■ビバ!マックス・ウェーバー統一スレ■at SOCIOLOGY
■ビバ!マックス・ウェーバー統一スレ■ - 暇つぶし2ch250:gai
03/12/29 00:57
昔駒場で折原ゼミなるものに出席したことあり。
陰気な印象の人だったが今も同じかな?
マージナルマンだったけ。たいしたことない理屈。
で今までずっとウェーバですか。アホかいな?
自分の足で立ちなさい。と思ったりもした。
それで折原先生に従う人たちに聞くけど折原理論っていうのは
ドイツでどんな評価なの?それを教えて。

251: 
03/12/29 15:49
>>249
ウェーバーは、資本主義に適合的な「精神」と、
システムとして出来上がった資本主義は区別してるんじゃないの?


252:Z
03/12/31 15:36
この一年、色々とご教示いただきまして有難うございました。
皆様、よき新年をお迎えください。 来年も大いにがんばります。
もちろん、「ヴェーバー」のみで全てが解き明かせる~なんて、決して思
っていません。(かつての、教条主義的マルクス主義者のように・・・)
あくまで、ヴェーバーは‘手掛かり・足掛かり’です。
サラブレッドの馬でも、時たま、野生馬の「血」を注入(交配)しなけれ
ば、退化するそうですから。  ~解釈学からの脱却を!!~



253: 
04/01/01 08:57
>あくまで、ヴェーバーは‘手掛かり・足掛かり’です。
あなた教条的マルクス主義者の言ってたこと知りませんね?学部生ですか?

254:Z
04/01/01 17:14
>>253 あなた教条的マルクス主義者の言ってたこと知りませんね?

あなたこそ、ご存知なら具体的に教えてくださいナ。

255:Z
04/01/05 20:49
同じ宗教社会学でも、ヴェーバーとエリアーデはどう違うのでしょうか?
ヴェーバーでは「達人宗教・紹命宗教」がキーワードですが、エリアーデ
はどうでしょうか?ご教授ください。(岩波の『哲学・宗教事典』では、簡
単過ぎて解らない)

256:おp
04/01/05 20:55
URLリンク(www.gabean.com)

257:Z
04/01/05 22:56
『哲学・宗教事典』でなく、『哲学・思想事典』でした。マチガイ~スマン。

258:Z
04/01/07 20:49
☆達人宗教=ヒンズー教・仏教・儒教・道教~これらを「Will」の宗教という。
☆詔命宗教=ユダヤ教・キリスト教・イスラム教~これらを「Shall」の宗教という。

259:にゃうにゃう
04/01/08 02:25
「マックス・ウェーパーの犯罪」をさらっと読んでみましたが、別に何の感慨
もなかったですね。

ウェーパーを悪魔と呼ぶ著者のロジックは錯綜してますが、まとめると以下です。

 1 ウェーパーは資料を意図的に操作していた。
 2 従って、ウェーパーは知的に誠実でない
 3 従って、知的に誠実でないウェーパーが書いた理論は全て間違っている。

骨子は、単なる人格攻撃でした。
実際読めば分かりますが、悪魔だの、老獪だの、ずる賢いだの言葉が連呼され
てます。そんな論文がまともだと思います?

裁判では「主張」と「立証」が別れており、「主張」で最終的な結論までのロジック
を固めて、事実がそのロジック通りであることを「証拠」を提出して「立証」する。
最終的な結論までのロジックがへぼだったら、「立証」なんてそもそも問題になら
ない。

その立証も、彼の立証が功をそうしているのは「二つ」の点でウェーパーの資料の
引用に誤りがあったというだけある。それが意図的であるか否かは分からない。
著者は意図的であると推測しているが、合理的疑いを入れる余地がないほどには、
立証に成功していない。つまり、ロジックの1でつまずいている。

基本的に、議論にあげる価値はないと思いますよ。

260:にゃうにゃう
04/01/08 02:26
もう一つ。

わずか二つの点で資料の引用に誤りがあったという点で論文を発表する奴もどうか
と思いますが、それに過剰反応してしまうのは、ウェーバーの理論が「定理」として
受け止めてられていたことの裏返しですよね。

社会理論において、完全無欠の「定理」なんて有り得ません。

だけど、モデル理論の批判というのは、それと矛盾するモデルを作ってそちらの方が
現実に即していることを証拠をあげて立証するか、より一般的な包括理論を提出する
ことだと思うんですよね。

我々がウェーバーの理論を「定理」と受け止めるのは誤りですが、だからといって、
この本の著者は批判の仕方が誤っており、ロジックもへぼい。

しかし、著者は主張、ロジックが一貫していないので、ウェーバーの理論を「定理」
として受け止めるのは間違いだという一般的で当たり前の主張と、ウェーバーはヘボ
だという主張を等価として扱っている。まとめると以下です。

 主張A = ウェーバーの理論は「定理」じゃない = ウェーバーはヘボ 

ウェーバーの理論は「定理」じゃないない(真)なので、主張Aは正しく、主張Aが
正しいので、ウェーバーはヘボ(ヘボはお前じゃ)というロジックを平然と振り回
しておられる。

よく茶者の言っていることを検証せず、ウェーバーの理論は「定理」じゃないから、
この著者の言っていることは正しいと述べた奴は猛省して欲しい。

261:(ナツ)
04/01/08 03:06

>>260

ややさん,一つでも反証があったら間違いなんじゃなかったんですか?

262:
04/01/08 17:26
マックス・ウェーバーの呪縛だな。
冷静に考えれば、「プロテスタンティズムの精神が資本主義を生んだ」
なんてわけねーじゃん(笑)て感じだし、
本だけを読んでもずいぶん苦しい論証をしているという印象だ。
それが事実誤認に基づくものだったら話にならないんだが。

にもかかわらず今だにこの説が生き残ってるのは
思想好きの人間に訴えかけるからなんだろうね。
「おお、経済活動も思想に支配されているんだ
 うんうん、やっぱり思想というものは大事なんだ」
と自己完結するにはもってこいの学説というか…


263:にゃうにゃう
04/01/09 01:11
>>261
全然、そんなことはないですよ。

例えば、ある人が殺人を犯して、刑事が立証するとしましょう。
血痕と凶器と証言と自白を検察官が証拠としてあげたとしましょう。

そのうち、血痕だけが弁護側から崩されたとしても、残りの証拠で
立証できる可能性は充分にある。

すでに述べたように、論理を組み立てる段階とそれを事実から基礎
づける段階は分けて考えて下さい。

論理を組み立てる段階で論理的矛盾があればそれは問題ですが、
事実認定がひとつひっくり返ったからといって、たいした問題じゃ
ない。

264:?�_?�v?�C?�_?�v?�C
04/01/09 01:13
>>262
別のスレで書いたのを、そのまま持ってきます。

ウェーバーは「新観念史観」という見方を打ち出したと 言っていい。

ヘーゲルが「観念史観」、つまり、人間の精神活動に基づいて歴史が発展していくと
い考え方を打ち出し、その後、マルクスが「唯物史観」を打ち出した。
「唯物史観」においては、人間は一個のものとなり、物理の法則のように動作する
対象として扱われる。

ウェーバーは「新観念史観」は、この二つを包括するものと言って良い。

即物的なものも人間の行動を規制するが、観念(倫理)も人間の行動を規制し得る。

経営者が数字とにらめっこして経営方針を決定することもあれば、信念に基づいて
打算を超えて意志決定することもある。

ウェーバーの見方って、現実に即していると思いません?

思想によって「も」人間の行動を規制されるということを言っているだけで、
人間が功利的に行動することを否定してません。

265:Z
04/01/09 01:22
 未来社PR誌「未来」1月号に、折原浩氏・橋本努氏が執筆しています。
 折原氏の反論は、『ヴェーバー学のすすめ』に書かれていますからここでは述べていません。
氏が懸念しているのは、ヴェーバーは勿論の事、羽入氏の『~犯罪』すらも読まずに、単に
週刊誌的な風潮に惑わされて、ヴェーバーを‘こうだ’と決めてしまうことです。今の大学
機構にも問題があると指摘しています。それと、節度(羽入氏の)の問題です。
 橋本氏は、羽入氏が一つの警鐘を鳴らしたことは認めても、折原氏の反論を根拠に、“木を見
て森を見ざる”論法を指摘しています。結論として、羽入氏の一つ一つの指摘は事実としながらも、
ヴェーバーの根幹のテーゼには何ら影響はないとしています。特に第3章と第4章のアンチノミー
を述べています。
 要するに、フランクリンから‘プロテスタンティズムと資本主義の精神の関連を引き出したのではなく、
その関連の肉付けとして、フランクリンを挙げているのであって、彼とてそんな完璧な人物ではないのです。
彼も一人間である以上、当然のことです。

266:(ナツ)
04/01/09 01:32
>>263

自分で覚えておいたら?

267:Z
04/01/09 01:34
おそらく、羽入氏は再反論はしないでしょう(出来ないだろう)。もし、羽入氏に‘再反論’の
意思があるのなら、「未来」誌は無条件に掲載する度量があってもよいでしょう。それを期待
して・・・。

268:にゃうにゅう
04/01/10 01:09
Zさん

>資本主義は「システム」か「精神」か

という点ですが、ケインズは、少なくとも、システムの側面があると見ていたと
思いますよ。

ケインズの「自由放任の終焉」という小論では、資本主義は常にメンテナンスが
必要な機構であるということを述べています。メンテナンスを行う人は当然、
資本主義の精神が必要なので、この点では精神とも言えますが、同時に、対象
となる機構でもあるわけです。

なお、ケインズは絶対ウェーバーを読んでないと思います。
英国とフランスの文献は大量に読んでいたらしいですが、ドイツの文献は
全然読んだことがない人のようです。

269:Z
04/01/10 02:49
>>にゃうにゅう さん、ご指摘有難うございます。これからもヨロシク。


270:れい
04/01/11 23:54
質問なのですが、マックス・ウェーバーとW・W・ロストウの発展段階説の比較についてお分かりでしたら教えてください。

271:Z
04/01/13 19:38
☆WWロストウ(1916~)の発展段階説は、

1)↓伝統的社会
2)↓離陸のための先行的条件
3)↓離陸(Take-off)=イ)投資率の著しい上昇と持続  ロ)工業部門の急速な拡大
          ハ)農業生産性の急上昇
4)↓成熟への前進
5)高度大衆消費時代  に分けています。[岩波『経済学辞典』(大阪市大経済研究所編)より]
しかし、彼の理論は1950~60年代のものであり、旧ソ連を5)としたり、IT情報革命を見込んでいない。(ベルリンの壁崩壊以前だからしかたない)
Mヴェーバーの正統性(カズイスティーク)は発展段階説ではない。また、Fブローデルの3階建てもそう(1F=物質・2F=交易・市場・3F=資本主義)。


272:おp
04/01/13 20:13
★2ちゃんねるオマンコ情報★今がチャンス★
URLリンク(www.megabbs.com)

273:にゃうにゃう
04/01/14 01:44
Zさん

プロバイダー規制で返答が遅れましたが、こちらこそよろしくお願いします。

274:Z
04/01/14 22:58
 一昨日「ラストサムライ」(米)を観てきた。面白かった。梅田の書店には、
新渡戸稲造著『武士道』(岩波文庫)が店頭に横積みされていた(その横に「新
撰組」の本も並んでいた)。
 それで思い出したが、第一次世界大戦が終わった直後、文芸評論家の亀井勝
一郎がドイツに行ってMヴェーバーとあっている。その時、ヴェーバーは亀井
に“今次大戦での日本軍のドイツ軍捕虜への対応が、「騎士道精神」に適って
いた”として、深く礼を言ったそうだ。これは、ヴェーバー学者:住谷一彦氏
から聞いた。(シムポジウム「マックス・ヴェーバーと近代日本」1999年)

275:Z
04/01/17 23:34
Mヴェーバーが、かの神経病から回復する頃、そしてその回復も兼ねて、アメリカ大陸を旅行した。
20世紀の初頭である。そしてアメリカの大学を回り、驚いた。彼は、「アメリカの大学は企業で
あると言った。
プロイセン官僚システムの手中にある、ドイツの大学~その行政と比較して、驚いたのである。
大学教授にも、市場原理(競争原理)が貫徹することを目の当たりに見た。
彼の“価値自由論(Wert-freiheit)”は、先ずもって、プロイセン官僚の大学支配に対する反論として生まれた
のである。
ところで、成蹊大学の竹内靖雄氏は、「環境問題にも市場原理が貫徹する」と言っている。
巷間では、一般に環境と市場は対立すると見られている。この問題を理論的に証明しなければ・・・
(論理整合性として)。

276:中葉
04/01/19 09:28
すでに議論されていることかもしれませんが、「プロテスタンティズムの
倫理と資本主義の精神(岩波文庫)」の終わりに近いp.366に書いてある
以下の文章についてコメントを頂きたいと思います。

私は、恥ずかしながら、これから姜尚中「マックス・ウェーバーと近代」を
読もうとしているところです。

==============================

営利(活動)のもっとも自由な地域であるアメリカ合衆国では、営利活動は
宗教的・倫理的な意味を取り去られていて、今では純粋な競争の感情に結び
つく傾向があり、その結果、スポーツの性格をおびることさえ稀ではない。
将来この鉄の檻(非有機的・機械的生産の技術的・経済的条件に結びつけら
れた近代的経済秩序の、あの強力な秩序界)の中に住むものは誰なのか、
そして、この巨大な発展が終わる(おそらく将来、化石化した燃料の最後の
一片が燃えつきる)とき、まったく新しい預言者たちが現われるのか、ある
いは、かつての思想や理想の力強い復活が起こるのか、それとも ―その
どちらでもなくて― 一種の異常な尊大さで粉飾された機械的化石と化す
ることになるのか、まだ誰にも分からない。それはそれとして、こうした
文化発展の最後に現われる「末人たち(letzte Menschen)」にとっては、
次の言葉が真理となるのではなかろうか。「精神のない専門人、心情の
ない享楽人。この無のもの(ニヒツ)は、人間性のかつて達したことの
ない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう」と。―

==============================

277:Z
04/01/19 23:16
中葉さま お久です。「精神のない専門人、心情のない享楽人。・・・」、このフレーズは、
ニーチェの『ツァラトストラは、かく語りき』からの引用です。私は、それが『ツァラ~』
のどの辺に書かれているのか、まだ調べていません。これは、山之内氏の言です。
ヴェーバーにおいては、「非合理的なものから合理的なものが生まれ、合理的なものから非合理的生まれる」
というのが‘主テーマ’です。彼において、非合理的なものの代表が‘宗教’です。それが
合理化された(教義にしろ、教団にしろ)。『職業としての政治』の中に、「善は善からのみ
生まれ、悪は悪しか生まない~ということほど馬鹿げた考えはない」とあります。
ドッズは『ギリシャ人と非理性』で、ギリシャ文明は、非理性的なものの中から、あの理性的
な文明が生まれたことを書いています。

 そして、その文明が最高潮に達して、人々が自由であることに耐えられなくなり~即ち‘自
由の恐怖’を懐き、占星術のようなオカルトに走ってギリシャ文明は衰退した・・・と言ってい
ます。経済的には決して衰退しなかった!!生活は前にも増して裕福だった。 ドッズは、古代
に現代を見たのです。


278:Z
04/01/19 23:32
☆追伸
E.R.ドッズ著『ギリシャ人と非理性』A5-388p(岩田・水野 訳)みすず書房 1972 刊

279: 
04/01/20 00:09
>>276
大塚訳の当該引用箇所には、ウェーバー屋がこぞって指摘する有名な誤訳があります。


280:中葉
04/01/20 05:50
皆さん、適切なコメントをありがとうございました。

流石にウェーバー・スレですね。

私は今、この言葉を下敷きにしたレポート・提案書を書こうとしているので、
凄く助かりました。


281:\
04/01/20 10:23


URLリンク(www.j-n.co.jp)

282:  
04/01/21 00:41
「にせユダヤ人と日本人」で徹底的にやられたイザヤベンダサンこと
山本七平の名を冠した賞を、同じような本がもらうのも何かおもろい。

プロ倫久しぶりに読んだけど、確かに、結論先にありきで、
論証に必要かどうかわからない知識を多数ひけらかして煙にまき、
仮説をあたかも実証された科学的真実のように語る。
山本七平のごまかしテクはヴェーバーのパクリか?

しかし実証や論理展開の正確性を軽視(無視)する
思想好きの空理空論家には好まれる本みたいですなあ。
どこかロマンがあるのだろうのう。
それとも信者を増やしていくお手本として珍重されるのか?


283:Z
04/01/21 21:26
>>282さん江
貴君は「思想」と「科学」とを混同しておられる。
勿論、この混同は貴君だけではない。
思想は‘熱き心’だから、悪くいえば空理空論的なところがある。
科学は、自然科学にしろ、社会科学にしろ、人文科学にしろ、学問だから
実証(一次資料・二次資料なり、統計・実験などなど)的な裏づけが必要
である。

学問がテーゼとして一人歩きすると、思想になる(~場合がある)。
それが勝れたものか、下らんものかは別として・・・。

だから、思想に‘実証’を求めるのは無意味である。


284: 
04/01/21 23:09
>>283
282じゃないけど、あんた何にかみついてんの?
あんたの言おうとしてることが

 「プロ倫」は思想であって、科学や学問ではない。
 現実とは無関係な空理空論なのだから
 実証を求めても無意味だよ

ということなら、282も同意じゃないのかね?


285:Z
04/01/22 01:17
☆そう言うと思ってた。
『プロ倫』を思想と観るのも一つの見方であろう。その根拠は、せいぜい
『資本論』の「商品の物神性とその秘密」で充分だろう。
また、科学として観るならば、実証が基本である。その実証は、Kポパー
のいう反論可能性でなければならない。
ところで、Sピーロッティ女史が『プロ倫』批判をまとめている。下記のURL参照。
URLリンク(www.cad.gatech.edu)

思想とは“色即是空”や“人類の歴史は階級闘争の歴史である”であって、反論可能な実証でなく、絶対真理や『職業としての政治』に述べられているデマゴーグのようなものである。


286:中葉
04/01/22 08:16
>>282-285
の議論は、あまり理解できないが非常に興味深い。

今、必要があって姜尚中「マックス・ウェーバーと近代」とパウル・
ティリッヒ「文化と宗教」を読みはじめるところですが、おかげさまで
読む姿勢が決まり、読む意欲が湧いてきたように思います。

287:Z
04/01/24 00:04
>>286
Pティリッヒとはスゴイ!!
RNベラーなども、影響を受けているのでしょうか?
日本では、未だ翻訳も出てないようですね。
同じプロテスタントとして、Mヴェーバーをどう観ているのか
教えてください。
追伸=「哲学」と「思想」は、分けて考えねばならない~
   というのが、私の持論です。
   これを詳しくいえばキリがないので・・・


288:中葉
04/01/24 10:02
お目にとまって恐縮です。

詳しくはありませんが(汗)、
私がはじめて読んだベラーの「徳川時代の宗教(岩波文庫)」の出だしの
ところで、“我々は、パウル・ティリッヒ(Paul Tillich)にしたがって、
宗教を、究極的関心にかんする人間の態度と行為と定義する。”と説明して
います。そして、その後で何度もこの定義を引用しています。

私はずいぶん昔、婚約者について教会に通った頃、教会の小さな本箱にあった
ティリッヒの「信仰の本質と動態(新教出版社)」を読んでひどく感動した記
憶があるのでその後長い間探していたのですが、つい1週間ほど前に偶然、
再刊書を入手し、思い出に浸りながら読もうとしているところです。

繰り返しになりますが、ベラーの上掲書の基本理念は、ティリッヒ、
ウェーバー、石田梅岩などであり、指導教授はパーソンズ、ライシャワー、
エリセーフなどで、なんか、とっても格好いい本です。間接的には、丸山
真男の影響も大きく受けているようです。

ただ、将来のことを考えるに当たっては、同じベラーでも「善い社会(みす
ず書房)」が貴重です。そのあまり、私は原書まで購入してしまいました。

振り出しに戻りますが、私のチャレンジ課題は、
>>277 「精神のない専門人、心情のない享楽人。・・・」
です。

これに役立つ参考書はないようですね。
無謀な試みであることはわかっています。
ご支援ください。

289:中葉
04/01/24 10:12
Zさん、肝心のご質問に答えていませんでした。

ベラーについては、単行本としては上掲の他に「心の習慣(みすず書房)」
があります。講演録としては
「心学と二十一世紀の日本」URLリンク(www.geocities.jp)
"Shingaku and Twenty - First Century Japan"URLリンク(www.geocities.jp)
があり、URLリンク(www.robertbellah.com) による詳細な紹介もあります。

私はマンハイムを継ぐ貴重な存在、特に米国にとってはそうだと思います。
同じ理由で日本にとっても。

そうそう、「Mヴェーバーをどう観ているのか」はあまりはっきり分かりません。
徳川時代の宗教では、丸山の批判に対して、あちこちで悩み、揺れ動いている
ことが最近ようやく、私に判ってきました。それから、上記講演録では、そ
の反省の結果が読み取れるように思います。


290:中葉
04/01/24 10:27
もう一つ話題が残っていましたね。

>>287 「哲学」と「思想」は、分けて考えねばならない~というのが、私の持論です。これを詳しくいえばキリがないので・・・

多分、これが私にとっても、躓きの石になるでしょう。

やはり、35年ほど前に購入し、読みこなせなかったティリッヒの「文化と
宗教」を最近読み直し始めたのですが、この本の基調テーマが「哲学と精神」
に近いと思います。今日はこれ以上言えません。

言えることは、良い本と良い友に恵まれて幸せだということです。
これからよろしくお願いします。

291:中葉
04/01/24 10:50
>>265 未来社

実は、未来社には大変お世話になりました。

私はもともとマンハイムからこの分野に入ったのですが、始まりは
「自由・権力・民主的計画(未来社)」で、この本を10年間テキストに
使い、途中で絶版になったときは未来社の了解を得て、講義録版をhpに
収録したりしました。 URLリンク(home1.catvmics.ne.jp)

今年で定年退職ですが、その後もこの講義録版を社会教育に使う了解を頂き、
とても喜んでいるところです。

また、マンハイムのこの本の素晴らしさを教えられたのは、UCLAの
John Friedmann教授のRetracking America(Rodale Press)からでした。
フリードマンの集大成はPlanning in the Public Domain: From Knowledge
to Action, Princeton Univ. Pressです。
URLリンク(pup.princeton.edu)

恐るべきことは、マンハイムも、フリードマンも、もう一人私淑している
ドラッカーも、みんなオーストリー・ハンガリー帝国からアメリカへの移民
であることです。ハプスブルグ王朝、ため息が出ますね。

292:Z
04/01/24 17:36
>>中葉さん、詳しくご教示くださって有難うございました。
さて、「思想」の件ですが、岩波から『哲学・思想事典』が出ています。私も
色々と利用しています。確かに、哲学と思想は緊密な関係があります。だから
こそ、この二つはハッキリと区別しておかねばなりません。(そんな事、どっ
ちゃでもエエヤンカ~と、いう人は、それこそ、どちらでも良いでしょうが・・・)
鶴見俊輔氏主宰の『思想の科学』という雑誌があります。氏は、思想と科学は
アンチノミーであることをヨク知っているからこそ、このようなタイトルを付
けたのでしょう。
一方、「科学的社会主義」というコトバがあります~イヤ,ありました。社会
主義にしろ資本主義にしろ、科学的だの何のと、バカげた事を言うもんじゃない。
こういうところが、かつてのマルクシズムの胡散臭さです。「科学的」という
コトバに騙された者が悪い。
それから、もう一つ。客観的が科学的で、主観的が非科学的~なんて、幼稚な
レベルで物事を判断しないように!!


293:中葉
04/01/24 23:45
私は前から気になっていたのですが、

ソ連の科学的社会主義とアメリカ合州国の科学的管理法とは一卵性双生児ではないかと。

294:Z
04/01/25 00:37
これは鋭い質問です。

社会主義とは、一つの思想です。

「管理法」は経営学の一分野~一つの学問分野です。しかし、これは商品の
管理だけでなく、「人」の管理も含みます。そこが問題ですネ。そこで、M.
ヴェーバーの“精神のない専門人~・・・”が問題になってくる。かつて、E.
メイヨーがいったヒューマン・リレーション(人間関係)が経営組織論で論じら
れるようになった。(古いがL.マンフォードも『技術と文明』で論じていま
す。また、従業員の私生活にまで管理した‘フォード主義’も、科学的管理
法でした=新しいマルクス主義:レギュラシオンもこれを取り上げています)
即ち、「国家」と「企業」の違いが質的なものか、量的(規模の大小)な違い
なのか~です。私は、質的な違いだと思っています。
しかし、この2つは似ています。どちらも、人間を「機械の歯車」(L.マンフ
ォード言)としていますから。





295:Z
04/01/26 00:08
旧ソ連の社会主義を科学的(勿論、マルクスもそう言っているが)というのは、
他の社会主義を(侮蔑的に)「空想的」というのに対比しての事です(だから他
の社会主義者は、自己を空想的とは言いません)。あたかも、己の仏教を「大
乗」仏教といい、他の仏教を「小乗」と言うのに似ています(いわゆる小乗仏
教派では、己を「小乗」とは言いません)。それに対し、経営管理論を科学的
というのは、あくまで学問的(科学的)に言った言葉です(それが価値合理的か
否かは別として)。

296:中葉
04/01/26 06:23
>>295 (それが価値合理的か否かは別として)。

正にここがポイントで、ウェーバーの指摘も>>276 そこを衝いているし、

ベラーは「善い社会」の序論「私たちは制度のなかを生きている」、
その「3 なぜアメリカ人は制度の理解が苦手なのか」で、
その原因と解決策の方向を示唆しています。

新しい「複雑系」を超える「総合」科学的アプローチが求められるゆえんです。

297:中葉
04/01/28 05:40
旧スレ「資本主義の精神」URLリンク(academy.2ch.net)
の最後のメッセージ952を引用します。

952 名前: Zack 投稿日: 03/03/13 19:29

イラク問題、どう展開するでしょうか?
もし、今マックス・ヴェーバーがこの世に生きていたら、
彼なら、どんな行動をとるでしょうか?
これは他人事でなく、重大な問題です。皆様、ご意見を!!

298:中葉
04/01/29 13:09
イラク問題に関する米国の対応はは悲劇的な状況です。

ティリッヒは「文化と宗教(岩波、p.119)」において、
“この分裂は悪魔的現象であり、その最も普遍的な現象は、人による自然の
支配と、その結果として人が支配されることに対する人の嫌悪との分裂であ
り、もう一つの悪魔的象徴が、東と西との分裂である。”と言っています。

「加藤周一、戦後思想を語る(論座、2003、3、p.92-)」において加藤は、
近代とポスト近代との分裂について以下のように成田龍一と語っています。
“(成田)68年は「近代」が問いかけられるという出来事でもありましたが、
重要な20世紀の区切り目だと思います。(加藤)68年が本質的に戦後を二つ
に分けると言えるかもしれない。改めて分析する価値があると、私はとても
強く感じる。”

ドラッカーは「イノベーターの条件(ダイヤモンド社、p.159-)」で以下の
ように書いています。
“歴史にも境界がある。目立つこともない。その時点では気づかれることも
ない。だがひとたび越えてしまえば、社会的な風景や政治的な風景が変わり、
気候が変わる。「新しい現実」が始まる。1965年から73年の間のどこかで、
世界はそのような境界を越え、新しい次の世紀に入った。過去1世紀にわたっ
て、政治の信条、公約、権力構造としていたものから卒業させられた。そし
て、道しるべのない未知の世界に入った。”

これらの見解は、私が1960年から1970年までに体験した実感と符合しています。

「マックス・ウェーバーの見直し」の必要性と可能性の原点も、正にここに
あると思います。

299:Z
04/01/29 23:05
戦争を「正義」とは思わないが、さりとて、“平和は正義だ・・・”という考えに
も賛成できない。平和は利害関係(interest)であり、大いに利己的(国家で
あれ個人であれ)なものであると思う。
1904年、ヴェーバーはマリアンネ夫人とともにアメリカを訪れた。その印象が
強烈だったためか、米国をヨリ肯定的に観る傾向があるようだ。
それに反して、ヴェーバーはフランスに対して厳しい。JMケィンズもそうだ
(『講和の経済的帰結』参照)。わが国は(特にインテリ階級は)「おフラン
ス」様々の国だから、この逆。
『講和の~』にしろ、マリアンネの『Max Weber~Ein Lebens Bild』にしろ第
一次世界大戦講和での、仏・クレマンソーのやり方に怒りを書いている(二人
とも、講和に参加している)。だいたい、フランスという国は戦争に負けなが
ら、講和には勝ち組に顔を出す。騎士道精神の特に強いヴェーバーにとっては、
それが許せぬ行為だったのであろう。
今度のイラク戦争でも、アメリカを非難するならば、それ以上にフランスの平
和主義は正義ではない。フランスの思惑が見え見えであろう。そこを突っ込む
のがジャーナリストとしての責任倫理である。このようなことは、‘60年安
保闘争’についても言える。



300: 
04/01/29 23:52
ロシアは?

301:中葉
04/01/30 00:01
ティリッヒ「文化と宗教(岩波、p.119)」より引用を続けます。

“私が今日悪魔的なものの最も普遍的な表現とみなすのは、人による産業の
支配と、この支配の所産に却って人が支配されることに対する人の嫌悪との
分裂であります。人間は産業社会の全制度を大がかりにつくり出し、その所
産たる強大な力を造りながら、逆にその力に伏します。それははじめ人間を
開放し、自然の支配を可能ならしめましたが、今や人を服役の地位に追いや
り、人は次第にいよいよおのれの存在と、人格とを失ってゆくのです。この
種の非人間化は、初期の宗教的社会主義において他の象徴に対してわれわれ
が戦ったところでした。今やわれわれは、さらに大きな基盤の上にたって、
この闘いをつづけねばなりません。”

302: 
04/01/30 06:09
君マジで小田実読んでなかったみたいねぇ

303:中葉
04/01/30 06:23
ええ、好きじゃないですから。

304: 
04/01/30 07:21
でも好き嫌いできめるところは小田ゆずりだね。

305:中葉
04/02/01 07:05
>>299 そこを突っ込むのがジャーナリストとしての責任倫理である。

作家兼ジャーナリスト 村上龍、冷泉彰彦の倫理実践例
■ 『from 911/USAレポート』 第130回
URLリンク(ryumurakami.jmm.co.jp)
又は URLリンク(www.egroups.co.jp)

306: 
04/02/01 09:34
>>299
初期WASPが持っていた資本主義の精神は、20世紀初頭の段階で
失われつつあり、すでに営利追求はあたかもゲームのように営まれるように
なっている、という観察も、ウェーバーはしてますね。
外交政策にしても、かたやモンロードクトリン、こなたいけいけ覇権主義、
全然状況が違っています。
ウェーバーが今のアメリカ経済・外交を見たら、どのように評価するのでしょうか。

307:中葉
04/02/01 14:51
>>306 ウェーバーが今のアメリカ経済・外交を見たら、どのように評価するのでしょうか。

受け売りですが、次が参考になるのではないでしょうか?

>>276

==============================

文化発展の最後に現われる「末人たち(letzte Menschen)」にとっては、
次の言葉が真理となるのではなかろうか。「精神のない専門人、心情の
ない享楽人。この無のもの(ニヒツ)は、人間性のかつて達したことの
ない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう」と。―

308:Z
04/02/01 23:45
Mヴェーバーは、亡くなる前、オーストリア陸軍将校を前に、「社会主義」に
ついて講演をしました。これは科学的であれ空想的であれ、社会主義の批判で
す。でも彼はヒットラー・ナチスや第2次世界大戦は知りませんでした。
1951年、アメリカ・スタンフォード大学:ホールデン・フィッシュ・スミスの
『トップ・マネージメント』(TOP-MANAGEMENT~Organizaition and Control)が
刊行されました。これは、一方の極にナチス・ファシズム、他方にソ連ボルシ
ェヴィズムから、自由主義経済を守るために書かれたものです。またこの書は、
戦後日本の経済復興~経営学のバイブルでした。1989年、ベルリンの壁が崩壊
し、1991までに社会主義諸国は崩壊しました。マンハイムは云うまでもなく、
ティリッヒもマルクーゼもフーコーもそれを知りません。マンフォードは壁の
崩壊の年に亡くなっています。そして壁の崩壊のときに、皮肉にもわが国では
バブルが崩壊しました。それと時を同じうするように、‘IT革命’がグローバ
ル化しました。
現在の(産業構造を中心とした)自由経済システムは、このような歴史的過程
のなかで捉えるべきでしょう。
確かに、一方では「カジノ資本主義」があるでしょう。かつてのマルクス主義
(教条的な)者は、今でもこれにしがみ付いています。奇妙にも、無知で保守的
な人ほどマルクスの19世紀的資本主義論を、盲目的に信じています。
例えば、「ブルジョア」という言葉の意味を、無知で保守的な人ほど、教条的
マキシストの思惑通りに妄信しています。



309:Z
04/02/02 00:28
>>305のURL、拝読いたしました。
結論を先に言うと、「カプセル」というコトバに、筆者は‘自己陶酔’している
感じがします。民主党のパーティでブッシュを批判するのは当然でしょう。
それから、アカデミー賞に「カプセル」があって、ゴールデン・グローブ賞にはな
い~と言うのも腑に落ちません。
いささか偏りすぎている論評です。日本のジャーナリストとは、こんなものです。
「偏り」と「批判」の自己撞着=「偏り」が「批判」との思い込みが見受けられます。
こういうことは、ベルリンの壁の崩壊以前にはイヤというほど見せ付けられて来ま
した。そして、壁崩壊後は「そんなこといったか?」のような顔をして~手のひら
を返して、のうのうと無邪気に新たな「偏り」・「批判」しているのが日本のイン
テリでしょう。



310:?
04/02/02 00:29
>>308
>例えば、「ブルジョア」という言葉の意味を、
>無知で保守的な人ほど、教条的
>マキシストの思惑通りに妄信しています。

具体的にはどういう意味ですか?
「都市部有産階級」といった広義的な意味合いですか?
それとも「金融資本」といった狭義的な意味合いですか?
普通に無知で保守的(とされる)人々の謂う「ブルジョア」
とは「金持ち」程度のものですね、この国では。
ですから、田舎の土地成金や(在地)小地主でもブルジョアであり、
「保守」層とされるわけです。



311:Z
04/02/02 00:48
>>310まァそんなところです。おカネを持っているだけではブルジョアではありません。
市民として、社会的・文化的責任を果たしてこそ「ブルジョア」です。もっとも、
借金だらだらでスカンピンはブルジョアではありませんが・・・
17世紀オランダのレンブラントの有名な絵画“夜警”をご存知でしょう。
あの絵画には「資本主義の精神」がみなぎっています。


312:Z
04/02/02 00:54
したがって、プロレタリアといっても、単なる貧乏人のことではありません。
都市における産業労働者としての意識~誇りを持ってこそ、初めてマルクス
(あるいはMヴェーバー)のいうプロレタリアートです。それは資本主義の精神
の内の一部です。

313:310
04/02/02 01:53
>>311-312
ふんふん。
要するに、ビュルガー(市民)に包摂され
産業社会の進展によって
ブル/プロに階層分化していく
社会化された道徳意識ということですね。

こういった経緯を西欧文明の周辺部に属する日本人は
分かっていないという事ですか。
また、この点について
例えば中葉さんはベラー等を引用しつつ、
真宗を評価しているわけですね。

314:中葉
04/02/02 11:25
>>313 例えば中葉さんはベラー等を引用しつつ、真宗を評価しているわけですね。

良くご存知ですね。

しかし、現在は相当変わりつつあります。

第一に、ベラー自身が「徳川時代の宗教」の中の「ペーパーバック版まえがき」
の中で、丸山真男の批判に応えようと努力している場所を何度も読み直しています。

第二に、ここでも発言した、プロ倫の最後の章句(ニーチェの引用だそうですが)を
何度も何度も、現在の情勢に当てはめて考えています。

第三に、ドラッカーの「イノベーターの条件」付章「もう一人のキルケゴール
―人間の実存はいかにして可能か」に刺激され、ティリッヒ「文化と宗教」
によって、この問題提起に実践的に対応する道を模索しています。

第四に、ベラーの「善い社会(みすず書房)」から、彼の眼を通して見た
米国を理解し、対応姿勢を決めようと努力しています。

最後に、ベラー( URLリンク(www.robertbellah.com) )の比較的新しい日本への発言、
心学と二十一世紀の日本 URLリンク(www.geocities.jp)
Shingaku and Twenty - First Century Japan. URLリンク(www.geocities.jp)
を読みながら、これからの日米関係をどう再構築するか、考えています。

これからの真宗については、全く絶望していますから、無視する他ありません。

315:中葉
04/02/02 11:48
真宗だけでなく、これまで期待して来た米国のクエーカーについても、
URLリンク(www.afsc.org)
残念ながら同様です。
クエーカーの方は信用はしていますが、期待はできません。

ひょっとしたら、ICA文化事業協会が大化けするかもしれません。
URLリンク(ica-associates.ca)

316:Z
04/02/04 20:28
 話題を変えてみます。ところで、
「社会主義」というのは、結局、共同幻想ではなかったか?と思います。即ち、
共同幻想・対幻想・自己幻想が絡み合って、ズルズルとそちらの方へ行ってしま
った~。??
北朝鮮などは、市場経済はトンデモない。計画経済どころか、「無計画経済」
です。行政も、未だに植民地時代の日本官僚システムをそのまま継続している
に過ぎません。(コンピュータは導入しているでしょうが)
参照=木村光彦『北朝鮮の経済』創文社刊


317:中葉
04/02/04 23:49
資本主義はもっと幻想だと思います。

まだ、ウェーバーの幻想の方が、末人の方が、現実的ではないでしょうか?

318:Z
04/02/06 01:02
Mヴェーバーの『社会主義』は、もうご存知の事と思います。
1920年代に、ハイエク、ミーゼス、オスカー・ランゲなどの間で「計画経済」
か「市場経済」かの論争がありました。今では、結論がでています。塩沢由典氏
の『市場の秩序学』(サントリー学芸賞)によれば、計画経済でわずか40ぐら
いのモノでさえ均衡するには、スーパー・コンピュータを使っても3~400年
掛るそうです。市場に任せば一瞬です(ちょっと言い過ぎかもしれないが)。それ
に加えて、かつての旧ソ連ではキャベツやジャガイモなど、現実には生産の約半
分ぐらいは流通の官僚的怠慢で腐らせていたそうです(統計は生産統計ですから、
それは表面に出てきません)。それなのに心情的反資本主義者は、大根やキュウ
リが生産過剰になって価額下落を防ぐため、たかが数%焼却すれば、スグ資本主
義の欠陥だと騒ぎ立てます。市場経済において一般には、生産は消費の10~
15%ぐらいは多く作ります。その方が経済合理性があります。「週刊誌」など
は、均衡が50万部とすれば、60万部作成します。もし均衡通り50万部にす
れば、例えば札幌のキオスクで300部不足し、博多のキオスクで300部余る
事態が起こるでしょう。それをリアルタイムで転送すれば莫大な費用が掛ります。
均衡通りに作れば、あるスーパーマーケットの何千何万という商品の半分は余り、
半分は不足するでしょう。市場には‘ゆらぎ’(自動車のブレーキやハンドルの
アソビ)が必要です。
旧ソ連についての小咄にこんなのがあります。“ソ連のエライさんが、日本の百
貨店の食品売場にモノがいっぱい溢れているのを見て、日本の労働者階級は何と
貧乏なんだろう~彼らは、これを買うお金が無いのだと。ソ連では、たちどころ
に無くなってしまうのに~と。”


319:Z
04/02/06 01:20
もう一つ小咄を。
ソ連には三つ、世界に誇るものがある。
第一に、ソ連の国土面積は世界一である。
第二に、モスクワの地下鉄は、世界一深いところを走っている。
第三に、ソ連の腕時計の針は、世界一早くぐるぐる回る。

320:Z
04/02/06 21:22
もう一つ、Mヴェーバーの『社会主義』について。
私たちに経済原論を講義されたF教授が亡くなられて、未発表の諸論文が
遺稿集として刊行されました。その中に、「プロレタリア独裁について」
というのがあります。そこには、“P独裁とは、都市の産業労働者が一斉に
蜂起して現政権を倒し、彼らが実権を握る事であって、プロの~職業革命家
が労働者を扇動して己が実権を握るのではない。もし、そうであるならば、
その政権は過酷な専制政治~極端な官僚政権になる・・・”と、書いてあり
ました。そういえば、F教授の講義には、マルクスやエンゲルスは出て来ても、
レーニンは出て来ませんでした。やはり、Mヴェーバーの上記の論文を踏まえて
の事でしょう。旧ロシアでは、ブルジョアジーの基盤が未熟であった。(チェホフ
の『桜の園』を見よ)レーニンは、むしろ農民を扇動した。そして、ソ連時代に
スターリンはコルホーズやソホーズによって、農民をドストエフスキー時代の
ように‘農奴’にしてしまった。結局、旧ソ連は農業で失敗して崩壊した。
ロシアには、西ヨーロッパ(Occident)のような封建制度が未発達であった。
(この件については、マルク・ブロック『封建社会』参照=これについては、
改めて)
中国の毛沢東も、共産主義の拡大には、古くから細部に分かれていた農民結社
のようなものを基盤に、こまめに伸ばしていった。(終戦直後、岩波から『中国
農村慣行調査』が出ている)




321: 
04/02/06 22:58
>>320
すみません、最後の中国農民結社の文脈が取れなかったので、補足頂けると幸いです。
農民結社は封建的な性格を中国農村に与え、中共の安定に資したと理解するべきですか?
あるいはその反対?それとも別の論脈?

ところで、『社会経済史学』にも羽入本の書評出ましたのでご報告。
(大塚史学のかつての拠点だけあって、当然、点数は辛いですよ~)

322:Z
04/02/07 21:36
>>321さん江
「封建制度」=マルク・ブロック『封建社会』参照
Mブロックによれば、「封建制度」はOccident(西ヨーロッパ)と日本だけにあった
制度です。中国は二千余年、官僚制度です。ただ、ここで云う封建制度とは、
“うちの親父は封建的だ。とか、うちの社長は封建的だ。”という巷間の言
い方とは違います。巷間では、ただ古臭いもの前近代的なものを、単にそう
いっているに過ぎません。
中国の農民結社は、中国でも一番前近代的(マルクスの経済進化論からすれば)
です。そのような共産主義~社会主義と両極端のものに、先ず最初に基盤を
築いたのが毛沢東の中国共産党です。ソ連もそうでした。だから、歴史的には
後進国が共産化しました。では、都市の産業労働者が一斉蜂起して政権を倒す
事は無かったか?
それは二度ありました。ハンガリー動乱と、チェッコスロバキア(当時の)の
プラハの春でした。それらは事もあろうに、ソ連の戦車で踏み潰されてしまい
ました。
だから、現実の社会主義国家は、マルクス・ヴェーバー・シュンペーターが
考えていた社会主義国家とは、似ても似つかぬものです。
先進国では、マルクスが望んでいた共産化の‘時期’を逃がしてしまいました。
マルクスは、現代の情報化社会を予想できなかったのです。それはマルクス
の責任では、決してありません。

323:   
04/02/07 22:52
笑えたなw>「社会経済史学」の羽入本書評。
羽入がはたしてこのまま黙って引き下がっているか、見所だ。


324:Z
04/02/08 19:23
『~の犯罪』は、もう5刷(PR雑誌「未来」1月号広告より)。
出版されて、早や一年半。今頃になって、書評だなんて遅い。

325: 
04/02/08 20:49
>>324
んーでも学術誌だとそれが普通だからねえ

326: 
04/02/08 23:30
>>322
ありがとうございました。ロシアにおけるミール共同体とかと
同じで、農村社会のいわゆる相対的後進性の指標ということですね。

ところで、折原『ヴェーバー学のすすめ』を眺めてますが、もともと羽入本反駁本として
構想されているだけあって、ヴェーバー入門のようなつもりで手にした読者はひどい目に遭いそうです
タイトルに偽りありのような・・・

327:うんこ
04/02/08 23:45
うんこ

328:うんこ
04/02/08 23:45
テスト

329:うんこ
04/02/08 23:47
test

330:a
04/02/09 00:10
これ気になる・・・

URLリンク(user.auctions.yahoo.co.jp)

331:中葉
04/02/10 00:57
>>276 私は、恥ずかしながら、これから姜尚中「マックス・ウェーバーと近代」を読もうとしているところです。

必要に迫られてざっと読んで見ました。

面白そうだが難しい。頭が三角になった。

332:中葉
04/02/16 15:16
最初は取っ付き難かったが、最後の第4章「アメリカニズムの倫理と「帝国」
の精神」はめちゃ面白く、めちゃ読みやすかった。

マックス・ウェーバーも喜んでいるだろう。

333:  
04/02/16 20:12
生姜の師匠の山之内靖には
「プロテスタンティズムの倫理と帝国主義の精神」
なんて笑えるタイトルの論文があるがな。

334:中葉
04/02/16 22:07
>>333 「プロテスタンティズムの倫理と帝国主義の精神」なんて笑えるタイトルの論文があるがな。

ありがとう。「プロテスタンティズムの倫理と帝国主義の精神」で検索したら、
ずばり出てきたよ。

読書録 1999年12月前半 URLリンク(www.linelabo.com)
の中の12月3日の場所。

タイトルは笑えるが、中身はなかなか深刻。姜尚中と双璧だと思った。

335:Z
04/02/21 18:53
私は常々思うのだが、『カント事典』や『ヘーゲル事典』(共に弘文堂刊)それに
『マルクスカテゴリー事典』(これは、なかなか良い)はあるが、
どうして『ヴェーバー事典』が刊行されないのだろうか?
私は『現象学事典』・『ニーチェ事典』(共に弘文堂刊)は、ヨク利用している。
早く『ヴェーバー事典』が出れば良いのになぁ。
いっその事、この
    「ビバ!マックス・ウェーバー統一スレ」をまとめれば、事典になるか???

336: 
04/02/22 00:31
>>335
世良晃志郎あたりが生きてればそんなコトテンも作れたかも知れないけど・・・
今、ウェーバー界隈ってセクト化してる感じするからね

337:ヴェーバー初心者
04/02/22 16:54
大塚久雄の「社会科学の方法」「社会科学における人間」を
読んでみたので、ヴェーバー挑戦してみようと思います。
で、まずは「プロ倫」から読んでみようかと思うのですが、
みすずからでてる「宗教社会学論選」にプロ倫は収録されてますか?
それとも初心者は、岩波の文庫で読んだほうがいいのでしょうか?
他の論文も読んでみたいので、みすずの「宗教社会学論選」に
収録されてるのならそっちを買おうと思っているのですが・・・
ご教授願います。


338: 
04/02/22 18:52
「プロ倫」と「宗教社会学」は一応別物だ。
(前者は本文以上に大塚の解説に読む価値がある)
それよか、いきなり「支配の社会学」にチャレンジして撃沈してくれ。
「音楽社会学」も悪くないぞw

339:Z
04/02/22 22:13
338さんの言うとおりだ。
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
『支配の社会学Ⅰ、Ⅱ』は、世良晃志郎訳 創文社(『音楽社会学』も同刊)

それから、『職業としての政治』岩波文庫も。これが一番わかりやすい。
これを先ず読まれたら。

340:Z
04/02/29 11:38
19世紀フランスの政治家で、ヴィーン会議(会議は踊る~の)をまとめたタレランが、
“外交の極意は何か?”と聞かれたとき、“一に誠実、二に誠実。三、四が無くて、五
に誠実”といった。それで思い出すのは、旧ソ連の外交官グロムイコである。彼は1949
年から30年近くソ連の外相を務め、国益に貢献した。後半では、崩れつつあるソ連
国家存立を限りなく引き伸ばした。ベルリンの壁崩壊の直前に亡くなったのが、せめてもの
慰みであった。彼を高く評価したのが、米国の国務長官だったキッシンジャーである。
彼も米中国交回復・ヴェトナム停戦を実現させた。
この二人のキーワードは、やはり「誠実」であった。
Mヴェーバーが、政治においては倫理やヒューマニズム・幸福でなく、「国益」に対する
‘責任観念’を先ず第一に挙げているのに注目すべきであろう。
ヴェーバーにおいては、情熱・洞察力・責任観念の三位一体が政治であるから。

341:Z
04/03/06 18:35
今日、矢野善郎『マックス・ヴェーバーの方法論的合理主義』を買って来た。
氏は、1999年、シンポジウム「マックス・ヴェーバーと近代日本」を立ち上げた
学徒の一人である。このシンポジウムで、氏はMヴェーバーの四つの合理主義について
レポートした。
         読んでみよう。

342:Z
04/03/08 00:53
未来社のPR雑誌「未来」'04三月号に、折原浩“ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理」
論文の全論証構造”が載っている。内容は、『プロ倫』の‘プロテスタンティズムの倫理’
と‘資本主義の精神’をメビウスの輪で繋いだ、正統派ヴェーバー解説である。
ただ一つ、「禁欲的・合理的ライフ・スタイル」が市場の競争を通じて、宗教的禁欲色が功利
主義にとって代わられる点を強調しているのが目新しい。
折原氏は、このメビウスの輪自体が羽入批判であるという。即ち、針小棒大な論難や暴言・雑
言で自画自賛・自己陶酔に耽り続けるのは論外だとしている。そして、羽入氏が、ヴェーバー
の「知的誠実性」を問うた論争の「第二ラウンド」に、みずからの「知的誠実性」を賭けて
登場することを期待する。~と締めくくっている。

私見だが、それには雑誌「未来」が、羽入氏に、無条件で執筆の場を提供すべきであろう。  


343:ルーマン好き
04/03/10 22:23
羽入って今何してるの?

344:Z
04/03/10 23:56
『~の犯罪』は先月では5刷だったが、今月は1刷増えて6刷になった。
雑誌「未来」の、ミネルヴァ書房広告で。

345:
04/03/11 23:10
1年半で6刷か。学術書としては早いな。

346:ルーマン好き
04/03/13 01:05
だな、しかし一刷毎どのくらい刷ってるんだろうか?
これから羽入論理が日本では主流になるのかね。(非ウェーバー研究者の間では…)

347:
04/03/13 01:20
ヴェーバー研究者が増えないから問題なしでしょ、

348:ルーマン好き
04/03/13 08:20
うーん そうかな?
たとえばヴェーバーを引用するときに、羽入の論文だけ読んだら、
他分野でも、問題あるんじゃないのかな?
つまりさ、変な土台の上に建った家は倒れやすいでしょ。
折原言うところの「誠実でない理論」で立論されたら、もうあとは
ローリングストーンでしょ。

349:Z
04/03/13 11:48
とにかく羽入さんは、何か書け!発言せよ。黙っているのは卑怯だ!

350:ルーマン好き
04/03/13 22:05
そうだね、出てきて発言したほうが良いと思う。
異論反論を出してちゃんと向き合わないと。
折原が羽入と何か討論の場(どこかの会場を使って)を設けるのが手っ取り早いかもね。

351: 
04/03/14 04:21
「ウェーバーと近代文化人の悲劇」(ミネルヴァ)の著者の方って有名なんですか

352:Z
04/03/15 18:37
>>351
[本を探すURL]=URLリンク(www.books.or.jp)
で、検索しましたが、見つかりません。
何という方ですか?

353:指摘
04/03/15 18:55
ミネルバじゃないよ

354: 
04/03/15 21:37
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」だって。
カソリック蔑視、プロテスタント万歳、ドイツ・オーストリア万歳が読み取れるぜ。

プロテスタントの倫理が資本主義の精神をつくりだしたなら、プロテスタントがほ
とんどいない経済大国日本の成立と日本人の勤勉さはどう説明するよ?

マルクスもウェーバーも結局ドイツ・オーストリア万歳なだけだぜ。

355:
04/03/15 23:19
>>354
うーん、それはどうだろうね。
そもそもオーストリアはカトリックだし、ドイツについても、ウェーバーは
ドイツの改革諸派の教義における不徹底性を指摘している。
プロ倫は、アングロ=サクソン世界とドイツの比較論という側面を持っているんだよね。
さらに別の側面では、強迫神経症持ちのウェーバーじしんは、できることならイタリア人みたいに
なんも考えずにまったり生きてみたいなあ、という、むしろカトリック的世界への羨望を持っている。
多分、ウェーバーがプロテスタント万歳、ドイツ・オーストリア万歳というのは単純すぎると思う。
まして、イギリスの労働状態の悲惨さは人ごとじゃないんだよ、ドイツはただ遅れてるだけなんだよと
喝破したマルクスが、ドイツ・オーストリア万歳であるはずがないと思うのだけれど・・・

356:351
04/03/16 00:26
すいません、恒星社厚生閣でした
嘉目克彦という方です
翻訳などもやってるようなんですが・・・

357:Z
04/03/16 19:03
>>356さん江
嘉目克彦氏は大分大学経済学部教授。学部長もされました。確かな学者です。
1999年の“Mヴェーバーと近代日本”フォーラム(東京大学)にも参加。
政治部会で「文化の普遍史~文化的生の‘ドイツ的形式’とMヴェーバー~」
をレポートされました。(私も拝聴しました)
下記のURLは、その時のHPです。(私の写真も写っています)

URLリンク(c-faculty.chuo-u.ac.jp)

358:中葉
04/03/16 21:29
>>341 氏は、1999年、シンポジウム「マックス・ヴェーバーと近代日本」を立ち上げた

良い情報をありがとう。
早速Max Weber Forum Japan マックス・ヴェーバー フォーラム
URLリンク(c-faculty.chuo-u.ac.jp)
をブックマークしておきました。

会議室も準備してあるので、いずれ書き込むつもりです。
URLリンク(c-faculty.chuo-u.ac.jp)

359:中葉
04/03/17 21:07
>>354 プロテスタントの倫理が資本主義の精神をつくりだしたなら、プロテスタントがほとんどいない経済大国日本の成立と日本人の勤勉さはどう説明するよ?

ベラーの「徳川時代の宗教(岩波文庫)」はご覧になりましたか?

なかなかしっかりした分析をしていると思いますが?

360: 
04/03/17 21:32
>>359
ウェーバー自信がなんか説明していなかったっけ?
「徳川封建制及びそのもとで形成された日本人のメンタリティは、自ら近代資本主義を
作り出すことを許さなかったが、他方で西欧で形成された資本主義に順応しその産物を積極的に
輸入するのには非常に適合的であった」みたいな感じで。詳細は忘れたけど。


361:Z
04/03/17 23:27
『イスラムと資本主義』Mロダンソン(岩波書店)がある。ロダンソンはユダヤ系
フランス人。これは当然、Mヴェーバーの『プロ倫』を意識して書かれたものである。
決して、ヴェーバー理論を真っ向から否定したものではなく、消極的にではあるが、
イスラムのシステムは資本主義のエートスに反したものではないことを述べている。
でも、説得力に欠けるきらいがある。現在、イスラム諸国は石油資源でGDPも伸
びているが…。



362:中葉
04/03/18 05:10
>>360 他方で西欧で形成された資本主義に順応しその産物を積極的に輸入するのには非常に適合的であった

これはなんとなく納得できますね。

私も、日本を中心に考えたいと思っています。
その意味で残された宿題は、「儒教と道教」を読み、
その傍ら、日本のこれからを考えることです。

少年老い易く学成り難し・・・階前の悟葉己に秋声

363: 
04/03/18 10:32
>>359
ベラーのあの著作はベラー自身が今では完全に見解を否定・撤回していて、
もうまったく読む価値はないと某先生に教わったが。
だから岩波文庫の復刊も永久にないはず。

364:中葉
04/03/18 15:22
それでは
心学と二十一世紀の日本October 15, 2000
URLリンク(www.geocities.jp)
Shingaku and Twenty - First Century Japan.
URLリンク(www.geocities.jp)
についてはどんな評価をしますか?

それから、、、

365:2002年に重版
04/03/18 22:16
>>363
2002年に重版されてたよ。

まあ、読んで笑いは起きるよ。時代の変遷ってこわいね。

366: 
04/03/18 22:43
ベラーなんか読むぐらいだったら、
まず安丸良夫の『日本の近代化と民衆思想』読めよ・・・
こっちは今でも内容は全然古びてないぞ。

367:2002年に重版
04/03/18 23:47
必読というより、読んで手当たり前だろ

368:Z
04/03/19 01:24
安丸良夫著『日本の近代化と民衆思想』(平凡社刊)は版元品切れ。
古本で探すしかない。
本をさがす=URLリンク(www.books.or.jp)で検索すれば。
安丸氏は、先日亡くなった網野善彦の系統ですか。
なお、NベラーはTパーソンズの弟子で、わが国では丸山真男の弟子ですか?
ベラーの『徳川時代の宗教』は良い本です。

369:うぇ
04/03/19 07:07
>わが国では丸山真男の弟子ですか?
あれそうですか?
>ベラーの『徳川時代の宗教』は良い本です。
まあ自分で限界も認めているし、現在の観点から見れば、
当時のアジア感や論理の展開の制約もあるけれど、読んで損はないね。
引用されているのが『菊と刀』だったりして、今から観ればありゃりゃって感じもあるけれど。

370:Z
04/03/19 18:50
ベネディクト女史の『菊と刀』が、今もって欧米で学術的価値を認められているのは、
日本人の分析もさることながら、「恥の文化」を「罪の文化」と対比した点にある。
欧米にも「恥」はある(昔から)。しかしそれは、「罪」の中の一つとしてであった。
ベネディクトは、罪の一部分である恥を独立させて、恥を一つの文化形態にしたのである。
その事をドッズは『ギリシャ人と非理性』(みすず書房刊)で、ベネディクトを激賞している。
ドッズは、ギリシャ文化を「恥の文化」といっている。


371:いまさら
04/03/19 21:20
なんだだの時代錯誤か?『菊と刀』の書かれた意味ら内容やその意図なんて信じてるのは時代錯誤か無知かだけだろうに。冗談だと信じたい発言だな。

372:Z
04/03/19 22:54
>370で「ギリシャ文化」と書いたが、「ギリシャ文明」の誤り。
このほうが適切のようだ。    訂正

373:Z
04/03/20 23:23
ところで、下記のスレッドに、ケッタイな香具師が暴れているから
見物に来ませんか。
スレリンク(sisou板)

374:
04/03/21 05:30
>>373
阪京とかまだ生きてたんだwすげー懐かしいな、その板。


375:
04/03/21 22:37
なんだかお互いに「読め読め」合戦で不毛な信者の争いだな

376:Z
04/03/21 23:07
>>375さん江

スマソ!

377: 
04/03/22 00:33
ベネディクト女史の『菊と刀』

ブッシュが命じて作らせた『フセインとチャドル』みたいなもの。
いかに侵略統治を容易にするかを、個人や集団の内面に当てて、
まとめたものじゃねえかよ。

378:Z
04/03/22 01:01
>>377
確かに、その通りです。だからこそ、その分析は的確でした。だからこそ、
学問的に(世界的に)認められているのです。わが国で、そのような
使命感を持って、全知全能を尽くして、学問と対決しているような学者が
どれだけいますか?! 社会科学では、欧米の学者の「解釈学」ばかりじゃ
ないですか! そのくせ、口先ばかりはキレイ事を言っている。
日本の学者ほど、競争原理のない職業はありません。教授に就職すれば
一生のうのうと暮らしていけます。そして、学問に対し、責任観念が全くない。

379:Z
04/03/22 01:16
“古典は読まれず、ただ誤解されるのみ”

380:       
04/03/22 07:01
>>378
それは政治に先導された研究をしろということかね?

>確かに、その通りです。だからこそ、その分析は的確でした。だからこそ、
>学問的に(世界的に)認められているのです。
それは西欧のオリエンタルに対する無知蒙昧から端を発しているに過ぎない。
19世紀のアジア観を続けているに過ぎない。

381:       
04/03/22 07:19
折原も羽入も「解釈学」の範疇ですね。
このスレ自体が「解釈学」の範疇ですしね。
君のコメントはまさにその「解釈学」の一端でしかないしね。
どこかのスレで「読め読め」論争やってること自体がまさにそれでしょ。

382:古典
04/03/22 13:54
〉〉379という解釈。折原は「倫理」を全うな解釈すればとか言うがそもそも全うな解釈を態度や精神論で語るのは解釈の違いを論究した事にはならない。せっかくの文献学的反論も最終的にこれでは

383:Z
04/03/22 18:22
>>380
>政治に先導された研究をしろ~云々
この文節は、誘導尋問です。わが国でも、エイズの研究開発は、政治目標です。
まして況や、『菊と刀』は戦時中のことです。平時ではありません。
「政府」と言うと、カッとなるのは、そんなものは「学問の自由」とは関係ない
どころか、自由でなくヒステリー症候群です。

話は違いますが、Mヴェーバーは、「委任独裁」は認めていますヨ。


384:Z
04/03/22 19:27
『菊と刀』追伸
ヨク考えてみてくださいヨ。「政治に先導」されて、政治家にヨイショするような
結論を出して、占領政策が失敗したら、結局、為政者の損です。
政治家もバカじゃない。教授職にしがみ付いている様な学者よりは賢いでしょう。

旧ソ連の御用学者は、為政者の気に入るような事ばかり言っていた。
ソ連は、だから崩壊した。

>それは西欧のオリエンタルに対する無知蒙昧から端を発しているに過ぎない。
19世紀のアジア観を続けているに過ぎない。
☆それなら『菊と刀』に代わる、新しい「日本人論」を打ち上げればよい。



385:にゃうにゃう
04/03/22 21:24
>>377
>>380
などの意見は論ずるに値しません。
単に主張をしているだけで、証拠を挙げて根拠づけた理論ではありません。
こやつは、一貫して子供で言える抽象論を振り回しているだけです。

私がこのお間抜けさんに言いたいのは、「そういう根拠は」と「だから何」
そして、「それがウェーバーと何の関係があるの」です。これを言うべきは
このお間抜けさんです。

Zさんは丁寧に相手の解釈を補完をしてますがそれは思うつぼと思います。
とりあえず、質問を重ねて内容のあることを言えるか確かめてみましょう。
言えるわけないと思いますが。

386:  
04/03/22 21:54
>この文節は、誘導尋問です。わが国でも、エイズの研究開発は、政治目標です。
>まして況や、『菊と刀』は戦時中のことです。平時ではありません。
>「政府」と言うと、カッとなるのは、そんなものは「学問の自由」とは関係ない
>どころか、自由でなくヒステリー症候群です。
あらあらあれもこれも一緒くたですか?

>『菊と刀』追伸
>ヨク考えてみてくださいヨ。「政治に先導」されて、政治家にヨイショするような
>結論を出して、占領政策が失敗したら、結局、為政者の損です。
>政治家もバカじゃない。教授職にしがみ付いている様な学者よりは賢いでしょう。

>旧ソ連の御用学者は、為政者の気に入るような事ばかり言っていた。
>ソ連は、だから崩壊した。

為政者万歳の翼賛理論ですねw

387:Z
04/03/22 22:30
>① あらあらあれもこれも一緒くたですか?
>② 為政者万歳の翼賛理論ですねw

この2つが「ご回答」ですか?

388:Z
04/03/22 22:32
恐れ入り谷の鬼子母神~ですネ。

389:  
04/03/22 23:32
>>388
君があまりのも的外れなんでねw

390: 
04/03/23 01:52
ウェーバーのシンポジウムのお手伝いやってて、「教授職」になんか猛烈な
ルサンチマンを抱いていて、2ちゃんねるにかなりの時間を費やしていて、
書き込みは(失礼ながら)あんまり切れ切れの研究者という感じがしなくて、
議論をこじらしてしまいがちなZさんって、どういうひとなんでしょうか?

30台前半の崩れかけODというプロフィールがなんとなく浮かぶんですが・・・


391:Z
04/03/23 18:36
>>390さん江
そういう人なんですヨ。

392:さげ
04/03/23 19:17
今野元はどうでつか?

393:Z
04/03/23 20:15
>>392さん江
この板では、何故Mヴェーバーの『国民国家と経済政策』が取り挙げられないんで
しょうか?
>392さんのご意見。期待!


394:Z
04/03/23 20:55
今までは緻密な「解釈学」が学問とされて来た。馬克思(marukusu)にしろ、ヴェーバー
にしろ、経済学の新古典派レオン・ワルラスにしろ…。私は決して解釈学を否定しない。
しかし、解釈学は解釈学でしかない。それを基にして、たとえ荒っぽくても創造的な問題
提起があっても良いのではないか?
この板は~その目標は、オリジナルな「道場破り」ではないか?
師匠~弟子~道場の保守…  ではない筈だ。
Mヴェーバー学を、メタモルフォーゼせしめよ!!


395: 
04/03/23 21:25
>>392
読んでないけど、この人まだ30ぐらいでしょ?それで一著なしたのは率直に凄いと思う。
ただ、学問的客観性と政治的価値判断を厳密に区別した上で、社会の一成員としてはみずからの政治的
旗色を鮮明にすることの重要性をウェーバーが説いていて、そしてウェーバー自身は一般的に
抱かれるリベラルなイメージと違って、意外にも排外的ナショナリズムの性格を持っていた、という
話自体は、別に案外でも目新しくもないような気がするんだが、どうなんでしょうか。
読まずにタイトルだけで内容を推測してるので、かなり見当はずれなことを言ってるかもしれないが。

396:Z
04/03/24 21:59
>>395
↑上記の如く、ヴェーバーにはアンビヴァレンツな面が多々あります。
そこがまた、ヴェーバーの魅力です。特に「政治思想」の対外と対内の違い。

参照=
マックス.ヴェーバーの政治思想は

*対外的には、強い国家=あえて誤解を省みず言えば、「権力国家」

*対内的には、
①個人の人格の尊重(基本的人権の尊重)
②自由の厳守(学術・文化・市場の自由)
③民主主義の徹底(非常事態には、委任独裁を期限付きで認める。
 但し、議会の承認を経て)

についてもそうです。
プロイセンの文部行政にあれだけ反論したのに(「没価値性」は、先ずもって、
プロイセンの文部行政に対する反論)、『国民国家と経済政策』では、ビスマルク
をベタ褒めです。

結論として=私は、決してヴェーバーは矛盾していないと思っています。
学問においても、私生活においても、完璧に一致している人間なんているでしょうか?

彼の女性関係においてもそうです。
その点、奥さんのマリアンネ・ヴェーバーは偉かった。見て見ぬ振りをしていた。
彼女は、今で言うフェミニズムの先導者であったから。
そして、当の女性を、婦人運動に使っていた。
『リヒトホーフェン姉妹』(みすず書房刊)参照



397:   
04/03/25 06:44
>結論として=私は、決してヴェーバーは矛盾していないと思っています。
という論座解釈

398:Z
04/03/25 20:45
>>397
「論座」とは、どういう意味で使っているのか?
朝日新聞社が出している総合雑誌『論座』の意味ですか?
あるいは、かつて「講壇社会主義」(例えばウェルナー・ゾムバルト)
というコトバがありましたが、その講壇という意味ですか?

   あるいは(多分)、机上理論という意味でしょうなァ。
☆「理論」は現実を、‘机上(講壇)’という俎板に載せて、
  捏ね併せたもの。 ~その捏ね併せ方に問題があるのでしょうネ。
  (どう問題があるのか~そこが聞きたい)
    

399: 
04/03/25 21:06
同意できる部分も多いのだが、なんか引っ掛かりを感じたところを。

>>結論として=私は、決してヴェーバーは矛盾していないと思っています。
>>学問においても、私生活においても、完璧に一致している人間なんているでしょうか?

?????結局、矛盾してるのか矛盾してないのか、どっちなの?

>>彼の女性関係においてもそうです。
>>その点、奥さんのマリアンネ・ヴェーバーは偉かった。見て見ぬ振りをしていた。
>>彼女は、今で言うフェミニズムの先導者であったから

フェミに言わせれば、こういう「理解ある正妻」みたいな振る舞いこそ、結婚制度のうえに
男にあぐらをかかせる許されまじ態度だと思うのだが。男にだけ都合の良いフリーセックス論は
フェミニズムとは無縁のものだ。


400:Z
04/03/25 21:36
>400 Get!
>>399さん江
早速のレス有難うございました。
問題は2つ ①矛盾の件  ②フェミニズムの件

①は貴君の言われるとおりです。数理学上では。

②厳しいですネ。倫理的にはその通りです。

でも、多少の揺らぎ~アソビが欲しいです。(自動車のハンドルやブレーキ
にそれが無かったら大変です~尤も、程度の問題ですが)
追伸
最近、往年のデビッド・リーン監督“逢びき”が再上映されるそうです。



401:Z
04/03/28 01:34
馬克思(marukusu)にしろ、ヴェーバーにしろ、日本の社会科学は解釈学の域
をでない。だから、ノーベル経済学賞だけは、未だにもらえない。
少しぐらい荒っぽくても独創的な事をしなければ。例えば、梅棹忠夫『文明の
生態史観』のように。シュッツは70年も前に、ヴェーバーの現象学的再構築
である『社会的世界の意味構成』を書いている。
独創的といえば、歴史人口学の速水融氏ぐらい。彼が、ノーベル経済学賞に
一番近い。
(ここはノーベル経済学賞の板と違った~スマソ)

402:↑
04/03/28 10:09
君何歳?
読んでるものが世代を感じさせるもんだけど。

馬列主義は、どこでも形骸化しちゃったみたいだけどね

403: 
04/03/28 14:22
>>401
ノーベル経済学賞ってのは実質的には「近代経済学賞」だろ。
自分ではまともに数学できない速水なんかがもらえるわけがない。

404:Z
04/03/28 20:47
速水さんは、コンピュータalmightyだ。統計学はしている。
(経済史では、資料集計に必須)
アインシュタインだって、自分の理論を数式化するのには、専門家に頼んだそうだ。
1993年に、経済史分野でノーベル経済学賞をもらったダグラス・ノースだって、高等
数学は使っていない。(同時に貰ったフォーゲルの方は、経済史に数理経済学を駆使
しているが…)
社会学理論でも数理化しなければ…。
シュンペーターは、文章に書くと一冊の本になるものを、数式なら一行で済むと言って
いる。

先ず始めに、ヴェーバー理論の数学化。


405:Z
04/03/28 20:56
>>402
漏れの経済史はマルクス~ヴェーバー~大塚久雄だったが、今では、Hブローデル
に重点を移してるヨ。
Hブローデルは、書物にはMヴェーバーを良く言っていないが(彼はヴェーバーに、
アレルギーを感じる…といっている)、彼の最大の愛読書はヴェーバーだったらしい。


406:↑
04/03/28 22:33
大塚久雄?
あの「共同体」に憑かれた彼ですか、微妙ですな。
すでに大塚が論駁された後の世代としてはね。

407:Z
04/03/28 23:18
>>406
>論駁された<と決め付けるのは、いささか(~いや、大いに)無謀だ。
解釈学相互の争いにしか過ぎない。そんなもんに拘っているから、
独創的なモノが生まれないのだ。

解釈学  “ここがロードス島だ。ここで飛べ!”(馬克思)



408:↑
04/03/29 00:11
共同体と近代 でコテンパンにされてるけれどね。
信じないのも解釈のうちですか?それとも、
何か反駁でもあるの?

409: 
04/03/29 00:26
解釈学もなにも、日本の西洋経済史学界においてすら、実証レベルで大塚テーゼの根拠は覆されている。
大塚からなお学びうる事というのは、理論そのものではなくて、問題意識とか、
日本の社会科学はどういう課題を研究対象として選択すべきなのか、とかそういうことでしょ。



410:Z
04/03/29 00:28
>>408
どうも「2ちゃんねる」の方々は、ただ、結果(それも不確かな~そのくせ
強がりのコトバを力んで使って)だけを掲げて、それまでの経緯については
一切触れずに、脅迫めいたことばかり言っていますが、足元が見え見えです。
「コテンパン」というコトバは、討論用語にはない。
「5W・1H」で回答してください。
(5W=What/When/Where/Who/Why 1H=How)

411:↑
04/03/29 00:56
もしかして読んでないの?

412:↑
04/03/29 01:01
小谷 汪之は知ってますか?

413: 
04/03/29 03:07
ウェーバーを邦訳で読んでるかぎりは
大塚久雄の呪縛から逃れることは不可能なわけだが。

414:↑
04/03/29 16:32
それは反論なんでしょうか?或いはただの意見なんでしょうか?

415: 
04/03/29 19:20
>>413
プロ倫だけじゃん。しかも、梶原力訳もあるし

416:Z
04/03/29 23:08
>>412さん江
私は「明石書店」や「こぶし書房」から発行された本は、まだ読んだ事がありません。
名前は知っていますが…  したがって小谷 汪之氏がどんな方か、存じ上げていません。
ところで、ある評者が一方的に、相手の論考を攻撃したからとて、それで相手をコテンパン
にやっつけた事にはなりません。
私としても、大塚氏の説に、全て同意している訳ではありません。重点をHブローデルに
注いでいますから。また、大塚氏の論考がいつまでも賞賛されているようでは、学問の進歩
はないでしょう。当然のことです。‘馬~ヴ~大’の系列で経済史を学ぶのは、一般的でした。 
未だ、歴史人口学は無かった時代です。まして、フォーゲルの経済史理論はわが国に輸入され
ていませんでした。(理論経済学は近経でも、経済史は馬克思学派が優勢でした)

まだまだ、言いたいことはありますが、このへんで…





417:↑
04/03/30 02:02
一般的だったから何なの?もちろん過去には敬意は払うけどね。


>ある評者が一方的
へー知りもしないのに?
>>どうも「2ちゃんねる」の方々は、ただ、結果(それも不確かな~そのくせ
>>強がりのコトバを力んで使って)だけを掲げて、それまでの経緯については
>>一切触れずに、脅迫めいたことばかり言っていますが、足元が見え見えです。
>>「コテンパン」というコトバは、討論用語にはない。
>>「5W・1H」で回答してください。
>>(5W=What/When/Where/Who/Why 1H=How)

418:↑
04/03/30 02:25
あ ごめん つられてあおっちゃった。
まあ小谷だけが批判したんじゃないけれど
小谷著のUP選書でも読んでみれば安い薄いし、大学の演習にも使われてるしね。

419:Zさん江
04/03/30 15:27
小谷知らないなんて・・・、どんな大学通ってタンダ?在野だとしたら程度低すぎ。大塚批判は、引用するとしないとに関わらず、その言説の多くが小谷に起因するのに。何読んでたんだろ。

420:Z
04/03/30 21:10
>>419
まァ小谷氏の『歴史と人間』・『歴史と方法』を読んでみましょう。
なんだか、君のいうのは針小棒大のような気はするけどな。

421:Z
04/03/30 22:20
ご存知と思うが、ヴェーバーにしろ大塚久雄にしろ、
資料は全て二次資料である。

422:↑
04/03/30 23:24
>>どうも「2ちゃんねる」の方々は、ただ、結果(それも不確かな~そのくせ
>>強がりのコトバを力んで使って)だけを掲げて、それまでの経緯については
>>一切触れずに、脅迫めいたことばかり言っていますが、足元が見え見えです。
>>「コテンパン」というコトバは、討論用語にはない。
>>「5W・1H」で回答してください。
>>(5W=What/When/Where/Who/Why 1H=How)


423:↑
04/03/30 23:29
まあ冗談はさておき、
>なんだか、君のいうのは針小棒大のような気はするけどな。
ってどの点のことかな?

小谷が大塚の理論を論駁しているのは『共同体と近代』ですよ。
その後は実証作業に移ります。まあ在庫切れになってるが、
大学の図書館にはあるからそれ読めば。

あと
>資料は全て二次資料である。
だから何?


424: 
04/03/31 01:43
>>422
確かに2ちゃんねるだけでなく日本全国でも討論用語集にのっとるべきだよな

参考:民明書房刊『討論用語集』江田島平八郎著

425:Z
04/03/31 18:26
まァ、小谷は読んでみるけど、『岩波:哲学思想事典』にも、執筆者として名前
は載ってないゾ。

山之内靖が、ヴェーバーをニーチェに基づいて論じているのは、二十年も前から。
それは、私も認めているが…


426:↑
04/03/31 21:02
『岩波:哲学思想事典』はなんでも載ってましたっけw

427:Z
04/03/31 21:59
↑特にインドについては詳しく載っているヨン~だ。

428:↑
04/03/31 22:08
で?

429:Z
04/03/31 22:59
大塚久雄は、大河内一男・木村健康・安井琢磨などと共に、河合栄治郎門下だから、
リベラリズムの伝統を引き継いでいる。イヤ、引きすぎている。それが災いしている。
余りにもお行儀良く出来すぎている。その点、山之内は第二次世界大戦を総力戦と
して捉えているから(本当は、第一次世界大戦から「総力戦」は始まった)、戦時中
の(悪しき?)平等主義が、戦後の民主主義に繋がった事を認めている。大塚久雄は、
それを認識できなかった。それに、彼は高橋幸八郎と共に、「封建制から資本制へ」
に拘って、Hブローデルよりも(知らなかったかも)マルクスを重視した。なお、彼は
プロテスタントだったから、Occident(西ヨーロッパ)を主体にして、インドや中国
には関心をあまり向けなかった。(これが重大)


430:↑
04/04/01 14:39
>プロテスタントだったから、Occident(西ヨーロッパ)を主体にして、インドや中国
>には関心をあまり向けなかった。(これが重大)
そこが重大なわけではないんだがw

431:Z
04/04/01 21:12
>>430「↑」さんは、人のオピニオンのあら捜しばっかりやらないで、己の意見を
「併記」して、論評すべきだ。
そんなことばっかりやっていると、社民党みたいに、このスレで席を失うゾ。
ヴェーバーの言う、「騎士道精神」が全くない。
レフェリーづらは、不愉快だ。 
(自己のオピニオンは、空洞化しているらしい)


432:↑
04/04/01 22:56
あらら このスレの席は任意で決定されるものなのですかね?
それこそただの排除構造、「騎士道精神」とやらのなおれですね。

433:Z
04/04/02 00:07
>>432「↑」さん江
とにかく、↑さん。貴方のオピニオン、ご披露ください。
人の言葉尻を、捉えてばっかりいないで。
ドン・キホーテの如く、そしてMヴェーバーの如く、風車に向かって
突進したら如何ですか?  笑われたって、いいじゃないですか。

434:Z
04/04/02 00:34
Mヴェーバーの真髄は、山之内靖氏も言う如く「主観的意図と客観的結果の逆説的連関」
でしょう。その点では、大塚久雄氏も同じです。ヴェーバーは学問の王道を、のんべんだ
らりと歩くのでなく(馬克思は、‘学問に王道なし’と言った)、刑務所の塀の上で、ど
ちらに落ちるか~という瀬戸際で勝負している点です。そこが、現在に至るまで、ヴェー
バーの信奉者が絶えない理由でしょう。学問の内容が、時代と共に刻々と色あせるのは、
マルクスにしろ、ケインズにしろ、みな当然のことです。
ヨク“ケインズは死んだ”という人がいますが(もう古臭い、という意味でしょうが)、
そんなことは、‘雨の降る日は天気が悪い’というに等しい。

小林秀雄は、ある本を批評するときに、先ずその本にひれ伏すと、言っています。そして、
あくまでその著者の立場にたって考える。そのうち自分も何か一言・二言、言いたいこと
が浮かんでくる。その一言・二言、それが批評だといっています。


435:Z
04/04/02 00:54
歴史は“古きを尋ねて、新しきを知る”といいますが、また、“新しきを尋ねて、
古木を知る”という一面があります。即ち、歴史家ほど、「現代とは何か」を身体
をもって感じ取っておかねばならない。
その点に関して、ドッズ著『ギリシャ人と非理性』(みすず書房刊)が良いでしょう。
ドッズは、古典ギリシャに現代を観ている。
ギデンズやルーマンも良いですが、ドッズにヴェーバーをかぶせると、独創的な21
世紀観が生まれるだろう。

436:↑
04/04/02 06:45
突進してこれですか?歴史学を選考している僕としてはとんだお笑いなんですよ。
この場所でのオピニオン?無知なやからに向かって?何を言って無駄でしょ。
ただ僕は親切にも君の論点で間違っているところだけ、ちゃんと一言で
気づかせようと、心を砕いているわけですよ。
まあそれに調べもしないで拒否反応を起こしている時点で、見込みなしなんだけどね。

437:Z
04/04/02 19:30
本居宣長 あるいは Mヴェーバー 
   “弟子は師の真似をしてはいけない。
        師の真似をする弟子は、ニセモノである”(一休宗純)
本居宣長のアンソロジーに『玉勝間』というのがあります。ここに“師の説になづ
まぬ事”が書かれています。 いかに師であっても、自分が納得しないような説
には、従うべきでない。そのような場合、あくまで自説を堂々と主張すべきだ。
まァこんな内容です。
弟子だからといって、師の説を守る必要なない。勿論、師から受けた学恩に対
しては、最大級の敬意を表するのは当然でしょう。
本居宣長は賀茂真淵の弟子ですが、真淵の万葉志向に対して、宣長は「新古今」
です。
偉い学者は、師から貪欲に学問を盗み取るが、師の真似はしていません。
マルクスはヘーゲルやリカードの真似はしていないし、ケインズはマーシャルや
ピグーのまねはしていません。
Mヴェーバーもそうです。青山秀夫『マックス・ウェーバー』(岩波新書)に詳
しく載っています。
詳細は次回に。                

438:Z
04/04/03 21:39
>>437 >つづき(Mヴェーバーの初舞台)                 
>われに代わりて わが槍を持て<(老騎士と若武者を結ぶもの)
時は1889年、ベルリン大学で、公開の学位授与の審査会が開かれた。
対象はMヴェーバーのローマ制度史に関する問題点であった。そこで、ローマ史の
世界的権威であるテオドール・モムゼンがヴェーバーに質問した。二人の間で、
丁々発止の論戦が行われた。双方、一歩も引かなかった。最後にモムゼンが言った。
「私はヴェーバー君が正しいと認めたわけではないが、私は彼の前進を妨げようとは
思はない。“槍はすでにわが腕に重過ぎる。われに代わりて、汝この槍を持て”と
呼びかける相手は、マックス以外にない。」
このモムゼンの締め括りで討論は終わった。学位付与は決まった。ヴェーバーの
学問の世界へのデビユーである。  (青山『マクッス・ウエーバー』より)
このモムゼンの曾孫が、現代のヴェーバー学者:ヴォルフガング・モムゼンである。

先のドッズも言っている。“昨日の誤謬よりも、明日の誤謬に立脚する…”と。
また“誤謬は、真理へ近かづく一過程である…”と。



439:Z
04/04/03 21:52
青山秀夫『マックス・ウエーバー』(岩波新書)は、名著であろう。私は古書店で買って読んだ。
この本に触発され、ヴェーバーへ進んだ学徒は多いだろう。教条的マルクシズムが荒れ狂っている
時代だ。戦後第一期のヴェーバリアンは、この新書からだろう。今、読んでも通用する。
ただ、ここでは‘パンチカード’が出てくる。大型電算機が‘真空管’を使っていた時代だ。
昭和26年刊。当時のベストセラーではなかったか?

440:Z
04/04/03 22:03
青山秀夫氏は、高田保馬 博士の愛弟子で、戦前、共産党に入党。
官憲に逮捕され、「転向」してヴェーバリアンになった。
専門は理論経済学。彼の弟子に森嶋通夫がいる。この二人は変人といわれている。
(変人はKOIZUMIさんだけではないらしい)

441: 
04/04/03 23:17
青山本は山之内靖の「マックス・ヴェーバー入門」が出たので絶版になった。

442:猿も木から落ちる
04/04/04 04:28
Z氏の
>Mヴェーバーの真髄は、山之内靖氏も言う如く「主観的意図と客観的結果の逆説的連関」
でしょう。その点では、大塚久雄氏も同じです。

って2行だけど1分間くらいワロタ

443:Z
04/04/04 08:48
>>422さん江
笑ってくれて、アリガトウ!
ドッズを通してみると、ヴェーバーなんて最初から山之内氏の
いう通りだった。
ニーチェ云々は、それほどたいした問題だろうか?
羽入氏が何か言うと、スグそれに靡いてしまう。

444:Z氏へ
04/04/04 22:46
でご高説はもう終わりですかね、そんな常識的な学問論なんて、まさに常識では?

>Mヴェーバーの真髄は、山之内靖氏も言う如く「主観的意図と客観的結果の逆説的連関」
>でしょう。その点では、大塚久雄氏も同じです。
そうですかぁ それで?君は空転してますよ。
それでなんなのか?それがない。

445:中葉
04/04/05 05:08
> それでなんなのか?それがない。

私も「それ」をお聞きしたいですが、それが難しいですね。
結果として自分に矢が返ってきます。


>>358に書いたように、Max Weber Forum Japan マックス・ヴェーバー 
フォーラム URLリンク(c-faculty.chuo-u.ac.jp)
にも会議室 URLリンク(c-faculty.chuo-u.ac.jp)
が準備してあるので、いずれ書き込むつもりですが、まだ書き込めません。

それどころか、未だにどなたからも書き込みゼロです。

2ちゃんねるの方が気軽に書きこめるのですが、一方的に批判されると
その意欲が阻害されるのではないでしょうか?

446:ルーマン好き
04/04/05 20:36
なんだかとっても抽象的ですね。

447:Z
04/04/05 20:54
宮台真司著『権力の予期理論』が、全国的古書チェーン店で\100-で売っていた。
直ちに買った。(カバー・帯つき・極美)



448:Z
04/04/06 22:14
今日(4月6日)日本経済新聞夕刊に猪木武徳氏が、Mヴェーバーを逸早くアングロサクソン
社会に紹介したフランク・ナイト博士の事を書いていた。猪木氏は20世紀の経済学者として、
ケインズ、ハイエクと並んで、このフランク・ライトを挙げている。(ご一読を)純粋経済学
については、この板の範疇を超えるので書かないが、青山秀夫も、幻の名著『ビジネスの擁護』
で、ナイトに触れている。(ヴェーバーの思考方法は、アングロサクソン的である~これを前提
として)
     営利 ⇔   計算合理性   ⇔  競争
ビジネス ↑↓      ↑↓        ↑↓
     寛容 ⇔ スポーツマンシップ ⇔ フェアプレイ

これが、ヴェーバーの基本思考である。(説明は改めて)
なお、青山秀夫も『ビジネスの擁護』で、ナイトに触れている。
ナイトの詳細は、市大経研編『経済学辞典』(岩波)で。

449:Z
04/04/07 21:40
人類の歴史において、主観的意図が、その意図の通りの、客観的結果に結びついた
実例がどれだけあるだろうか? そもそも、意図=結果なんて、あっただろうか?
馬克思主義が、その最たるものであった。「能力に応じて働き、必要に応じて受け
とる」が、“必要に応じて働き、能力・権力に応じて分捕る”と、なってしまった。
そんな社会がつづく筈がない。わづか70年で消え去った。
ヴェーバーは、「意図」≠「結果」を逆手に取った。
カルヴァニズムを始めプロテスタントは、産業であれ・商業であれ・金融業であれ
「利潤」を取ることには反対であった。ただ黙々と現世内禁欲として働いた。(わが
国では、熱心な浄土真宗の信者であった近江商人のモットーが、勤勉・節約・正直で
あったように~利益は目的=モットーに無い)
それが、結果的に「自由な労働の、合理的組織を伴った、近代的経営産業資本主義を
生み出した。
~こう、ヴェーバーは分析した。それが『プロ倫』である。
ヴェーバーのヨク使うコトバに‘運命的’とか‘意図せざる結果’というのがある。
この場合は、良い意味での“主観的意図と客観的結果の逆説的連関”であった。
このような分析をした学者が、今までにいたであろうか。
羽入説を、如何に大目に見ても、『プロ倫』は揺るがないであろう。


450: 
04/04/07 21:45
500だね

451:Z
04/04/08 22:57
>>449で ‘近代的’経営産業資本主義と、書いたが
‘市民的’経営 〃    と、訂正した方が良いだろう。

452:パルぷんテ?
04/04/09 11:39
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神について質問。
イギリスの労働者階級はカルヴィ二ズムの予定説ではなくて、
メソディズムの普遍恩恵説オ信仰したという説がありますが、どちらが
正しいのでしょうか?


453:Z
04/04/10 22:38
>>452
メソジスト派の語源は、Method(方法)に由来しています。
『プロ倫』でヴェーバーは、ルッター派は別にして、プロテスタントの対象として
4派挙げています。カルヴァン派と共に、メソジスト派も4つの中に入れて論考の
対象としていますから、余り細かいことは、言わないでも良いでしょう。

454:さる
04/04/10 23:02
>余り細かいことは、言わないでも良いでしょう。
細かいことなんでしょうか?

455:Z
04/04/10 23:12
こまかい事です。

456:中葉
04/04/11 06:09
細かいことでなく、大切なことを重点的に議論することに私も賛成です。

457: 
04/04/11 12:33
それほど細かいことでもないようにも思うけど。
4派のうち、カルヴァン派以外のドイツ敬虔派や
メソディズム、新大陸の諸新興宗教が持つ信仰の特質は、
資本主義精神との親和性が不徹底だ、っていってるわけでしょ。
労働者階級も、たしかに資本主義精神に順応していくわけだけど、
その宗教的動機が、資本家に比べて不徹底なものであったとすれば、
当世流行りのモラル・エコノミー論とかとの関連も出てきそうだ。


458:Z
04/04/11 21:59
そう云う事よりも、Wゾンバルトが『ブルジョワ』で、近代資本主義はカソリック
が、大いに関与している…と、述べている事を、問題とすべきではないか。
勿論、それをバカげた事だ…と、言ってしまわないで。

459:Z
04/04/11 22:06
もう一度、『ブルジョワ』を読んで、その主旨を述べてみます。

460:実に瑣末ってさ
04/04/11 22:20
何が重大な点かを論じないで、問題とすべき点は・・・
と言い合うのは楽しいですか?

461:Z
04/04/11 23:53
楽しいデス。だから、この「板」に、遊びに来ているのデス。
>>460さん
貴方が重大だと思われるのなら、それを、ここで詳細に論じられたら如何
ですか?
重大だ~重大だ~と叫ぶだけでは、一つも「重大」ではありません。

462:↑
04/04/12 01:12
重大でない些細であると叫ぶのは「些細」であることの証明ではありません。
楽しいですねこのスレはw

463:Z
04/04/12 20:24
「些細なこと」というのは、先にも書いたように、Wゾンバルトのカソリック~
プロテスタント問題に比べて些細なわけで、Mヴェバーの解釈学に終始するのなら、
メソジスト派とカルヴァン派の、影響の違いを論ずるのも結構でしょう。しかし、
それは、あくまで解釈学のコップの中の問題です。
虎を描くのに髭にこだわって、一本一本、詮索をしながら描いていると、意図とは
反対に、結果は「猫」になってしまいますから。

464: 
04/04/12 21:51
唐突に、>>452の質問とは全く違うレベルの論点を出してきて、十分な論拠なしに
「こちらのほうが重要だからそちらのほうは些細な問題だ」、と断言するZ氏の展開の仕方は、
およそ専門家ないし専門家崩れとは思えない、問題性に満ちたやり方だと思うのだがなあ。
要するに「ぼくちんはこっちのほうが重要だと思うから、そちらのほうは些細です」と
言っているだけじゃん。ちゃんとした論拠が示されていない以上、こういう論法はただの信仰告白にすぎないよ。

自分に都合の悪い個別実証レベルの論点を、「ウェーバーの壮大な世界史的構想に比べたら些細なこと」と切り捨てるのは、
日本のウェーバー屋の悪い癖だと思うなあ。こういう悪いところまで、大塚久雄あたりの真似する必要ないのに。
そんなんだから羽入あたりにつけこまれて言いたい放題言われるんだよ。

465:Z
04/04/12 23:27
>>464さん江
>こちらのほうが重要だからそちらのほうは些細な問題だ
>ぼくちんはこっちのほうが重要だと思うから、そちらのほうは些細です

別に何も悪いところはないでしょ。そう言ったって。
それぐらいの「価値判断」は許されると思います。個人の見解の相違です。

>それは、あくまで解釈学のコップの中の問題です。
それで良いのじゃないですか。重箱の隅をほじくる‘だけ’が学問ではありません。
もっとも、それがヴェーバー学の一つではありましょうけど。



466:Z
04/04/12 23:34
そのうちに、ゾンバルトの見解をまとめてみましょう。
それよりも>>452さんの問題提起が、『プロ倫』にとって、どういう意味があるか
教えてください。

467:?
04/04/13 05:58
>>461
別に何も悪いところはないでしょ。そう言ったって。
それぐらいの「価値判断」は許されると思います。個人の見解の相違です。


468:Z
04/04/13 21:19
ゾンバルトは資本主義精神の内的要因について、
①カスリック
②プロテスタント
③ユダヤ教
の3つに分けて書いている。  先ず

①カソリックについて。
ゾンバルトは、近代資本主義の発祥地をフィレンツェだといっている。近代的簿
記もイタリアで生まれた。そして、トマス・アクイナスがキリスト教の「愛と恩
寵」および「律法」を統一したトマス主義が、近代資本主義精神の基本だといって
いる。そこでは、性の制限と生の合理化がある。トマスは利子は否定しても、資本
投資は認めている。(浪費者はオカネを余り愛さず、守銭奴はあまりにも愛しすぎる)
トマスは市民性や堅実性の教育よりも、公正・勇気・賢明にして活動的な人間教育
を重視する。

②プロテスタントについて
ゾンバルトはプロテスタントの典型を、スコットランドのピューリタンに見る。
そこでは、教義の厳しさ(物財に対する)を狂気と観る。ピューリタンの倫理学も、
勤勉・財ではなく神と取り組む事・節度を重んじる。利益は目的ではなく、富が神
の思し召しにかなうときにのみ許された(蓄積)!
ただ、ピューリタニズムは小企業で、近代的な大企業は生まれなかった~と、ゾン
バルトはいう。


469:Z
04/04/13 21:24
つづき
③ユダヤ教について
ユダヤ人ほど神を恐れる民族はない。ユダヤの律法は2つあって、ユダヤ人に対す
るものと、非ユダヤ人へのものである。非ユダヤ人からは、利子を取っても良い。
国家を失ったユダヤ人は、「運搬可能な祖国(国家)」を目指した。ゲットー
(神と民族の団結)である。

>私見<
カソリックは、現代のパリ・オートクチュールのように、問屋生産ではなかったか?
プロテスタントは、マルクスのいう小資本範疇であろう。

マルクスは『資本論』で、「蓄積せよ!蓄積せよ!」といった。これは当然、利益の
資本投資である。日本の‘近江商人’の如く、「勤勉」・「節約」・「正直」から生まれ
たものは、利潤ではないのである。Hブローデルも、マルクスの「蓄積」を重視している。

大塚史学は、この小資本範疇こそ、近代資本主義の発祥と見た。氏の『近代欧州経
済史序説』では、ヨークシャの毛織物工業が取り扱われている。
確かに、“大塚史学”は、一本スジが通っている。(但し、少数派)




470:?
04/04/13 21:59
ゾンバルトは需要の重要性を説いていなかったけ?

471:Z
04/04/14 20:19
なお、補足しておきますと、大塚氏は『近代欧州経済史序説』の中では、プロテスタントや
カソリックなど、一切、持ち出していません。

472:?
04/04/14 21:52
共同体をアプリオリで想定する愚をおかしてるけれどね。

473:Z
04/04/14 22:03
“共同体”というものは、もともと、「ア-プリオリ」な面があるもの。

474:Z
04/04/14 22:09
Hブローデルは、共同体なんて言わない。

475:?
04/04/15 01:07
>>473
それで批判を回避できたとでも?
大塚史学における共同体のアプリオリ問題は、共同体存在についてではなく、
無批判に共同体理論を用いているところなんだが、知らないみたいだね。

>Hブローデルは、共同体なんて言わない。
で?



476:Z
04/04/15 21:11
>?さん。大塚氏の『共同体の基礎理論』読んでないのですか?
読んでいたら、>>無批判に共同体理論を用いている…<<なんて、
言えないはずだ。(経済史の理論としては、大塚氏としては当然のことでしょう。
勿論、それに賛成か否かは別として。ヒックスも『経済史の理論』では、市場~
交換が、大塚氏の‘共同体’にあたる。Hブローデルもそう。 >?さん。先ず
経済史を勉強されては!)
それに、ゾンバルトにつてのご意見は避けておられる。
需要~云々なんて、ここで出すべき問題じゃないでしょうが…。
どうも、「ああ言えば上祐、こう言えばああ言う」ではねェ。


477:Z
04/04/15 21:21
勿論、私も大塚氏の‘共同体’理論には、全て賛成ではありません。むしろ
Hブローデルに近いです。

478:Z
04/04/15 21:25
それより、>?さん。
ゾンバルトの「資本主義精神の内的要因について」ご意見ください。

479:Z
04/04/16 00:33
これはあくまで私の‘感じ’なのだが、大塚氏は馬克思~馬克思主義を「ガス抜き」
していたのではないか~?と。マルクスは、ヘーゲルが逆立ちしているとして、ガス
抜きをしてrestructureしたが、大塚氏もマルクスから[形式]を借りて、restructure
した。何をガス抜きしたか? 唯物論と搾取理論であろう。労働史観は持っていたが、
労働価値説はガス抜きしたであろう。
以前、ある雑誌(多分、岩波の『図書』?)でのインタビューで、
“マルクス経済学では、生産理論が希薄だから、新古典派から‘生産関数’を借りてきて
補強すれば良い…”と言っていたのが記憶にある。
だから、大塚氏は左右から攻撃されていた。左翼原理主義が猛威を振るっていた頃、
「階級性がない!」といわれるのは、正に死刑宣告であった。
彼は、ヴェーバーは丸ごと抱え込んだとしても、マルクスは形式だけを引き継いだ~
のではなかったか。
私は、それに共感する。

480:Z
04/04/16 00:38
だから、彼の共同体理論でも、インドやイスラムなどには、分析用具
としては弱いのではないだろうか。

481: 
04/04/16 00:39
>479
>彼は、ヴェーバーは丸ごと抱え込んだとしても、マルクスは形式だけを引き継いだ~
>のではなかったか。

イギリス人のカルスタと同じってこと?(日本のはどうでもいいが


482:Z
04/04/16 00:51
彼は『共同体の基礎理論』で、ゲルマン的形態を封建制度に当てている。
マルク・ブロックも『封建社会』(みすず書房刊)で、封建制度をヨーロッパ
と日本に限定している。だから、そこでは適応するだろう。
もっとも、封建制から(近代)資本主義へという発想には、私は賛成できない。

483:?
04/04/16 06:18
Z氏
多弁を労してくれてありがたいんだけど、大塚の書籍は読んでるよ。
共同体を無批判に使っていると言う意味が君にはわかっていないようだね。
共同体が存在したと言う前提で、論を進めているところが問題なのだがね。
共同体が存在したかの論拠は考察されてないんだよ。

>ゾンバルトの「資本主義精神の内的要因について」
ゾンバルトは、ヴェーバー等の議論を資本主義の要因として否定していない。
だが彼が重点を置いていたのは要因としての需要だよ。

>ブローデルは言わない
ブローデルの話がなぜ大塚共同体批判で出てくるのかね?
経済史?勉強されたほうがいいですよですか?
僕の専門は範囲は経済史・社会史・社会科学ですがw
人に勉強しろと言う前に、君を「お勉強」したほうがいいと思いますよ。

484:Z
04/04/16 21:04
>>483 ?さん江
最初からそう言えばよいのに。人のアラ探しばかりしないで。

先ずゾンバルトについて。 
私が「資本主義精神の内的要因について」問うているのに、
>彼が重点を置いていたのは要因としての需要だよ。<
なんてAnsはないでしょ。 回答になっていません。モット真面目にヤレ~と、
言いたいです。

次に「共同体(Gemeinde)」について。
一体、共同体(Gemeinde)とは何か?人によって、みな内容が違います。これこれという
定義はありません。大塚氏の‘共同体’は、大塚流共同体です。マルクスの『先行する諸形態』
からヴェーバーのGemeindeと換骨奪胎したものです。彼が考案したものです。しかもそれを
「理想型」として。即ち、これは大塚史学としての分析用具です。借り物ではありません。
ケインズは有効需要や流動性選好を。サミュエルソンは乗数理論や加速度原理を分析用具として
自ら考案しました。ヴェーバーもカリスマ的・伝統的・依法的支配の三つを理想型として
分析用具たらしめました。大塚氏もこれです。自分の作ったものを使用するのは当然です。
吟味もクソもありません。無批判に使っている~なんて、どういう意味でしょうか。
彼は、これを「鋳型」として使わないと、はっきり言っています。当たり前です。
又、彼は歴史的事実を、この鋳型に嵌め込むような事はしていません。
(靴に足を合わせない)
それとも、>?さんは、大塚「共同体理論」が出来損ないだと、考えておられる
のでしょうか? それなら、それで一つの見解です。もしそうなら、反論を書く
べきです。 以前>463↑さんに、意見を求めたところ、

>この場所でのオピニオン?無知なやからに向かって?何を言って無駄でしょ。<

といいました。失礼だ。 >?さんは、まさかそんな事言わないでしょうネ。




485:Z
04/04/16 21:20
それからもう一つ。
例えば、同一の‘民族・宗教・言語’のところでは、当然、民族・宗教・言語
のゲマインデがあります。Mヴェーバー『都市の類型学』でも、宣誓共同体・
食卓共同体・都市共同体が出てきます。

歴史上におけるゲマインデの存在証明をどうして立証するのですか?
Hブローデルの場合は、「心象」(マンタリテ)を言います。これも
存在証明は出来るのでしょうか。
>?さんは、少なくとも、共同体が存在しなかったことを、立証すべきです。

ゲマインデの存在そのものを否定されるのならば、ヴェーバー理論は崩壊します。
羽入氏云々どころではありません。

最後に、Hブローデルの引き合い云々ですが、
今現在、ブローデルないしアナル学派を無視して、経済史が出来ますか?
>?さんも、ブローデルぐらいご存知でしょう。
私は、ヴェーバーとブローデルをドッキングしたいです。
シュッツが、ヴェーバー理論を現象学的に再構築したように。



486:Z
04/04/16 23:54
追伸
☆私は、ゾンバルトの「資本主義精神の内的要因について」についていっているのです。
資本主義でなく、その“精神”を言っているのです。
それに、“需要”云々なんて。「需要」を重要視しない経済学者がいますか?

☆ここでは、共同体への賛否が問題ではありません。大塚氏は、“借り物”の
共同体を振り回しているのではない。私だって、彼の共同体理論には全面的に
賛成ではありません。
自ら作ったものを、(無批判で)自ら振り回すのは自由です。
彼の共同体理論に誤りがあれば、それは当然、批判されるべきものです。
あれは、大塚流「理念型」です。それに対しての批判は、当然です。
>?さんは、どう批判されますか?~それが無ければ、>?さんは、
認めたことになります。(たとえ、他人の批判を借用してでも、いうべきでしょう)
☆いずれ、ブローデルの「三階建」については、述べるつもりです。
但し、ヴェーバーとの対比において。


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