■心身二元の二重螺旋運動 その4■at PHILO
■心身二元の二重螺旋運動 その4■ - 暇つぶし2ch342:第三の波平 ◆V8RGN/F1uY
06/12/20 18:07:24
主体は啓蒙主義の産物であるが、これが受け入れられるには、科学技術による反復の力は不可欠だろう。
反復は外部環境の障壁となった。時間、空間を反復へ回収することで予測可能性を向上させた。
世界は格段に安全になり、生存率は格段に向上し、近接した集団、そして場所への依存が小さくなり、個人の自立、そして流動性向上する。
どこでも一人でも生きていける。この中で互酬贈与から貨幣交換へ、すなわち資本主義社会へむかったのは偶然ではないだろう。
すなわちお金さえあれば一人で生きていける。お金があるほど自立する主体。
このような反復の防壁のなかで自意識は育ったのである。


343:純一
06/12/20 18:52:36
>182 :ぴかぁ~ :2005/07/31(日) 12:52:14 HOST:11.7.244.43.ap.livedoor.jp
>>>削除遠雷 ★さん、ありがとうございました。
>
>以下、>>146,142,137,135,157,167,172,179等、
>約二年前より哲学板で恒常的に続いている同一違反スレの再発です。
>
>削除対象アドレス:
>スレリンク(philo板)
>削除理由・詳細・その他:
>GL3:固定ハンドル(2ch内)に関して
>・固定ハンドル叩き・固定ハンドルが占用している・閉鎖的な使用法
>・固定ハンドルが題名に入っている

この11.7.244.43.ap.livedoor.jpのホストは、
おそらくはproxyだと思われますが、ライブドアの何かのサービスでしょう。

344:第三の波平 ◆V8RGN/F1uY
06/12/22 22:28:38
重要なことは、「自然」である。
現代の資本主義推進、新自由主義において、そこにあるのはアダムスミスの「神の手」である。
資本主義こそが「自然」なことであり、余計な干渉は避けて(小さな政府)、「自然」なままがよい
というわけだ。
ヘーゲルからつづく、コジェーブ-フクヤマの歴史の終焉も、資本主義において、歴史は終わる
のであり、それは、それが自然なことだからだ。

このような考えへの反論には二通り考えられる。一つは資本主義が自然ではないということだ。
それがマルクスである。マルクスは類的存在として自然との調和こそが最終地点であるとみた。
資本主義は歴史的に特殊な状態であり、唯物史観において、その後に社会主義という歴史の
終焉が訪れると考えた。

もう一つの反論は、自然であることが良いことではないということだ。
なんらかの管理によって、社会は正しく機能する。ソビエトなどの国家社会主義、
資本主義の保護主義などでそれに当たるが、上手くいっていない。
それは操作することの難しさである。

345:純一
06/12/23 00:43:00
おそらく、このサービスを使って
ぴかぁ~は削除依頼しているのでしょう。

インターネット接続サービス『プライム』月500円
URLリンク(isp.livedoor.com)

>料新サービスでは、アナログ回線、PIAFS(PHS)、携帯電話、ISDN(MP接続のみ)で
>インターネット接続できるサービスです。 電話回線を使って、livedoorの
>アクセスポイントに接続し、そこからインターネットへアクセスします。


346:考える名無しさん
06/12/23 00:55:48
純一 もうやめろよ。ほっといてやれよ。マジで、
新ネタあるなら、ともかく、つまらないよ。

347:純一
06/12/23 03:30:19
この2つのサービス使って、ホストを偽装してからぴかぁ~は削除依頼しています。

>384 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/12/14(木) 18:06:17 HOST:211-127-156-54.customer.soloot.jp

proxy代わりに無料プロバのSolootというところを使って書き込んでいます。
URLリンク(soloot.jp)

>>182 :ぴかぁ~ :2005/07/31(日) 12:52:14 HOST:11.7.244.43.ap.livedoor.jp

インターネット接続サービス『プライム』月500円
URLリンク(isp.livedoor.com)


348:第三の波平 ◆V8RGN/F1uY
06/12/23 11:09:36
なぜお金がほしいのか

好きなものがかえるから
好きなことをして過ごせるから
行為の可能性が増えるから

みんなへの優越がえられるから

将来が安心だから

349:第三の波平 ◆V8RGN/F1uY
06/12/23 11:15:42
反復欲は人間の本質であり、脅威であり続ける環境に対抗し、生存を確実にする。たとえばいまぼく
たちは日々生存に悩まされない。衣食住は当たり前、無意識な存在だ。これは反復の厚い防御にま
もられているからだ。それでも地震など反復に回収されない出来事にさらされる。

反復を維持するにはコストがかかる。維持しなければ、環境はすぐに反復の防御策を解体してしまう。
お金のもつ貯蓄性は、このような反復の維持のための特性をもつ。すなわちお金とは、
そのまま反復の源泉力の意味を持つ。お金を持つことで、強い反復性を維持することができる。

これは、生存率と富の密接な比例関係からわかるだろう。



350:第三の波平 ◆V8RGN/F1uY
06/12/23 12:06:52
■反復とお金

「反復」は近代の科学技術によって急激に発展した。「反復」とは道具であり、
言葉であり、人間の本質である。外部環境を道具であり、言葉によって、反復へ
回収することによって、人々の間でより正確な伝達が可能になり、記憶として蓄積され、
歴史(進歩史観)を生み出す。

脅威であり続ける外部環境に対抗し、反復の防御策は生存を確実にする。
たとえばいまぼくたちは日々生存に悩まされない。衣食住は当たり前、無意識な
存在になっている。これは反復の厚い防御策にまもられているからだ。
街をぼーと歩けるのも、家でくつろげるのも、反復の防御策に守られているからだ。
回りが安全であり続けるという反復であり続ける安心である。

明日のいまごろなにをなにをしているだろうか。反復の防御策に守られたボクたちは、
かなり正確に予測できるだろう。反復は空間だけでなく、時間的に働く。決められて
いつも通りのルールに従えば、次の瞬間、予期しない危険がやってくることは、ほぼない。

しかし1年後、10年後はどうだろうか。未来とはいつも不確実性である。この安全が
続くという保証はない。たとえば地震はいまも予期できなく、突然、反復の防御を破り、
大きな被害をもたらす。より先まで、そしてより広く反復の防御策が働くように、人は
求めている。

351:第三の波平 ◆V8RGN/F1uY
06/12/23 12:07:24
そしてこのような反復の維持のための重要なことは、コストである。コストをかけて、
維持しなければ、外部環境はすぐに反復の防御策を解体してしまう。
特にお金のもつ貯蓄性は、このような反復の維持のための特性をもち、さらにリスク管理
にとって重要である。すなわちお金は、そのまま反復の源泉力の意味を持つ。お金を持つ
ことで、強い反復性を維持することができる。 これは、生存率と富の密接な比例関係から
わかるだろう。

だから「反復」が近代の科学技術によって急激に発展したことと、貨幣交換を基本とする
資本主義社会への移行が同期していることには意味があるだろう。近代以前にも「反復」は
作用していたが、反復の発展(進歩史観)という思想、方法論はなく、外部環境からの脅威は
封建的なコミュニティの結束で守られていた。人々の生存は、場に帰属することで守られていた
のだ。しかし近代に、科学技術の発展によって、反復の防御策が発展することで、外部環境
からの脅威を守ることは、それを獲得し、維持するためのお金が重要になったのである。

352:純一
06/12/23 17:32:39
この2つのサービス使って、ホストを偽装してからぴかぁ~は削除依頼しています。

>384 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/12/14(木) 18:06:17 HOST:211-127-156-54.customer.soloot.jp

proxy代わりに無料プロバのSolootというところを使って書き込んでいます。
URLリンク(soloot.jp)

>>182 :ぴかぁ~ :2005/07/31(日) 12:52:14 HOST:11.7.244.43.ap.livedoor.jp

インターネット接続サービス『プライム』月500円
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353:第三の波平 ◆V8RGN/F1uY
06/12/23 18:22:56
哲学は心について語る学問です。特に近代において心身が分離し、身体が科学技術によって
開拓する中で、特にその特性は増している。

しかしなおさら、問われるのは、哲学の可能性である。
たとえば疎外される心の補完への需要はどんどん増しているが、
そのための様々な芸術作品、エンターテイメントなどが活発化する中で、
哲学はどんどん斜陽している。
心を言葉で解説することにどのような意味が見いだせるのだろうか。

354:純一
06/12/23 19:00:38
この2つのサービス使って、ホストを偽装してからぴかぁ~は削除依頼しています。

>384 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/12/14(木) 18:06:17 HOST:211-127-156-54.customer.soloot.jp

proxy代わりに無料プロバのSolootというところを使って書き込んでいます。
URLリンク(soloot.jp)

>>182 :ぴかぁ~ :2005/07/31(日) 12:52:14 HOST:11.7.244.43.ap.livedoor.jp

インターネット接続サービス『プライム』月500円
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355:考える名無しさん
06/12/23 20:45:47
何が第三の波平だあ。しばくぞ

356:第三の波平 ◆V8RGN/F1uY
06/12/28 13:17:27
■リビドー(欲動)の探求

ニーチェは真実とは形而上学的な錯覚であるといった。そしてさらにそこに真実を求める力=権力への
意志を求める。これはフロイトと同じ構造である。真実とは超自我が作り出す錯覚であり、その根底に
は力動的なリビドー(欲動)が働いている。

しかしここでニーチェとフロイトは大きな相違点をもつ。ニーチェは進化論からも影響を受け、この権力
への意志を、生物がもつ力と考えたのに対して、フロイトはリビドーを性的なものとして、人間のもつ性
的倒錯などの特殊性も含めて、生物と断絶された人間特有のものであると考えるのである。

ラカンは一見、フロイトを継承する。超自我とは象徴界であり、リビドー(欲動)とは現実界である。しかし
その根底が大きく異なっている。ラカンは認識論(言語論)の人であるために、リビドー(欲動)という存
在論的なものを排除する。その代わりにハイデガーの現存在の欠落の発想を借りてくる。ハイデガーは
存在論の人であるからこれはおかしいように思うが、ラカンが継承されたハイデガーは、コジェーブを経
由した人間主義化されたヘーゲル+ハイデガーであったのだ。

357:第三の波平 ◆V8RGN/F1uY
06/12/28 13:18:04
その論理は、現実界はリビドー(欲動)であるが、それは認識(象徴界)の外にあり、あるとはいえない。
そうではなく、象徴界に開いた裂け目、ないことであるものである。あるいは隠されていることで、あるよ
うに見えるものであり、そこに欲望という力が発生する。これはまさにハイデガーの現存在の切れ目の
構造である。

このようなないことである否定的な構造を否定したのが、ポスト構造主義者としてのドゥルーズであり、
デリダである。ドゥルーズはリビドー(欲動)を「器官なき身体」として積極的に提示したのが、「アンチオ
ディプス」である。またデリダは、ラカンの欠如の構造を否定神学として反論した。

ここにあるのは、ラカンが臨界とした認識論から、存在論への展開である。認識論にあってはカントがそ
うであったように、現実界は「物そのもの」として、積極的に語ることはできない。しかし存在論におてい
は、内部を超えた外部の存在の根元を語ることができる。デリダはある意味で、ニーチェであり、フロイ
トに回帰し、そこに物質性をみるのだ。それがシニフィアンの物質性を指摘したエクリチュール論である。

358:第三の波平 ◆V8RGN/F1uY
06/12/28 21:21:07
■バラエティ番組の構造

最近のバラエティ番組には一つの構造がある。タレントが演じるVTRをスタジオで司会者らのタレン
トと観客が見ている。そしてこれをTV視聴者が見ている。(((①VTRタレント)②司会者+コメンテー
ター)③TV視聴者)というメタ言語の構造がある。

普通に考えれば、((①VTRタレント)②TV視聴者)という構造である。演劇でもそうである。たとえば
舞台で殺人が行われても観客が驚かないのは、そこに演劇というコンテクストが共有され、観客がメ
タ視線で見ているからだ。

最近のTVは間に②の層が挟まれる。これの原点は、コメディなどで挟まれる笑い声だろう。そして古
くから構図を持つものがワイドショーである。ここで②の役割は、ガイドである。笑い声、最近の画面
のコメントなどは、画面との解説であり、どこがどこがおもしろいのか、どう楽しめばよいのかというこ
とだ。人々は②に同期しながら、どう楽しめばよいかという労力から解放される。

たとえばこのような構造は漫才のボケとツッコミにもある。ボケという宙づりという不快を、ツッコミは
ガイドする。緊張と緩和である。

359:第三の波平 ◆V8RGN/F1uY
06/12/29 00:15:04
デリダ
 内部・・・反復可能性、散種の多義性化
 外部・・・差延、代補の運動、誤配、幽霊
 倫理・・・「痕跡」のまったき他者
 存在論・・・「痕跡」の物質性

ラカン
 内部・・・象徴界、シニフィアンの連鎖、クッションの綴じ目
 外部・・・現実界、主体の欠如への欲動(他者性)
 倫理・・・幼児期の他者との経験の1回性

360:第三の波平 ◆V8RGN/F1uY
06/12/29 00:50:27
デリダの外部は弱い。外部を呼び込む代補の運動において、
痕跡の「他者」はウィと肯定可能な他者=種の他者に限定される。
すなわち外部は、他者のもつ不確実性に限られる。

強い外部、たとえばただ到来する自然災害などは、含まれない。
このような強い外部の欠如は、強い内部の必要性を隠蔽する。
生存するためには強い内部が必要とされる。
デリダの世界はブルジョアジーな幸福な世界である。


361:第三の波平 ◆V8RGN/F1uY
06/12/29 00:57:29
たとえば進化論では二種類の外部が想定されている。
一つは自然淘汰であり、もう一つは突然変異である。
デリダの外部とは突然変異である。痕跡が差延としてずれ、
内部を変容させるという突然変異である。
デリダには、もう一つの自然淘汰という外部環境からの
不確実性はない。

362:第三の波平 ◆V8RGN/F1uY
06/12/29 09:05:51
デリダが横の差異としての構造主義的共時性から縦の差異としての通時性に
言及すると言うこと、時間が流れるということは、「存在と時間」において
存在論の扉を開くと言うことであり、シニフィアンは「痕跡」という時間の獲得
とともに、存在としての物質性を手に入れる。



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