06/09/17 19:51:12
「ここで意図しているのは批判的な論評ではなく、理性とその応用について、より広い考えをもつことだ。
私たちは、人類に与えられた様々な新しい機会を喜びながらも、そこから生まれる危険も目にしており、
その危険をどう克服すべきか自問しなくてはならない。
危険を克服するには、これまでとは違った新しい形で理性と信仰が結合しなくてはならない。
理性とは、経験的に実証可能なものに限ると限定してきた態度を、 改めなくてはならない。
そして理性というものがもつ幅広い可能性を、 明らかにしなくてはならない。
(中略)
「それによって初めて、目下ただちに必要とされている文化同士、宗教同士の真の対話が可能になる。
西洋世界では一般的に、実証的な理性とそれにもとづく哲学のみが普遍的に有効なものだと考えられている。
しかし世界のきわめて信仰深い文化からすれば、この態度は、理性の普遍性から神聖なるものを排除してしまうこと。
自分たちにとって何より大事な信念を攻撃する態度にほかならない。神聖なるものに耳を閉ざす理性、
宗教をサブカルチャーのひとつに位置づけてしまうような理性には、文化同士の対話は不可能だ。
(後略)