05/08/17 17:00:10
>>432
私は他の多数の書き込んでいる人とちがって、432さん(私はコテハン名で呼びか
けることにとても違和感があるのでこうしておきますが)は基本的にまっとうなこと
をいつも書いておられると思うので返事をしておきます。
ことば足らずでしたが「いい意味で臨床の必然」とは「どうにでも思える曖昧さが常
に付きまとう。」を受けてのものです。つまり、臨床には必然的に主観性がつきまとう。
それはいわゆる物理学のように客観性という抽象された超越的な視点から体系化された
世界ではなく、主観を主観的にあつかわざるをえない領域だからだと思うからです。
その意味で、432さんの書かれている「臨床とは結果が良ければ、途中経過は治療者それぞれで
色々なやり方があって良いと思っている。」とわりあいにちかいところにある意見だと思ってます。
ちなみに433が述べている意見はその反対であって、心理療法は上に述べたような意味で理論化する
のがなかなかむずかしいにもかかわらず、すでに実現されているものだと思いますがね。
実際、獣医さんなんかの「技術」もそうではないかと思うのですが、その中心的、根本的な
技術の核のところは簡単に理論化できないものではないですか? だからこそ、師匠の姿をみて
身体で覚えるといった徒弟的なところがホントは、本来的にはあるというか、まだ残っている
というか、むしろ、その残っているところが大事なのではないのでしょうか。
「なんで書き込んではいけないの」。いけないとは言ってないですが、たとえばこの書き込みに対して
の他の反応もそうなるでしょうけれど、こういうところで書き込んでも意味のある議論ができないのは
今までのこの掲示板での流れからいって当然予測されるでしょう。