06/05/05 15:28:40 0
URLリンク(www.allempires.com)
イェニチェリって本当にこんな中国系みたいな容貌だったんですか?
真ん中の人はジャッキーチェンにしか見えません。
872:世界@名無史さん
06/05/05 17:38:30 0
服装と武器変えればそのまま第三帝国SSの絵にできそうだな
873:世界@名無史さん
06/05/05 23:48:03 0
イェニチェリはスラヴ人とかが多かったはずだが
874:世界@名無史さん
06/05/07 12:07:35 0
デウシルメ制でバルカン半島から連れてきた、奴らが多かったはず?!たしか。
マムルークがトルコ系?
シパーヒーがアルジェリア系?
875:しつもぉーん!
06/05/07 13:10:31 0
トルコとドイツの関係はどうだったんでしょうか。
もちろん両国は接触して以来、数百年の歴史を刻み、
交流史も一口では言えないことは承知のうえですが。
トルコとドイツは、ウィーン包囲以来の敵対関係に
あった一方で、ドイツ諸侯に軍事顧問に雇われたり、
イェニチェリにかぶれた諸侯から、ブラスバンドを作る
ために呼ばれたトルコ人もいた、とかどっかで読んだ
記憶もあるんですが。
文化面では相互の交流もあったんでしょうか。
876:世界@名無史さん
06/05/07 13:15:21 0
混乱するイラクに44代スルタンを復活させろ。
877:世界@名無史さん
06/05/07 17:30:30 0
オスマン朝のイラーク支配なんて当時でさえけっこう無理を重ねてたんだから
今さらオスマン家の君主を立てるのはさらに無理がないかね。
それだったらオスマン朝が征服するまでずっと歴史的にイラークと直接的な
関わりの深いイランに併合されるとか、ハーシム家の王族を再度たてるとかだが、
どっちにしろ現地の住民から猛烈な反発を喰らいそうだ。
878:世界@名無史さん
06/05/07 21:17:42 0
413 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/17(月) 16:52:21 ID:0vAju8ll
『エンパイア・オブ・ザ・ウルフ』という映画が最近上映されたけど、
トルコ国粋主義組織“灰色の狼”って、興味深いよね。
もし彼らの汎トルコ主義の主張通り、中央アジアにまで広がるトルコ系の連合国家が
誕生すれば、資源その他の要素を考えると、瞬く間に国際政治を左右する超大国
が誕生することになる。ロシアを遥かに凌ぐことだろう。
トルコ人も、EU加盟とか考えないで、そっちの方を目指せばいいのに・・・
SAPIO 4/26号に特集記事がある。
↓
URLリンク(skygarden.shogakukan.co.jp)
国際政治学II 09 灰色の狼と離散の民
URLリンク(72.14.203.104)
879:世界@名無史さん
06/05/07 21:49:45 0
たぶん今、スルタンが復活したら、トルコ大好きな俺は、泣くと思う。感動しすぎて
880:世界@名無史さん
06/05/07 21:57:20 0
そのスルタンがスン二派で立憲君主制に理解ある人物なら問題ないがな。
881:世界@名無史さん
06/05/08 10:26:23 0
オスマン家の人間を(実権の無い)カリフ位に就けておいて
大統領がスルタンの称号も帯びればいいのでは無いかと。
(例えとしてはちょっと苦しいが)マムルーク朝という先例もあることだし。
882:世界@名無史さん
06/05/08 12:16:23 0
立憲(だけでもないが)君主制は、一度崩れると復活させようとしても大変だからなあ…
君主制を復活させて、まがいなりにも安定させたのって、近代じゃあスペインだけじゃないかな?
883:世界@名無史さん
06/05/08 20:31:17 0
下手に今更カリフ号を名乗ってシーア派などの反発受けたら大変だから
従来通りの大統領制がいいと思うが。
スペインの場合はフランコが自分の死後まで自己の政体続けるのは
不可能と判断して、欧州王室と縁の深いブルボン家を指名したのが成功したが
トルコの場合、オスマン家は最早、中東の王室とは無縁だし
何よりトルコ自身が追放した王家だからな・・・・
884:世界@名無史さん
06/05/08 22:54:01 0
スレイマンの死と第二次ウィーン包囲のあいだ、
ソコルル・メフメト・パシャやキョプリュリュ一族、
カラ・ムスタファ・パシャみたいな大宰相たちの時代を詳しく書いた本ってないの?
ドン・ヴォルガ運河計画とか、おもしろそうだ。
885:世界@名無史さん
06/05/09 20:44:40 0
>>884
俺の知る限り日本語で読める史料では無いな。
日本のオスマントルコ史の本は大抵、スレイマン1世の死でストップして
そこからムハンマド・アリーのエジプト支配まで飛ぶ。
886:世界@名無史さん
06/05/16 00:17:41 0
>>884, 885
鈴木董氏の『オスマン帝国の権力とエリート』(東京大学出版会、1993年)とか
山川の各国史、永田雄三編『西アジア史Ⅱ イラン・トルコ』(2002年)、
中公の世界の歴史、永田雄三、羽田正『成熟のイスラーム社会』(1998年)
とかに載ってなかったか?
当方、今手元にないんで確認できんが、
ソコルル・メフメト・パシャとかキョプリュリュ一族、カラ・ムスタファ・パシャとか聞き覚えのある人物ばかりなので
たぶん上に挙げた本あたりが取り上げてると思うんだが。
887:世界@名無史さん
06/05/18 17:49:17 0
>>886
成熟のイスラーム社会はオスマン朝だとセリム2世の即位で記述がストップしている。
888:世界@名無史さん
06/05/19 02:25:59 0
>>883
シーア派ってカリフは完全スルーなんじゃないの?
889:世界@名無史さん
06/05/19 02:37:29 0
カリフを担ぎ出すならオスマンのスルタンじゃなくて
カイロでマムルーク朝にかくまわれてたアッバーズカリフの子孫のほうな気がする。
子孫はまだどっかにいるんだろうか。
890:世界@名無史さん
06/05/20 22:56:23 0
ヨルダンのハシム家でいいじゃん、別に。
姫様も綺麗だし、女性カリフなんてどう?
891:世界@名無史さん
06/05/21 21:22:34 0
イスラームで女性カリフは無理だろ。
スルタンは居たけど、皆悲劇的最後を迎えている。
892:世界@名無史さん
06/05/21 21:25:04 0
女性スルタンなんていたの!???
893:世界@名無史さん
06/05/21 21:30:40 0
>>892
マムルーク朝のシャジャルッドゥッルと
デリー・スルタン朝のラズィーヤ
894:世界@名無史さん
06/05/31 23:03:18 0
それが悲劇的最後になるのか
895:世界@名無史さん
06/06/10 12:32:12 0
スルタンあげ
896:世界@名無史さん
06/07/02 12:40:50 0
>>871
カルムイクあたりの出身者がいたかも知れぬ。
897:世界@名無史さん
06/07/02 12:46:36 0
>>896
ノガイ・タタールなんかの捕虜になって売られてきた?
898:世界@名無史さん
06/07/02 17:24:29 0
>>892
URLリンク(ja.wikipedia.org)
Wikiから拾ってきた
ラズィーヤの伝記出版してくれないかな
オスマン朝の女性ではフッレム、ミフリマ、
マヒデブラン、ヌル・バヌ、サフィエ、キョセムの伝記が読みたいんだが
英語を勉強するしかなさそうだな_| ̄|○
899:世界@名無史さん
06/07/03 20:09:20 0
オスマン朝が今でも健在でパレスチナ治めてたら
中東ももう少し安定しただろうに
900:世界@名無史さん
06/07/03 21:36:53 0
900突入
901:世界@名無史さん
06/07/03 21:43:05 0
このスレ、四年半も続いているのか。
もしかして現時点での世界史板の最長寿スレ?
902:世界@名無史さん
06/07/12 21:17:54 0
オスマントルコが地域帝国になったのはいつ?
903:世界@名無史さん
06/07/12 21:38:26 0
大島直政さんにスレイマン大帝の伝記を書いてもらいたかった
904:世界@名無史さん
06/07/12 23:46:20 0
スレイマンとメフメト2世の伝記はすでにあるので
セリム1世について誰か書いて欲しい
905:世界@名無史さん
06/07/13 18:20:46 0
セリム1世は即位前の王子時代についての記録が希少なので
伝記化は難しいと思われ
仮に出来ても即位後が記述の大半を占めるでしょ
906:世界@名無史さん
06/07/13 18:47:49 0
ロクセラーナの没年が長年確定していなかったのにびっくり。
昭和40年代に出版されたイスラム辞典のロクセラーナの項目をみたら
没年が1558年一説には1561年って記録されていた。
今は58年説で確定しているけど。
オスマン帝国が紀元前に栄えた王朝ならありえない話ではないけど
16世紀に全盛期を迎え、20世紀に滅んだ大帝国なのにな。
この辺の事情に詳しい人がいたら
何でこんなことになっていたか説明して欲しい。
907:世界@名無史さん
06/07/14 21:03:27 0
,. -‐'''''""¨¨¨ヽ
(.___,,,... -ァァフ| あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
|i i| }! }} //|
|l、{ j} /,,ィ//| 『オスマン艦隊が金角湾外にいると
i|:!ヾ、_ノ/ u {:}//ヘ 思ったらいつのまにか陸を越えて来ていた』
|リ u' } ,ノ _,!V,ハ |
/´fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人 な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
/' ヾ|宀| {´,)⌒`/ |<ヽトiゝ おれも何をされたのかわからなかった…
,゙ / )ヽ iLレ u' | | ヾlトハ〉
|/_/ ハ !ニ⊇ '/:} V:::::ヽ 頭がどうにかなりそうだった…
// 二二二7'T'' /u' __ /:::::::/`ヽ
/'´r ー---ァ‐゙T´ '"´ /::::/-‐ \ ルメリ・ヒサルだとかウルバン砲だとか
/ // 广¨´ /' /:::::/´ ̄`ヽ ⌒ヽ そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
ノ ' / ノ:::::`ー-、___/:::::// ヽ }
_/`丶 /:::::::::::::::::::::::::: ̄`ー-{:::... イ もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…
908:世界@名無史さん
06/07/15 02:43:06 0
>>907
艦隊山越えについてはこういう例もあったようです。
34 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2005/07/20(水) 23:32:53 0
907年にキエフ公オレーグがコンスタンティノープルに来襲する。
このときはビザンツ側がボスフォラス海峡を防衛していたので、
ルーシの軍勢は舟を地峡を越えて運んだ。
(船を陸上に引き揚げて車輪に載せ、城壁の攻撃に使用したということ)
オレーグはリューリクの死後、彼の子供たちの摂政という立場で権力を
にぎり、キエフの公になった。
909:世界@名無史さん
06/07/15 16:40:46 O
オスマン家の名字は今ではオスマンなのかな?もともと始祖の名前でしょ これ
910:世界@名無史さん
06/07/15 17:09:52 0
だってオスマン朝時代のトルコ人には名字がなかったんだもん。
911:世界@名無史さん
06/07/15 19:39:34 0
オスマン朝の皇女はかなり好き勝手に暮らせたらしいな。
皇子の悲惨な境遇とは対照的だな。
912:世界@名無史さん
06/07/16 01:59:40 0
>>909
>>600で既出ですが、トルコ国籍を取得した場合は
オスマンオウルという名字を使っているようです。
オウルは「子」という意味のはず。
913:世界@名無史さん
06/07/16 07:48:34 0
英語だとオスマンソンに日本語だとオスマンコになっていたのですね
914:世界@名無史さん
06/07/16 15:22:20 0
>>902
ブルサを占領した1326辺りかな。
この頃からビザンツの西アジア領を侵食し始めている。
915:世界@名無史さん
06/07/16 23:25:04 0
>>912
トルコの地方有力者の一族、カラオスマンオウル家を研究してる永田雄三氏によると、
オウルには確かに「子」の意味もあるが、「家」の方が正確だという。
どっかの論文に書いてあったと記憶。
916:世界@名無史さん
06/07/17 04:32:00 0
オスマン語の「オウル」はチャガタイ語などの「オグル」のことなので、
「なになにオウル」といった場合、ものとしてはアラビア語の「イブン・~」と
同じに意味になるのか。
すると「~オウル」で『家、一族』という場合は「バヌー・~」に近いのかな?
917:世界@名無史さん
06/07/17 09:11:15 0
>>915>>916
東欧の槍騎兵「ウーラン」の語源になったという
タタール語「オグラン」はどういう意味なんでしょ?
918:世界@名無史さん
06/07/17 21:38:27 0
>>917
オグランはオグルと似たような意味だったはず。
トルコ語ではオウランといって、男の子とか、少年といった意味になり、
オスマン朝ではデヴシルメで徴兵された直後の新兵をアジェミ・オウラン、
そこから選抜されて宮廷に入った小姓をイチュ・オウランといってたそうです。
919:世界@名無史さん
06/07/17 22:51:47 0
>918
サンクス。若い衆みたいな意味なんですね。
920:世界@名無史さん
06/07/17 23:34:55 0
トルコ系民族でもイランだと○○ザーデ
ロシアに住んでると○○ノフ、○○ヴィチ
てのが多いとか
921:世界@名無史さん
06/07/25 13:48:47 0
オ○マン○
922:世界@名無史さん
06/07/28 23:41:57 0
歴史あるスレだ
923:世界@名無史さん
06/08/16 16:28:40 0
age
924:世界@名無史さん
06/08/21 02:04:18 0
マジ、オスマン・トルコに住みたいと思ったことがある。
925:世界@名無史さん
06/08/21 19:52:41 0
>>924
人頭税さえ払えば非ムスリムでも大歓迎だよ。
926:世界@名無史さん
06/08/21 23:02:53 0
イスタンブールは江戸みたいに火事が多かったとか
927:世界@名無史さん
06/08/22 01:04:22 0
今高校三年です。大学ではオスマン帝国について学びたいのですが、
どの教授はオススメとかありますか?東京都在住です
928:世界@名無史さん
06/08/22 19:50:28 0
東大、東京外語、筑波、千葉、
慶應、明治、国士舘、立教、東洋・・・
929:世界@名無史さん
06/08/23 19:22:07 0
中期のオスマンの皇子って皇帝になった奴の兄弟はみんな粛清されたそうだけど、
万が一皇帝になった奴が世継つくらないまましんじゃったらどうするつもりだったの?
930:世界@名無史さん
06/08/23 20:20:30 O
ハーレムでどんどん子供作りまくり。
931:世界@名無史さん
06/08/23 20:29:07 0
ハーレムって不衛生極まりない気がする・・・
932:世界@名無史さん
06/08/23 21:00:06 0
>>930
できる前に病気で死んじゃったら帝位継承者いないじゃん
933:世界@名無史さん
06/08/23 21:06:10 0
>>929
オスマン朝の「兄弟殺し」はセリム1世の頃がピークで
17世紀以後では皇帝以外の皇族は宮殿内で飼い殺し状態。
934:世界@名無史さん
06/08/23 21:20:19 O
>932
その場合、規定はなかったけどスルタンの娘の息子から適当なのを選んだと思うよ
935:世界@名無史さん
06/08/23 21:34:08 0
イスラーム法では男系相続しか認めないだろ。
936:世界@名無史さん
06/08/23 21:40:47 0
>>935
つバフリー=マムルーク朝シャジャル=アッドゥッル
つデリースルタン朝ラズィーヤ
937:世界@名無史さん
06/08/23 21:59:14 0
どっちも王位継承を否定されて非業の最期を遂げたんでは。
938:世界@名無史さん
06/08/23 22:01:53 0
日本語で読めるオスマントルコ史の本は何故かスレイマン1世の死で中断して
その後、ムハンマド=アリーのエジプト近代化まで話が飛ぶ。
939:世界@名無史さん
06/08/23 22:10:41 0
邦訳が出た、ジョン・フリーリーの『イスタンブル』はちゃんとオスマン朝の歴史をフォローしてたと思うけど。
940:世界@名無史さん
06/08/23 22:15:00 0
鈴木薫は>>938に該当しているな
941:世界@名無史さん
06/08/23 22:30:16 0
スレイマンの治世以降はトルコを始め、バルカンやアラブ、
西ヨーロッパの文書館に収蔵されている古文書が大量に残っているため、
年代記などの叙述史料を中心にすれば済んだそれ以前の
時代の研究とでは研究の方法論が異なるからであろう。
942:世界@名無史さん
06/08/23 22:34:32 0
単にスレイマン以後のオスマントルコに歴史マニア受けする
個性的な名君が出てこなかったからじゃない?
943:世界@名無史さん
06/08/23 22:42:04 0
すっかり実権を失くして深窓の貴公子みたいになってしまったスルタンをさしおいて、
ヴェネツィア出身のヌール・バーヌーとかキョセムとかの母后たちが実権を握っていく所なんかが
江戸時代の大奥との対比などで面白いのだが。
944:世界@名無史さん
06/08/23 22:53:56 0
キュプリュリュ家の話だって面白そうだよな
945:世界@名無史さん
06/08/23 22:55:50 0
キョプリュリュ家の間違いだ。スマン。
946:世界@名無史さん
06/08/23 23:24:23 0
>>929
兄弟殺しが習慣だったと確認できるムラト1世頃からスレイマンの頃までを見ても、
前スルタンの死去後は必ずと言っていいほど、帝位継承戦争なり兄弟殺しが
行われている事を考えれば、どのスルタンの死去時にも王子は少なくとも
2人以上いたということができるし、例外として、王子がスレイマン一人しか
いなかったセリム1世にもセリムの死去時にはすでにスレイマンは20代半ばで、
マヒデヴランとの間に息子のムスタファがいた。
ムスタファは後にスレイマンがヒュッレム(ロクセラーナ)との間の子を
溺愛するようになって廃されてしまうが。
947:世界@名無史さん
06/08/29 17:16:54 0
「王子の間」に幽閉していた。
948:世界@名無史さん
06/08/29 18:23:38 0
だから、兄の皇帝が死んで即位しても、
長年の幽閉暮らしでキチガイばかりだったそうな
949:927
06/09/07 17:57:58 0
いまさらですが……大学でオスマン帝国史をやる場合、言語は何をやるのでしょうか?
トルコ語?ペルシア語?オスマン語?アラビア語?それともドイツ語?
950:世界@名無史さん
06/09/07 18:23:18 0
全部
951:世界@名無史さん
06/09/10 11:47:15 0
>>949
トルコ語と一口に言ってもたくさんあるしな。
アジア、ヨーロッパ、アフリカにまたがり、多くの国々と交流があっただけに
言語は多岐にわたるな。
952:世界@名無史さん
06/09/22 01:02:15 0
>>949
ざっと思いつくところを全部挙げると
英語・トルコ語・オスマン語・フランス語・ドイツ語・アラビア語・ペルシア語・
ロシア語・イタリア語・ラテン語・ギリシア語
特に上段の言語は専門家になるなら必須と思われる
もちろん、研究テーマによって必要言語と優先順位は変わってくる
大学ってのが学部か院かで違うんだろうけど、学部なら
何よりも英語が必須で、トルコ語ができればいいんじゃないの
オスマン語までできればなおいいだろうけど
あとはドイツ語とフランス語もあると便利
近代ならロシア語が欲しいところ
953:世界@名無史さん
06/09/24 13:10:23 0
必要な言語はテーマにもよるので、勉強する言語は
関心が絞れてから選んでも遅くない。
オスマン朝の全部を研究することは不可能だし、
オスマン朝史に関係する全部の言語を習得することも不可能なんだから。
それでもやはりトルコ語はできたほうがよいんじゃないかな。
論文書くときに読まなきゃならない先行研究はかなりあるし、
東大・京大クラスでもない限り、
卒論レベルならオスマン語史料のローマナイズや現代語訳に頼ることもある。
だから、>>928の中ならば、できればトルコ語の授業がある大学を選ぶといいと思う。
オスマン語は、オスマン帝国下のアラブ地域なんかを専門にしない限りは避けて通れないが、
トルコ語、ペルシア語のどちらかをちゃんとやってれば
自学自習でもなんとかなる(と思う)。
最近、日本語の教科書も出たし。
あと、アラビア語はオスマン語の助けにもなるし、
オスマン帝国の全体を見渡すためには絶対に必要だろうけど、
慌てて始めるほどの必要はないような気がするな。
ドイツ語、フランス語、ロシア語は大学の第二外国語で
ひとつくらい読めるようにしておけばとりあえず問題ない。
ギリシア語等のバルカン諸言語は、史料の乏しい初期オスマン史ならともかく、
近代のバルカンのことなんかをやろうと思わない限り、
オスマン朝内で収まるたいていのテーマならオスマン語で足りるだろうから、
必須ではないし、テーマが絞れてから始めても遅くはない。
イタリア語、ラテン語もたぶん外交史とか経済史とかでしか使わないから、
これも後回しで構わない。
954:世界@名無史さん
06/09/25 19:43:49 0
要するに日本語しか読めない厨房にはオスマン史なんて
高嶺の花だと言う事ですね。
大人しく、鈴木薫の本でも読んで我慢します。
955:世界@名無史さん
06/09/26 10:40:04 0
オスマン史ならずとも現地言語読めなきゃ世界史なんかできないだろ
956:世界@名無史さん
06/09/28 14:25:26 0
>>955
世界史専攻の学者・院生その他はそうだろうが
趣味・娯楽で世界史関連の本を読んでいる一般ピープルは
学者・専門家が日本語訳した専門書で我慢しているだろう。
ラテン語知らん日本人に塩野女史のローマ史本が受けている現状を考えると
後者の例が大半だと思うが。
957:世界@名無史さん
06/09/29 09:25:29 0
共和国トルコ語が読めれば、結構面白い本が色々あるんだろうけど・・・
まあトルコでの出版状況は知りませんが。
冷酷者セリムについて詳しい本があってもいいと思う。
958:955
06/09/29 11:49:31 0
>>956
待て待て、>>949は「大学でやる場合」って断ってるじゃないか。
別に大学でやるわけじゃないのに現地語やれとまで言うつもりはないよ。
959:世界@名無史さん
06/10/06 18:01:53 0
永田雄三先生って今何歳?
960:世界@名無史さん
06/10/06 19:02:30 0
URLリンク(read.jst.go.jp)
961:959
06/10/07 22:11:46 0
>>960
サンクス。明治大学志望の高3で、大学でオスマン史したかったのよ。
962:世界@名無史さん
06/10/07 23:34:14 0
>>961
東大か東京外語大がお勧め
963:959
06/10/09 09:00:33 0
学力が足りない………
964:世界@名無史さん
06/10/09 21:52:39 0
私大の定年退官って何歳なの?
965:世界@名無史さん
06/10/10 03:38:06 0
>>964
大学によって違うが、国公立よりは長いはず
法人化して変わったところもあるかもしれないが
966:世界@名無史さん
06/10/12 20:36:49 0
オスマン帝国とサファーヴィー帝国って結構似てるよね。騎兵から歩兵への戦力転換。
多文化・多宗教等。
967:世界@名無史さん
06/10/12 20:45:00 0
その多文化多宗教多民族が、諸刃の剣だったのも共通しているな。
後、直属軍隊であるイェニチェリ(オスマン)とキジルバシ(サファヴィー)の
扱いに悩まされた所も似ている。
968:世界@名無史さん
06/10/12 20:52:18 0
サファヴィー朝はオスマン朝が経験した大波を被る前に滅亡してしまったと思うがな。
サファヴィー朝が強制していったシーア派化政策とかも現代から見れば重要だし。
969:世界@名無史さん
06/10/12 21:01:36 0
サファヴィー朝の衰退と滅亡は一重に君主の器量如何だったと羽田正は言っていたな。
確かにアッバース1世以後のシャーは目も当てられない。
970:世界@名無史さん
06/10/12 21:12:05 0
それでもシャー・アッバースの死後、百年ほども続いたことの方に注目すべき。
971:世界@名無史さん
06/10/12 21:26:31 0
チャルディラーンの戦いは歴史(特にイスラーム史)ヲタには受けるんだが
日本ではそれ以前にサファヴィー朝の存在を知らない人が多杉。
972:世界@名無史さん
06/10/12 21:36:20 0
何故サファヴィー朝を知らん人間がおおいのぢゃ?
イスファハーンは世界の半分とかいわれてたのに。
そういえばサファヴィー朝ってアフガン人に滅ぼされたけど
アフガン人って強いの?グルカ兵が強いのはしってるけどねぇ
973:世界@名無史さん
06/10/12 21:38:01 0
そりゃあ、イスタンブルとエスファハーン、
訪れる日本人観光客の数比べれば歴然としてる罠。
974:世界@名無史さん
06/10/12 21:42:44 0
>何故サファヴィー朝を知らん人間がおおいのぢゃ?
日本語で読めるイラン史の本が少ないから。
尤も最近では宮田律が中公新書で「物語イランの歴史」を出しているが
これは20世紀以降の記述が半分という内容。
サファヴィー朝に関してはイスマーイール1世とアッバース1世しか
名前が出てこない。
975:世界@名無史さん
06/10/12 21:53:52 0
宮田氏の専門から言って前近代に多くを期待するのは無理だが。
サファヴィー朝の通史といえば最近、Andrew J. Newmanの
Safavid Iran: Rebirth of a Persian Empireが出たな。
まだ高いハードカバー版しか出てないから、ペーパーバック版が出るまで待つか。
976:世界@名無史さん
06/10/12 22:01:23 0
やはりサファヴィー朝を深く学ぶには海外の文献に頼るしかないのか。
個人的にはシャー・イスマーイールの詩集(檄文集?)が読みたいのだが。
977:世界@名無史さん
06/10/12 22:18:10 0
>>969
オスマン朝も立法者スレイマン以後ろくな君主がいなかったのに
20世紀まで続いたのとは対照的だな
978:世界@名無史さん
06/10/12 22:22:41 0
とは言え18世紀以降のオスマン朝はバルカン諸民族に悩まされ
北はロシアの南下政策に押され
国内ではイェニチェリのスルタン廃位などで明るい話題が無い。
日本のオスマン史本でもスレイマン1世死後はレパントの海戦でストップしている。
979:世界@名無史さん
06/10/12 22:33:13 0
最近の概説書では17、18世紀についてもそれなりに記述しているが?
レパントの海戦でストップっていつの時代の話だ。
980:世界@名無史さん
06/10/12 22:35:45 0
>>979
多分、鈴木薫だと思われ。
981:世界@名無史さん
06/10/12 22:41:38 0
「薫」じゃなくて「董」。
鈴木先生じゃなくて林先生の本読めばいいやん。
982:世界@名無史さん
06/10/12 23:59:08 0
あと新井政美センセもな。
ただ書名が『トルコ近現代史』(みすず書房、2001年)で「オスマン」じゃ検索でヒットしないのが難。
(書名じゃなく件名・キーワードならヒットするかも知れんが)
同じく佐原徹哉さんの『近代バルカン都市社会史』(刀水書房、2003年)も「書名にもう一つ工夫が欲しかった」と
秋葉淳氏が書評で注文つけてたし。何より高い…
983:世界@名無史さん
06/10/13 00:27:27 0
>>977
スルタンの権力を拡大しようと貴族を抹消して広く人材登用した結果、
官僚制が一応ながら出来上がっていたからな
結局そいつらの権力がスルタンを上回って、
君主が不在だろうが国が動くようになっていた
984:世界@名無史さん
06/10/13 00:48:47 0
>>972
一時はパキスタンのほぼ全域からイランの西北部(ホラサーン)に
まで広がってたよ、アフガニスタン王国。アフマド・シャー・ドゥッラーニーの時代。
あとシェール・シャーとか北インドで覇権を握ったアフガン系政権も結構ある。
985:世界@名無史さん
06/10/13 09:36:16 0
イランは西からの侵入は難しいが中央アジアやアフガンからは攻め込みやすい。
986:世界@名無史さん
06/10/13 16:52:22 0
ホラサーンはイラン北東部では?細かいことスマン
987:世界@名無史さん
06/10/13 17:31:30 0
ホラーサーンは今でこそイラン北東部の州名にしか残っていないが、
歴史的にはイラン北東部、アフガニスタン北西部、トルクメニスタンの一部を含む広い地域を指す。
988:世界@名無史さん
06/10/13 20:37:24 0
同じアフガン(パシュトゥーン)人の勢力とは言っても、イスファハーンを陥として
サファヴィー朝を実質上滅ぼしたミール・マフムードはギルザーイー部族連合・ホタキ族の出身。
一方、ドゥッラーニー朝を創始したアフマド・シャー・ドゥッラーニーはアブダーリー部族連合・
ポパルザーイー族の中のサドゥザーイー族出身と、出身部族が違う。
989:984
06/10/13 23:18:50 0
>>986
おっとうっかり。すまんすまん。
990:世界@名無史さん
06/10/14 02:17:50 0
次スレ立てれんかった
「オスマン朝」でも「オスマン帝国」でもいいので
どなたかお願い
991:世界@名無史さん
06/10/15 00:03:53 0
オスマン
992:世界@名無史さん
06/10/15 00:05:57 0
トルコ
993:世界@名無史さん
06/10/15 00:07:06 0
アイス
994:世界@名無史さん
06/10/15 00:09:55 0
モナカ
995:世界@名無史さん
06/10/15 00:11:22 0
995
996:世界@名無史さん
06/10/15 00:12:13 0
996
997:世界@名無史さん
06/10/15 00:13:17 0
997
998:世界@名無史さん
06/10/15 00:14:31 0
次スレお願い
999:世界@名無史さん
06/10/15 00:15:11 0
998
1000:世界@名無史さん
06/10/15 00:15:26 0
氏ね埋め立て厨
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