたすると数十メートルぐらい被害が及んでるのか・・・
>>83
とりあえず自分のネタ元はこれですが
URLリンク(andreorban.tripod.com)
この人については資料がそもそも少ないのかも。
87:神機営
05/07/20 10:27:02 0
>>85
仏朗機は、もともとはヨーロッパ人を意味するアラビア語の「ファランギース」の
音訳で、明代におけるポルトガル人、スペイン人の呼び名でしたが、
彼らから購入したり、模倣して作った大砲もこう呼ぶようになりました。
この大砲は、16世紀の明代後半では最も多く使用されていました。
明末清初には、アダム・シャールやフェルビーストといったイエズス会の宣教師によって、
新しい火砲の製造法が伝わり、紅夷砲という性能のいい大砲が製造されるようになりました。
それにしても仏朗機が靖国神社にあったとは知りませんでした。
88:てる兄
05/07/21 02:56:01 0
>>87
大阪冬の陣の鉄製大砲と大友氏の国崩しは遊就館の一階にあるね。
あと二階には文禄・慶長の役で豊臣軍が戦利品として持ち帰った明や朝鮮の大砲もあるよ。
さらに遊就館前には薩摩藩が幕末の薩英戦争で使用した大砲と
同じく幕末に江戸湾防備の為のお台場に設置された肥前鍋島藩製造の大砲があるね。
いずれも巨大な青銅製前装砲で、薩摩の大砲は後の明治初期に大阪兵器工廠で線条を施されたらしい。
89:世界@名無史さん
05/07/21 20:34:07 0
中国では古くから、竹筒に火薬をこめて矢や弾丸をとばしていました。
英語の大砲は「cannon」ですが、これはイタリア語の竹のステッキ「cannone」に由来しています。
この技術が中国起源であることを示しているといえるでしょう。
金属製の大砲が最初に使われたのも中国であると考えられています(11世紀末~12世紀初め頃)。
ヨーロッパでは、14世紀の初頭には、金属製の大砲が全域で使用されていました。
皮肉なことに、教会の鐘の鋳造技術が進歩するとともに大砲も大型化していったのです。
当時の大砲には、組立砲と呼ばれるものとその改良型である糸巻き型と呼ばれるものがあったそうです。
16世紀に鋳造砲が登場して、その飛距離・大型化・寿命など、著しく発達します。
90:世界@名無史さん
05/07/21 23:16:07 0
突火槍(火龍槍?)→マドファ→西洋式大砲→ウルバン砲(オスマン・トルコ)→大砲発達
だろ?多分。根拠はないが
竹筒や木製の銃を金属製に変えようとするのは、世界のどこででも自然にやり始めたんだだろうね。
極普通な発想であるし。技術的にも問題ないだろうし(火器を扱えるほどの所なら)。
しかし、初期の火器は大した武器ではなかった。弓矢の方が圧倒的に強力だった。
これはライフル銃の登場まで多分そう。
91:世界@名無史さん
05/07/21 23:42:24 0
フリントロック式のマスケット銃の頃には、
弓・ボウガンよりも火器が主流になってたイメージがあるが、
どうなんだろ
92:世界@名無史さん
05/07/22 04:01:01 0
火器の単純な威力よりも音響が士気にもたらす効果が重要
93:朱由檢
05/07/22 19:03:27 0
仏朗機の伝来自体は実はよくわかってないんじゃなかったっけ?
仏朗機は南蛮人が渡来したときには多くの船に搭載されており、
驚いた南蛮人が明国人に伝来の経緯を尋ねると、
これは外国から伝来したものだと答えたって何かで読んだ気がするんだけど。
…資料なんだったんだろう。
94:世界@名無史さん
05/07/23 03:00:26 0
>>93
明末の武器百科である「神器譜」によると
中国への西洋式銃火器の伝来ルートはユーラシア大陸中央部を通って来た陸上ルートと
西洋からインド洋を経て日本から伝来した海上ルートの二つあったらしい。
陸上ルートはトルコ~中東~新彊~中国と伝わったのでトルコの中国読みで「ルミ銃」と呼ばれた。
海上ルートは西欧~インド~マラッカ~日本~中国と伝わったので「倭銃」または「鳥銃」と呼ばれた。
ちなみにポルトガルはゴアやマラッカを占領する際に現地人との激しい銃撃戦に遭遇したが
いずれも大陸ルートでインドに入って改良された銃火器だったらしい。
95:世界@名無史さん
05/07/23 10:41:12 0
明で倭銃、ルーミ銃、ポルトガル銃の性能を比べるテストをしたらしいが
倭銃は「点火孔の位置が顔に近すぎる」というので採用されなかったそうだ。
96:世界@名無史さん
05/07/23 15:37:14 0
>>94
でも魯迷銃はともかく中央アジアで仏朗機が使われてただろうか?
97:世界@名無史さん
05/07/23 17:28:22 0
URLリンク(kodaman-empire.kir.jp)
ナポレオン時代の銃。
いいサイトだ。
参考にしろ。
98:世界@名無史さん
05/07/23 18:39:35 0
>>85,>>87,>>93
仏朗機は、もともと大砲を後退させる空間のない狭い船内に積むために設計された
艦載用の大砲だったそうです。仏朗機は、母砲と子砲(薬室、カートリッジ)から
なっており、重くて仕組みが複雑であるという欠点がありましたが、速射が可能でした。
99:朱由檢
05/07/23 20:08:22 0
>>95
神器譜で趙士禎は、日本式銃が点火孔が顔に近いことのほかに、
現代の明の技術力では製造が不可能であるとも書いてあるよね。
100:世界@名無史さん
05/07/24 11:19:59 0
ということで100get!
101:世界@名無史さん
05/07/24 15:54:05 o
>>99
ネジのことかな?
日本でも相当苦心したらしいからね。
当時は旋盤など無しでよく作れたよね。
102:世界@名無史さん
05/07/24 21:31:25 0
ルーミ銃は銃身をダマスク鋼の技術で作ってて相当強靭だったらしい。
ヨーロッパでも銃身だけ輸入したりしてたとか。
引き金の機構はヨーロッパの方が上手く作れたらしいけど。
103:世界@名無史さん
05/07/25 18:42:58 0
>>101
雄ネジはともかく雌ネジとなるとねー・・・
最初の頃は、尾ネジから型をとって作ってたらしい。
そのうちにタップを使うようになったようだが。
104:世界@名無史さん
05/07/28 20:49:54 0
イスラム圏での銃器の使用はいつ頃から始まったのでしょうか? 特にモロッコ
あたりが知りたいのですが。
105:世界@名無史さん
05/07/28 22:24:20 0
>>104
マドファとかいう木製銃が1300年頃の文献に出てくる、らしい。
盛大に銃器を使用し始めたのはオスマン・トルコの台頭からかな?
銃器を(当時としては)大量に活用して一気に支配圏を広げた。
でも、ティムールに敗北して、一度滅亡寸前まで追い込まれていたりするんだよね。
ティムール軍も銃は持っていたのかな?
結局、良く知らない・・・
でも、モロッコならオスマン・トルコによるマムルーク朝の征服以後じゃないかな。
106:朱由檢
05/07/28 22:37:45 0
>>101さん、>>103さん
>>102さんの指摘にあるとおり、螺子ではなくって砲身ね。
大量の火薬の爆発に耐える砲身が重要だから。
多分、>>95さんと>>102さんの参考文献は、『世界文明における技術の千年史』
(アーノルド=パーシー著/新評社)だと思うからそっちを参考にしたらいいよ。
ナポレオン(Ⅰ世)が配下の将軍にオスマン製の剣や銃を贈ってたはず。
107:世界@名無史さん
05/07/28 23:06:52 0
最近、ケネス・チェイス Kenneth Chase という人が
"Firearms"という題で、欧州、中国、西方・東方イスラム世界、
日本の銃火器について1700年代までの包括的で体系的な歴史研究書を
刊行したと聞いたけど、東洋史関係ですでに読んだ人はいるのかな?
自分は書名しか聞いたことはないが・・・
108:世界@名無史さん
05/07/28 23:42:47 0
URLリンク(www.amazon.co.jp)
Firearms: A Global History to 1700 Kenneth W. Chase (著)
109:世界@名無史さん
05/07/29 18:35:22 0
>>107
学校の図書館に去年からあったんで読んだけど。
「火器についての包括的で体系的な研究書」というよりは
「なぜ火薬が発明されたのは中国なのに火器が強力な武器に進化したのは西欧だったのか」
という疑問を答えようとした本だ。
結論からいうと「西欧は遊牧民の脅威にさらされていなかったから」。
何じゃそりゃと思うかも知れんが読んでみると非常に説得力がある。
旧大陸(と周囲の島々)のあらゆる地域の火器使用について検討しているので
とても参考になる。
110:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
05/07/29 19:36:12 0
>>77
とりあえず、『応永記』をざっと見た限りでは、「赤壁の戦い」にヒントを
得たという火攻めは出て来るものの、銅銃は出ていなかった様な。
どちらに出ていたお話でしょうか。
111:世界@名無史さん
05/07/30 03:57:39 0
>>66
>百年戦争も後期になってからだから、14世紀末から15世紀初頭、
13世紀末から14世紀初めの物がスウェーデンに現存してるとか。
ドイツでも13世紀末の物が発見されたけど第二次大戦中に行方不明。
文献ではDeutsches Museum所蔵のCodex Germanicsが同時期の物。
流石に中身を読んだ事はないけど。 火薬・弾丸製造法、銃・砲術の解説が載ってるそうで。
>>82
>後装式の~実は16世紀に既に存在していた。
前装式と後装式はほぼ同時期に登場してるよん。15世紀には実用されてる。
falconetto砲とかspingarda砲とか。
112:世界@名無史さん
05/08/02 13:41:37 0
>>93
>>107の本によると、仏朗機のもともとの語源はイタリアの後装砲「ブラガ」で
オスマントルコ語「プランギ」→ペルシャ語「ファランギ」→タミル語「パランキ」
→中国語「仏朗機」というルートで伝播してるので、実物もそうじゃないかと。
西洋人を表す「ファランギ」系統の語はそれとは別に伝播したとか。
113:世界@名無史さん
05/08/02 15:24:46 0
>>109
>結論からいうと「西欧は遊牧民の脅威にさらされていなかったから」。
くやしく。
114:世界@名無史さん
05/08/02 17:13:03 0
1259年の中国の記録に現われる突火槍は、太い竹筒に火薬と多くの小石を仕込んだもので、
点火すると轟音とともに敵に向かって小石をまきちらしました。
これが火薬のエネルギーを利用して物体を発射する兵器の最初のものです。竹筒が青銅の鋳
物でできた筒になり、木の柄を取り付けて使用されるようになると「銃筒」「銅銃」「手銃」と呼ばれ
るようになりました。青銅製の筒で石を飛ばす兵器は、反動を地面で受けるため斜めに立てて発
射したり、肩にかついで射撃したりします。騎兵用の銃筒は小型で柄も短く、装甲した胸でしっか
りと反動を受け止めて発射しました。
現存する1332年のモンゴル軍の銅銃(至順銅銃)は、口径が約11ミリ、銃身の長さ35センチ、
重量約4キロの青銅製です。
115:世界@名無史さん
05/08/03 16:36:32 0
銅銃って騎兵も使ってたの?
ヨーロッパのピストル騎兵みたいに突撃しながら撃ったのか?
116:世界@名無史さん
05/08/03 21:37:00 0
趙士楨の「神器譜」には軽騎兵が3連銃身の「翼虎銃」を馬上で使っている図がある。
弾を撃ちつくすと抜刀して戦い、その際、銃を左手にもって盾の代わりにしたようだ。
117:朱由檢
05/08/05 23:50:34 0
ヨーロッパの火砲の起源として引用されるのは、14世紀の壺型の火砲(dart throwing vase)なの。
これはエドワード3世(1327-1377年)に献上された『ミルメートの手写本』(Waiter de Millemete著)で紹介され、
ドイツのフランチェスコ派黒人修道士ベルトルド=シュワルツが1313年に開発したとされている。
118:朱由檢
05/08/05 23:54:27 0
ベルトルド=シュワルツは存在自体が疑問視されているにもかかわらず、
ヨーロッパの研究者が必ず引用するから参考までに紹介ね。
119:世界@名無史さん
05/08/06 06:58:46 0
西洋への火薬の伝来は地中海方面?東欧方面?
120:世界@名無史さん
05/08/06 13:28:30 0
>>119
大砲を使い始めたのはイタリアが早かったようだから地中海では。
ロシア方面でもクマン族やヴォルガ・ブルガールが正体不明の焼夷兵器を使ってた
記録があるけど、火薬と関係あるのかよく分からない。
121:世界@名無史さん
05/08/06 13:34:30 0
>>117
昔から疑問に思ってたけど何で初期の火砲は「矢」を飛ばすんだろう?
122:朱由檢
05/08/06 23:54:41 0
インドの火器製造技術が高かったことについては、
前述の『世界文明における技術の千年史』
(アーノルド=パーシー著/新評社)にも載ってたはず。
123:世界@名無史さん
05/08/07 06:56:04 0
>>121
弱い火力で石飛ばしても致命的なダメージになりにくいし
124:世界@名無史さん
05/08/07 08:10:40 0
>>117
ほとんどが石弾や鉛弾だと思うけど?「矢を飛ばす初期の火砲」ってどんなのがある?
火箭は「火砲」とはちょっと違うし。
125:124
05/08/07 08:11:36 0
>>121だった。
126:世界@名無史さん
05/08/07 15:24:14 0
>>124
URLリンク(riv.co.nz)
117で言及されてるdart throwing vase(一番上の絵)
鉄製の矢だったらしい。
127:世界@名無史さん
05/08/07 17:42:10 0
>>126
良くまとまったサイトだ。有難う。
これは初めて見た。かなり特殊な例なんじゃないかと。
>>121
「矢を飛ばす」理由は>>123の他、単純に既存の兵器の延長線上で
「重い矢を遠くまで飛ばしたい」という発想じゃないかと。
128:朱由檢
05/08/07 23:33:22 0
>>122は誤爆です。ごめんなさい。
129:朱由檢
05/08/08 00:16:55 0
ヨーロッパにおける火器の歴史は、
13世紀イギリスのロジャー=ベーコンが発見して暗号で残し、
14世紀ドイツの黒人ベルトルド=シュワルツが解読し、
火器を発明したと紹介されてきた。
しかし、このベーコンの暗号文は偽書であることがわかり、
シュワルツも架空の人物である可能性も高まり、
欧州三大発明の一つ火薬が捏造であったことがあきらかになってる。
だいたい自分の発明を普通暗号で残すかな?
ダヴィンチの暗号論文も怪しいと個人的には思う。
130:世界@名無史さん
05/08/08 05:59:53 0
パトロンに渡す資料ならともかく。、ただの研究記録は
盗まれてもいいような体裁をとる人はいただろうね。
131:世界@名無史さん
05/08/08 13:09:57 0
初期の火砲が矢を発射してる例はアジアにもあって
「明実録」の永楽帝のモンゴル遠征の記述では
火砲から放たれた矢が二人の敵兵を貫き、馬まで殺したとあるので
>126にあるような大型の矢だったと思われる。
高麗王朝で火砲に言及している最古の記録(14世紀半ば)でも、
放たれた矢がどこそこまで届いたなどと記されている。
132:世界@名無史さん
05/08/08 17:50:55 0
李氏朝鮮の初期、1474年に編纂された「兵器図説」でも銃筒は矢を発射するものとされているね。
それはそうと一時期のイタリアでは砲身ばかりか砲弾まで装飾していたそうだから、
日本でも竹箍の上から化粧板を着せて漆掛と蒔絵を施した木砲とかが出現していれば面白かったのに。
133:世界@名無史さん
05/08/09 23:48:59 0
>>113
遅レスで申し訳ない。著者の主張をまとめるとこうなる。
歴史上、定住民と遊牧民の戦争は、遊牧民の農耕地帯への略奪行、または定住民側が
それに対抗して行うステップや砂漠への遠征という形でなされた。
遊牧民の戦争スタイルは軽騎兵の機動性を生かしたもので、優勢な敵に対しては
戦わずに退却し、劣勢と見れば即座に襲いかかる。追撃してきた敵をふりまわして
疲労と混乱で弱体化したところへ奇襲をしかけるなど、変幻自在だった。
そのため、重装騎兵や歩兵による軍隊が正面からぶつかれば撃破するのは可能だったが、
自軍に有利な状態で捕捉することができない。遊牧民の本拠地に侵攻しても、遊牧民は
広大な空間の中で移動して生活しているので条件は変わらず、かえってロジスティクスの
問題から危地におちいることが多かった。
華北、東欧、中近東、インドの定住農耕文明は地理的な理由から、つねに遊牧民の脅威
または支配を受けており、それゆえ上述した理由から騎兵中心の戦闘スタイルの影響が
強かった。
それに対して西欧で行われていたのは定住民と定住民による戦争で、歩兵中心の軍隊で
城壁で囲まれた都市や城を奪い合うものであり、騎兵は比較的少数のエリート部隊として
用いられる傾向にあった。
134:世界@名無史さん
05/08/09 23:51:10 0
実用化された初期の銃は装填や点火の困難から馬上での使用に適しておらず、もっぱら
歩兵によって用いられた。大砲は攻城戦に役立ったが、軍隊の機動性を大きく損なった。
こうした条件から、歩兵戦や攻城戦、海戦の機会が多かった西欧では、火器が文字通り
死命を制する武器となったが、華北、東欧、中近東、インドにおいて遊牧民の侵攻を
防ぐにはあまり役に立たず、限定的にしか用いられなかった。
もちろんこれにも偏差があって、中国でも元末の群雄割拠の時代には、歩兵中心の軍隊で
城塞都市を奪い合うような戦争をやっていて、銃や大砲が盛んに用いられた。
オスマン帝国もほとんど定住民相手に戦っていたので、火器が重用された。遊牧トルクメンが
主力のサファヴィー朝に対し、連戦連勝しながらついに征服できなかったのは、遊牧民に対する
限界を示している。
15、16世紀にタタール諸国と戦っていたモスクワ大公国の軍隊は、タタール風の装備をした
勤務士族の弓騎兵が主力だったが、西からポーランドやスウェーデンの脅威が高まるにつれて
農民から歩兵を徴集し火器を配備するようになった。
135:世界@名無史さん
05/08/14 18:34:15 0
>遊牧トルクメンが
>主力のサファヴィー朝に対し、連戦連勝しながらついに征服できなかったのは、遊牧民に対する
>限界を示している。
サファヴィー朝は旧態依然としたトルクメン騎兵からオスマン式軍制に移行したから強大化したのではないのか?
136:世界@名無史さん
05/08/14 19:45:33 0
>>110
火攻めの時に火砲が使われているのでは?
137:世界@名無史さん
05/08/15 14:59:18 0
【^▽^】応仁の乱について語る【^▽^】
スレリンク(history板)
銅銃は、石火矢で、音が大きいので威嚇に使えて、焼き討ちにも使えて
でも命中が低くて、焼いたら焼いたで損害賠償とかしないといけなかったらしい。
138:世界@名無史さん
05/08/16 02:49:58 0
さて、バッキンガム宮殿につっ立っている近衛兵を見てふと思ったんだが、
マスケット銃を使用していた時代、弾丸が銃身に込めっぱなしだっただろうか?
前装式だから、事が起こってから弾込めるのはありえないし、だからといって弾を込めっぱなし
にするのは危ない気がする。一体どうしていたんだろう?
139:世界@名無史さん
05/08/16 03:24:28 0
>>138
前装銃も基本的には戦闘準備が発令されてから装填するものですが、
衛兵の様に立哨歩哨を行う場合は、装填してから上番するんでしょうね。
フリントロック式・パーカッション式とも、装薬と弾丸とを(フリントロックは口薬、パーカッションは雷管も)
装填しただけでは、引き金を引こうが発射はされませんから、極めて安全です。
これで更に口薬/雷管を使用時まで抜いておけばもっと安全です。蹴飛ばしてもぶん投げても大丈夫です。
この状態でも発射するまでに5~6秒もあれば充分でしょう。
その上衛兵なら剣も帯び、銃剣も着けるのが普通ですから、これを咄嗟の対応に使えます。
140:世界@名無史さん
05/08/16 10:48:25 0
>>138
レス感謝です。
後、一度込めた弾はどうするのでしょうか?そのままにしておくのでしょうか?
141:世界@名無史さん
05/08/16 14:50:25 0
>>140
自分の質問になぜ感謝しているかわからんが・・・。
>>139の回答はまったくの虚言だぞ。
142:世界@名無史さん
05/08/16 16:02:31 0
>>141
間違えた・・・・・・orz
てか、そうなんですか?
143:世界@名無史さん
05/08/16 17:29:12 0
30年戦争頃普及した紙薬莢の一種(日本の早合に近い物)を
常備していた。
イギリス軍でパーカッション式(エンフィールド銃)と同時に
採用となった獣脂で固めた紙薬莢がセポイの乱の発端となった
逸話は有名だな。
>>139のように火薬と弾丸を予め詰める方法では、当時の黒色
火薬では湿って使い物にならなくなってしまう。
144:世界@名無史さん
05/08/16 19:31:23 0
>>142
>143は紙薬莢(正しくは紙薬包。薬莢とは別の物。)の話を持ち出したのはいいけど、
実際に黒色火薬の扱いに関する知識は無いと見える。半可通のガンマニアかもね。
日本にも火縄銃射撃を実際にやっている人がいるから、検索してみるといいよ。
黒色火薬が外気に触れるとたちまち湿気て使えなくなってしまうような物なら、導火線なんて物は使えないよね。
紙薬包を使わない前装銃では火薬をパウダーフラスクに入れて持ち歩くけど、あれは別に気密容器じゃない。
紙薬包はあくまで予備弾薬の再装填を素早く行う為の工夫。携行中に水気を防ぐ役目もあるけどね。
前装銃でも一度装填してしまえば薬室は殆ど外気に触れなくなるよ。そうでなければまともに発射できない。
当時の規則がどうなっていたかは知らないけど、衛兵の銃は儀礼的な飾りの意味が大きいからなあ。
装填はしてない可能性もあるかも。ただ、>139の言うようにあらかじめ装填しておいても数日間は
(水をかぶったり一日中銃口をむきだしで上に向けて大雨に降られたりしなければ。)そのまま使えるよ。
あと、装填した弾を撃たずに抜きたい時は銃を分解して尾栓を抜けば可能だけど、
普通は撃っちゃった方が手っ取り早い。
145:朱由檢
05/08/16 22:12:55 0
簡単にまとめると…。
>>139さん説は火薬と弾をあらかじめ装填してすぐ撃てるようにしていたが、
暴発の危険性を避けるため、火打石や雷管をはずしていた。
衛兵は訓練度が高いので5秒足らずで火打石や雷管の装填ができた。
>>143さん説は紙薬包をあらかじめ用意してすぐ撃てるようにしていた。
事前に装填していては湿度が心配であると>>139さん説を否定。
逆に、>>144さんは黒色火薬は吸湿性が低く、
装填したまま数日間は大丈夫と>>139さん説支持しているみたいだけど、
>>139さんと>>143さんのどっちが正しいわけ?
双方の参考資料を教えていただけませんか?
146:朱由檢
05/08/16 22:46:50 0
最初に>>139さんが指摘するように、
火打石も雷管も取り外しや交換は現実的に可能なことなの。
フリント式銃は火打石が平均20回で交換する必要だったし、
雷管も取り扱いは難しいものの、
パーカッション式銃用に交換用雷管革カバンが現存するよ。
また、>>144さん説のとおり、
19世紀まで硝酸カリウムの代用品だった硝酸ナトリウムは、
吸湿性の高い不純物(硝酸カルシウム)比率が高いのも事実。
147:世界@名無史さん
05/08/17 02:08:05 0
なに腐れコテハン筆頭の朱由檢はド派手な自作自演やっとんのじゃ?
ナポ以上にバカ。
148:世界@名無史さん
05/08/17 20:13:32 0
>>146
日本の早合も紙の薬莢でしたっけ。
鉄砲が伝来してすぐに早合が使われだしたんだよな。
149:朱由檢
05/08/19 21:01:35 0
>>148さん
早盒は、紙、革、金属で作られ銃口と同口径の長さ8cmほどの筒で、
中に火薬と弾を込め、底に紙を貼ったものだよ。
150:世界@名無史さん
05/08/19 23:08:08 0
オスマン帝国軍がイタリア式築城術の要塞を陥落させた例はあるんですか?
151:世界@名無史さん
05/08/19 23:21:30 0
世界初の火器専門の砲兵隊って、永楽帝の神機営でいいのかな?
152:世界@名無史さん
05/08/19 23:24:59 0
神機営ってなぜかヴェトナム人のインストラクターを雇ってたらしい。
153:世界@名無史さん
05/08/20 00:00:35 0
>>151
明代、火器の管理は宦官が独占的に行っていた。
154:世界@名無史さん
05/08/20 13:11:58 0
火者とかいうぐらいだからな
155:世界@名無史さん
05/08/20 14:58:06 0
宦官と「火者」は厳密には異なるもののようですな。
宦官とは宮廷に仕える去勢者であり、
王府で使役されるものや、功臣に下賜された宦官は、
宦官ではなく「火者」と言うようです。
156:世界@名無史さん
05/08/20 18:43:53 0
>>155
「火者」は宦官を意味するペルシア語、インドのヒンドスターニー語の
「ファージャ」の音訳です。元、明の頃にはインドからも宦官が
輸入されていました。
157:世界@名無史さん
05/08/20 18:53:56 0
>>155
そうですね。語源はその通りです。
ご苦労様でした。
158:世界@名無史さん
05/08/20 20:34:19 0
>>149
西洋のものと同じようなものですか?
159:朱由檢
05/08/20 23:25:49 0
>>150さん
ヴェネツィア領キプロスのニコシア(レフコシャ)はイタリア式築城(星状稜堡)だけど、
1571年にオスマン帝国によって陥落しているよ。
160:世界@名無史さん
05/08/22 14:56:21 0
>>159
おお、ありがとうございます。やはり16世紀のオスマン軍は強い。
ハンガリーのハプスブルク側にもイタリア式築城術の要塞があったようですな。
詳しいことは知りませんが・・・
161:過疎だな~
05/08/26 09:53:59 0
イタリア式築城というのは、ヴォーバンが作った五稜堡の要塞でつね
関係のない話ですが、フランス人のヴォーバがは、リール都市の総督に任命されていた時、
ヴォーバンだけが仕える主だと思っている部下の技師団とダルダニアン(3銃士のモデル、リール都市のもう一人の総督)は
ことあるごとに対立してダルダニアンも短気起こしては争いになり、最終的にヴォーバン本人と話して
争いに決着をつけたとか
ちなみにリール要塞は高い防御力を誇っていたが、補給を断つ兵糧攻めにあって1678年12月10日に陥落している
なおこのリール要塞はガイドツアーに参加すれば自由に内部が見学できるらしい
すれ違いスマソ
スルーしてくれ
162:世界@名無史さん
05/08/26 10:43:19 0
>>161
イタリア式築城というのは、大型大砲の実験場と化したイタリア戦争時に登場した稜堡式城郭。
堀を利用したオランダ式などのバリエーションがある。
ヴォーバン式はこれを改良したもので、イタリア式=ヴォーバン式ではない。
フランス人ヴォーバンが考案したと書き込んだ時点でイタリア式でないと気付けよな。
↓世界の代表的な稜堡築城が写真でわかるHP
URLリンク(www.city.hakodate.hokkaido.jp)
163:161
05/08/26 11:19:55 0
ありがとうございます
感謝 m(__)m
164:世界@名無史さん
05/08/26 11:51:38 0
イタリア式築城により要塞の建設費用は跳ね上がったとのことだけど、
具体的にはどれくらいなんだろう?
165:世界@名無史さん
05/08/26 13:17:45 0
90式野砲の性能を教えてください
166:世界@名無史さん
05/08/26 19:17:41 0
>>164
ひとつの稜堡で1万ポンド
167:世界@名無史さん
05/08/28 13:12:37 0
>>152
永楽帝がヴェトナムに遠征したときに現地で使われていた「神槍」という銃を
北京に持ち帰ったのが神機営のはじまりでなかった?
168:世界@名無史さん
05/08/28 15:26:47 0
URLリンク(yasai.2ch.net)
URLリンク(yasai.2ch.net)
URLリンク(choco.2ch.net)
169:世界@名無史さん
05/08/30 00:16:51 0
>>150
スレイマン大帝がホスピタル騎士団と戦ったマルタ島の要塞もイタリア式だったな。
陥落はしなかったけど。
170:世界@名無史さん
05/08/30 01:40:38 0
ロードス島戦記と間違えてロードス島攻防記を買ってきた父親をバカだと思った
そんな時期が私にもありました、今では感謝している。
171:世界@名無史さん
05/09/01 22:52:01 0
>>165
フィリピンや、硫黄島の戦記を嫁。
172:世界@名無史さん
05/09/02 20:08:09 0
フリントロック銃はトリガーを引いてから発射するまで数秒かかったって本当?
173:世界@名無史さん
05/09/03 05:44:41 0
>>172
えっえぇーっ?
そもそもフリントロック銃の仕組みを検索してみればそんな筈は無い事が解ると思う。
ハングファイア(遅発)っていう特殊な現象があるけど、それは火縄銃から金属薬莢式センターファイアまで
全ての銃砲に起こり得る珍現象。フリントロック式にだけこれが起こり易いと言う事も無い。
174:世界@名無史さん
05/09/03 07:37:04 0
まあ世の中にはマッチロックの火縄が導火線だと信じている人も少なくない訳だが
175:世界@名無史さん
05/09/03 13:04:20 0
>>172
ホイールロックの間違いでは?
初期のフリント式であるスナップハンス式は引き金を引くことで
コックと火蓋の両方を操作する複雑な機構でラグはあるだろうが
数秒とは言えないのではないだろうか
176:世界@名無史さん
05/09/03 13:08:42 0
初期の銃は煙幕も張れて弁理。
177:世界@名無史さん
05/09/03 16:16:39 0
>>175
ホイールロックだって一瞬だよ。ホイールロックの仕組みを(ry
178:あやめ ◆C0.O2CxIMg
05/09/03 18:49:21 0
>>152
>神機営ってなぜかヴェトナム人のインストラクターを雇ってたらしい。
>>167
>永楽帝がヴェのトナムに遠征したときに現地で使われていた「神槍」という銃を
北京に持ち帰ったのが神機営のはじまりでなかった?
当時の安南は火器の先進国だったようです。ただ明との技術交流について学説は
区々一定してないらしく、「中国古代火薬火器史研究」(中国社会科学出版社刊)
所収の李斌「永楽朝與安南的火器技術交流」という論文では、劉勉之・張秀民・有馬
成甫の・王兆春・潘吉星らの説を紹介した上、1、明が交阯を征する以前から既に
火銃の技術は成熟に向かっており、「神機」という名称も使われていた。陳友諒・
張士誠・明玉珍・思倫發などとの戦闘で盛んに火器が使用されたことが「明史」や
「明實録」に記載されており、洪武初年製造の銅銃も大量に出土していて、早く
主力兵器となっていたことが窺える。「明史」の「張輔傳」には永楽四年の交阯の
役で「神機火器」を用いて越軍の戦象を潰走させたとする記載がある。また当時の
明軍中に「神機将軍」の名称を名乗る武官がいた。越軍との戦争を通じて新式の
武器を敵から導入したわけではない。
179:あやめ ◆C0.O2CxIMg
05/09/03 18:50:02 0
2、永楽時代に矢鏃を弾丸として木送子(射程を伸ばすための管型火器)を取付け、
火門外に長方形の薬槽を設け開閉できる蓋を取り付けるなど、点火装置を改良し
操作性と天候に対する安定性を増進した。このような進歩を齎したのは交阯の
役より後のことなので越軍の技術を導入したものと推定できる。そして交阯の
大虞國主である黎蒼の兄の黎澄が明に用いられて火器製作を主導することとなり、
最後には工部尚書にまで昇った。彼を中心とする安南の火器技術の導入が神機營
創建の重要な契機となった。
以上が李氏論文のうんと端折った要旨です。銃のメカに暗いので判りにくかった
かも。
180:172
05/09/03 20:39:34 0
>>173-177
7年ぐらい前にちらっと見たサイトでそんな記述があったので・・・
一体なんでそういうことを書いたのか、まさかそういうソースがあるのかと。サンクス。
>火縄が導火線だと
マッチロックの機構の意味がなくてワロス
>>179
遠征後に作られた火器に従来からあった「神機」という呼称が使われたということですね。
2って手持ちの銃ですか? 「開閉できる蓋」ってたぶん点火薬が吹き飛ばないように火皿についてたのかな。
インドシナではポルトガル人到来以前から中国式の火器がかなり普及してたとか。
181:世界@名無史さん
05/09/04 00:55:09 0
>180
あんまり驚いたので >えっえぇーっ? とか言ってゴメンネ。
多分それを書いた人はどこかでハングファイア現象の記述を見て、
それを一般的な機構上の特性だと思い込んじゃったんじゃないかなあ。
そんなんじゃ絶対狙った所に当たらないよねw
182:世界@名無史さん
05/09/05 18:26:31 0
問題のページ・・・
URLリンク(www.246.ne.jp)
183:世界@名無史さん
05/09/05 21:40:58 0
>182
そのページではホイールロックを「引き金を引いてから発砲まで数秒が必要」と書いてますね。
可哀想なのでこれ以上のコメントは控えます。そっとしておいてあげましょう。
184:世界@名無史さん
05/09/06 16:06:50 0
「複数列の横隊による連続一斉射撃」ってのは中国の弩兵がやってたような
185:世界@名無史さん
05/09/06 23:22:13 0
リア厨の頃てんぷら油からニトログリセリンを作ってみたんだが
ほんの数滴で校庭一円に容器にした金属バケツの破片が飛ぶぐらいの威力があった。
けが人でなくてほんとに良かったよ。
ってことで暴発、不発の管理ってどうやってたんだろうな?
先込めで不発、覗き込んだ瞬間にハングファイア炸裂。
不注意から火薬を2回入れて詰めちゃって銃身破裂。怖すぎるな。
186:世界@名無史さん
05/09/06 23:47:30 0
>>185
中国の作家、莫言の小説にそんな話があったな
187:世界@名無史さん
05/09/06 23:48:51 0
米南北戦争ゲティスバーグ会戦後に発見された遺棄小銃は23発続けて装填されていた。
他にもこれに近い例はある。練度の低い動員兵がパニックに陥った結果らしい。
188:世界@名無史さん
05/09/07 02:20:10 0
>>187
そんな兵と戦列組んだら、敵より怖いっスねぇw
189:世界@名無史さん
05/09/07 02:59:36 0
後期のマスケット銃は4列で毎分10発以上の弾幕射撃、煙幕気にせず連射するだけなら1列あたり毎分4発
190:朱由檢
05/09/07 22:02:59 0
>>189さん
フリント式マスケケットとペーパーカートリッジを利用した18世紀のフランス軍は、
はじめ1分当たり5発の発射速度ものの、
黒色火薬の煤が銃身に溜まると最初の15分の4である3分当たり4発まで落ちました。
戦国後期の日本では、
弾の径をだんだん小さくして行くことで発射速度が落ちる事を防いでいました。
191:世界@名無史さん
05/09/08 23:28:36 0
スナイドル銃とかどうよ
192:名無しさん@そうだ選挙に行こう
05/09/10 19:20:13 0
こんなページがあった
URLリンク(www.asahi-net.or.jp)
193:朱由檢
05/09/10 23:24:50 0
>>192
幕末の日本はヨーロッパで旧式となった兵器を(在庫処分を兼ねて)
次々売りつけられてたわけ。
フリント式なんて火縄式にも劣る粗大ゴミ同然の兵器だよ…まったく。
幕末に使用された火器についてはこっちのページも見てね。
URLリンク(www.at-m.or.jp)
日本では尾張藩の吉雄常三が天保3年(1832年)雷管式の国産化に成功しているし、
『雷撃銃略記』、『雷火銃小解』が1850年代には邦訳されるのに~。
194:名無しさん@そうだ選挙に行こう
05/09/11 18:41:51 0
>>193
おおサンクス。
昔の座頭市でもやくざに南北戦争期の銃を売りつける話があったような。
195:名無しさん@そうだ選挙に行こう
05/09/11 19:30:44 0
銃の進歩ってこの時期はすごかったんだなぁ。いまは50年前の設計の
銃でも武装集団がメインウエポンとして使っていたりするのに。
196:世界@名無史さん
05/09/12 13:33:12 0
>>195
それはカラシニコフだけでは
197:世界@名無史さん
05/09/12 14:18:55 0
たしかに小銃だとAK-47ぐらいだけど、1種類とはいえその数はとんでもないからねぇ。
でも、イラク戦争でM14が米軍で大規模に使われているから、1957年にアメリカ陸軍に
制式採用だからあと2年で50年経つ。
拳銃だと1911年アメリカ軍制式採用のコルトガバメント、1933年にソ連軍に制式採用の
トカレフTT33を筆頭に、1955年のコルトパイソン、1956年のS&W M19などなど設計から
50年経っても現役バリバリというのはざら。
1931年のワルサーPPK、1934年のベレッタM1934なんかも80年代まで生産していたし。
198:世界@名無史さん
05/09/12 16:21:01 0
>>197
PPKはまだ現役。生産はS&Wに任せたみたいだけど。/Sは本国でも製造中。
モーゼル1898ライフルも数年前から再生産が始まったよ。南アではM1919MGを生産中。
M2HMGも原設計は1910年代。キリが無いよね。
>>195
包丁が昔から包丁なのと同じ。早い段階に急激な進歩を遂げれば、あとは細かい改良をするだけです。
鮫は「ずっと進化していない」のではなく、早い時期に充分進化が進んでしまったので、
その後目立った変化を必要としないだけ。
生物進化と同様、銃も使用環境・必要条件の激変が起きない限り、目立った変化も起きないでしょうね。
199:世界@名無史さん
05/09/12 17:18:59 0
まあ銃もついに完成され尽したということかな?
それとも火縄銃からそれ以外の方式のように長い停滞期に再び入っただけなのかも・・・・
200:世界@名無史さん
05/09/12 18:26:05 0
ケースレスが普及すれば色々と違った機構も登場しそうなものだけどなあ
201:世界@名無史さん
05/09/12 19:28:03 0
一度誰かが失敗すると次のチャレンジャーが出てくる確率は低下する。
一度完成を見た技術であっても何らかの理由で広まらなければ消えちゃう。
どっちも世界史板の住民なら分かるとは思いますが……
202:世界@名無史さん
05/09/12 19:36:16 0
ジャイロジェットが普及すれば(ry
203:世界@名無史さん
05/09/12 23:14:00 0
レールガンが実用化される可能性はないのだろうか?
204:世界@名無史さん
05/09/13 00:31:55 0
>>200
HK社がG11でコケて以来どこも発表してない
205:世界@名無史さん
05/09/13 03:31:54 0
対人武器としてこれ以上強化する必要が無い。
むしろ警察用とかエアマーシャル用とか余計な被害を出さないように苦心したりしてるんだから。
ボディアーマーが格段に(小銃弾を跳ね返しその衝撃を完全緩和するぐらいに)進化しないと…。
206:世界@名無史さん
05/09/16 23:18:34 0
臼砲が発明されたのってヨーロッパ? 中国?
207:世界@名無史さん
05/09/17 01:08:56 0
臼砲の概念による。野砲や榴弾砲みたいに明らかに砲の役割が異なる物が
発明されないと比べられない。この場合城・要塞攻めに使われる大型・大口径
短砲身の砲と定義すると3兵戦術が確立し、なおかつ城攻めもあった18世紀
ヨーロッパかな?(異論もあるだろうけど。)
208:世界@名無史さん
05/09/17 08:11:26 0
17世紀中頃にはもうあったみたいだが。
島原の乱で、幕府軍が一揆勢がたてこもる原城に大筒で砲撃を加えたが
射角が低くて崖の上の原城にはほとんど届かなかったので、
乱後、オランダに臼砲の作り方を教えてもらったとか
209:世界@名無史さん
05/09/17 19:16:05 0
>>208
そうなの?何て名前の砲。まあその後天下泰平で埃1トン位溜まってそう
だけど。
210:世界@名無史さん
05/09/17 19:21:20 0
碗口は臼砲じゃないか
URLリンク(www.chinamil.com.cn)
211:世界@名無史さん
05/09/17 20:24:31 0
どこからを臼砲と認めていいんだか分からないけど。
14世紀前期のボンバルダなんかは既に立派な臼砲。
212:世界@名無史さん
05/09/19 01:55:56 0
>>208
秀吉が攻め込んだ頃の朝鮮にも「碗口」という臼砲があったらしい。
たぶん中国から伝わったものか。
213:世界@名無史さん
05/09/19 02:02:33 0
>>210で既出だった。
明初からあったんだね。
214:世界@名無史さん
05/09/21 15:50:29 0
ギリシャ火って火付けて海に放り込んだらどうなるんだろう。
215:世界@名無史さん
05/09/24 16:16:14 0
>>215
ギリシア火薬(グリーク・ファイア)は、シリアにいたギリシア人とも
イスラム軍の捕虜ともいう人が製法を伝えたもので、松脂、硝石、硫黄など
を混ぜて作られました。この兵器は、海戦や防御戦で役に立ちました。
史書によると、水をかけても火は消えにくかったとありますが。
216:朱由檢
05/09/24 22:05:28 0
>>214
“ギリシャ火”の原料はナフサと消石灰なので水で発火し、
水では消えないからしばらく燃えると思うよ。
“ギリシャ火”は>>215さんの指摘のとおり、イスラム側の発明で、
ビザンツ帝国に亡命したシリア人技師が伝来したという説もあるね。
217:世界@名無史さん
05/09/25 20:36:37 0
ギリシア火は小便をかければ消えるという説があった。
218:世界@名無史さん
05/09/25 21:12:01 0
>>217
アンモニアと何か関係があるのかしら?
219:世界@名無史さん
05/09/25 21:19:05 0
>217-218
それが事実かどうかは知らないし、余程大量の小便を掛ける必要も有るだろうし、
そんなに大量なら水でも消えるだろうし、砂でも掛けた方が効果的だと思うけど、
アルカリ性水溶液で酸化作用を阻害するって事なのかも。
消火剤なんかも外気の遮断作用と酸化阻害作用を利用してるからね。
220:世界@名無史さん
05/09/25 23:38:42 0
けどギリシャ火がイスラム側の発明なら
イスラム軍はなぜギリシャ火にてこずったんだ?
対策ぐらいたてられそうなもんだろ
221:世界@名無史さん
05/09/26 04:44:28 0
そりゃイスラムであんな火炎放射器になってなかったから。
対策としてはイスラムも同じものつくって対抗した。
222:世界@名無史さん
05/09/26 23:22:18 0
砲の発展は戦車や軍艦の装甲の発展を同時に伴った。
しかし対照的に銃の発展は鎧の退化・省略化を促した。
これは歩兵と軍艦・戦車の価格の違いに原因があるのではないか?
しかし先進国では人命の価値は高騰を続けている。
将来技術的なハードルが低くなれば、歩兵用の鎧が対抗発展することはあるだろうか?
223:世界@名無史さん
05/09/26 23:41:05 0
PEGを繊維に使ったりボディアーマーは発展しつづけている。
224:世界@名無史さん
05/09/26 23:48:31 0
>>222
>歩兵用の鎧が対抗発展することはあるだろうか?
WW1~WW2期に限定的用途で復活しては消え、を繰り返したものの、
ボディーアーマーやヘルメットはその後順調に発展し続けてますよ?
>これは歩兵と軍艦・戦車の価格の違いに原因があるのではないか?
単純にメリットとデメリットを秤に掛けただけだと思いますが。
化学繊維応用技術の進歩で、行動に大きな支障をきたさない寸法・重量のアーマーで
ある程度の効果が得られる様になって初めて普及したんでしょう。
ボディーアーマーを貫徹する弾薬も同時に発展してますけどね。
>砲の発展は戦車や軍艦の装甲の発展を同時に伴った。
戦術形態によってはヘルメットを被る事さえ嫌われるケースもあります。
何でも守りを固めればいいってものでもありません。要は使い方ですから。
戦車の装甲が重厚化する反面、全く装甲を持たずに機動性と小ささに生存性を求める戦闘車両も現れています。
225:世界@名無史さん
05/09/26 23:54:11 0
>>218
こういう場合に対しては尿素が微量すぎて水と変わらん
226:世界@名無史さん
05/09/27 00:48:34 0
ヘルメットは確かにWW1期に発展したな。
でもこれは弾を直接止めるのではなく、破片による被害を減少させるためだったな。
ボディーアーマーもせいぜい拳銃弾対策程度だし。
これでは軍艦の装甲と同レベルの対抗発展とは言えないな。
やはり鍵になるのは機動力の減少か。
戦闘車両や軍艦はエンジン次第で機動力を増加させられるが、人間はそうもいかない。
歩兵レベルでこれを考えると、戦闘強化服のようなものの登場を待たねばならないか。
227:世界@名無史さん
05/09/27 16:34:03 0
>>222
三十年戦争あたりの時代まではまだ鎧のプレートを分厚くすることで対抗していたはず。
完成した鎧を銃で撃って品質を確認していたとか。
228:世界@名無史さん
05/09/28 21:13:58 0
全身を鋼鉄の鎧で覆った騎兵がピストルを一斉射撃してた時代もあった。
229:世界@名無史さん
05/09/29 21:17:40 0
URLリンク(www.ring-g.co.jp)
ライフル対応のボディアーマーはマジ重い
230:世界@名無史さん
05/09/29 23:33:20 0
>>229
フル装備でどれだけの重さになるか知らないけどそもそも屈めないんじゃ?
231:世界@名無史さん
05/09/30 00:41:06 0
マフディーの乱でイギリス軍と戦ったムスリムたちは
先祖伝来のチェインメイルでライフル銃に立ち向かって
普通に弾にあたるより悲惨なことになったそうだ。
232:世界@名無史さん
05/09/30 01:12:14 0
>>231
うわー。想像したくもないな…
233:世界@名無史さん
05/09/30 20:14:56 0
URLリンク(cheese.2ch.net)
URLリンク(cheese.2ch.net)
234:朱由檢
05/10/02 22:10:57 0
明末の『神器譜』の中で趙士禎は5人更番放銃図という図説つきで、
5人交代射撃によって間断なく銃撃する方法を紹介している。
235:世界@名無史さん
05/10/03 18:13:49 0
>>234
たしか>>107の本で紹介されてたかも。
装填手と射手と手渡し役が分かれてたとか・・・
236:世界@名無史さん
05/10/08 00:47:22 0
火桶都監
237:世界@名無史さん
05/10/08 17:45:32 0
中国では、山東や四川などで硝石が採れましたが、
硫黄はほとんどありませんでした。
日宋貿易や日明貿易で、日本が輸出したもののなかには
硫黄がありました。でも、その後いったいどうやって硫黄を調達するように
なったんだろう。
238:世界@名無史さん
05/10/08 23:33:54 0
清はマカオと広州で貿易してた。
239:231
05/10/10 11:31:32 0
ネタ本を読み返してみたら間違いだった。
鎖かたびらを着て戦ってたのはムハンマド・アリー朝の「鉄人部隊」。
品質が悪くスーダン兵の銃弾でたやすく破壊された。
240:世界@名無史さん
05/10/10 16:31:39 0
>>239
いや、いかに高品質でも鎖帷子が銃弾を受ければちぎれて金属片になってしまうと思う。
いくらかは耐弾性が期待出来そうな甲冑なんて、近世に入ってからの最期の徒花、
重騎兵用の二重装甲甲冑ぐらいのもんじゃないかと思う。
241:世界@名無史さん
05/10/10 17:41:15 0
当時の銃は銃口、弾の種類、距離と弾速から、
日本警察が使ってる拳銃の至近弾の約2/3の威力の、約250Jくらいしかないらしい。
242:世界@名無史さん
05/10/10 21:06:31 0
銃の威力が劇的に増すのはライフリングされて以降だからねぇ。
243:世界@名無史さん
05/10/10 21:34:53 0
>>241
「当時の」といっても前装銃は14Cから19Cまで、短銃から小銃まで有る訳ですが?
和式火縄銃「国友筒」の実射データの結果、初活力は『約1152J』と出てますよ?
日本警察の代表的拳銃の弾薬と言えば.38Splです。警察用の装弾のスペックは知りませんが、
.38Splの初活力は『約400J』程度ですよ?
>>242
それは主に「精度」の方でしょう。「劇的な威力の増大」を言うなら、むしろ「無煙火薬以降」かと。
244:世界@名無史さん
05/10/10 23:17:49 0
18世紀後半のマスケットは初活力500J程度だが、19世紀後半のライフルは2000Jある罠
245:世界@名無史さん
05/10/11 15:27:28 0
しかしムハンマド・アリー朝って軍隊も近代化しようとしてたはずだが
246:世界@名無史さん
05/10/11 17:27:46 0
ムハンマド・アリー朝は初代の時代に経済基盤が揺らいで6代目あたりで経済破綻
247:世界@名無史さん
05/10/11 20:32:08 0
>>231
英国が「Martin-Henry Mark I」を使ってた時代か?
248:世界@名無史さん
05/10/11 22:35:26 0
済まん、すげえ初歩的なことを聞かせてくれ。
マッチロック式って要は単発玉込めの火縄銃だよな。
銃が連射できるようになるのって、いつ頃からなんだ?
249:世界@名無史さん
05/10/11 23:45:26 0
>マッチロック式って要は単発玉込めの火縄銃だよな。
一般的にはその通り。
>銃が連射できるようになるのって、いつ頃からなんだ?
タッチホール式(ばね仕掛けの絡繰を持たない火縄銃)の段階で、
既に連発式への取り組みは始まっている。
250:世界@名無史さん
05/10/12 02:55:01 0
589 Krt sage 04/04/24 14:21
次に当時の銃器の威力はどれぐらいだったのだろうか。もちろんこれが口径、銃身長、
火薬量、火薬の質といった多様な条件に左右されるのは言うまでもないことだろうが、
とりあえず各時代における標準的と思われる性能を持った銃の威力を数値化してみよう。
初期のハンドガンは14世紀に登場するが、レプリカを造り実験したLassonのデータ等
から推測するに、50gの鉛弾丸に38gのuncorned powderを使用した (200x23mm)口径の
この銃ですら250J程のイニシャルエネルギーを持ち、現に実験では30mの距離で軽装甲
の鎧を貫通したという(*)。
(*)ただこの250Jという数値を持つ銃弾の破壊力が矢や弩のそれと同列には論じられない
ことは後で説明する。実は弾丸は鎧を「破壊」するのに矢などよりも大きなエネルギーを
要するのであり、この鎧(詳述されていない)はかなり脆弱なものだった可能性がある。
その後ハンドガンの火力は15世紀のフス戦争の際に大いに発達して500-1000Jに達したし
後に登場した長銃身の火縄銃やマスケット銃の威力は火薬の改良もあってさらに恐るべき
ものとなった(serpentine powder から燃焼速度の均一なcorned powderへの改良などで)
cf.Hall,Bert S.:Weapons & Wafare in Renaissance Europe chap.3:Johns Hopkins:1997
251:世界@名無史さん
05/10/12 02:55:54 0
590 Krt sage 04/04/24 14:22
以下に各時代別の武器の威力の概算的な値をまとめて挙げておく。(Williams, p.922)
@時代 @武器 @イニシャル・エネルギー
全時代 剣、斧 60-130J
11-12C ロングボウの矢 80-100J
クロスボウのbolt 100-200J
14C 初期のHandgun+serpentine powder 250J
15C フス戦争期のHandgun+serpentine powder 500-1000J
16C 火縄銃+serpentine powder 1300J
火縄銃+corned powder 1750J
16C後期 マスケット+serpentine powder 2300J
マスケット+corned powder 3000J
これを見ると15世紀以後の銃器の発達がどれほど戦争の内容を変えたか想像がつこう。
はたしてこれらの火力に対し同時代の鎧はどの程度対抗できたのだろうか?
252:世界@名無史さん
05/10/12 02:56:30 0
591 Krt 04/04/24 14:23
Grancsayが強度実験のため自分の持ついくつかの鎧を、ホイールロック型マスケット銃、
draw-weight 30kgの弓、同じくdraw-weight330kgのクロスボウで5mの距離から試し打ち
したところ、その距離でも目標に対する角度が大きい場合、矢やboltは弾かれることが
わかったし(正面からなら貫通しても)、マスケットの弾丸の場合も2/3はhelmetや
brestplateを貫通したものの、16世紀の上質の鎧を貫通させる事はできなかったという。
彼が用いた火薬は20gのserpentine powderという比較的弱いものでイニシャルエネルギーは
マスケットなのに900J 程度だったと推測されるとはいえ、鎧は意外と効果的に見える。
また王侯貴族のような高級な鎧の注文者は15世紀においてはクロスボウに対する耐久力の
保証を、16世紀においては火器に対するそれをしばしば要求したことも記録されている(*)。
(*)そういう顧客の要望に応えるため当時の鎧制作者は注文の鎧をクロスボウやハンドガン
による近接射撃テストで安全を確かめてからマーク付きで販売する事もあった。ただこの
テストをクリアできたPistol-Proof鎧は高価で重い物ではあったが。(Williams, p.920)
次回はこういうプレートアーマーの強度を実際のmechanical testとシミュレーションから
算出しているWilliamsの論考を追ってみる事にする。(この項続く)
253:世界@名無史さん
05/10/12 02:59:49 0
594 Krt@ sage 04/04/25 17:38
さて、博物館の鎧を破壊するわけにもいかないのでWilliamsの採った方法は以下である。
(1)まず現代の軟質鋼板(厚さ2mm、炭素0.15%、硬度235VPH)を用意し、これに各種の武器
(主に当時の模造品)によって攻撃を加えてデータを取り、様々な厚さのこの種の鋼板が
矢と弩のbolt、及び弾丸に対して発揮しうる抵抗力の基本数値を測定&シミュレートする。
(2)著者が長年に渡って調査した当時の鎧に関するデータと、(1)におけるデータに基づき
(i)鎧の厚さ(ii)形状(これにより当たる角度が変化する)(iii)硬さ(iv)スラグの混入
といった諸要因が持つ強度への影響力を具体的に数値化する修正強度算定式を作る。
(3)対象の鎧に(1)の基本数値と(2)の数式を当てはめて、当時の鎧の強度を計算する。
ただ「鎧の破壊」の定義だが、実際問題としてこれが矢と弾丸では同一でない事は明白
である。例えば矢やboltはある程度先端が食い込めば「中の人」に致命傷をも与え得るが
銃弾は全体が完全に正面装甲を貫かなければ「中の人」を傷つけられないし(打撃力に
よるショックは無視する)弾丸は変形でエネルギーをロスすることも考慮せねばならない。
それゆえWilliamsは矢系の場合それが鎧に40mm食い込めばdefeatedとみなしたが、弾丸は
装甲を完全に貫通した場合にのみそうみなしている。(以下「破壊」に替えdefeatを使用)
254:世界@名無史さん
05/10/12 03:00:19 0
595 Krt@続き sage 04/04/25 17:40
矢(及びbolt)に対する現代軟質鋼板の抵抗力の表(defeatするのに必要なエネルギー)
鉄板の厚さ1mm 2mm 3mm 4mm
垂直正面 55J 175J 300J 475J
角度30° 66J 210J 360J 570J
角度45° 78J 250J 425J 670J
弾丸に対する(現代軟質鋼板の)抵抗力の表(defeatするのに必要なエネルギー)
鉄板の厚さ1mm 2mm 3mm 4mm
垂直正面 450J 750J 1700J 3400J
角度30° 540J 900J 2000J 4000J
角度45° 630J 1050J 2300J 4700J
これを基に前述の鎧の強度を左右する要因である(i)鎧の厚さ、(ii)形状、(iii)硬さ、
(iv)スラグの混入、の影響度を具体的な数値で見てみる事にしよう。
255:世界@名無史さん
05/10/12 03:00:53 0
596 Krt sage 04/04/25 17:41
(i)鎧の厚さ
上の表からでは読み取り難いが抵抗力は厚さの約1.6乗に比例することがわかっている。
(cf.:Atkins,A.G.& Blyth,P.H.:Stabbing of Metal Sheets by a Triangular Knife:
International Journal of Impact Engineering:2001 の研究によるWilliams, p.928f.)
具体的には1mmの抵抗力を1とすると1.5mmなら1.9、2mmなら2.9、2.5mmで4.1、3mmで5.5
3.5mmで7.0、4mmで8.6、4.5mmで10.3、5mmで12.1、5.5mmで14.1、6mmでは16.1である。
(ii)鎧の形状
上記の表からも判るように平らな板の垂直正面に命中する場合と角度がある場合とでは
defeatに要する力はまるで異なる。(a)鎧には丸みを帯びたものがあるし、中にはさらに
(b)竜骨的形状をを付加したものもある。図を書いてみれば理解できるだろうが、一般に
角度Aで板に当たった場合のエネルギーはcosAを掛けたものになる。逆を言えば、平板
ならEのエネルギーでdefeatされる場合、角度Aで板にぶつかった場合defeatに必要な
エネルギーE’=E/cosAであり、これを実際に(a)や(b)のような形状をした鎧を撃つ
場合に当てはめてみると、(a)には1/cos30=1.2、(b)には1/cos45=1.4を掛けたものが
実際のdefeatに必要な修正値となることが確かめられている。(Williams, p.930)
256:世界@名無史さん
05/10/12 03:03:21 0
597 Krt sage 04/04/25 17:42
(iii)鎧の硬さ、と(iv)スラグ混入の影響とは「鋼の質」で一括して数値化しよう。
容易に想像されるように、鎧の材質にとって重要なのは単に硬いだけではなく強靱で
あることであり、これは鋼の熱処理の過程が優れているだけではなくスラグの混入が
少ない事も重要な条件である。Williamsは調査対象となった鎧の成分検査と平行して
現代の鉄にスラグを混入したものを造って、それが強度に及ぼす影響を実験した。
この結果に基づいて彼は当時の材質をおおよそ四段階に分け、前記の現代における
軟質鋼板の強度を1とした場合に、それらの材質が示す強度修正係数を算出している。
従ってそれぞれの材質カテゴリーでできた鎧の板金をdefeatするためには同じ厚さの
現代軟質鋼板をdefeatするのに必要なエネルギーに以下の係数を掛ける必要がある。
@材質のカテゴリー @現代軟質鋼板を1としたときの修正係数(W)
(*) (最低品質の)鉄製兵卒用甲冑 0.5
(**) (中品質の)低炭素鋼の鎧 0.75
(***) (ミラノ式の)中炭素鋼の鎧 1.1
(****)(インスブルックの)熱処理で硬化された中炭素鋼の鎧 1.5
257:世界@名無史さん
05/10/12 03:03:55 0
598 Krt sage 04/04/25 17:43
現実にはさらに考慮すべき要因がある。
(1)鎧下などの緩衝材の効果:
十六折りのリネンが鎧の下にあると、刃物に対しては+80Jの、槍の切っ先に対しては
+50Jの追加防御効果の存在が検証されている。
(2)肉体に深手を負わせる事自体に必要なエネルギー:
戦闘中に軽い傷を負っても相手は戦いをやめないだろう。だが「深手」をモノとしての
肉体に負わせるには、さらに50-60Jのエネルギーが必要だと考えられる。
それゆえ、単に鎧をdefeatするのに必要なエネルギーだけではなく(1)と(2)とを併せて
(余裕を見て)150J程度の付加的エネルギーが現実の戦闘においては必要と考えられる。
従って、Eを同じ厚さの現代軟質鋼板をdefeatするのに必要なエネルギーとすると
(中の人のdefeatに必要なエネルギーである)E'=(EW/cosA)+150J、となり、
T^1.6を厚さ(mm)の1.6乗を表すとすると矢の場合は、E'=(55WT^1.6/cosA)+150J
弾丸ではE'=(450WT^1.6/cosA)+150J、剣ではE'=(80WT^1.6/cosA)+150J
となる。(Williams,p.935)(原文には弾丸の場合の数字が155になっているが訂正した)
258:世界@名無史さん
05/10/12 03:05:16 0
599 Krt sage 04/04/25 17:44
次にmail及び非金属製の鎧の耐久力(defeatに必要なエネルギー)について触れる。
ただしmailはプレートの場合と異なり下にキルトのlinen jackを着けての評価である。
なおここでのbladeは、剣ではなくハルバード著者が長年に渡って調査した当時の鎧に関するデータに基づきを模したものによる実験結果である。
@材質 @対Blade @対Lance @対矢 @対弾丸
現代の材質でのmail >200J >200J 120J 400J
15世紀のmail 170J 140J 120J -
buff leather 70J - 30J -
hardened leather 50J 20J - -
horn 120J - 50J -
cuir-bouilli 80J 30J - -
(padding) 80J 50J - -
jack 200J - -
hardened leatherとcuir-bouilli(革を蝋につけて硬化したもの)は5mm厚のもの。
paddingは16x21cmで60gのlinenの16折。jackは12.5x15cmで171gの物がテスト対象。
259:世界@名無史さん
05/10/12 03:06:44 0
600 Krt sage 04/04/25 17:45
さて、最後に具体的な戦闘状況におけるWilliamsによるケーススタディを紹介しつつ
当時の鎧の総合的な防御力について考察してみる事にしよう(これまでの表を参照)。
(1)mailを着用した11-12世紀の騎士の場合。
@刃のついた武器で彼の鎧(の中の人)をdefeatするためには少なくとも200Jが必要。
(mailと下のjackは170Jでdefeated、それ以上の分が人体を直接傷つける力となる)
200Jは極めて力の強い男が両手で斧や剣を振るった時かろうじて可能かも知れぬ数値。
@弓矢の場合は120Jでmailと下のpadding双方をdefeatできるが、これは例外的な力
を持った射手の強弓でないと不可能。ただクロスボウなら片手用のでも可能であろう。
(2)増大するクロスボウの脅威に対抗してmailに加え別の鎧も着けた13世紀の騎士の場合。
@cuir-bouilliによる補強。これで対抗できる運動エネルギーは120+30=150Jにすぎず
近距離からのクロスボウの攻撃に対抗するには不十分。
@厚さ2mm、材質カテゴリー(*)のcoat of iron plateによる補強。不快なほど重いが
120+175x0.5=207.5J、でなんとか対抗できそうである。
260:世界@名無史さん
05/10/12 03:07:50 0
601 Krt sage 04/04/25 17:46
(3)15世紀初めのミラノ式鎧に身を包んだ騎士。2mm厚で丸い形状(cos30°が適用可能)
鎧の材質カテゴリーは(***)以上だが、焼き入れ硬化はされていない場合。
@矢の場合は、210(=175/cos30)x1.1(材質***による修正)=231J+50J(padがあれば)=281J
これは鋼鉄製のクロスボウでもdefeat困難な値である。
@フス戦争期の1000J級のハンドガンに対しても、900x1.1+50=1040Jでかろうじて安全。
だがこのマージンは時代とともに喪失するし、これ以下の材質の鎧では近距離では危険。
(4)16世紀半ばのニュルンベルク式の歩兵用鎧に身を包んだラントクネヒトやスイス人
パイクマンで2.5mm厚、材質(**)、竜骨的形状(cos45°が適用可能)の鎧着用の場合。
@矢に対しては、78x4.1(2.5mm厚の係数)x0.75(**修正)=240+50(pad)=290Jで安全。
@弾丸に対しては、630x4.1x0.75=1937+50(pad)=1987J、で火縄銃にも安全なことになる。
(原書には、矢の場合260J(+50=310J)、銃弾の場合の耐久力は1250Jで後者に関しては
当時の火縄銃(1300-1750J)でも危険だ、としているのだが計算根拠が判らない)
(5)Zutphen(1584)の戦いにおいて鎧を着ないで銃弾を受けたSir Philip Sidneyを巡って
当時の軍事専門家達によるマスケット銃に対する鎧の有効性に関する論争が行われた。
261:世界@名無史さん
05/10/12 03:11:02 0
602 Krt 04/04/25 17:48
彼が着用していたのが3mm厚、(***)材質、竜骨的形状のミラノ式の鎧なら弾への耐久力は
2300x1.1=2530J+50J(pad)となるがこれでは近距離からのマスケット銃を防げないだろう。
しかし他の条件が同一で材質が(****)であるグリニッジやインスブルックの良質鎧なら、
2300x1.5=3450+50(pad)=3500Jでマスケット銃の弾のエネルギー3000Jを上回る事になり、
安全マージンが存在する事になる、というのが我々の結論ということになる。
(後者の耐久力は原書では3000Jでぎりぎり安全、としてるがこれも計算根拠わからず)
(6)十七世紀の胸甲騎兵の場合。彼らのブレストプレートは厚さ4mmほどだが、財質は(*)
形状は丸形であった。それゆえ耐久力は、4000x0.5=2000+50程度でマスケット銃には
近距離では全く敵し得なかったことがわかる。(故にもっと厚い胸甲を着けた者もいた)
これらの情報を総合すると、クレシーなりアジャンクールなりにおいて、ロングボウは
当時の最高の鎧を着た騎士達をも圧倒した、といった類の主張に対してはいささか懐疑的
にならざるを得ない。恐らくロングボウの矢が倒し得た者は比較的貧弱な鎧を着た者か、
射手の超絶的技量によって鎧の隙間を射られた者達で、それ以上の戦果はむしろ他の要因
に帰しうるのではないか、というのが上記から得られる私の平凡な結論である。(終)
262:世界@名無史さん
05/10/12 06:29:32 0
500Jのマスケット銃ってなんやねんと調べたら思いっきし短銃でやんの。
263:世界@名無史さん
05/10/12 15:53:23 0
連発式の火縄銃ってなんかイメージしにくいな。
264:世界@名無史さん
05/10/12 16:09:17 0
世界初の実用化連発式ライフルはスペンサーライフルじゃないか?
URLリンク(www.special-warfare.net)
265:世界@名無史さん
05/10/12 16:28:38 0
>>247
時代は合ってるね。
英軍はマキシム機関銃とかも使ってたらしい。
266:世界@名無史さん
05/10/12 20:55:35 0
『火器の誕生とヨーロッパの戦争』
どこ探してもないんで、図書館のを毎日ちょっとずつコピーしたオレが来ましたよ。
267:世界@名無史さん
05/10/13 00:03:59 0
前近代の黒色火薬を利用した小火器の威力は単純に火薬の量に比例し、
銃身が丈夫であればあるほど威力が高いと考えれば良いと言ってみるテスト
268:世界@名無史さん
05/10/13 20:50:16 0
テストっつーか、それって間違ってるの?
269:世界@名無史さん
05/10/13 21:21:54 0
丈夫にするため銃身を厚くしたら重くて機動性が下がる罠
270:世界@名無史さん
05/10/13 21:29:47 0
鎧を貫通しないから安全と言うのもいかがなものかと…。
現代の防弾チョッキも銃弾は貫通しないが、胸に当れば肋骨は折れるわけで。
271:世界@名無史さん
05/10/14 00:30:12 0
乗り手が厚い鎧を着ていても馬にさえ当れば落馬して、重い鎧を着ている者ほど負傷したであろう。
また、幸運にも落馬しなかった者も暴れる馬の制御に苦心したであろう。
馬の制御が出来ない状態であれば、騎士にとって最大の武器である機動力を発揮することができず、
歩兵にとって格好の獲物であり、瞬く間に囲まれ落命したであろう。
272:世界@名無史さん
05/10/14 02:05:52 0
>>270
多層構造になってるから2層目を貫通しなければ骨折はけっこう防げる。
273:朱由檢
05/10/15 00:10:10 0
“ギリシャ火”は673年ビザンツ帝国に亡命したレバノン出身の建築家カッリニコスが紹介しました。
(参考文献:『イスラム技術の歴史』/アフマド・Y・アルハサン、ドナルド・R・ヒル著/平凡社)
274:世界@名無史さん
05/10/15 18:35:02 0
ギリシャの蒸気砲って本当にあったんですか?
275:世界@名無史さん
05/10/15 19:09:33 0
うん
276:世界@名無史さん
05/10/15 19:30:11 0
kwsk
277:世界@名無史さん
05/10/15 22:32:59 0
sttrg(ry
278:世界@名無史さん
05/10/24 19:34:52 0
明や清代の綿甲は銃弾を防げたとかいうが
銃にどの程度の威力があったんだ?
279:世界@名無史さん
05/10/24 22:38:50 0
綿はマジで強いぞ。
木綿じゃなくて真綿だから勘違いするなよ。
280:世界@名無史さん
05/10/26 00:25:08 0
んー。摩擦で繊維が絡み付いて、弾丸の回転(=貫通力)を止めちゃうんだわな。
281:世界@名無史さん
05/10/26 08:43:11 0
ケブラー繊維
282:世界@名無史さん
05/10/26 12:07:59 0
>弾丸の回転(=貫通力)を止めちゃうんだわな
そりゃ誤解を与える書き方だ。回転と貫通力は関係ないよ。
回転=貫通力だったらフレチェット弾やレクリング弾はどうなる。
283:世界@名無史さん
05/10/26 12:28:12 0
というか綿甲ってブリガンディンのことだと思うんだけど
284:世界@名無史さん
05/10/26 13:14:53 0
真綿とは繭(まゆ)をわた状に引き伸ばしたものをいいます。
古くはこれを「わた」と呼んでいましたが、のちに木綿(もめん)わたが
登場したため、木綿と区別するために真綿と呼ぶようになりました。
やはり繭から作られるものに「絹」があります。こちらは繭から紡いだ
生糸で作られた織物のことをさしますので、真綿と絹は姉妹関係になります。
1デニール当たりの強さをみると鋼(はがね)は3.5グラム、生糸は3.7グラムといいます。
太さが同じなら、繭糸は鋼鉄よりも強いのです。繊細さのゆえに美人薄命の絹ですが、
その芯は矢でも鉄砲でも持ってこいというたくましさを繭糸は内蔵しているのです。
285:世界@名無史さん
05/10/27 18:15:39 0
モンゴル兵も絹の肌着を着けて戦ってたな。
矢が刺さったときに引き抜きやすいというので。
286:世界@名無史さん
05/10/27 20:45:08 0
>>284
デニールってのは9000mの長さで1gになる糸の断面積。
要は重さ基準なので1デニールの鋼は薄くて、1デニールの真綿は厚いってこと。
同じ重さなら密度は低いゆえ分厚くなる真綿が有利というだけのこと。
287:世界@名無史さん
05/10/27 22:27:46 0
カラバイン出品中
URLリンク(page5.auctions.yahoo.co.jp)
288:世界@名無史さん
05/10/30 17:34:30 0
>>285
絹は中原かタリム盆地あたりから輸入、あるいは貢納させてたんだろうか?
289:世界@名無史さん
05/11/06 19:02:19 0
有馬成甫「火砲の起源とその伝流」って読んだことある人います?
290:世界@名無史さん
05/11/06 20:25:03 0
検索すると、
有馬成甫「火砲の起源とその伝流」吉川弘文館 94,500円
高いな。定価なのか?
他にも
洞 富雄「種子島銃 伝来とその影響」淡路書房新社 42,000円
これも凄いな。
291:世界@名無史さん
05/11/06 20:38:58 0
>デニールってのは9000mの長さで1gになる糸の断面積。
いや断面積は特に関係なく、単位長さ(9000m)当たりの重さ(g)。
糸の太さをg/9000mで表現しただけ。
だから重さ当たりでは繭糸が強いって表現で、実際、
繊維の強さはデニール当たり強さで評価する事が多い。
(ただし、グラムは強さの単位じゃないけどね)
292:世界@名無史さん
05/11/08 14:19:10 0
騎士道と火器(1)~(8)
URLリンク(www.bun.kyoto-u.ac.jp)
URLリンク(www.bun.kyoto-u.ac.jp)
URLリンク(www.bun.kyoto-u.ac.jp)
URLリンク(www.bun.kyoto-u.ac.jp)
URLリンク(www.bun.kyoto-u.ac.jp)
URLリンク(www.bun.kyoto-u.ac.jp)
URLリンク(www.bun.kyoto-u.ac.jp)
URLリンク(www.bun.kyoto-u.ac.jp)
293:世界@名無史さん
05/11/15 22:42:06 0
「火器の誕生とヨーロッパの戦争」に、
ピストル騎兵が装甲槍騎兵を駆逐したって書いてあって納得して、
その後、抜刀突撃騎兵の再誕生が歩兵に対する騎兵の脅威を復活させたのも納得したけど、
30年戦争で抜刀突撃騎兵にピストル騎兵が敗北した話とか、その理由とか、
載っていなくて消化不良に陥った。
上の論理だと、騎兵対騎兵だったらピストル騎兵の方が勝つことになると思うのだけど、
実際は、グスタフのスウェーデン軍がパッペンハイムとかに勝ってるよね?
カラコールは実際には使われていなかったらしいから、その所為で負けたわけでもないだろうし。
だれか理由知ってる?
傭兵騎兵はやる気がなかったから、相手の突撃に立ち向かえなかったなんてオチ?
294:世界@名無史さん
05/11/16 02:30:46 0
>>293
機動力が違うとかかな?
295:世界@名無史さん
05/11/16 05:44:47 0
騎兵の使い所が上手かったんじゃないかなあ。
上手く接近できればピストルなんて蹂躙できるし。
296:世界@名無史さん
05/11/16 12:16:10 0
>>293
URLリンク(www.kaho.biz)
>騎兵の標準は、重い胴鎧を身に付けた胸甲騎兵とそれを援護する火縄銃騎兵
>ティリー軍の騎兵隊は敵軍に接近してピストルを撃つと一旦引き返して弾を込め
>また敵に近付いて射撃する「カラコール戦術」を用いた
>スウェーデンは寒冷地で馬の体格が低く胸甲騎兵に向かなかったことから軽装騎兵
>スウェーデン騎兵は3列横隊の第1・第2列がピストルで敵軍に一撃したあと全部隊で
>抜刀突撃する戦術であった。
>敵の胸甲騎兵とまともにぶつかって勝利するのは難しいので、「ブライテンフェルトの戦
>い」ではグスタフは部下の騎兵たちに対し敵の胸ではなく馬を狙うよう命じていた。
297:293
05/11/16 23:28:19 0
>スウェーデンは寒冷地で馬の体格が低く胸甲騎兵に向かなかったことから軽装騎兵
>スウェーデン騎兵は3列横隊の第1・第2列がピストルで敵軍に一撃したあと全部隊で
>抜刀突撃する戦術であった。
すいません。そう言えばそうでした。
純粋な抜刀騎兵はマールバラの時代以降でした。
抜刀VSピストルのメインの戦いは1700年代で、
マイナーな時代になってしまうので分かりやすくしようとして、
馬鹿なミスをしてしまいました。
30年戦争期の全騎兵は、両陣営共に近距離で射撃を行った後、抜刀して、突撃していました。
『ピストルで武装した胸甲騎兵は…前列か2列目で一旦停止してピストルを発射して
敵の隊列を攪乱。次いで密集部隊は…敵陣に突進した。
…グスタヴの騎兵部隊が大きな成功を収めた秘密は…騎兵に対して、
ピストルをもっとも効果的な距離9m…以下の距離から発射するようにと強調したにすぎなかった』
グスタフ・アドルフの騎兵より
ので、質問を訂正して、
マールバラ騎兵VSフランス騎兵で、抜刀騎兵を多用したマールバラが勝利したのは何故
と言うものでお願いします。
マールバラは、当時流行していた、
3列横隊で一斉射撃後抜刀突撃という騎兵戦術をとっていたフランス騎兵に対して、
純粋な抜刀突撃戦術で立ち向かった。
『マールバラの騎兵はピストルの弾と装薬を1戦役で3発分しか支給されておらず…
行動時[in action]その使用は禁じられていた。』マールバラ時代の戦争術より。
結果はマールバラの勝利に終わっている。
フランスのジャンダムリ騎兵8個大隊を5個大隊で打ち破った等。
298:293
05/11/16 23:29:44 0
続き
個人的にこのあたりのどちらがより有用なのかという話が、
当時の人の認識からして両極端だったということに疑問があるのです。
結果の多くは、純粋な抜刀騎兵側の勝利になっているにもかかわらず。
(純粋な抜刀騎兵=ピストルを遠・中距離で発射するタイプも含む。Sホールやらブレジンスキーに従うと、遠距離ではほとんど無意味らしいから)
はたしてこれが指揮官の能力にのみ依存しているのか?
もう少し広げると、
刀剣、槍から火器へと趨勢は流れていくのに、騎兵だけはしばしば逆流している。
この後のフリードリヒの騎兵も銃火器の使用に制限が加えられ、抜刀突撃が推奨されている。
ナポレオンの時代でも騎兵対騎兵でピストルが重要な位置を占めたとは聞いたことがない。
絵画を見るとみんな抜刀している。
Sホールの理論は装甲槍騎兵の消滅を上手く説明しているけど、
抜刀騎兵の登場に関しては歩兵戦における利点を説明するだけで、
騎兵対騎兵の問題、つまり
ピストル騎兵との勢力均衡状態、更にその後のポーランド式槍騎兵の再登場等を
説明し切れていないと感じているわけです。
この辺りを上手く理論的に説明している文献なり理由があるのかなと……。
あるいは自分が誤解しているのか。
ちなみに
>騎兵の標準は、重い胴鎧を身に付けた胸甲騎兵とそれを援護する火縄銃騎兵
>ティリー軍の騎兵隊は敵軍に接近してピストルを撃つと一旦引き返して弾を込め
>また敵に近付いて射撃する「カラコール戦術」を用いた
は少し誤りらしいです。やっぱりカラコールは使われていなかったとの事。
299:世界@名無史さん
05/11/17 01:05:16 0
中央突破をかけて1日で大勢が決まっちゃったんじゃなかったっけ?
300:世界@名無史さん
05/11/18 00:53:39 0
URLリンク(web.archive.org)
301:朱由檢
05/11/20 22:14:11 0
近世ヨーロッパにおける突撃騎兵が活躍した理由は、
銃の欠陥や稚拙な戦術などが原因です。
ヨーロッパの滑腔式燧石銃は命中精度が低く、狙撃に向かないため、
散開して高速で接近する騎兵を捕らえる事は困難でした。
一発外してしまえば、前装式銃では再装填までに時間がかかるため、
容易に接近を許してしまいました。
接近されてしまえば、混乱した兵士に再装填している余裕はありませんし、
密集しているので同士討ちの危険性が高く、
発砲するわけにも行きませんでした。
騎兵にとって混乱して逃げ惑う軽装の歩兵は格好の獲物であり、
徴兵された民兵は士気も訓練度も低く、
一度蹴散らしてしまえばもう戻ってきませんでした。
弾幕を張られ過半数が死傷しても一部が密集陣形への突撃に成功すれば、
十分なリターンが期待できたのです。