02/04/10 20:32
「三国人」という言葉の歴史的事実と時代の背景を検証しておきたい。
この言葉は、使われはじめたころのニュアンスとしては、軽蔑や嘲笑でなく、
畏怖や敬遠に近い。むしろ恐怖の対象であった。
「三国人」は敗戦後の一時期、日本に居住していた朝鮮半島や台湾出身者をさす俗称で、
二十年十一月三日、占領軍総司令部(GHQ)はこの人たちを「解放国民」と指定した。
それは「治外法権」と同義語だった。
解放国民は肩で風を切る勢いで街を行く特権階級だったのである。
東京焼け跡ヤミ市を記録する会編『東京闇市興亡史』(草風社、昭和五十五年)によると
「彼らは民族的団結心を結集しつつ、都有地や公有地を占拠し“解放区”を形成した」。
どぶろく、カストリ、ばくだんなどの密造酒を造り、進駐軍物資の闇市を設けたが
警察も全く歯が立たず、ヤクザやテキヤを結集して対抗させた。
「警視庁年表」をひらこう。二十一年一月、朝鮮人二十人が富坂署を襲撃し、留置中の
朝鮮人を奪還した。同年七月、台湾人百五十人が渋谷署を襲い、巡査部長が殉職した。
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