菜食について考える part9at PHILO
菜食について考える part9 - 暇つぶし2ch455:VEGAN ◆PsPHI2rklQ
07/01/07 02:42:34
>>453
話題が出てこないなら書き込む必要性はない。
盛り上げる必要もない。

456:考える名無しさん
07/01/07 02:56:17
虫に聞け自演するな

457:考える名無しさん
07/01/07 03:04:06
虫に聞け自演するな

458:考える名無しさん
07/01/07 03:08:59
ここに虫に聞け自演するなと書きこむしかありません…

459:考える名無しさん
07/01/07 05:02:12
URLリンク(imepita.jp)
美穂

460:考える名無しさん
07/01/07 05:32:57
虫に聞け自演するな

461:考える名無しさん
07/01/07 06:10:29
またアスペ発狂・・・
合間にコテ出してアラシは自分じゃないと見せ掛けか?
同時刻にレス重ねるのも連投規制がかからないのもアスペしかできない罠
よくやるよ

462:考える名無しさん
07/01/07 06:52:11
>>400
だからお前は糞なんだよ
立派な糞リーマンがそこにいるじゃないか

だいたいだ、あんたの思考回路は弱肉強食に支配されている
強い者にはひれ伏し、弱い者は徹底的にいじめる
多数には逆らわず、少数には高飛車になる
小泉はすごい?
アホか
単なる主演男優賞だろ
誰が脚本を書いたかぐらい考えろ猿

多数のサラリーマンを糞というな?
少数のアスペルガー症候群をコテンパンに言っておきながら何だそれは?
だから「倫理はフィ糞論」などと言われるのだ


463:考える名無しさん
07/01/07 07:20:42
>>419
期待されてるようでスマンなんだが・・・
実は、俺は単なる例え話として「水で走る車」を思いついただけなんだ

車はガソリンや電気や水を燃料として走る
人間も植物を食っても動物を食っても水を飲むだけでも(ブリザリアン)生きていける
菜食者は「植物由来のガソリン」で「走り」、肉食者は「動物由来のガソリン」で走り、ブリザリアンは「水」で走る
車には意思がない
人間には意思がある

俺は今ほぼ「植物由来のガソリン」で「走って」いるが、仮に可能だとして「水」で「走る」ことを選択できるかどうか?と思っ/

464:考える名無しさん
07/01/07 07:23:25
俺は今ほぼ「植物由来のガソリン」で「走って」いるが、仮に可能だとして「水」で「走る」ことを選択できるかどうか?と思ったんだ
俺は「水」で「走る」自信がない
なんだかんだ言って、俺は焼きナスやらタラの芽の天ぷらを食うのを楽しみして生きていたりするんだ
肉食者を煩悩まみれと揶揄したところで、菜食してても結局は同じなんじゃないかと、
ふと、思ったんだよ


465:考える名無しさん
07/01/07 07:31:50
借金板からきました

虫に聞け氏ね

466:ゾルレン
07/01/07 07:46:31
>コミュニティ
>なんか続ける意味がなくなってきているようなんで止める?
そうですね。
止めにしましょう。
一応、この話題は自分にとっては大事なんです。
自分なりの科学擁護論における重要な柱の一つですから。(誰に言ってるのだか・・)

われわれの間で同意に達したであろういくつかの結論を挙げてみます。

・ルールはわれわれの属するもの、属さないもの、想像でしかないものを含め
可変的なものであり、絶対的倫理として称揚できるものを手にすることはできない。

・しかし、それはルールについて客観的議論が不可能であるということではない。
われわれの受け入れる規範が歴史・文化に大きく影響を受けていても議論は可能である。

このことから次のことが言えそうです。
・歴史や文化などの諸背景を無視した絶対的倫理を具体的に考察する議論はあまり効果的でない。
・現在われわれが受け入れている倫理を絶対的だと見なす議論もあまり効果的ではない。

・われわれの周囲の多くの価値と照らしあわせながらわれわれの属する規範を考察し変革させていくことはできる。
(価値についても同じく価値批判を行える)

さて、菜食に話を移すならば、
多くの諸価値、健康、環境、経済、動物愛護などの様々な観点から議論ができそうです。
東京に住んでいるんで、安価で美味しい食事が簡単に手に入るのかという観点が個人的には興味あります。
でも東京の外食はほんとひどいと思う。
効率重視のために環境、健康などはまるで気にしていない。
それと食べ物の廃棄が多い。そのせいかホームレスも多い。
おっと菜食から話がズレたかな。

467:ゾルレン
07/01/07 08:21:53
>といふぇる
・アンケートへの答え
2その行為の意思から評価する。

もし結果から評価するならば、「ある行為の善し悪しを言うのに結果を待て」となる。
良かれと思ってやったことが良い結果を招くか悪い結果を招くかは基本的に運だ。
行為の結果は博打と同じだ。
勝てば官軍負ければ無残のような賭け方はギャンブラー特有の身を滅ぼす賭け方だ。
(さらに言えば、選択しなかった結果との比較は実際には不可能である。)
道徳的な評価は意思のみでなされるべきだ。
(ただし、世の中のすべてが道徳によって回っているとは俺は思ってない)

カントは「善と呼べるものは善き意思だけである」とした。(序文に載ってたはず)
ここからはうろ覚えだが、
この時代にプロシアの大学である外国人がリンチにあって死んだ。
この時、学生たちは外人を他国のスパイだと思いこみ、純粋な愛国心からの行為であった。
しかし、実際は外国人は詩人であり、彼らは善意思によって悪しき結末を得るに至った。
この事件は当時のカント倫理への批判的事例になったかと思う。


468:ゾルレン
07/01/07 08:23:01
続き

道徳的には行為の善し悪しは純粋に意思だけで判断されるべきだが、
それでは何の役にも立たん。
悪しき結末の回避もまたわれわれの義務だ。
先ほど、具体的な行動を「賭け」と比喩したが、われわれの実践的行為は常に賭けのようなもので
われわれの選択は常に何らかの悪を含んだ選択肢からの選択である。
言い換えれば「行為の選択は最小限の悪の選択である」とも言える。
「多くの選択肢の中でいかに最小の不幸を選ぶか」と問いを変える時、
われわれの知性はその役割を大いに発揮する。

だが、このことは決して選択した行為を正当化しない。
有名な「カルネアデスの板」で
板にしがみついた者が全体における不幸を最小にするために相手を殺したとしても
その行為は決して善ではなく、悪だ。
(この部分は加藤尚武先生の本に大きく影響を受けた)

だから行為の評価は、2意思を基準にするが、
1結果を無視したものは空疎であると考える。
2意思が8割、1結果が2割という感じかな。


469:ゾルレン
07/01/07 08:23:50
ごめん、大学生の事件はロシアだったかも。
そんな感じの発音だったのは覚えてる。


470:考える名無しさん
07/01/07 08:25:28
虫に聞け氏ね

471:考える名無しさん
07/01/07 08:42:54
というか分かり易いよな。
真夜中に本人と荒らししかいないんだから。

472:考える名無しさん
07/01/07 10:10:42
虫に聞け自演するな


473:虫に聞け ◆rQyGV7spcM
07/01/07 10:51:42
>>424
確かに本人が悟ったというなら「そうですか」と言うしかないなw
当時の釈迦が出家し修行(苦行ではない)し求めたものは「自身の救済」だ。
大乗仏教のように衆生を救うと言う目的はない。
だから自身を救済できたなら悟ったと言って構わないだろうが、後にこれは
絶対真理という形で現される。釈迦の悟りは口伝で弟子に、そのまた弟子にと
引き継がれ経という形で残るがそこに示される悟りは絶対真理といっていいもの。
例えば般若心経だが簡単に言えば「執着心を捨てよ」と言う教えだ。
これにより迷いは消え救済されるわけでこれも悟りの内容とされている。
そして釈迦の悟りはこれを含め聖人君子の高貴なるものと扱われ今に伝わっている。
自己満足で悟ったというレベルでは扱われていない。
自己満足で自身の一時の救済になったものを「悟り」というのは構わないだろうが
「悟り」は一般的にそんなレベルでは理解されていない。
高貴なる絶対真理的なものを仏教では「悟り」といい悟れた者は解脱する。
輪廻転生から抜け出せる位のものを言うのだから自己満足レベルではあるまい。
そういう意味で釈迦は悟りを開いてはいないと言っただけ。


474:虫に聞け ◆rQyGV7spcM
07/01/07 10:52:48
仏陀は80歳で死期を感じ取ると故郷ネパールへ旅立つ。
執着心を捨てる悟りを開いたはずの仏陀が故郷への執着心を捨て切れていない。
最古の仏典といわれる「経集」にこの時のわがまま親父ぶりがよく出ている。
「アーナンダよ、私のために外衣を四つ折にして敷いてくれ。私は疲れた。座りたい」
「アーナンダよ、私に水を持ってきてくれ。のどが渇いた。私は飲みたいのだ」

他にも経典には色々出てくる。
悟りを開いた後の仏陀の言葉として増一阿含経にはこうある。
「苦労してやっと証得したものを、なぜまた人に説かねばならないのか」
これが聖人君子の悟りを開いた者の言葉か?
前に言ったがやはり悟りのあとの言葉として雑阿含経にはこうある。
「尊敬するところもなく、恭敬するものもない生き方は苦しい。私はいかなる
沙門もしくはバラモンを尊び敬い、親近して住すればよいであろうか」
親近して住するは誰かの弟子となることだ。
悟りを開いたはずの仏陀はその後も師匠を探している。


475:虫に聞け ◆rQyGV7spcM
07/01/07 10:53:32
数年前にわが子に「悪魔」という名前をつけ出生届を拒否された馬鹿親がいたな。
相当ひねくれているか人格に問題があるかだろう。
今のご時世だからマスコミも取り上げることを見越してのただの目立ちたがり屋
というだけだったかもしれないが。
どっちにしても一人の人間としては相当問題があると見て間違いない。
マスコミなどない大昔、こういう馬鹿親がいたんだよ。それが仏陀だ。
わが子に「悪魔」と命名している。最大限好意的に意訳して「邪魔者」だ。
仏陀は王子と言われているがこれは後の創作だろう。
わが子を「悪魔」と命名するような何かしらの問題を抱え真剣に悩んでいたのかも
しれない。個人的にはそこから救済されるくらいの悟りは得たのかもしれないが
後世言われるような悟りなど開いていないだろうね。

何千年も変わることなく永久不変の絶対真理など存在するはずがない。
ここからイデアやアプリオリなど持ち出して語る菜食の倫理も意味はない
というところにつながるわけだが。


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