■ビバ!マックス・ウェーバー統一スレ■at SOCIOLOGY
■ビバ!マックス・ウェーバー統一スレ■ - 暇つぶし2ch350:ルーマン好き
04/03/13 22:05
そうだね、出てきて発言したほうが良いと思う。
異論反論を出してちゃんと向き合わないと。
折原が羽入と何か討論の場(どこかの会場を使って)を設けるのが手っ取り早いかもね。

351: 
04/03/14 04:21
「ウェーバーと近代文化人の悲劇」(ミネルヴァ)の著者の方って有名なんですか

352:Z
04/03/15 18:37
>>351
[本を探すURL]=URLリンク(www.books.or.jp)
で、検索しましたが、見つかりません。
何という方ですか?

353:指摘
04/03/15 18:55
ミネルバじゃないよ

354: 
04/03/15 21:37
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」だって。
カソリック蔑視、プロテスタント万歳、ドイツ・オーストリア万歳が読み取れるぜ。

プロテスタントの倫理が資本主義の精神をつくりだしたなら、プロテスタントがほ
とんどいない経済大国日本の成立と日本人の勤勉さはどう説明するよ?

マルクスもウェーバーも結局ドイツ・オーストリア万歳なだけだぜ。

355:
04/03/15 23:19
>>354
うーん、それはどうだろうね。
そもそもオーストリアはカトリックだし、ドイツについても、ウェーバーは
ドイツの改革諸派の教義における不徹底性を指摘している。
プロ倫は、アングロ=サクソン世界とドイツの比較論という側面を持っているんだよね。
さらに別の側面では、強迫神経症持ちのウェーバーじしんは、できることならイタリア人みたいに
なんも考えずにまったり生きてみたいなあ、という、むしろカトリック的世界への羨望を持っている。
多分、ウェーバーがプロテスタント万歳、ドイツ・オーストリア万歳というのは単純すぎると思う。
まして、イギリスの労働状態の悲惨さは人ごとじゃないんだよ、ドイツはただ遅れてるだけなんだよと
喝破したマルクスが、ドイツ・オーストリア万歳であるはずがないと思うのだけれど・・・

356:351
04/03/16 00:26
すいません、恒星社厚生閣でした
嘉目克彦という方です
翻訳などもやってるようなんですが・・・

357:Z
04/03/16 19:03
>>356さん江
嘉目克彦氏は大分大学経済学部教授。学部長もされました。確かな学者です。
1999年の“Mヴェーバーと近代日本”フォーラム(東京大学)にも参加。
政治部会で「文化の普遍史~文化的生の‘ドイツ的形式’とMヴェーバー~」
をレポートされました。(私も拝聴しました)
下記のURLは、その時のHPです。(私の写真も写っています)

URLリンク(c-faculty.chuo-u.ac.jp)

358:中葉
04/03/16 21:29
>>341 氏は、1999年、シンポジウム「マックス・ヴェーバーと近代日本」を立ち上げた

良い情報をありがとう。
早速Max Weber Forum Japan マックス・ヴェーバー フォーラム
URLリンク(c-faculty.chuo-u.ac.jp)
をブックマークしておきました。

会議室も準備してあるので、いずれ書き込むつもりです。
URLリンク(c-faculty.chuo-u.ac.jp)

359:中葉
04/03/17 21:07
>>354 プロテスタントの倫理が資本主義の精神をつくりだしたなら、プロテスタントがほとんどいない経済大国日本の成立と日本人の勤勉さはどう説明するよ?

ベラーの「徳川時代の宗教(岩波文庫)」はご覧になりましたか?

なかなかしっかりした分析をしていると思いますが?

360: 
04/03/17 21:32
>>359
ウェーバー自信がなんか説明していなかったっけ?
「徳川封建制及びそのもとで形成された日本人のメンタリティは、自ら近代資本主義を
作り出すことを許さなかったが、他方で西欧で形成された資本主義に順応しその産物を積極的に
輸入するのには非常に適合的であった」みたいな感じで。詳細は忘れたけど。


361:Z
04/03/17 23:27
『イスラムと資本主義』Mロダンソン(岩波書店)がある。ロダンソンはユダヤ系
フランス人。これは当然、Mヴェーバーの『プロ倫』を意識して書かれたものである。
決して、ヴェーバー理論を真っ向から否定したものではなく、消極的にではあるが、
イスラムのシステムは資本主義のエートスに反したものではないことを述べている。
でも、説得力に欠けるきらいがある。現在、イスラム諸国は石油資源でGDPも伸
びているが…。



362:中葉
04/03/18 05:10
>>360 他方で西欧で形成された資本主義に順応しその産物を積極的に輸入するのには非常に適合的であった

これはなんとなく納得できますね。

私も、日本を中心に考えたいと思っています。
その意味で残された宿題は、「儒教と道教」を読み、
その傍ら、日本のこれからを考えることです。

少年老い易く学成り難し・・・階前の悟葉己に秋声

363: 
04/03/18 10:32
>>359
ベラーのあの著作はベラー自身が今では完全に見解を否定・撤回していて、
もうまったく読む価値はないと某先生に教わったが。
だから岩波文庫の復刊も永久にないはず。

364:中葉
04/03/18 15:22
それでは
心学と二十一世紀の日本October 15, 2000
URLリンク(www.geocities.jp)
Shingaku and Twenty - First Century Japan.
URLリンク(www.geocities.jp)
についてはどんな評価をしますか?

それから、、、

365:2002年に重版
04/03/18 22:16
>>363
2002年に重版されてたよ。

まあ、読んで笑いは起きるよ。時代の変遷ってこわいね。

366: 
04/03/18 22:43
ベラーなんか読むぐらいだったら、
まず安丸良夫の『日本の近代化と民衆思想』読めよ・・・
こっちは今でも内容は全然古びてないぞ。

367:2002年に重版
04/03/18 23:47
必読というより、読んで手当たり前だろ

368:Z
04/03/19 01:24
安丸良夫著『日本の近代化と民衆思想』(平凡社刊)は版元品切れ。
古本で探すしかない。
本をさがす=URLリンク(www.books.or.jp)で検索すれば。
安丸氏は、先日亡くなった網野善彦の系統ですか。
なお、NベラーはTパーソンズの弟子で、わが国では丸山真男の弟子ですか?
ベラーの『徳川時代の宗教』は良い本です。

369:うぇ
04/03/19 07:07
>わが国では丸山真男の弟子ですか?
あれそうですか?
>ベラーの『徳川時代の宗教』は良い本です。
まあ自分で限界も認めているし、現在の観点から見れば、
当時のアジア感や論理の展開の制約もあるけれど、読んで損はないね。
引用されているのが『菊と刀』だったりして、今から観ればありゃりゃって感じもあるけれど。

370:Z
04/03/19 18:50
ベネディクト女史の『菊と刀』が、今もって欧米で学術的価値を認められているのは、
日本人の分析もさることながら、「恥の文化」を「罪の文化」と対比した点にある。
欧米にも「恥」はある(昔から)。しかしそれは、「罪」の中の一つとしてであった。
ベネディクトは、罪の一部分である恥を独立させて、恥を一つの文化形態にしたのである。
その事をドッズは『ギリシャ人と非理性』(みすず書房刊)で、ベネディクトを激賞している。
ドッズは、ギリシャ文化を「恥の文化」といっている。


371:いまさら
04/03/19 21:20
なんだだの時代錯誤か?『菊と刀』の書かれた意味ら内容やその意図なんて信じてるのは時代錯誤か無知かだけだろうに。冗談だと信じたい発言だな。

372:Z
04/03/19 22:54
>370で「ギリシャ文化」と書いたが、「ギリシャ文明」の誤り。
このほうが適切のようだ。    訂正

373:Z
04/03/20 23:23
ところで、下記のスレッドに、ケッタイな香具師が暴れているから
見物に来ませんか。
スレリンク(sisou板)

374:
04/03/21 05:30
>>373
阪京とかまだ生きてたんだwすげー懐かしいな、その板。


375:
04/03/21 22:37
なんだかお互いに「読め読め」合戦で不毛な信者の争いだな

376:Z
04/03/21 23:07
>>375さん江

スマソ!

377: 
04/03/22 00:33
ベネディクト女史の『菊と刀』

ブッシュが命じて作らせた『フセインとチャドル』みたいなもの。
いかに侵略統治を容易にするかを、個人や集団の内面に当てて、
まとめたものじゃねえかよ。

378:Z
04/03/22 01:01
>>377
確かに、その通りです。だからこそ、その分析は的確でした。だからこそ、
学問的に(世界的に)認められているのです。わが国で、そのような
使命感を持って、全知全能を尽くして、学問と対決しているような学者が
どれだけいますか?! 社会科学では、欧米の学者の「解釈学」ばかりじゃ
ないですか! そのくせ、口先ばかりはキレイ事を言っている。
日本の学者ほど、競争原理のない職業はありません。教授に就職すれば
一生のうのうと暮らしていけます。そして、学問に対し、責任観念が全くない。

379:Z
04/03/22 01:16
“古典は読まれず、ただ誤解されるのみ”

380:       
04/03/22 07:01
>>378
それは政治に先導された研究をしろということかね?

>確かに、その通りです。だからこそ、その分析は的確でした。だからこそ、
>学問的に(世界的に)認められているのです。
それは西欧のオリエンタルに対する無知蒙昧から端を発しているに過ぎない。
19世紀のアジア観を続けているに過ぎない。

381:       
04/03/22 07:19
折原も羽入も「解釈学」の範疇ですね。
このスレ自体が「解釈学」の範疇ですしね。
君のコメントはまさにその「解釈学」の一端でしかないしね。
どこかのスレで「読め読め」論争やってること自体がまさにそれでしょ。

382:古典
04/03/22 13:54
〉〉379という解釈。折原は「倫理」を全うな解釈すればとか言うがそもそも全うな解釈を態度や精神論で語るのは解釈の違いを論究した事にはならない。せっかくの文献学的反論も最終的にこれでは

383:Z
04/03/22 18:22
>>380
>政治に先導された研究をしろ~云々
この文節は、誘導尋問です。わが国でも、エイズの研究開発は、政治目標です。
まして況や、『菊と刀』は戦時中のことです。平時ではありません。
「政府」と言うと、カッとなるのは、そんなものは「学問の自由」とは関係ない
どころか、自由でなくヒステリー症候群です。

話は違いますが、Mヴェーバーは、「委任独裁」は認めていますヨ。


384:Z
04/03/22 19:27
『菊と刀』追伸
ヨク考えてみてくださいヨ。「政治に先導」されて、政治家にヨイショするような
結論を出して、占領政策が失敗したら、結局、為政者の損です。
政治家もバカじゃない。教授職にしがみ付いている様な学者よりは賢いでしょう。

旧ソ連の御用学者は、為政者の気に入るような事ばかり言っていた。
ソ連は、だから崩壊した。

>それは西欧のオリエンタルに対する無知蒙昧から端を発しているに過ぎない。
19世紀のアジア観を続けているに過ぎない。
☆それなら『菊と刀』に代わる、新しい「日本人論」を打ち上げればよい。



385:にゃうにゃう
04/03/22 21:24
>>377
>>380
などの意見は論ずるに値しません。
単に主張をしているだけで、証拠を挙げて根拠づけた理論ではありません。
こやつは、一貫して子供で言える抽象論を振り回しているだけです。

私がこのお間抜けさんに言いたいのは、「そういう根拠は」と「だから何」
そして、「それがウェーバーと何の関係があるの」です。これを言うべきは
このお間抜けさんです。

Zさんは丁寧に相手の解釈を補完をしてますがそれは思うつぼと思います。
とりあえず、質問を重ねて内容のあることを言えるか確かめてみましょう。
言えるわけないと思いますが。

386:  
04/03/22 21:54
>この文節は、誘導尋問です。わが国でも、エイズの研究開発は、政治目標です。
>まして況や、『菊と刀』は戦時中のことです。平時ではありません。
>「政府」と言うと、カッとなるのは、そんなものは「学問の自由」とは関係ない
>どころか、自由でなくヒステリー症候群です。
あらあらあれもこれも一緒くたですか?

>『菊と刀』追伸
>ヨク考えてみてくださいヨ。「政治に先導」されて、政治家にヨイショするような
>結論を出して、占領政策が失敗したら、結局、為政者の損です。
>政治家もバカじゃない。教授職にしがみ付いている様な学者よりは賢いでしょう。

>旧ソ連の御用学者は、為政者の気に入るような事ばかり言っていた。
>ソ連は、だから崩壊した。

為政者万歳の翼賛理論ですねw

387:Z
04/03/22 22:30
>① あらあらあれもこれも一緒くたですか?
>② 為政者万歳の翼賛理論ですねw

この2つが「ご回答」ですか?

388:Z
04/03/22 22:32
恐れ入り谷の鬼子母神~ですネ。

389:  
04/03/22 23:32
>>388
君があまりのも的外れなんでねw

390: 
04/03/23 01:52
ウェーバーのシンポジウムのお手伝いやってて、「教授職」になんか猛烈な
ルサンチマンを抱いていて、2ちゃんねるにかなりの時間を費やしていて、
書き込みは(失礼ながら)あんまり切れ切れの研究者という感じがしなくて、
議論をこじらしてしまいがちなZさんって、どういうひとなんでしょうか?

30台前半の崩れかけODというプロフィールがなんとなく浮かぶんですが・・・


391:Z
04/03/23 18:36
>>390さん江
そういう人なんですヨ。

392:さげ
04/03/23 19:17
今野元はどうでつか?

393:Z
04/03/23 20:15
>>392さん江
この板では、何故Mヴェーバーの『国民国家と経済政策』が取り挙げられないんで
しょうか?
>392さんのご意見。期待!


394:Z
04/03/23 20:55
今までは緻密な「解釈学」が学問とされて来た。馬克思(marukusu)にしろ、ヴェーバー
にしろ、経済学の新古典派レオン・ワルラスにしろ…。私は決して解釈学を否定しない。
しかし、解釈学は解釈学でしかない。それを基にして、たとえ荒っぽくても創造的な問題
提起があっても良いのではないか?
この板は~その目標は、オリジナルな「道場破り」ではないか?
師匠~弟子~道場の保守…  ではない筈だ。
Mヴェーバー学を、メタモルフォーゼせしめよ!!


395: 
04/03/23 21:25
>>392
読んでないけど、この人まだ30ぐらいでしょ?それで一著なしたのは率直に凄いと思う。
ただ、学問的客観性と政治的価値判断を厳密に区別した上で、社会の一成員としてはみずからの政治的
旗色を鮮明にすることの重要性をウェーバーが説いていて、そしてウェーバー自身は一般的に
抱かれるリベラルなイメージと違って、意外にも排外的ナショナリズムの性格を持っていた、という
話自体は、別に案外でも目新しくもないような気がするんだが、どうなんでしょうか。
読まずにタイトルだけで内容を推測してるので、かなり見当はずれなことを言ってるかもしれないが。

396:Z
04/03/24 21:59
>>395
↑上記の如く、ヴェーバーにはアンビヴァレンツな面が多々あります。
そこがまた、ヴェーバーの魅力です。特に「政治思想」の対外と対内の違い。

参照=
マックス.ヴェーバーの政治思想は

*対外的には、強い国家=あえて誤解を省みず言えば、「権力国家」

*対内的には、
①個人の人格の尊重(基本的人権の尊重)
②自由の厳守(学術・文化・市場の自由)
③民主主義の徹底(非常事態には、委任独裁を期限付きで認める。
 但し、議会の承認を経て)

についてもそうです。
プロイセンの文部行政にあれだけ反論したのに(「没価値性」は、先ずもって、
プロイセンの文部行政に対する反論)、『国民国家と経済政策』では、ビスマルク
をベタ褒めです。

結論として=私は、決してヴェーバーは矛盾していないと思っています。
学問においても、私生活においても、完璧に一致している人間なんているでしょうか?

彼の女性関係においてもそうです。
その点、奥さんのマリアンネ・ヴェーバーは偉かった。見て見ぬ振りをしていた。
彼女は、今で言うフェミニズムの先導者であったから。
そして、当の女性を、婦人運動に使っていた。
『リヒトホーフェン姉妹』(みすず書房刊)参照



397:   
04/03/25 06:44
>結論として=私は、決してヴェーバーは矛盾していないと思っています。
という論座解釈

398:Z
04/03/25 20:45
>>397
「論座」とは、どういう意味で使っているのか?
朝日新聞社が出している総合雑誌『論座』の意味ですか?
あるいは、かつて「講壇社会主義」(例えばウェルナー・ゾムバルト)
というコトバがありましたが、その講壇という意味ですか?

   あるいは(多分)、机上理論という意味でしょうなァ。
☆「理論」は現実を、‘机上(講壇)’という俎板に載せて、
  捏ね併せたもの。 ~その捏ね併せ方に問題があるのでしょうネ。
  (どう問題があるのか~そこが聞きたい)
    

399: 
04/03/25 21:06
同意できる部分も多いのだが、なんか引っ掛かりを感じたところを。

>>結論として=私は、決してヴェーバーは矛盾していないと思っています。
>>学問においても、私生活においても、完璧に一致している人間なんているでしょうか?

?????結局、矛盾してるのか矛盾してないのか、どっちなの?

>>彼の女性関係においてもそうです。
>>その点、奥さんのマリアンネ・ヴェーバーは偉かった。見て見ぬ振りをしていた。
>>彼女は、今で言うフェミニズムの先導者であったから

フェミに言わせれば、こういう「理解ある正妻」みたいな振る舞いこそ、結婚制度のうえに
男にあぐらをかかせる許されまじ態度だと思うのだが。男にだけ都合の良いフリーセックス論は
フェミニズムとは無縁のものだ。


400:Z
04/03/25 21:36
>400 Get!
>>399さん江
早速のレス有難うございました。
問題は2つ ①矛盾の件  ②フェミニズムの件

①は貴君の言われるとおりです。数理学上では。

②厳しいですネ。倫理的にはその通りです。

でも、多少の揺らぎ~アソビが欲しいです。(自動車のハンドルやブレーキ
にそれが無かったら大変です~尤も、程度の問題ですが)
追伸
最近、往年のデビッド・リーン監督“逢びき”が再上映されるそうです。



401:Z
04/03/28 01:34
馬克思(marukusu)にしろ、ヴェーバーにしろ、日本の社会科学は解釈学の域
をでない。だから、ノーベル経済学賞だけは、未だにもらえない。
少しぐらい荒っぽくても独創的な事をしなければ。例えば、梅棹忠夫『文明の
生態史観』のように。シュッツは70年も前に、ヴェーバーの現象学的再構築
である『社会的世界の意味構成』を書いている。
独創的といえば、歴史人口学の速水融氏ぐらい。彼が、ノーベル経済学賞に
一番近い。
(ここはノーベル経済学賞の板と違った~スマソ)

402:↑
04/03/28 10:09
君何歳?
読んでるものが世代を感じさせるもんだけど。

馬列主義は、どこでも形骸化しちゃったみたいだけどね

403: 
04/03/28 14:22
>>401
ノーベル経済学賞ってのは実質的には「近代経済学賞」だろ。
自分ではまともに数学できない速水なんかがもらえるわけがない。

404:Z
04/03/28 20:47
速水さんは、コンピュータalmightyだ。統計学はしている。
(経済史では、資料集計に必須)
アインシュタインだって、自分の理論を数式化するのには、専門家に頼んだそうだ。
1993年に、経済史分野でノーベル経済学賞をもらったダグラス・ノースだって、高等
数学は使っていない。(同時に貰ったフォーゲルの方は、経済史に数理経済学を駆使
しているが…)
社会学理論でも数理化しなければ…。
シュンペーターは、文章に書くと一冊の本になるものを、数式なら一行で済むと言って
いる。

先ず始めに、ヴェーバー理論の数学化。


405:Z
04/03/28 20:56
>>402
漏れの経済史はマルクス~ヴェーバー~大塚久雄だったが、今では、Hブローデル
に重点を移してるヨ。
Hブローデルは、書物にはMヴェーバーを良く言っていないが(彼はヴェーバーに、
アレルギーを感じる…といっている)、彼の最大の愛読書はヴェーバーだったらしい。


406:↑
04/03/28 22:33
大塚久雄?
あの「共同体」に憑かれた彼ですか、微妙ですな。
すでに大塚が論駁された後の世代としてはね。

407:Z
04/03/28 23:18
>>406
>論駁された<と決め付けるのは、いささか(~いや、大いに)無謀だ。
解釈学相互の争いにしか過ぎない。そんなもんに拘っているから、
独創的なモノが生まれないのだ。

解釈学  “ここがロードス島だ。ここで飛べ!”(馬克思)



408:↑
04/03/29 00:11
共同体と近代 でコテンパンにされてるけれどね。
信じないのも解釈のうちですか?それとも、
何か反駁でもあるの?

409: 
04/03/29 00:26
解釈学もなにも、日本の西洋経済史学界においてすら、実証レベルで大塚テーゼの根拠は覆されている。
大塚からなお学びうる事というのは、理論そのものではなくて、問題意識とか、
日本の社会科学はどういう課題を研究対象として選択すべきなのか、とかそういうことでしょ。



410:Z
04/03/29 00:28
>>408
どうも「2ちゃんねる」の方々は、ただ、結果(それも不確かな~そのくせ
強がりのコトバを力んで使って)だけを掲げて、それまでの経緯については
一切触れずに、脅迫めいたことばかり言っていますが、足元が見え見えです。
「コテンパン」というコトバは、討論用語にはない。
「5W・1H」で回答してください。
(5W=What/When/Where/Who/Why 1H=How)

411:↑
04/03/29 00:56
もしかして読んでないの?

412:↑
04/03/29 01:01
小谷 汪之は知ってますか?

413: 
04/03/29 03:07
ウェーバーを邦訳で読んでるかぎりは
大塚久雄の呪縛から逃れることは不可能なわけだが。

414:↑
04/03/29 16:32
それは反論なんでしょうか?或いはただの意見なんでしょうか?

415: 
04/03/29 19:20
>>413
プロ倫だけじゃん。しかも、梶原力訳もあるし

416:Z
04/03/29 23:08
>>412さん江
私は「明石書店」や「こぶし書房」から発行された本は、まだ読んだ事がありません。
名前は知っていますが…  したがって小谷 汪之氏がどんな方か、存じ上げていません。
ところで、ある評者が一方的に、相手の論考を攻撃したからとて、それで相手をコテンパン
にやっつけた事にはなりません。
私としても、大塚氏の説に、全て同意している訳ではありません。重点をHブローデルに
注いでいますから。また、大塚氏の論考がいつまでも賞賛されているようでは、学問の進歩
はないでしょう。当然のことです。‘馬~ヴ~大’の系列で経済史を学ぶのは、一般的でした。 
未だ、歴史人口学は無かった時代です。まして、フォーゲルの経済史理論はわが国に輸入され
ていませんでした。(理論経済学は近経でも、経済史は馬克思学派が優勢でした)

まだまだ、言いたいことはありますが、このへんで…





417:↑
04/03/30 02:02
一般的だったから何なの?もちろん過去には敬意は払うけどね。


>ある評者が一方的
へー知りもしないのに?
>>どうも「2ちゃんねる」の方々は、ただ、結果(それも不確かな~そのくせ
>>強がりのコトバを力んで使って)だけを掲げて、それまでの経緯については
>>一切触れずに、脅迫めいたことばかり言っていますが、足元が見え見えです。
>>「コテンパン」というコトバは、討論用語にはない。
>>「5W・1H」で回答してください。
>>(5W=What/When/Where/Who/Why 1H=How)

418:↑
04/03/30 02:25
あ ごめん つられてあおっちゃった。
まあ小谷だけが批判したんじゃないけれど
小谷著のUP選書でも読んでみれば安い薄いし、大学の演習にも使われてるしね。

419:Zさん江
04/03/30 15:27
小谷知らないなんて・・・、どんな大学通ってタンダ?在野だとしたら程度低すぎ。大塚批判は、引用するとしないとに関わらず、その言説の多くが小谷に起因するのに。何読んでたんだろ。

420:Z
04/03/30 21:10
>>419
まァ小谷氏の『歴史と人間』・『歴史と方法』を読んでみましょう。
なんだか、君のいうのは針小棒大のような気はするけどな。

421:Z
04/03/30 22:20
ご存知と思うが、ヴェーバーにしろ大塚久雄にしろ、
資料は全て二次資料である。

422:↑
04/03/30 23:24
>>どうも「2ちゃんねる」の方々は、ただ、結果(それも不確かな~そのくせ
>>強がりのコトバを力んで使って)だけを掲げて、それまでの経緯については
>>一切触れずに、脅迫めいたことばかり言っていますが、足元が見え見えです。
>>「コテンパン」というコトバは、討論用語にはない。
>>「5W・1H」で回答してください。
>>(5W=What/When/Where/Who/Why 1H=How)


423:↑
04/03/30 23:29
まあ冗談はさておき、
>なんだか、君のいうのは針小棒大のような気はするけどな。
ってどの点のことかな?

小谷が大塚の理論を論駁しているのは『共同体と近代』ですよ。
その後は実証作業に移ります。まあ在庫切れになってるが、
大学の図書館にはあるからそれ読めば。

あと
>資料は全て二次資料である。
だから何?


424: 
04/03/31 01:43
>>422
確かに2ちゃんねるだけでなく日本全国でも討論用語集にのっとるべきだよな

参考:民明書房刊『討論用語集』江田島平八郎著

425:Z
04/03/31 18:26
まァ、小谷は読んでみるけど、『岩波:哲学思想事典』にも、執筆者として名前
は載ってないゾ。

山之内靖が、ヴェーバーをニーチェに基づいて論じているのは、二十年も前から。
それは、私も認めているが…


426:↑
04/03/31 21:02
『岩波:哲学思想事典』はなんでも載ってましたっけw

427:Z
04/03/31 21:59
↑特にインドについては詳しく載っているヨン~だ。

428:↑
04/03/31 22:08
で?

429:Z
04/03/31 22:59
大塚久雄は、大河内一男・木村健康・安井琢磨などと共に、河合栄治郎門下だから、
リベラリズムの伝統を引き継いでいる。イヤ、引きすぎている。それが災いしている。
余りにもお行儀良く出来すぎている。その点、山之内は第二次世界大戦を総力戦と
して捉えているから(本当は、第一次世界大戦から「総力戦」は始まった)、戦時中
の(悪しき?)平等主義が、戦後の民主主義に繋がった事を認めている。大塚久雄は、
それを認識できなかった。それに、彼は高橋幸八郎と共に、「封建制から資本制へ」
に拘って、Hブローデルよりも(知らなかったかも)マルクスを重視した。なお、彼は
プロテスタントだったから、Occident(西ヨーロッパ)を主体にして、インドや中国
には関心をあまり向けなかった。(これが重大)


430:↑
04/04/01 14:39
>プロテスタントだったから、Occident(西ヨーロッパ)を主体にして、インドや中国
>には関心をあまり向けなかった。(これが重大)
そこが重大なわけではないんだがw

431:Z
04/04/01 21:12
>>430「↑」さんは、人のオピニオンのあら捜しばっかりやらないで、己の意見を
「併記」して、論評すべきだ。
そんなことばっかりやっていると、社民党みたいに、このスレで席を失うゾ。
ヴェーバーの言う、「騎士道精神」が全くない。
レフェリーづらは、不愉快だ。 
(自己のオピニオンは、空洞化しているらしい)


432:↑
04/04/01 22:56
あらら このスレの席は任意で決定されるものなのですかね?
それこそただの排除構造、「騎士道精神」とやらのなおれですね。

433:Z
04/04/02 00:07
>>432「↑」さん江
とにかく、↑さん。貴方のオピニオン、ご披露ください。
人の言葉尻を、捉えてばっかりいないで。
ドン・キホーテの如く、そしてMヴェーバーの如く、風車に向かって
突進したら如何ですか?  笑われたって、いいじゃないですか。

434:Z
04/04/02 00:34
Mヴェーバーの真髄は、山之内靖氏も言う如く「主観的意図と客観的結果の逆説的連関」
でしょう。その点では、大塚久雄氏も同じです。ヴェーバーは学問の王道を、のんべんだ
らりと歩くのでなく(馬克思は、‘学問に王道なし’と言った)、刑務所の塀の上で、ど
ちらに落ちるか~という瀬戸際で勝負している点です。そこが、現在に至るまで、ヴェー
バーの信奉者が絶えない理由でしょう。学問の内容が、時代と共に刻々と色あせるのは、
マルクスにしろ、ケインズにしろ、みな当然のことです。
ヨク“ケインズは死んだ”という人がいますが(もう古臭い、という意味でしょうが)、
そんなことは、‘雨の降る日は天気が悪い’というに等しい。

小林秀雄は、ある本を批評するときに、先ずその本にひれ伏すと、言っています。そして、
あくまでその著者の立場にたって考える。そのうち自分も何か一言・二言、言いたいこと
が浮かんでくる。その一言・二言、それが批評だといっています。


435:Z
04/04/02 00:54
歴史は“古きを尋ねて、新しきを知る”といいますが、また、“新しきを尋ねて、
古木を知る”という一面があります。即ち、歴史家ほど、「現代とは何か」を身体
をもって感じ取っておかねばならない。
その点に関して、ドッズ著『ギリシャ人と非理性』(みすず書房刊)が良いでしょう。
ドッズは、古典ギリシャに現代を観ている。
ギデンズやルーマンも良いですが、ドッズにヴェーバーをかぶせると、独創的な21
世紀観が生まれるだろう。

436:↑
04/04/02 06:45
突進してこれですか?歴史学を選考している僕としてはとんだお笑いなんですよ。
この場所でのオピニオン?無知なやからに向かって?何を言って無駄でしょ。
ただ僕は親切にも君の論点で間違っているところだけ、ちゃんと一言で
気づかせようと、心を砕いているわけですよ。
まあそれに調べもしないで拒否反応を起こしている時点で、見込みなしなんだけどね。

437:Z
04/04/02 19:30
本居宣長 あるいは Mヴェーバー 
   “弟子は師の真似をしてはいけない。
        師の真似をする弟子は、ニセモノである”(一休宗純)
本居宣長のアンソロジーに『玉勝間』というのがあります。ここに“師の説になづ
まぬ事”が書かれています。 いかに師であっても、自分が納得しないような説
には、従うべきでない。そのような場合、あくまで自説を堂々と主張すべきだ。
まァこんな内容です。
弟子だからといって、師の説を守る必要なない。勿論、師から受けた学恩に対
しては、最大級の敬意を表するのは当然でしょう。
本居宣長は賀茂真淵の弟子ですが、真淵の万葉志向に対して、宣長は「新古今」
です。
偉い学者は、師から貪欲に学問を盗み取るが、師の真似はしていません。
マルクスはヘーゲルやリカードの真似はしていないし、ケインズはマーシャルや
ピグーのまねはしていません。
Mヴェーバーもそうです。青山秀夫『マックス・ウェーバー』(岩波新書)に詳
しく載っています。
詳細は次回に。                

438:Z
04/04/03 21:39
>>437 >つづき(Mヴェーバーの初舞台)                 
>われに代わりて わが槍を持て<(老騎士と若武者を結ぶもの)
時は1889年、ベルリン大学で、公開の学位授与の審査会が開かれた。
対象はMヴェーバーのローマ制度史に関する問題点であった。そこで、ローマ史の
世界的権威であるテオドール・モムゼンがヴェーバーに質問した。二人の間で、
丁々発止の論戦が行われた。双方、一歩も引かなかった。最後にモムゼンが言った。
「私はヴェーバー君が正しいと認めたわけではないが、私は彼の前進を妨げようとは
思はない。“槍はすでにわが腕に重過ぎる。われに代わりて、汝この槍を持て”と
呼びかける相手は、マックス以外にない。」
このモムゼンの締め括りで討論は終わった。学位付与は決まった。ヴェーバーの
学問の世界へのデビユーである。  (青山『マクッス・ウエーバー』より)
このモムゼンの曾孫が、現代のヴェーバー学者:ヴォルフガング・モムゼンである。

先のドッズも言っている。“昨日の誤謬よりも、明日の誤謬に立脚する…”と。
また“誤謬は、真理へ近かづく一過程である…”と。



439:Z
04/04/03 21:52
青山秀夫『マックス・ウエーバー』(岩波新書)は、名著であろう。私は古書店で買って読んだ。
この本に触発され、ヴェーバーへ進んだ学徒は多いだろう。教条的マルクシズムが荒れ狂っている
時代だ。戦後第一期のヴェーバリアンは、この新書からだろう。今、読んでも通用する。
ただ、ここでは‘パンチカード’が出てくる。大型電算機が‘真空管’を使っていた時代だ。
昭和26年刊。当時のベストセラーではなかったか?

440:Z
04/04/03 22:03
青山秀夫氏は、高田保馬 博士の愛弟子で、戦前、共産党に入党。
官憲に逮捕され、「転向」してヴェーバリアンになった。
専門は理論経済学。彼の弟子に森嶋通夫がいる。この二人は変人といわれている。
(変人はKOIZUMIさんだけではないらしい)

441: 
04/04/03 23:17
青山本は山之内靖の「マックス・ヴェーバー入門」が出たので絶版になった。

442:猿も木から落ちる
04/04/04 04:28
Z氏の
>Mヴェーバーの真髄は、山之内靖氏も言う如く「主観的意図と客観的結果の逆説的連関」
でしょう。その点では、大塚久雄氏も同じです。

って2行だけど1分間くらいワロタ

443:Z
04/04/04 08:48
>>422さん江
笑ってくれて、アリガトウ!
ドッズを通してみると、ヴェーバーなんて最初から山之内氏の
いう通りだった。
ニーチェ云々は、それほどたいした問題だろうか?
羽入氏が何か言うと、スグそれに靡いてしまう。

444:Z氏へ
04/04/04 22:46
でご高説はもう終わりですかね、そんな常識的な学問論なんて、まさに常識では?

>Mヴェーバーの真髄は、山之内靖氏も言う如く「主観的意図と客観的結果の逆説的連関」
>でしょう。その点では、大塚久雄氏も同じです。
そうですかぁ それで?君は空転してますよ。
それでなんなのか?それがない。

445:中葉
04/04/05 05:08
> それでなんなのか?それがない。

私も「それ」をお聞きしたいですが、それが難しいですね。
結果として自分に矢が返ってきます。


>>358に書いたように、Max Weber Forum Japan マックス・ヴェーバー 
フォーラム URLリンク(c-faculty.chuo-u.ac.jp)
にも会議室 URLリンク(c-faculty.chuo-u.ac.jp)
が準備してあるので、いずれ書き込むつもりですが、まだ書き込めません。

それどころか、未だにどなたからも書き込みゼロです。

2ちゃんねるの方が気軽に書きこめるのですが、一方的に批判されると
その意欲が阻害されるのではないでしょうか?

446:ルーマン好き
04/04/05 20:36
なんだかとっても抽象的ですね。

447:Z
04/04/05 20:54
宮台真司著『権力の予期理論』が、全国的古書チェーン店で\100-で売っていた。
直ちに買った。(カバー・帯つき・極美)



448:Z
04/04/06 22:14
今日(4月6日)日本経済新聞夕刊に猪木武徳氏が、Mヴェーバーを逸早くアングロサクソン
社会に紹介したフランク・ナイト博士の事を書いていた。猪木氏は20世紀の経済学者として、
ケインズ、ハイエクと並んで、このフランク・ライトを挙げている。(ご一読を)純粋経済学
については、この板の範疇を超えるので書かないが、青山秀夫も、幻の名著『ビジネスの擁護』
で、ナイトに触れている。(ヴェーバーの思考方法は、アングロサクソン的である~これを前提
として)
     営利 ⇔   計算合理性   ⇔  競争
ビジネス ↑↓      ↑↓        ↑↓
     寛容 ⇔ スポーツマンシップ ⇔ フェアプレイ

これが、ヴェーバーの基本思考である。(説明は改めて)
なお、青山秀夫も『ビジネスの擁護』で、ナイトに触れている。
ナイトの詳細は、市大経研編『経済学辞典』(岩波)で。

449:Z
04/04/07 21:40
人類の歴史において、主観的意図が、その意図の通りの、客観的結果に結びついた
実例がどれだけあるだろうか? そもそも、意図=結果なんて、あっただろうか?
馬克思主義が、その最たるものであった。「能力に応じて働き、必要に応じて受け
とる」が、“必要に応じて働き、能力・権力に応じて分捕る”と、なってしまった。
そんな社会がつづく筈がない。わづか70年で消え去った。
ヴェーバーは、「意図」≠「結果」を逆手に取った。
カルヴァニズムを始めプロテスタントは、産業であれ・商業であれ・金融業であれ
「利潤」を取ることには反対であった。ただ黙々と現世内禁欲として働いた。(わが
国では、熱心な浄土真宗の信者であった近江商人のモットーが、勤勉・節約・正直で
あったように~利益は目的=モットーに無い)
それが、結果的に「自由な労働の、合理的組織を伴った、近代的経営産業資本主義を
生み出した。
~こう、ヴェーバーは分析した。それが『プロ倫』である。
ヴェーバーのヨク使うコトバに‘運命的’とか‘意図せざる結果’というのがある。
この場合は、良い意味での“主観的意図と客観的結果の逆説的連関”であった。
このような分析をした学者が、今までにいたであろうか。
羽入説を、如何に大目に見ても、『プロ倫』は揺るがないであろう。


450: 
04/04/07 21:45
500だね

451:Z
04/04/08 22:57
>>449で ‘近代的’経営産業資本主義と、書いたが
‘市民的’経営 〃    と、訂正した方が良いだろう。

452:パルぷんテ?
04/04/09 11:39
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神について質問。
イギリスの労働者階級はカルヴィ二ズムの予定説ではなくて、
メソディズムの普遍恩恵説オ信仰したという説がありますが、どちらが
正しいのでしょうか?


453:Z
04/04/10 22:38
>>452
メソジスト派の語源は、Method(方法)に由来しています。
『プロ倫』でヴェーバーは、ルッター派は別にして、プロテスタントの対象として
4派挙げています。カルヴァン派と共に、メソジスト派も4つの中に入れて論考の
対象としていますから、余り細かいことは、言わないでも良いでしょう。

454:さる
04/04/10 23:02
>余り細かいことは、言わないでも良いでしょう。
細かいことなんでしょうか?

455:Z
04/04/10 23:12
こまかい事です。

456:中葉
04/04/11 06:09
細かいことでなく、大切なことを重点的に議論することに私も賛成です。

457: 
04/04/11 12:33
それほど細かいことでもないようにも思うけど。
4派のうち、カルヴァン派以外のドイツ敬虔派や
メソディズム、新大陸の諸新興宗教が持つ信仰の特質は、
資本主義精神との親和性が不徹底だ、っていってるわけでしょ。
労働者階級も、たしかに資本主義精神に順応していくわけだけど、
その宗教的動機が、資本家に比べて不徹底なものであったとすれば、
当世流行りのモラル・エコノミー論とかとの関連も出てきそうだ。


458:Z
04/04/11 21:59
そう云う事よりも、Wゾンバルトが『ブルジョワ』で、近代資本主義はカソリック
が、大いに関与している…と、述べている事を、問題とすべきではないか。
勿論、それをバカげた事だ…と、言ってしまわないで。

459:Z
04/04/11 22:06
もう一度、『ブルジョワ』を読んで、その主旨を述べてみます。

460:実に瑣末ってさ
04/04/11 22:20
何が重大な点かを論じないで、問題とすべき点は・・・
と言い合うのは楽しいですか?

461:Z
04/04/11 23:53
楽しいデス。だから、この「板」に、遊びに来ているのデス。
>>460さん
貴方が重大だと思われるのなら、それを、ここで詳細に論じられたら如何
ですか?
重大だ~重大だ~と叫ぶだけでは、一つも「重大」ではありません。

462:↑
04/04/12 01:12
重大でない些細であると叫ぶのは「些細」であることの証明ではありません。
楽しいですねこのスレはw

463:Z
04/04/12 20:24
「些細なこと」というのは、先にも書いたように、Wゾンバルトのカソリック~
プロテスタント問題に比べて些細なわけで、Mヴェバーの解釈学に終始するのなら、
メソジスト派とカルヴァン派の、影響の違いを論ずるのも結構でしょう。しかし、
それは、あくまで解釈学のコップの中の問題です。
虎を描くのに髭にこだわって、一本一本、詮索をしながら描いていると、意図とは
反対に、結果は「猫」になってしまいますから。

464: 
04/04/12 21:51
唐突に、>>452の質問とは全く違うレベルの論点を出してきて、十分な論拠なしに
「こちらのほうが重要だからそちらのほうは些細な問題だ」、と断言するZ氏の展開の仕方は、
およそ専門家ないし専門家崩れとは思えない、問題性に満ちたやり方だと思うのだがなあ。
要するに「ぼくちんはこっちのほうが重要だと思うから、そちらのほうは些細です」と
言っているだけじゃん。ちゃんとした論拠が示されていない以上、こういう論法はただの信仰告白にすぎないよ。

自分に都合の悪い個別実証レベルの論点を、「ウェーバーの壮大な世界史的構想に比べたら些細なこと」と切り捨てるのは、
日本のウェーバー屋の悪い癖だと思うなあ。こういう悪いところまで、大塚久雄あたりの真似する必要ないのに。
そんなんだから羽入あたりにつけこまれて言いたい放題言われるんだよ。

465:Z
04/04/12 23:27
>>464さん江
>こちらのほうが重要だからそちらのほうは些細な問題だ
>ぼくちんはこっちのほうが重要だと思うから、そちらのほうは些細です

別に何も悪いところはないでしょ。そう言ったって。
それぐらいの「価値判断」は許されると思います。個人の見解の相違です。

>それは、あくまで解釈学のコップの中の問題です。
それで良いのじゃないですか。重箱の隅をほじくる‘だけ’が学問ではありません。
もっとも、それがヴェーバー学の一つではありましょうけど。



466:Z
04/04/12 23:34
そのうちに、ゾンバルトの見解をまとめてみましょう。
それよりも>>452さんの問題提起が、『プロ倫』にとって、どういう意味があるか
教えてください。

467:?
04/04/13 05:58
>>461
別に何も悪いところはないでしょ。そう言ったって。
それぐらいの「価値判断」は許されると思います。個人の見解の相違です。


468:Z
04/04/13 21:19
ゾンバルトは資本主義精神の内的要因について、
①カスリック
②プロテスタント
③ユダヤ教
の3つに分けて書いている。  先ず

①カソリックについて。
ゾンバルトは、近代資本主義の発祥地をフィレンツェだといっている。近代的簿
記もイタリアで生まれた。そして、トマス・アクイナスがキリスト教の「愛と恩
寵」および「律法」を統一したトマス主義が、近代資本主義精神の基本だといって
いる。そこでは、性の制限と生の合理化がある。トマスは利子は否定しても、資本
投資は認めている。(浪費者はオカネを余り愛さず、守銭奴はあまりにも愛しすぎる)
トマスは市民性や堅実性の教育よりも、公正・勇気・賢明にして活動的な人間教育
を重視する。

②プロテスタントについて
ゾンバルトはプロテスタントの典型を、スコットランドのピューリタンに見る。
そこでは、教義の厳しさ(物財に対する)を狂気と観る。ピューリタンの倫理学も、
勤勉・財ではなく神と取り組む事・節度を重んじる。利益は目的ではなく、富が神
の思し召しにかなうときにのみ許された(蓄積)!
ただ、ピューリタニズムは小企業で、近代的な大企業は生まれなかった~と、ゾン
バルトはいう。


469:Z
04/04/13 21:24
つづき
③ユダヤ教について
ユダヤ人ほど神を恐れる民族はない。ユダヤの律法は2つあって、ユダヤ人に対す
るものと、非ユダヤ人へのものである。非ユダヤ人からは、利子を取っても良い。
国家を失ったユダヤ人は、「運搬可能な祖国(国家)」を目指した。ゲットー
(神と民族の団結)である。

>私見<
カソリックは、現代のパリ・オートクチュールのように、問屋生産ではなかったか?
プロテスタントは、マルクスのいう小資本範疇であろう。

マルクスは『資本論』で、「蓄積せよ!蓄積せよ!」といった。これは当然、利益の
資本投資である。日本の‘近江商人’の如く、「勤勉」・「節約」・「正直」から生まれ
たものは、利潤ではないのである。Hブローデルも、マルクスの「蓄積」を重視している。

大塚史学は、この小資本範疇こそ、近代資本主義の発祥と見た。氏の『近代欧州経
済史序説』では、ヨークシャの毛織物工業が取り扱われている。
確かに、“大塚史学”は、一本スジが通っている。(但し、少数派)




470:?
04/04/13 21:59
ゾンバルトは需要の重要性を説いていなかったけ?

471:Z
04/04/14 20:19
なお、補足しておきますと、大塚氏は『近代欧州経済史序説』の中では、プロテスタントや
カソリックなど、一切、持ち出していません。

472:?
04/04/14 21:52
共同体をアプリオリで想定する愚をおかしてるけれどね。

473:Z
04/04/14 22:03
“共同体”というものは、もともと、「ア-プリオリ」な面があるもの。

474:Z
04/04/14 22:09
Hブローデルは、共同体なんて言わない。

475:?
04/04/15 01:07
>>473
それで批判を回避できたとでも?
大塚史学における共同体のアプリオリ問題は、共同体存在についてではなく、
無批判に共同体理論を用いているところなんだが、知らないみたいだね。

>Hブローデルは、共同体なんて言わない。
で?



476:Z
04/04/15 21:11
>?さん。大塚氏の『共同体の基礎理論』読んでないのですか?
読んでいたら、>>無批判に共同体理論を用いている…<<なんて、
言えないはずだ。(経済史の理論としては、大塚氏としては当然のことでしょう。
勿論、それに賛成か否かは別として。ヒックスも『経済史の理論』では、市場~
交換が、大塚氏の‘共同体’にあたる。Hブローデルもそう。 >?さん。先ず
経済史を勉強されては!)
それに、ゾンバルトにつてのご意見は避けておられる。
需要~云々なんて、ここで出すべき問題じゃないでしょうが…。
どうも、「ああ言えば上祐、こう言えばああ言う」ではねェ。


477:Z
04/04/15 21:21
勿論、私も大塚氏の‘共同体’理論には、全て賛成ではありません。むしろ
Hブローデルに近いです。

478:Z
04/04/15 21:25
それより、>?さん。
ゾンバルトの「資本主義精神の内的要因について」ご意見ください。

479:Z
04/04/16 00:33
これはあくまで私の‘感じ’なのだが、大塚氏は馬克思~馬克思主義を「ガス抜き」
していたのではないか~?と。マルクスは、ヘーゲルが逆立ちしているとして、ガス
抜きをしてrestructureしたが、大塚氏もマルクスから[形式]を借りて、restructure
した。何をガス抜きしたか? 唯物論と搾取理論であろう。労働史観は持っていたが、
労働価値説はガス抜きしたであろう。
以前、ある雑誌(多分、岩波の『図書』?)でのインタビューで、
“マルクス経済学では、生産理論が希薄だから、新古典派から‘生産関数’を借りてきて
補強すれば良い…”と言っていたのが記憶にある。
だから、大塚氏は左右から攻撃されていた。左翼原理主義が猛威を振るっていた頃、
「階級性がない!」といわれるのは、正に死刑宣告であった。
彼は、ヴェーバーは丸ごと抱え込んだとしても、マルクスは形式だけを引き継いだ~
のではなかったか。
私は、それに共感する。

480:Z
04/04/16 00:38
だから、彼の共同体理論でも、インドやイスラムなどには、分析用具
としては弱いのではないだろうか。

481: 
04/04/16 00:39
>479
>彼は、ヴェーバーは丸ごと抱え込んだとしても、マルクスは形式だけを引き継いだ~
>のではなかったか。

イギリス人のカルスタと同じってこと?(日本のはどうでもいいが


482:Z
04/04/16 00:51
彼は『共同体の基礎理論』で、ゲルマン的形態を封建制度に当てている。
マルク・ブロックも『封建社会』(みすず書房刊)で、封建制度をヨーロッパ
と日本に限定している。だから、そこでは適応するだろう。
もっとも、封建制から(近代)資本主義へという発想には、私は賛成できない。

483:?
04/04/16 06:18
Z氏
多弁を労してくれてありがたいんだけど、大塚の書籍は読んでるよ。
共同体を無批判に使っていると言う意味が君にはわかっていないようだね。
共同体が存在したと言う前提で、論を進めているところが問題なのだがね。
共同体が存在したかの論拠は考察されてないんだよ。

>ゾンバルトの「資本主義精神の内的要因について」
ゾンバルトは、ヴェーバー等の議論を資本主義の要因として否定していない。
だが彼が重点を置いていたのは要因としての需要だよ。

>ブローデルは言わない
ブローデルの話がなぜ大塚共同体批判で出てくるのかね?
経済史?勉強されたほうがいいですよですか?
僕の専門は範囲は経済史・社会史・社会科学ですがw
人に勉強しろと言う前に、君を「お勉強」したほうがいいと思いますよ。

484:Z
04/04/16 21:04
>>483 ?さん江
最初からそう言えばよいのに。人のアラ探しばかりしないで。

先ずゾンバルトについて。 
私が「資本主義精神の内的要因について」問うているのに、
>彼が重点を置いていたのは要因としての需要だよ。<
なんてAnsはないでしょ。 回答になっていません。モット真面目にヤレ~と、
言いたいです。

次に「共同体(Gemeinde)」について。
一体、共同体(Gemeinde)とは何か?人によって、みな内容が違います。これこれという
定義はありません。大塚氏の‘共同体’は、大塚流共同体です。マルクスの『先行する諸形態』
からヴェーバーのGemeindeと換骨奪胎したものです。彼が考案したものです。しかもそれを
「理想型」として。即ち、これは大塚史学としての分析用具です。借り物ではありません。
ケインズは有効需要や流動性選好を。サミュエルソンは乗数理論や加速度原理を分析用具として
自ら考案しました。ヴェーバーもカリスマ的・伝統的・依法的支配の三つを理想型として
分析用具たらしめました。大塚氏もこれです。自分の作ったものを使用するのは当然です。
吟味もクソもありません。無批判に使っている~なんて、どういう意味でしょうか。
彼は、これを「鋳型」として使わないと、はっきり言っています。当たり前です。
又、彼は歴史的事実を、この鋳型に嵌め込むような事はしていません。
(靴に足を合わせない)
それとも、>?さんは、大塚「共同体理論」が出来損ないだと、考えておられる
のでしょうか? それなら、それで一つの見解です。もしそうなら、反論を書く
べきです。 以前>463↑さんに、意見を求めたところ、

>この場所でのオピニオン?無知なやからに向かって?何を言って無駄でしょ。<

といいました。失礼だ。 >?さんは、まさかそんな事言わないでしょうネ。




485:Z
04/04/16 21:20
それからもう一つ。
例えば、同一の‘民族・宗教・言語’のところでは、当然、民族・宗教・言語
のゲマインデがあります。Mヴェーバー『都市の類型学』でも、宣誓共同体・
食卓共同体・都市共同体が出てきます。

歴史上におけるゲマインデの存在証明をどうして立証するのですか?
Hブローデルの場合は、「心象」(マンタリテ)を言います。これも
存在証明は出来るのでしょうか。
>?さんは、少なくとも、共同体が存在しなかったことを、立証すべきです。

ゲマインデの存在そのものを否定されるのならば、ヴェーバー理論は崩壊します。
羽入氏云々どころではありません。

最後に、Hブローデルの引き合い云々ですが、
今現在、ブローデルないしアナル学派を無視して、経済史が出来ますか?
>?さんも、ブローデルぐらいご存知でしょう。
私は、ヴェーバーとブローデルをドッキングしたいです。
シュッツが、ヴェーバー理論を現象学的に再構築したように。



486:Z
04/04/16 23:54
追伸
☆私は、ゾンバルトの「資本主義精神の内的要因について」についていっているのです。
資本主義でなく、その“精神”を言っているのです。
それに、“需要”云々なんて。「需要」を重要視しない経済学者がいますか?

☆ここでは、共同体への賛否が問題ではありません。大塚氏は、“借り物”の
共同体を振り回しているのではない。私だって、彼の共同体理論には全面的に
賛成ではありません。
自ら作ったものを、(無批判で)自ら振り回すのは自由です。
彼の共同体理論に誤りがあれば、それは当然、批判されるべきものです。
あれは、大塚流「理念型」です。それに対しての批判は、当然です。
>?さんは、どう批判されますか?~それが無ければ、>?さんは、
認めたことになります。(たとえ、他人の批判を借用してでも、いうべきでしょう)
☆いずれ、ブローデルの「三階建」については、述べるつもりです。
但し、ヴェーバーとの対比において。

487:?
04/04/17 00:27
すでに批判しつくされている大塚共同体について知らないみたいですね。
それとゾンバルトの需要は
>それに、“需要”云々なんて。「需要」を重要視しない経済学者がいますか?
こんな低俗な問題でないですね。それを読み取れていないのは残念ですね。

>自ら作ったものを、(無批判で)自ら振り回すのは自由です。
そのスタンスならまったく問題ありませんw
知識のない無知ままの独りよがりと解釈できますがね。
こんなことを言う人に何か伝えるすべがあるのかととても疑問。
結局最終的な逃げの言葉でしかないのですから。
まあ床屋談義でがんばってください。



488:Z
04/04/17 00:47
最後は‘逃げ’ですか?
しかし、いろいろと勉強させていただいて、アリガトウ。
何年ぶりかで(あるいはもっと)、『共同体の基礎理論』を読みました。
懐かしいです。



489:?
04/04/17 01:19
逃げ?
>自ら作ったものを、(無批判で)自ら振り回すのは自由です。
この言葉は万能ですからね。
逃げ言葉として、そんな人とまともに話してもしょうがないと思います。
逃げと解釈されてもまったくこちらとしては問題ありません。

490: ◆WEBERrvLR2
04/04/17 13:07
 

491:Z
04/04/17 20:28
資本主義精神の終末~ゾンバルトとヴェーバー

資本主義そのものの終末は、19世紀マルクスが書き、20世紀前半にシュムペー
ターが、マルクスと逆の方向で書いた(『資本主義・社会主義・民主主義』)。
現実は、皮肉なことに未来像であるべき社会主義が先に亡んだ。
“精神”については、ヴェーバーが『プロ倫』の末尾に述べている。
今は「情報化社会」という。書店には情報化社会について、ゴマンというビジネ
ス書が氾濫している。情報化社会は、資本主義(ヴェーバーの定義に従う)の未
来像を描いているのか、はたまた、終末を予言しているのか。
資本主義にしろ情報化社会にしろ、ゾンバルト流に言えば、それは人間に例える
ならば、「身体」であり、その精神は身体の「魂」である。だから、情報化社会
には、“情報化社会の精神”があるはずだ。
それで、ここでゾンバルトのいう資本主義の精神と、その精神の終末を、彼の
『ブルジョワ』から抜粋しよう。ヴェーバーと比較してください。

以下は次回にに。


492:Иαηα∫н!∫αη
04/04/17 23:34
おまいら文章長杉。
読む側の身にもなって見ろ。
これからの学会報告では生きていけないぞ。

493:vi
04/04/18 02:31
ウェーバーが病んでいた神経症って何だったの?

494:Z
04/04/18 20:08
ゾンバルト『ブルジョワ』に観る、資本主義とその精神。
ゾンバルトは、資本主義を、18世紀までのそれと、19世紀以降のそれを
区別する。
①前者は、植民地支配、大商人や金融業者の活躍などに、資本主義を観る。
②後者は、産業革命を経た後の巨大生産業やコンツェルンなどに。

“精神”については、身体と魂の関係から、魂から身体が生まれたのでないように、
資本主義からその精神が生まれる~しかし、それは無かった。
だから、資本主義以外の精神から、資本主義(近代的)が生まれた、と言う。
これは、ヴェーバーはプロテスタントを挙げているのに対し、彼はカソリック
を挙げている。

では、その精神とは?また、その精神の終末とは?(ヴェーバーよりも具体的に
述べている)

長くなるので、次にします。


495: 
04/04/18 21:01
最近社会学を学び始めたんですが、社会学を学ぶにあたって
カギとなる概念はありますか?

496:Z
04/04/18 22:36
訂正 >>494
>資本主義からその精神が生まれる~しかし、それは無かった。  >誤

>>資本主義の精神から資本主義が生まれることはなかった。  >正
に訂正します。

497:Z
04/04/19 20:04
ゾンバルトにおける資本主義精神の衰弱と終末

資本主義が高度するにつれ(『高度資本主義』1927刊)、組織の官僚化が進み、
利潤追求や市場での競争の熾烈化が、あたかも技術の発展と同じく、自己目的化する。
それに耐えられず、「沈滞した年金生活」に甘んじ、「貴族流の生活態度(優雅)」にふけり、
「奢侈」に溺れるようになる。
また、文化の発展と共に、資本主義の発展を支えてきた出生率の増大は、一転して減少
に向かう。資本主義の精神が弾力性を失ったとき、どうなるのか?
  
最後に彼は、以下の言葉で『ブルジョワ』を結んでいる。

“盲目になった巨人は、民主的な文化の担い手となる様、調教されるであろう。
もしかすると、そのときは、神々の黄昏となるかも知れない。
黄金はライン川に戻される。
誰にそれが、わかるだろうか?”

(コメントは、また)

498: 
04/04/19 21:02
ら~いんごると♪ ら~いんごると♪ ら~~~~~いんご~~~ると!♪

499:Z
04/04/20 00:47
☆ビジネス書は、一種の受験参考書のようなもので、「思考」よりも手っ取り早い
「知識」を羅列したものです。それにしても、Book Offなどへ行けば、なんとマァ
よく似たものが出版されたものだと、感心します。これが、腑抜けた資本主義精神
です。
☆Hブローデルは、『物質文明・経済(市場)・資本主義』の最後に、突然、“資本
主義は市場と敵対関係にある”と、言い出します。これは、マルクス学派の「独占
資本主義」とどんな関連があるか?レーニン『帝国主義論』をガス抜きする事。
☆‘ラインの黄金’=ヴァーグナーの“ニーベルンゲンの歌”や、トーゥキン
の『ロード・オブ・ザ・リング』(映画が上映中)  ゾンバルトは文筆家です。
☆今、「歴史人口学」が、経済史に入ってきています。その先駆者は、速水融 氏
日本でノーベル経済学賞の対象になる人は彼です。(解釈学ではダメ)
☆最後に、‘情報社会’ですが、その光と影を見極める事。情報化は、資本主義の
あるいは市場経済の、救世主たり得るか?それとも、‘魔女’か?

500:中葉
04/04/20 06:01
>>499 最後に、‘情報社会’ですが、その光と影を見極める事。情報化は、資本主義のあるいは市場経済の、救世主たり得るか?それとも、‘魔女’か?

ウェーバーが生きていたら、これをどう語るか?私の関心事です。
これを語りましょう。

実は経営学版「知識時代の実践的組織論5」スレリンク(manage板)l50
の方で03/01/28以来語りつくし、今やペースがダウンしています。

501:中葉
04/04/20 06:33
>>495 最近社会学を学び始めたんですが、社会学を学ぶにあたってカギとなる概念はありますか?

私も自学自習で社会学、というよりもマンハイムの知識社会学のごく一部を学んでいます。

その勉強の結論としては鍵鑰的位置(key position)と媒介原理(principia media)とが「カギとなる概念」です。

「変革期における人間と社会(みすず書房)」の場合、以下のページで使われています。
鍵鑰的位置(key position):pp.184,280,341
媒介原理(principia media):pp.202,213,226,280

502:Z
04/04/20 16:55
中葉さま。お久しぶりです。
「知識時代の実践的組織論5」を、‘お気に入り’に入れました。
ゆっくり拝見致します。
「情報社会」について、後ほど書きます。

503:Z
04/04/20 17:31
「情報ゲマインデ」!~?
情報社会について述べる前に、もう一度、大塚久雄氏の『共同体の基礎理論』を振り
返ってみます。
大塚氏や高橋幸八郎氏の、‘封建制から資本制へ’には、どうも賛成できません。また、
大塚氏が『共同体~』で述べている、封建制から資本制へ移行するにしたがって、ゲマ
インデ=共同体が崩壊していく…という考えにも賛成いたしかねます。Gemeinschaft→
Gesellschaft(利益社会)は如何にもキレイすぎる。新古典派経済学そのものです。
Gemeinnde~Gemeinschaftは、なにかドロドロしたものが、ある様な気がします。それが
何となく魅惑的です。(これは、あくまで私の、感性的なものですが)新古典派経済学は
キレイ過ぎます。
市場経済が高度に発達した社会(そこでは、また利益追求も高度化する)にも、ゲマインデ
は存在するだろう。ヴェーバーも『都市の類型学』でいっているように、中世都市には、
食卓共同体や宣誓共同体などがあったように、『高度資本主義』(ゾンバルト:梶山力訳)
にもゲマインデは生き残っているだろう。

情報社会には、なにか「情報ゲマインデ」のようなものが、あるのではないか?




504:中葉
04/04/20 19:15
>>503 情報社会には、なにか「情報ゲマインデ」のようなものが、あるのではないか?

マンハイムの「自由・権力・民主的計画」の基本的なカギは、近代社会の根源にある問題は一次集団の崩壊である。
そうだとすれば、一次集団を再生するのが解決策の一部だろうということになります。

これが私にとっての大きな魅力になっています。

505:中葉
04/04/20 19:19
Zさん、マックス・ヴェーバー・フォーラム掲示板も覗いてください。
URLリンク(c-faculty.chuo-u.ac.jp)

506:Z
04/04/20 19:58
中葉さんの言われる「一次集団」は、おぼろげに判るような気がします。
それの崩壊かどうかは別として、知識社会(この知識[ハードとしての]には当然、
ソフトとしての知恵もふくまれるだろう)では、一次集団は等閑視されてきました。
今や、フロイトやユングが、歴史学においても無視し得ない現状です(ドッズ著
『ギリシャ人と非理性』)。ヴェーバーも、フロイトを最初から認めています。
(詳しいことは、マリアンネ夫人の『ヴェーバー伝』参照~ヴェーバーが、雑誌
『アルヒーフ』にフロイト関連の論文を掲載拒否した件)

507:Z
04/04/21 22:28
私が情報社会で、情報ゲマインデといったのは、「情報ネットワーク」のような
サイボーグ的~ガンダム的なものでなく、もっと人間臭いものです。
「情報ネットワーク」は無臭である。だから気味悪い。
「情報ゲマインデ」=そんなものが、情報法社会にあるやろか?



508:中葉
04/04/24 11:43
Zさん、幸いなことに、マックス・ヴェーバー・フォーラム掲示板 URLリンク(c-faculty.chuo-u.ac.jp)
でも、ほとんど同じ主題について議論が始まりました。

是非、お越しください。

509:Z
04/04/26 22:16
以下のURLは、橋本力氏(1999年、「マックス・ヴェーバーと近代日本」フォーラムを
立ち上げた一人です)ご自身のものです。
URLリンク(www.econ.hokudai.ac.jp)
この中の「ヴェーバー関連」は、参考になります。


510:Z
04/04/26 22:20
訂正
正=橋本‘努’   誤=橋本‘力’
失礼しました。

511:Z
04/04/26 23:45
  ザラザラした大地
Mヴェーバーは、小学生の頃、授業中にこっそりと『ファウスト』全巻を読み上げたそうです。
だからヴェーバーは、ゲーテの影響を多分に受けています。ファウストとメフィストフェレス
は、共にゲーテの分身ではないか?それは又、ヴェーバーの分身でもあるでしょう。あたかも
『二百十日』の圭さんと碌さんが漱石の分身であるように。
「情報ゲマインデ」には、ファウスト的なものとメフィストフェレス的なものが混在していて
こそ、意味があるのではないか。だからそれは、救世主であり、悪魔でもある。即ち、救世主
から悪魔が生まれ、悪魔から救世主が生まれることもあるだろう(『職業としての政治』参照)。
柴田さんの言われるように、知識社会だけでは、キレイ過ぎるようにも思います。
情報ゲマインデには、「ザラザラした大地」も必要でしょう。


512:あげ
04/04/27 21:32


513:Z
04/04/27 23:03
岩井克人さんは、21世紀の日本経済再生に関して、
「会社共同体」を提唱しています。
「タテ社会」の能動性を言っているのでしょうか?

514:名無しさん@社会人
04/04/29 22:56
まだマックス読んだこと無いんですが、一番最初は何から入ればいいでしょう?

515:Z
04/04/29 23:52
>>514さん江
青山秀夫『マックス・ウェーバー』(岩波新書:青版)絶版だから、
古本屋で探すべし。店頭の\100コーナーにあるでしょう。

516:名無しさん@社会人
04/04/30 06:34
「自己責任論」についてウェーバーはなんというかな

517:Z
04/04/30 21:30
最近、“マスター・アンド・コマンダー”という映画(主演:ラッセル・クロウ)があった。
コマンダー=リーダーは、結果に対して「責任」を取る~というのが‘責任倫理’です。
わが国の、ある銀行が倒産した際、その頭取が、「こんな事態になるとは、予測出来なかった
…」と、嘯いていた。これでもわが国の有力銀行の頭取か?!~と、ナサケナイ!!
かつての、東京軍事裁判のA級戦犯も、そんなこといっていた。こんなコマンダーだから、戦
争を興し、そして負けるのだ。心情的には悪人ではないのだが…。たとえ悪人であっても、結
果に対して責任を取るのが、正しいのである。自己責任は、人格の(価値としての)善悪には
関係ない。     
ヴェーバーは、そう言うだろう。


518:Z
04/04/30 21:36
責任観念のあるコマンダー=リーダーなら、倒産もさせないし、バカな戦争
もしなかったであろう。

519:514
04/05/01 09:21
Zさんわかりました、探してみます。どうもありがとう

520:名無しさん@社会人
04/05/03 12:51
「主観的意図と客観的結果の逆説的連関」は「文化の悲劇」と同じですか?

521:Z
04/05/03 21:53
>>520
マキャヴェッリ曰く。“天国へ行く道を探すためには、地獄への道を熟知することである”と。

>>519
青山秀夫『マックス・ウエーバー』は古いヤツだと、お思いでしょうが、内容は非常に親切で、
学問的(初心者にとって)にも充分通用します。
確かに、ここには「パンチカード」が出てきます。1940年代のIBM計算機です。日本でも、
昭和30年代には使っていました。あたかも、映画「2001年宇宙の旅」に、真空管が使われ
ているのと同じです。
現在の50~70代の学者で、この本に啓発されてヴェーバーリアンになった人が、如何に多
いことか!!

522:Z
04/05/04 09:07
「主観的意図と客観的結果の逆説的連関」とは、例えば、権力を「敵視」する階級が、
“権力を「敵視」する”事が一つの‘権力’となって、その階級が権力を握ったとき、
以前にも増して権力に固執し、以前にも増して権力を振るう…。
これが、「文化の悲劇」と言うよりも、歴史のパラドックスだ。フランス革命にしろ、
ロシアのボルシェイズム革命にしろ。だから、H.アーレントはこの二つを否定し、
アメリカ独立革命を是とした。
要するに権力敵視は、単なるルサンチマンに過ぎない。そこには、ブルジョア的議会
民主主義思想が無いからだ。

523:Z
04/05/05 00:40
マルクス主義者のいう「前衛」というコトバに、巨大な傲慢さ(ゴーマニズム)と
虚栄心が潜んでいる。



524:名無しさん@社会人
04/05/05 04:40
ヴェーバーを真に理解するには通常20年から30年かかる
青山秀夫博士が10年間読みにだけ全力集中してやっとものにしたぐらい。
安藤英治教授も生涯をかけてヴェーバーに集中してやっと理解しえたと言う。
小室直樹も大塚博士の近くに通って毎日特訓の日々で10年かけてやっと
ものにしたというぐらい壮大で難解。

ラインハルト・ベンディクスによればヴェーバーは学び始めてから
25年目ぐらいからやっと分かり始めるであろうと言われている。

525:名無しさん@社会人
04/05/05 04:42
訂正

小室直樹も大塚博士の近くに通って毎日特訓の日々で10年かけてやっと
 ↓
小室直樹も大塚博士の近くに家を借りて、大塚博士の自宅に通って
毎日特訓の日々で10年かけてやっと

526:
04/05/05 12:17
新書とこのスレでヴェーバーを理解しようと
していた俺は天才。

527:名無しさん@社会人
04/05/05 12:27
>>524
小室の本読んで一日でヴェーバーしたと思った俺は
逝ってよしですか?

528:名無しさん@社会人
04/05/05 17:05
ヴェーバーを批判しているのは誤読がしているか完全に理解していないのが多い。
何せ難解無比だから。
直感だけでは、そうあたるものじゃない。
一部の天才を除いては。

529:名無しさん@社会人
04/05/05 23:42
流れかなりの勢いで無理なんだが俺のレポート手伝ってください_| ̄|○ 理系には無理っす

M.ヴェーバー「職業としての政治」を通読し、以下の設問に対しレポートを作成せよ。
1、(政治的正当性)
①ある政権(政府)が正当化される、とはどのようなことか。「権威」と「服従」に関するM.ヴェーバーの議論を援用しつつ説明せよ。また、②政治的正当性を喪失した政権が安定して在続し得ない理由を、具体的な例を則して説明せよ。

ナニコレ_| ̄|○


530:名無しさん@社会人
04/05/06 05:10
>>529
普通に『職業としての政治』のそれっぽいとこ読めば書けるっしょ。がんがれ

531:名無しさん@社会人
04/05/06 05:13
ほとんどの人は分かったつもりでいるんだろうね。。。
俺はその分かったつもりというところにもいないが。

532:名無しさん@社会人
04/05/07 23:32
結局「マックス・ヴェーバーの犯罪」はヴェーバー学を揺るがすほどすごいの?

533:名無しさん@社会人
04/05/08 00:20
日本の中の極一部で内ゲバみたいなもの

534:Z
04/05/08 19:56
>>529さんの問題提起は、根本的に重要な意義があります。
>①ある政権(政府)が正当化される、とはどのようなことか。< について。
ヒトラーが(独裁)政権を獲得したのは、ライヒ(ドイツ帝国議会)の委任
によって生まれたものです。そういう意味で、「ナチス」には正統性があり
ます(あくまで形式的に)。学者は、気が引けるから、それを“擬似正統性”
と、呼んでいます。
何故、ヒトラーに全権を委任したのか?
当時(1920年代末~30年代初め)右のナチスと左のドイツ共産党で議席の
過半数を占めていた。
共産党はゼネストを。ナチスには、70万人といわれる武器を持った「青年行動隊」
があった。ナチスと共産党が衝突したらどうなるか?
そこでライヒはナチスに政権を移譲したのである。

>② 政治的正当性を喪失した政権が安定して在続し得ない理由… <
①のことから②が問題になってきます。
要するに、中道の‘社会民主党’や‘国民党’は、この非常時に眠りこけていた
のである。彼らは、ライヒの議員としての「責任」・「情熱」・「判断」を、放棄
していたのである。“政治的正当性”の資格が、実質的になかったのである。
ヒトラーへの独裁委任が、いかに「苦渋の選択」と言っても通用しないだろう。
国会議員は、こんな事態になる前に、行動すべきだ。ヒトゴトではない!!


535:Z
04/05/08 20:07
>534が、民主主義が崩壊する具体的な例である。
①については、カール・シュミット『独裁』(未来社刊)
②については、『職業としての政治』

536:名無しさん@社会人
04/05/09 12:39
プロテスタントが資本主義の担い手になったとのことですが、現代においても
カトリックは資本主義の担い手にはなれないのですか?

537:名無しさん@社会人
04/05/09 14:33
このスナックZって人はアホか。
>>517みたいな単純なことはウェーバーどころか桝添みたいな三流の
政治学者でも言わない。

日本における責任感覚の希薄さには複数の原因があるだろうが、
最大の原因は、形式的な決定主体と実質的な決定主体が乖離していること。
つまり日本における「コマンダー」は本来の意味での「コマンダー」ではないこと

実質的な決定権限が与えられいず、ただ「空気」に従ってハンコ押してるだけの人に
責任感覚なんて持てっこないのは中学生でもわかる理屈。

それから『2001年宇宙の旅』に真空管なんて出てこないよ。

538:Z
04/05/09 23:29
>日本における責任感覚の希薄さには複数の原因があるだろうが、
>最大の原因は、形式的な決定主体と実質的な決定主体が乖離していること。
>つまり日本における「コマンダー」は本来の意味での「コマンダー」ではないこと

>537は、ボクの言ったことを「ヒチ難しく」言っただけだ。
何分わが国は、戦国時代から、良きにつけ悪しきにつけ、トップダウンでなく、
ボトルアップの国だから。



539:Z
04/05/09 23:40
「トップダウン」と「ボトルアップ」は、どちらが良いか悪いか、その時の
状況によって判断しなければならない。(実際はなかなか出来ないが…)
高度成長の時はボトルアップで良かった。
開戦や、今度のバブル崩壊には、トップダウンでないとダメだった。
要するに、日本にはカール・シュミットのいう、『独裁』(委任独裁)が
無い。(それは又、議会制民主主義がケッタイな形であるから)

540:名無しさん@社会人
04/05/09 23:43
少子化問題で社会学ってなんか研究とかあるの?

541:中葉
04/05/10 08:11
トップダウン、ボットムアップなど、組織の意思決定スタイルに議論が集中しつつある現状を心から歓迎します。

私の関心の中心も、21世紀のグローバル社会、知識社会における政策意思決定システムにありますから。

具体例で言うと、宮台のリバタリアニズム・リベラリズム・コミュニタリアニズムの円環 URLリンク(www.miyadai.com) あたりですね。

542:Z
04/05/11 22:58
再び>>537さん江  >537さんの言われた
「形式的な決定主体と実質的な決定主体が乖離していること」は意味深いものがあります。
と言うのは、‘形式’と‘実質’とどちらが大切かと言えば、当然、形式です。これが巌
としてある~その形式的主体が、実質的主体であらねばならない。形式が虚構で、実質が
本質なのではない。
ボトルアップそれ自体が悪いのではない。常に、トップダウンの主体が、ボトルアップを
エンクロージャー(囲い込み)しなければならないのである。
この度のバブル崩壊では、それが出来ていなかった。

543:名無しさん@社会人
04/05/11 23:09
NHK  テレ朝  TBS  テレビ東京  朝日新聞
など

日本のマスコミは情報操作をすることによって
政治家を騙して  政治や経済  株式市場を  混乱させている

なぜこういうことができるかというと
政治家  経済人  投資家にとって  業務を行う上で
情報が必要なため  マスコミが情報を提供するというと
つい受け取らざる終えなく
しかもマスコミが 情報のソースを明かさないので
鵜呑みにして 嘘情報を信じざる終えない
  それでマスコミが  情報を操作して
伝えて 政治  経済  市場を混乱させることができるからである

このような情報の独占と  情報支配  それによる  情報操作
という  左翼マスコミの陰謀に対抗する必要がある



544:名無しさん@社会人
04/05/11 23:22
>>543
warota.

545:名無しさん@社会人
04/05/12 21:42
頼むから「ボットムアップ」とか「ボトルアップ」とか変な単語作らないでもらえる?
「ボトムアップ」と「ボトルネック」の区別もつかないのかよ、ここに書き込んでいる香具師は。

546:名無しさん@社会人
04/05/12 21:53
NHK  テレ朝  TBS  テレビ東京  朝日新聞
など

日本のマスコミは情報操作をすることによって
政治家を騙して  政治や経済  株式市場を  混乱させている

なぜこういうことができるかというと
政治家  経済人  投資家にとって  業務を行う上で
情報が必要なため  マスコミが情報を提供するというと
つい受け取らざる終えなく
しかもマスコミが 情報のソースを明かさないので
鵜呑みにして 嘘情報を信じざる終えない
  それでマスコミが  情報を操作して
伝えて 政治  経済  市場を混乱させることができるからである

このような情報の独占と  情報支配  それによる  情報操作
という  左翼マスコミの陰謀に対抗する必要がある


547:名無しさん@社会人
04/05/12 23:00
>545
ボットムアップと書いている人はボトルアップと書いた人の
間違いをさりげなく指摘しているものと思われ

548:Z
04/05/13 18:51
ボトル→ボトム  スマソ・スマソ
一回ごと、打てば良かったんだが…
メンドクサイから、抓んで~抓まんで~したものだから…申し訳ない!


549:名無しさん@社会人
04/05/13 19:43
NHK  TBS  テレ朝が報道番組で活動を絶賛している
チェチェンテロリストの
首切りシーンです

日本の左翼ってこんなのとつるんでるんだーー

こわーーーーーー

URLリンク(dolby.dyndns.org)



これは messages_admin さんの 1


550:Z
04/05/13 23:32
トップダウンやボトムアップは、封建社会(武家社会)が残した遺産だろう。
現代の「発展途上国」における軍事独裁との違いを、ヴェーバリアンは実感として
知っておくべき。
中国における官僚制についてもだ。国家が何度も戦争で亡んでも、結局は従来の
Literaten-staat(文人国家)になっていった。封建社会は生まれなかった。
中国では、如何に官僚制というものが強固であることか!
現代の中国はどうか。生まれて半世紀以上経つが…。未だに軍事国家だが。
これからどう展開していくか?新しい「文化」が、生まれるかどうかが
ポイントだ。‘無産階級’文化大革命は失敗したが。



551:中葉
04/05/14 15:59
これは面白い問題ですね。

中国でこれから大変革が必要なことは中国人自身が理解し、努力しているように思います。
日本はもう望みなしですから、せめて東洋に中国ぐらい生き残らせたいので、私はこれから中国を支援することにしています。

552:名無しさん@社会人
04/05/15 01:14
>>551
なんと、日本を見捨てるのですか。

553:中葉
04/05/15 13:40
助ける方法があったら教えてください。

554:名無しさん@社会人
04/05/15 14:01
トップダウンは機能集団の機能的要請から来るのであって
封建社会とは直接関係ない。

封建社会にボトムアップは普通はありえない。すくなくとも
ボトムアップは封建社会の必然などとはいえない。むしろ封建的
人間関係はボトムアップの障害にこそなりえても。。

もうこれ以上馬鹿をさらさない方がいい>スナックZ

555:Z
04/05/15 18:48
>トップダウンは機能集団の機能的要請から来るのであって
>封建社会とは直接関係ない。
トップダウンはギリシャにも、古代ローマにも中国にもあった。
しかし、現代における理想型としての「トップダウン」は、
封建社会で育まれたものである。

>封建社会にボトムアップは普通はありえない。すくなくとも
>ボトムアップは封建社会の必然などとはいえない。むしろ封建的
>人間関係はボトムアップの障害にこそなりえても。。
これこそ、封建社会で生まれたものだ。障害とは逆だ。

これらは、「思想」と大いに関係がある。もっと、論争してください。

556:Z
04/05/15 20:53
極端な言い方をすれば、ヴェーバーが近代的・合理的と言っているものは、
その起源は「封建社会」にあるのではないだろうか?

557:名無しさん@社会人
04/05/16 01:27
そりは極端だ...

558:名無しさん@社会人
04/05/16 02:20
極端というよりただのアホにしか見えないけど…
どうやらIdealtypusを「理想的な形」と思っているらしいし、
ヴェーバーをろくに読んでないことは明らか。

559:名無しさん@社会人
04/05/16 12:44
どうせヴェーバーを読んでも凡人の俺には到底無理だな
何せ優秀な人でも30年ぐらいかかるらしいから

560:Z
04/05/16 17:19
ヴェーバーにしろマルクスにしろ、解釈学を決して否定はしないが、ただ解釈学
をひけらかすのは無意味だ。
“弟子は師のマネをしてはいけない~師のマネをする者のはニセモノである”
“昨日の誤謬でなく、明日の誤謬(~と、なるかも知れない思考)に立脚する!!”

561:Z
04/05/16 17:33
>>559
30年もかけてヴェーバーをマスターしてからでは、もう年を取って何も
言えなくなるゾ。たとえ“名無しさん”から揶揄されてもよい、思った
ことは堂々と云え。
『徒然草』にそんなことが書いてあった。


562:名無しさん@社会人
04/05/16 22:21
> 明日の誤謬(~と、なるかも知れない思考)

あなたのは思考以前の妄想レベルだと思いますが。

563:中葉
04/05/17 01:03
>>276 将来この鉄の檻(非有機的・機械的生産の技術的・経済的条件に結びつけられた近代的経済秩序の、あの強力な秩序界)の中に住むものは誰なのか、
> そして、この巨大な発展が終わる(おそらく将来、化石化した燃料の最後の一片が燃えつきる)とき、まったく新しい預言者たちが現われるのか、
> あるいは、かつての思想や理想の力強い復活が起こるのか、それとも ―そのどちらでもなくて― 一種の異常な尊大さで粉飾された機械的化石と化することになるのか、
> まだ誰にも分からない。

この後に続く言葉が面白いことに今頃気がついた。

「われわれのなすべき仕事は、以上の素描でその一端にふれたにすぎない禁欲的合理主義の意義を、さらに社会-政治的倫理の内容について、すなわち、私的集会から国家にいたるまでの社会的諸集団の組織と昨日のあり方について、明らかにしていくことだろう。
その次に、禁欲的合理主義の人文主義的合理主義とその生活理想や文化的影響に対する関係、さらには哲学上ならびに科学上の経験論の発展や技術の発展に対する、また精神的文化諸財に対する関係が分析されねばならないだろう。
それから最後に、中世における世俗内的禁欲の萌芽から発した禁欲的合理主義の歴史的生成とその純粋な功利主義への解体のあとが、歴史的に、しかも禁欲的意識の個々の伝播地域に即して究明されねばならないだろう。
こうして、はじめて、近代文化の創出にあずかった他の諸要素との関連で、禁欲的プロテスタンティズムのもつ文化的意義の度合いを明らかにすることができると考える。
この論稿ではさしずめ、重要であるにせよ、ただ一つの点だけについて、その影響の事実とあり方を、それの動機に遡源させてみようとしたのだった。

564:中葉
04/05/17 01:06
私はどうも、この「面白いことに」いつの間にか興味を持って追求して来たような気がする。

さあ、これからどうしよう?

565:Z
04/05/17 21:01
中葉さんが、ヴェーバー『プロ倫』の巻末のコトバを載せられたので、参考のため
ゾンバルト『ブルジョワ』の巻末のコトバ~
>>497
が、これです(最初の方は要約)。比較してみて下さい。

566:Z
04/05/17 21:17
ヴェーバーもゾンバルトも、ヨーロッパ(アメリカ・カナダを含む)中心主義
と言われても仕方がない様な気もする。
我々は、それをグローバルなものに再構築(Restructure)しなければ。
そこで、“グローバル”が問題になってくる。
(もうグローバルは聞き飽きた~と、言われるかも知れないが…)

567:Z
04/05/17 21:28
マルクス・エンゲルスは、『共産党宣言』の末尾に、“万国のプロレタリア、
団結せよ!”と言った。この‘万国’は、ECの基である欧州石炭鉄鋼共同体
六ヶ国に英・伊を加えたぐらいである。万国といってもグローバルではない。
やっぱり、マルクスもヨーロッパ中心主義だ。

568:Z
04/05/17 21:59
1929年10月24日(木)~いわゆる「暗黒の木曜日」。ニューヨーク株式取引所
株価大暴落。世界恐慌が始まった。これが「グローバル」である。
勿論、現代の情報はグローバル。
人によっては、「大航海時代」からグローバルが始まったという。
マルクスにしてもヴェーバーにしても、学問の射程はグローバル
であるが…。

☆マルクス『資本制生産に先行する諸形態』(地中海・ゲルマン・
アジア的生産様式)

☆ヴェーバー『世界宗教の経済倫理』(プロ倫・ヒンズー教と仏教・
儒教と道教・古代ユダヤ教)



569:Z
04/05/17 22:06
グローバルを論ずる際に、それと一体になっているのが“システム”である。
これを抜きにグローバルは解明されない。

さて、問題はこのシステムは、ヘーゲルのいう「形式」と、どう関係しているのか?

570:中葉
04/05/17 23:52
>>569

そうですね。
私も、根はシステムやですから、10年間国際経営を教えた間、何の疑問も持たず、システムとしてグローバルを扱ってきました。

ヘーゲルなど全然気にしないでやってきましたが、何か抜けていたかもしれませんね。

571:中葉
04/05/18 00:05
>>565 >>497 が、これです(最初の方は要約)。比較してみて下さい。

比較してみました。あまりにも似ていて、コメントのしようも、必要もないと感じました。

それよりも、私は対応策の提案と実践に寧日ないという状況です。

その観点から以下の言葉が出てきたのです。

>>563 この後に続く言葉が面白いことに今頃気がついた。

また、その関係で、昔買ってちょっと読んだベンディックス著折原浩訳「マックス・ウェーバー」を引っ張り出したところです。

そんなことを考えたのは、今最終校正を終わったばかりの
地域開発と地域文化―『エコ・コミュニティ』づくりについて考える―
の中の 2.2.4 理念(その3):方法論における理念の革新
の文章を分かりやすくするのにウェーバーをどう引用するか、頭を悩ませていたからです。

でも、今は頭が少しすっきりしました。

そして、やはりツンドクだった「儒教と道教」を読もうかと、ちょっと食指を動かしているところです。

572:中葉
04/05/18 00:07
地域開発と地域文化―『エコ・コミュニティ』づくりについて考える―
URLリンク(home1.catvmics.ne.jp)

以上のように書き漏れがありました。お詫びします。

573:名無しさん
04/05/18 01:19
「日本だめぽ、これからは中国」という人の多くが、「日本だめぽ」の理由として「少子高齢化、金融機関の不良債権、財政赤字、硬直した社会システム・・・」云々を挙げるのだが、それらはすべて中国にも当てはまる。
っていうか、実の所中国の方がずっと深刻だったりする・・・。


574:名無しさん@社会人
04/05/18 14:18
中国って恐いよね。
そのうち、ピンヘッドの大群が反乱を起こすかも(w

575:Z
04/05/18 20:41
今では、グローバルを論ずる人の数だけ、グローバルがあります。また、グローバルと
一体であるシステム~構造(Constructure)~形式(Form)も、同じコトバで別の意味
を含ませたり、別のコトバでも同義だったりして…。『岩波:哲学・思想事典』でも
そうです。(初等)数学の定義のように、明確にはいきません。
中葉さんと私とでは、グローバル~システムでも、ちょっとニュアンスが異なります。
当然のことですが…


576:Z
04/05/18 20:43
>>573
I think so.

577:Z
04/05/18 20:58
コロンブス(の配下の水夫)がジェノヴァに持ち帰ったある病気が、全世界に蔓延するのに
20年とかからなかった。
同時に持ち帰った「じゃがいも」や「さつまいも」が、日本に定着するのに150年かかった。
15世紀末、前者はグローバルであった。(その‘システム’が)
~「暗黒の木曜日」と同じ。

578:Z
04/05/18 21:30
再び>>573さん江
岩波書店のPR誌『図書』H16.5月号:“中国雑感”(小林恭二)が、
参考になります。
(このスレの関係の方々も、目を通して下さい)

579:Z
04/05/19 00:19
グローバルとは、Globe~global地球的・地球規模の~で、世界内存在(In der Welt-sein=Heidegger)
・インターナショナル・マルクスの好きなAllgemein(全般的)。
それよりも、20世紀末に、何故ことさらグローバルが言われだしたかが重要である。その背景が…。
ヴェーバーは『世界宗教の経済倫理』を書いた。Hブローデルは、『世界時間』を言っている。
時間については、ドッグイヤー~スピードがグローバルの重要な要素である。
グローバルは「システム」や「構造」ではなく、それらの作動様式だろう。
自動車(と、いう構造)がグローバルでなく、それが動いている~driving現在進行形~その動き方。
何が動かすのか? 人か? 組織か? 構造それ自体か? まさか“神”ではなかろう。

580:Z
04/05/19 20:45
グローバルをトットコ論じなければならないが、チッョト寄り道してみたい。
それは
「資本主義の精神と人間類型」だ。ヴェーバーは、それをB.フランクリンに見た。
日本のいわゆる‘進歩的文化人’(今でも生きているとして)は、フランクリン
とは肌が合わないだろう。まして況や、カウボーイタイプの‘ブッシュ’とは
そうであろう。彼等が好きなタイプといえば、故ケネディだろうか? そのケネディ
も、「キューバ危機」の時は、完璧なまでの行動をとった。
日本人(いわゆる文化人)は、ホワイトハウスにしろペンタゴンにしろ、米国の
“意思決定機構”を具体的に知らないのではないか。

☆ケネディの特別補佐官だったセオドア.ソレンセンが、
『ホワイトハウスの政策決定の過程』というパンフレットを書いている。

581:名無しさん@社会人
04/05/20 02:43
大塚の後って誰か継いでいる者いるの?
なんか誰も継げる人材いないとか聞いたが。

582:Z
04/05/20 21:43
“降る雪や ヴェ-バーは遠くなりにけり”

583:中葉
04/05/20 21:49
今、ウェーバーを出発点にした論文を校了したばかりですが、

地域開発と地域文化 URLリンク(home1.catvmics.ne.jp)

ウェーバーが本当に社会を動かすのはこれからだと思う。

584:Z
04/05/21 21:18
JFケネディの特別補佐官だったセオドア・ソレンセン著『ホワイトハウスの政策決定の過程』
は、Mヴェーバー著『職業としての政治』の‘実務篇’のようだ。
コロンビア大学で2日間講演したのを、まとめたもの。『職業としての政治』と奇しくも同じ。
理想型が出てくる。カリスマは、行間に滲ませている。ソレンセンは、ヴェーバーを念頭に
おいて講演したに違いない。  1962年の「キューバ危機」が詳しく書いてある。


585:Z
04/05/21 21:50
セオドア・ソレンセン著『ホワイトハウスの政策決定の過程』の目次は以下です。

序  ジョン・K・ケネディ(大統領)
辞  グレイソン・カーク(コロンビア大学総長)

一 序章
二 決定の背景
    白亜館の態度決定の特異性~白亜館の決定の範囲~白亜館の決定の仕組み
三 決定を制約する外的条件
    その行動が容認される範囲~手段の制約~時間の制約~過去の公約の制約
四 大統領の政治的かけひき
    世論~圧力団体・議会・新聞
五 大統領顧問
    顧問たちとの会合~専門家的顧問~閣内の顧問~白亜館のスタッフとしての
    顧問~外部の顧問~顧問の資格
六 大統領の視野
    顧問を斥ける場合~大統領の自己主張
七 結論

以上です。量的には『職業としての政治』ぐらい。
コロンビア大学の‘ギノ・スペランザ基金’講演(1963/4/18,5/9の2日)  


586:Z
04/05/21 21:59
ソレンセンはケネディから政治の現実主義を学び、
ケネディはソレンセンから政治の理想主義を学んだ~と、いわれています。

587:Z
04/05/26 21:13
そこで~。「グローバル」はどうなったのかナ?

588:Z
04/05/26 23:30
ン十年前、ヴェーバー~大塚流の西洋経済史を習った。そこでは、「問屋生産」は、
前期的生産とされていた。即ち、そこからは近代的・合理的資本制生産は生まれて
来なかった~と。
しかし今、現代の最先端を行く産業は、高度近代的な問屋生産ではないか?という、
ギモンを抱いている。
第一、マルクス学派の生産・流通・金融というカテゴリーは、情報化社会では無意味
ではないか?したがって、「労働価値説」は(論理的に)合理的かもしれないが、
無意味である。~経済分析の用具たりえない。
Hブローデルは、マルクスを‘ガス抜き’するといっているが、(何をガス抜きするか
は言っていないが)当然のことだ。


589:名無しさん@社会人
04/05/27 01:01
問屋生産?? 問屋制手工業のこと?
前期的生産?? 前期的資本のことかいな?

なんか、用語が不正確じゃないか? 全く理解できないぞ

それに「前期的~」というのは、大塚史学特有の言葉であってマルクスの用語ではないだろ

590:Z
04/05/27 20:08
>>589
早速、反応していただいてアリガトウ。
>「前期的~」というのは、大塚史学特有の言葉であってマルクスの用語ではない
その通りです。
> 問屋制手工業
と言ってしまえば範囲が狭く、いかにも江戸時代的です。
パリのオートクチュールやプレタポルテは問屋生産です(あまりにも近代的な)。
情報化社会における「問屋生産」を、見直すべき~と、いうのが眼目です。

“自由な労働の、合理的な組織を伴った、市民的経営産業資本主義”
…や、植ぇ葉 は遠くなりにけり~ですか?

☆情報、情報と言いますが、「孫子」にしろ戦国時代の伊賀者・甲賀者にしろ、
情報が大切なのは、今に始まったことではありません。
☆グローバルも、そうです。

591:Z
04/05/27 22:15
岩波書店刊『経済学辞典(第3版)』(大阪市大経済研究所編)には、
「問屋制度」の項目で載っている。しかし、内容は大塚氏の論究通りである。
本当は、そこから一歩出なければならないのだが…。

592:Z
04/05/27 22:21
岩波版『経済学辞典第3版』(大阪市大経済研究所編)には、「問屋制度」の項目で
載っている。しかし、内容は大塚氏の論究の通りである。
本当は、そこから一歩進まねばならないのだが…。

593:Z
04/05/27 22:24
岩波版『経済学辞典第3版』(大阪市大経済研究所編)には、「問屋制度」の項目で
載っている。しかし、内容は大塚氏の論究の通りである。
本当は、そこから一歩進まねばならないのだが…。

594:Z
04/05/27 22:26
岩波版『経済学辞典第3版』(大阪市大経済研究所編)には、「問屋制度」の項目で
載っている。しかし、内容は大塚氏の論究の通りである。
本当は、そこから一歩進まねばならないのだが…。

595:名無しさん@社会人
04/05/28 04:06
↑なんで(ry

596:クン学部生
04/05/28 20:09
>>585
『ホワイトハウスの政策決定の過程』面白そうですね
英語はどのくらいのレベルでしょうか。

597:Z
04/05/28 20:55
私の読んだのは翻訳です。原書は

『Decision-Making in the White House』
by Theodore C.Sorensen
Columbia University Press (New York)




598:Z
04/05/28 20:56
私の読んだのは翻訳です。原書は

『Decision-Making in the White House』
by Theodore C.Sorensen
Columbia University Press (New York)




599:名無しさん@社会人
04/05/28 21:11
ありがとうございます。意思決定か。
翻訳は、アマゾンと、グーグルで掛からなかったので、絶版でしょう。



なぜ(ry

600:
04/05/28 21:13
ありがとうございます。意思決定か。
翻訳は、アマゾンと、グーグルで掛からなかったので、絶版でしょう。



なぜ(ry

601:Z
04/05/28 23:30
>>695
変な言い方だが、大塚久雄氏の方が、むしろヴェーバー的である。
ヴェーバーは、そこまで言っていない。
(あるいは、マルクス的というべきかも)
そのマルクスだって、‘市場’から経済学に入っていく。
商品の循環→おカネの循環→資本の循環で終る。
実は、〇経学派は「生産論」が弱い。
以前、大塚氏は、あるところで(雑誌『図書』か『みすず』か忘れた)、
“〇経学派は生産論が弱いから、新古典学派の‘生産関数論’を借りてきて
補強すれば良い”と、言っていた。



602:名無しさん@社会人
04/05/29 08:40
訳者はだめだめ?

603:Z
04/06/04 00:07
小室直樹さんの『経済学をめぐる巨匠たち』を読んでみた。
一般教養書だから、あれでいいんだろう。でも、もう一つパンチがない。
勿論、ヴェーバーも入っているが・・・。(シュンペーター・大塚久雄・
川島武宣も)
小室氏の『学術論集』って刊行されているのかナ?

604:名無しさん@社会人
04/06/06 03:21
古本屋で青山秀夫の「マックス・ウェーバー」手に入れた。
さあ、これからたっぷり楽しんで読ませてもらうぞw

605:Z
04/06/06 09:46
>>604
オメデトウ!

606:名無しさん@社会人
04/06/07 18:10
もう、学説史の中の人でしかないウェーバーについて、
一生懸命語っている暇人の集まるスレッドはここですか?



607:Z
04/06/07 20:49
学説史の中ですら相手にされない‘御仁’がギョウサンいるのに!

608:中葉
04/06/07 23:22
>>583 ウェーバーが本当に社会を動かすのはこれからだと思う。


609:名無しさん@社会人
04/06/08 03:52
  

610:Z
04/06/14 23:54
「Will」の宗教と「Shall」の宗教~ヴェーバー『宗教社会学論集』より

Willの宗教=儒教・道教・ヒンズー教・仏教~達人宗教
Shallの宗教=キリスト教・ユダヤ教・イスラム教~招命宗教

☆太平洋戦争で日本軍がルソン島を制圧したとき、すんでの事で
マッカーサーをコレビドール島から逃がしてしまった。
彼がコレビドールを脱出するとき、“I shall return!”の捨てせりふを
残して逃げた。
何故、マックは、I will return!と言わないで、I shall return.と言ったか?
(willは自己の意志で戻る。shallは、自己の意志でなく、神の命令で戻る)
詳しくは、また。





611:名無しさん@社会人
04/06/15 05:11
マックソウェーバーの犯罪

612:名無しさん@社会人
04/06/16 22:06
Shall we dance?


613:中葉
04/06/22 05:42
>>610 「Will」の宗教と「Shall」の宗教~ヴェーバー『宗教社会学論集』より

ウェーバーを読まないで想像するのですが、、、

私が現在、応用するために熟読しつつある「文化と宗教」の中で、ティリッヒは、
「究極的なものに対する人間の関係の仕方の二つの類型を区別する必要があります」
と言っています。

「私は、一つの型を非歴史的ないしは神秘的な類型と呼び、他の型を歴史的ないしは預言者的類型と呼ぶことにいたします」
と言っています。

「Will」の宗教が歴史的ないしは預言者的類型に、

「Shall」の宗教が非歴史的ないしは神秘的な類型に

対応しているように感じました。

614:中葉
04/06/22 05:44
イヤー、どうも逆かもしれない。

面白い。

615:名無しさん@社会人
04/06/22 14:30
この人、ジンメルにコンプレックスを持っていたと思うのですが、
如何?


616:Z
04/06/22 23:34
Willの宗教・Shallの宗教は、私が勝手につけたタームです。誰も、そんな事
言っていません。でも、私はそう感じます。
ゲーテ、ニーチェ、ヴェーバーは、双方とも大切だと言っています。

ゲーテには、神秘主義思想が潜んでいるらしいです。
山県三千雄『神秘家と神秘思想』(創文社)


617:名無しさん@社会人
04/06/26 22:34
今更で恐縮だが、羽入本を一読。
ヴェーバーよりも、羽入氏の奥さんの方に興味津々。

618:Z
04/06/27 01:31
↑あの本は、夫婦合作ですネ。
ヴェーバー学界では、褒めもしなければ、反論もしない。
(折原先生を除いて)

619:Z
04/06/28 21:57
ヴェーバーの「法社会学」や「国家社会学」につてのカキコがありません。
どなたか どうぞ。

620:名無しさん@社会人
04/07/09 10:40
純粋伝統的行為
キタ-----------(゚∀゚)---------------!!!!!!!!!!

621:名無しさん@社会人
04/07/14 20:00
age

622:名無しさん@社会人
04/07/18 00:15

マックス・ウェーバーの「方法的個人主義」と、
エミール・デュルケムの「方法的集合主義」とを比較し、
あなたはどちらがいいと思うか理由を挙げて述べてみてください。



623:名無しさん@社会人
04/07/26 01:46
ウェーバー学の第一人者って大塚?
今は誰?

624:名無しさん@社会人
04/07/26 14:22
何でも物神化するのが日本人の悪い癖だな。


625:名無しさん@社会人
04/07/28 00:15
ウェーバーが今でも評価されてるのって日本くらいでは?

626:名無しさん@社会人
04/08/02 06:38
2次資料のウェバーは信用ならん

627:Z
04/08/02 15:15
↑ヴェーバーは基本的に2次資料である。大塚さんもそうだ。
そうでないと、如何に超人であろうと、あれだけの事は出来ないだろう。

速水融さんは、1次資料の分析で、「歴史人口学」を築いた。
今は1次資料分析は、新進学徒に任しているだろうけれども。
まァ日本で、ノーベル経済学賞の受賞に値するのは速水さんぐらいだろう。

628:名無しさん@社会人
04/08/02 19:46

アンタ、ほんとに速水オタクだねえw
社会学板よりも日本史板行ったら?
もっとも、まともな近世史研究者は速水その他慶応一派の仕事は全然相手にしてないけどね。


629:名無しさん@社会人
04/08/02 21:41
速水融の業績は立派なものだと思う。
ただし、それは日本の国内での相対的な評価。
はっきりいって、近世史研究者にかぎらず日本の日本史の歴史学者ほど
みょうちくりんな屁理屈をふりまわしてきた集団はいない。
それとくらべたらまともだということ。




630:名無しさん@社会人
04/08/02 22:12
このスレ版トリビアの泉

経済人類学者・栗本慎一郎は院生時代





速水のゼミで近世の古文書を読んでいた。

631:名無しさん@社会人
04/08/03 10:32
内田さんは忘れられた?

632:名無しさん@社会人
04/08/04 08:48
小室の宗教についての知識はウェバーからのパクリ?

633:名無しさん@社会人
04/08/05 08:27
>>630
昔の三田学会雑誌とか眺めると、まじめな論文が載ってたりして新鮮だよね。
たしかイギリス帝国史の文脈でホプキンス批判とかやってたんだけど、
かたやジェントルマン資本主義で大ブレーク、こなた太陽黒点とか
言い出したあげく脳梗塞。人間、本当にわからないものです

634:洩れ車
04/08/16 19:59
>>373のスレがなくなってしまったので、お盆を過ぎたことでもあり、
好きだった森嶋通夫先生の追悼カキコに来ました。失礼。

635:名無しさん@社会人
04/08/18 02:49
>>632
確かに世俗内禁欲で何でも読み解こうとするきらいはあるな。

636:Z
04/08/19 22:46
21世紀の現在における「世俗内禁欲」は、
宮台真司いうところの『終わりなき日常を生きろ』ではないか?

637:Z
04/08/19 23:51
宮台真司が「終わりなき日常を生きろ」というのは、現代は何が善で何が悪か、また
何が真で何が偽は解らない世の中で、それを生きろ~生きざるを得ない、ということ
である。実存主義的な発想であろう。
ヤスパースは、Mヴェーバーを実存的人間として捉えている。
親鸞は、「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人においておや」といいながら、
他方で“念仏もうして極楽に生まれるたねにてや候や、はた、地獄に落ちる業にて
や候や、そうじてもて、存知せらるなり”(唯円の『歎異抄』より)。これは、
カルヴァンの予定説にも通じ、また現代の実存主義でもあろう。
宮台~ヴェーバー~親鸞~カルヴァンと、繋がっているような気がしてならない。


638:名無しさん@社会人
04/08/20 00:04
なんでも予定説の小室信者ご苦労様。

639:名無しさん@社会人
04/08/20 00:07
このスナックZって人は釣りのつもり?天然の馬鹿?

世俗内禁欲、宮台の『終わりなき日常を生きろ』、
親鸞の悪人正義説、どれ一つ繋がらないと思うが。

640:名無しさん@社会人
04/08/20 22:37
スナックって何だ。

641:名無しさん@社会人
04/08/21 02:21
>>639
親鸞の場合は、世俗内禁欲へのモチベーションが欠けているからね。
一般には、カルヴァンよりむしろルッターとの類似性を指摘されることが多いのでは
ないかしら。ルッターも親鸞も、現世的秩序そのものには割と従順だし。

642:中葉
04/08/28 05:11
>>639 どれ一つ繋がらないと思うが。

「繋がる」か「繋がらない」かは、本人が「思う」か「思わない」か次第。

自ずから実存の告白になってしまうところが面白い。


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