02/02/04 18:28
>>123
手放しで「寛容」とは言えないかも。
イスラム国家のもとには、
近代的な意味での信仰の自由があったわけではありませんから。
あくまで、イスラムにとって許容可能な他宗教の信徒に
信仰の自由と一定の自治を認めるだけ。
それも狂信的な支配者が出れば脅かされる運命。
(たとえば、ムガル朝のアウラングゼーブ帝)
結局イスラム教が「寛容」だったのではなく
イスラム世界に多宗教が「共存」できるシステムがあった、
ということなのかもしれません。
>>124
三浦先生はイスラム都市研究者、
野元先生はイスラム思想史の研究者です。
政治史は期待できないかもしれませんね。
126:YP
02/02/07 01:28
>>125 さん
あ、どもども! レスありがとうございました!
(お礼遅れて失礼しました)
以前、大島直政著「遠くて近い国トルコ」(中央新書)を読んだのですが、
面白かったです。
オスマン朝の通史もざっと書いてあるし、熱っぽいトルコ人の細部描写も多々
有りで、読み易く名著だと思います。
で、奥付の著者経歴見てビックシ! 25~6才頃に書いた本・・
俺より若くして書いた本じゃーん!!
それもトルコ自体、今よりずっと遠い国であったろう60年代。
で、7年前に他界されてる・・・・・。
めちゃんこせつなくなった・・
QUEENにハマって直ぐにフレディ・マーキュリーが死んだ時の感覚になん
か似てる。
そういや、フレディもトルコ系ナイスガイの顔してますよね。
確か、チュニジアだかアルジェリアだかの生まれだったような記憶が・・
127:世界@名無史さん
02/02/09 16:10
ageage
128:世界@名無史さん
02/02/09 16:59
ageられたので貼っておこう。
「なんでトルコ人の日本びいきは継続しているの?」
スレリンク(kokusai板)
382の毒電波を楽しむスレ。
129:世界@名無史さん
02/02/09 17:19
>>126
大島直政さん亡くなったんだ。
漏れもこの本読んだよ。 合掌
それからフレディーのボーカルは最高でしたね! 合掌
130:雷怒
02/02/09 19:00
>>126
フレディーは確かマダガスカル出身のペルシア(イラン)系と
聞いたような。
131:世界@名無史さん
02/02/09 19:44
>YPさん >129さん
大島直政さんのケマル・パシャ伝(新潮選書)はお読みになられましたか?
あの熱さと冷静さが入り交じった文体で、読み終わると誰もがケマルを
好きになるとゆう、日本人の書いた伝記の最高傑作と思われる逸品です。
残念ながら現在、絶版ですが図書館か古書店で見かけられたら、ぜひ御一読を。
―私も 合掌
132:世界@名無史さん
02/02/12 00:19
故・大島直政さんというと、私には『エクスプレス トルコ語』の序文で
「トルコ語は日本語の方言だと思って勉強すればよろしい」って
暴論を書いてたというところで印象強い方なんですが…(w
>>126
『遠くて近い国トルコ』は
著者のトルコに対する愛着がひしひしと感じられる本ですよね。
今となってはトルコ贔屓の日本人はそんなに珍しくなくなりましたが、
何といっても60年代…。
>>131
大島さんには『複合民族国家キプロスの悲劇』(新潮選書)という本もあります。
こちらも絶版だったと思いますが、
キプロス紛争を扱った(おそらく)唯一の単行本です。
少々トルコ寄りの感は否めませんが(ギリシア人側にも目配りはしています)。
『ケマル・パシャ伝』は日本人のケマル好きにかなり影響を与えてるんだろうなあ。
名著ですが、やはりトルコ人の視点に偏りすぎ、
トルコ共和国の公式歴史観に肩入れしすぎという面がありますね。
133:世界@名無史さん
02/02/24 17:45
救出上げ
134:YP
02/02/28 00:23
ギリシアは他力で独立しても先人頼りの観光業しか出来ないじゃんか?
まったくいい迷惑。 あげ
135:
02/02/28 00:24
トルコと連合してロシアを倒そう!
136:駄レス野郎
02/03/04 17:12
各時代のオスマン朝の強さについて論じてみよ。
例えば1500年ごろは世界第何位の強さだったかとか。
137:世界@名無史さん
02/03/04 22:21
強さってどうやって算出するんだ…。
138:世界@名無史さん
02/03/20 16:31
オスマン朝最強!
139:世界@名無史さん
02/03/26 15:53
あげ
140:世界@名無史さん
02/03/26 17:35
>138
そう。最強なりよ。
141:世界@名無史さん
02/03/26 17:40
いまさら言うのもなんだが、
>>41,>>44
こいつ何様のつもりだ?
142:世界@名無史さん
02/03/26 19:36
シルクロードシリーズ読んだんですけど、
アフメト3世の息子の誰かに「揺れ動いていたオスマン朝を安定させ後世に名君として評価される統治をした」スルタンはいたのでしょうか?
143:世界@名無史さん
02/03/27 02:25
アブデュルハミト1世のことかな。在位は長くないが、
キュチュク・カイナルジャ条約を結び先代の始めた無謀な露土戦争を終結、
西欧人の軍事顧問を招いて軍事改革に先鞭をつけたスルタン。
本格的な軍事改革は孫の代のマフムート3世の仕事(イェニチェリ廃止)ですが…。
ところで、シルクロードシリーズってなんですか?
144:世界@名無史さん
02/03/27 13:15
>143
お答えいただきありがとうございました。
『シルクロードシリーズ』というのは、神坂智子氏が描かれた少女漫画です。
10人の(不老の)天人とシルクロードの関係が縦軸の物語で、
ローランの少女ミイラやソグド人の国の滅亡、蚕の繭を髪に隠して持ち出した姫やはては北京原人にまつわるエピソードを織り成したものです。
145:世界@名無史さん
02/05/03 21:19
保全上げ
146:世界@名無史さん
02/05/03 21:58
>>144
野郎ですけど、神坂智子は好きだったな。
T.Eロレンスとか
小春びよりとかはるかなるシルクロードシリーズなんかよかったねー
ソグディアナを知ったのはあれが最初だったわ・・・・。
147:世界@名無史さん
02/05/13 22:18
ageaaaaaaaaaa
148:世界@名無史さん
02/05/14 00:57
>>146
またあのあたりの旅行記出してるよ
149:世界@名無史さん
02/05/29 22:27
age
150:C級グルメ
02/05/30 00:13
この前トルコ料理を初めて食った。
トマトの使い方がイタリア料理みたいに感じた。
アラベスクつうのは「アラビヤ風」と言うより「トルコ風」なんじゃネエか?
等と思った。
151:世界@名無史さん
02/05/30 00:56
>この前トルコ料理を初めて食った。
>トマトの使い方がイタリア料理みたいに感じた。
そのセンスは正しいと思う。
トルコ料理には、ピザの原型って言われているものもあるよ。
タイトルコ貿易の入口だったイタリアの料理には、トルコ料理の影響が
入っているはず。
152:トマトは
02/05/30 06:27
中南米原産だべ
153:トルコは
02/05/30 06:28
アラブ文化の影響強いんだよ
154:ピザは
02/06/02 05:44
やはりナンあたりが源だろ
155:ピザは
02/06/02 05:45
インドーアラブートルコーイタリアかな。
シチリア経由もあるかな。
156:世界@名無史さん
02/06/16 12:37
age
157:世界@名無史さん
02/06/19 08:55
なんで西欧と張り合っていけなかったんだ・・・。
謎謎謎。
158:世界@名無史さん
02/06/19 09:24
一般的に説明されるオスマン朝停滞の原因は、
インド洋貿易の利益を西洋諸国に奪われたこと、
オスマン朝の内的な経済・軍事の発展が
近代西欧の飛躍的な発展に対してあまりにも小さかったことと、
大国であることに安住して改革の気風が小さかったこと、
などなど…。
159:世界@名無史さん
02/06/23 00:29
戦勝祝いage
160:世界@名無史さん
02/06/23 00:41
全身が末期癌に冒され,死の床にある石田トメ吉(96才)
最後の力を振り絞って,人工呼吸器を外し,
『死ぬ前に寿司が食いたい』と訴えた
『固形物なんか食べれるわけない』と大反対する医師団を無視して
曾孫娘のさやかが
『おじいちゃん,ポテチ食べる?』
と無理矢理ポテトチップス一枚食べさせた
さやかの愛の力が奇跡を起こし,
ポテチが気管に詰まって,トメ吉即死
161:世界@名無史さん
02/07/04 14:12
オスマン最強
162:YP
02/07/07 01:21
今、レンタルビデオ屋で借りた『ラスト・ハーレム』という映画を
観てます。
が、ハーレム内部もいいのですが、俺は都市の外観が観たいのだ。
う~む、あまり世界史観点で期待出来る観る映画じゃないが、ヒロ
インは超ベッピン。
163:世界@名無史さん
02/07/24 02:51
>>162
私もそれ映画館で見ましたよ。
落日のオスマン帝国を描いたっていうから期待してたんですけど、
たいした盛り上がりもなく、正直つまんなかったっす。
でも、たしかにヒロイン役はかなりきれい。
しかも脱ぎ脱ぎしてたし。
URLリンク(www.lancome.com)
URLリンク(www.lancome.com)
164:世界@名無史さん
02/08/17 05:27
唐揚げ
165:世界@名無史さん
02/09/05 12:42
帝位継承者以外の王子たちは、皆殺されてました。
後になると、殺すのだけはやめて、トプカプ宮殿の一室「王子たちの間」という部屋に
生涯幽閉されました。
よって、オスマン帝国には貴族らしきものは無かったのです。
166:世界@名無史さん
02/09/05 13:15
URLリンク(www.ethnologue.com)
167:世界@名無史さん
02/09/16 03:21
同時代の明やスペインより遙かに上だし後代のイギリス以上だろう(米、墺、露、清は論外)。
前時代の漢、唐、ビザンティン、アッバース朝より上な訳で辛うじて比肩し得るとしたらローマ位の物だと思う。
168:世界@名無史さん
02/09/16 03:39
>>167
故意にモンゴルを落している罠
169:世界@名無史さん
02/09/16 03:48
アレクサンダーの帝国っていうのもある罠。
170:世界@名無史さん
02/09/16 16:58
歴史りんく
URLリンク(www.rekisi.nu)
171:世界@名無史さん
02/09/18 03:30
>>167
ティムールは?
172:世界@名無史さん
02/09/18 10:08
>>167
清は論外か?全盛期の清はオスマンにも引けを取らないと思うが。
ティムールは若くて怖いもの知らずで血気盛んな頃のオスマン帝国の鼻っ柱をポキッと折ったボスキャラ。
173:世界@名無史さん
02/10/06 11:26
あげ
174:世界@名無史さん
02/10/06 12:03
前近代においては,国力=人口だと思うので,
統一された中国(便宜的な言い方です,茶々入れないでね.)
には,勝てないでしょう.
軍事力だけとかそういうならば別ですが.
個人的には,前近代においては,ローマ以外
統一された中国に比肩し得る国はないと思います.
175:世界@名無史さん
02/10/23 22:04
スンニ派の全てのイスラム国家は、
オスマン帝国を宗主国として認めていたの?
モロッコやムガールやアチェやブハラ・・・
176:世界@名無史さん
02/10/25 19:47
モロッコは1578年に一時的に認めてたりするが、
ムガール帝国とか中央アジアとか旧モンゴル系はどうなんだろ。
オスマンに勝ったティムールの系統だったりするからなあ。
177:世界@名無史さん
02/10/25 22:15
ブハラやヒヴァはオスマン朝をカリフと認めることもあったようですよ。
178:世界@名無史さん
02/10/26 04:07
ソープランドを昔トルコと言っていたよね
(トルコからの抗議で改名)
イスラム圏にはあーゆーものがあったの?
179:世界@名無史さん
02/10/26 04:08
URLリンク(www.hotcindi.com)
180:世界@名無史さん
02/10/26 10:57
>>178
トルコ風のあかすりサービス付のサウナ風呂にひっかけて
ああいうサービス付の風呂のことトルコって言ってたんだよ。
まあ怒る罠。
181:世界@名無史さん
02/10/26 11:30
ローマでさえ統計的には漢に一歩譲ってるからね。
182:世界@名無史さん
02/10/30 03:41
>>176
中央アジアの各ハン国はオスマン帝国を宗主とみていたらしい。
アストラハン=ハン国とカザン=ハン国がロシアに滅ぼされた時、
オスマン帝国がロシアを撃退するつもりだったらしい。
タイミング悪くこの頃スレイマン大帝は死去。
183:世界@名無史さん
02/10/31 01:27
オスマン帝国の領土の南限は?
184:世界@名無史さん
02/10/31 01:34
アラビア半島の南端
185:世界@名無史さん
02/10/31 01:41
イエメンね。
186:世界@名無史さん
02/10/31 10:14
地図だと赤道付近は小さくなるから気付かないけどオスマン帝国なにげに超巨大だったりするな。
187:世界@名無史さん
02/10/31 19:46
>>186
そうだけど、イエメンはごく短期間しか支配してないし、
エジプト以西は現地の有力者を利用した間接的統治、
ヒジャーズ・クリミア・ワラキア・モルダヴィア・トランシルヴァニア・コーカサスは
現地の君主に服属を認めさせただけの間接統治。
実は中央政府の支配が安定して及んでいた範囲はそんなに広くなかったりする。
188:世界@名無史さん
02/10/31 19:57
アンダルス(イベリア半島)を奪還する計画は無かったの?
189:世界@名無史さん
02/10/31 20:59
>>187
近代以前の帝国ってどこもそんなもんじゃないの?
190:世界@名無史さん
02/11/01 02:41
ハプスブルクやサファヴィー・ロマノフなどライバル王朝の帝国と一緒で直轄地が少ないな。
あの広さを当時の技術で全域統治するのは無謀だが。
191:世界@名無史さん
02/11/01 13:29
だから巨大化した帝国は近代に列強に地方が切り離されたり租借されたりという自体が起こったんだよな。
実はその土地の政権の宗主が移っただけという。
192:世界@名無史さん
02/11/01 21:19
>>188
そんな話はついぞ聞きませんね。なかったんじゃないかな。
193:世界@名無史さん
02/11/02 02:20
>>191
バルカン半島の宗主
トルコ→オーストリア→(フランス・イタリア)→ドイツ→ソ連(→アメリカ?)
194:世界@名無史さん
02/11/04 01:48
>>188
よく知らんけどセリム2世がキプロスを取ったのは進出方向をドイツ方面から地中海方面に転換する政策を採ったかららしい(その所為でレパントの海戦が起きたのは有名だが)。
そのきっかけはイベリアのイスラム教徒の反乱と関係があるとかどっかで読んだ。
195:世界@名無史さん
02/11/24 02:39
age
196:世界@名無史さん
02/12/11 14:23
age
197:世界@名無史さん
02/12/14 14:24
イエニチェリの事を知りたいのですが
どんな本がオススメでしょうか?
教えてください
198:ll
02/12/14 14:26
URLリンク(digikei.kir.jp)
199:世界@名無史さん
02/12/14 20:15
○ムーク朝がイベリアに食指を示さなかった事の方が気になる。
200:世界@名無史さん
02/12/15 05:11
>>197
鈴木菫先生の『オスマン帝国 イスラム世界の柔らかい専制』(講談社現代新書)の
第七章「人材吸収・養成のシステム」が比較的詳しい記述でしょうか。
もっともこの本にあげられた情報もやや詳しいというくらいで、
オスマン朝史に関する概説書ならたいてい取り上げている程度とあまりかわらないかも。
歴史の概説書ではありませんが、軍事史的な取り上げは
メンアットアームズの『オスマン帝国の軍隊』(新紀元社)。
それから『戦略戦術兵器事典3 ヨーロッパ近代編』(学研)に
「知られざる軍事先進国オスマン帝国の実力」という6ページほどの記事を
先述の鈴木先生が寄稿しています。
洋書では私は読んだことがないので内容の保証はできませんが、
『オスマン帝国の軍隊』の著者 David Nicolle と
主にイスラム建築史の本を書いているらしい Godfrey Goodwin という人がそれぞれ
同名の The Jannisaries という本を書いているようです(Amazonで買えます)。
>>199
マムルークはわりと近いキプロス王国には干渉していたようですし、
イベリアは遠いからじゃないですかね。
201:v
02/12/15 05:47
URLリンク(yahooo.s2.x-beat.com)
202:世界@名無史さん
02/12/15 06:19
>>188
遅レスで申し訳ないが、オスマン帝国がイベリア半島から撤退したのは、たしか宰相が代わったから、
地中海からペルシャ方面への政策の転換があって云々ってのを聞いたことがある。
近世のオスマン帝国なら、フェエルナン=ブローデルの『地中海』でしょ。
203:世界@名無史さん
02/12/16 19:46
イベリア半島がオスマン『帝国の領土だったこと無いのに
「撤退」とはこれいかに?
204:世界@名無史さん
02/12/16 20:46
>>203
失礼しました。「イベリア半島」ではなく「地中海方面」です
205:世界@名無史さん
02/12/17 21:02
正直ビザンティンヲタにとってこの国と西欧どっちが憎いと思っているのかな?
206:世界@名無史さん
02/12/19 17:18
>>200
ご親切に、ありがとうございます
『オスマン帝国 イスラム世界の柔らかい専制』と
『オスマン帝国の軍隊』買いました
207:世界@名無史さん
03/01/02 22:11
でもイベリアは、イスラム勢力圏でしょ?。
スパニッシュだって、イスラム系民族との混血だし。
ま、民族ではなく、この場合は「宗教」か。
208:世界@名無史さん
03/01/02 23:31
イベリア半島にはイスラムの技術があったから大航海が出来たという説があるね。
209:山崎渉
03/01/11 13:13
(^^)
210:世界@名無史さん
03/01/13 09:05
>>205
でもコンスタンツ総主教はオスマン下でもきっちり保護されてるし....
オーストリア領の正教会も保護されたんだっけ。
正直漏れも疑問だ。
211:世界@名無史さん
03/01/23 17:43
現代でカリフにふさわしいのはビンラディンだけ。
212:世界@名無史さん
03/01/23 17:58
たまにあがったかと思えば…
213:世界@名無史さん
03/01/23 18:16
>>205
オスマン帝国。
俺がイスラム教嫌いだってのもあるけどね。
214:世界@名無史さん
03/01/31 20:58
去年、山川から小松香織女史のオスマン海軍に関する本が出てたけど、
誰か読んだ?
内容はどんなもんかねぇ?
215:世界@名無史さん
03/02/10 20:29
持ってる人もいるかもだけど、
『オスマン語文法読本』というのがでたらしい。
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)
最近の大学書林は何か凄いな・・・
ペルシア語辞典、さすがに8万も出せんけど(汗
216:世界@名無史さん
03/02/13 06:09
オスマン朝の末裔は今何してるの?
217:世界@名無史さん
03/02/21 15:51
>>216
知り合いの在米トルコ人は、当主は「オスマノウル」姓を名乗りニューヨークでピザの宅配をやっているとか言っていた。
でも、この知り合い自体が胡散臭い奴なのでこいつの言っている事を100%信じる気にはなれないが。。。
218:世界@名無史さん
03/02/28 10:10
>>215
女房を質に入れてでも買え。
大学書林が黒字経営してくれないと、
我輩が心待ちにしているボスニア語対訳教材(CD付き希望)が出ない。
イヴォ・アンドリッチ希望。
219:世界@名無史さん
03/03/05 23:33
オスマン朝の文化ですが、結構ペルシア文化の影響受けてましたよね?
サファヴィー朝とは敵対していたけれど。
220:世界@名無史さん
03/03/06 23:49
サントリー美術館の大トルコ展に行く人いる??
221:世界@名無史さん
03/03/07 23:47
ナポレオン戦争でオスマントルコがどんな行動をとっていたか知りたいです。
詳しい方、いらっしゃいませんか?
222:世界@名無史さん
03/03/08 00:54
>>221
まず、ナポレオンのエジプト遠征のときには、フランスとオスマン帝国は
友好関係にありました。
当時のエジプトは、当時のエジプトは、一応オスマン帝国の版図に入っていた
ものの、実際の統治権はエジプト在住のマムルークに握られていて、ナポレオンは、
マムルウク族に簒奪されているトルコの統治権を回復し、エジプトを解放するための
ためという名目で出兵しました。
223:221の続き
03/03/08 01:01
その後、ロシアはナポレオンのエジプト遠征の報が伝わると、自国の
勢力圏内にあるコンスタンチノープルが脅かされると考え、オスマン帝国に
共同防衛を申し入れました。
ナポレオン側からの親書を受け取っていたオスマン帝国のセリム三世は、
慎重に事態を見守っていましたが、八月一日アブゥキール海戦での
フランス艦隊全滅の報を聞くなり、ロシアの提案を受諾しました。
九月九日、オスマン帝国は、秘密同盟に後押しされてフランスに宣戦を
布告します。
224:世界@名無史さん
03/03/08 01:08
眠いのでミスっちゃいました。
上は「222の続き」の間違いです。
スマソ。
225:221
03/03/08 01:23
222さん、有り難うございます!
トルコは、もうおもいっきりナポレオン戦争に関わっていたのですね。
勉強になりますm(__)m
226:世界@名無史さん
03/03/08 02:02
まだあります
1809~1812 第三次露土戦争
戦争と平和にもちょろっと出てきます
私もそういう戦争があったとしか知りません
URLリンク(www.napoleonseries.org)
上記サイトに経過が載っています
227:世界@名無史さん
03/03/08 12:33
1768~1774 第一次露土戦争
1787~1792 第二次露土戦争
>>221
ところで、ナポレオンとムハンマド・アリーは同時代人なのね。
ムハンマド・アリーは、1798年のアブーキール湾海戦の際、アルバニア人部隊
の一部を地上で指揮していた。
228:オスマンコ馬鹿は、これを読め
03/03/08 19:37
推奨サイト:コンスタンティノープルはギリシャの領土です。
URLリンク(www.geocities.com)
229:世界@名無史さん
03/03/08 21:26
フランスとオスマン帝国は、ハプスブルク家を共通の敵とする理由により、
フランソワ1世(1515-1547)の時代以来、おおむね友好関係にあった。
230:山崎渉
03/03/13 13:11
(^^)
231:世界@名無史さん
03/03/15 01:20
age
232:世界@名無史さん
03/03/25 17:40
【情勢】米海兵隊のオスマン少将が到着、北部に戦線拡大の兆し
1 :んじゃそれで。φ ★ :03/03/25 10:25 ID:???
イラク・サラハディン(CNN) イラク戦争で英米などの軍や地元勢力との調整などを担当する
米海兵隊のオスマン少将が24日、イラク北部入りした。この動きは、イラク北部での戦線が
拡大する兆しと受け止められている。
URLリンク(www.cnn.co.jp)
233:世界@名無史さん
03/03/25 21:22
age
234:
03/03/31 00:48
世界史の教科書だと大体、現在のサウジの領土がオスマントルコの領土から
外れているんだけど、何処が支配していたの?
235:世界@名無史さん
03/03/31 02:18
>>234
メッカのあるヒジャーズはメッカ大公領でオスマンの宗主権(それ以前はエジプトの王朝の宗主権下)。
ペルシャ湾岸地区は部族地域。その中から現在のカタール、バーレーン、クウェートの王家が出てくる。
中央部は長い間統一権力から見放された群小の町邑国家。
その閉塞感から生まれたワッハーブ派がリヤド候国と結び付いたのが現在のサウジの起こり。
ヒジャーズとイエメンの間のアシールは独立していた時期もあったと思うが詳しくは知らん。
236:世界@名無史さん
03/03/31 03:35
あのー、イラク問題っていうのは、オスマントルコの分割が原因なんですか
237:
03/03/31 09:34
>>235
つまり、アラビア半島中央部は小規模な部族社会が続いていて、オスマン帝国も
あえて支配下には治めなかったってことかな?
238:世界@名無史さん
03/03/31 10:54
ヒジャーズ以外はわざわざ支配するほどの価値があったとは思えない。
>>236
それだけではないが、大きな要因。
239:世界@名無史さん
03/03/31 20:44
16世紀のオスマン朝はヒジャーズのほかにも
イエメンとエチオピア沿岸部(エルトリアというべきか)を
おさえようとしてますから、
対アラビア半島政策は紅海貿易ルートの保護を目的としていたようですね。
イラクはというとイラン方面の防衛線として重要だから押さえているという感じ。
240:世界@名無史さん
03/04/01 04:27
>>239
ペルシャ湾岸は貿易ルートとして重要。
ハサー地方(UAEの手前)辺りにまで影響力は延ばしていた。
241:世界@名無史さん
03/04/02 19:02
全般的に勉強できるホームページをキボン
242:世界@名無史さん
03/04/02 19:37
>>241
まずはここで気合いを入れろw
URLリンク(www.osmanli700.gen.tr)
243:世界@名無史さん
03/04/02 20:27
>>241
日本語では存在ないですね。多分。
>>242
そこの上層のURLリンク(www.osmanli700.gen.tr)が
全般的に勉強できるホームページといえるんじゃないでしょうか?
トルコ人の作ったところらしいが英語版もありますし。
244:世界@名無史さん
03/04/04 02:31
>>242
>>243
無理です。
245:山崎渉
03/04/17 09:48
(^^)
246:山崎渉
03/04/20 04:51
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
247:世界@名無史さん
03/05/07 00:00
コソヴォの戦が、1389年、1448年の60年も隔たって2度も戦われたのはどうして?
248:世界@名無史さん
03/05/07 01:24
>>247
単に同じセルビアのコソヴォ平原で戦われただけで別々の戦争ですが。
1389年はコソヴォでオスマン朝がセルビアを破った戦い。
1448年はセルビアに侵入したハンガリー軍をオスマン朝がコソヴォで撃退した戦い。
コソヴォが二度決戦の部隊になった原因は
ここがセルビア攻防の戦略的要衝だからでしょう。
672年の壬申の乱と1600年の関が原の戦いが
ともに関が原で決戦が行われたのと同じ理由で。
249:世界@名無史さん
03/05/07 02:00
>>248
壬申の乱の決戦は大津京手前の瀬田橋
不破の関は大海人皇子の本陣ではないか
同じ場所と言うとタンネンベルクとか川中島とかもありますね
250:パシッチ ◆mWYugocC.c
03/05/08 10:22
>>247-248
二度じゃなくて三度です。
1915年、第一次大戦に参戦したブルガリアが、セルビア軍を破った戦い。
どれも東側が勝ってるんですよね。
251:世界@名無史さん
03/05/10 15:06
>>248
>ここがセルビア攻防の戦略的要衝...
から、どうしてセルビア人は退散して、アルバニア人に土地を譲ったのですか。
252:248
03/05/10 19:58
>>251
通説によると…17世紀末のオーストリア・オスマン戦争の際
一時はベオグラードを占領したオーストリア軍の更なる南進を期待して
ペーチ(現在はコソヴォ州西部の小都市)にいたセルビア総主教が
このあたりのセルビア人を焚きつけてオーストリア側に参戦。
ところが結局ベオグラードはオスマン側に奪還されてしまい、
コソヴォのセルビア人は大挙してオーストリア領に入って
セルビア北部ヴォイヴォディナの国境緩衝地帯に移住し、
さらに18世紀前半には20年ほどベオグラードがオーストリア領に入った時期もあり、
北への移住がますます進んで代わりに南からアルバニア人が入ってきたそうです。
ペーチ総主教座は18世紀後半に廃止されているので、
そのころにはセルビア人がほとんどいなかったのではないでしょうか。
>>249
壬申の乱勘違いしてました。
恥ずかしいのでsage
253:世界@名無史さん
03/05/11 23:26
どうしてイェニチェリやデウシルメ制で集められる人は
キリスト教徒であって、ユダヤ教徒やアルメニア人は
免除?あるいは除外?されたのですか?
教科書にはそう書かれているけれど理由がわからない。
254:世界@名無史さん
03/05/12 00:47
>>253
ユダヤ教徒やアルメニア人の土地はまるごと確保しているので不要。
ところが、キリスト教徒は、背後のロシアやオーストリアやベネツィアと結びついて
反乱を起こす可能性がある。
一種の人質として有力者の師弟を徴発してきているから、離反の可能性の高いところ
からは重く、可能性の低いところからは軽く、集めることになっているのでは?
255:世界@名無史さん
03/05/12 23:58
>>253
デヴシルメを行っていた頃のオスマン朝バルカン農村の徴税単位は
青年既婚男子とその扶養家族からなる戸を単位としてたことから考えると、
デヴシルメによる未婚男子の徴収(一人っ子は除外)というシステムは
キリスト教徒農村からの余剰人口吸い上げという面があったのではないでしょうか。
この地方ではユダヤ教徒もアルメニア正教徒もほとんど都市民ですから、
あんまり関係なかったのではないかと。全くの憶測ですが。
>>254
デヴシルメ制が確立されたとされるムラト1世~バヤズィト1世の時代は
東アナトリア・南コーカサスにはティムール朝の勢力が及んでいましたから
アルメニア人居住地帯はまるごとどころかほとんど確保されていないし、
バヤズィトの遠征には没落時のアンカラの戦いに至るまで
(1389年のコソヴォの戦い以来オスマンの臣下になった)セルビア君侯ら
多くのキリスト教徒軍が参戦してることを考えると
キリスト教徒警戒論には少々無理があると思います。
ちなみにデヴシルメが大々的に行われ対外戦争が盛んだった16世紀ですら
バルカン地方には多くのキリスト教徒スィパーヒー(騎士)がいました。
支配階層・軍隊からのキリスト教徒の締め出しが強まるのは
むしろデヴシルメ制度が衰退した17世紀以降の現象であるようです。
256:世界@名無史さん
03/05/13 15:43
うわぁ、ありがとうございます。
確かに、農村からですものね
ユダヤ教徒は都市民だわ、うん。
イェニチェリに入っても弱そうな感じはするんだ。
面白い制度だなって思ってるんです
詳しい本ってありますかね?
「デウシルメ制があった」くらいのことしか書かれてない本しか
いまだに読んだことのない未熟者からの質問です。
257:世界@名無史さん
03/05/13 16:57
中世にはキリスト教徒は野蛮で無教養だったから
強健だというだけのことじゃないの?
日本でも防人は関東から徴発したじゃん
258:255
03/05/18 00:17
>>256
デヴシルメを含む制度史を重視する概説書として
鈴木菫『オスマン帝国』(講談社現代新書)
林佳世子『オスマン帝国の時代』(山川出版社・世界史リブレット)
の二冊をあげられますが、近年の概説書ではいずれも
デヴシルメについてはせいぜい数ページしか記述がありませんねぇ。
オスマン朝の制度を解説した和書は
日本におけるオスマン史の開拓者である三橋冨治男先生の
『オスマン=トルコ史論』(吉川弘文館)が未だに唯一と言ってよい状況で、
この本では一章を割いて説明していますが、
ただ40年近く前のものなのでカナ表記が最近の慣例と異なったり
今となっては全く通用しない旧説がそのままであったりする難があります。
259:山崎渉
03/05/21 22:14
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
260:山崎渉
03/05/28 15:47
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎―◎ 山崎渉
261:世界@名無史さん
03/06/02 02:30
>デヴシルメ
オスマン帝国の権力とエリート / 鈴木董
概説では無いけど徴用された少年たちがどんなコースを歩んで
イェニチェリや官僚になるのかが良く分かる。
イスラム世界の奴隷制についても説明されてたはず。
三橋冨治男さんのデヴシルメについての論文がある。
ハゲは不合格とか面白いことが書いてある。
「ユダヤ人は信用できないから徴用しない」
と書いてあった気がする。まあ昔の論文だから・・・
「オリエント」の古い号に載ってたと思う。
マムルーク / 佐藤次高
デヴシルメとは関係ないけど参考になる。
262:世界@名無史さん
03/06/05 10:43
>三橋冨治男さんのデヴシルメについての論文
『史学雑誌』 72巻7号(1963年)の
「オスマン・トルコのデウシルメについて」じゃないでしょうか。
263:世界@名無史さん
03/06/23 19:46
第一次大戦末期、崩壊寸前の混乱が群雄伝って感じで面白いですね。
ケマルがとにかくかっこいい。
政治も前線の戦闘指揮もできるなんて中国の英雄や戦国武将ですか?って感じ。
歴史書を読んでいても血沸き肉躍ります。
ケマルを主人公にした小説、漫画ってありませんか?
上手く描ければ、ケマルっていいネタだと思う。
北方謙三でも小説書いてくれないかな?いや、もうマジで。
264:世界@名無史さん
03/07/03 00:10
>>255
>バヤズィトの...没落時のアンカラの戦い...
陽の出の勢いだったバヤズィトのティムールへの敗因は何だったのですか。
265:世界@名無史さん
03/07/11 15:06
スルタン、(;´Д`)ハァハァ
266:山崎 渉
03/07/15 12:39
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
267:なまえをいれてください
03/07/17 19:12
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
268:世界@名無史さん
03/07/19 14:15
モハーチの戦いってオスマン関係?
269:世界@名無史さん
03/07/19 16:40
今夜9時、NHKスペシャル「押すマンコ、引くマンコ」みましょう。
270:世界@名無史さん
03/08/12 14:02
>>268
>1526年、ハンガリー王国と交戦し、トランシルバニア方面を獲得した戦です。
271:月と星より ◆jaxQ5494pE
03/10/08 04:52
はじめまして。
スレイマン大帝の話で申し訳ありませんが、
1520年に26歳で即位してから、
その年のガザリのシリアの反乱、
21年の第一次ヨーロッパ遠征とベオグラード攻略、
22年のロードス島攻略、
24年のアメフト=パシャのエジプトの反乱、
26年の第二次ヨーロッパ遠征とモハッチの戦い、
27年のカラマンの反乱、
・・・と毎年のように戦が続いていますが、
戦費はどのように工面していたのでしょう?
やっぱり、地中海交易?
簡単にで結構ですので、教えて頂けますと嬉しいのですが。
272:月と星より ◆jaxQ5494pE
03/10/10 02:21
う~ん、もう人がいないのかな?
致し方ないですね。
ついでですからつづきを・・・。
29年に第三次ヨーロッパ遠征で第一次ヴィーン包囲が行われますが、
二人のハンガリー王の問題とも絡み合って、事態はトルコ側の有利に動いていきます。
こんな感じでいいのかな?
273:世界@名無史さん
03/10/13 18:41
age
274:世界@名無史さん
03/10/13 19:43
>>271
Halil Inalcikの本でも読めば?
275:電撃王・バヤジッド
03/10/13 19:45
ティムール氏ね。
276:びっこのティムール
03/10/13 19:48
>>275
無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァ!!!
277:世界@名無史さん
03/10/13 21:30
セムも昔は多神教を奉じていたというのに。
すべてはユダ公の責任。
278:世界@名無史さん
03/10/14 01:03
>>271
sageで書かれると誰も気付かないです。ageられると変な書き込みが増えるけど。
思いつきなのでInalcikの本でも読めば違うことが書いてあるでしょうが、
地方の検地が行き届いて徴税機構がしっかりしており、
中央のほうは常備軍と官僚機構がまだ小規模で
宮廷と中央政府の経費が少なく、
地方から吸い上げた富をほとんど戦争に使えたため、
バヤジト2世の時代の消極政策時代に蓄えた富と
セリム1世の時代に獲得したエジプトの富とを
ほとんど戦争につぎ込むことができたためではないでしょうか。
ティマール制の機能しているうちは
騎兵は自分の経費で戦争に参加するので
中央政府の軍費は少なくて済むということもあるかもしれません。
スレイマンの時代に無茶をしすぎたせいか、
16世紀の後半に入ると常備軍の拡大やらティマール制の崩壊やらが始まります。
279:世界@名無史さん
03/10/14 22:22
ところでティマールの語源てなんなの?ティムール?
280:世界@名無史さん
03/10/14 22:24
手マムール朝VSオスマムコ朝対決か・。・・・
ゴクリ¥・・・
281:電撃王・バヤジッド
03/10/14 22:47
>>279
ティムールはなあ、AD1402年(だったかな?)のアンカラの戦いでおいらの手勢のモンゴル騎兵を寝返らせたばかりか、
ウチの領内の井戸という井戸にウンコを投げ込んで水攻めにしたいじめっ子なんだぞー。
おいら、それが原因で憤死しちゃったんだぞー。
ティマールてのはなー、イスラムの封建制であるイクター制の進化形ってきいたことがある。
282:世界@名無史さん
03/10/14 22:51
明入りした信長軍は大船団&征西軍を率い、ムガル朝を滅ぼし、
♂マンコ朝と激突しようとしていた!!!!!
283:将軍様
03/10/14 23:25
本宮漫画の見すぎニダ。
284:天地夢之助
03/10/14 23:28
ヌルハチは舎弟だ。
285:月と星より ◆jaxQ5494pE
03/10/15 05:38
>>278
①徴税機構・・・『ハラージュ』や『ジズヤ』のことですね。
②バヤズィトⅡの消極政策時代に蓄えた富・・・なるほど。(笑)
③セリム1世の時代に獲得したエジプトの富・・・これってメッカ・メディナの統治も関係あります?
④ティマール制・・・土地恩給と軍事奉仕の制度ですね。
了解しました。
返答ありがとうございます。
ついでにつづきを・・・
32年の第四次ヨーロッパ遠征。ギュンヌ包囲とスティリアでの戦闘。
前回のヴィーン包囲は9月下旬に行ったため時は逸していたようですが、
今回は満を持しての遠征となりました。
でも、時間がかかり過ぎて結果的には失敗とのこと。
同年、ジェノヴァのアンドレア=モレアのモレア侵攻。
コロン・パトラスを失っています。
33年にスレイマンⅠ大帝はハプスブルク家とサポヤイ=ヤーノシュの間を調停し、
東方のサファビー朝ペルシアに対する戦争の準備を進めますが、
他方、バルバロッサを登用して地中海方面でハプスブルク家に対抗していきます。
こんな感じでいいのかな?
286:パシッチ ◆mWYugocC.c
03/10/15 23:03
「月と星より」さんがsageたがるのは、日本史板の北条スレで、スレが上がるたびに荒れた経験を持つからである。
……多分。
287:278
03/10/16 02:46
じゃあsageで細々と。
>>285
オスマン朝ではハラージュといえば人頭税のことですけどね。
>これってメッカ・メディナの統治も関係あります?
そちらではシャリーフ(いわゆるメッカ太守)が自主的にやっていたはずで、
オスマン朝側が援助を施すことはあっても上納を取り立てることはなかったと思います。
>ティマール制・・・土地恩給と軍事奉仕の制度ですね。
これは、違います。
ティマール制でシパーヒーに与えられるのは、
ある土地を耕作する農民から取り立てられるべき税の徴税権と
その税収入の全額であって、土地の支配権は恩給されていません。
オスマン朝の建前では土地は国家の財産(税は国家への地代支払い)で、
ティマール制やそれに代わるイルティザーム(徴税請負制)は、
ある税源を政府で調査(土地なら検地)していくら取れるか確定させ、
その税源から税金を取る権利を軍役と引き換えに与えたり
前払い金と引き換えに請け負わせたり、というやり方です。
288:月と星より ◆jaxQ5494pE
03/10/17 03:45
>>286
この板に来て、まだ日が浅いというのに、もうバレているし・・・。
>>287
ご指摘、サンクス~♪
政治面がいま少し疎いので間違えが多々ですね。
ついでにつづきを・・・。
33年~34年にペルシア遠征が起きます。
34年7月にダブリーズを占領。さらに12月にバクダートを占領。
35年4月~36年1月にも再度遠征が起きます。
でも、この二つの東方遠征は成功だったのでしょうか?
36年3月、大宰相イブラヒム=パシャ、死去。
289:パシッチ ◆mWYugocC.c
03/10/17 22:23
それはね、私がその北条スレに名無しで参加してたからなんですよ。
オスマン朝下のバルカンの状況について詳しい本はないもんかなー。
290:世界@名無史さん
03/10/18 01:21
>>289
柴宜弘編『バルカン史』(山川出版)が一番よいと思います。
この本のオスマン時代の筆者による近代バルカン史の学術著が最近出ましたね。
291:世界@名無史さん
03/10/18 01:34
>>278
バヤズィト2世の治世は弟のスルタン・ジェムの問題もあって、ヨーロッパ戦線は膠着したが、
バヤズィト2世は度々、北シリアの領有をめぐってマムルーク朝に対して遠征を行っているので、
決して対外消極策を採ったわけではないと思うけど。
マムルーク朝スルターンのカーイト・バーイは対オスマン朝をはじめとする北シリアへの16回もの
出兵で約700万ディーナールもの戦費の支出を強いられたくらいだから、オスマン朝側の支出も
相当なものだったのでは。
>>279
ティマールの語源はペルシア語で「世話」の意味の「ティーマール」で、テュルク語で
「鉄」を意味する「テミュル」のペルシア語読みの「ティ(ー)ムール」とは関係ない。
292:世界@名無史さん
03/10/18 01:36
>>285
ウマイヤ朝やアッバース朝じゃないんで「ハラージュ」や「ジズヤ」ではなく、
ティマール制施行地の場合の税制は・・・
チフト税(土地税)・・・・・土地の保有に対する税で、年額三十三銀貨の地域が多い。
非ムスリムの場合にはイスペンチェ税の名で呼ばれた。
ウシュル(十分の一税)・・・字義的には十分の一だが実際の税率は生産物によって異なり、
三分の一や五分の一などと高く、現物納であることが多い。
・・・の二本立てだったと本に書いてあるけど。
293:世界@名無史さん
03/10/18 01:37
>>288
「ダブリーズ」じゃなくて「タブリーズ」でしょ。
スレイマンの東方遠征に対してサファヴィー朝は、チャルディラーンの敗戦に懲りていて、
圧倒的な火力を有するオスマン朝との大規模な会戦は避けてたんじゃないの?
サファヴィー朝のシャー、タフマースブはアゼルバイジャンとイラクは最初から放棄して、
焦土作戦とゲリラ戦術に徹していたくらいだから。
オスマン朝にすれば、兵站線の確保に気をつけるだけでタブリーズやバグダードの占領は
容易だったのでは。
>>289
オスマン朝支配下のバルカン半島については恒文社からユーゴスラヴィア史、ボスニア・
ヘルツェゴヴィナ史、ルーマニア史、ハンガリー史などの翻訳が出てたと思う。
「バルカン史」というくくりならば、山川出版社の新版世界各国史18・バルカン史やワシントン大学
出版局から出てるPeter F. SugarのSoutheastern Europe Under Ottoman Rule,1354-1804があるよ。
294:293
03/10/18 01:42
山川の『バルカン史』のついては290の人に言われちゃってたな。
ageちゃったよ。
295:月と星より ◆jaxQ5494pE
03/10/19 04:01
>>289
そうだったのですか。世の中、意外と狭いものですね。
>>292
返答ありがとうございます。
内政関係の事情を整理します!
>>293
ぐはっ!何かやらかしちゃっていますし・・・。
35年のペルシア遠征の方では、
トルコ軍も天候にも恵まれていたにもかわらず、
行軍に時間を費やしていますから、
必要以上の重装備で遠征していたのでしょうね。
でも、これって会戦を想定した重装備ですから何となく笑えます。
296:パシッチ ◆mWYugocC.c
03/10/19 09:09
>>290,293
有り難うございます。『バルカン史』は読んでみたんですが、物足りなくて。
『ドリナの橋』を読んで、結局のところどういうふうに統治してたのかな、という疑問が湧いたんですが、
『バルカン史』にはそこら辺の具体的な話がないんですよね。
やっぱ
>Peter F. SugarのSoutheastern Europe Under Ottoman Rule,1354-1804
これか、これ読むしかないのか。
シュガーって確か刀水の『東欧のナショナリズム』書いた人ですね。
読みにくかった覚えがあるんだよなあ……
>>295
まあそんなわけなんで、まったり行きましょう。ここであったのも何かの縁。
297:世界@名無史さん
03/10/24 18:15
スレイマン大帝の例の王の中の王、パディシャーの口上に出て来る
「タタールとキプチャクとブタ」のタタールはクリミアのことだろうが
キプチャクってどこのこと?
キプチャク平原にまで支配権が何か及んでたとか?
ブタはハンガリーのことでいいの?
298:世界@名無史さん
03/10/24 21:38
>>297
>キプチャクってどこのこと?
多分ノガイでしょう。当時は黒海北岸からカスピ海北岸あたりまでにいたはず。
>ブタはハンガリーのことでいいの?
そうです。ハンガリーはブダ州という行政単位にされていました。
299:世界@名無史さん
03/10/25 10:56
あの口上にヒジャーズが入ってないのはなんででしょう?
300:298
03/10/25 17:35
「メッカ・メディナ両聖都の守護者」も入ってませんでした? なんででしょ…。
301:世界@名無史さん
03/10/25 22:33
URLリンク(www.infoseek.livedoor.com)
URLリンク(www.geocities.co.jp)
URLリンク(www.geocities.co.jp)
URLリンク(www.geocities.co.jp)
URLリンク(www.geocities.co.jp)
URLリンク(www.geocities.co.jp)
トルコ屈指の美男子ハァハァ(´Д`;)
302:世界@名無史さん
03/10/27 16:18
クリミア帰属問題って、トルコは何言う権利もないんですかね?
そうなると泥沼ですが。
303:世界@名無史さん
03/10/27 21:31
>>302
現在は政府に接近してウクライナ帰属に賛成しているクリミア・タタールが
独立国家を主張したらトルコ政府が支援するかもしれないですが、
権利回復運動だけで精一杯のタタールが危険な独立運動に踏み切る可能性はまずないような。
304:世界@名無史さん
03/10/27 22:27
クリミアって国はあってもおかしくない気がするけど、
いつの間にか闇に葬られてますな。
ウクライナってのはドニエプル河のあっちのことなのに。
305:世界@名無史さん
03/10/28 11:52
16世紀頃タタール人支配層はオスマン朝よりロシアを選んだって話があるけど
本当なんだろうか?
306:名無しタタールさん
03/10/28 13:56
>305
まあ、オスマンにはt.A.T.u.いないしね。
307:世界@名無史さん
03/10/28 17:54
>>306
かわりにタルカンがいる。
308:世界@名無史さん
03/10/28 18:45
イルハンもクリミアから引き上げて来た事だし、
クリミアは少なくともトルコ寄りだと思うけどな。
309:世界@名無史さん
03/10/29 01:47
帝王の時代直後のハサーラッシュに何度苦しめられたことか…
310:世界@名無史さん
03/10/29 21:05
すんごい詳しい方が居られるようなのでお伺いしたいのですが…。
イエニ・チェリをぶっ潰したマフムート2世のママンがジョゼフィーヌ(旦那はフランスのチビでデブでハゲな人)の従姉妹と聞いたことがあるのですが、信憑性はあるのでしょうか?
それとも吹かし?
桐生操か塩野ななみだったかの本に書いてあったのを呼んだことがあるんすよ。
311:世界@名無史さん
03/10/30 00:03
>310
何年はなれてるか知ってる?
312:GGG
03/10/30 00:06
ニュース速報キタ━━━(゚∀゚)━━━ !!!!!
24時現在、38人死亡、150人異常が重軽傷!新宿駅前騒然!!
【ヤクザ】抗争!!全面戦争の恐れも!マシンガン連射!!【手榴弾】
URLリンク(www.amezor.to)
313:世界@名無史さん
03/10/30 03:52
>>310
ヨーロッパではかなり有名な話だけど、
18世紀の末にジョゼフィーヌの従姉妹が乗った船が大西洋で消息を断ったこと、
当時大西洋ではアルジェリア海賊が猛威をふるっていたこと、
アルジェリアの海賊は捕まえた女から美人を選んでイスタンブルに送っていたらしいこと、
マフムート2世の母后はキリスト教徒だったらしいこと、
それくらいしか確かな事実はないはず。
19世紀の末くらいにイギリスあたりの作家が言い出した与太が一人歩きしたらしいです。
314:世界@名無史さん
03/10/30 18:17
>>311
マフムート2世(在位1808~39)の義理の親父がルイ16世のペンパルだったらしいのでナポレオンと同時代の人物です。
>>313
可能性はないとはいえないけど、信憑性はかなり低いんですね。
ありがとうございます。今夜からぐっすり眠れそうです。
315:世界@名無史さん
03/10/30 23:30
ルイ16世のお友達セリム3世はマフムト2世の義理の親父ではなく従兄弟です。
ちなみに息子が即位する以前の皇子の母が国政に参与できる可能性はまずゼロです。
そのへんは確実に与太w
316:世界@名無史さん
03/10/31 02:30
トルコはなんで、弱くなってしまったのでしょうか。17世紀頃までは
ヨーロッパよりも科学が進んでたらしいのに。
317:世界@名無史さん
03/10/31 04:10
>>316
あまりにシステムが完成され過ぎて保守しすぎ
気付くと身動き出来なくなっていたのです。
318:世界@名無史さん
03/10/31 23:28
>>315
セリム3世とマフムート2世は親子ほど年は離れているけど義理の兄弟でしたね。ご指摘ありがとうございます。
>>316
原因はいろいろあると思います。
1…科学技術は遅れ、昔ながらの制度に縛られていたとしても、18世紀前半までは動員できる兵隊さんが多いので何とかなっちゃった。そのため改革は後送りに……。
(1639年、ヴェネティアよりクレタ島を奪う。1710年、ピョートルの軍隊を蹴散らす。)
2…お馬鹿な皇帝を量産。
(お家騒動を防ぐため、目をつぶされたり喉をつぶされた奴隷に囲まれるという素敵な環境で、皇子達をそれぞれ一つ部屋に監禁していた。こんなんじゃまともな統治者が生まれるわけありませんよね。ちなみにオスマン3世は50年間幽閉されていたそうです。)
ほかにも多くの原因がありますが、前にレスされた方がいろいろ分析されてます。
319:世界@名無史さん
03/10/31 23:49
レス、どうもありがとうございます。皇族幽閉の制度はどうにかならなかった
んでしょうか?オスマン帝国は18世紀頃までは強い国だったわけですから、
改革すれば西欧列強に入れたのではと思います。列強に入れず、逆に侵略の
対象となってしまったのがとても残念です。
320:世界@名無史さん
03/11/01 00:36
反乱が多発する国はいづれ衰退するでしょ。
321:世界@名無史さん
03/11/01 03:47
>>319
オスマン帝国にもロシアばりに何回か改革の試みがありました。
結構どれもイイ線行ってるのに失敗する。
調べると面白いよ。
322:世界@名無史さん
03/11/09 03:26
青年トルコ党がカリフ制廃止せずに傀儡として残しておけば
原理主義はなかったか
323:世界@名無史さん
03/11/10 11:29
>>322
は?
324:世界@名無史さん
03/11/10 12:34
近代化OKの宗教勅令のようなものを全ムスリムに指令させる
325:世界@名無史さん
03/11/10 19:29
オスマン帝国は確かに18世紀には衰退が始まってたが、
18世紀前半は改革路線もあったりロシアも撃退したりして
実は列強も全然手が出せていない。
18世紀後半になってボロが出て来て、目に見えて列強に敗北してくのは19世紀に入ってから。
326:世界@名無史さん
03/11/10 20:33
20世紀になると大清帝国同様西欧列強の草刈場に・・・(涙
327:世界@名無史さん
03/11/13 07:40
言われるほど情けなくもないと思う、特に清国は。
どちらも老大国らしく意外としたたかに立ち回っているのでは?
328:世界@名無史さん
03/11/13 22:17
まあ宮廷はボロボロだったからね。
でもバルカン戦争あたりまでは老体ながら超大国だったんじゃない?
清もボロボロになってくのはアヘン戦争あたりからだよね。
清もオスマン帝国も18世紀はイメージよりぜんぜん強靱では?
329:月と星より ◆jaxQ5494pE
03/11/16 22:20
>>328
オスマン朝トルコ帝国の場合・・・
エジプト&スエズを押さえたイギリスと、
南下政策により黒海を押さえたロシアの対立という背景も大きいですよね。
結果的にはドイツと手を組んで共に滅びてしまいましたが・・・。
清王朝の場合・・・
私的には『同治中興』とかで頑張っていたような気がしますので、
ボロボロは日清戦争あたりからかな・・・?(あまり詳しくはないので。)
330:世界@名無史さん
03/11/17 00:20
オスマン帝国はバルカン半島に当地の重心おいていた?
アラブ人地域は、統治力最盛期であっても在地豪族同士の内戦が続発していた。
331:世界@名無史さん
03/11/24 12:02
>>330
どこの地域からの税収が一番多かったんでしょう?
また、最末期、アジアで反乱が起きると
「オスマン家はヨーロッパへ帰れ!」と言われ、
ヴァルカンで反乱が起きると
「トルコ人をアジアへ追い返せ!」なんて言われてた。
アジアでもヨーロッパでもない「オスマン帝国人」と言う概念は両方共に理解してもらえませんでしたとさ。
>>329
歴史的に同盟国であったフランス(対ハプスブルグ家で)やスウェーデン(対ロシアで)との友情をもっと強く築いていたら、後の衰退も幾分緩和されたかな?素人考えですけど。
ナポレオン戦争後のウィーン会議で完全シカトされ、現在にいたるもヨーロッパファミリーの一員になれなかったのがとんでもなくマイナスだったと思うっす。
332:世界@名無史さん
03/11/24 12:07
>>331
ヴァルカンって・・・
バルカンは「Balkan」であって、決して「Valkan」ではないんだがな。
333:世界@名無史さん
03/11/24 12:38
ヴェートーベンと書いてみたい年頃なんだよ
334:世界史@名無史さん
03/11/25 18:54
ロクセラーナに関心を持っている者ですが、彼女については本によって記述が矛盾している部分があります。
没年が1561年と1558年。
最近出た著書では1558年に統一されていますが七十年代以前に出版された本では併記されていたり、どちらかだけが載っています。
理由をご存知の方教えて下さい。
ジハンギルの生母がロクセラーナではなくムスタファの生母マヒデヴランと記述している本がある。
ジハンギルの生母はロクセラーナなのですか。マヒデヴランなのですか?
偽王子ムスタファ事件の詳しい経緯をご存知の方教えて下さい。
ロクセラーナが後継者に望んだのは本によってはセリムだったりパヤジットだったりします。
どちらの説が有力なのですか。有力な根拠も教えてくれるとありがたいです。
日本史では北政所ねねは人望厚い良妻。という風なイメージが定着していますがトルコでは
ロクセラーナはどのようなイメージをもたれているのでしょうか。
色々と質問しまくり恐縮ですが、親切な方お教えください。
335:世界@名無史さん
03/11/28 15:28
>>331
スウェーデンとは北方戦争はじめ地味にいろいろやってますね。
北欧と黒海貿易の関係とも実はつながりがありそうです。
336:世界@名無史さん
03/11/28 20:28
チャーチルに欧州の病人と揶揄された土耳古。
夷スラム帝国は前世紀の遺物にすぎない。
1世紀たった今もテロでシナゴーグ爆破する
土耳古はDQNの居場所。
337:世界@名無史さん
03/11/28 21:24
ビザンツもオスマンもようわからん。
338:世界@名無史さん
03/11/28 23:07
どっちかてゆーとトルコは被害者だろ。
シナゴーグの事件は。
339:世界@名無史さん
03/11/28 23:25
>>336はあちこちでウザい電波を発散してるDQN。
相手して得はない。
340:世界@名無史さん
03/12/08 22:53
講談社現代新書の「オスマン帝国」以外に、
初心者向けの本があったら教えてください。
341:カラジチ ◆mWYugocC.c
03/12/08 23:17
>>340
ちょっと高い上になかなか置いていないけど、
クセジュの『トルコ史』は結構詳しいです。
342:世界@名無史さん
03/12/09 01:44
クセジュは古いのが難かな。あとはこんなもん。
永田雄三・羽田正『成熟のイスラーム社会』(中央公論社・世界の歴史)
永田雄三(編)『西アジア史2 イラン・トルコ』(山川出版社・新版世界各国史)
林佳世子『オスマン帝国の時代』(山川出版社・世界史リブレット)
343:世界@名無史さん
03/12/09 01:49
>>341
お返事ありがとうございます。
クセジュにそんな本があったんですね。
今度さがしてみます。
344:340, 343
03/12/09 01:54
>>342
あ、書き込んだら>>342が現れた…。
色々な本を教えてくれてありがとうございます。
とりあえず手に入るものから読んでみます。
345:世界@名無史さん
03/12/10 01:28
オスマンの近代化が、単なる西洋化と言えるかどうかについて今検証してるのですが、
何か良い資料を知っている方がいましたら教えていただきたいのですが。
また、意見も聞きたいと思ってるのですが。
346:世界@名無史さん
03/12/10 19:14
>>345
オスマン語の史料のことですか?
347:世界@名無史さん
03/12/10 23:25
>346さん
出来れば日本語か英語の文献、もしくは本が知りたいのです。
348:世界@名無史さん
03/12/18 06:50
近代史全体の通史なら、
日本語だと新井政美『トルコ近代史』(みすず書房)
英語だとErik J. Zurcher, Turkey: a Modern History (I.B.Tauris)
が定番でしょうけど、もう知ってるかな。
349:月と星より ◆jaxQ5494pE
03/12/22 00:59
いい感じで沈んできましたので久しぶりに。
だいぶ前に聞いたことなのですが、
1538年、1551年、1552年、1553年と、
計4回のインド洋遠征が行われたようです。
でも、詳しく書かれた本に廻りあったことがありません。
そんな本はあるのでしょうか?
350:世界@名無史さん
03/12/23 20:25
古い本なので参考程度に。
日本におけるオスマン研究の先駆者、三橋冨治男先生の
『オスマン帝国の栄光とスレイマン大帝』に2~3ページほど載ってます。
同じ著者の『オスマントルコ史論』にもあったかもしれません。
手元にないので確認できませんが。
351:月と星より ◆jaxQ5494pE
03/12/25 04:53
>>350
古い本ですね。
図書館に行けば・・・?
はっ!もう、今年中には行けません。(がーん!)
でも、ヨーロッパ方面、ペルシア方面、アフリカ方面(地中海)はよく載っているのに、
アラビア方面(イエメン、マスカット)ってほとんど載ってないのは何故でしょう?
やはり、重要視されていないのかでしょうか。
352:月と星より ◆jaxQ5494pE
03/12/25 04:55
あっ、書き忘れました。
>>350
Thanks!
353:世界@名無史さん
03/12/26 01:34
よく知らないのですが、あまり史料がないのかもしれません。
イエメン州、エチオピア州は存続期間短いですし。
そういえばあのピーリー・レイスはインド洋遠征で失態をやらかして処刑されたとか。
354:世界@名無史さん
03/12/26 10:06
>>353
オスマン朝のイエメン遠征についての史料なら、最近、アラビア語史料の英訳や仏訳が出てるやん。
URLリンク(www.amazon.co.jp)
URLリンク(www.amazon.com)
355:353
03/12/27 13:57
>>354
お恥ずかしや。
356:世界@名無史さん
03/12/27 14:01
しかもageてしまった。
鬱だ…
357:世界@名無史さん
04/01/01 21:14
バヤズィト1世の伝記ってあります?
スレイマンやメフメトのは邦訳でも見たことが
あるんですが・・・。
洋書でも、伝記というのはまだ出てないんでしょうか?
宿敵のティムールなら洋書でも伝記はあるんですけどね・・・。
358:世界@名無史さん
04/01/03 11:49
دولت عاليه عثمانيه
359:世界@名無史さん
04/01/05 19:28
バヤズィット1世の頃はまだ、現存するオスマン語の史料も少ないだろうからなあ。
360:世界史@名無史さん
04/01/09 12:41
1月七日に放送されたNHKハイビジョン番組
トルコ・トプカプ宮殿の光と影 スルタンとハレムの女たち
見た人詳細報告してください。
361:世界@名無史さん
04/01/10 05:57
>>359
史料全然ないっす。
>>357
webcatで検索してみると、
The foundation of the Ottoman Empire : a history of the Osmanlis up to
the death of Bayezid I, 1300-1403
っつう本くらいしか見当たりませんね。
なにぶんバヤズィトと同時代のオスマン年代記は現存しないので、
伝記で単独の著書というのは難しいんじゃないでしょうか。
>>358
たぶんスペルちゃいます。
دولت عليه عثمانيه
362:世界@名無史さん
04/01/11 04:22
>>360
見たよ。
ハレムの女性たちがいかに自由を束縛されていたか、
またオスマン朝の王子たちが皇位継承までは幽閉の身であり、
血なまぐさい権力闘争がいかに行われていたか・・・等々。
主に皇位継承の際の兄弟殺しに重点を置いていた感じがする。
まあ、見た後は気分が暗くなってオスマン朝が嫌いになるよ・・・。
363:世界@名無史さん
04/01/18 08:09
メフメト2世の肖像画、2種類見たことがあるけど、
いずれも花の匂いをかいでいました。
何か粋人的なエピソードでもある人なんですか?
364:世界@名無史さん
04/01/19 21:08
>>363
山田篤美『ムガル美術の旅』朝日新聞社 1997年 では、「片手に花を持つポーズは15世紀のイタリアでは人物像を
描く時によく使われる手法」であったことから、メフメト2世がヴェネツィアやナポリのイタリア人画家をイスタンブルに
招いて、トルコ人画家に肖像画の描き方を習わせていた時に、このポーズがイタリアのルネサンス絵画からオスマン絵画に
取り入れられたものである、としています。
365:世界@名無史さん
04/01/24 00:05
>>364
ご教示ありがとうございます。
講談社現代新書の「オスマン帝国」という本を買い、少し読みましたが、
この本ではメフメット2世という人物を、西欧の文化に関心を持ったほとんど唯一の
オスマン朝君主、と紹介していました。
ついでに、この本には「ヴェネツィアのベッリーニによるメフメット2世像」とキャプションの
付いた肖像画が載っています。こんな西洋人作の肖像が残っているスルタンは、
やはりこのメフメット2世だけということになるんでしょうかね。
366:世界@名無史さん
04/01/26 01:08
「オスマンvs.ヨーロッパ―〈トルコの脅威〉とは何だったのか」(講談社選書メチエ)
新井 政美 (著)
URLリンク(www.amazon.co.jp)
読んだ人いる?
367:世界@名無史さん
04/01/28 08:42
午前10時台に鈴木董先生がNHKラジオ第一に出演されるみたいだな。
368:世界@名無史さん
04/01/28 10:22
本当だ鈴木先生が喋ってる!
369:世界@名無史さん
04/01/28 10:55
面白かったなー
370:世界@名無史さん
04/02/01 16:54
>>363
バラの花の香りは王者を示す定型表現です。
371:世界@名無史さん
04/02/19 22:40
親西欧のスルタンって言ったらアフメト3世は?
372:世界@名無史さん
04/02/19 22:41
オス マンコチョー大
373:世界@名無史さん
04/02/19 22:54
スレイマン1世って、神聖ローマ皇帝カール5世だか相手に
「自身こそローマ帝国の継承者」と
競争心もやしたって本当ですか?
だって、イスラムでしょ?
374:世界@名無史さん
04/02/19 22:56
ローマだって最初からキリスト教国だったわけじゃないし。
375:世界@名無史さん
04/02/21 17:19
374がイイ事言った。
まあ、当時はどっちかっていうとビザンチンが正統なローマ帝国で
(何しろ1000年続いた)それを継承したのがスルタンだったからな。
旧イスラム植民地のスペイン王がローマ皇帝を名乗るのはちゃんちゃら可笑しかったのでしょう。
376:世界@名無史さん
04/02/21 17:23
あと、スレイマンはローマ帝国どころか
「東西帝国の統一者」であるアレクサンドロスの再来を自認してたらしく
スンナ派イスラム世界のカリフに加え、
ペルシアの皇帝とローマ皇帝を兼ねているという意識があったらしいです。
メトロポリタン美術館に四重冠をかぶったスレイマンの絵があります。
377:世界@名無史さん
04/02/21 18:04
イスラム系王朝は、イスカンダルって名前がけっこう多いな。
378:世界@名無史さん
04/02/21 18:07
اسكندرって名前、そんなに多かったっけ?
379:世界@名無史さん
04/02/21 18:16
「多い」は言い過ぎだったな、スマソ。
ただ、インド北部のイスラム系王朝とか、ムラカ王国とかの系図見てて少し目に付いたもんで。
380:世界@名無史さん
04/02/21 23:30
カール5世はネーデルラントの生まれですよ
381:世界@名無史さん
04/02/22 03:22
だれか>>309の意味を教えてくれ。
ハサーって何じゃ?
382:カラジチ ◆mWYugocC.c
04/02/22 11:31
それはAge of Empireというゲーム(のConqueror Edition)の話ですな。
383:世界@名無史さん
04/04/05 18:58
いやあ、アンカラの戦いん時だけはやばいと思ったよ。
384:世界@名無史さん
04/04/13 10:45
トルコ関連ニュース
URLリンク(www.jetro.go.jp)
385:世界@名無史さん
04/04/14 09:00
アルメニア人て、アメリカで政治力あるのですか?
ギリシャにはよく悩まされてますけど。
386:世界@名無史さん
04/04/28 23:58
URLリンク(www.huzuradogru.com)
387:世界@名無史さん
04/05/04 13:29
キンシコウの学名をrhinopithecus roxellanaeと言うんですが、roxellanaeってロクセラーナの事なんですか?
388:waza_fire
04/05/04 15:54
オスマン・トルコという呼称は間違いらしいね
389:あやめ
04/05/04 17:14
オスマン朝としては多民族複合帝国ということで、あまりトルコ民族に
拘ったアイデンティティを強調することはなく、トルコ人というよりも
オスマン人としての意識に求心力を機能させたかったということらしいです。
序に言うと最近ではスルタン-カリフ制というのも些か違うんだという
説明を専門書では見かけるようになりました。
390:世界@名無史さん
04/05/20 23:53
割と落ち目になってから取りざたされるようになったと
どこかで聞きますた>スルタン-カリフ制
391:世界@名無史さん
04/06/25 20:21
>>387
ロクセラーナの肖像画に顔が似ていることから
そういう学名がついたそうです。
現代の感覚でいうとあまり美形ではなかったのではないでしょうか。
>>389
それどころか19世紀の終わりまで
オスマン宮廷人士はトルコ民族というアイデンティティを
些かも持っていませんでした。
と遅レスしつつ救済age
392:
04/07/22 21:54
393:世界@名無史さん
04/08/30 22:02
ハイレッディンレイスとかが活躍する地中海…
なんでトルコはアメリカとか東洋とかへ舟を出さなかったんでしょう?
394:世界@名無史さん
04/08/30 22:42
>>1
それは違うだろ。
395:世界@名無史さん
04/08/31 00:00
>>393
ピーリー・レイスの『キターブ・バフリエ』に記された、ヨーロッパから入手したと思われる
アメリカ大陸に関する情報によって、オスマン海軍の関係者は新大陸にある一定の関心は持っていたと思われるが、
紅海、ペルシア湾、インド洋方面では実際に、進出していたポルトガルの勢力と戦っている。
ほんのエピソード程度の出来事だが、16世紀の半ば過ぎには北スマトラのアチェの支配者の要請を受けて
アチェに派遣されたオスマン軍が結果としては敗北したが、ポルトガルの勢力を排除しようとした動きもあった。
オスマン朝のガレー船艦隊は地中海のような内海での接近戦、白兵戦には向いていたかもしれないが、
大西洋やインド洋などでは西ヨーロッパ諸国が外洋向けに建造したガレオン船には火力でも耐波性でも勝負にならなかったからか?
396:世界@名無史さん
04/09/06 21:25
ポルトガルの排除と言えばザンジバル、アフリカ東岸なんかあったと思いますが
あの辺はオスマン‐トルコの援助とかあったのでしょうか?
397:世界@名無史さん
04/09/06 22:52
17世紀末にポルトガルの勢力をスワヒリ海岸から駆逐したのはオマーンのヤアーリバ朝。
398:世界@名無史さん
04/09/07 17:29
補足するとオマーンはオスマン朝の後援などは特に受けていない。
>>396
だからオスマン・トルコなどという誤称はやめてくれって。
399:世界@名無史さん
04/09/08 22:26
清朝下のトルキスタン、新疆のヤークーブベクらの反乱にはオスマン朝の後援が…あったんですよね?
400:例の170 ◆vBOFA0jTOg
04/09/08 22:32
>>396
モノモタパではロズウィ族と提携したモノモタパの属国に、
モザンビークのあたりの海岸都市ではジンバ族が追い出した。
もっとも後者のジンバ族、ポルトガルがオスマン朝から1588年に
派遣された海賊アリ=ベイを撃退するのに協力したりしている。
401:世界@名無史さん
04/09/26 23:29:34
総じてアラビア語地域の支配は不安定だったようね?
失陥したアンダルスのムスリムを見捨てたしモロッコは奪えなかったし、アルジェリア、チュニジアは関節支配になったし
402:世界@名無史さん
04/09/27 00:03:13
>>398
誤称なんてシッタカはやめよう
403:世界@名無史さん
04/09/27 11:10:55
>>401
アナトリア・ルメリなみに支配できてたのはシリアくらいだね。
>>402
じゃあ旧称。
誤称でも旧称でもいいが
いずれにせよ実態にも自称にも基づいていないため
適切な呼称ではないというのは現在の共通認識。
404:世界@名無史さん
04/09/27 11:56:24
>>377
亀レスだがイスカンダルってのは西欧で言うアレクサンダーだと思われ.
トルコのイスケンデルンってのは旧アレクサンドリア都市.
>>403
正式名称って何ですか?アトマン?
405:世界@名無史さん
04/09/27 21:23:23
>>404
دولت عليه などと呼ばれることが多いですが
正式名称というと、やはりこのスレで既出の دولت عليه عثمانيه
もしくは憲法の条文で使われている دولت عثمانيه かなあと思うのですが。
406:世界@名無史さん
04/10/02 12:24:56
>>405
発音をできればカタカナで書いてほしいのですが・・・.
文字が読めません.
407:世界@名無史さん
04/10/02 18:35:37
دولت عليه Devlet-i Aliye
دولت عليه عثمانيه Devlet-i Aliye-i Osmaniye
دولت عثمانيه Devlet-i Osmaniye
408:世界@名無史さん
04/10/04 12:55:05
後継ぎ以外の王子は全員処刑か一生幽閉断種させられたので、
オスマンには「貴族」無し。
409:世界@名無史さん
04/10/04 20:33:27
寵妃ロクセラーナは駄作。
こんな本しかスレイマン大帝の後継者争いを扱った本がないとは嘆かわしい。
ロクセラーナが本当にいい女だったらマヒデヴランをあそこまで嫌な性格の女にする必要ないよな。
史実と違うエピソードを創作してまでマヒデヴランを悪人にするのは酷いと思う。
ロクセラーナはスレイマンとの相性は良かったんだろうが多くの人に嫌われても仕方のない性格の女だったと思う。
410:世界@名無史さん
04/10/04 22:14:08
アブデュルハミト2世大好き
411:世界@名無史さん
04/10/05 19:37:13
>>408
皇女は降嫁して子供を産むけどその家系が貴族化しなかったの?
オスマン帝国には貴族階級がなかったと良く紹介されているけど
詳しい説明がないのが不満。
オスマン・トルコに詳しい方の降臨きぼん。
412:世界@名無史さん
04/10/05 22:28:10
君侯国時代からの家柄の有力スィパーヒーや、代々高官を輩出した名門は貴族と言っていいだろうね。
オスマン帝国は君主に権力を集中するために、忠実で有能そうな奴を家柄に関わらずどんどん取り立てたから、
官僚組織や軍隊に権力が集まって、高官が一代限りの特権階級みたくなって、
ヨーロッパやアジアほど世襲貴族が強くなれなかったってだけの話。
413:世界@名無史さん
04/10/06 04:27:58
オスマン帝国では高官の家がすぐに没落してしまうので。
もちろん高官のところには財産があるので続く家は続きます。
例えばキョプリュリュ家は17世紀に大宰相を出してから
20世紀高級官僚の家として続きました。
でも君主にかわって中央権力を独占する家は出ませんでした。
これは思いつきですが、オスマン帝国の官界は
出世するには大臣の家に私的な従者として仕えて
官位を引き上げてもらうというパトロネージ制で
日本の平安時代の公家社会を想像してもらうとわかりやすいのですが、
公家と違って家柄が多少悪くても
親分の引きのよさと自分の才能さえあれば大臣にはなれました。
これはデヴシルメが廃れて宰相がスルタンの小姓出身に限らなくなった後も
高官の家系の流動性が高かった原因になったでしょう。
さらに昔からの高官の家でも世襲領土をもたない上に、
失脚したついでに財産が没収されるのもざら、
さらに財産がイスラム法の相続制度で子孫の間で細切れになるので、
油断をすれば名門もあっという間に寒門になっていきます。
414:世界@名無史さん
04/10/06 22:51:50
イスラム圏は均分相続なので、世襲の富豪は殆ど存在しなかった?
日本のように百年以上も同じ業種の商売続けている商家というのは無いそうだ。
代々続くウラマーの家系はあるそうだが。
415:世界@名無史さん
04/10/07 10:57:45
>>413
まさに能力主義の世界ですね.
しかしそこまで徹底していながらイスラムは何故没落したのか・・・.
416:世界@名無史さん
04/10/07 17:20:53
>>415
能力主義にみえるけど結局のところではコネと派閥がものをいうから。
417:世界@名無史さん
04/10/08 22:26:43
イエニチェリは結婚できず使い捨て奴隷だった
418:世界@名無史さん
04/10/08 22:35:55
>>417
16世紀後半頃からは結婚も黙認されるようになった。
419:世界@名無史さん
04/10/09 03:24:35
小姓の結婚を禁止していると、ホモ疑惑が涌くよ。
それって、カリフとしてはマズかろうて。
420:世界@名無史さん
04/10/09 03:27:57
>>415
ぶっちゃけ経済向きの民族じゃなかったんだろう。
421:世界@名無史さん
04/10/09 17:43:11
>>419
結婚が禁止されてた時代はカリフじゃないし。
422:世界@名無史さん
04/10/10 00:01:53
>>421
カリフの立場があるから小姓の結婚を禁止できなかったんだろ?
423:世界@名無史さん
04/10/10 01:52:47
>>422
は? なんでカリフじゃなければ結婚を禁止できるの?
だいたいスルタン・カリフ制の主張は18世紀以降のものですが。
424:世界@名無史さん
04/10/10 10:10:25
カリフでなくとも、回教圏なんだから、有力者が側近の結婚を禁止なんてしたら、
ホモ疑惑が涌いて、反教者として統治権の正当性を疑われるだろ。
425:世界@名無史さん
04/10/10 10:14:47
有力者が側近の結婚を禁止する → 男色の疑惑がかかる
回教は男色を禁止している
回教は、建前上、政教一致
王様が側近の結婚を禁止することと、統治権の正当性を示すことに、矛盾が生じるわけだ。
426:世界@名無史さん
04/10/12 23:19:27
イエニチェリはスルタンの男食用性奴隷としての用途もあったのでは?
427:世界@名無史さん
04/10/12 23:47:05
そもそもイェニチェリと小姓は別の身分なんだけどなあ。
428:世界@名無史さん
04/10/13 17:10:13
カドゥンラール・スルタナトゥ(女人政治)はスレイマン大帝の在位中から始まったと思わないか?
ハーレム勢力が国政に干渉してオスマン帝国の国益を損なうことを女人政治というならば、ロクセラーナの活動は
女人政治以外の何者でもないと思う。
それなにのに何故スレイマン大帝の死後に女人政治が始まったという見解が有力なんだろう。
429:世界@名無史さん
04/10/14 23:43:36
性奴隷は専ら白人異教民族から調達していたの?
430:世界@名無史さん
04/10/15 02:53:40
>>428
それはカドゥンラル・サルタナトゥを命名した
アフメット・レフィク(「チューリップ時代」の命名者でもある)はどう考えていたのか…。
オスマン人の伝統的な歴史観では
スレイマン1世の時代に政治制度が完成して
スレイマン死後に堕落していったというのが常識だったわけで、
アフメット・レフィクもそれに従っただけなんじゃないかと思います。
>>429
性奴隷というか…購入されてハレムに入るような女性は白人で、
主にクリミア、カフカスなどを通じてイスタンブルに入ってくるので
ロシア、ウクライナ、ポーランド、チェルケス、グルジアあたりの出身でしょうか。
もとは戦争捕虜が中心ですね。
16~17世紀には黒海北岸あたりにいたノガイ・タタールが
ポーランド=リトアニアやモスクワ大公国に
定期的な略奪目的の遠征をやっていました。
431:世界@名無史さん
04/10/15 03:53:28
遊牧民+ペルシア文化+ギリシア/ビザンツ+イスラーム。
オスマン帝国はまさにこの周辺の世界の集大成だ。
432:世界@名無史さん
04/10/15 13:06:17
>>430
スレイマンは神格化されていてその失政は故意に無視あるいは過小評価されていたということですか?
陳瞬臣のイスンタンブールというノンフィクションに「スレイマンの政治的な才能はメフメット二世や
父のセリム一世にひけは取らないが軍事的な才能は彼らに一歩譲る」と主張する歴史学者がいると紹介されていました。
個人的な意見ですがスイレマンよりもメフメット二世の方が大帝の名にふさわしいと思っています。
433:世界@名無史さん
04/10/15 20:26:34
スイレマン
434:世界@名無史さん
04/10/15 23:26:26
あげておこう
435:世界@名無史さん
04/10/15 23:57:28
>>428
江戸幕府で言う大奥みたいなものだろ
436:世界@名無史さん
04/10/16 00:04:59
>>432
そういう節はあったと思います。
もちろん今は違いますが。
437:世界@名無史さん
04/10/16 11:23:51
>>432
ま、スレイマン大帝の命名が外人ですから。
トルコでは「立法帝」。
438:カラジチ ◆mWYugocC.c
04/10/16 21:54:37
壮麗帝という言い方もありますな>スレイマン
メフメトは征服者か。まんまやん。
439:世界@名無史さん
04/10/17 15:06:57
1 ロクセラーナはスレイマンの生母と親友を味方に出来なかった。
2 スレイマンとの正式な結婚を望んだ時最後はヒステリーを起こしてスレイマンにいうことをきかせている。
3 ムスタファ皇子の生母マヒデヴランをハーレムからおいだすときもヒステリーを起こしている。
4 後ろ盾をなくしたムスタファは配下の軍隊を掌握しており紙一重の差でロクセラーナはムスタファを排除した。
5 火事のどさくさにまぎれてトプカプ宮殿に引越し。政局を動かしやすくなったがハーレムが国政に干渉するきっかけを作る。
短期的な利益に目がくらみむすこに後を継がせるつもりのオスマン帝国の真の利益を理解していたとは思えない。
6 庶民の人気はまるでなし。
7 ムスタファ排除後望んだ息子ではなく出来の悪いセリムが後継者になってしまった
本当に聡明な女ならヒステリー起こして男に言うこと聞かせるなんてことしないで
巧妙に男の心理を操作して自分の思い通りに操れるんじゃないのか。
短気な利益目がくらんで長期的な利益の存在を忘れているんじゃないか。
死病でもスレイマンの寵愛と非凡な政治力があればのぞみどおりの後継者を選べたのでは。
ロクセラーナは単にそこそこの楽才と文才ある陽気な女性で彼女の賛美者が賞賛しているほど
聡明な女性には思えない。
性格は典型的なヒステリー性性格。
440:世界@名無史さん
04/10/19 13:16:58
英語の本でもいいからロクセラーナの伝記を紹介してください。
でごろな厚さの本がいいです。
441:hitomi ◆EN.thU0KcA
04/10/19 18:24:36
>>440
小説だけど渋澤幸子の「寵妃ロクセラーナ」
けっこうおもろいよ。
442:世界@名無史さん
04/10/19 19:07:12
すいません。その本持ってはいるんですが内容に満足していなんです。
ロクセラーナを美化するために対立者を悪く書く。ムスタファ皇子のように悪くかけない人物はほとんど無視。
ロクセラーナとスレイマンの結婚の過程は大幅に美化。
ムスタファ死後生き残った二人の息子の争いが生じバャジットがムスタファそっくりの人物を探し出し
反乱を起こさせるという事件が生じるのですがこれもスルー。
スレイマンにはマヒデヴランとロクセラーナ以外にも妻妾がいたはずなのですがこれにもほとんど触れていない。
と事実を正確に伝えるよりも作者の理想と趣味を満足させることを優先さている本なんです。
そもそも晩年のロクセラーナが平穏な気持ちで日々を過ごしたなんて信じられますか。
あれは創作というよりも捏造と歪曲という表現がぴったりの小説だと思ってます。
443:世界@名無史さん
04/10/19 19:18:19
初めて読み終わったとき、「ロクセラーナよりもマヒデヴランとムスタファの方が
かわいそうだろーが」と本を床に叩き付けました。
強引にスレイマンと結婚したロクセラーナは新スルタンの兄弟殺しという習慣がなくても
悪質な陰謀で我が子をスルタンにしようとしたに違いないと信じています。
444:世界@名無史さん
04/10/25 14:41:08
寵妃ロクセラーナはオスマン・トルコの上流階級やハーレムでの生活を知るには
貴重な本なんだけど主要登場人物の歴史小説及び心理小説としては三文小説。
445:ちょこっと新入り
04/11/03 01:43:40
エウリヤ・チェレビーの旅行記『セヤハトナメ』についてわかる、日本語
か英語でのいい資料はありませんか? 最近読んだ本に何か所もでてくる、
セヤハトナメからの引用が結構面白そうなので、もっと知りたくなりました。
446:世界@名無史さん
04/11/03 07:31:11
>>445
簡単に概要を知りたければ
『岩波イスラーム辞典』や平凡社『新イスラム事典』の
エヴリヤ・チェレビーの項目をとりあえず見るといいでしょう。
概要をより詳しく知りたければ
Encyclopedia of Islam, New edition をあたってみてください。
見出しは Evliya か Ewliya から探すと見つかると思います。
エヴリヤ・チェレビーの旅行記のテキストの英訳は
部分訳しかなかったような記憶がありますが、ちょっとはっきりしません。
詳しくは Encyclopedia of Islam に載ってると思います。
447:世界@名無史さん
04/11/03 12:55:58
キリスト教国からオスマン帝国に嫁いだ王女・皇女が産んだスルタンっているの?
オスマン帝国、初期は随分キリスト教国から正妃をもらっているので気になる。
この時期はかなり記録が少ないからわからないかもしれないけど試しにきいてみる。
448:世界@名無史さん
04/11/03 13:12:43
Evliya Çelebi (1314/1896/97 to 1938). Seyahatnamesi, 10 vols. (Istanbul, Ankara: İkdam and others).
[Evliya Çelebi](2nd edn, 1987). Im Reiche des Goldenen Apfels, des türkischen Weltenbummlers
Evliya Çelebi denkwürdige Reise in das Giaurenland und in die Staadt und Festung Wien anno 1665,
trans. and annotated Richard F. Kreutel, Erich Prokosch and Karl Teply (Vienna: Verlag Styria).
(1988). Evliya Çelebi in Diyarbekir, The Relevant Section of the Seyahatname edited with Translation,
Commentary and Introduction, ed. and trans. Martin van Bruinessen and Hendrik Boeschoten (Leiden: E.J.Brill).
Evliya Çelebi Seyahatnamesi, 1. Kitap: Istanbul(1989) ed. Şinasi Tekin, Gönül Alpay Tekin and Fahir Iz, 2 vols.
(Cambridge MA: Harvard University Press).
(1990). Evliya Çelebi in Bitlis, The Relevant Section of Seyahatname edited with Translation, Commentary and
Introduction, ed. and trans. Robert Dankoff (Leiden: E.J.Brill).
(1991). The Intimate Life of an Ottoman Statesman, Melek Ahmed Pasha (1588-1662) as Portrayted in Evliya Çelebi's
Book of Travels, trans. and annotated Robert Dankoff and Rhoads Murphey (Albany: SUNY Press).
(1994). Ins Land der geheimnisvollen Func, des türkischen Weltenbummlers Evliyā Çelebi Reise durch Oberägypten und
den Sudan nebst der Provinz Habeş in den Jahren 1672/73, trans. and annotated Erich Prokosch (Vienna: Verlag Styria).
Evliya Çelebi (1995) Seyahatnamesi, 1. Kitap Istanbul. Topkapı Sarayı Bağdat 30 Yazmasının Transkripsyonu-dizini, ed.
Orhan Şaik Gökyay (Istanbul: Yapı ve Kredi Bankası ).
449:世界@名無史さん
04/11/03 13:55:56
>>448
>>445
450:世界@名無史さん
04/11/04 22:41:32
マフムト2世の母エイメはフランス人。ちなみにジョゼフィーヌの従姉妹
451:ちょこっと新入り
04/11/05 04:33:23
チェレビー情報、ありがとうございました。やはり日本語での情報は少ない
ようですね、英語でも全訳はないと。最近読んだ、John Freely 著 Istanbul,
the Imperial City という本に、チェレビーの子供時代、スルタンとの出会い、
宮廷生活の様子など、楽しそうに描かれていたので興味を持ちました(なかでも
圧巻は、「ギルドの行進」のシーンでした。随分変わったギルドも登場しますし)。
452:世界@名無史さん
04/11/05 15:50:43
別なチェレビー情報
URLリンク(www.tufs.ac.jp)
クルディスタンの殺伐とした感じが(・∀・)イイ!!
453:ちょこっと新入り
04/11/08 04:04:09
東文研の鈴木先生いわく「エヴリヤ・チェレビィは謎の人物で、正体不明、
本名すらよくわからない」って、じゃあ先生が事典とかに書いたのは何?
454:世界@名無史さん
04/11/11 17:55:12
バヤジット雷帝に仕えたギリシャ系の将軍ガ―ジー・エヴレノスと血のつながりとかないの?
455:アポーン1世
04/11/11 18:34:33
鈴木薫ってどうよ?
456:世界@名無史さん
04/12/19 17:32:16
age
457:世界@名無史さん
04/12/20 15:24:49
隊長!
夢枕獏がミマーリ・シナンの伝記小説を出しているのをハケーンしますた!!
458:世界@名無史さん
04/12/24 16:28:30
スレイマニエ・ジャーミーを造った建設家だね。
459:世界@名無史さん
05/01/02 17:08:12
2005年1月1日、夜のBSで放送していたのは再放送でしたか。
王子の幽閉話(黄金の鳥かご)の話は陰惨でしたね。
460:名無しさん@
05/01/03 13:41:47
「アジア」という言葉はローマ時代においては小アジア西部の属州地域を指し
た言葉だったようですが、オスマントルコにおいては「アジア」という言葉は
使われてたんですか?
使われてたとしたらオスマントルコにとって「アジア」はどこまでの範囲をい
っていたのでしょうか?
詳しい人いたら教えてください。できればソースも。
461:世界@名無史さん
05/01/05 01:10:14
アシア(アジア)と同じくギリシア語由来でも、オスマン時代に使われていたのはギリシア語ανατοληから来た、
آناطولى(オスマン語)/Anadolu(現代トルコ語)(英語のAnatolia、仏語のAnatolie、独語のAnatolien)の方かと。
462:世界@名無史さん
05/01/05 10:33:38
マルチポストには答えなくていいと思うよ。
463:名無しさん@
05/01/05 13:49:33
>>462
いや、ほんとすいません。ちょっと急ぎだったんで。
461さんありがとうございます。
464:世界@名無史さん
05/01/10 15:33:28
オスマン・サンコン
465:世界@名無史さん
05/02/03 22:41:41 0
age
466:近刊書
05/02/04 04:47:02 0
NTT出版の「イスタンブール・三つの顔をもつ帝都」誰か読みました?
ビザンティウムから始まる3000年の歴史を一冊にまとめたものだけど、
けっこう詳しい。ビザンティン帝国の皇帝もオスマン帝国のスルタンも
奇人変人のオンパレード。
467:世界史@名無史さん
05/02/04 18:20:00 0
>466
専制国家の皇帝やっていればおかしくなる罠
468:世界@名無史さん
05/02/04 20:54:45 0
ユスティニアヌス時代までは、本当の意味での専制国家と言えたかどうかは微妙。
469:世界@名無史さん
05/02/07 19:19:30 0
世界最強とまでいわれたイェニチェリマンセー。
ウィーンだって落とせたはずなのに。
470:世界@名無史さん
05/02/07 20:32:52 0
落とせた”はず”と落としたの間の差はとても大きいぞ
471:世界@名無史さん
05/02/09 23:44:04 0
ウィーンは無理
472:世界@名無史さん
05/02/10 01:01:35 0
大砲並べてガンガン撃てば落ちたろ。
473:世界@名無史さん
05/02/10 22:48:08 0
だから、事実と「はず」の差は果てしなく広いんだよ
474:世界@名無史さん
05/02/14 02:23:08 0
うえの「三つの顔をもつ帝都」によると、
一時は専横をきわめ、スルタンの廃立にも関わった栄光のイェニチェリ
軍団は、しまいには惨めな最期を遂げて解体されたんですね。
風呂屋の釜焚きに身をやつして生きながらえたイェニチェリが作った歌
というのも残っているそうですし、いつか聞いてみたい。
475:世界@名無史さん
05/02/17 21:32:55 0
URLリンク(www.game-style.jp)
オスマン帝国が敵国の鉄道浪漫得エロゲーらしい。
なんつーかよくこういうなん出すよなー。
476:世界@名無史さん
05/02/18 01:20:52 0
ベルセルクのクシャーンはオスマン帝国らしい。
477:世界@名無史さん
05/02/18 14:00:37 0
俺はオスマン朝が適役のエロゲーがやりたい。
478:世界史@名無史さん
05/02/18 17:31:09 0
オスマン帝国の歴史をもっと詳しく知ってからエロゲーやりたい
知りたいと思っているのに知ることができないことが多すぎ>オスマン帝国
479:世界@名無史さん
05/02/18 17:40:25 0
どうせエロゲーにするなら敵国を攻略して次々に女奴隷を味見するゲームにしてほしいなハァハァ
480:世界@名無史さん
05/02/18 18:03:14 O
「ニザーム・ジェディット」
名前がカコ(・∀・)イイ!!
481:世界史@名無史さん
05/02/18 19:40:38 0
エリザベート・バートリの親族でトルコ人に輪姦された後殺害された女がいる。
この女はとんでもない色情狂だった。
482:世界@名無史さん
05/02/18 21:38:04 0
バートリの鬼畜の所業が親戚に祟ったてか。
483:世界@名無史さん
05/02/18 21:51:27 0
オスマンって何かエロイ名前だよね
484:世界@名無史さん
05/02/18 22:09:03 0
皇帝がオキニの寵妃に おっす! 万個!と 朝一番にクンニして挨拶するんだよ。
485:世界@名無史さん
05/02/18 22:09:53 0
>>483
オスマン・ベイとカリフのウスマーンに怒られるぞw
486:世界@名無史さん
05/02/18 22:14:21 0
メフメト2世の軍事的才能って見かけ倒しだね。
コンスタンティノープル攻めあぐね、ウズン・ハサンに本陣間際まで迫られ
ベッサラビアで敗北寸前まで追い込まれ、ワラキアで猛烈な夜襲をかけられ(ry
487:世界@名無史さん
05/02/18 22:20:07 0
URLリンク(sun.menloschool.org)
オスマン帝国
サファヴィー帝国?
ムガル帝国
清帝国
徳川帝国?
488:世界@名無史さん
05/02/18 22:20:28 0
あとベオグラード攻略失敗し。
自分的評価
(ティムール≒チンギス>>イスマーイール)>バヤジット>セリム>>>スレイマン≒メフメト
489:世界@名無史さん
05/02/18 22:39:04 0
>>488
ティムール≒チンギスはないだろ。チンギス>ティムールくらいでも甘い評価。
490:世界@名無史さん
05/02/18 22:46:29 0
>>486
でもなんだかんだいって実質的なオスマン帝国の創業の主だし。
戦術的にはしばしばピンチに陥ってるところも信長のような感じ。
491:世界@名無史さん
05/02/19 01:55:34 0
え~と、オスマン帝国初心者でつ。
イェニチェリは漏れの浅はかな知識による思い込みだと、
何か既得権益ばかり主張して改革の足を引っ張ってばかりだわ、
ちょっと皇帝が豪腕を発揮しようとするとすぐに不満を溜め込む
反乱予備軍だわ、いざ戦争になるとからっきし役に立たないわ・・・。
何だかまるで現在の職場の漏れみたいなイメージで非常に親近感が湧く
のですが・・・ w
実際の処、イェニチェリの功罪はどんな感じなんでしょうか?
っていうか、目立った功績ってあるの?
492:世界@名無史さん
05/02/19 13:21:57 0
大帝国建設を担ったオスマン最強軍団ですが
493:世界@名無史さん
05/02/19 15:54:22 0
>>491
オスマン帝国の歴史は制度の面から見ると
16世紀を境に前期オスマン帝国と後期オスマン帝国に分かれますが、
イェニチェリの場合、軍団の性質自体が
前期と後期でかなり違います。
あなたの理解するイェニチェリは後期のそれ。
オスマン帝国が拡大を続けた16世紀までは、
首都に駐留する少数精鋭の歩兵軍団でした。
16世紀のスレイマン1世のころ、
ヨーロッパは火器が普及して軍事革命が起こりますが、
オスマン帝国でもそれまで主力だった騎兵が役立たずになり、
地方でティマール制により自力で税を集めて
生活していた騎兵が没落し始めました。
中央政府はかわりに俸給制の兵士の数を増やしますが、
火器を使える歩兵であるイェニチェリばかり増えることになり、
イスタンブルだけでなく地方の主要都市にも
イェニチェリが駐留するようになりました。
このため17世紀にはイェニチェリの土着化・世襲化が起こり、
都市ではギルドと結びついて顔役化、
俸給制だから俸給の支払いが滞ると暴動、
というようになり、軍事的には必要だけど
集権化にはお荷物な軍団になってしまいました。
その後はご存知の通り。
494:世界@名無史さん
05/02/20 23:08:13 0
>>490
モンゴル高原の一部族の長という程度から大帝国作ったチンギスと、
モンゴルに西アジア征服という遺産があり、自身も相当な高位の貴族だった
ティムールとを比較したら圧倒的にチンギスでそ。
495:世界@名無史さん
05/02/21 14:01:00 0
>自身も相当な高位の貴族だったティムール
征服者としてチンギス>ティムールは同意として、
ティムールってかろうじて貴族といえるかどうかの貧乏下級貴族だと思っていたけど、
最近はそう言う見解が主流なのですか?
496:世界@名無史さん
05/02/21 19:32:19 0
でもティムールも征服者としては世界史上三本の指に入ると思うが。
チンギスが圧倒的にすごすぎるだけでね。
なおティムールも零細貴族で若い頃は盗賊とか生業にしてたとこからのし上がったんだが。
497:世界@名無史さん
05/02/21 19:38:11 0
チンギスだってハーンの曾孫だから貴族では
498:世界@名無史さん
05/02/21 20:55:08 0
だいたいチンギスには有能な部下たちが無数にいたが、ティムールはほとんど常に自ら陣頭指揮してるぞ。
軍人としての力量をいうなら明らかにティムール>チンギスだな
499:世界@名無史さん
05/02/21 20:57:33 0
>>495
生まれは下級貴族だと思うが、仮にそうでないにしても、
羊泥棒をして足を折られたり、叔父に城を奪われたり、
敵に捕まって妻と一緒に何ヶ月も穴倉に繋がれたりする
泥沼の青春時代から這い上がって西ユーラシアを大征服した男だぞ。
500:世界@名無史さん
05/02/21 20:58:28 0
↑
間違えた。>>494とすべきだった。
501:世界@名無史さん
05/02/22 07:07:04 0
ティムールのせいでオスマン帝国が危うくアボーンするところだった
502:世界@名無史さん
05/02/22 11:29:42 0
なんでティムールはアナトリアを制圧して欧州方面に拡張せんかったんだ?
どうかんがえてもあちらの方が甘みがあるとおもうがのー
503:世界@名無史さん
05/02/22 13:04:48 0
中原再征服が目的だったから。
504:世界@名無史さん
05/02/22 13:06:41 0
ムハンマド・チェレビーを抹殺していれば、、、別のムハンマドが出現したんだろうな。
505:世界@名無史さん
05/02/22 13:56:38 0
っていうか、なんでアナトリアまでいってんのに逆にシナにいくのか
訳わからん。
軍隊の移動も莫大な経費がかかろうに俺ならアナトリア半島をあしかがりに
ヨーロッパに進撃するのにな。
実際オスマン朝は奏してる。
506:世界@名無史さん
05/02/22 14:19:42 0
↑ 「中国」って普通に書けよ。あんた、「シナ」世代じゃないだろw
507:世界@名無史さん
05/02/22 14:34:01 0
1.モンゴル帝国を再統一するのが先決だったから
2.異教徒が気に食わなかったから(まあヨーロッパも同じだが・・・)
3.サマルカンドを版図の中心と考えていたから
4.元を追い払った明が嫌いだったから
508:世界@名無史さん
05/02/22 14:34:46 0
5.ヨーロッパより中国の方がはるかに豊かだったから
ってのもあるか。
509:世界@名無史さん
05/02/22 15:05:42 0
ティムールが活躍した14世紀後半から15世紀は
大元朝が朱元璋率いる明軍によってゴビ以南を手放した時期で、
何よりティムールがヒタイ遠征に向かった1404年は、
永楽帝が建文帝を廃位させてた翌々年だった。
生涯チンギス・ハン家の婿(キュレゲン)の立場にとどまらざるを得なかった
ティムールとしては、クビライ家と明朝両方の内紛が続くモンゴル高原周辺の
情勢には無関心でいられたとは思えない。
ティムールとしてはバヤズィット1世を倒すことで西方領をひとまず平定させて
本題の東方遠征を実行することが何よりも大事だった。
なぜなら、もしこの遠征が成功しティムール家による東方世界の支配が可能ならば、
グユク・ハンの死以来トルイ家によるモンゴル帝国の支配が
再びオゴデイ・チャガタイ両家に戻す名目が使えることになる。
チャガタイ家のキュレゲンであるティムールが、モンゴル皇帝になりかわり実力で、
チャガタイ・ウルス、モンゴル本土、西方のジョチ諸王家に対して号令する余地が生まれることになる。
つまりティムールによってモンゴル帝国が復活するのである。