中世ヨーロッパの暮らし(3) at WHIS
中世ヨーロッパの暮らし(3) - 暇つぶし2ch817:世界@名無史さん
06/05/03 00:16:43 0
江戸時代、精力剤として干し牛肉が隠れて食べられていた。

818:世界@名無史さん
06/05/03 00:55:39 0
>>813
うろおぼえなんだけど、食べる物に困らないように、壁画に描いたんじゃなかっ
たっけ?
巻物は、死後の世界で神様のテストにクリアできるカンニング・ペーパーみたいな
もんじゃなかったっけ?
違ってたらゴメン。

819:世界@名無史さん
06/05/03 01:11:29 0
中世も後期になればかなり肉食が多いんじゃないか?
メニュー的には塩漬け肉を煮込んでパンを浸して食うみたいな感じなのかな

820:sage
06/05/03 19:29:09 0
よくでてくるその塩漬け肉ってどの程度の塩漬けなんだろ?
湿ってる? どれぐらい硬い? どれぐらいの分量にカットして食べる?

海水で戻すぐらいしょっぱいってことは、
まずスライスして振りかける程度に塩(+贅沢に行くならその他スパイス)、
みたいなジャーキー様のものっていうより、
樽に荒く砕いた岩塩と肉を交互に肉:岩塩=2:1ぐらいの割合で詰めて圧搾、
干からびた塩辛みたいに加工、とかなのかな?

821:世界@名無史さん
06/05/03 23:23:12 0
海水よりも低塩の塩漬けなんてあり得るのか・・・?

822:世界@名無史さん
06/05/04 00:02:53 0
ランスでは、(普通の庶民)一家で飼うのはブタ二頭までと
条例ができた。恐らくそれ以前はそれ以上飼っていて、この
条例以後も飼っていたのだろう。当時は、冬になる前に屠殺
だから、年間少なくとも一家で二頭を消費していた計算か。
さらに肉屋もあるし、地方の農村からの流入もあるだろう。

823:世界@名無史さん
06/05/04 09:27:30 0
塩も高価なような気がする。
そうでもないか。

824:世界@名無史さん
06/05/04 16:30:45 0
日本では塩はいちいち海水を汲んで煮立てなければいけないが、
西洋には岩塩がある。

825:世界@名無史さん
06/05/04 17:43:46 0
日本の内陸にも食塩泉があるが、あれじゃ製塩できないの?
日本の場合、製塩は海頼りだから昔の内陸住人は入手に苦労したんだろうな。

826:世界@名無史さん
06/05/04 17:54:56 0
肉食も時期によるんじゃないのかね。
中世中期だと、豚なんかは秋にドングリ食わせて太らせて、塩漬けにして冬の間の食料にしたそうだが。

827:世界@名無史さん
06/05/04 22:33:53 0
>>825
つ『敵に塩を送る』

828:世界@名無史さん
06/05/04 22:43:07 0
フランス:塩は一定量の購入を義務づけられる。

829:世界@名無史さん
06/05/05 00:33:52 0
福島県の熱塩温泉では、会津藩がその名のとおり塩辛い温泉水を煮立てて製塩を行っていたよ。
しかしこのような製塩が出来るまで塩辛い温泉は滅多に無い。

日本は雨が多いので、たとえ岩塩の層があったとしてもすぐに溶けて流されてしまう。


830:世界@名無史さん
06/05/05 01:50:28 0
中世では塩の専売は貴重な収入源

831:世界@名無史さん
06/05/05 02:14:54 0
塩といえば今は音楽祭で有名なザルツブルクだな。

ザルツは「塩」、ブルクは「砦」の意で、15キロほど南のハライン (Hallein) 地区から輸送されてきた岩塩を
ノンベルク尼僧院の前で船に積みザルツァッハ川(Salzach)によってヨーロッパ各地に送っていた為にこの名があり、
塩の積載量に応じた通行税をこの地の大司教が財源にしていたと言われている。

なお、ザルツブルクに住んでいる人たちは、ザルツとにごらずサルツと発音している。
(Wikiのコピペですがご容赦願います)

832:世界@名無史さん
06/05/05 02:17:31 0
中世ヨーロッパではないが、ロシアに漂流した大黒屋光太夫の記録では、
「塩は山から産する」とある。言うまでもなく岩塩のことだ。

833:世界@名無史さん
06/05/05 02:37:37 0
そういえば新約聖書に出てくる「地の塩」も岩塩のことですよね。
でも
「あなたたちは地の塩である」云々という文句を、
「あなたたちは岩塩である」と言い換えたら雰囲気が壊れる気がする。

834:世界@名無史さん
06/05/05 02:59:29 0
いや、「地の塩」は「土塩」だよ。土に含まれる塩。

聖書の故郷は乾燥地帯で雨が降らないので、土にもそのまま塩が大量に含まれている。
死海の沿岸には、乾燥して結晶になった塩がゴロゴロ。

835:833
06/05/05 03:06:28 0
>>834
なるほど。今まで岩塩だとばかり思い込んでました。ありがとうございます。
そもそも土塩も知らなかったし。

836:世界@名無史さん
06/05/05 05:38:48 0
>>831
中世なのに、製塩工場は、24時間三交代制で製造だったかな。

837:世界@名無史さん
06/05/05 08:17:36 0
■塩の歴史~中世~
 古代ギリシャ・ローマでも塩は重要な品目であり続け、特に古代ローマでは非常に大量の塩が
 消費されたという。フェニキア人も塩を扱って繁栄し、ガリア人も塩泉を奪い合った。
 中世はあらゆる食品に塩という塩が使われた時代でもある。肉や魚、野菜を保存するのに塩漬け
 という手法が使われ、またパンを膨らませるのにやはり塩を使用された(現在の食パンにも大量の
 塩が使われている)。ビールやワインにも塩が入れられたともされる。この時代の塩は今のような
 粉状のものではなく、岩塩をそのまま切り取ったような大きな結晶状のものである。これをノミなど
 で砕き、精製して使用したという。
■ザルツブルクの塩 [オーストリア・ザルツブルク]
 鉄器時代にはザルツブルクの人々は岩塩の採掘を行っており、その後のハルシュタット文明に
 つながっている。
■ハルシュタットの塩 [オーストリア・ハルシュタット]
 この辺りには岩塩を豊富に含む鉱山があり、当時(紀元前900~200年頃)は金にも増して貴重で
 あった塩が採掘でき、そこに目を付けたケルト人がこの地に製塩所を造ったところから、 ハルシュ
 タット文明が始まった(ちなみに「ハルシュタット」とは、ケルト語で「製塩所(ハル)の場所(シュタ
 ット)」の意) 。その後、ハルシュタットは岩塩の積み出し港となり、商業の都市として発展。
 またそれと同時に地中海など塩の搬送先の文化などがもたらされ、文明も大いに発達した。
■ヴィエリチカの塩 [ポーランド・ヴィエリチカ]
 中世のポーランドはその収入の1/3を岩塩の輸出でまかなっていました。その時の代表的な
 岩塩採掘坑がヴィエリチカにあります。
■ゲランドの塩 [フランス・ブルターニュ地方ゲランド]
 ゲランド地方における製塩業の歴史は古く、現在のような塩田技術は9世紀以前から存在して
 いたと考えられています。その後16~18世紀には、肉や魚を塩漬けで保存していたことから
 消費も伸び、ヨーロッパ中の注文を受けて、ゲランド塩田は発展を遂げていました。

838:世界@名無史さん
06/05/05 11:21:29 0
ヨーロッパ塩スゲー

839:世界@名無史さん
06/05/06 12:52:23 0
個人サイトのコンテンツをコピーしてるし

840:世界@名無史さん
06/05/06 14:54:36 0
>>792
>どこの世界でも中世は不衛生でヤバかったということだな。
>まあそれでも日本の場合風呂文化は廃れなかったけど・・・・
中世以前は不衛生でなかったというのは疑問だ。古代ローマが例外なだけだろ。
日本でも風呂文化なんてものが、江戸期以前からあったのか。平安時代は、
貴族でさえ入浴はむろん水浴びも日常的習慣ではなかったときくが。

841:世界@名無史さん
06/05/06 18:06:57 0
経典の民の皆さんは中世でも避妊禁止だったの?
当時、ソーセージの要領でコンドーム作っても需要無いかなあ?

842:世界@名無史さん
06/05/06 20:46:57 0
サイトの転載の場合、URLも書いた方が良くない?
もっと詳しく読みたいですm(_ _)m

843:世界@名無史さん
06/05/06 22:02:11 0
世界最初のコンドームは、魚の浮き袋を干したものを使ったそうだが。

844:世界@名無史さん
06/05/06 22:30:06 0
>>843
Wikiでは、最古はブタやヤギの盲腸や膀胱(BC3000頃エジプト)とあるな。
但し避妊具ではなく、虫害予防具でというのは新知識だった。

>>841
中世に需要があるかと言う事なら、商業的に成り立つ需要はないだろうな。
性病予防効果が認識された近世以降では、あったろうな。

845:世界@名無史さん
06/05/07 02:09:56 0
>>841
腸詰めには思い至っても、灯火源が貴重で、一般民の家屋の寝所に灯火が
備わっていたか?には思い至らぬようだな。

846:世界@名無史さん
06/05/07 03:06:48 0
しかし西洋には獣脂があるから、食肉がタブーで高価な植物油オンリーの日本よりは
灯火用の燃料には恵まれていたのではないか?

847:世界@名無史さん
06/05/07 03:40:45 0
>>846
灯火源に獣脂は用いられていたのかな。西欧の民家って、黒く煤けていた
記憶はないんだが。農民の寝具は、干草か藁ときいた記憶も。

848:世界@名無史さん
06/05/07 03:47:35 0
中世では細長く割った木片を壁に刺し、それに火を点して明かりにしていたとか。
それや、獣脂蝋燭。

849:世界@名無史さん
06/05/07 11:05:15 0
>>846
菜種油は高価だったが、
庶民は安価な鰯油などを用いた。けど臭かった。

850:世界@名無史さん
06/05/07 11:31:38 0
>>848
なんか、火事になりやすそうだね

851:世界@名無史さん
06/05/07 14:28:28 0
>>850
石造りの家なら無問題かも?

852:世界@名無史さん
06/05/07 14:42:20 0
>>848
>>850
>>851
つ【北欧のログハウス】

853:世界@名無史さん
06/05/07 15:32:08 0
日本でも肥松などを手燭なんかにしてた。

854:世界@名無史さん
06/05/07 15:32:37 0
夜更かしって贅沢な行為なんだなあ

855:世界@名無史さん
06/05/07 15:55:35 0
天下人の徳川家康でさえ、蝋燭をつけっぱなしにした家臣を「もったいない事するな!」と
叱り付けた、というから。

856:世界@名無史さん
06/05/07 18:41:46 0
当時のセクースは青姦が基本だしな

857:世界@名無史さん
06/05/07 18:54:08 0
>>856
基本ではないだろ、夏場ならありでも。寒期は、じっと禁欲するのか。
独仏の農村部は、身を隠す林もない平原が多かったぞ。

858:世界@名無史さん
06/05/07 23:17:23 0
そういえば中世ヨーロッパでは「寝巻き」というものがなく、
ベッドに裸でもぐりこんでいたというね。

エッチするには最適。

859:世界@名無史さん
06/05/08 08:21:52 0
衛生状態最悪のベットに裸で潜り込むと南京虫やダニやノミにやられまくりだと
おもうんだけど、なんで裸でねるのかねぇ。

860:世界@名無史さん
06/05/08 18:50:28 0
寒い所では裸の方が凍死しにくい

861:世界@名無史さん
06/05/08 22:30:03 0
>>858
採光換気より暖気優先で、暗く通気のない家内>>859が快適最適な
訳ないだろ。
当時の農村部は、>>859の通り、屋外でかつ暗くはない時間帯に
性行為を行う方が普通と読んだ事があるぞ。

862:世界@名無史さん
06/05/08 23:33:34 0
H.P.デュル「裸体とはじらいの文化史」法政大学出版局だかで、
中世ヨーロッパでは「下着のままの裸体」という表現があること。
裸でといっても完全な素っ裸の状態ではなく、着ていることがある
ことを述べていたような気がする。これが一般的に受け入れられる
ならば、裸で寝ていたかどうかには疑問符がつく。


863:世界@名無史さん
06/05/08 23:42:35 0
中世の旅籠、宿屋は相部屋ならぬ相ベッドってこともあった。
で、若い尼さんとご一緒出来たラッキーなケースもあったとか。
シーツは、たいていは虱や蚤、鼻汁だらけだった。

864:世界@名無史さん
06/05/09 00:03:31 0
>中世の旅籠、宿屋は相部屋ならぬ相ベッドってこともあった。
現在でも欧米の低所得層ではベッドの共有は珍しい事じゃなかったりする。
それが近親相姦の温床となっているという指摘もある。

865:863
06/05/09 00:12:10 0
おお、それは知りませんでした。勉強になりますね

866:世界@名無史さん
06/05/10 01:18:12 0
>>863
中世の旅人って、一般人が旅行するなんてことがあったのか?

867:世界@名無史さん
06/05/10 02:32:33 0
巡礼なら結構あったんじゃない?

868:世界@名無史さん
06/05/10 03:02:29 0
治安は最悪だけどなw

869:世界@名無史さん
06/05/10 03:10:48 0
テンプル騎士団の創設メンバーは聖地へ向かう巡礼の保護に従事してたんだよな。
確か創設以前は長い年月やってもたった8人かそこからしか集まらなかったらしいが。

870:世界@名無史さん
06/05/10 10:36:28 0
ヴェネチアを中心とした当時の海上通商国家達が聖地巡礼
の保護に乗り出してから(当然金を取る)は集団巡礼になって
安全性が格段に向上したのでかなりポピュラーになってる。
ポピュラーといってもある程度のまとまった金は必要だったけど。

今で言う観光旅行に近いものだったから関係諸国は諸手を上げて
巡礼者を歓迎したし、巡礼許可証の発行で法王庁もウハウハ。



871:世界@名無史さん
06/05/11 01:43:57 0
少年十字軍は奴隷にされて売り飛ばされたそうだけど>>870のような
聖地巡礼の保護がなぜ機能しなかったのだろうか

872:世界@名無史さん
06/05/11 02:41:06 0
エルサレムの場所も知らずに出て行って、フラフラ歩き回ってたから。

873:世界@名無史さん
06/05/11 02:41:12 0
最初に連れ出した説教師から輸送業者まで奴隷商人の仲間だったってことでは?
ヴェネツィアが輸送に関わってたらそうはならなかったはず。

874:世界@名無史さん
06/05/11 09:35:08 0
少年十字軍 URLリンク(ja.wikipedia.org)

ヴェネツィアが巡礼の最大の窓口だったが、マルセイユからも聖地巡礼の船は出ていたはず。
第四回十字軍の後は15cにトルコ帝国が進出してくるまではベネツィア・ジェノバ等が
地中海沿岸の交易を一手に行っていたはずだから、13cの時点では聖地集団巡礼がそこまで
完備されてなかったのかな?

875:世界@名無史さん
06/05/11 16:44:30 0
港に着いたら海が割れて、食糧が尽きたらマナが降るとでも思ってたんだろ。

876:世界@名無史さん
06/05/11 23:13:17 0
渡航費用がない。

877:世界@名無史さん
06/05/11 23:33:22 0
少年少女を乗せた船なんて財宝乗せた船と同じ。
ただでさえ狩られて奴隷にされてるのに、
こんなカモネギを見逃す手はない。

878:世界@名無史さん
06/05/12 02:46:36 0
>>875
「戦わなきゃ現実と」なんてとても言えない時代だからなあ・・・

879:世界@名無史さん
06/05/12 02:51:47 0
>>875
んな奇跡ネーヨwwwwwwwなんて言ったら次の週には火刑かもしれん

880:世界@名無史さん
06/05/12 06:36:26 0
>>879
バチカンがこれほどまでに権威もちだしたんっていつ頃?
むかしはコンスタンチノーブルに教皇が出向くとか、
フランスに幽閉されたりいろいろあったよね。

881:世界@名無史さん
06/05/12 18:20:51 0
宗教改革前後かな。
「対立教皇」が無くなったのは15世紀末らしいからね。

参考までにWikiの「対立教皇」
URLリンク(ja.wikipedia.org)

882:世界@名無史さん
06/05/12 18:33:23 0
都市部はともかく農村にどれだけキリスト教が浸透していたのやら

883:世界@名無史さん
06/05/12 18:47:20 0
おいおい、法皇権の頂点っていたら
普通にインノケンティウス三世(1196-1216)の頃だろ?
だからその少し前から、だよ。

884:世界@名無史さん
06/05/13 12:58:02 0
15cのイタリア半島の抗争ではただの箔付けに利用されてただけだしな。
十字軍云々の宗教ネタだと注目されるけど、世俗的な影響力は衰退してた。
その辺りでローマってフランス軍に占領されなかったっけ?

885:世界@名無史さん
06/05/31 19:59:21 0
 

886:世界@名無史さん
06/05/31 20:40:11 0
十字軍の影響はマフィアにまで続いてる…ってことはないか

887:世界@名無史さん
06/05/31 22:37:31 0
>>863
若い尼が一人で巡礼することはほぼ皆無。
巡礼する女性はいるが、大抵は裕福な商人の妻で、
夫の死後、財産を自由にできるようになって巡礼
にでかけるという場合が多い。

888:863
06/05/31 23:55:14 0
舌足らずでスマンかった。 若い尼さん達、だった。
引用元は阿部謹也先生の著書。

889:世界@名無史さん
06/06/01 01:42:16 0
テンプル騎士団って金融業者化していったらしいけど
ユダヤ人より早く金融業に手を出したってコトか?

フランス王に抹殺されたあと、ユダヤ人がテンプル騎士団の穴を埋めたのか。

890:世界@名無史さん
06/06/01 02:01:47 0
12世紀にはユダヤ人ももう金貸しやってたんじゃなかったかな。
中世イングランド関連の研究書で、
11~12世紀のイングランドの貨幣経済の発達を示す一例として、大陸からのユダヤ人移住者の増加を挙げていた。

891:世界@名無史さん
06/06/01 02:48:48 0
ユダヤ人はすでにやってたはず。
ただ、信用やネットワーク、キリスト教徒というメリットでテンプル騎士団は儲けただろうな。

892:世界@名無史さん
06/06/01 22:22:39 0
テンプル騎士団は金貸しで儲けるだけじゃなくて、
貴族連中からの寄進でもウハウハだったんじゃないかな?

ユダヤ、テンプルの金貸し業を過度に強調するのは歴史記述のアヤという側面が大きいらしい。
実際にはユダヤ人以外にも普通に金貸しを職業としていた集団(キリスト教徒にも)いたらしいから。


893:世界@名無史さん
06/06/01 22:34:46 0
表向きは遅延金などの名目で利息を取っていたというし、特にイタリアあたりは半ば公然と
行われていたらしいしな。ただ、テンプル騎士団糾弾には一役買ったかもしれないが。

894:世界@名無史さん
06/06/01 22:39:26 0
肉1£を担保にしたり

895:Krt ◆zrW7aiInT6
06/06/01 22:53:14 0
>>889
古典古代、あるいは「中世」でも社会経済がその延長線上にあった6-7世紀までのことは
勘定に入れないでの話なのかな?上記の時代なら金融業はずっと存在していたし、
またユダヤ人が主体だったとはいえ、彼らだけがそれに従事していたわけではないよ。

例えば6世紀のガリアですら、ユダヤ人だけでなくキリスト教の聖職者も利息を取って
金融業を営んでいたことは、538年のオルレアン公会議で助祭以上の聖職者が利息を取って
金を貸すことを禁じていることから明らかだと思うし(1)、また非聖職者のキリスト教徒が
金融業に関係していた例としては(ドプシュも引いている)トウールのグレゴリウスの
年代記(歴史十巻)に、584年にユダヤ人とキリスト教徒二人ずつが貸した金を取り立てに
トゥールへ来たところ、金を借りた前の伯の代理人インユリオススと前の伯エウノミウスが
借金から逃れるため彼らを食事に招いたあと殺してしまったという話が載っている(2)。

商業が再活性化し始めた11世紀以後に限っても、ドプシュは11世紀のイタリアには
すでに銀行家の業務業務の存在に関する直接的な証拠が見いだされるとしているし(3)、
それ以前の時代においてもユダヤ人が金融業に従事していたことを強調している。

896:Krt ◆zrW7aiInT6
06/06/01 22:53:50 0
だから>>891氏が指摘するようにテンプル騎士団の金融業務が特筆されるのは、伝統的に
金融機能を担っていた教会に似た組織の持つ信用に加えて、その広大な所領を背景とした
資金力、トラベラーズチェックに類似した金融商品をも可能にした広範なネットワーク
といったその「近代性」によってなのだろうね。


(1)アルフォンス・ドプシュ「ヨーロッパ文化発展の経済的社会的基礎」創文社:p980f.
ただ非難されたのは高利をとっての貸し付けであって、教会が初期中世における重要な
金融機関、それも悪辣な高利貸したちに対抗して無産者にも金を貸す良心的金融機関(?)
であったことは記憶されるべきだろう。とはいえその場合、金を借りる側の無産者は
自分の自由を担保にして借金する訳だが、貸し手が教会の場合、一度非自由人となっても
金さえあれば再び自由を買い戻すことができるのが普通だった。cf.ドプシュ:p.680f.
(2)トゥールのグレゴリウス:歴史十巻:第七巻23節:邦訳Ⅱ巻p.151f.:東海大学出版会
(3)ドプシュ:p.977

897:世界@名無史さん
06/06/01 23:51:45 0
たしかにユダヤ人以外にもロンバルディア人とかカオール人とかも金貸しでは有名だな。

898:世界@名無史さん
06/06/01 23:57:08 0
カートはん、あなた今の今までどこにいたの?

899:世界@名無史さん
06/06/02 01:56:21 0
ユダヤ人も借金帳消しにするためにしょっちゅう抹殺されてたのかな?


900:世界@名無史さん
06/06/02 09:57:38 0
村上ファンドの出資者はユダヤ資本がささやかれてるね

901:世界@名無史さん
06/06/03 02:07:02 0
ユダヤ資本でない金融マフィアがいるのか?

902:世界@名無史さん
06/06/03 02:44:26 0
いまやイスラム教徒までヘッジファンドを立ち上げる世の中ですよ

903:Krt ◆zrW7aiInT6
06/06/03 03:06:35 0
>>898
いや、最近ちょいと他のことにかまけていて。時折覗いてはいたんだけどもね。

>>899
個人の場合だけでなく経済の歴史ってのはある面、借金踏み倒しの歴史だから(笑)。
ただユダヤ人の場合、抹殺もあったが、迫害→追放の方が多かったんじゃないかな。
しばしばこれが一国の財政、金融状態を左右したわけで、スペインあたりと違って
イギリスなんかの場合は、追放したり受け入れたりの使い分けが巧妙だったと思う。

ところで、前の方を読んでいて食卓関係の話題でちょっと気になったことを二、三。

>614 :世界@名無史さん :2006/03/06(月) 22:48:34 0
>中世の料理って、皿を使わなかったって本当?
>パンを皿にしていたとか。
>あと、コテコテの固形のスープを食べていたとか。

904:Krt ◆zrW7aiInT6
06/06/03 03:07:20 0
まずスープについてだが、辞書を見るとわかるように13世紀半ば-17 世紀において
スープとは本来、Tranche de pain que l'on arrose de bouillon, de lait (1)
つまり切ったパンにブイヨンないしミルクをかけたもののことで(2)、(英語でも
ここから切ったパンにかけられたスープ、という意味が最初に出てくる)、さらに
14世紀頃からはこれに、切られたパン、あるいは固体の食物によって濃くされた
ポタージュないしブイヨン、という意味が付け加わる。要するに初期のスープは
固体ないし固体に近い食物だった訳で、だから本来スープは「食べる」ものであり
「飲む」ものではなかったわけだ(今の英語でもカップに入っているようなのを
除けば、×drink soupとは言わずeat soupと言うはず)。

だからゼリー状の固体のものも中世なら十分「スープ」のカテゴリーに含まれうる。
例えば14-15世紀の料理書中のゼリー状牛肉スープのレシピは以下のようなものだ。
「香辛料貯蔵室から紫色色素を2オンス取ってきて、これを良い色になるまで
ゼリーと一緒に煮る。そして、ゼリーの上に紋章の形を描く。次ぎに、ブランで
一かきしてからその上に金貨をのせる」(3)
つまり金貨を乗せられるほどコテコテのものでも当時は「スープ」だったのだね。

905:Krt ◆zrW7aiInT6
06/06/03 03:08:11 0
次に皿だが、これはもちろん使用されたし、中世でも金銀の皿とか、手の込んだ
装飾入りの陶器の皿は高価な財産だったが、地元の陶工が一般向きに作ったような
「並の陶器類は買い求められては壊され、そして驚くべき早さで再び買い求められ」
(4)る程度のものでしかなかった。とはいえ我々が考えるよりも皿の使用範囲は狭く、
多くの食べ物は個人用の敷き板の上に載せられて、その上でナイフで切られたり
して口に運ばれた。この敷き板は陶土、木、金属など色々なもので出来ていたが、
16世紀ぐらいから平に大きく切られたパンで作られることが多くなったらしい(5)。

この敷き板に使うパンは食べるパンより生地も粗く古いものだったらしいが、別に
船乗り用のビスケットほど硬かったわけではなく、食卓でその都度必要な枚数だけ
切られて用立てられるようにパン切りで自由に切れる程度のものでしかなかった。
このパンの敷き板が何枚もらえるのかというのは身分次第で、当時の手引き書だと
主人には三枚、息子には二枚、身分の低い者には一枚とか決まっていたらしい(6)。
当時の食事の様子を描いた絵画の中には、江戸時代の牢名主の畳のようにたかく
積み上げた敷き板用パンの上で肉を切っている主人が描かれているものがある。
もちろん敷き板パンは食用ではなく使用後は犬や貧者への施しものになった。

906:Krt ◆zrW7aiInT6
06/06/03 03:09:24 0
なお皿代わりにテーブルを掘り窪めてそこにスープを盛った説だが、寡聞にして
知らない。とはいえ、当時のテーブルは脚の上に木の板(ボード)をその都度
敷いてその上からテーブルクロスを掛けていたので、クロスを掛けない場合、
食後にボードは取り外して洗えるわけだから、原理的にはそこに窪みを作って
スープを直接盛るのも不可能ではないわけだけども、どうなのかねぇ。
 ただ、さきほどのパン製の敷き板を重ねて一番上のパンに窪みを付けてそこに
塩を入れたりする習慣はあったし、現存するそういうテーブルクロスの上に置く
食器代わりの木製の敷き板にも塩を入れる窪みがついているそうだから、
場合によってはその一部分を掘り窪めてスープかなにかを入れる、ぐらいは
あったかもしれないけれども、これだとそう驚くほどの習慣とは言えないね。


(1)Petit Robertよりsoupeの項
(2)これには別の液体もあり得た。14世紀の騎士物語「ガーウェン卿と緑の騎士」
に出てくる緑の騎士ベルシラックは狩りに出かけるため夜明け前に起きるのだが、
ミサに出た(祈りをした)場合に限って食事をし、それも「スープ」だけを飲んだ、
とされている。
 だがその「スープ」は「細切りにしたパンをワインや他の液体に浸したもの」
である。こういうパンをワインに浸す食べ方は古代ギリシャ以来の伝統がある。
個人的には、このワインが少し甘いのだったらやってみたいものである(笑)
cf.ブリジット・アン・ヘニッシュ「中世の食生活」:法政大学出版局:p.37f.
(3)The Penguin Book of French Verse to the Fifteenth Century pp.216-217:
in 「中世の食生活」:p.160
(4)ibid.p.276
(5)ibid.p.254
(6)ibid.p.255
(7)ibid.p.259

907:世界@名無史さん
06/06/03 04:52:04 0
>>906
机にくぼみつくって更の代用にする説は不思議発見で見た。

908:世界@名無史さん
06/06/03 05:52:59 0
あの番組は神々の指紋特集とかやっちゃう番組だから、信用度はちょっとなあ。

909:Ryuju ◆RlujhF6VrA
06/06/03 18:16:08 0
URLリンク(ww2.enjoy.ne.jp)~tteraoka/esse1.htm

このサイトによると、カール大帝の頃らしいね。>食卓にくぼみ

で、それが書いてあるコーナーの参考文献として挙げてあるのが以下の三冊。

「食卓の文化誌」(石毛直道 著/㈱岩波書店)
「「食」の歴史人類学 比較文化論の地平」(山内 昶 著/人文書院 発行)
「ヨーロッパの祝祭典 中世の宴とグルメたち」
(マドレーヌ・P・コズマン 著/加藤 恭子、山田 敏子 訳/原書房 発行)

持ってる人は確認取ったらいいかも知れない。

910:Krt ◆zrW7aiInT6
06/06/03 19:42:57 0
「「食」の歴史人類学 比較文化論の地平」(山内 昶 著/人文書院 発行)
が書庫にあったので覗いてみたら、おお、確かに書いてあるね!

「まず即時の土台となるテーブルから話をはじめるが、例えば中世フランスの
有名なシャルルマーニュ大帝(ママ)の食卓は、組み立て式の長い樫の厚板で
表面に一定の間隔で窪みがつけられていた。この窪みが個人用の皿ないし鉢の
役目をし、大皿に盛った料理を手で取って一旦そこにおき、ついで両手を使って
食べていたのである。この台と板と別々の組み立て式テーブルはその後も
永く続き、フランスで固定式テーブルが勝利したのはやっと十八世紀になって
からのことだった」pp.104-105

「シャルルマーニュ大帝」には困ってしまうが、やはりテーブルが組み立て式で
その都度敷く上のボードが洗えるからこういうことが可能だったんだろうかね。



911:世界@名無史さん
06/06/03 23:30:17 0
今のいわゆる「食器」が出来たのって中国なのかな?

912:世界@名無史さん
06/06/04 05:15:32 0
現在のヨーロッパの食器を使った食事の起源はイスラームじゃなかったかなぁ。


913:世界@名無史さん
06/06/04 21:11:03 0
中世ヨーロッパで起源がはっきりしないものは、
すべて偉大なイスラーム起源なんだよ。

914:世界@名無史さん
06/06/04 23:36:55 0
ローマ時代の進んだ建築技術は絶えてしまいましたが、これは帝国滅亡時の混乱で技術者が皆殺しにされたからですか?
それとも、技術者は生きながらえたもののパトロンを失い、腕を発揮できず、技術も絶えたのですか?


915:世界@名無史さん
06/06/04 23:56:28 0
>>913
ローマの遺産もあるなw

916:世界@名無史さん
06/06/05 00:00:11 0
>>914
皆殺しってのは聞いたことないね。やっぱ帝国っつーでっかい組織がなくなって
公共建築が一切なくなったことが一番の原因じゃないかね

917:Ryuju ◆RlujhF6VrA
06/06/05 00:45:46 0
公共建築と言えるかどうか分からんが、大きな教会(聖堂)とかは
中世初期にもそれなりにあるんだけれども、
それだけでは需要に限界があったってことだと思う。

918:世界@名無史さん
06/06/05 03:58:18 0
金と機会がなきゃ職人がいくらいたってどうしようもないからね。

919:世界@名無史さん
06/06/05 16:51:02 0
>>913
民明書房的には中国起源

920:世界@名無史さん
06/06/05 16:54:37 0
じゃあビザンチンでは、その後も進んだ技術が維持されたのかな。
例のアヤ・ソフィアみたいに。

921:世界@名無史さん
06/06/05 17:23:44 0
東は蛮族の流入もかなり抑えていたし、技術の散逸も少なかっただろうね。
ビザンティン文化は長い間西欧より先んじていたし。

922:世界@名無史さん
06/06/05 17:28:13 0
>>921
長い間というか、滅びるまでだ罠。ビザンツが滅びて難民がイタリアに流出して
中世が終幕に向かったわけだから。

923:世界@名無史さん
06/06/05 22:27:23 0
ローマのアーチは所詮は半円アーチ。中世ではそれを凌駕する。

924:世界@名無史さん
06/06/06 09:41:36 0
ローマの文化は点の存在のような気がする

925:世界@名無史さん
06/06/06 12:58:43 0
ローマでいえば初期では武勲を挙げた著名人、帝政期以降は皇帝による公共事業
として各種の建築物が建てられたしなぁ。
各都市間の街道整備、公共施設、上下水道等はやっぱりローマ帝国という一つの
でかい経済基盤があったからこそできたわけで。
国としてのローマは滅んだけど、当時からあった都市は存在し続けたわけだから
技術流出というより単に費用の問題だったんじゃないかと愚考。

926:世界@名無史さん
06/06/06 13:55:19 0
ローマ市の水道は滅亡時蛮族に破壊されてしまったんだったな。
コンスタンティノープルは以後も分厚い城壁で守られ、水道が供給されていたが。

927:世界@名無史さん
06/06/06 16:07:05 0
ベリサリウスが侵攻したときに水道から蛮族が入ってくる恐れがあるから封印したって
聞いたことがあるんだが、あれはガセだったんだろうか。

928:世界@名無史さん
06/06/06 18:57:25 0
現代イタリアでもローマ時代の上下水道を使ってたって塩婆のエッセイにあったけど
真贋の程は如何に?

929:世界@名無史さん
06/06/06 20:27:56 0
ローマの下水道は何百年かぶりに掃除したとか去年か一昨年のニュースにあった気がする。

930:世界@名無史さん
06/06/06 23:20:43 0
中世ゴシック建築はオリジナルでしょ?

931:世界@名無史さん
06/06/08 16:22:03 0
>930
うんにゃ。
主要な特徴はササン朝ペルシャやビザンチンに起源がある。


932:世界@名無史さん
06/06/08 18:05:41 0
まあ完全なオリジナルなんて無いからな。
どれも起源を辿れば何かの模倣だったり影響を受けていたり。

933:世界@名無史さん
06/06/09 01:15:32 0
イスラムは偉大。
すべてはイスラム起源。
ヨーロッパは劣っている劣っている劣っている。


934:世界@名無史さん
06/06/09 01:20:43 0
ギリシャ・ローマのが巡ってイスラムへってのが多いだろ

935:世界@名無史さん
06/06/09 01:38:58 0
>934
うんにゃ。ギリシャ・ローマ文化文は古代ペルシャの影響を色濃く受けている。
で、イスラムは文化的にはペルシャ文明の直系。
ギリシャ・ローマの方は帝国崩壊で衰退。

936:世界@名無史さん
06/06/09 23:16:46 0
ペルシャは偉大。
すべてはペルシャ起源。
ヨーロッパは劣っている。
イスラームも劣っている。


937:世界@名無史さん
06/06/10 00:55:35 0
ウリナラが一番偉大ニダ

938:世界@名無史さん
06/06/10 01:08:11 0
イスラームの建築技術は凄いんだよ。
聖ソフィア大聖堂(6世紀)もブルー・モスク(17世紀)も見た目は
似ている。6世紀にすでに17世紀の水準に達していたんだよw

939:世界@名無史さん
06/06/10 01:15:02 0
アヤソフィアはビザンチンの建築なんだが・・・

中東のモスクは、アヤソフィアから大いなる影響を受けたんだが・・・

940:世界@名無史さん
06/06/10 03:20:18 0
アヤ・ソフィアを直接の見本にするようになるのはオスマン朝になってから。

それまでは中東に建造されたバシリカ建築方式を基本に独自に多芯円アーチを多用したり
サーサーン朝のペルシア方面の建築であったイーヴァーンを大規模に使うようになって
平面的に広いホール状の空間を作り出せるようになった。これは礼拝のために広い平面空間が
必要だったから。

シリアよりも東は石材よりも泥土の方が入手しやすく降水も殆ど無い土地なので、タイルや
泥煉瓦を使った建築が主流だった。

ドーム状の建築はイスラム時代以前からあったみたいだけど、この種の建築は廟墓とかに
用途が限定されていたのでアヤ・ソフィアレベルの規模のものは作る必要性が余り無かった。
オルジェイトゥ廟などがドーム建築としてはアヤ・ソフィアにかなり近い大きさになるが、
殆どの同種の建築は地震などで崩壊して現存していないのが難点。



941:世界@名無史さん
06/06/10 09:53:14 0
聖ソフィア大聖堂は元々はキリスト教の建築じゃん。
ビザンチンが征服されてからイスラム調に改装されただけ。

942:世界@名無史さん
06/06/15 18:18:14 0
トルコの建築物はヨーロッパとイスラムの折衷って感じだよね
実際、トルコはヨーロッパの建築家をかなり雇ってたというし
それとダマスクスの大聖堂はビザンツ建築の影響を受けたとか

943:世界@名無史さん
06/06/16 13:32:30 0
逆にスペインあたりはイスラム文化の影響受けなかったのかねえ・・・
そこら辺詳しくないからさっぱりだ。

944:世界@名無史さん
06/06/16 15:11:27 0
つアルハンブラ宮殿

945:世界@名無史さん
06/06/16 16:34:22 0
>>943
受けまくり

946:世界@名無史さん
06/06/16 16:47:49 0
アルハンブラ宮殿はイスラム文化の影響を受けた、ってんじゃなくて
イスラム文化そのものじゃないのか

日本が朝鮮に作った倭城を「日本文化の影響を受けた建築」とは言わんだろう

947:世界@名無史さん
06/06/16 23:13:20 0
日本の五重塔とかも、どう考えても中国の文化を受けまくって
いるのに、日本古来の建築として扱っている。


948:世界@名無史さん
06/06/17 00:09:42 0
ダウト。
当時の中国・朝鮮では仏教建築でも主に石造りの三重塔などのがっしりとした物で、
逆に言えば石造りで多重のものは建てられなかった。
仏教伝来の道を辿っても五重塔は木造建築に優れた日本特有のものだというのが通説です。

949:世界@名無史さん
06/06/17 06:25:50 0
日本の七重塔、九重塔とかは全部崩れて、
五重塔も何十回もの補修工事を受けてなんとか存続してる。

950:世界@名無史さん
06/06/17 09:26:36 0
ヨーロッパ・中国の伝統建築における最新の技術を使っての補修工事と違い、
日本古来の伝統建築はほぼ全てが宮大工による当時の技法を使った修復だけどな。
そもそもヨーロッパや中国と違って日本は世界でも有数の地震大国。
単純な劣化だけじゃなく環境の外因の影響を考えてみろよ。


951:世界@名無史さん
06/06/17 09:49:33 0
サグラダファミリアも最新の建築技術使ったら数年で完成するんだっけ?
造ったそばから壊れだから大変だよな。
ちょっと前にあと○○年で完成って記事を見た気がするが。

952:世界@名無史さん
06/06/17 10:59:48 0
>>936
わーのわーの

953:世界@名無史さん
06/06/17 12:49:17 0
>>952 ふ、古っ!

954:世界@名無史さん
06/06/17 13:01:18 0
>>952
そのペルシャかよ!ってわかる俺は…

955:世界@名無史さん
06/06/17 15:11:03 0
>>950
当時の技術と言っても建立後100~200年くらい
してからの最新技術で改修・補強されてたりするわけで。

956:世界@名無史さん
06/06/17 15:28:24 0
要するに宮大工スゲェって事か。
世界一古い企業も宮大工だしな。

957:世界@名無史さん
06/06/17 16:00:56 0
前に宮大工による薬師寺の補修を特集した番組見たけどすごかった
あんな古い技術を現代でも伝承し続けるなんてなー。
世界遺産の旅だかで五重塔は日本にしか存在してないってたけど
木造と石造の違いがあるとはいえやっぱ日本の技術は恐ろしいわ。

958:世界@名無史さん
06/06/17 21:52:40 0
世界的に見ても木造建築の遺産っていうのも珍しいしな。
ヨーロッパは加工に適した石材が豊富&地震がないから造るのが簡単
っていう条件もあったろうけど。

959:世界@名無史さん
06/06/17 22:07:22 0
木造建築の遺産っていうと、ヴァイキング教会ってのがあるよ

960:世界@名無史さん
06/06/17 23:07:28 0
>ヴァイキング教会
うお、初耳なんだけど詳細を聞いてもいい?
イメージがわかねえw

961:世界@名無史さん
06/06/17 23:27:30 0
URLリンク(pws.prserv.net)
こことかどうだ

962:959
06/06/17 23:39:47 0
ああ、これです。  >>961さんthx!

963:世界@名無史さん
06/06/17 23:42:10 0
教会なのにパーツが船っぽいなぁ。
おもしろい。

964:世界@名無史さん
06/06/18 01:54:24 0
北欧といえば家具とかログハウスとか木工得意そう

965:世界@名無史さん
06/06/18 06:59:47 0
世界一の長者はゲイツじゃなくてイケアの中の人だって新聞に書いてあったな。長い伝統か……。

966:世界@名無史さん
06/06/20 03:01:42 0
主に盛期中世辺りの資料を探してるんですけど
人々の生活の様子や暮らしに関して、図解(イラスト等)で細かく描写してある書物やサイトってありますか?
ご存知でしたらよろしくお願いしますm(__)m

967:世界@名無史さん
06/06/20 11:28:18 0
東京書籍の「世界の生活史」シリーズ。 でもアマゾンでも在庫切れだな

968:世界@名無史さん
06/06/21 12:01:14 0
ヨーロッパで木造建築の世界遺産といえば、ロシアの木造教会群がある。


969:世界@名無史さん
06/06/21 12:33:40 0
>>968
キジ島のやつ?
あれは中世じゃなかったと思ったから言及を控えていたんだが

それとも他にあるのかな

970:世界@名無史さん
06/06/24 18:21:47 0
今日のNHK世界遺産はモンサンミシェルですよ

971:世界@名無史さん
06/06/29 21:12:27 0
age

972:世界@名無史さん
06/06/30 23:34:20 0
中世ロシアっていつからいつまで?

973:世界@名無史さん
06/07/01 15:31:10 0
ノブゴロド~ソ連崩壊まで。

974:世界@名無史さん
06/07/01 16:47:36 0
それはアネクドートか何かか

975:世界@名無史さん
06/07/01 20:14:44 0
>>948
ダウト
中国・朝鮮ももとは木造。

976:世界@名無史さん
06/07/02 21:35:33 0
>>973>>974
ソ連末期のアネクドートによると「ロシアはまだ19世紀」だから中世とは言えないなw

977:世界@名無史さん
06/07/03 10:22:18 0
>>975
どこの国でも初期の建築物が石造か木造の二択なのは当たり前だ。
肝心なのは世界遺産の木造建築が現存しているという事実。

978:世界@名無史さん
06/07/03 11:57:34 0
日本は儀式的側面を重視して塔の中身が補強の構造があるだけの空洞。

979:世界@名無史さん
06/07/03 22:05:59 0
日本古来の建築:神明造
仏教伝来の影響をうけた建築:五重塔


980:世界@名無史さん
06/07/03 23:07:12 0
神明造でも仏教の影響受けてるよ。

981:世界@名無史さん
06/07/04 11:59:16 0
ここはたしか980越すと24時間(?)書き込みがないと落ちるはず。
で、今は1000行かないで落ちると「にくちゃんねる」に保存されないみたい。
だから残りを大いに利用するか、いっそのこと埋めて1000にして。

982:世界@名無史さん
06/07/04 13:30:01 0
なんで「中世」って聞くと心引かれるのだろう。
日本の中世も好き。

983:世界@名無史さん
06/07/04 16:02:42 0
暗黒時代より中世という言葉が好きだが、ミドルエイジよりもダークエイジという言葉が好き。

984:世界@名無史さん
06/07/04 17:17:21 0
騎士とか貴族とかを一番最初に思いつくからじゃね?

985:世界@名無史さん
06/07/04 21:08:19 0
ミディーバルですよ

986:世界@名無史さん
06/07/04 21:40:00 0
ぬるぽ

987:世界@名無史さん
06/07/04 21:41:16 0
ぬるぽ

988:世界@名無史さん
06/07/04 21:41:34 0
修道院や吟遊詩人のイメージだな。
アウトローな感じで。

989:世界@名無史さん
06/07/04 23:53:50 0
>>986-987
遅くなったけど、ガッ

一般的によく飲まれる酒って言うと西ヨーロッパではワインか…?
っていうか、どれくらいの頻度で酒が飲めたんだろうか。
つか、昔にアルコール中毒ってあったのか?

990:世界@名無史さん
06/07/05 01:31:24 0
>>982
「女子高生」に抱く幻想と同じ

991:世界@名無史さん
06/07/05 04:26:46 0
うめ

992:世界@名無史さん
06/07/05 19:26:08 0
後8レス埋め

993:世界@名無史さん
06/07/05 19:27:19 0
って、冷静に考えると次スレが無くない?
いらないのか?

994:|ー`)カマキリ ◆i18x.ODXI2
06/07/05 20:14:03 0
【次スレ】中世ヨーロッパの暮らし(4)
|ー`)っスレリンク(whis板)

995:世界@名無史さん
06/07/05 22:11:53 0
ウメネタ
448 名前: 名前は開発中のものです。 [sage] 投稿日: 2005/10/31(月) 23:44:55 ID:rize3i2h
>>443とかAoKとか信長の野望あたりをごったまぜにした感じのアイデアを2つに分割して投下。

騎士生活SLG

概要
叙勲されたばかりの騎士として自分の小さな領地(城と荘園)を拡大し豊かにして城下町をつくり、発展させつつ、
貴族としての地位を向上させ大貴族になるも良し、騎士としての冒険を繰り広げ救国の英雄になるも良し、
騎士としての生活を楽しむゲーム。
騎士としての生活は城内と荘園内だけには留まらない。
王に召還され、様々な探索、お使い等の命を与えられたり、戦争に出兵したりする。
また王や大貴族主催の馬上試合に出て名声を稼ぐ事もできる。
さらに悪竜や悪人、怪物退治もでき、報酬としてアイテム、名声、領地等が増えていく。

詳細
叙勲され、小さな城と荘園を与えられた騎士としてゲームスタート。ゲームは大きく領地モードと外出モードの2つのモードから構成されている。

領地モード
○荘園経営モード
収入の基本となるのが荘園。荘園から得た作物を市場に売る事で金銭を得る事ができる。
農民は自動的に動く。税金として物納させる以外に労働税として土木工事や建築に動員し働かせる事もできる。
土木工事によって領地を開墾したり、治水工事をしたり、城下町や市場の建設、農業生産力が上がる風車やワイン圧搾機などが立てられる。
農民は学者を雇って技術開発をしたり風車や水車を立てることで生産する農作物のバリエーション、生産量を増やす。

996:世界@名無史さん
06/07/05 22:12:24 0
449 名前: 448 [sage] 投稿日: 2005/10/31(月) 23:45:52 ID:rize3i2h
○城での生活モード
城は中を自由に歩き回り、臣下や食客に話しかけ、様々な施設を利用できる。
食事を取ることで料理人のスキルを上げるたりチェス等のゲーム内ゲームで遊んだり道化師や吟遊詩人に芸をさせられる他。
武術の訓練、商人との取引、パトロンを求めて訪問する学者、芸術家、錬金術師の品定めができる。
宴会を開いて諸侯を招き成功させることで人脈や名声が増え、様々なクエストや王からの呼び出しが増える。
宴会で出す料理の質は料理人のスキル値と荘園で取れる収穫物、商取引で得られるもので決まる。
芸術家が作る作品は王をはじめとする様々な人に献上できる。

外出モード
○城の外の冒険
主人公が城の外に冒険に出るとき、城を任せるための侍従。冒険に付き添わせる配下を必要とする。
冒険に付き添わせる配下は指揮力によって人数が決まっている。武力をもつもの、医療技術を持つもの、世話係、魔法が使える者等等。
これらでPTを組んで、王の命に従ったり、出兵したり、怪物退治をしたりする。


なんか書けば書くほど、洋風信長のような気がしてきた・・>>443を見てピコーンときて頭にこびりついていたので投下した。
反省はしていない。

997:世界@名無史さん
06/07/05 22:12:54 0
443 名前: 名前は開発中のものです。 [sage] 投稿日: 2005/10/26(水) 20:13:30 ID:5tgOepE4
アトリエシリーズな感じの街づくりゲーム。

「ここに街を作るぞ!」と突然思い立った男が主人公。
男の住居(わらの家)ひとつからスタートで
冒険→アイテム収集→研究・制作→街作りのための資材完成→街が大きくなる
粘土でレンガを作ると街が大きくなるけど一定量しか人は増えず、
その粘土で陶器を発明すると街が豊かになってさらに多くの人が増えるとか。

998:世界@名無史さん
06/07/05 22:30:23 0
シムシティとか?
あ、いや、エイジオブ○ンパイヤやライ○オブネーションでいいか…

999:世界@名無史さん
06/07/05 22:40:53 0
AoKやRoN以外の中世舞台にしたシミュレーションゲーム

ナイツ オブ オナー
URLリンク(koh.zoo.co.jp)
メディーバル ローズ
URLリンク(medievallords.zoo.co.jp)
創世記1503
URLリンク(anno1503.zoo.co.jp)

1000:世界@名無史さん
06/07/05 22:41:58 0
1000ならオイレンシュピーゲル

1001:1001
Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。


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