06/09/14 00:02:47
>>366
> だから、全人類の罪を背負って死ぬことは
> 全人類に対して愛情を持ってたからでしょ。
「イエスの場合」は全人類に対して愛情を持っており、かつ贖罪したということです。
「全人類の罪を背負って死ぬ」ことが、必ずしも全人類に対して愛情を持っていたことにはなりません。
AならばBであっても、BならばAではないのです。これはわかりますよね。
> 隣人を愛せずして、人類の為に自身の命を捧げることはできないでしょうが。
できると思います。愛とは別の感情によっても可能だと思います。
> 普通に考えればわかると思うが、
> 「ある人間AがBの罪を自ら背負って死んだ」
> この人間の動機について考えれば、その人間Aは、
> 1)Bに無関心だった
> 2)Bに憎悪していた
> 3)Bに愛情をもっていた
> 答えはどれでしょう。
Aがイエス以外なら、答えはいろいろあると思います。
> 贖罪ではAはイエス。Bは全人類。
> 答えは3)の愛情をもっていた。
> キリスト教ではその人間への愛を隣人愛と言う。
イエスは隣人愛と、贖罪を持ち合わせていたと言うことです。
ただし、この贖罪は人間には不可能だとされていますので、
信徒ができる隣人愛とは別になります。
ただ、どちらもイエスが行った、という程度の関係性はあると思います。