04/08/30 22:02
ハイレッディンレイスとかが活躍する地中海…
なんでトルコはアメリカとか東洋とかへ舟を出さなかったんでしょう?
394:世界@名無史さん
04/08/30 22:42
>>1
それは違うだろ。
395:世界@名無史さん
04/08/31 00:00
>>393
ピーリー・レイスの『キターブ・バフリエ』に記された、ヨーロッパから入手したと思われる
アメリカ大陸に関する情報によって、オスマン海軍の関係者は新大陸にある一定の関心は持っていたと思われるが、
紅海、ペルシア湾、インド洋方面では実際に、進出していたポルトガルの勢力と戦っている。
ほんのエピソード程度の出来事だが、16世紀の半ば過ぎには北スマトラのアチェの支配者の要請を受けて
アチェに派遣されたオスマン軍が結果としては敗北したが、ポルトガルの勢力を排除しようとした動きもあった。
オスマン朝のガレー船艦隊は地中海のような内海での接近戦、白兵戦には向いていたかもしれないが、
大西洋やインド洋などでは西ヨーロッパ諸国が外洋向けに建造したガレオン船には火力でも耐波性でも勝負にならなかったからか?
396:世界@名無史さん
04/09/06 21:25
ポルトガルの排除と言えばザンジバル、アフリカ東岸なんかあったと思いますが
あの辺はオスマン‐トルコの援助とかあったのでしょうか?
397:世界@名無史さん
04/09/06 22:52
17世紀末にポルトガルの勢力をスワヒリ海岸から駆逐したのはオマーンのヤアーリバ朝。
398:世界@名無史さん
04/09/07 17:29
補足するとオマーンはオスマン朝の後援などは特に受けていない。
>>396
だからオスマン・トルコなどという誤称はやめてくれって。
399:世界@名無史さん
04/09/08 22:26
清朝下のトルキスタン、新疆のヤークーブベクらの反乱にはオスマン朝の後援が…あったんですよね?
400:例の170 ◆vBOFA0jTOg
04/09/08 22:32
>>396
モノモタパではロズウィ族と提携したモノモタパの属国に、
モザンビークのあたりの海岸都市ではジンバ族が追い出した。
もっとも後者のジンバ族、ポルトガルがオスマン朝から1588年に
派遣された海賊アリ=ベイを撃退するのに協力したりしている。
401:世界@名無史さん
04/09/26 23:29:34
総じてアラビア語地域の支配は不安定だったようね?
失陥したアンダルスのムスリムを見捨てたしモロッコは奪えなかったし、アルジェリア、チュニジアは関節支配になったし
402:世界@名無史さん
04/09/27 00:03:13
>>398
誤称なんてシッタカはやめよう
403:世界@名無史さん
04/09/27 11:10:55
>>401
アナトリア・ルメリなみに支配できてたのはシリアくらいだね。
>>402
じゃあ旧称。
誤称でも旧称でもいいが
いずれにせよ実態にも自称にも基づいていないため
適切な呼称ではないというのは現在の共通認識。
404:世界@名無史さん
04/09/27 11:56:24
>>377
亀レスだがイスカンダルってのは西欧で言うアレクサンダーだと思われ.
トルコのイスケンデルンってのは旧アレクサンドリア都市.
>>403
正式名称って何ですか?アトマン?
405:世界@名無史さん
04/09/27 21:23:23
>>404
دولت عليه などと呼ばれることが多いですが
正式名称というと、やはりこのスレで既出の دولت عليه عثمانيه
もしくは憲法の条文で使われている دولت عثمانيه かなあと思うのですが。
406:世界@名無史さん
04/10/02 12:24:56
>>405
発音をできればカタカナで書いてほしいのですが・・・.
文字が読めません.
407:世界@名無史さん
04/10/02 18:35:37
دولت عليه Devlet-i Aliye
دولت عليه عثمانيه Devlet-i Aliye-i Osmaniye
دولت عثمانيه Devlet-i Osmaniye
408:世界@名無史さん
04/10/04 12:55:05
後継ぎ以外の王子は全員処刑か一生幽閉断種させられたので、
オスマンには「貴族」無し。
409:世界@名無史さん
04/10/04 20:33:27
寵妃ロクセラーナは駄作。
こんな本しかスレイマン大帝の後継者争いを扱った本がないとは嘆かわしい。
ロクセラーナが本当にいい女だったらマヒデヴランをあそこまで嫌な性格の女にする必要ないよな。
史実と違うエピソードを創作してまでマヒデヴランを悪人にするのは酷いと思う。
ロクセラーナはスレイマンとの相性は良かったんだろうが多くの人に嫌われても仕方のない性格の女だったと思う。
410:世界@名無史さん
04/10/04 22:14:08
アブデュルハミト2世大好き
411:世界@名無史さん
04/10/05 19:37:13
>>408
皇女は降嫁して子供を産むけどその家系が貴族化しなかったの?
オスマン帝国には貴族階級がなかったと良く紹介されているけど
詳しい説明がないのが不満。
オスマン・トルコに詳しい方の降臨きぼん。
412:世界@名無史さん
04/10/05 22:28:10
君侯国時代からの家柄の有力スィパーヒーや、代々高官を輩出した名門は貴族と言っていいだろうね。
オスマン帝国は君主に権力を集中するために、忠実で有能そうな奴を家柄に関わらずどんどん取り立てたから、
官僚組織や軍隊に権力が集まって、高官が一代限りの特権階級みたくなって、
ヨーロッパやアジアほど世襲貴族が強くなれなかったってだけの話。
413:世界@名無史さん
04/10/06 04:27:58
オスマン帝国では高官の家がすぐに没落してしまうので。
もちろん高官のところには財産があるので続く家は続きます。
例えばキョプリュリュ家は17世紀に大宰相を出してから
20世紀高級官僚の家として続きました。
でも君主にかわって中央権力を独占する家は出ませんでした。
これは思いつきですが、オスマン帝国の官界は
出世するには大臣の家に私的な従者として仕えて
官位を引き上げてもらうというパトロネージ制で
日本の平安時代の公家社会を想像してもらうとわかりやすいのですが、
公家と違って家柄が多少悪くても
親分の引きのよさと自分の才能さえあれば大臣にはなれました。
これはデヴシルメが廃れて宰相がスルタンの小姓出身に限らなくなった後も
高官の家系の流動性が高かった原因になったでしょう。
さらに昔からの高官の家でも世襲領土をもたない上に、
失脚したついでに財産が没収されるのもざら、
さらに財産がイスラム法の相続制度で子孫の間で細切れになるので、
油断をすれば名門もあっという間に寒門になっていきます。
414:世界@名無史さん
04/10/06 22:51:50
イスラム圏は均分相続なので、世襲の富豪は殆ど存在しなかった?
日本のように百年以上も同じ業種の商売続けている商家というのは無いそうだ。
代々続くウラマーの家系はあるそうだが。
415:世界@名無史さん
04/10/07 10:57:45
>>413
まさに能力主義の世界ですね.
しかしそこまで徹底していながらイスラムは何故没落したのか・・・.
416:世界@名無史さん
04/10/07 17:20:53
>>415
能力主義にみえるけど結局のところではコネと派閥がものをいうから。
417:世界@名無史さん
04/10/08 22:26:43
イエニチェリは結婚できず使い捨て奴隷だった
418:世界@名無史さん
04/10/08 22:35:55
>>417
16世紀後半頃からは結婚も黙認されるようになった。
419:世界@名無史さん
04/10/09 03:24:35
小姓の結婚を禁止していると、ホモ疑惑が涌くよ。
それって、カリフとしてはマズかろうて。
420:世界@名無史さん
04/10/09 03:27:57
>>415
ぶっちゃけ経済向きの民族じゃなかったんだろう。
421:世界@名無史さん
04/10/09 17:43:11
>>419
結婚が禁止されてた時代はカリフじゃないし。
422:世界@名無史さん
04/10/10 00:01:53
>>421
カリフの立場があるから小姓の結婚を禁止できなかったんだろ?
423:世界@名無史さん
04/10/10 01:52:47
>>422
は? なんでカリフじゃなければ結婚を禁止できるの?
だいたいスルタン・カリフ制の主張は18世紀以降のものですが。
424:世界@名無史さん
04/10/10 10:10:25
カリフでなくとも、回教圏なんだから、有力者が側近の結婚を禁止なんてしたら、
ホモ疑惑が涌いて、反教者として統治権の正当性を疑われるだろ。
425:世界@名無史さん
04/10/10 10:14:47
有力者が側近の結婚を禁止する → 男色の疑惑がかかる
回教は男色を禁止している
回教は、建前上、政教一致
王様が側近の結婚を禁止することと、統治権の正当性を示すことに、矛盾が生じるわけだ。
426:世界@名無史さん
04/10/12 23:19:27
イエニチェリはスルタンの男食用性奴隷としての用途もあったのでは?
427:世界@名無史さん
04/10/12 23:47:05
そもそもイェニチェリと小姓は別の身分なんだけどなあ。
428:世界@名無史さん
04/10/13 17:10:13
カドゥンラール・スルタナトゥ(女人政治)はスレイマン大帝の在位中から始まったと思わないか?
ハーレム勢力が国政に干渉してオスマン帝国の国益を損なうことを女人政治というならば、ロクセラーナの活動は
女人政治以外の何者でもないと思う。
それなにのに何故スレイマン大帝の死後に女人政治が始まったという見解が有力なんだろう。
429:世界@名無史さん
04/10/14 23:43:36
性奴隷は専ら白人異教民族から調達していたの?
430:世界@名無史さん
04/10/15 02:53:40
>>428
それはカドゥンラル・サルタナトゥを命名した
アフメット・レフィク(「チューリップ時代」の命名者でもある)はどう考えていたのか…。
オスマン人の伝統的な歴史観では
スレイマン1世の時代に政治制度が完成して
スレイマン死後に堕落していったというのが常識だったわけで、
アフメット・レフィクもそれに従っただけなんじゃないかと思います。
>>429
性奴隷というか…購入されてハレムに入るような女性は白人で、
主にクリミア、カフカスなどを通じてイスタンブルに入ってくるので
ロシア、ウクライナ、ポーランド、チェルケス、グルジアあたりの出身でしょうか。
もとは戦争捕虜が中心ですね。
16~17世紀には黒海北岸あたりにいたノガイ・タタールが
ポーランド=リトアニアやモスクワ大公国に
定期的な略奪目的の遠征をやっていました。
431:世界@名無史さん
04/10/15 03:53:28
遊牧民+ペルシア文化+ギリシア/ビザンツ+イスラーム。
オスマン帝国はまさにこの周辺の世界の集大成だ。
432:世界@名無史さん
04/10/15 13:06:17
>>430
スレイマンは神格化されていてその失政は故意に無視あるいは過小評価されていたということですか?
陳瞬臣のイスンタンブールというノンフィクションに「スレイマンの政治的な才能はメフメット二世や
父のセリム一世にひけは取らないが軍事的な才能は彼らに一歩譲る」と主張する歴史学者がいると紹介されていました。
個人的な意見ですがスイレマンよりもメフメット二世の方が大帝の名にふさわしいと思っています。
433:世界@名無史さん
04/10/15 20:26:34
スイレマン
434:世界@名無史さん
04/10/15 23:26:26
あげておこう
435:世界@名無史さん
04/10/15 23:57:28
>>428
江戸幕府で言う大奥みたいなものだろ
436:世界@名無史さん
04/10/16 00:04:59
>>432
そういう節はあったと思います。
もちろん今は違いますが。
437:世界@名無史さん
04/10/16 11:23:51
>>432
ま、スレイマン大帝の命名が外人ですから。
トルコでは「立法帝」。
438:カラジチ ◆mWYugocC.c
04/10/16 21:54:37
壮麗帝という言い方もありますな>スレイマン
メフメトは征服者か。まんまやん。
439:世界@名無史さん
04/10/17 15:06:57
1 ロクセラーナはスレイマンの生母と親友を味方に出来なかった。
2 スレイマンとの正式な結婚を望んだ時最後はヒステリーを起こしてスレイマンにいうことをきかせている。
3 ムスタファ皇子の生母マヒデヴランをハーレムからおいだすときもヒステリーを起こしている。
4 後ろ盾をなくしたムスタファは配下の軍隊を掌握しており紙一重の差でロクセラーナはムスタファを排除した。
5 火事のどさくさにまぎれてトプカプ宮殿に引越し。政局を動かしやすくなったがハーレムが国政に干渉するきっかけを作る。
短期的な利益に目がくらみむすこに後を継がせるつもりのオスマン帝国の真の利益を理解していたとは思えない。
6 庶民の人気はまるでなし。
7 ムスタファ排除後望んだ息子ではなく出来の悪いセリムが後継者になってしまった
本当に聡明な女ならヒステリー起こして男に言うこと聞かせるなんてことしないで
巧妙に男の心理を操作して自分の思い通りに操れるんじゃないのか。
短気な利益目がくらんで長期的な利益の存在を忘れているんじゃないか。
死病でもスレイマンの寵愛と非凡な政治力があればのぞみどおりの後継者を選べたのでは。
ロクセラーナは単にそこそこの楽才と文才ある陽気な女性で彼女の賛美者が賞賛しているほど
聡明な女性には思えない。
性格は典型的なヒステリー性性格。
440:世界@名無史さん
04/10/19 13:16:58
英語の本でもいいからロクセラーナの伝記を紹介してください。
でごろな厚さの本がいいです。
441:hitomi ◆EN.thU0KcA
04/10/19 18:24:36
>>440
小説だけど渋澤幸子の「寵妃ロクセラーナ」
けっこうおもろいよ。
442:世界@名無史さん
04/10/19 19:07:12
すいません。その本持ってはいるんですが内容に満足していなんです。
ロクセラーナを美化するために対立者を悪く書く。ムスタファ皇子のように悪くかけない人物はほとんど無視。
ロクセラーナとスレイマンの結婚の過程は大幅に美化。
ムスタファ死後生き残った二人の息子の争いが生じバャジットがムスタファそっくりの人物を探し出し
反乱を起こさせるという事件が生じるのですがこれもスルー。
スレイマンにはマヒデヴランとロクセラーナ以外にも妻妾がいたはずなのですがこれにもほとんど触れていない。
と事実を正確に伝えるよりも作者の理想と趣味を満足させることを優先さている本なんです。
そもそも晩年のロクセラーナが平穏な気持ちで日々を過ごしたなんて信じられますか。
あれは創作というよりも捏造と歪曲という表現がぴったりの小説だと思ってます。
443:世界@名無史さん
04/10/19 19:18:19
初めて読み終わったとき、「ロクセラーナよりもマヒデヴランとムスタファの方が
かわいそうだろーが」と本を床に叩き付けました。
強引にスレイマンと結婚したロクセラーナは新スルタンの兄弟殺しという習慣がなくても
悪質な陰謀で我が子をスルタンにしようとしたに違いないと信じています。
444:世界@名無史さん
04/10/25 14:41:08
寵妃ロクセラーナはオスマン・トルコの上流階級やハーレムでの生活を知るには
貴重な本なんだけど主要登場人物の歴史小説及び心理小説としては三文小説。
445:ちょこっと新入り
04/11/03 01:43:40
エウリヤ・チェレビーの旅行記『セヤハトナメ』についてわかる、日本語
か英語でのいい資料はありませんか? 最近読んだ本に何か所もでてくる、
セヤハトナメからの引用が結構面白そうなので、もっと知りたくなりました。
446:世界@名無史さん
04/11/03 07:31:11
>>445
簡単に概要を知りたければ
『岩波イスラーム辞典』や平凡社『新イスラム事典』の
エヴリヤ・チェレビーの項目をとりあえず見るといいでしょう。
概要をより詳しく知りたければ
Encyclopedia of Islam, New edition をあたってみてください。
見出しは Evliya か Ewliya から探すと見つかると思います。
エヴリヤ・チェレビーの旅行記のテキストの英訳は
部分訳しかなかったような記憶がありますが、ちょっとはっきりしません。
詳しくは Encyclopedia of Islam に載ってると思います。
447:世界@名無史さん
04/11/03 12:55:58
キリスト教国からオスマン帝国に嫁いだ王女・皇女が産んだスルタンっているの?
オスマン帝国、初期は随分キリスト教国から正妃をもらっているので気になる。
この時期はかなり記録が少ないからわからないかもしれないけど試しにきいてみる。
448:世界@名無史さん
04/11/03 13:12:43
Evliya Çelebi (1314/1896/97 to 1938). Seyahatnamesi, 10 vols. (Istanbul, Ankara: İkdam and others).
[Evliya Çelebi](2nd edn, 1987). Im Reiche des Goldenen Apfels, des türkischen Weltenbummlers
Evliya Çelebi denkwürdige Reise in das Giaurenland und in die Staadt und Festung Wien anno 1665,
trans. and annotated Richard F. Kreutel, Erich Prokosch and Karl Teply (Vienna: Verlag Styria).
(1988). Evliya Çelebi in Diyarbekir, The Relevant Section of the Seyahatname edited with Translation,
Commentary and Introduction, ed. and trans. Martin van Bruinessen and Hendrik Boeschoten (Leiden: E.J.Brill).
Evliya Çelebi Seyahatnamesi, 1. Kitap: Istanbul(1989) ed. Şinasi Tekin, Gönül Alpay Tekin and Fahir Iz, 2 vols.
(Cambridge MA: Harvard University Press).
(1990). Evliya Çelebi in Bitlis, The Relevant Section of Seyahatname edited with Translation, Commentary and
Introduction, ed. and trans. Robert Dankoff (Leiden: E.J.Brill).
(1991). The Intimate Life of an Ottoman Statesman, Melek Ahmed Pasha (1588-1662) as Portrayted in Evliya Çelebi's
Book of Travels, trans. and annotated Robert Dankoff and Rhoads Murphey (Albany: SUNY Press).
(1994). Ins Land der geheimnisvollen Func, des türkischen Weltenbummlers Evliyā Çelebi Reise durch Oberägypten und
den Sudan nebst der Provinz Habeş in den Jahren 1672/73, trans. and annotated Erich Prokosch (Vienna: Verlag Styria).
Evliya Çelebi (1995) Seyahatnamesi, 1. Kitap Istanbul. Topkapı Sarayı Bağdat 30 Yazmasının Transkripsyonu-dizini, ed.
Orhan Şaik Gökyay (Istanbul: Yapı ve Kredi Bankası ).
449:世界@名無史さん
04/11/03 13:55:56
>>448
>>445
450:世界@名無史さん
04/11/04 22:41:32
マフムト2世の母エイメはフランス人。ちなみにジョゼフィーヌの従姉妹
451:ちょこっと新入り
04/11/05 04:33:23
チェレビー情報、ありがとうございました。やはり日本語での情報は少ない
ようですね、英語でも全訳はないと。最近読んだ、John Freely 著 Istanbul,
the Imperial City という本に、チェレビーの子供時代、スルタンとの出会い、
宮廷生活の様子など、楽しそうに描かれていたので興味を持ちました(なかでも
圧巻は、「ギルドの行進」のシーンでした。随分変わったギルドも登場しますし)。
452:世界@名無史さん
04/11/05 15:50:43
別なチェレビー情報
URLリンク(www.tufs.ac.jp)
クルディスタンの殺伐とした感じが(・∀・)イイ!!
453:ちょこっと新入り
04/11/08 04:04:09
東文研の鈴木先生いわく「エヴリヤ・チェレビィは謎の人物で、正体不明、
本名すらよくわからない」って、じゃあ先生が事典とかに書いたのは何?
454:世界@名無史さん
04/11/11 17:55:12
バヤジット雷帝に仕えたギリシャ系の将軍ガ―ジー・エヴレノスと血のつながりとかないの?
455:アポーン1世
04/11/11 18:34:33
鈴木薫ってどうよ?
456:世界@名無史さん
04/12/19 17:32:16
age
457:世界@名無史さん
04/12/20 15:24:49
隊長!
夢枕獏がミマーリ・シナンの伝記小説を出しているのをハケーンしますた!!
458:世界@名無史さん
04/12/24 16:28:30
スレイマニエ・ジャーミーを造った建設家だね。
459:世界@名無史さん
05/01/02 17:08:12
2005年1月1日、夜のBSで放送していたのは再放送でしたか。
王子の幽閉話(黄金の鳥かご)の話は陰惨でしたね。
460:名無しさん@
05/01/03 13:41:47
「アジア」という言葉はローマ時代においては小アジア西部の属州地域を指し
た言葉だったようですが、オスマントルコにおいては「アジア」という言葉は
使われてたんですか?
使われてたとしたらオスマントルコにとって「アジア」はどこまでの範囲をい
っていたのでしょうか?
詳しい人いたら教えてください。できればソースも。
461:世界@名無史さん
05/01/05 01:10:14
アシア(アジア)と同じくギリシア語由来でも、オスマン時代に使われていたのはギリシア語ανατοληから来た、
آناطولى(オスマン語)/Anadolu(現代トルコ語)(英語のAnatolia、仏語のAnatolie、独語のAnatolien)の方かと。
462:世界@名無史さん
05/01/05 10:33:38
マルチポストには答えなくていいと思うよ。
463:名無しさん@
05/01/05 13:49:33
>>462
いや、ほんとすいません。ちょっと急ぎだったんで。
461さんありがとうございます。
464:世界@名無史さん
05/01/10 15:33:28
オスマン・サンコン
465:世界@名無史さん
05/02/03 22:41:41 0
age
466:近刊書
05/02/04 04:47:02 0
NTT出版の「イスタンブール・三つの顔をもつ帝都」誰か読みました?
ビザンティウムから始まる3000年の歴史を一冊にまとめたものだけど、
けっこう詳しい。ビザンティン帝国の皇帝もオスマン帝国のスルタンも
奇人変人のオンパレード。
467:世界史@名無史さん
05/02/04 18:20:00 0
>466
専制国家の皇帝やっていればおかしくなる罠
468:世界@名無史さん
05/02/04 20:54:45 0
ユスティニアヌス時代までは、本当の意味での専制国家と言えたかどうかは微妙。
469:世界@名無史さん
05/02/07 19:19:30 0
世界最強とまでいわれたイェニチェリマンセー。
ウィーンだって落とせたはずなのに。
470:世界@名無史さん
05/02/07 20:32:52 0
落とせた”はず”と落としたの間の差はとても大きいぞ
471:世界@名無史さん
05/02/09 23:44:04 0
ウィーンは無理
472:世界@名無史さん
05/02/10 01:01:35 0
大砲並べてガンガン撃てば落ちたろ。
473:世界@名無史さん
05/02/10 22:48:08 0
だから、事実と「はず」の差は果てしなく広いんだよ
474:世界@名無史さん
05/02/14 02:23:08 0
うえの「三つの顔をもつ帝都」によると、
一時は専横をきわめ、スルタンの廃立にも関わった栄光のイェニチェリ
軍団は、しまいには惨めな最期を遂げて解体されたんですね。
風呂屋の釜焚きに身をやつして生きながらえたイェニチェリが作った歌
というのも残っているそうですし、いつか聞いてみたい。
475:世界@名無史さん
05/02/17 21:32:55 0
URLリンク(www.game-style.jp)
オスマン帝国が敵国の鉄道浪漫得エロゲーらしい。
なんつーかよくこういうなん出すよなー。
476:世界@名無史さん
05/02/18 01:20:52 0
ベルセルクのクシャーンはオスマン帝国らしい。
477:世界@名無史さん
05/02/18 14:00:37 0
俺はオスマン朝が適役のエロゲーがやりたい。
478:世界史@名無史さん
05/02/18 17:31:09 0
オスマン帝国の歴史をもっと詳しく知ってからエロゲーやりたい
知りたいと思っているのに知ることができないことが多すぎ>オスマン帝国
479:世界@名無史さん
05/02/18 17:40:25 0
どうせエロゲーにするなら敵国を攻略して次々に女奴隷を味見するゲームにしてほしいなハァハァ
480:世界@名無史さん
05/02/18 18:03:14 O
「ニザーム・ジェディット」
名前がカコ(・∀・)イイ!!
481:世界史@名無史さん
05/02/18 19:40:38 0
エリザベート・バートリの親族でトルコ人に輪姦された後殺害された女がいる。
この女はとんでもない色情狂だった。
482:世界@名無史さん
05/02/18 21:38:04 0
バートリの鬼畜の所業が親戚に祟ったてか。
483:世界@名無史さん
05/02/18 21:51:27 0
オスマンって何かエロイ名前だよね
484:世界@名無史さん
05/02/18 22:09:03 0
皇帝がオキニの寵妃に おっす! 万個!と 朝一番にクンニして挨拶するんだよ。
485:世界@名無史さん
05/02/18 22:09:53 0
>>483
オスマン・ベイとカリフのウスマーンに怒られるぞw
486:世界@名無史さん
05/02/18 22:14:21 0
メフメト2世の軍事的才能って見かけ倒しだね。
コンスタンティノープル攻めあぐね、ウズン・ハサンに本陣間際まで迫られ
ベッサラビアで敗北寸前まで追い込まれ、ワラキアで猛烈な夜襲をかけられ(ry
487:世界@名無史さん
05/02/18 22:20:07 0
URLリンク(sun.menloschool.org)
オスマン帝国
サファヴィー帝国?
ムガル帝国
清帝国
徳川帝国?
488:世界@名無史さん
05/02/18 22:20:28 0
あとベオグラード攻略失敗し。
自分的評価
(ティムール≒チンギス>>イスマーイール)>バヤジット>セリム>>>スレイマン≒メフメト
489:世界@名無史さん
05/02/18 22:39:04 0
>>488
ティムール≒チンギスはないだろ。チンギス>ティムールくらいでも甘い評価。
490:世界@名無史さん
05/02/18 22:46:29 0
>>486
でもなんだかんだいって実質的なオスマン帝国の創業の主だし。
戦術的にはしばしばピンチに陥ってるところも信長のような感じ。
491:世界@名無史さん
05/02/19 01:55:34 0
え~と、オスマン帝国初心者でつ。
イェニチェリは漏れの浅はかな知識による思い込みだと、
何か既得権益ばかり主張して改革の足を引っ張ってばかりだわ、
ちょっと皇帝が豪腕を発揮しようとするとすぐに不満を溜め込む
反乱予備軍だわ、いざ戦争になるとからっきし役に立たないわ・・・。
何だかまるで現在の職場の漏れみたいなイメージで非常に親近感が湧く
のですが・・・ w
実際の処、イェニチェリの功罪はどんな感じなんでしょうか?
っていうか、目立った功績ってあるの?
492:世界@名無史さん
05/02/19 13:21:57 0
大帝国建設を担ったオスマン最強軍団ですが
493:世界@名無史さん
05/02/19 15:54:22 0
>>491
オスマン帝国の歴史は制度の面から見ると
16世紀を境に前期オスマン帝国と後期オスマン帝国に分かれますが、
イェニチェリの場合、軍団の性質自体が
前期と後期でかなり違います。
あなたの理解するイェニチェリは後期のそれ。
オスマン帝国が拡大を続けた16世紀までは、
首都に駐留する少数精鋭の歩兵軍団でした。
16世紀のスレイマン1世のころ、
ヨーロッパは火器が普及して軍事革命が起こりますが、
オスマン帝国でもそれまで主力だった騎兵が役立たずになり、
地方でティマール制により自力で税を集めて
生活していた騎兵が没落し始めました。
中央政府はかわりに俸給制の兵士の数を増やしますが、
火器を使える歩兵であるイェニチェリばかり増えることになり、
イスタンブルだけでなく地方の主要都市にも
イェニチェリが駐留するようになりました。
このため17世紀にはイェニチェリの土着化・世襲化が起こり、
都市ではギルドと結びついて顔役化、
俸給制だから俸給の支払いが滞ると暴動、
というようになり、軍事的には必要だけど
集権化にはお荷物な軍団になってしまいました。
その後はご存知の通り。
494:世界@名無史さん
05/02/20 23:08:13 0
>>490
モンゴル高原の一部族の長という程度から大帝国作ったチンギスと、
モンゴルに西アジア征服という遺産があり、自身も相当な高位の貴族だった
ティムールとを比較したら圧倒的にチンギスでそ。
495:世界@名無史さん
05/02/21 14:01:00 0
>自身も相当な高位の貴族だったティムール
征服者としてチンギス>ティムールは同意として、
ティムールってかろうじて貴族といえるかどうかの貧乏下級貴族だと思っていたけど、
最近はそう言う見解が主流なのですか?
496:世界@名無史さん
05/02/21 19:32:19 0
でもティムールも征服者としては世界史上三本の指に入ると思うが。
チンギスが圧倒的にすごすぎるだけでね。
なおティムールも零細貴族で若い頃は盗賊とか生業にしてたとこからのし上がったんだが。
497:世界@名無史さん
05/02/21 19:38:11 0
チンギスだってハーンの曾孫だから貴族では
498:世界@名無史さん
05/02/21 20:55:08 0
だいたいチンギスには有能な部下たちが無数にいたが、ティムールはほとんど常に自ら陣頭指揮してるぞ。
軍人としての力量をいうなら明らかにティムール>チンギスだな
499:世界@名無史さん
05/02/21 20:57:33 0
>>495
生まれは下級貴族だと思うが、仮にそうでないにしても、
羊泥棒をして足を折られたり、叔父に城を奪われたり、
敵に捕まって妻と一緒に何ヶ月も穴倉に繋がれたりする
泥沼の青春時代から這い上がって西ユーラシアを大征服した男だぞ。
500:世界@名無史さん
05/02/21 20:58:28 0
↑
間違えた。>>494とすべきだった。
501:世界@名無史さん
05/02/22 07:07:04 0
ティムールのせいでオスマン帝国が危うくアボーンするところだった
502:世界@名無史さん
05/02/22 11:29:42 0
なんでティムールはアナトリアを制圧して欧州方面に拡張せんかったんだ?
どうかんがえてもあちらの方が甘みがあるとおもうがのー
503:世界@名無史さん
05/02/22 13:04:48 0
中原再征服が目的だったから。
504:世界@名無史さん
05/02/22 13:06:41 0
ムハンマド・チェレビーを抹殺していれば、、、別のムハンマドが出現したんだろうな。
505:世界@名無史さん
05/02/22 13:56:38 0
っていうか、なんでアナトリアまでいってんのに逆にシナにいくのか
訳わからん。
軍隊の移動も莫大な経費がかかろうに俺ならアナトリア半島をあしかがりに
ヨーロッパに進撃するのにな。
実際オスマン朝は奏してる。
506:世界@名無史さん
05/02/22 14:19:42 0
↑ 「中国」って普通に書けよ。あんた、「シナ」世代じゃないだろw
507:世界@名無史さん
05/02/22 14:34:01 0
1.モンゴル帝国を再統一するのが先決だったから
2.異教徒が気に食わなかったから(まあヨーロッパも同じだが・・・)
3.サマルカンドを版図の中心と考えていたから
4.元を追い払った明が嫌いだったから
508:世界@名無史さん
05/02/22 14:34:46 0
5.ヨーロッパより中国の方がはるかに豊かだったから
ってのもあるか。
509:世界@名無史さん
05/02/22 15:05:42 0
ティムールが活躍した14世紀後半から15世紀は
大元朝が朱元璋率いる明軍によってゴビ以南を手放した時期で、
何よりティムールがヒタイ遠征に向かった1404年は、
永楽帝が建文帝を廃位させてた翌々年だった。
生涯チンギス・ハン家の婿(キュレゲン)の立場にとどまらざるを得なかった
ティムールとしては、クビライ家と明朝両方の内紛が続くモンゴル高原周辺の
情勢には無関心でいられたとは思えない。
ティムールとしてはバヤズィット1世を倒すことで西方領をひとまず平定させて
本題の東方遠征を実行することが何よりも大事だった。
なぜなら、もしこの遠征が成功しティムール家による東方世界の支配が可能ならば、
グユク・ハンの死以来トルイ家によるモンゴル帝国の支配が
再びオゴデイ・チャガタイ両家に戻す名目が使えることになる。
チャガタイ家のキュレゲンであるティムールが、モンゴル皇帝になりかわり実力で、
チャガタイ・ウルス、モンゴル本土、西方のジョチ諸王家に対して号令する余地が生まれることになる。
つまりティムールによってモンゴル帝国が復活するのである。
510:世界@名無史さん
05/02/22 15:18:06 0
逆になんでオスマンはヨーロッパ方面に進撃したの?
511:世界@名無史さん
05/02/22 15:24:50 0
オスマン家はモンゴル大ハーンと直接のつながりが無い地つき勢力だから
自分のいる土地とそれを取り巻く情勢に応じてもっとも自然な行動をしただけ。
512:世界@名無史さん
05/02/22 15:50:38 0
>>510
それぞれが意識した過去の勢力がティムールの場合モンゴル帝国だったのに対して
オスマン帝国の場合はローマ(東ローマ)帝国だった、というのも影響してるかも?
513:世界@名無史さん
05/02/22 18:12:34 0
オスマン帝国は征服者がイスラム化したんだけど
もしキリスト教に改宗していたら
欧州に受け入れられたと思わんか?
514:世界@名無史さん
05/02/22 18:17:24 0
>>513
?
515:世界@名無史さん
05/02/22 19:02:43 0
その場合、ロシア帝国みたいな扱いになったと思う。
516:世界@名無史さん
05/02/22 19:21:14 0
東ローマ皇帝の各称号をそのまま使ったかもな。
「キリスト教徒の王」とか。
517:世界@名無史さん
05/02/22 19:39:50 0
とおくアイルランドからロシアからカフカズまでキリスト化した時期は
はやかったのになぜかトルコ系だけキリスト教化しなかったな。
なんでだろう?
518:世界@名無史さん
05/02/22 19:41:05 0
同じ一神教のイスラムが先に入ったからだろうな。
519:世界@名無史さん
05/02/22 19:48:42 0
>>517
クマンはキリスト教化したんじゃなかったっけ?
でもハザールはユダヤ教、ブルガールはイスラム教だね。確かに不思議。
520:世界@名無史さん
05/02/22 19:51:33 0
本年度の研究テーマにどうぞ。早い者勝ちだ(笑)
521:世界@名無史さん
05/02/25 13:27:07 0
>>512
オスマンとサファヴィー朝の抗争とか見てると、ローマVSササン朝ペルシアの再現に思えてくる。
重装備のローマ軍と機動性の高いペルシアの騎兵軍、みたいな。
522:世界@名無史さん
05/02/25 15:00:25 0
サファヴィー朝はあぼーんするの早すぎ
523:世界@名無史さん
05/03/02 02:05:02 0
そうかな?それなりに持ったと思うが。
524:世界@名無史さん
05/03/07 23:29:05 0
オスマン家は今でも続いているの?
525:世界@名無史さん
05/03/08 00:46:52 0
>>522
アフガンの雑魚にやられるくらいへぼかったみたいな
526:世界@名無史さん
05/03/13 20:33:30 0
夢枕獏のシナンのアルヴィーゼの最後は凄く劇的
塩婆のコンスタンティノープル殺人事件のアルヴィーゼの最後よりずっと良い
527:世界@名無史さん
05/03/13 20:34:22 0
最期の間違いでしたスマン
528:世界@名無史さん
05/03/21 13:26:29 0
塩野作品はジュニア小説だから仕方ないだろ
529:朱由檢
05/03/22 17:56:34 0
>>524
ムスタファ=ケマルの革命は無血革命であり、オスマン皇帝はマルタ島へ亡命しましたので
まだ子孫はいるでしょうね。
530:世界@名無史さん
05/03/22 19:33:47 0
>>529
URLリンク(dict.threetree.jp)
現在の当主エルトゥールル・オスマンはニューヨーク在住とのこと。
531:世界@名無史さん
05/03/22 21:09:19 0
今でも富豪なのかな。オスマン家。
532:世界@名無史さん
05/03/23 12:06:25 0
パライオロゴス家やロマノフ家やパフレヴィー家の当主は名目上「皇帝」を名乗ってるみたいだけど
オスマン家もそうなのかな?
533:朱由檢
05/03/23 16:31:44 0
>>530
貴重な情報サンクス
534:世界@名無史さん
05/03/23 16:40:36 0
イスラム史における最強はウマイヤ朝。
535:朱由檢
05/03/23 18:28:32 0
>>532
色々ありますw
スルタン(イスラム君主)、神の影(カリフの意。イスラム教宗主)、
シャー(ペルシャの伝統的王号)、ハン(遊牧民騎馬部族長)、
ルーム統治者(ローマ皇帝と東方正教会総主教任命権者)、
イェルサレム王(聖地守護者)などなど、ようは全征服地の長なんでしょうね。
536:世界@名無史さん
05/03/23 21:26:11 0
>>532
名乗ってないです。
今は追放も解除されてトルコ国籍を持っていますし。
537:朱由檢
05/03/24 11:49:48 0
>>536
へっ?532の質問は当時の話じゃなくていの?
ロマノフ家の末裔いたっけ?偽アナスタシア以外で
538:536
05/03/24 23:20:23 0
>>537
ニコライ2世のいとこキリル大公の孫にあたる
マリヤ・ヴラディミロヴナ・ロマノワという女性が健在です。
さらに彼女とホーエンツォレルン家の皇子から生まれた息子が
ロマノフを姓に取ってロシア皇位継承者を称してるはずですが…。
そもそも、文脈からして>>532は現代の話じゃないですか?
「名目上」というからには。
539:朱由檢
05/03/25 17:59:06 0
>>538
なるほど! かなり遠縁の方がロマノフ家を名乗ってるんですね。
しかしながら、よく調べておいでですね。
それから、勘違いしていたた点については、
まぁ~文章をもう少しよく読めば良かったと自分でも思います。
ごめんなさい。
540:世界@名無史さん
05/03/25 18:29:37 0
オスマン帝国がヨーロッパに与えた影響
・音楽(モーツァルトやベートーべンなど)
・料理(コーヒー、ウィーンやパリのスイーツ)
・武器(サーベル、ヘルメット)
ヨーロッパ人よ、オスマン帝国に感謝しる。
541:世界@名無史さん
05/03/25 18:44:00 0
1453年にオスマン帝国がビザンツ帝国引導を渡したため、多くの学者が
イタリアへと亡命しルネサンスに移行したという説もありますね。
542:世界@名無史さん
05/03/27 05:29:36 O
>>541
正確には滅亡前
領土がコンスタンティノープルとわずかになってから亡命した
ビザンティン滅亡前のコンスタンティノープルはヴェネチア人街やジェノバ人街があり盛んに船が行き来していた。
543:世界@名無史さん
05/03/27 23:06:17 0
ガラタのジェノヴァ人ってオスマン支配後も立場はそのまま保留だったのか?
544:世界@名無史さん
05/03/28 17:29:30 0
素人の質問なのですが、オスマントルコにおける他民族政策ってのはどんな感
じだったんですか?寛容だったとは聞きますが、言語政策、文化政策、徴兵シ
ステムなんかはどうなっていたんでしょうか?
あと、20世紀初頭にトルコはアルメニアに対し虐殺を行ったみたいですが、こ
れは歴史的に根のあることなのでしょうか?
545:世界@名無史さん
05/03/28 18:47:23 0
>>544
無能なスルタンが自己の存在理由をイスラム教の宗教的指導者(カリフ)であることに
求めようとしため、
帝国内のほかの宗教に対する不寛容をうみ、虐殺に至った。
546:世界@名無史さん
05/03/28 19:37:22 0
>>545
ふうー
547:世界@名無史さん
05/03/28 22:47:31 0
虐殺と言うとキオスの虐殺
このギリシア人への虐殺はギリシア独立運動の契機となーる
…って、これ実際のとこどうだったんだろう?
まさかドラクロアの絵そのままってわけじゃないよね?
548:世界@名無史さん
05/03/28 23:03:53 0
>>547
ギリシア人の独立派が自分達の意見に従わない人間をポルポト並みに虐殺したため、
オスマン帝国側がウィーン体制維持のために徹底して鎮圧だけ。
ギリシアを西欧文明の起源と勘違いしたドラクロワの絵画はプロパガンダ。
549:世界@名無史さん
05/04/11 15:26:24 0
イエニチェリの人狩
550:世界@名無史さん
05/04/12 13:43:37 0
シパーヒって原則従士を連れて参戦したのですか?
本によってはティマール保持者は一領具足みたいに本人のみので、ゼアーメト保持者が
従士を率いてくるように書いてあるし、別の本だとシパーヒたるもの最低でも騎馬の従士
1名を連れてくるように書いてあるのがあるけど、どちらが正しいんでしょう?
551:世界@名無史さん
05/04/12 15:05:13 0
>>550
いいサイトがあった気がしたけどsipahi Cebeluで検索しても出てこない・・・
たしかポーランドのシュラフタみたいな感じだったと思うんですけど。
本人が重装騎兵で騎馬弓兵の従者を連れてくるという。
セルビアとかはどうだったんだろう・・・
552:世界@名無史さん
05/04/23 12:08:32 0
オスマン朝ではないんだけど、第二次大戦のトルコってどういう行動をしたの?
553:世界@名無史さん
05/04/24 14:58:10 0
トルコ=ドイツ相互不可侵条約とかしてる筈
とはいえ、英米の圧力もあるんで中立ですね
45年には日独に対し宣戦布告するのはお約束
554:世界@名無史さん
05/05/02 18:00:42 0
お約束多すぎ
555:世界@名無史さん
05/05/05 15:42:08 0
ワッハーブ王国とのモグラ叩きみたいな抗争って不毛ですよね
556:世界@名無史さん
05/05/05 16:04:11 0
朝鮮戦争にも参戦してたよね
557:世界@名無史さん
05/05/05 16:10:55 0
第一次サウード王国はムハンマド・アリーに命じて
息子のイブラーヒーム・パシャに滅ぼさせてるし、
第二次サウード王国も同盟者だったハーイルのラシード家に滅ぼさせてるし、
直接、手は下してないんと違うのか?
558:世界@名無史さん
05/05/05 22:31:21 0
>>553
トルコは第一次世界大戦では結構活躍したよな。
ドイツはトルコの軍事力を脅威に思っていたのかも。
559:世界@名無史さん
05/05/05 22:45:22 0
>>552
トルコはドイツ軍のバルカン半島侵攻を見て「次はわが国か!?」と脅威を感じ
軍事予算を倍増、予備役の動員、鉱山や軍需工場での無償労働の義務付け等で
臨戦態勢を整える。
イギリスは何とかしてトルコを同盟国として参戦させようとするもののトルコは応じず、
イギリスやドイツ等との間に協定や条約を次々結んで中立を取る。
独ソ戦が始まるとドイツはソ連領内のトルコ系(言語を喋る)住民の居住地のトルコへの割譲等を
ちらつかせてトルコに同盟を迫りトルコ内部でもこれに釣られる政治家が結構いたらしい。
しかし結局トルコは応じず臨戦態勢のまま中立を維持。しかし軍事費の増加で国内経済は大混乱。
1945年2月、勝敗の趨勢が明らかになるとドイツと日本に対し宣戦布告。
戦後戦勝国としてサンフランシスコ講和条約にもちゃんと調印しております。
560:世界@名無史さん
05/05/05 23:13:41 0
>>559
なるほど。どうりでスターリンが黒海沿岸の諸民族をシベリアや中央アジアに集団移住させたかわかった。
クリミアなどをトルコにとられると思ったわけだ。
ところで当時のトルコはどれくらいの軍事力だったんだろ。
案外日本やイタリアなどと大差ない軍事力だったのでは?
561:世界@名無史さん
05/05/05 23:21:27 0
スターリンがイノニュなんかを恐れるかよ。
562:世界@名無史さん
05/05/06 00:49:27 0
スターリンはテロの経験はあっても実戦の経験はないだろ
イノニュは戦場を駆け回って列強を追い落とした男だ
563:世界@名無史さん
05/05/06 09:39:21 0
>>560
トルコ軍は第一次世界大戦でも予想外(?)の善戦が度々見られた他、
イギリスの支援を受けたギリシアに希土戦争で大勝利。
後の朝鮮戦争でも敵より少ない兵力で勝利を収める等の活躍してたりで結構優秀と言われる。
ただこれは相手が中国軍だったからという話もある。
軍事に詳しいわけではないのではっきりといえないけどイタリアはともかく
日本と同等というのは特に海軍力の面で無理がありすぎるような気がする。
この辺は軍板で聞いた方がいいかも。
564:世界@名無史さん
05/05/06 10:08:37 0
>>563
WW1にせよvsギリシャにせよ、勝ったのはケマルであってオスマン帝国ではないという
気がしてしまうま。
565:世界@名無史さん
05/05/06 21:40:36 0
トルコは、その歴史上、ずっと緊張感があったからな。気骨があるんだよ。
566:世界@名無史さん
05/05/07 16:17:09 0
実際、ドイツにせよソ連にせよ、トルコは無視できない軍事力を持っていたんじゃないの。
国民も戦い慣れしていそうだしな。
567:世界@名無史さん
05/05/07 19:05:11 0
対日独宣戦布告は日独の敗色が濃厚になった1945年2月まで
行わないで戦争に巻き込まれないように努めたかもしれないが、
トルコは第二次大戦が始まった直後の1939年10月にアンカラで
英仏と相互援助条約を締結して実質的に連合国陣営に加わってたから、
少なくともイギリスの援助は期待できる状況にあった。
568:世界@名無史さん
05/05/08 02:08:39 0
トルコはドイツに侵略されても対抗できるくらいの軍事力はあったのかな?
569:世界@名無史さん
05/05/08 18:31:02 0
ない。
570:世界@名無史さん
05/05/08 20:38:24 0
日本陸軍よりはトルコの方が強かったんじゃないの
571:世界@名無史さん
05/05/08 20:43:58 0
だからってドイツとまともに戦って勝てるわけがない。
醤油だったらありますよ。
572:世界@名無史さん
05/05/08 20:56:04 0
実は隠れた軍事大国だったトルコ
573:世界@名無史さん
05/05/08 21:26:38 0
イタリアよりは確実に強かっただろうな。
気合いが違う。
574:世界@名無史さん
05/05/08 21:31:08 0
『オスマン帝国の近代と海軍 世界史リブレット』
『オスマン帝国の海運と海軍 山川歴史モノグラフ』
のような小松香織先生の御著書を拝読するにつけ、
あの国家末期の体たらくが思い知らされる。
575:世界@名無史さん
05/05/09 01:49:17 0
最近、オーストリアのオイゲン公に興味がある。
この人ってオスマンの天敵だよね。
576:世界@名無史さん
05/05/09 14:20:12 0
アトランティック・レコードの創始者アーメット・アーティガン(戦後ポピュラー音楽界の大立て者)の
親父ムニール・アーティガンは、ケマルに従事して革命運動に身を捧げ、のちに各国大使を歴任。
最後の勤務地として赴いたワシントンで、アーティガンが音楽に目覚める。
トルコ人なのは知っていたけど、まさかこんな血筋だったとはビックリ。
しかも奥さんは、ルーマニアが共産化した際の亡命貴族だと言うし。
577:世界@名無史さん
05/05/11 23:26:58 0
>>574
「ノーブレス・オブリージュ」が完全に欠如してたからなあ。
スルタン・アブデュルアズィーズの治世には、政策決定や人事の任免に
大量の金のばらまきと賄賂が横行していた。
578:世界@名無史さん
05/05/12 01:02:12 0
ムハンマド・アリーのエジプトは、なんか日清戦争に敗れた日本のイメージだね。
宗主国オスマンは列強国の食い物にされるために生かされて、エジプトは余力を使い果たし植民地化。
579:世界@名無史さん
05/05/12 10:18:49 0
ムハンマド・アリー朝は1820年、南隣のスーダンを攻め、フンジュ・スルタン国を
滅亡させる。1874年にはダール・フール・スルタン国が滅亡。
さらにシリアとクレタ島も占領したが、列強の反発やシリア人民の不満によって
放棄せざるをえなくなる。
エジプト国内でも、地租改正には成功したが、近代的国営工場の経営には失敗。
580:世界@名無史さん
05/05/13 00:33:38 0
オスマン朝のエジプト支配は評価が低いね。
19世紀のエジプトの人口を16世紀の支配前の半分以下に減らしたぐらいだからな。
581:世界@名無史さん
05/05/13 01:20:18 0
マムルークたちを介した間接支配だしなぁ
582:世界@名無史さん
05/05/13 01:28:48 0
どうでもいいが
>578
日清戦争に敗れた日本のイメージってなんだ?わけわからんぞ。
つうか、ムハンマド・アリーはすげえって。
583:世界@名無史さん
05/05/14 00:30:08 0
>>582
近代化に途中まで成功したことが共通している。
そんで日本は、文化的に近い清に勝つことで脱亜入欧に成功して、
エジプトは宗主国オスマンに実質的に敗れて遂に完全独立を果たせなかった。
もし日本が日清戦争に負けたらエジプトみたいになったんでないかと想像したんよ。
日本が幸いだったのは、有名な風刺画にあるように列強が静観したってことだな。
584:世界@名無史さん
05/05/14 00:37:07 0
>>583
エジプトはやっぱヨーロッパに近いから、
列強の草刈場になっちゃったからね。
ヨーロッパ人は、エジプトを支配することに対して、
尋常ではないロマンを感じるらしい。
585:世界@名無史さん
05/05/14 08:30:35 0
>>584
その辺は「天皇を北京に」という日本人が時折見せる
「中華皇帝」ロマンに近いものがあるような気もする。
586:世界@名無史さん
05/05/14 11:55:56 0
ナポレオンのエジプト遠征は、イギリスのインド・ルートを脅かす目的を
持っていた。
おまけにオスマン帝国のマフムト2世は、エジプトからムハンマド・アリーを
追放するためにロシアの力を借りようとした。
イギリスにとっては、エジプトに対するフランスの影響が増したり、ロシアが
オスマン帝国に対する影響を強めることは脅威だった。
587:世界@名無史さん
05/05/14 22:01:21 0
>>574
やっぱし笑えるのは、
カプダン・パシャ(海軍の長)であるアフメット・フェヴズィ・パシャが、
自らの指揮下にあるオスマン艦隊を手土産にエジプトに亡命してしまった
事件だな。
588:世界@名無史さん
05/05/22 14:55:03 0
トルコの美人エース、デミル・ネスリハンたん。
まだ19歳と、これからとても楽しみな逸材。
URLリンク(www.fivb.org)
GO!GO!ネスたん!
589:世界@名無史さん
05/05/23 00:01:06 0
オスマン家の末裔は今アメリカに居るそうだけど メフメト6世亡命後のオスマン家の
こと教えてください。
590:世界@名無史さん
05/05/23 10:12:32 0
トルコには王様はいなくなったけど、
ヨルダンやサウジ、モロッコにいる「国王」は「サルタン」なんでしょうか?
591:世界@名無史さん
05/05/23 12:47:01 0
現在のアラブ諸国で「スルターン」を名乗っている国王は
オマーン国王のカーブース・イブン・サイードだけ。
592:世界@名無史さん
05/05/23 13:02:23 0
>>590
「マリク」や「エミール」では?
593:世界@名無史さん
05/05/23 19:44:44 0
オマーンがスルターン。
ヨルダン、モロッコ、サウジ、バーレーンがマリク。
他のアラブ君主国はアミール。
マレーシアの各州とブルネイがスルタン。
ちなみにオスマン朝の皇帝に対して一般的に用いられた称号は
スルタンではなくパーディシャーで、スルタンは数ある称号のひとつに過ぎない。
オスマン皇帝を単にスルタンと呼んできたのは外国人だけです。
エジプト王国はオスマン帝国からの独立直後だけスルターンだったけど
すぐにマリクに変わったはず。
594:世界@名無史さん
05/05/23 20:32:16 0
カリフを名乗るものすごい人はタリバンの人だけ?
595:世界@名無史さん
05/05/23 21:10:34 0
直接的に「カリフ」とは名乗ってないんじゃ?
「アミール・アル=ムウミニーン」な。
…ただの「アミール」じゃないところがすごいよなw
596:若狭 ◆yqXqaUpMzk
05/05/23 21:38:02 0
>>595 さん
あれ、「カリフ」は俗称で「アミール・アル=ムウミニーン(信徒たちの統率者)」が
カリフの正式名称じゃなかったでしたっけ?
597:世界@名無史さん
05/05/23 22:45:31 0
「アミール・アル=ムウミニーン」はウマル・イブン・ハッターブの時代から使い始めたに過ぎない。
「アミール・アル=ムウミニーン」の称号を用いた支配者も、過去にはブハラのマンギト朝や
アフガニスタンのドッゥラーニー朝、現在ではモロッコの王家であるアラウィー朝など多数あり、
「アミール・アル=ムウミニーン」がハリーファに固有の称号とは言えない。
598:若狭 ◆yqXqaUpMzk
05/05/23 22:56:29 0
>>597 さん
ありがとうございます。
とすると、カリフか否かの判断基準はなんだったんでしょうか?
支配下の地域のモスクでその名の元で礼拝を行わせることとかでしょうか?
599:世界@名無史さん
05/05/23 23:04:31 0
伝統的な法学者らの見解によれば、ハリーファたる者の資格としては、
ムスリム、成人男性、クライシュ族出身、正気、公正、執務能力などの諸条件を満たした者。
600:世界@名無史さん
05/05/24 00:08:59 0
「アミール・アル=ムウミニーン」とわざわざ名乗る時点で
「俺は皇帝(教皇?)相当君主だ」と言ってるようなもんじゃね?
601:若狭 ◆yqXqaUpMzk
05/05/28 14:02:50 0
ウンマの初期政体をたどってみると、
・最初の指導者、ムハンマド=「神の使徒、預言者」
・初代カリフ、アブー・バクル=「神の使徒の後継者」
・2代目カリフ、ウマル=「神の使徒の後継者の後継者」
これが長すぎるのと信徒たちの軍事的指導者の立場を強調するため「アミール・アル=ムウミニーン」を名乗るようになった。
で通称的には単に「後継者、代理人」としてハリーファと呼ばれるようになった。
また、アッバース朝下でカリフの権威が著しく高まると「神の代理人」(ハリーファ アッラーフ)も使われるようになった。
このような理解で間違いは無いですかね。
実現性はほとんどありませんが、将来カリフ制度が復活するとしたら
「アミール・アル=ムウミニーン」は政治色が強すぎて使えないかも知れませんね。
602:世界@名無史さん
05/05/28 21:29:24 0
カリフ制が実際に行われていた時代に日常的に使われていて、史料に出て来るのは
「アミール・アル=ムウミニーン」や「イマーム」の方であって、「ハリーファ(カリフ)」ではない。
歴史書などで臣下がカリフに呼びかけたり、カリフについて他人と話したりする場合でも、
「ハリーファよ」と呼びかけたり、「ハリーファは~」と言ったりせずに、
「信者の長よ」と呼びかけ、「信者の長は~」と言っている。
603:若狭 ◆yqXqaUpMzk
05/05/29 00:46:47 0
>>602
ありがとうございます。
604:世界@名無史さん
05/05/29 19:59:30 0
スンニ派なら「大イマーム」じゃね?
605:世界@名無史さん
05/05/30 06:37:53 0
>>597
モロッコの現王朝アラウィー朝が「アミール・アル=ムウミニーン」の称号を
用いているのは恐らく同王朝が聖裔家(預言者ムハンマドの家系)であることに
関係しているのだと思うのですが、
ブハーラーのマンギト朝やドゥッラーニー朝が「アミール・アル=ムウミニーン」を
名乗っていたことには恐らくそれとは別の理由があったと思われます。
ティムール朝やシャイバーニー朝時代の史書には、ティムール家やシャイバーニー家の
君主たちに関わる称号や讃辞に「カリフ権を高める者」とか「カリフ権を堅持する者」など
といった、暗に君主それ自体が「カリフ権(ヒラーファト)」を行使する人物と見なしている個所が
折に触れて出てきます。これは両王朝のみならず中央アジアの他のジョチ裔諸政権や、イランの
サファヴィー朝、カージャール朝、アフガニスタン方面でも広くみられる称号で、聖裔家とも
関わらない特にチンギス・ハン家の人々が使っているようです。
606:世界@名無史さん
05/05/30 06:44:12 0
どういう事かというと、アッバース朝滅亡後、14~16世紀にイランから
中央アジアではモンゴル帝国の始祖チンギス・ハンは、ムハンマドと同じ預言者性が
神から授けら、これに基づき世界に神の支配を布く権限を付与されており、当時ムスリム
となっていたチンギス・ハン家の君主たちにはそれを代行するカリフ権が継承されている
とする政治思想(神話)が形成されていたようです。
これはイルハン朝のガザン・ハンがイスラムに改宗した際に自らを「イスラームの帝王」
と名乗ったことに関連して、ムハンマド家のカリフ&イマームに代わって新たにチンギス・
ハン家を機軸にイスラム的な理念を包含させて国家統一を計るという彼の戦略的な思想が、
その後、時代を経るごとにトルコ・モンゴル系の君主にチンギス・ハン以来ウンマを統率
するカリフ権が付与されているという神学的な解釈が徐々に形成されていったものだそうです。
初期はアッバース朝のカリフなどが用いていた敬称や尊称は使われていなかったいたようですが、
恐らく周辺の王朝の影響からマンギト朝やドゥッラーニー朝の頃にはもはや君主の尊称の一部として
「信徒達の司令者」という称号も使われるようになってしまっていたと思われます。
607:世界@名無史さん
05/05/30 22:42:23 0
オスマン帝国のスルタン=カリフ制伝説も
もともとトルコ民族には君主は神権を付与されており
従って世俗の最高支配者がイスラムでいうカリフ的権能をもっているのは当然
…という考えを抱いていたためである、とかそんなことを
日本人の書いた論文を読んだことがある記憶があるけど。
608:世界@名無史さん
05/05/30 23:19:14 0
オスマントルコって凄いな。
帝政ロシアに勝てた国って日本とここくらいじゃないか?
609:世界@名無史さん
05/05/30 23:21:03 0
クリミア戦争・・・英仏の力をかりつつも辛勝
ロト戦争・・・完敗
第一次世界大戦・・・帝国を戦線撤退させた原動力
610:世界@名無史さん
05/05/30 23:34:00 0
帝政ロシアって何世紀からのロシアのこと?
17世紀のロシアはオスマンに限らず負けまくった
611:世界@名無史さん
05/05/30 23:49:48 0
まあ17世紀半ばまでのオスマンは実際すごかったよ
世界最強国だったろうな
612:世界@名無史さん
05/05/31 00:34:01 0
やっぱ国際社会の華である19世紀~第二次大戦に強くないとなー
近代に入り西欧列強に押されまくりのオスマン・・
欧州の病人扱いは可哀想だ。
613:世界@名無史さん
05/05/31 10:25:47 0
>>612
なぜ19世紀~WW2が華なの?
華は中世でしょ?
614:世界@名無史さん
05/05/31 10:52:51 0
やっぱ歴史の華は中世だよね!
615:世界@名無史さん
05/05/31 11:55:05 0
>>611
当時の清と比べてどちらが強かったんだろうか?
616:世界@名無史さん
05/05/31 12:08:52 0
オスマンの極盛期は16世紀
清の極盛期は18世紀
17世紀はオスマンは停滞気味(だがまだ強い)、清は成長途上だから
バランス的に同格かな。
617:世界@名無史さん
05/05/31 12:29:52 0
19世紀のオスマン帝国、清帝国、オーストリア帝国、ロシア帝国は
国土は広いが、国内は多民族国家で統制が無く
先進帝国主義国家から金を借りて技術と商品を買う
旧式の半植民地帝国群まで落ちぶれる。
618:世界@名無史さん
05/05/31 18:39:07 0
でも帝政ロシアは強かったな。
あの国の尋常ならざる領土欲、南下政策に苦しめられた国は数知れない。
中国が満州と沿海州を保全出来ていれば、対岸の火事として
高見の見物でも出来たのだろうが・・・
619:世界@名無史さん
05/05/31 18:48:25 0
イタリアは落ち目のオスマン・トルコにすら戦闘で負け続けていたってのはマジ?
620:世界@名無史さん
05/05/31 19:00:39 0
>>618
ロシアは別に強くないよ。征服されたのはシベリアの狩猟民族とか中央アジアの土候国とか
東欧の3流国とか。まともな敵が現れるとすぐモスクワ辺りまで攻め込まれる。
621:乳1号
05/05/31 19:08:50 0
第一次大戦直前のイタリア・トルコ戦争はいちおうイタリアの勝ち。
つかトルコは第一次大戦では英仏をいったん敗退させてチャーチル失脚させてるけど。
622:朱由檢 ◆MfD.4zQt1.
05/05/31 19:47:15 0
伊土戦争はトルコ側優位に進んだため、トルコ本国を急襲し、事態の打開を目論みました。
(このときイタリアは世界初の飛行機の軍事運用)
ところが、このことによって列強の利害関係が絡み合うバルカンに飛び火することを恐れる
諸外国の干渉を招き、(名目上はイタリアの勝利として)強制的に終戦へと持ち込まれます。
ようするに旨みのある地域にしゃしゃりでたイタリアが欧州列強の癪にさわったので、
無効試合、没収となったというのが、伊土戦争の真相です。
仮にこのまま進んでオスマン帝国がイタリア王国に勝利した場合には、
その賠償金で瀕死の重病人が息を吹き返してはたまりませんからね。
623:世界@名無史さん
05/05/31 23:12:01 0
オスマン朝の宮廷における宦官の歴史について教えてください。
中国と同様、革命の時までずっと存在していたのでしょうか?
どのくらい権力を持っていたのでしょうか?
624:世界@名無史さん
05/05/31 23:46:58 0
でも今のトルコは落ちぶれたな。
日本は経済大国になったのに、トルコが経済大国になれてない理由は何故だろう?
トルコは日本よりも早く欧州の優れた部分を認識し取り入れようとしていた。
ケマルの近代化政策が支持されたのも欧州ともっとも密接に関わってきたアジア国家だからだろう。
それなのに日本は成長し、トルコは停滞しているように見える。
625:世界@名無史さん
05/05/31 23:50:25 0
>>620
それでも最終的に勝てば強い国。北方戦争で強国に躍り出、
七年戦争でプロイセンを敗北寸前まで追い込み、ポーランドを分割し、
ナポレオン戦争でも最終的に勝利したことを忘れちゃいけない。
626:世界@名無史さん
05/06/01 11:59:37 0
>>624
全く根拠のない俺自身の考えだけど、
(1)イスラム教義による経済活動の縛りが存在した。(金利禁止とか)
(2)日本に比べ西欧の列強やソ連が近くにいるため、日本における東南アジアのような
比較的自由に食い込める市場や労働力提供地域が近隣になかった。
(3)パレスチナ問題が絡むためか、ヨーロッパへのシンパシが強いためか。
反米感情が日本より強く残り、米国相手の貿易も少なく、
かつ米国からも日本ほど厚遇してもらえなかった。
(4)日本に比べてヨーロッパが近く、歴史的な交わりも大きいためか、ドイツなどへの
人材流出が激しくトルコ国内に優秀な頭脳が定着しない。
などかな?
627:世界@名無史さん
05/06/01 12:06:11 0
>>620
冬が厳しすぎるし、国土に奥行きがあるから
ロシア国内に侵入しての冬越しの戦闘が難しいし、
補給線が延びきって兵站が追いつかないのかな?
お得意の焦土作戦で内陸奥地に立て篭もられると、
厳冬期に野営をせねばならず消耗が激しいし、
厳冬の原野を何千キロも補給物資をつなぐのは
無理な気がする。
冬将軍には勝てない。
628:世界@名無史さん
05/06/01 14:04:05 0
第一次大戦におけるオスマンの働きは大きかった。
アルメニア方面から北上してロシアを苦しめドイツの役に立った。
もし第二次大戦でも参戦してくれていたら・・・
大嫌いなソ連に復習するチャンスだったのに。
629:世界@名無史さん
05/06/01 14:42:28 0
>>628
WW1参戦の結果、アルメニア人大虐殺を引き起こし、周囲の国と
埋めようのない溝を作り出しちゃったけどね…
630:世界@名無史さん
05/06/01 14:59:08 0
馬鹿みたく南下するロシアが悪い。
朝鮮と違いトルコは国を守る気概があったのだ。
631:朱由檢 ◆MfD.4zQt1.
05/06/02 00:35:20 0
国民的英雄が登場しなければ国家が四散していたんだけどね。
632:世界@名無史さん
05/06/02 21:52:07 0
ケマルが偉大でありまた「独立戦争」において最も優れた指揮官だったのは確かだが
『トルコ近現代史』など最近出た本を読むと、
彼がいなければトルコ国家は存続しえなかったというのは少し言い過ぎの感があると思える。
もともとこれまで日本語で読めるトルコ史やケマルの伝記は
彼をヨイショする立場から書かれたものばかりだったんじゃないかなあ。
633:世界@名無史さん
05/06/03 02:11:58 0
>>632
正直ケマルは資本主義者の金日成といっても過言じゃない
軍事的に国を支配して反逆者皆殺し
反対意見言わせないし
国中に肖像画があるw
まあ、金より男前だがw
634:世界@名無史さん
05/06/03 08:28:37 0
>>633
金日成と比べるなど、ケマルに対してあまりに失礼。
彼は世襲もしなければ、独裁体制も作らなかった。
最終的には、ちゃんとした民主主義国を作った。
635:世界@名無史さん
05/06/03 08:55:58 0
本懐を遂げたロベスピエールってな感じか?
636:世界@名無史さん
05/06/03 09:09:57 0
比べるのなら、せめて朴正熙にしてくれ…
637:世界@名無史さん
05/06/03 11:28:54 0 BE:135764148-#
領土が小アジアだけになってたら面白かったのに・・・
どう足掻いてもヨーロッパ扱いされない。
638:世界@名無史さん
05/06/03 11:35:15 0
>>637
領土がヨーロッパ側だけになってた方が、もっと面白かったと思う。
イスタンブールを含むブルガリアやユーゴスラビアあたりにトルコがって、
地理的には完全にヨーロッパの国って方が面白い。
ヨーロッパにイスラムの大国が存在したらと考えるとワクワクする。
639:世界@名無史さん
05/06/03 13:04:44 0 BE:152733694-#
トルコは日本の兄弟。アジアの国なのだ。
緯度は同じくらい。国旗は太陽と月。憲法を制定したのも同じくらい。
欧州の病人はポーランドで十分。
640:世界@名無史さん
05/06/03 19:02:15 0
>>639
トルコ人自身は「おれたち、ヨーロッパ」と思っているだろうな。
EUに加盟したがっているし、サッカーワールドカップでは楽々なアジア予選ではなく激戦のヨーロッパ予選を選んでいるし。
641:世界@名無史さん
05/06/03 19:13:02 0
>>640
ヨーロッパになりたいとは思ってるだろうが、
ヨーロッパ人だとは思ってないだろう。
近隣のアラブ諸国と一緒にされるのはたまらんとは思ってる。
その点、三馬鹿の仲間だと思われたくない日本と似てるのかもしれない。
もし小アジアとイスタンブールに日本があって、レバノン、イラク、シリアに相当する場所に三場所があったとしたら、
日本もヨーロッパになりたがると思う。
642:世界@名無史さん
05/06/04 04:07:41 0
ヨーロッパもイスタンブールの地政学的な重要性からトルコを無視できない。
あの都市さえなければトルコなんか無視できるのにって思ってるだろう
643:世界@名無史さん
05/06/04 08:03:58 0
ギリシャがテオドシウス城壁内だけでも奪還出来てればな。
644:世界@名無史さん
05/06/04 14:44:52 0
>>642
仮に海峡がなかったとしても
パイプラインの通り道にはなれるからそれなりに重要だろう。
セーヴル条約のまま分割されてたら、
無視できてたろうにね。
645:世界@名無史さん
05/06/04 16:02:18 0
オスマン帝国は18世紀はいじめられっこ、19世紀以降は西欧の犬・パシリに成り下がってるので情けなくて見たくない。
オスマンはやっぱりキリスト教諸国を鼻息だけで吹き飛ばす脅威じゃないとな・・・
パシリのクリミア汗国をけしかけてロシアにちょっかい出してた時代が懐かしい
646:世界@名無史さん
05/06/04 16:24:51 0
辺境の土侯あがりの分際でチンギスの末裔をコキ使いやがって。
647:世界@名無史さん
05/06/05 02:07:18 0
チンギスの末裔なんてそれこそ何千万人もおりますが…
648:世界@名無史さん
05/06/05 14:29:31 0
途中からチンギスの系譜が入ったから別にかまわんしょ?
649:世界@名無史さん
05/06/05 14:46:06 0
>>647
さすがに何千万はいないだろう
650:世界@名無史さん
05/06/05 18:59:35 0
またレイプ厨が湧いて出た。
651:世界@名無史さん
05/06/05 21:58:25 0
>>649
1600万人らしい
URLリンク(x51.org)
652:世界@名無史さん
05/06/11 19:55:49 0
>>651
>サイクス氏は今回の研究にあたり、アジアの16の地域に住む男性の身体からそれぞれDNAを採取して分析した結果、
>それぞれの地域で人口の凡そ8%がチンギスと同じY染色体を持っていたことが明らかになったという。
>また今回の研究を行うきっかけとなったチンギス・ハンのY染色体は、アフガニスタンとパキスタンの国境周辺に
>暮らすハザラ族の三分の一が保有していたというもので(彼らはかねてからチンギスの末裔であるとされている)、
>その染色体を元に照合を行い、チンギス・ハンの子孫かどうかを割り出したとしている。
つまり、この会社はテムジン本人のDNAは所有していないということだ。
「ハザラ人の一部が共通してもつY染色体」がユーラシア各地でみられるということにすぎない。
>そしてチンギスは新たな都市を征服するたび、部下たちに略奪は許可する一方で、女性は必ず自分のもとに連れてくるよう指示し、
>組織的な強姦を行うか、妾として自らの下に置き、自らの血を継ぐ子孫を増やし続けたと言われている。
モンゴル側の資料はもとよりロシア人や中国人ですらそんな話は残していない。
653:世界@名無史さん
05/06/19 10:49:29 0
オスマン帝国のユダヤ人について語らない?
ヨセフ・ナシとかさ。
654:カラジチ ◆mWYugocC.c
05/06/19 11:54:59 0
……サバタイ・セビはユダヤ人に入りますか?
655:世界@名無史さん
05/06/19 12:26:27 0
>>654
入れてもいいと思いますよ。
656:世界@名無史さん
05/07/05 00:24:02 0
日本とトルコ友好スレッド
スレリンク(nida板)l50
なぜか、ニダー大好き板より(笑)
657:世界@名無史さん
05/07/22 22:15:45 0
共通の遺伝子って、モンゴル軍団全体が原集団ならとにかく
チンギスという個人が源だとする根拠がわからん。
モンゴル軍の中にはチンギス以上のレイプ魔もいくらでもいただろうに。
658:世界@名無史さん
05/07/31 01:05:09 0
ハーレムに東欧系が多かったなら
スルタンはロシア人みたいな顔してたのかな?
659:世界@名無史さん
05/07/31 03:16:38 0
オスマン帝国の人口と人種構成ってどういうもんだったの?年代で分けて
1600
1700
1800
1900
でお願いします
660:世界@名無史さん
05/08/05 11:25:58 0
既出かもしれないけど、
オスマン朝の現当主はイギリス在住だそうだね。
オスマン・セラハッディン・オスマンオウル氏と言う方で
ムラト5世の直系だそう。
去年、最後の皇子であった父上の伝記を出版したそうです。
661:世界@名無史さん
05/08/05 11:35:25 0
つかオスマンが滅ぼした東ローマのパレオロゴス家も
英国在住か、、
なんていうか
662:世界@名無史さん
05/08/05 12:16:02 0
オスマン・ベイってイケメンだったのかな?
663:世界@名無史さん
05/08/05 13:02:25 0
>東ローマのパレオロゴス家
数年前、デビ夫人と一緒にパーティーに出ていたビザンチンの皇太子?
664:世界@名無史さん
05/08/06 15:06:59 0
>>660
現在オスマンさんは投資コンサルタント
>>663
どうだろー?
モレア候の子孫ならそうかも?
665:世界@名無史さん
05/08/06 21:49:17 0
>>660
オスマン王家の当主は兄弟殺しが廃れて
王子をハレムに幽閉する制度ができて以来、王家の最年長者がつく原則なので、
まだまだ若いオスマン・セラハッディン・オスマンオール氏(1940年エジプト生まれ)は
現当主(王家の最年長の男子)ではないはずです。
確かに父君のアリ・ヴァースフ王子は
晩年(1977年-1983年)にオスマン家当主だったのですが。
666:世界@名無史さん
05/08/07 03:25:43 0
>>665
オスマン王家の当主は兄弟殺しがすたれて・・・・・
17世紀以降、兄弟殺しが行われなくなり、皇子をハーレムに幽閉し、
最年長者が王位につくという制度ができたことにより、無能なスルタンの
長い系列をつくることになり、オスマン帝国の衰退の原因のひとつになりました
(それはサファヴィー朝も同じです)。オスマン帝国では、皇子が州の軍政官と
なって、政治の技術を学ぶという制度がありましたが、それも17世紀以降
行われなくなったので、皇族の質の低下がおこり、これも衰退の原因となりました。
667:世界@名無史さん
05/08/09 01:39:37 0
途中までは中国の古代王朝かと思うほど
1直線な系図だもんな
668:世界@名無史さん
05/08/13 02:00:31 0
>>65
>URLリンク(plaza4.mbn.or.jp)
>このサイトは「戦術の世界史」のアンカラの戦いについて書かれたページ...
-->戦術の世界史 URLリンク(www.k2.dion.ne.jp)
669:世界@名無史さん
05/08/17 12:58:29 0
./ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
レ" ̄ ̄ ̄\ヽ \
/ ,, , ヾ`、 ヽ
. / /「「`ー' ̄ヽ \ |
/ ,イ ! | \ Y / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ノ_ __i |l.|
| ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′l.| |l. 冷酷、残酷と呼ばれる私は
| f| ! |lj/ || 信長よりも60年も前に
. |! |!'┤ ヽゝ ,ヶ ! ! j!.|火器で騎馬軍を破ったぞ。
l ト ヽ. 「._つ , | / ./ ツ人 \______________
\ヾ ,へ.__/_,.ク〈 ./_/
|ヘ\_/' ├'
_,. -―√イ| V | (_ノ1 ノ)iー--、__,、__
べ’ ー1!r―‐' ̄ 〃ー'\
冷酷者・セリム1世(フマユーンのスレより)
スレイマン1世の父。クリム・ハン国の皇女を娶る、
イェニチェリを味方につける、イスタンブールに陣取るなどして
後継者争いを有利にすすめ、父のバヤジット2世からスルタン位を
譲り受ける。チャルディラーンの戦いでは、銃火器で武装した
イェニチェリ軍、砲兵を率いてサファヴィー朝軍に圧勝、さらに
シリア、エジプトにも軍を進め、マムルーク朝を滅ぼした。
670:世界@名無史さん
05/08/17 13:11:47 0
でもイスマーイールの騎馬隊が突撃してきた時、一瞬形勢逆転されそうにんったじゃん
671:世界@名無史さん
05/08/18 00:42:52 0
セリムの時代にようやくアナトリア全土がオスマン領になったんだっけ。
セリム一世と言えばマムルーク朝討伐=オスマンのスンナ派の盟主の地位確立という功績で有名だが、
東方の境界を(ほぼ)確定させたことにもっと注目しても良いと思う。
672:世界@名無史さん
05/08/18 23:34:41 0
後を継いだスレイマンは何故、アレキサンダーみたいな東方の征服を行わなかったのか?
673:世界@名無史さん
05/08/18 23:56:01 0
サファビー朝も中々強いですし。
674:世界@名無史さん
05/08/19 18:42:43 0
興隆期にセリムがやろうとしたが、補給の限界で引き返した。
安定期に入るとそもそもそういう冒険は国家が許さないし必要もない。
675:世界@名無史さん
05/08/24 16:09:14 0
>>673
サファヴィー朝がオスマン軍に正面からぶつかって勝った例ってあるの?
ウズベクとの戦いでは結構勝ってたみたいだけど。
676:世界@名無史さん
05/08/24 21:45:06 0
>>672
端的にいえば、西方遠征よりうまみが少ないからじゃねぇかなぁ。
677:世界@名無史さん
05/08/25 04:13:06 0
第一次大戦からロシアが撤退した時
トルコは何か貰えたの?
678:世界@名無史さん
05/08/25 04:13:18 0
そか? イスファハーンは世界の半分だぞ。
679:世界@名無史さん
05/08/25 04:48:14 0
>>677
コーカサス戦線は革命前は押されていたけど、革命後は国境を越えて
押し返した。ブレストリトウスク条約で事実上オスマン帝国の領土になったけど、
WW1の敗戦でブレストリトウスク条約がおじゃんになり、セーブル条約
でオスマン帝国解体。
その後はケマルの活躍でトルコ共和国が成立し、アルメニア人独立国家を
潰してコーカサス方面の領土を部分的に回復。
680:世界@名無史さん
05/08/25 13:04:09 0
>>672
アゼルバイジャンあたりはキジルバシみたいなテュルクメンの連中が
かなり手強くて東方進出は難しかったみたい。仮にアゼルバイジャンを
征服できても北イランのテュルクメンたちはシーア派が多かったので
すぐに反乱を起こされて統治は長続きできなかったろうね。
オスマン朝がシーア派の聖地が集中してるイラク南部まで征服できたのは
多分ティムール朝のおかげでこの地に進出してたテュルク系の連中が殆ど
いなくなってたからじゃなかろうか?
681:世界@名無史さん
05/08/25 14:12:17 0
>>678
イスファハーン自体が繁栄していたのは事実だが、「世界の半分」というくだりは
単なる美辞麗句にすぎないじゃろ。
オスマン朝はエジプトを獲得したことで、紅海経由の海上交易を支配下に置くことが
可能になった。
更に地中海交易を手中におさめれば、それこそ「世界の大半」を手に入れることに
なるんじゃないかなぁ。
682:イスファハーンは世界の半分
05/08/25 20:57:59 0
エスファハン・ネスフ・エ・ジャハーン!
683:世界@名無史さん
05/08/25 21:07:58 0
>>679
物知りだな。
684:世界@名無史さん
05/08/26 00:12:13 0
セリムの頃はサファビー朝はイスファハンが首都じゃなかったような…
685:世界@名無史さん
05/08/26 20:57:32 0
>>684
ダブリーズが首都です。でも、ダブリーズはトルコとの国境に近いため、
ガズビーンに首都が移されました。
686:世界@名無史さん
05/08/26 22:48:34 0
サファヴィー朝の崩壊は情けないよ。
牛に乗ったアフガンの遊牧民に攻撃されて一撃で崩壊した。
しょぼすぎ。
687:世界@名無史さん
05/08/28 13:55:07 0
>>686
アフガン人って牛に乗ってたのか?!
688:世界@名無史さん
05/08/29 23:48:34 0
シパーヒーが実戦に投入されてたのはいつ頃までですか?
689:世界@名無史さん
05/08/30 21:59:08 0
>>687
そうだよ。馬がなかったので牛に乗ってた。
そんな前近代的な軍隊に首都を占領されて崩壊するぐらい腐ってた。
国家システムに欠落があったとしか思えない。
690:世界@名無史さん
05/09/01 19:03:10 0
アッバース大帝の設立したゴラーム軍団はどうなった?
691:世界@名無史さん
05/09/02 12:28:18 0
サファヴィー朝って名目上は
ザンド朝ペルシャ辺りまでは存続してたんだよな。
いつ完全に滅びたんだろうか?
692:世界@名無史さん
05/09/03 00:50:41 0
オスマン朝末期~トルコ共和国成立あたりが好き
693:世界@名無史さん
05/09/04 14:39:04 0
_,.r::'::::::::::::::-.、
r::::_;:---、、;;::-'ー、ヽ
/':::i' ヾi
,,.r、:::::::i .: ll
rr;i:::,r:::::! _,,,__, _,,,..._ .l:i
ヾ:r::;:-、:r i'tテ;:. i:'tテ:r i::ヽ
`ヾ::rt' ´ ' l::. ´ !r'
ヾ.ィ -、ノ:. l
./!、 ー-‐;':. / 私が1683年から
/ ヾ ヽ、 ' / ほぼ100年経ったときに
∧ ヽ ` 7‐r_'/ヽ 作った曲は何でしょうか?
,r ヽ、 ` <ニrヽ 〉 カンで答えなさい。
,r' -、 ヾ il l、
r  ̄ t- ヾi: lヽ
694:世界@名無史さん
05/09/04 17:24:41 0
トルコ行進曲かコーヒーカンタータとあてずっぽうで答えてみる
695:世界@名無史さん
05/09/04 19:57:37 0
>>686
平安貴族かよw
696:世界@名無史さん
05/09/06 19:40:15 0
列強最弱のイタリア王国にリビアを取られたオスマン。
晩年はギリシャくらいにしか勝ててないw
697:世界@名無史さん
05/09/06 19:48:18 0
>>696
晩年のオスマンってケマルの指揮下、連合軍をガリポリで撃退したけどなにか?
698:世界@名無史さん
05/09/06 22:16:17 0
>>696
>>621-622で既出
699:世界@名無史さん
05/09/06 22:45:36 0
戦争に番狂わせなし。ガリポリの戦いなんて嘘です。
オスマンが英仏に勝てるなら、李朝だって帝政ロシアに勝てます。
700:世界@名無史さん
05/09/06 22:55:56 0
>戦争に番狂わせなし。ガリポリの戦いなんて嘘です。
オスマン帝国は当時ロシアに次ぐ陸軍大国。
艦隊や装備もドイツ製の最新鋭。
>オスマンが英仏に勝てるなら、李朝だって帝政ロシアに勝てます。
それは絶対に無理。ネタ乙。
701:世界@名無史さん
05/09/06 23:36:14 0
第一次世界大戦時のトルコは意外にも軍事大国の余命を保っていた。
おそらく当時の日本と戦争すればトルコのほうが強かったのでは?
702:世界@名無史さん
05/09/06 23:59:57 0
>>701
オスマン帝国は第一次大戦中ロシア帝国相手に緒戦は快勝しています。
お得意の冬将軍+焦土作戦が始まると泥沼に引きずり込まれて行きましたが。
703:世界@名無史さん
05/09/07 01:35:19 0
日本が発展しのって戦後なんだよな。
戦前は経済は2流、軍事は1流。
そんな国力でアメリカ相手に総力戦を戦ってしまった。
しかも日露戦争のように大国による援助は無し。
これじゃあ負けて当たり前。
戦前の日本はトルコと大差ないよ。
704:世界@名無史さん
05/09/07 17:28:19 0
日本は地力で機動戦艦やら空母やら零戦やら潜水艦やら
作る世界有数の技術力を持ってたけど
トルコはどうだ?先進国から買うだけだろ。
705:世界@名無史さん
05/09/07 20:51:16 0
オスマン時代に地力で作れたのか?
706:世界@名無史さん
05/09/07 22:35:17 0
>>704
第一次大戦まではトルコのほうが強かったかもな。
707:世界@名無史さん
05/09/07 23:08:13 0
軍事技術力の差というより日本が殖産興業に成功したことが大きい。
トルコは国内産業の育成に失敗して徴税権や借款で吸い取られたのに対し、
日本はさっさと借金を返して、国内の農業、軽工業で黒字が出せるようにした。
オスマン帝国はあまりにもヨーロッパに近すぎたことが敗因では?
708:世界@名無史さん
05/09/08 01:25:24 0
日本だって日露戦争は米英の支援を受けてギリギリで勝てた。
日本海沖の海戦だって勝てたのはイギリスから輸入した戦艦のおかげ。
日本が強くなってきたのは第一次大戦後だな。
それでも経済は敗戦するまで2流だったけど
709:世界@名無史さん
05/09/08 12:24:18 0
>>703
他の非白人国は、新鋭軍艦を輸入することさえできなかったじゃないか?
そもそも新鋭艦を輸入でき、英国から巨額の借り入れや
軍事支援が受けられること自体が、強くなった証明でもある。
英国だって負けると決まっている国に肩入れはしないよ。
710:世界@名無史さん
05/09/08 12:39:36 0
>>709
黄海海戦って知ってる?
711:世界@名無史さん
05/09/08 12:47:04 0
なんで日本ってこんなに凄いんだろう。
知れば知るほど驚愕する。
他の国と比べてはじめて分かる祖国の偉大さ。
712:世界@名無史さん
05/09/08 13:08:08 0
>>707
ミスルのムハンマド・アリー朝もそれが敗因だな。
713:世界@名無史さん
05/09/08 13:27:52 0
>>711
あまりにも短絡的な思考が特徴のネットウヨくん乙
とりあえず、スレ違いだから消えてね
714:世界@名無史さん
05/09/08 15:05:07 0
どうあれウリナラマンセーネチズンよかまし。
「加奈」PS2版の掲示板で
どこをどう間違ったのかウリナラマンセーを始めた日には流石に('A`)だった…。
715:世界@名無史さん
05/09/08 15:44:32 0
>>713
短絡的なレッテル貼りじゃなく、具体的な指摘をしようね!
日本がそれほどすごくないと思うなら、その実例などの具体的事項を挙げて
反論すればいい。
それができないならROMってましょう。
716:世界@名無史さん
05/09/08 15:55:12 0
そもそも>711が「すごい」としか書いてないのに反論もなにも
717:世界@名無史さん
05/09/08 15:55:48 0
>>714-715
知能障害かつ真性包茎のきみは、「スレ違い」って言葉を覚え包茎手術をしてから
出直しましょう。
718:世界@名無史さん
05/09/08 15:59:19 0
>>716
なら反論しなきゃいいじゃん。
719:世界@名無史さん
05/09/08 16:04:15 0
>718
してませんが何か
720:世界@名無史さん
05/09/08 16:27:30 0
なんでネットウヨが粘着してるんだ?
721:世界@名無史さん
05/09/08 16:49:15 O
今週トルコ行くからさあ~
トプカプ宮殿でオナニーしてきますね
722:世界@名無史さん
05/09/08 19:15:13 0
オスマンとの比較で「日本は凄かったな~」と言っただけで
ネトウヨ認定。面白い精神構造してる奴が湧いてるなw
そんなに気に食わないのか?
723:世界@名無史さん
05/09/09 04:05:56 0
>>722
どこをどう比較してたんだ、包茎くん。
724:世界@名無史さん
05/09/09 18:00:23 0
>>723
真性が湧いたかw
725:世界@名無史さん
05/09/09 18:23:43 0
なんか上がってると思ったら右や左の旦那様か
>>688
19世紀初頭にティマール地がすべて国に没収されたらしいので
18世紀まではなんとか活躍してたかも?
マムルークもナポレオン戦争の頃まで軽騎兵として存続してたし。
726:世界@名無史さん
05/09/09 18:32:38 0
>>724
キチガイage荒らしくん乙。他のスレでも迷惑かけまくっているんだな、お前。
727:世界@名無史さん
05/09/09 20:59:23 0
つうか2chで「ウヨ」なんて発言をすれば
どういう反応が返ってくるかは、世界史板以外で既に経験してると思うんだが。
学習能力が無いのかチョン(もしくはブサヨ?)はw
歯槽板とかだと、アレかもしれんけど。
あと>>711も、内心はどうあれそれを表に出さないのが一般的な日本人だぞ。
あくまで「日本人同士」での会話に限るけどな。
728:世界@名無史さん
05/09/09 21:23:07 0
おちんちんが剥けてから出直そうね。
729:世界@名無史さん
05/09/09 21:28:45 0
一撃論破された709がひたすら粘着中
730:世界@名無史さん
05/09/09 21:28:57 0
>>727-728
ここはお前らの好漢日記じゃ(ry
731:世界@名無史さん
05/09/09 21:36:15 0
>>727
と、age荒らしと言われたとたんにsageる696=704=709=711でした。
ところで、ガリポリ戦や日清戦争の黄海海戦についてお勉強はしてきたかな?
732:世界@名無史さん
05/09/23 21:59:30 0
日が過ぎてしまったが・・・
9月16日はエルトゥールル号遭難、及び日本人による乗組員救出の記念日でもある!
733:世界@名無史さん
05/09/23 22:02:50 0
>732
詳しく
734:世界@名無史さん
05/10/01 17:01:50 0
オスマン帝国の官職名
・サドラザム(大宰相)
・カイマカム(宰相の代理)
・カザスケル(大法官)
・カーディー(裁判官)
・クズラル・アガス(女官長。ハーレムの責任者。)
・イェニチェリ・アガス(イェニチェリの長官)
・カプダン・パシャ(海軍提督)
・シパーフ(近衛騎兵)
・トプチュ(砲兵)
・ジェベシ(工兵)
・ベイレル・ベイ(州県知事)
・サンジャク・ベイ(州軍政官)
735:世界@名無史さん
05/10/01 19:08:18 0
下のほうではオンバシ、スバシ、ビンバシなんてのもいるね
736:世界@名無史さん
05/10/02 00:12:35 0
>>734
何が出典か知らないけど、結構間違ってるんですが…。
737:世界@名無史さん
05/10/02 01:16:46 0
時代によって違うのかね。
永田雄三「オスマン帝国における近代教育の導入:文官養成校(ミュルキエ)の教師と学生たちの動向を中心に」
『駿台史学』第111号、2001年、82ページでは、以下のようになってる。
カイマカム→郡長、ムタサッルフ→県知事、ヴァーリー→州知事
ここでの年代は、史料にある限りでは、1860~1915年となってる。
738:世界@名無史さん
05/10/04 18:40:53 0
アスケリってのは日本語でいう士族みたいなものと考えていい?
739:世界@名無史さん
05/10/04 21:28:37 0
>>737
近代と前近代ではそりゃあ…。
>>738
軍人、書記官僚、ウラマーなど免税特権を持っている支配層がアスケリー。
それ以外がレアーヤー。
740:世界@名無史さん
05/10/05 18:56:50 0
免税特権で分けるんですね。サンクス。
741:質問
05/10/20 16:54:43 0
パルテノン神殿はオスマントルコ帝国の支配下では弾薬庫にされていて
1687年に攻め込んできたヴェネツィア軍の砲撃で大爆発をおこし
今のような姿に成り果てたと聞いたのですが、
なにゆえ、オスマントルコ軍はパルテノン神殿を弾薬庫にしていたのでしょうか?
742:あやめ ◆C0.O2CxIMg
05/10/20 17:54:09 0
>>733
このサイトが詳しいです。
URLリンク(sisikaikan.at.infoseek.co.jp)
743:世界@名無史さん
05/10/21 10:30:36 0
エルトゥルルの実在って確認されてるんですか?
744:世界@名無史さん
05/10/22 21:52:05 0 BE:169704858-#
オスマン帝国とオーストリア・ハンガリー二重帝国
どっちが強い?
745:世界@名無史さん
05/10/22 22:53:04 0
>>741
弾薬庫と言うより居城や要塞として使っていたと記憶。
現地で同じ説明を受けた時に17世紀の砲弾が誘爆するようなものかと腑に落ちなかった。
その後の略奪、放火が荒廃の原因ではとも思う。
746:世界@名無史さん
05/10/22 23:09:50 0
そういうのはギリシア側の言い方でしょうかね。
悪いイメージしか出来ないもんな。 >弾薬庫
747:世界@名無史さん
05/10/23 09:53:20 0
オスマン・トルコで男色や少年愛が盛行した理由を教えて下さい。
よろしく!
748:世界@名無史さん
05/10/23 15:24:40 0
>>747
サファヴィー朝(小姓と戯れるアッバース一世の絵がある)
と勘違いしてるんじゃ…。
オスマンでも美少年画が流行してたっけ?
永田雄三・羽田正『成熟のイスラーム社会』(世界の歴史15、中央公論社、1998年)
に書いてあった気がするが覚えてない。
あとオスマン宮廷内の奴隷教育係に白人宦官があてがわれた理由の
ひとつに男色防止があったと記憶しているが。
たしか、佐藤次高の『マムルーク』に書いてあった希ガス。
749:世界@名無史さん
05/10/24 07:46:15 0
>>748
ちょっと、あんさん、世界史のド素人やナ。
オスマン・トルコで男色や少年愛が盛行したのんは
常識だっせ! 常識中の常識やで~!!!!
750:世界@名無史さん
05/10/24 07:57:33 0
誰か忘れたけど、ある宰相は男色用小姓出身だったような。
751:748
05/10/24 18:04:32 0
>>749
常識とか言う前に典拠を示せよ…
こっちも「覚えてない」って断ってるのに
なんでそう攻撃的なの?
752:世界@名無史さん
05/10/24 18:14:15 0
ド素人やからド素人やて言うてますんや!
何も攻撃的なコトあらしまへんで。
ほんまド素人は箸にも棒にもかからんさかいに
困りまんがナ!!
753:世界@名無史さん
05/10/24 18:55:54 0
>>751
お前、自分で30秒ぐらい調べてみたら?
754:748
05/10/24 21:16:34 0
一応自分は>>748で文献を挙げている。
オスマンの男色がそれらに書いてあったかどうか
「覚えていない」といっているだけ。
今諸事情で手元にないので。
755:世界@名無史さん
05/10/24 21:39:55 0
>>754
お前が調べていない&調べようとしていないのはわかったから、消えろ。
756:世界@名無史さん
05/10/24 21:54:05 0
此の役に立たぬ板の連中は丸ごと消えろ!!!
マハリク・マハリター~!
757:世界@名無史さん
05/10/24 22:02:12 O
オマンチョウ大好き
758:世界@名無史さん
05/11/13 09:43:44 0
コンスタンティノープルの陥落、読みました
トルコ人とイタリア人だとイタリア人の方が歴史好きなのでしょうか?
759:世界@名無史さん
05/11/13 17:16:47 0
الحمد لله
الذين التاسعة و الاربعين و السبعماية
و الثانية و الخمسين و السبعماية
و الثلاث و الخمسين و السبعماية
و الخمس و الخمسين و السبعماية
قهراً لعناة وعفى عن الجناة
و اما حق تعالى الذي
الاثامنة و الاربعين و السبعماية
قدراً بركاة جلب إلى الجناة
760:世界@名無史さん
05/11/13 17:35:15 0
ランシマンの『コンスタンティノープル陥落す』を読んでみた。
当時の滅亡前後のビザンツ帝国をとりまく状況が年を追って書いてあるのだが、
現在のガラタ地区にいたジェノバ居留民がけっこう義勇軍となって包囲戦に
参加していたのを知った。
塩野某のはどうなってたろうか。
761:世界@名無史さん
05/11/13 17:37:21 0
لحمد لله أيضاً
الذي السادسة و الخمسين و السبعماية
قهراً لعناة وعفى عن الجناة
و اما حق تعالى الذي
الاثامنة و الاربعين و السبعماية
قدراً بركاة جلب إلى الجناة
762:世界@名無史さん
05/11/28 22:33:15 0
>>760
やはり義勇軍に参加してるッス
763:世界@名無史さん
05/12/11 11:16:15 0
一つ聞きたいのですが、コンスタンチノープル占領後のトルコ皇帝は「ツァーリ」とは呼ばれていなかったのですか?
764:世界@名無史さん
05/12/11 13:54:50 0
西欧ではオスマン朝のスルターンは「トルコのスルタン」で呼ばれていたはず。
イスラム側から東ローマ帝国の皇帝は、「カイサル(qaySar)」とか
「マリク・アル=ルーム(ルームの王)」とか呼ばれているけど。
オスマン朝の君主が「ハーン」「シャー」「パーディシャー」などと称した事は
知られているけども「カイサル」を名乗ったようには記憶して無い。
そもそも「カイサル」にしても当時は「キリスト教の最高君主=(東)ローマ皇帝」
の称号の意味合いが強いのだけども。
そもそも「ツァーリ」はロシア語なわけだけど、これをロシア方面の君主たちが
使い出したのはいつ頃だという話になるかと思うが・・・
765:世界@名無史さん
05/12/11 17:09:08 0
ロシア史スレより
67 :世界@名無史さん :2005/07/31(日) 15:09:49 0
近代のブルガリア(まだオスマン朝支配下)で書かれた小説を読んでみたら
農民がコンスタンティノープルのことを「ツァーリグラード」と呼んでいた。
たぶん一般のスラヴ人のあいだではずっと使われてたのか。
ビザンツ時代からの呼称が引き続き使われていただけかもしれないけど
スラヴ民衆がトルコのスルタンをツァーリと呼ぶようになったというのも
あり得るかもしれない?
766:世界@名無史さん
05/12/11 18:47:09 0
歴代スルタンで最も男色好きだった人物は誰?
767:世界@名無史さん
05/12/11 19:08:21 O
>>766
同じ質問を繰り返すな、ホモ吉。
768:世界@名無史さん
05/12/11 20:18:41 0
>764
メフメト二世やスレイマン一世は
「ルーム・カイセリ」を名乗ったらしいけどな。
769:世界@名無史さん
05/12/11 23:00:45 0
つまり、トルコ皇帝はイスラム帝国の宗主であると同時に東ローマ帝国の後継者でもあるということですか?
770:世界@名無史さん
05/12/12 12:45:43 0
歴代スルタンで最も男色好きだった人物は誰?
771:世界@名無史さん
05/12/12 16:04:00 0
>>769
島田襄平さんはそういうようなこと言ってたと記憶する
772:世界@名無史さん
05/12/13 14:44:17 0
>>771
あの御方は7~9世紀くらいが専門だから・・
773:世界@名無史さん
05/12/13 21:41:53 0
>>769, 771
むしろ鈴木董だろう。
『オスマン帝国』(講談社現代新書)
に、スレイマンがカール五世に宛てた親書のなかで
「朕は諸王の王、セリム・シャーの子スレイマン…」な感じで
書いてた所があったと思うが。
手元にないので、今持ってる人は確認よろ。
(嶋田襄平も言ってたかもしれんが自分は著作の全部を読んだわけではないので)
774:世界@名無史さん
05/12/14 02:19:17 0
>773
その鈴木董先生の『オスマン帝国』の153-154頁にかけて
「朕は、諸スルタンのスルタン、諸君主のあかし、地上における神の影(カリフのこと)、
地中海と黒海、ルメリとアナドルとルームとカラマンとエルズルムとディヤルバクルと
クルディスタンとルーリスタンとイランとズルカドゥリエとエジプトとダマスクスと
ハレプとエルサレムと全アラビアの諸地方とバグダードとバスラとアデンとイェメンの
諸国土とタタールとキプチャク平原の諸地域とブダとそれに属する諸地と、そしてまた
我らが剣をもって勝ちえた多くの諸国土の大王(パディシャー)でありスルタンである、
スルタン・セリム・シャー・ハンの子、スルタン・スレイマン・シャーであるぞ。
その方、スペイン(イスパンヤ)の諸地方の王(クラル)カール(カルロス)であろう。
以下のことを知れ……」
と書かれているけど、ルーム・カイセリ云々は見付けられなかった。
法政大学の方で出してるのとかも見ないと分らないけど、先生の東大出版会の
方のも見た方が良いかもしれん。
775:世界@名無史さん
05/12/14 21:49:08 0
スレイマンとその周辺がカエサルを自認していたという話が出てくるのは
鈴木先生の本じゃなくて新井先生の本では?
776:世界@名無史さん
05/12/15 15:17:27 0
歴代スルタンで最も男色好きだった人物は誰ぢゃ?
777:世界@名無史さん
05/12/15 21:25:31 0
スレイマンではなくメフメト二世だが、林佳世子先生の本に以下のような記述があった。
「……彼は偉大なるスルタン、よく知り、正しき王にして、ウンマに属する人びとの長である。
……彼は、ローマ帝国の終焉ののちに、神アッラーの言葉を掲げた者である。
……彼は、これほどまでにアレクサンドロス王の時代を体現している。
……先達たるアレクサンドロス王の杖を受け継ぐ者である。」
『オスマン帝国の時代』(世界史リブレット19)山川出版社、1997年、20ページ。
上記はメフメトがイスタンブルのアヤソフィア・モスクを寄進した際の文書内にあり、
メフメトが同都市の造営を、「ローマの都の再興」としていたことを示す
事例のひとつだとか。
778:世界@名無史さん
05/12/22 10:53:28 0
age
779:世界@名無史さん
05/12/23 01:35:38 0
>>777
14、15世紀にはアレクサンドロス大王というか「イスカンダル・ズルカルナイン」は
ペルシア語文学やイスラム神学などの側から「預言者にして世界征服者」的な存在と
みなされるようになっていたそうで、要は「神命を帯びた征服者」という感じだったとか。
しかもペルシア語文学の世界だと、アレクサンドロス大王は「ユーナーン(イオニア=ギリシア)の王」
ではなくてダレイオス1世の後裔である「イーラーンのカヤーニー(アケメネス)王朝の王」
とされていたりする。
(これはサーサーン朝後期に出てきた説話というかサーサーン王家あたりが流した捏造話しらしい)
当時の歴史学だったらアレクサンドロスは当然アリストテレスと同じくギリシア世界の住人であるとは
認識していたはずだけど。
山川のその冊子はまだ見て無いので何ともだけど、その一文を見たかぎりでは
「彼は、ローマ帝国の終焉ののちに、神アッラーの言葉を掲げた者である。」という
箇所も「キリスト教政権であるローマ」から「正しき一神教であるイスラム教政権(=メフメト2世)」
に交替した。というニュアンスを受ける。
しかもアレクサンドロス大王を持ち出しているのも、先達たる「神命を帯びた征服者」として、
であり今現在の自らの征服事業を「過去の同様の偉業」と対比させているようにも思える。
「ローマからイスラム政権へ」、「アレクサンドロス大王」というキーワードは両方とも
メフメト2世の尊称である「ファーティフ(征服者)」と関わるものであって、この一文を
見る限りは、あまり「ローマ」という物を復興しようと言う方面の意図は感じられない気が
するのだが、どうなんだろうか。
「ファーティフ」とはこの場合とりもなおさず「イスラム教圏を拡大・拡張させた者」ということ。
やはり一度関係する資料を一通り見ねばなるまいか・・・
780:世界@名無史さん
05/12/23 13:49:50 0
>>777 >>779
779氏のレスが面白かったので参加。
メフメトがイスラム世界だけでなく西方にも関心を寄せていたというのは定説になっている希ガス
イナルジクのThe Ottoman Empire(classical age)から(p.56)
・メフメト2世は自分をローマ帝国の継承者としてみていた。
・Giacomo de Languschi の報告のなかのメフメトの言葉
「世界は、ひとつの信仰とひとつの主権(sovereignty)とともに、
ひとつにならねばならぬ。この統一を確立するために、
コンスタンティノープルよりふさわしい場所はない。」
・ギリシアの学者とイタリアの人文学者が、宮廷でメフメトにローマの歴史を教授していた
メフメトがイタリアから画家を呼んだとかの話は有名だけど、
ローマの後継者という自認は、どの程度のものだったのだろうかとも思う。
ローマが当時のオスマン朝にとって、どんなイメージで
見られていたか?というのが、ひとつポイントになる気がする。