06/09/13 19:27:10
>>344
> > その少数派のカトリックの弁を大多数でしめる米軍のプロテスタントに適応させることはできません。
カトリック以外のキリスト教宗派を総じてプロテスタントというのです。
いずれにせよ、カトリックの意向=プロテスタントの意向でもなく
カトリック教皇の意向=カトリック信者・プロテスタント信者全体の意向でもない。
ということはわかりますよね?
347:一言居士
06/09/13 19:34:58
>>341
自分の生命や意志はどうなのですか?
348:油ハム
06/09/13 21:14:30
>>345
> この聖書にある記述(神への愛と隣人愛)をキリスト教徒が疑わない理由はなんですか?
聖書にある記述を疑わないというのは理解しかねます。
そういう方もいらっしゃるでしょうが、疑う人も少なくはありません。
そもそも、法律でも、学問でも、道徳でも、疑う人もいれば疑わない人もいるものだと思います。
> 言いっぱなしでもし贖罪がなければだれもイエスを救世主だとは思わず、
> 隣人愛は口だけ。自分の身のほうが大事なんだな・・ということになってしまいます。
「贖罪」というのは生前の教えには存在していないので、
これは後付けによる解釈だと私は思います。聖書の記述では、隣人愛は口だけではなく、
生前に実行して(洗足など)いたので、自分の身のほうが大事ということにはならないでしょう。
349:考える名無しさん
06/09/13 22:00:36
>>348
いずれにせよ、贖罪はそのイエスの神への愛・隣人愛を語る上で
外すことができない重要な要素であることは、キリスト教徒ならよくわかるでしょう。
それがわからないというならお聞きします。
無関係であるとするその贖罪は一体何のために行われたのでしょうか。
私は一般的なキリスト教徒ならば、
贖罪と隣人愛が無関係とする論は異端であると考えますが。
350:考える名無しさん
06/09/13 22:08:15
贖罪は、
神への罪から救うためにキリストが、全人類に代わって十字架にかかって死んだこと
であり、
イエスが人類への愛や神への愛を全うする為に自身を命を犠牲にした
と私は解釈していますが。
この点について、神への愛・隣人愛は無関係だという論は
初耳なので参考までにその理由を聞かせてもらえますか。
351:考える名無しさん
06/09/13 22:13:27
>>349
>無関係であるとするその贖罪は一体何のために行われたのでしょうか。
これはイエスのみぞ知るところでしょうね。
一体何のために伝承として残ってるのか?吹聴して回るのか?
というのをあなたは問いたいのではないでしょうか。
それとイエスの磔刑による贖罪は、キリスト教徒にとって
普段は忘れ去られている(しかし無意識に刷り込まれている)
"切り札"みたいなものだと思います。
352:考える名無しさん
06/09/13 22:36:06
>>351
いえ私が聞きたいのは贖罪に対する解釈です。
贖罪論という名がつくほど、贖罪に関する解釈は多々存在しているのは
知っていますが、贖罪と隣人愛を無関係とする立場からみた贖罪観について
尋ねています。
贖罪の一般解釈は>>350でも書いてあるように、
神への罪から救うためにキリストが、全人類に代わって十字架にかかって死んだこと
であり、 イエスの贖罪行為の意味は、
イエスが人類への愛や神への愛を全うする為に自身を命を犠牲にした
と私は解釈していますが。
この点について、神への愛・隣人愛は無関係だという論は
初耳なので参考までにその贖罪の理由や解釈を聞かせてもらえますか。
353:油ハム
06/09/13 22:41:20
>>346
「プロテスタントはカトリック以外の小さな宗派を合わせたものです。」
という部分には同意なさっているわけですね。
ただ、プロテスタントの意向というのは、方向性が定まっていないので実質存在しませんし、
カトリックの意向とは違うからこそ、プロテスタントなのです。
354:考える名無しさん
06/09/13 22:42:20
むしろ関係があるという論拠を語ったほうがいいんじゃないの?
>神への罪から救うためにキリストが、全人類に代わって十字架にかかって死んだことであり、
これで贖罪は論理的には済んでるんですよ(救済論)。
償うため=>他者への愛を示すというような功利主義的な説明が出来ないのだよ。
これが他の宗教との(たとえばユダヤでもイスラームでもいいけど)一番大きな違いだって言うのは
哲学板的に常識だと思うんだけどなあ。
355:油ハム
06/09/13 22:50:31
>>349
> いずれにせよ、贖罪はそのイエスの神への愛・隣人愛を語る上で
神への愛と、隣人愛は違うので、一緒に扱わないほうがいいと私個人は思いますし、
贖罪は「神への愛」ならまだしも、隣人愛とは別だと思います。
あくまで贖罪がある前、生前の教えの一つですから。
> その贖罪は一体何のために行われたのでしょうか。
人間が犯した罪をリセットするためです。つまり贖罪によって、それまでの人間罪は許されました。
もちろん、その贖罪はイエスの隣人愛の一つであるという見方もできますが、
隣人愛が、その贖罪に依存しているわけではないと考えます。
356:油ハム
06/09/13 22:55:37
>>350
> 神への罪から救うためにキリストが、全人類に代わって十字架にかかって死んだこと
おっしゃる通りです。
> イエスが人類への愛や神への愛を全うする為に自身を命を犠牲にした
> と私は解釈していますが。
そこまでの理解は正しいと思います。
> この点について、神への愛・隣人愛は無関係だという論は
「神への愛」は無関係とは申し上げておりません。
「隣人愛」は無関係という言い方は不適切だったかもしれませんが、
隣人愛が「贖罪」に依存しているわけではないということを理解していただければと思います。
357:考える名無しさん
06/09/13 22:59:33
>>353
> カトリックの意向とは違うからこそ、プロテスタントなのです。
わかってるんじゃん。それが正解って最初からいってるでしょ。
○ カトリックの意向=プロテスタントの意向ではない
次はこれ
カトリック教皇の意向=カトリック信者・プロテスタント信者全体の意向でもない。
>>354 お、また犬に成り下がったのかねww
> むしろ関係があるという論拠を語ったほうがいいんじゃないの?
過去レス参照。
贖罪=イエスの利己的動機ではなく、利他的動機によってなされた。
とこちらは主張している。キミは
贖罪=イエスの利他的動機ではない=利己的動機かもしれない
といっているのかね。それを聞いたら一般キリスト教徒が黙ってませんよとw
> 哲学板的に常識だと思うんだけどなあ。
解釈の問題は哲学では重要なことなんだよw
ある命題における定義が違う者同士では議論にならない。
よって、「贖罪は隣人愛と無関係か」という命題があった場合、
まず「贖罪」の定義・解釈について明らかにしなければならない。
私の解釈は、「神への罪から救うためにキリストが、全人類に代わって十字架にかかって死んだこと」
であり、「イエスが人類への愛や神への愛を全うする為に自身を命を犠牲にした」である。
次にキミの解釈はなんだねと聞いている。わかったかい?
358:油ハム
06/09/13 23:00:10
>>354
> これで贖罪は論理的には済んでるんですよ(救済論)。
仰るとおり、贖罪はもう終わっており、信徒がすることではないです。
信徒がするべきことは、隣人愛の方で贖罪ではないのです。
359:考える名無しさん
06/09/13 23:03:01
>>357
>>>354 お、また犬に成り下がったのかねww
それ別の人。キミに狂犬と呼ばれている俺じゃないよ。念のため。
360:考える名無しさん
06/09/13 23:07:41
>>355
> 神への愛と、隣人愛は違うので、一緒に扱わないほうがいいと私個人は思いますし、
> 贖罪は「神への愛」ならまだしも、隣人愛とは別だと思います。
ええと、「全人類に代わって死ぬこと」が、人類に対する愛=隣人愛
と私は解釈しますし、この論理性に不整合はないと思いますが。
> 隣人愛が、その贖罪に依存しているわけではないと考えます。
> 贖罪はイエスの隣人愛の一つであるという見方もできます
ならば無関係という部分を訂正しなくてはいけませんね。
相関性が高いか低いかという議論はナンセンスでありますが
無関係ではないのならそもそもの反論の意味がよくわかりませんね。
とにかく反発したいということでなければ、そもそもの文
> キリスト教的利他心の根源はイエスの贖罪であるか
> について、私は根源は贖罪であると主張します。
について、根源は贖罪であるともいえるわけです。
361:考える名無しさん
06/09/13 23:25:52
>>357
イエスの贖罪は、神による神の「身代」=犠牲の子羊だっていうのが普通なわけだが。
一般キリスト教徒が黙ろうが黙るまいが普通に考えられていること。
そこに「利己」とか「利他」とかいう話を入れてはいけないのだよ。
362:考える名無しさん
06/09/13 23:33:58
>>361
そもそもキリスト教は利他的である。
という議論から始まったから、利己や利他について
言及するのがむしろ本題なのだよ。
で、私はキリスト教は利他的だという立場から、
その象徴であるイエスの贖罪も利他的だと言っているわけ。
簡単にいうと、
誰かの罪を償うために自身の命を犠牲すれば
その行為は、イエスでなくとも利他的と言わざるをえないのだよ。
その利他心の裏づけ・動機付けとして、イエスの場合は神への愛や隣人愛
によってなされたと言っているわけ。
で、キミはそうではない、贖罪はそのような利他心とは関係ないと言い出したわけ。
ここまではわかるかな?
363:油ハム
06/09/13 23:36:14
>>360
> ええと、「全人類に代わって死ぬこと」が、人類に対する愛=隣人愛
「全人類が死ぬ」のを代わって死ぬわけではなく、全人類の罪を背負って死ぬことです。
これを人間がするべきということではないですし、人間にはできないこととされている(あくまで
キリスト教の教義の中での話です)ので、イエスが教えた隣人愛とは別に考えたほうがいいと思います。
364:考える名無しさん
06/09/13 23:40:21
>>362
>>361もキミに狂犬と呼ばれている俺じゃないよ。念のため。
365:油ハム
06/09/13 23:45:15
>>362
> で、私はキリスト教は利他的だという立場から、
> その象徴であるイエスの贖罪も利他的だと言っているわけ。
これは同意です。
> 誰かの罪を償うために自身の命を犠牲すれば
> その行為は、イエスでなくとも利他的と言わざるをえないのだよ。
利他的ではありますが、隣人愛とは違うと思います。
教義では、その身を犠牲にしようとも、愛がなければ無意味となっています。
366:考える名無しさん
06/09/13 23:51:32
>>363
だから、全人類の罪を背負って死ぬことは
全人類に対して愛情を持ってたからでしょ。
隣人を愛せずして、人類の為に自身の命を捧げることはできないでしょうが。
普通に考えればわかると思うが、
「ある人間AがBの罪を自ら背負って死んだ」
この人間の動機について考えれば、その人間Aは、
1)Bに無関心だった
2)Bに憎悪していた
3)Bに愛情をもっていた
答えはどれでしょう。
贖罪ではAはイエス。Bは全人類。
答えは3)の愛情をもっていた。
キリスト教ではその人間への愛を隣人愛と言う。
わかったかい?
367:考える名無しさん
06/09/13 23:54:56
他のクリスチャンにも聞きたいね。
全人類の罪を背負って死ぬことについて、
1)イエスは全人類を愛していたから罪を背負った
2)イエスは全人類を愛していなかったから罪を背負った
答えはどれだい?w
馬鹿馬鹿しくてやってられんなやっぱり。
368:考える名無しさん
06/09/14 00:02:10
そこで田川建三のパウロ解釈ですよ。
神様の怒りをおさめるために、神の子を、神が自ら神に生き血を捧げた、っていうやつ。
ここにはイエスの「主体」=決断はないから、贖罪ドグマは、隣人愛ドグマとは別個に議論できるっていうやつ。
納得するけどね俺は。
369:油ハム
06/09/14 00:02:47
>>366
> だから、全人類の罪を背負って死ぬことは
> 全人類に対して愛情を持ってたからでしょ。
「イエスの場合」は全人類に対して愛情を持っており、かつ贖罪したということです。
「全人類の罪を背負って死ぬ」ことが、必ずしも全人類に対して愛情を持っていたことにはなりません。
AならばBであっても、BならばAではないのです。これはわかりますよね。
> 隣人を愛せずして、人類の為に自身の命を捧げることはできないでしょうが。
できると思います。愛とは別の感情によっても可能だと思います。
> 普通に考えればわかると思うが、
> 「ある人間AがBの罪を自ら背負って死んだ」
> この人間の動機について考えれば、その人間Aは、
> 1)Bに無関心だった
> 2)Bに憎悪していた
> 3)Bに愛情をもっていた
> 答えはどれでしょう。
Aがイエス以外なら、答えはいろいろあると思います。
> 贖罪ではAはイエス。Bは全人類。
> 答えは3)の愛情をもっていた。
> キリスト教ではその人間への愛を隣人愛と言う。
イエスは隣人愛と、贖罪を持ち合わせていたと言うことです。
ただし、この贖罪は人間には不可能だとされていますので、
信徒ができる隣人愛とは別になります。
ただ、どちらもイエスが行った、という程度の関係性はあると思います。
370:いんちきクリスチャン
06/09/14 00:19:34
私は、贖罪と隣人愛は明らかに関係あると思うけどな。
「人がその友のために命を捨てるという、これよりも大きな愛は誰も持っていません。」(ヨハネ15:13)
371:考える名無しさん
06/09/14 00:20:45
そもそも、イエス自身の口からは、「隣人愛」ということばが発せられたことは殆どないわけだが。
372:考える名無しさん
06/09/14 00:24:19
>>368
> ここにはイエスの「主体」=決断はないから、贖罪ドグマは、隣人愛ドグマとは別個に議論できるっていうやつ。
イエスに主体性がなく決断力もないなら
聖書に書かれているイエスの言動そのものが・・
つまりキリスト教そのものが崩壊しますねw
>>369
> 「イエスの場合」は全人類に対して愛情を持っており、かつ贖罪したということです。
> 「全人類の罪を背負って死ぬ」ことが、必ずしも全人類に対して愛情を持っていたことにはなりません。
> 「イエスの場合」は全人類に対して愛情を持っており、かつ贖罪したということです。
この言及で言えば、AとBはなんだね。まずこれを定義すべきなのでは?
私はA=原因、B=結果を定めて、
人類愛(原因)によって贖罪(結果)をしたと言っている。
>> 隣人を愛せずして、人類の為に自身の命を捧げることはできないでしょうが。
> できると思います。愛とは別の感情によっても可能だと思います。
例えばなに?自殺?それは人類(自己を含む)への愛ですよ。
> イエスは隣人愛と、贖罪を持ち合わせていたと言うことです。
その通り。でその隣人愛の最大イベントが贖罪なのです。
贖罪以上の隣人愛はないと言っても過言ではないでしょう。
どうしても、贖罪と隣人愛を分けたいみたいだね。
>>367の問いに答えてみて。
373:いんちきクリスチャン
06/09/14 00:30:49
私は、贖罪と隣人愛は全く関係ないと思うよ。
「人は自分のためだけに命を捨てるべきである。これよりも大きな神の意志はない」(ヘブライ9:22)
だって知り合いがそういんだから絶対ただしいよ!
374:油ハム
06/09/14 00:36:17
>>372
> 人類愛(原因)によって贖罪(結果)をしたと言っている。
動機と行動ですね。イエスの場合、その程度の関連性はあると思います。
ただイエスという限定を外すと、人類愛と贖罪は繋がらないということ、
また、人類愛のあり方は贖罪だけではないこと、贖罪すれば人類愛があるわけではないこと
に気をつける必要があります。その点が理解されているようであれば、
関連性があるといっても誤解は生じないと思います。
> 例えばなに?自殺?それは人類(自己を含む)への愛ですよ。
申し訳ありませんが、仰っていることの意味がわかりません。
> どうしても、贖罪と隣人愛を分けたいみたいだね。
信徒ができるのは、隣人愛の方だけですから、一緒になると違和感を感じます。
イエスキリストに限定すれば、動機と行動と言う意味での関連性があるとは思いますが、
どいういう関連性があるかの説明がないと誤解を招くような気がします。
375:狂犬予防対策本部
06/09/14 00:37:02
>>370,373
自演乙ww
>>367
> 1)イエスは全人類を愛していたから罪を背負った
> 2)イエスは全人類を愛していなかったから罪を背負った
> 答えはどれだい?w
これ2だと答える馬鹿はいないよね。
なんでこんな簡単なことでもめてるの?w
> 馬鹿馬鹿しくてやってられんなやっぱり。
同感。また狂犬のわけのわからん噛み付きかもねw
376:考える名無しさん
06/09/14 00:43:51
>>372
>つまりキリスト教そのものが崩壊しますねw
現代聖書学の教義理解は多様で、それを受ける「教会」側もタフだから全然崩壊しません。
377:考える名無しさん
06/09/14 00:51:19
>>374
> 動機と行動ですね。イエスの場合、その程度の関連性はあると思います。
ほう、
> AならばBであっても、BならばAではないのです
動機=A、行動=Bだと。
隣人愛(動機)ならば贖罪(行動)であっても、
贖罪(行動)ならば、隣人愛(動機)ではないと言いたいのかな?
であるなら、隣人愛(動機)ならば贖罪(行動)は正しいという論は
認めているわけね。それで結構。
> ただイエスという限定を外すと、人類愛と贖罪は繋がらないということ、
「イエスと、イエスをキリストだと崇めるキリスト教徒」という限定を外すと
は繋がらないということ。なら理解可能ですね。
イエスの行動は彼ら一般教徒の規範でもあるわけです。
> 申し訳ありませんが、仰っていることの意味がわかりません。
隣人を愛せずして、人類の為に自身の命を捧げることができる。
愛とは別の感情によっても可能。とキミは言っているね。
それは一体なんだ?と聞いている。
> 信徒ができるのは、隣人愛の方だけですから、一緒になると違和感を感じます。
まず>>367の問いに答えてみて。
で、一般教徒に同じ問い(イエスのどのような動機で贖罪したのか?)を
尋ねられたらキミはなんと答えるのだね?
378:考える名無しさん
06/09/14 00:58:24
あ~眠くて日本語がおかしい・・。もっとこう目が覚めるような反論はないのかね・・
>>377
> 「イエスと、イエスをキリストだと崇めるキリスト教徒」という限定を外すと
> は繋がらないということ。なら理解可能ですね。
→「イエスと、イエスをキリストだと崇めるキリスト教徒」という限定を外すと
人類愛と贖罪は繋がらないということ。なら理解可能ですね。
> で、一般教徒に同じ問い(イエスのどのような動機で贖罪したのか?)を
→で、一般教徒に同じ問い(イエスがどのような動機で贖罪したのか?)を
379:考える名無しさん
06/09/14 01:06:19
>>377
神の子イエスの行動のうち<贖罪>は、一般教徒の規範じゃないんだよ?
なんかあなたズッーっとずれてるなあ
380:考える名無しさん
06/09/14 01:18:12
>>379
> なんかあなたズッーっとずれてるなあ
ズラではないよ。
規範という言葉が誤解を生んだのかもしれない。
イエスの言動をその教徒は美化肯定している。と訂正します。
キリスト教徒はイエスの隣人愛も贖罪も美化し、
肯定しているのです。
まあ正論だと釣れないのであえてずらしている面もありますがねw
381:油ハム
06/09/14 01:19:57
>>377
イエスの行動においては、贖罪と隣人愛は関連はあると思います。
ただ、信徒の教義としては、関係性が見当たらないと思います。
> イエスの行動は彼ら一般教徒の規範でもあるわけです。
奇跡を起こすことや、贖罪することが規範ではないので、
「行動の一部」が規範になります。
> それは一体なんだ?と聞いている。
個人の心情はさまざまなので限定することはできないですが、
死への願望など、いろいろあると思います。
> まず>>367の問いに答えてみて。
・イエスは、人間を愛しておられた。
・イエスは、人間の、神に対する罪を背負った。
この2点は間違いないと思います。
382:考える名無しさん
06/09/14 01:41:26
要するに整理すると、
a)イエスの場合は贖罪と隣人愛の関連性は認める。
b)しかし一般教徒の場合にはそのような関連性はなく、
c)隣人愛は美化も肯定もする が
d)贖罪は美化も肯定もしていない し
e)そのような行為は行わない
という回答でよろしいかな?
今まではa)を認知してもらうために議論していたわけで
今後もうa)の結論をひっくり返すなよ。と。
次に、d)贖罪は美化も肯定もしていない。e)そのような行為は行わない。
について、私は>>329 において、
> 贖罪意識を善とするキリスト集団が・・過去の例であれば十字軍が、
> 現代の例であれば米軍が・・異教であるイスラム教とその信徒を粛清することや、
> その戦いで死ぬことを「善」と位置づけ、美化し肯定しているわけです。
と述べており、キミが「カトリックの教皇の発言」を提示して反論したわけだが、
その反論の具体性について、>>342にて反論している。と。
んで、
・カトリックの意向=プロテスタントの意向ではない・・・これはおk
・カトリック教皇の意向=カトリック信者・プロテスタント信者全体の意向でもない。
ということはわかりますよね?
383:368
06/09/14 01:42:24
大体、話の枠はカトリックな人の油ハム氏の>>381の答えで見えてきたんじゃないの。
で、油ハムさんに一つ質問いいかな?
>>343のマルコの「隣人愛」の部分だけど、ルカだと、イエスじゃなくて質問者のユダヤ律法者に対して、
イエスがさらに反問して(「律法にはなんと書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」)、
それにつられて、律法者のほうが答えるかたちをとってるんだよね(10章25-37)。
ここらへんの福音書テキストのズレに着目して、田川はルカのテキストを採用し、
「隣人愛」というのは、ユダヤ教的伝統であって、当時そういう紋切型の発想に辟易してたイエスは
(ほら、あなたポピュラーな話だから知ってるでしょ)という感じの軽い嫌味風の反問を
繰り出した(つまり「イエスは愛の説教者ではない」)、
なんて言ってるんだけど(田川、『イエスという男』)、こういうイエス解釈はどう思いますか?
384:油ハム
06/09/14 02:05:09
>>382
> a)イエスの場合は贖罪と隣人愛の関連性は認める。
どういう点で関連性があるのかが不明だと誤解(教義に関連性があるように誤解される可能性)を
招きそうです。関連性について適切な説明があれば良いと思います。
b)については合意されていると思います。
c),d),e)の主語は何でしょうか?
> ・カトリックの意向=プロテスタントの意向ではない・・・これはおk
> ・カトリック教皇の意向=カトリック信者・プロテスタント信者全体の意向でもない。
意向についてまとめるとこうなります。
・カトリック教皇の意向=カトリック信者の意向≠プロテスタントの各宗派の信者の意向
・プロテスタントの宗派Aの信者の意向≠プロテスタントの宗派Bの信者の意向
385:考える名無しさん
06/09/14 02:09:57
>>368
> ここにはイエスの「主体」=決断はないから、贖罪ドグマは、隣人愛ドグマとは別個に議論できるっていうやつ。
田川建三か・・これかい?w
「イエス・キリストの教えに従って生きる」などという言い方を、キリスト教徒はよくする。
ところが、パウロは書簡の中でイエスの生前の言動には一言も触れていない。
パウロ書簡はおそらくすべて福音書よりも先に書かれたので、パウロはイエス言行録の
存在を知らなかった可能性もあるが、むしろかれは生前のイエスへの関心をきっぱりと
否定している。一方、福音書には贖罪論が、主題としてはでてこない。イエス自身が
それを口にしないのは当然だが、不思議なことに受難物語にさえ、贖罪信仰の影響は
ほとんどみられないのである。福音書編纂の目的は贖罪論の宣伝普及とは全く別の
ところにあり、また受難物語そのものも贖罪信仰とは無関係に伝承されていたのだ。
新約聖書には実は、このように明確に異なる二種類の思想的産物が同居しているのである。
イエス信仰と贖罪信仰は、内容的に無関係なのだ。これは、よく考えてみれば重大なこと
ではないか。イエスがわれわれの罪の身代りであることと、われわれの人生の導き手で
あることとの間には、必然的関係がない?!
いや、実際は関係がないどころではない。パウロ書簡と福音書の成立は原始キリスト教内
における厳しい思想的相克を反映しているのだ。倫理主義の桎梏を断ち切ることに救いを
見出したパウロにとっては、十字架上のイエスの死とその後の復活こそが唯一の信仰の
対象であり、生前のイエスについて語ることは「イエスの教え」を絶対化する教条的倫理主義
に陥る危険を孕むがゆえに、厳に戒めなければならない。それに対して、イエスを主人公に
した物語を著すという行為は、十字架贖罪論に包摂されえないイエスという人間の生の現実
に救いの根拠を求めることを意味する。両者の立場は根本的に相容れないのだ。
ここにキリスト教の本質的自己矛盾がある。信ずるべきは人間イエスか、それとも十字架の
キリストか―この抜き差しならない難問に、キリスト教は答えをだす必要があった。
386:考える名無しさん
06/09/14 02:21:19
>>384
> どういう点で関連性があるのかが不明だと誤解(教義に関連性があるように誤解される可能性)を
> 招きそうです。関連性について適切な説明があれば良いと思います。
せっかく>>368さんが田川建三さんの面白い論を提出しているのだから
そちらに議論を移しても構わないが(この話題はつまらんw)
キリスト信仰と贖罪論についての関連性は>>385にて。
> b)については合意されていると思います。
いえ、していませんが。
> c),d),e)の主語は何でしょうか?
主語はキリスト教信者です。
> ・カトリック教皇の意向=カトリック信者の意向≠プロテスタントの各宗派の信者の意向
カトリック教皇の意向=カトリック信者の意向について、
まず、教皇の発言について知らないので提示していただけませんか。
次に、代表者の意向=その組織全体の意向ではないと何度も言っていますが。
(根拠は過去レス参照)
387:油ハム
06/09/14 02:23:32
>>383
私個人は、嫌味ではなく、気がつかせるために話したのだと思います。
イエスは「ユダヤ教」を否定していたわけではないと思います。
マタイによる福音書5章17節
わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。
廃止するためではなく、完成するためである。
388:油ハム
06/09/14 02:33:00
>>386
> > b)については合意されていると思います。
> いえ、していませんが。
了解しました。
> まず、教皇の発言について知らないので提示していただけませんか。
膨大な量があるのでとりあえず、これぐらいでよろしいでしょうか。
URLリンク(www.cbcj.catholic.jp)
> 次に、代表者の意向=その組織全体の意向ではないと何度も言っていますが。
一般的な組織の場合、その図式が成立します。
しかし、教皇の意向と同じでない集団は、カトリックにはなりません。
プロテスタントということになります。
・教皇の意向=ある組織の意向→カトリック
・教皇の意向≠ある組織の意向→プロテスタント
ということです。
389:考える名無しさん
06/09/14 02:37:31
キリスト信仰と贖罪論の融合についてでもいいのだが・・
ニーチェからどんどん離れてゆくというジレンマが・・w
寝よ・・
390:一言居士
06/09/14 11:13:26
油ハムさん、キリスト教は利己心、自己愛などについてどう捉えているのか教えていただけますか?
391:考える名無しさん
06/09/14 13:00:16
>>388
> 膨大な量があるのでとりあえず、これぐらいでよろしいでしょうか。
> URLリンク(www.cbcj.catholic.jp)
悪いが、まずどの教皇の発言なのだね。次にいつの年代の発言かな?
多数いる教皇の膨大に有る発言から「他宗教無干渉」のみを探すのはそれを知らないものに
とっては極めて困難だろう。知っているなら乗せるのは簡単なはずだと思うが。
あと現教皇ベネディクト十六世はイエスの復活=奇跡を述べておるぞw
> 奇跡を起こすことや、贖罪することが規範ではないので、「行動の一部」が規範になります。
これに矛盾するんじゃないのかね。
URLリンク(www.cbcj.catholic.jp)
教皇ベネディクト十六世の2006年4月16日の復活祭メッセージ(ローマと全世界へ)
「あのかたは、ここにはおられない。復活なさったのだ」(Non est hic, sed resurrexit!)。
このルカによる福音書24章6節からとられたことばは、復活祭メッセージ本文にも引用されています。
あのかたは、ここにはおられない。復活なさったのだ(Non est hic, sed resurrexit)」(ルカ24・6)。
この朝以来、このことばは、喜びを告げ知らせるために、全世界にあらためてこだまし続けています。
この喜びは、世々に変わることがありません。同時にこの喜びは、限りのない、常に新しいこだまを響かせています。
392:考える名無しさん
06/09/14 13:02:00
教皇の発言はほとんど聖書の引用だな。
URLリンク(www.cbcj.catholic.jp) 「教皇ヨハネ・パウロ二世の遺言」
1978年10月16日という日に枢機卿たちのコンクラーベがヨハネ・パウロ二世を選んだとき、ポーランドの
大司教であるステファン・ウィスチンスキ枢機卿がわたしにこう言った。
「新しい教皇の課題は、教会を第三千年期に導くことであろう」。
「勝利に至るなら、その勝利はマリアによる勝利である」。
URLリンク(www.cbcj.catholic.jp)
教皇ベネディクト十六世=現教皇 2005年12月25日の降誕祭メッセージ(ローマと全世界へ)
「人よ、目覚めなさい。神はあなたのために人となったからである」(Expergiscere, homo: quia pro te Deus factus est homo!)。
「わたしは・・・・大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」(ルカ2・10-11)。
「実際、人間の秘義は肉となられたみことばの秘義においてでなければ、ほんとうに明らかにはならない」(『現代世界憲章』22)。
393:考える名無しさん
06/09/14 13:14:57
ここで考慮しなければならないのは、
教皇の発言=カトリック信者全体の意向ならば、
まず現教皇はイエスの復活=イエスの奇跡を肯定している。
よってカトリック信者もその奇跡を肯定しているのである。
次の落としどころは教皇の贖罪に関する発言だな・・
教皇が贖罪に関して否定的しない=肯定する場合、
キミの論理だと、カトリック信者全体の意向は贖罪を肯定するわけだね。
面倒だけど探してみるかw
394:考える名無しさん
06/09/14 13:22:36
>>393
訂正
> 教皇が贖罪に関して否定的しない=肯定する場合、
教皇が贖罪に関して否定しない、もしくは肯定する場合、
395:考える名無しさん
06/09/14 13:28:30
キリスト教は贖罪によって解体され
カトリックは教皇の発言によって解体されるw
396:油ハム
06/09/14 13:35:15
>>391
> 悪いが、まずどの教皇の発言なのだね。次にいつの年代の発言かな?
どのような発言をお探しですか?
> 多数いる教皇の膨大に有る発言から「他宗教無干渉」のみを探すのはそれを知らないものに
> とっては極めて困難だろう。知っているなら乗せるのは簡単なはずだと思うが。
知っていても困難です。ヨハネパウロ2世ということは知っていますが、
そこから先探す苦労は、貴方でも私でも同じです。
その発言があるかどうかによって、貴方の意見が変わるなら探す価値がありますが、
変わらないなら徒労に終わってしまうでしょう。
> あと現教皇ベネディクト十六世はイエスの復活=奇跡を述べておるぞw
別に問題はないと思います。
> > 奇跡を起こすことや、贖罪することが規範ではないので、「行動の一部」が規範になります。
これは、「信徒が」奇跡を起こすことや贖罪をするようにするための規範ではないと
いう意味で申し上げました。
397:考える名無しさん
06/09/14 13:37:42
>>393
前代のヨハネ=パウロ2世なんか進化論を肯定してたけど
398:油ハム
06/09/14 13:42:12
>>393
> 教皇の発言=カトリック信者全体の意向ならば、
ということを特に条件づけなくても、
> まず現教皇はイエスの復活=イエスの奇跡を肯定している。
> よってカトリック信者もその奇跡を肯定しているのである。
こちらの通りです。イエスの復活を信じているのはカトリックの特徴です。
また、贖罪に限らず、肯定否定に限らず、
キリスト教徒の中で、教皇の意向と同じ意向を持つ者が、カトリック信者になります。
これはどちらかというと定義に近いです。
399:考える名無しさん
06/09/14 14:27:44
>>397
> 前代のヨハネ=パウロ2世なんか進化論を肯定してたけど
これね。根拠の提示とはこういうことを意味します。
URLリンク(www.christiananswers.net)
1996年10月23日、ローマ教皇ヨハネ・パウロI2世は、
「新たな知識により、進化論を単なる仮説以上のものとして認識するにいたった」
と公式に教皇庁科学アカデミーに対して述べました。
教皇は、神様のみが人間の魂を造ることができることを支持するならば、
創造と進化は矛盾なく、両立すると語ったのです。
教皇の発表は、イエスや使徒の教え、そしてローマ・カトリックに非常に
重要な意味を持つ教会の伝統にさえも矛盾するものです。
この教えによれば、アダムが文字どおりエデンの園で、文字どおりに堕落したために、
この世に死と苦しみがもたらされることになったのです。
だからこそ、キリストが受肉し、われわれの罪のために死ななければならなかったのです=贖罪。
進化は、その死、すなわち「最後の敵」(コリント一15:26)が、
実際に神の「非常によかった」創造(創世記1:31)の一部であると見なしているのです。
400:考える名無しさん
06/09/14 14:41:17
>>399
リンク先見ると、興味深い点があるな。
教皇は本当に進化が仮説以上のものであると言ったのでしょうか?
実は、一般メディアが教皇の声明を間違えて解釈した可能性があるのです。
ほとんどのローマ・カトリックの学校で、進化が教えられています。
ですから、教皇には全般に進化を受け入れる向きがあるのです。
ことにローマ・カトリック教会は、聖書を最終権威と見なしていません。
ローマ・カトリック教会は、テモテ第二3:15-17に反して、
生きるための指針として聖書は十分ではないと明確に言っています。
401:考える名無しさん
06/09/14 15:03:25
>>396
> どのような発言をお探しですか?
キミが書いた、
> 十字軍については教皇が既に過ちを認めています。
> イスラム教徒を粛清することは、カトリックは望んでいませんし、
> そのような行為は肯定も美化もしていません。
> 少なくとも第二バチカン公会議以降、現代では他宗教を尊重しています。
> これは私の考えではなく、カトリックの教皇の発言が根拠です。
この「十字軍」と「他宗教の尊重」についての発言とその根拠ですね。
> その発言があるかどうかによって、貴方の意見が変わるなら探す価値がありますが、
> 変わらないなら徒労に終わってしまうでしょう。
私の意見はまず反論の根拠を明確に知ることです。
根拠の無い反論であれば、残念ながら
「それはキミの私見であって、カトリック全体の意向ではないかもしれない」
と言わざるをえないでしょう。
つまり、根拠がわからなければまともな反論はできないのです。
カトリックであり、そのカトリック教皇の発言の提示者である君が「探すのは困難」であるなら、
非カトリックであり、非提示者である私にとっては、それはさらに困難なのです。
> これは、「信徒が」奇跡を起こすことや贖罪をするようにするための規範ではないと
> いう意味で申し上げました。
私は規範という言葉を使用したことを>>380にて訂正しています。
それは肯定・美化という意味で言っています。
キリスト教信者は、イエスの奇跡や贖罪を美化し肯定しているのです。
402:考える名無しさん
06/09/14 15:52:53
>>400
>生きるための指針として聖書は十分ではないと明確に言っています。
なんかすごいなカトリック
403:考える名無しさん
06/09/14 16:01:08
>>402
> >生きるための指針として聖書は十分ではないと明確に言っています。
>
> なんかすごいなカトリック
要するに、カトリックでは、聖書よりも教皇の権威の方が上位だと
いいたいのでしょう。
であるなら、その絶対的権威である教皇の発言=カトリック全体の意向を、
その信徒が覚えるのは当然の義務である、と言えますね。
教皇の、十字軍に関する発言や他宗教の尊重に関する発言を
カトリック信徒が提示できないということのほうが問題なのかもしれません。
404:油ハム
06/09/14 16:30:00
>>401
> この「十字軍」と「他宗教の尊重」についての発言とその根拠ですね。
発言内容をソースレベルで知りたいということですね。
> 「それはキミの私見であって、カトリック全体の意向ではないかもしれない」
> と言わざるをえないでしょう。
仰るとおりです。
ただ、仮にカトリック全体の意向と貴方が認める内容であったとしても、
貴方が、主張する内容を変えないのであれば、そこは論点ではなく、
結局無駄な労力になると思います。
> カトリックであり、
そのようなことは申し上げておりませんので、決め付けはやめてください。
> そのカトリック教皇の発言の提示者である君が「探すのは困難」であるなら、
> 非カトリックであり、非提示者である私にとっては、それはさらに困難なのです。
いえ、ネット上のソースということなら、どちらもほぼ同じように困難だと思います。
多くの教徒がネット上での情報を見ているわけではありません。サイトも知らない人が多いです。
意味のある労力なら、数日かけて探せると思いますが、すぐにレスができるわけではないので、
その点は、ご理解いただきたいと思います。
> キリスト教信者は、イエスの奇跡や贖罪を美化し肯定しているのです。
それ自体は別に否定も肯定もしていないので、論点ではないと思います。
405:油ハム
06/09/14 16:35:19
自己フォロー
>>404
> > キリスト教信者は、イエスの奇跡や贖罪を美化し肯定しているのです。
>
>それ自体は別に否定も肯定もしていないので、論点ではないと思います。
これは、貴方の主張を私が否定も肯定もしていない、と言う意味です。
キリスト教徒がと言う意味ではないので、念のため。
ところで貴方の仰る「肯定」というのは、
善悪という意味での肯定でしょうか?
それともそういう事象が存在したという意味での肯定でしょうか?
またはそれ以外の何かでしょうか。
406:考える名無しさん
06/09/14 19:13:09
>>404
> ただ、仮にカトリック全体の意向と貴方が認める内容であったとしても、
> 貴方が、主張する内容を変えないのであれば、そこは論点ではなく、
> 結局無駄な労力になると思います。
私の論を変えるか否かは、反論の根拠がわからなければ予想不可能なんですよ。
その仮説(教皇の十字軍・他宗教尊重の発言)が正しいとした場合、
結論は○○である。としても構わないんですが、
その結論は仮説が正しいという前提がなければ成立しないんです。
ここはわかりますよね?
私が尋ねているのは、君の提示した仮説の根拠です。
時間がかかっても構わないので、仮説の論拠を明示してください。
それと、無駄な労力であることはこちらも同じです。
コーランやパレスチナ問題・アイルランド問題の詳細について
自分では既に解っている内容を、それがわからないとする者に対して
わざわざ明示しているわけです。
> そのようなことは申し上げておりませんので、決め付けはやめてください。
カトリックではないと。別にそれでも構いませんが。
> > キリスト教信者は、イエスの奇跡や贖罪を美化し肯定しているのです。
>
> それ自体は別に否定も肯定もしていないので、論点ではないと思います。
>>382に書いた通り、この論点は、
> d)贖罪は美化も肯定もしていない し
> e)そのような行為は行わない
に繋がるわけです。
407:考える名無しさん
06/09/14 19:19:41
>>405
> ところで貴方の仰る「肯定」というのは、
> 善悪という意味での肯定でしょうか?
> それともそういう事象が存在したという意味での肯定でしょうか?
> またはそれ以外の何かでしょうか。
肯定の意味は辞書の定義とおりで構いませんが、
肯定=「その通りで間違いではない。正しい事・行動であると認めること」ですね。
408:油ハム
06/09/14 19:25:35
>>407
辞書の意味はわかっていますが、
文脈上「肯定」は少なくとも2通りの意味があるということはわかりますよね?
「事実」の肯定の場合と、「正当性」の肯定の場合です。
409:考える名無しさん
06/09/14 19:39:33
>>408
> >>407
> 辞書の意味はわかっていますが、
> 文脈上「肯定」は少なくとも2通りの意味があるということはわかりますよね?
> 「事実」の肯定の場合と、「正当性」の肯定の場合です。
肯定の意味を知りたいのですか?
肯定しているとする対象について知りたいのですか?
前者ならば>>407です。
後者ならば、
> キリスト教信者は、イエスの贖罪を美化し肯定しているのです。
の文であれば、肯定の対象は「イエスの贖罪」です。
解り易くすると、
キリスト教信者は、イエスの贖罪を
その通りで間違いではない。正しい事・行動であると認めている=肯定している
のです。
善悪の基準ならば「善」。
事象の存在性ならば「イエスの贖罪はあった」。
正当性ならば「イエスの贖罪行為は不当行為ではなく正当行為」。
ですね。
410:油ハム
06/09/14 19:43:27
>>406
> 私の論を変えるか否かは、反論の根拠がわからなければ予想不可能なんですよ。
了解しました。教皇の発言が問題になるのはどうしてですか?単なる興味本位なのか、何かの根拠になっているのか、それ以外の何かでしょうか。
> その仮説(教皇の十字軍・他宗教尊重の発言)が正しいとした場合、 結論は○○である。としても構わないんですが、
構わないなら、他宗教尊重の発言があった場合の結論を教えていただきたいと思います。
> その結論は仮説が正しいという前提がなければ成立しないんです。
> ここはわかりますよね?
もちろんわかります。ただ、他宗教尊重の発言が正しくても、何も変わらないか、
それが何の意味もなさないなら、調べるのは無駄だと思います。それでも意味があるというのなら、その意味を教えて欲しいです。
> 私が尋ねているのは、君の提示した仮説の根拠です。
仮説ではないです。貴方が求めているのはソースではないのですか?私は仮説を立てた覚えはないですし、せいぜい出せるのは発言のソースぐらいです。
> 時間がかかっても構わないので、
ええ、調べるのに時間がかかることはご理解いただきたいと思います。
> 自分では既に解っている内容を、それがわからないとする者に対して
> わざわざ明示しているわけです。
これは私も同じで、すでにいくつか明示してきています。
> 別にそれでも構いませんが。
貴方が構わないかどうかではなく、私がやめてくださいと申し上げているのですが、わかりませんか?
> > d)贖罪は美化も肯定もしていない し
> > e)そのような行為は行わない
> に繋がるわけです。
繋がるかもしれませんが、私は論点にはしていません。従って、
> キリスト教信者は、イエスの奇跡や贖罪を美化し肯定しているのです。
私はそのことを、別に否定も肯定もしていないので、論点ではないと思います。
411:油ハム
06/09/14 19:50:51
>>409
後者です。私が聞いているのは、
貴方が「肯定」していると主張される対象は、
・「イエスの贖罪」の事実 (善悪を問わない)
か、
・「イエスの贖罪」が正しい行動 (現実か神話かは問わない)
か、
その両方なのかということです。
また、美化と仰られていますが、それはどうしてそう思われたのでしょうか。
412:考える名無しさん
06/09/14 20:01:12
>>410
> 教皇の発言が問題になるのはどうしてですか?単なる興味本位なのか、何かの根拠になっているのか、それ以外の何かでしょうか。
教皇の発言が問題にならない=無関係ならば、君の反論の意図が全く不明になります。
教皇の発言を反論の主軸にしているのは君自身なんですよ。
その主軸にある教皇発言の根拠を尋ねているのです。
このことはわかりますよね?
> > その仮説(教皇の十字軍・他宗教尊重の発言)が正しいとした場合、 結論は○○である。としても構わないんですが、
> 構わないなら、他宗教尊重の発言があった場合の結論を教えていただきたいと思います。
>
> それが何の意味もなさないなら、調べるのは無駄だと思います。それでも意味があるというのなら、その意味を教えて欲しいです。
根拠を提出することが無意味で無駄ならば、
「君の発言は間違いである。理由は教皇(などの権威)が発言しているから」
という言及が全ての論に対する反論として正論になってしまいますな。
こういう暴論の例を出しましょうか。
「カトリックは人殺しを許可している。他宗教を殲滅せよと主張する。
理由は教皇がそう発言しているからだ」
根拠の提示がなければ、この暴論も成立してしまうんですよ。
> せいぜい出せるのは発言のソースぐらいです。
発言のソースで構いません。
> 私は論点にはしていません
であるなら君の論点を明示すべきなのでは。
まあそれでも、私は自身の論点に着目しますがね。
413:考える名無しさん
06/09/14 20:08:14
追記。
「カトリックは人殺しを許可している。他宗教を殲滅せよと主張する。
理由は教皇がそう発言しているからだ」
根拠の提示がなければ、この暴論も成立してしまうんですよ。
こういう暴論に対し、教皇の「殺戮を肯定する」とした発言のソース
を求めることは、無意味でも無駄でもなく、論点の相違でもなく
「議論する上で最低限のマナー」
だということもわかりますよね?
414:368
06/09/14 21:46:46
なんか、飽いてきた。
油ハムは、議論の流れを忖度せずに、あれこれ一対一で質問・レスしすぎ。
自分のキリスト教護教が問題にされてるんだから、一度議論を自分なりにまとめてみて
長文でいいから、自分の論を積極的に展開すべきだ。言葉がですますだからって、中身が丁寧だとは限らんのよ?
あと、攻め入ってるほうも、細かな質問反論弁証で釣ろうとせずに、メタな整理を油ハムに要求すべき。
面白くないや。
415:油ハム
06/09/14 22:00:58
>>412
> > 教皇の発言が問題になるのはどうしてですか?単なる興味本位なのか、何かの根拠になっているのか、それ以外の何かでしょうか。
> 教皇の発言が問題にならない=無関係ならば、君の反論の意図が全く不明になります。
これは私の根拠のほうではなく、貴方の根拠と関連性があるかどうかを聞いているのです。
私は反論を主張したいわけではなく、このスレに情報の提供をしているにすぎません。
なので、意図と言われてもそれ以上のものがあるわけでもないです。
> 根拠を提出することが無意味で無駄ならば、
私は、無駄かどうかを断定しているわけではなく、意味を求めています。
論点になっていないことに労力を費やす必要はないと考えていますので、
論点であるということがわかれば、モチベーションもあがります。
> 発言のソースで構いません。
ソースでいいということで、了解しました。出るとしても数日後になるでしょうが、
それまで、この論点は保留と言うことでお願いします。
> まあそれでも、私は自身の論点に着目しますがね。
それはご自分の論も、問題点とする=懐疑されているということでしょうか。
それは良いことだと思います。
ところで、貴方は相手を「君」と呼んでいますが、貴方は人を呼ぶとき、
「貴方」と呼ぶより「君」と呼ぶほうが良いと考えているのでしょうか。
そうであれば、私も貴方に合わせ、「君」と呼ぶことにしたいと思います。
416:油ハム
06/09/14 22:11:03
>>413
> 「カトリックは人殺しを許可している。他宗教を殲滅せよと主張する。
> 理由は教皇がそう発言しているからだ」
> 根拠の提示がなければ、この暴論も成立してしまうんですよ。
私は成立するわけではないと思います。
根拠の提示がなければ、その論の説得力がなくなるだけでしょう。
根拠がないことによって、正しいとか間違いが決まるわけではなく、
単にわからないに留まると思います。
417:油ハム
06/09/14 22:27:41
>>414
> 自分のキリスト教護教が問題にされてるんだから、
別に私はキリスト教の肩を持つつもりはありません。
議論を通して双方に新たな知見が得られればと思っている次第です。
418:考える名無しさん
06/09/14 22:30:16
>>414
では面白くなるように反論もしくはまとめてみては。
私も根拠の提示の必要性を何度も語るのは、いい加減うんざりしている。
なんで議論のマナーまで説教しなければならないのか・・とね。
君が油ハムに質問すれば彼の感情論=客観性・具体性のなさや、
遁走・論点ずらしについてうんざりするでしょう。
419:考える名無しさん
06/09/14 22:41:39
>>417
君のいう論点とやらをまず定義してみては?
それがわからないと全て「論点ずらし」になってしまうからね。
> ところで、貴方は相手を「君」と呼んでいますが、貴方は人を呼ぶとき、
> 「貴方」と呼ぶより「君」と呼ぶほうが良いと考えているのでしょうか。
> そうであれば、私も貴方に合わせ、「君」と呼ぶことにしたいと思います。
人称などど何故どうでもよいことに噛み付くのかね。好きに呼べばよいのだよ。
君の論点はそんな小さいことなのかね。
420:368
06/09/14 22:53:01
>>418
乗りかかった船なんだから、自分でやってみてよ。発言量的にみても。
その上なら、あれこれ議論がかみ合うように参加したいけど。
でなきゃ、ニーチェの話に戻そう(ってもともとあるのかっていう話もあるけどw)ぜ。
421:油ハム
06/09/14 22:53:43
>>419
私は何かを主張しているわけではなく、
私が知っていることを提供しているに過ぎません。
> > ところで、貴方は相手を「君」と呼んでいますが、貴方は人を呼ぶとき、
> > 「貴方」と呼ぶより「君」と呼ぶほうが良いと考えているのでしょうか。
> > そうであれば、私も貴方に合わせ、「君」と呼ぶことにしたいと思います。
> 人称などど何故どうでもよいことに噛み付くのかね。好きに呼べばよいのだよ。
> 君の論点はそんな小さいことなのかね。
論点ではありませんが、ちょっとしたマナーです。
以前「君」と呼んだら逆切れされた方がいらっしゃったので、
できることなら、相手の呼び方に合わせておきたいと思っております。
422:考える名無しさん
06/09/14 23:00:48
>>417
>別に私はキリスト教の肩を持つつもりはありません。
もしそうなら、矛盾がおおいあれこれの聖書テキストの断片的引用をもって(わたし的には>>383への>>387のレスとか)
レス・反証した気になってるっていう態度はやめましょうね。
聖書テキストの内的矛盾を承認していないということ自体が、19Cならいざ知らず、
現代的には硬直的な護教論者だとみられても仕方ないというぐらいは、わかってますよね?
423:油ハム
06/09/14 23:17:37
>>422
別に情報提供をやめる必要はないと思います。
聖書の引用にしても、聖書に書いてあることを真実だと主張しているわけではなく、
キリスト教徒の立場とはどういうものかということを私が知っている範囲で説明しているに過ぎません。
またレスをするのは自由ですし、レス=反論、反証ということでもありません。
> > 別にそれでも構いませんが。
> 貴方が構わないかどうかではなく、私がやめてくださいと申し上げているのですが、わかりませんか?
ところで、上記のことは、わかっていただけましたか?
424:考える名無しさん
06/09/14 23:18:42
>420
君はよくわかっているなw
ニーチェの話までもっていくためには、私の論理展開上では、
1)イエスの贖罪はキリスト教利他心の象徴
2)キリスト教の贖罪精神を美化肯定する態度はイスラム自爆テロのそれと同質
3)ニーチェはこのようなイエスや神を絶対視し絶対服従させるキリスト教は危険思想であり
病理だと説く。必要なのはキリスト教のような奴隷道徳的ルサンチマンではなく、力への意志である。
という流れを想定しており、現段階では1)で留まっているわけなんです。
>>421
> 私は何かを主張しているわけではなく、
> 私が知っていることを提供しているに過ぎません。
であるなら>>382の
a)イエスの場合は贖罪と隣人愛の関連性は認める。
b)しかし一般教徒の場合にはそのような関連性はなく、
c)キリスト教信者は隣人愛は美化も肯定もする が
d)キリスト教信者は贖罪は美化も肯定もしていない し
e)キリスト教信者はそのような行為は行わない
を論点だと認めるのかね。
これを論点としないとするなら、君のいう論点を提出しろ。と言っている。
> 論点ではありませんが、ちょっとしたマナーです。
> 以前「君」と呼んだら逆切れされた方がいらっしゃったので、
> できることなら、相手の呼び方に合わせておきたいと思っております。
「君」は一般的な日本語の会話上で用いられる二人称単数なのだから
その基本単語に切れる者は、日本語を知らない。もしくは頭がおかしい。
とでも解釈して放置するのが適切であると思いますが。
425:368
06/09/14 23:29:57
>>423
>聖書の引用にしても、聖書に書いてあることを真実だと主張しているわけではなく、
>キリスト教徒の立場とはどういうものかということを私が知っている範囲
↓
>>387
>私個人は、嫌味ではなく、気がつかせるために話したのだと思います。
^^^^^^^^^
とりあえずこの部分について弁明してみてください。
ところで>>414のメタな議論の仕方提案は却下ですか?
426:油ハム
06/09/14 23:31:36
>>424
それは論点ではなく、まとめとしての私の質問ではないのですか?
> a)イエスの場合は贖罪と隣人愛の関連性は認める。
関連性という言葉でまとめるのは、誤解を招く恐れがあります。
まとめるなら、
a)イエスの場合は贖罪という行動の動機として、隣人愛がある可能性がある。
b)一般教徒の場合は隣人愛が望まれており、贖罪という行動を取る必要がなく、
信徒の行動として意味のある関係性は見当たらない。
c),d)については肯定も否定もしません。保留です。
e)信徒はイエスのような贖罪は行わない。
上記について君の方に反論があれば、そこが論点になります。
私の意見に対して反論がないのであれば、論点はなくなります。
> とでも解釈して放置するのが適切であると思いますが。
まあ、そうですが、相手がどうであれ、
そうならないようにはしたいと思っています。
427:油ハム
06/09/14 23:35:29
>>425
単純にそこは私の思ったことを書いているだけです。
そのために「私個人は」「思います」となっております。
428:考える名無しさん
06/09/14 23:37:54
しばらく368氏に席を譲ってみますねw
・・寝よ
429:368
06/09/15 00:33:52
いや別に俺は、贖罪論が利他論(あるいは隣人愛論)につながるって思ってないし・・・
その点油ハム氏と一緒の認識だからなあ、振られても困る。
430:考える名無しさん
06/09/15 00:42:57
「君」は一般的に斜め上からの二人称だな。
どうでもいい話しだがw
431:考える名無しさん
06/09/15 01:02:29
>>430
小学国語からやり直せw 「貴方」=「君」
日本語の二人称
URLリンク(ja.wikipedia.org)
[普通]
あなた、君、そちら、お宅、相手の名前・愛称
[敬意]
相手の地位・役職(総理・大臣・社長・専務・部長・課長)
血縁関係(お父さん(パパ)・お母さん(ママ)・お爺ちゃん・お婆ちゃん・おじさん・おばさん・等)
陛下・殿下・閣下・猊下、先生、先輩
[敬意を払う場合(同輩)]
貴官、貴職、貴兄
[敬意(目下に対して)]
卿、貴兄、貴君
[親しい場合(目上の人に使うのは失礼とされる)]
お前、あんた、じぶん(自分)
[敵対的]
てめぇ、貴様、我(われ)・わ、
[古風・高貴]
汝、そち、そなた、その方(-ほう)、貴君(同輩)、貴殿(目上、改まった場合)
貴公(目下)、貴様、主(ぬし)うぬ
432:狂犬予防対策本部
06/09/15 01:41:27
油はむ
おまえは過去レスで自身をカトリック一般教徒と宣言していた狂犬と同一人物だなw
・その文体
・書き込み時間
・カトリック教皇の発言をつかった反論
・根拠をしめさない
・くだらない煽りにはすぐ反応する
・立場をころころ変える
・論点ずらし
・自身の論を書かない
という類似点w まちがいないww
お前は立場に窮したからコテをつけ別人を装う嘘つきなのだよww
たぶん同一人物ではないといってくるだろうがあえていう、その嘘はわれわれではなく、おまえ自身をあざむいているんだよ!w
懺悔せよ~懺悔せよ~w
433:メタメタ論者
06/09/15 01:53:23
ヨハネの福音書の冒頭はきわめて興味深い.
初めにロゴスありきとして、不連続的差異論=プラトニック・シナジー理論DDPS理論から見ると
ロゴスはメディア界・差異共振シナジー相である.そしてこれが光である.しかしこの光は
イデア・シナジーである.だから不可視の光である.闇である光である.現象界の光ではないのである.
つまり浄土教の阿弥陀如来の光と等価と見ていいだろう.原光・プロトライトである.
そしてこの光が肉体化したのが、イエス・キリストであるがしかしこれはおかしいと思うのである.
すべては光から生成したのであるから誰でも光を体現しているはずである.
イエス・キリストだけに限定されるものではないのである.
凡人や悪人にさえ光は潜在しているのである.そう悪魔にさえ光は潜在しているだろう.
思うに光の顕在をなんらかの精神修練によって実現した人物がイエス・キリストであったろう.
これはイエス・キリストが唯独りということはありえないのである.これはまたD.H.ロレンスの懐疑であったのであるが.
光の顕在的体現は多くのいわゆる神秘家に生起したと考えられるのである.
やはりこの点がドグマティックに考えられるのである.
光の独占である.これは不合理である.ここには光の連続・同一性自我化があると思うのである.
デカルトのコギトに近いと思う.そうキリスト教は光,ロゴス,コスモスの理(ダルマ)を
連続・同一性自我化していると思う.だからやはりポスト・キリスト教としてキリスト教の
脱連続・同一性化=不連続的差異化が必要である.またヨハネの福音書は父とロゴスとを混同している向きがあると思う.
だから父とはイデア界である.そしてロゴスはメディア界である.
そして子(複数)とは現象界である.そして聖霊もメディア界である.聖母マリア,聖母子もメディア界である.
これらが非常に混乱しているように思えるのである.カオス状態にあるように思えるのである.
古代の叡智がキリスト教によってカオス状態にされてしまったように思えるのである.
狂乱のキリスト教ではないだろうか.狂気の精神異常の精神分裂症のキリスト教ではないだろうか.
日本語でおk
434:光の刄 幻魔の夢の丘
06/09/15 01:59:51
おまえのような笑い方には何かがある。自分でわかってると思うが予想はどうだ
435:元プロテスタント信者
06/09/15 02:11:30
>>1
新約聖書は、福音書までは興味深いが、正直、使徒伝は読むに耐えませんでした。『人間革命』を彷彿させるレベルの低さでした。
教会で教わったが、聖書を記述する際、記述者に聖霊が宿り、自動書記状態になり、その文章はすなわち神自身の言葉であるという。
…百歩譲ってそうだとしても、パウロの書簡を読むと分かると思いますが、自分の思いで物言ってますよね。
膨大な量のパウロの書簡が、キリストの教えと行いの記録を圧倒し、教義はパウロの発明であり、よって『キリスト教』は『パウロ教』であります。
使徒は、死んだイエスを神に祭り上げた。それからイエスの教えが一人歩きし始めたようです。
ドストエフスキー著『カラマーゾフ~』の〈大審問官〉の通り、キリスト教会はキリストに再登場されると困ることでしょう。死人に口なしということか…。
私は勉強不足なので、もし誤った記述あったりや、まだまだ哲学に疎いことを許してちょんまげ。
436:臨済禅 真宗本願寺派
06/09/15 02:22:52
それにしてもそんなにレベル低くはないでしょう。今のところ隔たっていてあまり読んだことはありませんが法華の思想史家ではないでしょうか?法華経奥深いですね。
437:考える名無しさん
06/09/15 02:34:59
失礼しました宗教者ですね。ところで日蓮宗自戒しないんですか?
438:考える名無しさん
06/09/15 02:40:45
>>433
久々に無駄に衒学的であり「知の欺瞞」と称されるポストモダニズムの
狂気の片鱗を垣間見ましたw ハライテ-w
439:考える名無しさん
06/09/15 09:37:42
>>431
不都合な部分を削って掲載スンナ。
あなた 最も無難な二人称である。
君(きみ) 主に男性が同等または目下の相手に使う。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
しかも
あなた
URLリンク(ja.wikipedia.org)
二人称の人物を呼ぶときに使う語。君よりも、敬意を示す語。
ま、wikepediaなんかそもそもソースにもなんにもならんが。中学卒業するまで2ちゃんすんなよ。
440:考える名無しさん
06/09/15 14:11:28
>>439
> 君(きみ) 主に男性が同等または目下の相手に使う。
「または」の意味がわからないのか?w
日本語と論理の初歩からやり直せ低能w
「きみ・君」は、元は君主、主人に対しする敬称
「貴方」は、元は遠称の指示代名詞
現代の日本語の慣習では「君」も「あなた」も同列なんだよw
中学で習わなかったか?ww
はやくスレ違いに気づけ池沼がww
441:考える名無しさん
06/09/15 14:15:37
>>438
おらには言わんとしていることが大体わかったよ。
442:考える名無しさん
06/09/15 14:18:30
「君が代」も知らないキムチ脳のクズばかりなのかここはww
443:BONNIE PINK
06/09/15 14:31:02
君の胸で泣かない 君に胸焦がさない
I'm looking for a perfect sky I'm looking for a perfect sky
あたしの歌詞の「君」は目下の相手に使うものだから
「あなた」に直せっていうの?
そんな基地外さんは「Heaven's Kitchen」でも聴いてなさい!w
444:考える名無しさん
06/09/15 15:15:53
現代慣習では、目下も含むだろ
445:424
06/09/15 16:37:00
>>424
ずいぶんと荒れているようで・・
> 「君」は一般的な日本語の会話上で用いられる二人称単数なのだから
> その基本単語に切れる者は、日本語を知らない。もしくは頭がおかしい。
> とでも解釈して放置するのが適切であると思いますが。
「君あなた論争」については、この言及につきますな。
どちらでも構わないし、どうでもいいです。はっきり言うとスレ違いです。
>>429
368氏
> いや別に俺は、贖罪論が利他論(あるいは隣人愛論)につながるって思ってないし・・・
> その点油ハム氏と一緒の認識だからなあ、振られても困る。
いえ、ここは私と油ハム氏だけのスレではないので
自身が望まれているように、メタな議論・まとめ等をされてみてはいかがでしょうか。
私は油ハム氏の「教皇発言のソース」の提示を待っているわけです。
ソースの提出がなされれば、改めて>>426の論点に対する議論をしたいと思います。
446:424
06/09/15 16:40:00
>>433
私はポストモダンについての知識はありませんが、
たしかに、ヨハネの福音書の冒頭は、
1 初めに,言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。
2 この方は,初めに神とともにおられた。
3 全てのものは,この方によって造られた。造られたもので,この方によらずにできたものは一つもない。
4 この方に命があった。この命は人の光であった。
5 光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。
となっており、すなわちこれは
ロゴス(言葉・万物を統一する法則・真理)=神が在りきという演繹法であって、
光=プラトン的イデア(界)であり、そのイデア的観念の実在化・享受者がイエスであるが、
その光は全人類に顕在するのであって、イエスのみがその体現者とするのは光の独占である。
というのはなんとなく解ります。
ただ、その光の独占が、デカルトの「コギト・エルゴ・スム」の「私」に近いという言説に
ついては良くわかりませんが、後半の、
> そして子(複数)とは現象界である.そして聖霊もメディア界である.聖母マリア,聖母子もメディア界である.
> これらが非常に混乱しているように思えるのである.カオス状態にあるように思えるのである.
> 古代の叡智がキリスト教によってカオス状態にされてしまったように思えるのである.
> 狂乱のキリスト教ではないだろうか.狂気の精神異常の精神分裂症のキリスト教ではないだろうか.
こちらは同意します。
447:油ハム
06/09/15 17:21:02
>>433
> すべては光から生成したのであるから誰でも光を体現しているはずである.
> イエス・キリストだけに限定されるものではないのである
これは解釈の仕方によると思います。
例えば、光=イエス・キリスト=人間の善の心とすると、
すべての人にそれは宿っているという見方もできます。
エフェソの使徒への手紙4章6節
> すべてのものの父である神は唯一であって、
> すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、
> すべてのものの内におられます。
カトリックでは聖体拝領で、それをキリストの体と言います。
> だから父とはイデア界である.そしてロゴスはメディア界である.
> そして子(複数)とは現象界である.そして聖霊もメディア界である.聖母マリア,聖母子もメディア界である.
> これらが非常に混乱しているように思えるのである.カオス状態にあるように思えるのである.
> 古代の叡智がキリスト教によってカオス状態にされてしまったように思えるのである.
というよりも、キリスト教またはイエスの思想自体を、
ユダヤ教グノーシス主義と見ることもできます。
その考えだと、映画マトリックスのネオがキリストに相当します。
ユダヤ教徒から見ると、スターウォーズのベイダーがキリストに相当します。
448:メタメタ論者
06/09/15 17:51:17
>>446
大筋は,その解釈で正しい.
> ただ、その光の独占が、デカルトの「コギト・エルゴ・スム」の「私」に近いという言説に
> ついては良くわかりませんが
本来,メディア界の光=差異共振シナジーを体現する人間が神人であり,
それは唯一ではありえないのであるが,それをキリスト教では唯一とすることである.
換言すると,古代の叡智の連続・同一性自我化がここには生じていることであり,
デカルトのコギトとの近似たる所以である.
叡智の捩じ曲げ,歪曲とも言えよう.しかしこれは近代的自我主義とパラレルな事象である.
449:メタメタ論者
06/09/15 18:05:03
不連続的差異論では,差異のゼロ度共振によって,対極性・即非の論理性をもつメディア界が形成されると考えている.
この,謂わば,太極界を科学的にどう見るのかが問題である.差異=イデアのゼロ度共振は,極性的連結を構成するだろう.
このイデア・シナジー極性体をどう見るのかという問題である.解釈の差異はイデア・シナジー極性体により吸収されるのである.
ここは,原時空間である.虚時空間と言ってもいいだろう.
ここから,差異が無化して,同一性が支配する現象界が発現するのである.
問題は,差異共振=イデア・シナジーの様相と同一性現象界との関係をどう見るのかということである.
ゼロ度が,イデア・シナジー=イデア結合を生む.これは,無限速度であると思われる.
ここは,超時空間である.そして,差異がゼロ度から無となったとき,同一性が発生して,
差異共振=イデア・シナジー=イデア結合は,いわば,固体化するだろう.
即ち,同一性体が差異共振にとって換わるのだ.
しかし,より精緻に言えば,差異共振性と同一性との間で,一種闘争があると思われるのである.
なぜなら,無化とは,極限化,一種のフィクションであるからだ.
即ち,ゼロ度化の極限としての無化であり,単に極限値に過ぎないのである.
この極限としての無化としての同一性が,光であると思われるのである.
つまり,光は,ゼロ度差異共振=イデア・シナジー=イデア結合の極限的フィクションである.
換言すると,マーヤー,幻象・幻像である.おそらく,ゼロ→無化の終点(エンテレケイア・終局態)として,光/視覚があるのだろう.
つまり,連続・同一性的差異=微分(極限値=フィクション)の積分化としての光/視覚でなのである.
450:油ハム
06/09/15 18:10:49
>>448
> 本来,メディア界の光=差異共振シナジーを体現する人間が神人であり
> それは唯一ではありえないのであるが
全体で唯一とする解釈は可能だと思います。
実際、宇宙全体を巨大な一個の状態ベクトルとみなす事ができます。
451:考える名無しさん
06/09/15 18:13:27
>>448-449
「語りえぬものには沈黙しなければならない」
ヴィトゲンシュタインw
452:メタメタ論者
06/09/15 18:15:07
>>447,450,451
>>449
453:考える名無しさん
06/09/15 18:21:40
>>452
構造主義スレにでもいけよ衒学者めw
454:メタメタ論者
06/09/15 18:23:36
>>453
お呼び出ないと.ではお暇します.
455:考える名無しさん
06/09/15 19:19:06
URLリンク(www7.ocn.ne.jp)
第1 結局は、どこまでも個人の倫理的責任はとらない。責任を
すべて押し付けている。
「しかし、だからといって、」が何につながるのか、意味不明だが、
他で良いことをすればなにをしてもOKとでもいうつもりか?
第2 弱いものや貧しいものを救うのは善だ。ニーチェの限界かもしれん。
しかし、「誰でもが心の深層に秘めているような、他人にいえない欲望、惨
めで病的な思い、過去の過ちについての負い目と悔恨、そういった罪とし
か名付けようのない心の一隅をおいて他にないというのが、贖罪思想が指
示している事態である。」こんなものを、そのまま放置する奴が是認される
べきだろうか。
悪いことをしたら、自分で責任を負って、きちんと謝罪して、罪を償うのが当然。
第3 「被害者の代わりに証言し続けていく感受性と能動性・・・」
どこまでも、自分の責任を認めない。罪を負わない。改めない。
こいつは、キリスト教では、罪を問われるのか?
広島市安芸区で下校途中の小学1年生の女児が殺害された事件で、
殺人と死体遺棄の容疑で逮捕されたフアン・カルロス・ピサロ・
ヤギ容疑者が「悪魔が自分の中に入ってきて自分を動かした」などと
容疑を認める供述を始めたことが分かった。
456:考える名無しさん
06/09/15 19:23:17
油ハム=自分の信仰のことしか考えてない。
説得する気もないし、理解する気もない。
457:424
06/09/15 19:23:40
>>448
> 本来,メディア界の光=差異共振シナジーを体現する人間が神人であり,
> それは唯一ではありえないのであるが,それをキリスト教では唯一とすることである.
> 換言すると,古代の叡智の連続・同一性自我化がここには生じていることであり,
> デカルトのコギトとの近似たる所以である.
> 叡智の捩じ曲げ,歪曲とも言えよう.しかしこれは近代的自我主義とパラレルな事象である.
ご回答ありがとうございます。
確かに、すべての事象を懐疑したデカルトが帰納的に出した結論=
唯一疑いようの無い「そう考える私」=コギト(という観念)と、
古代叡智の帰納であるイエス・キリスト(という観念)が、近似していること
については納得です。
その帰納法によって生み出されたロゴスが、ヨハネの福音書では、
演繹的に「ロゴスありき」となっている・・つまり転倒しているということが、
キリスト教の持つ矛盾の一つなのかもしれませんね。
458:考える名無しさん
06/09/15 19:34:47
>>455
感情的になってすまん。スルーしてほしい。
>>456
せっかく書いてくれているのに、かってに決め付けてしまった。
取り消す。本当に悪かった。すまなかった。
459:458
06/09/15 19:36:25
本当にすまなかった。
お暇します
460:考える名無しさん
06/09/15 22:22:42
☆ チン マチクタビレタ~
マチクタビレタ~
☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヽ ___\(\・∀・) < 教皇の発言のソースまだ~?
\_/⊂ ⊂_ ) \_____________
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
| 愛媛みかん |/
461:考える名無しさん
06/09/15 23:06:46
馬鹿には煽りや罵倒、賢者には謙虚。これが世の常ww
462:考える名無しさん
06/09/15 23:14:34
>>450
> 実際、宇宙全体を巨大な一個の状態ベクトルとみなす事ができます。
君はそのベクトルが何故エントロピー増大に向いているのかわかっているのかね?w
463:油ハム
06/09/16 00:41:18
>>462
状態ベクトルがエントロピー増大に向いているわけではありません。
というか、扱う世界が違います。
エントロピーは熱力学の世界ですし、状態ベクトルは量子力学の世界です。
464:油ハム
06/09/16 00:59:02
>>460
ソースは探している最中。とりあえず、これ置いておきますね。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
大聖年でもあった2000年、キリスト教の節目の年にあたっては、
キリスト教の歴史におけるユダヤ人への対応、十字軍のイスラム教徒への行為への反省や、
ガリレオ・ガリレイの裁判における名誉回復などを公式に発表している。
465:考える名無しさん
06/09/16 01:09:36
>>463
君はそんなことより、教皇発言のソースを提出したまえ。
ちなみに現教皇はこんな発言もしているのだよw
他宗教尊重はどうなったのかね?w
URLリンク(www.mainichi-msn.co.jp)
ローマ法王:「聖戦」批判…ドイツで演説
ドイツ訪問中のローマ法王ベネディクト16世は12日、レーゲンスブルクでの演説で
「ジハード(聖戦)は神に反する。原理主義はムハンマド(イスラム教預言者)の教えに反する」として、
テロを行うイスラム原理主義者の宗教的根拠を否定した。
法王は同時に、人間中心的な西洋の「徹底的な啓蒙(けいもう)主義」も
「原理主義とともに、人間にとって危険だ」と批判。
しかし、イスラムの名を挙げての強い批判は異例で、イタリアのメディアは大きく取り上げた。
演説は法王がかつて神学を教えた大学で行われた。(ローマ共同)
毎日新聞 2006年9月13日 17時21分
466:油ハム
06/09/16 01:17:24
>>465
> 君はそんなことより、教皇発言のソースを提出したまえ。
探しているから、少し落ち着いて待ちたまえ。
> ちなみに現教皇はこんな発言もしているのだよw
私も先ほど見ました。どういう発言だったのか原文を探しているところです。
> 他宗教尊重はどうなったのかね?w
さあ?
私に聞かれても困ります。私が知っているのはヨハネパウロの発言ですので。
467:油ハム
06/09/16 01:18:50
>>465
> > 別にそれでも構いませんが。
> 貴方が構わないかどうかではなく、私がやめてくださいと申し上げているのですが、わかりませんか?
ところで、上記のことは、わかっていただけましたか?
468:465
06/09/16 01:32:44
>>467
> > > 別にそれでも構いませんが。
> > 貴方が構わないかどうかではなく、私がやめてくださいと申し上げているのですが、わかりませんか?
???
意味がわからんのだが?
何をやめて欲しいのかね?
誰に言っているの??
あと何故、君に合わせなきゃならんのかね?
よくわからんが、何故、他人に強要するのだね?
469:考える名無しさん
06/09/16 01:41:29
>>465
っていうか、教皇の発言ソースはもういいんじゃないのかな。
> URLリンク(www.mainichi-msn.co.jp)
この発言で、カトリックの他宗教尊重の怪しさは決定的だし。
前代教皇の発言より、現教皇の発言の方が重要だとおもうなぁ。
やっぱどんな宗教でも「自分の宗教だけ正しい」という姿勢は変わらないんだよね。
470:油ハム
06/09/16 01:59:56
>>468
>???
>意味がわからんのだが?
アンカーをミスりました。これは>>404、>>406、>>410の流れの、>>406へのものです。
>>406
> > > > カトリックであり、
> > > そのようなことは申し上げておりませんので、決め付けはやめてください。
> > カトリックではないと。別にそれでも構いませんが。
> 貴方が構わないかどうかではなく、私がやめてくださいと申し上げているのですが、わかりませんか?
ところで、上記のことは、わかっていただけましたか?
471:考える名無しさん
06/09/16 02:01:26
>>468
>何をやめて欲しいのかね?
>誰に言っているの??
>あと何故、君に合わせなきゃならんのかね?
>よくわからんが、何故、他人に強要するのだね?
必死すぎて笑える。wwww
472:465
06/09/16 02:04:52
これは別のソースね。
カトリックはイスラムとの対立を肯定しているとしか思えないのだがw
ローマ法王ベネディクト16世が、イスラム教が本質的に暴力を容認する
宗教であるかのような発言をし、イスラム諸国から怒りの声が相次いでいる。
2001年9月の米同時テロ以来、欧米の一部にはイスラムの教義そのものに
暴力の原因を求める議論があり、イスラム教徒の神経を逆なでしてきた。
パキスタン議会は15日、法王に発言の撤回を求める非難決議を全会一致で採択した。
ローマ法王は12日、訪問先の母国ドイツの大学で行った講義で、東ローマ帝国皇帝による
イスラム批判に触れ、「(イスラム教開祖の)預言者ムハンマドが新たにもたらしたものを
見せてほしい。それは邪悪と残酷だけだ」などと指摘。その上で、イスラムの教える
ジハード(聖戦)の概念を批判した。
URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)
473:465
06/09/16 02:11:55
>>470
ああ、「カトリック」だと決め付けるのは「ヤメロ」っていう意味かw
またキミだとかアナタだとかの呼び方のことを
「キミは目下」だからヤメロって馬鹿みたいに言っているのかと思ったよw
おれは406じゃないんで君の勘違いだなそれはw
474:考える名無しさん
06/09/16 02:18:48
>>473
> おれは406じゃないんで君の勘違いだなそれはw
勘違いではなく、アンカーミスと書いてあります。
なので、上記に引用したものは、君の勘違いであるか、
>>470が読めていないかだと思います。
475:油ハム
06/09/16 02:19:40
>>474
これは私の書き込みです。念のため。
476:465
06/09/16 02:40:55
>>475
ん?俺に取っちゃ君がカトリック教徒かどうかなんて関係ないんだが。
君がたとえ無宗教者であっても、>>325の
「カトリックは他宗教を尊重している。理由は教皇の発言である」
と主張している事実は変わらないのだよw
君は、>>415で
> 私は反論を主張したいわけではなく、このスレに情報の提供をしているにすぎません。
> なので、意図と言われてもそれ以上のものがあるわけでもないです。
と言っているおるな。もし、
「カトリックは他宗教を尊重している。理由は教皇の発言である」
が誤情報ならば、そのような紛らわしい情報は他の読者に誤解を与えるだけであって、
「間違った情報は提供しないほうが良い」んだよw
俺が出したソースの「現教皇のイスラム教批判」が提出された以上、
君は自身の弁は間違いではないということを立証しなければならないのだよ?
そんなことは百も承知だろうが、大変だろうけど他の読者の為にも頑張ってくれたまえw
477:油ハム
06/09/16 02:51:29
>>476
> ん?俺に取っちゃ君がカトリック教徒かどうかなんて関係ないんだが。
というよりも、アンカーミスと書いてあるのが読めませんか?
君宛てでないことはわかりますか?
> 「カトリックは他宗教を尊重している。理由は教皇の発言である」
> と主張している事実は変わらないのだよw
ちなみにその教皇はヨハネ・パウロ2世です。今の教皇については詳しくないです。
> 君は自身の弁は間違いではないということを立証しなければならないのだよ?
別にそのようには思いません。間違っていれば訂正します。
それに批判する=尊重していない、ということにはならないと思います。
478:465
06/09/16 03:03:22
死刑が確定した麻原のしもべ・上祐のような
「ああいえばこういう」くだらん答弁などしていないで
自身の情報が間違いかそうでないかを早く他の読者に知らせておくれw
(ひとり言)
・・・入れ食い状態だなw
・・・そろそろ m9(^Д^)プギャーーーッ の準備をせんとなww
479:油ハム
06/09/16 03:07:32
>>478
教皇の発言が存在するということは、wikiなど検索でわかると思います。
ソースにたどり着くのは手間がかかりますが。
480:油ハム
06/09/16 03:08:13
>>478
>>476
> ん?俺に取っちゃ君がカトリック教徒かどうかなんて関係ないんだが。
というよりも、アンカーミスと書いてあるのが読めませんか?
君宛てでないことはわかりますか?
481:考える名無しさん
06/09/16 03:12:30
>>478
>(ひとり言)
>・・・入れ食い状態だなw
>・・・そろそろ m9(^Д^)プギャーーーッ の準備をせんとなww
書かずにいられない独り言。( ´,_ゝ`)プッ
482:465
06/09/16 03:21:16
>>480
ん?
君は406にだけに対して「君がカトリック教徒と決め付けるな」と言っているのかな?
それとも406を含めたこのスレの読者全員に対しきめ付けをして欲しくないと言っているのかな?
前者なら俺はまだ君をカトリック教徒だと思わなければならない。
そうではなく、俺は後者だと考えるわけw
1.アンカーミスはわかる
2.君が他者に対して「カトリック教徒と決め付けるな」と言っていることもわかる
俺は2.についての一読者として感想を述べている。わかったかね?
483:465
06/09/16 03:24:22
>>471
>>481
お前2chの初心者かよww
もうちょっと書き込み時間に間をおかないと馬鹿まるだしになるぞww
(ひとり言)
プ、プ、プギャープギャプギャプ♪
\ ププププギャプギャププギャプギャ/
♪ (^Д^) ♪
_m9 )>_ キュッキュ♪
/.◎。/◎。/|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
484:油ハム
06/09/16 03:37:30
>>482
>1.アンカーミスはわかる
わかればいいです。
485:465
06/09/16 03:41:32
>>484
> 1.アンカーミスはわかる
> 2.君が他者に対して「カトリック教徒と決め付けるな」と言っていることもわかる
> 俺は2.についての一読者として感想を述べている。わかったかね?
1はわかったのだね。
2はわかったのかね?w
486:油ハム
06/09/16 03:44:25
>>485
感想に興味はありません。
487:465
06/09/16 03:49:36
>>486
では感想ではなく情報提供に訂正しようかなw
1.アンカーミスはわかる
2.君が他者に対して「カトリック教徒と決め付けるな」と言っていることもわかる
俺は2についての一読者として情報提供しているだけなのだよ。
2はわかったのかね?
あとこんなくだらない答弁をしていないで
他にやるこがあることもわかっているのかね?w
488:油ハム
06/09/16 03:54:11
>>487
そうですか。それは良かったです。
ソースでも探してきますね。では。
489:465
06/09/16 04:17:29
油ハムは論破にこだわるオコチャマのようだね
いままで負けに負けてきたから「とにかく勝ちたいどうしても勝ちたい」
ということしか頭にないのだろうw (←↑ということにしたいのですねw)
こいつの論点のレベルの低さといったら・・ここは哲学板だゾw
せめて俺が出した「現教皇のイスラム批判」についてまともなコメントくらい書けよw
490:考える名無しさん
06/09/16 07:11:54
万物は神が創造された
と信じることで隣人に対する理解が生まれるし
神を、心と魂を尽くして愛す
と言うイエスの言った命題を全うできる
ではイエスは蛇足だったのか?
ユダヤ教徒の怠慢を咎めた変人なだけか?
イエスが神のみ子だとしたら ・・・
罪の赦しと悔い改めを伝えにやってきたのか?
終わりの日に正しき者を天へ連れて行くためにやってきたのか?
- 神を信じそのみ心を行っていることで、その人はすでに救われており
天の国にいるし、罪の赦しや悔い改めとは縁がないし、終わりの日に天へ導かれる
と言っても信じてみ心を行っているのならもともと天にいる人を天に導くとはどういう意味でしょう
491:考える名無しさん
06/09/16 09:52:42
ローマ法王が邪教徒としての本質を剥きだしにしてきましたね。
裏では軍需産業とつながってるんだろうな。
492:考える名無しさん
06/09/16 12:30:13
半ばあきれられてるべネたんに萌え
URLリンク(www.sankei.co.jp)
ローマ法王ベネディクト16世がイスラム教の「ジハード(聖戦)」を批判した
としてパキスタン下院が14日、全会一致で法王の発言を批判する決議を採択、
エジプトに拠点を置くイスラム原理主義組織が法王に謝罪を要求するなど、イスラム世界に反発が一斉に広がっている。
法王は12日のドイツでの演説で、聖戦で信仰を広めるイスラムの教えは「邪悪で残酷」
と評したビザンチン帝国皇帝の発言を引用。「原理主義は(イスラム教預言者)ムハンマドの教えに反する」として、
テロを行うイスラム原理主義者の宗教的根拠を否定した。
ロイター通信によると、インドネシアに次ぐ世界第2位のイスラム教徒人口を
抱えるパキスタンの下院は「法王の声明はイスラム教徒の感情を傷つけるもので
(宗教による差別撤廃をうたった)国連憲章に違反する」との決議を全会一致で採択。
インドネシアのイスラム教団体指導者も「法王がイスラム教を正しく理解していないことが明白になった」と指摘した。
エジプトの原理主義組織「ムスリム同胞団」最高指導者ムハンマド・マハディ・アキフ氏は
14日の声明で、法王発言はイスラム教の正確な理解に基づいていないと批判し
「宗教間の敵意をあおる発言についての謝罪」を要求した。
イスラム諸国会議機構(OIC)も14日「イスラムに対するバチカンの新政策でないことを願う」
との声明を発表。トルコのイスラム教指導者も同日、今年予定される法王のトルコ訪問を見直すよう求めた。(共同)
(09/15 23:02)
493:考える名無しさん
06/09/16 13:32:57
>>492
>テロを行うイスラム原理主義者の宗教的根拠を否定した。
これに反発するってことは、
イスラム社会は、テロを行うイスラム原理主義者を肯定しているってことなのかな?
494:いんちきクリスチャン
06/09/16 14:20:33
昔とは時代が変わったんだろうな…
前教皇の時代は他宗教に対する寛容が第一優先だったけれど、その結果として相対主義的な見方が広まりすぎてしまったから
反動が起きているのではないかな。
あくまで推測だけど
495:465
06/09/16 16:15:11
まあコーランにある聖戦(ジハード)の記述の反イスラム的解釈は、次の
通りだからね。教皇はこのイスラムの原典そのものに暴力性がある=
反イスラム教という立場を明確にしたのだろう。
「あなたがたに戦いを挑む者があれば,アッラーの道のために戦え。
だが侵略的であってはならない。本当にアッラーは,侵略者を愛さない。」コーラン2(雌牛章):190
「かれらに会えば,何処でもこれを殺しなさい。あなたがたを追放したところから,
かれらを追放しなさい。本当に迫害は殺害より,もっと悪い。だが聖なるマスジドの近くでは,
かれらが戦わない限り戦ってはならない。もし戦うならばこれを殺しなさい。
これは不信心者ヘの応報である。」コーラン2:191
「だがかれらが(戦いを)止めたならば,本当にアッラーは,
寛容にして慈悲深くあられる。」コーラン2:192
「迫害がなくなって, この教義がアッラーのため(最も有力なもの)に
なるまでかれらに対して戦え。だがもしかれらが(戦いを)止めたならば,
悪を行う者以外に対し,敵意を持つべきではない。」コーラン2:193
「アッラーのために、限りを尽くして奮闘努力(ジハード)しなさい。
かれはあなたがたを選ばれる」コーラン22(巡礼章):78
「本当の信者とは、一途にアッラーとその使徒を信じる者たちで、
疑いを持つことなくアッラーの道のために財産と生命とを捧げて
奮闘努力(ジハード)する者である」コーラン49(部屋章):15
496:465
06/09/16 16:32:03
しかし注目すべきは、カトリック教徒全体の意向を左右しかねない教皇が
イスラム教そのものを自ら非難した。ということだね。
その発言をすればイスラム教徒の反感を買うのは火を見るよりも明らかなのだが。
なぜカトリックは自らイスラムとの対立・紛争を起こすような真似をしたのか・・
このままではまるで過去の十字軍と同じ構図になってしまうのだがw
>>1の「3キリスト教が戦争を生み出す」これにまた一歩信憑性が出てきましたなw
497:考える名無しさん
06/09/16 16:35:21
戦争が必ずしも悪いわけではなく、戦争以外に解決できないこともあるけどな。
まだまだ人間は野蛮。力は必要だよ。
498:真理
06/09/16 19:45:20
世界開始の科の御伝え
そもそも デウスと敬い奉るは 天地の御主 人間万物の御親にてましますなり
はじめに 天地万物を つくらせたまい また 土より五体をつくりて人となし
これ アダンとジュスヘルのふたりなり パライソに二本の天の木あれば かならず
食う事なかれと デウスかたく仰せあるを ジュスヘル アダン をたばかりて
アダンは まさんの木の実をとりて食い ジュスヘルはいのちの木の実を食しける
これより たちまち天の快楽をうしない アダン その妻エワと下界に追いやられ
畜生を食し 田畑を耕してまいるべし また ジュスヘルの子ども 死ぬことなく
生みふえれば デウス これを憂いたまいて 地をひらきて インヘルノに落としたもう
その子孫 わずかに人からかくれ住み いのちの木の実の功力にや 死ぬこと
なしといえども デウスの呪い受けたれば 順次に インヘルノにひきこまれ
子し孫そん 地の底に身をもがき キリント参る日まで 苦しみつきざるというなり
499:処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2
06/09/16 20:49:25
ムスリムは預言者イーサには常に敬意を忘れない。
イエスは自分をキリストと見なさない者全てを敵
にせよとは教えていない。
500:考える名無しさん
06/09/16 21:31:23
キリスト教はやっぱり邪教だねえ
501:処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2
06/09/16 21:58:20
アッラー・アクバル!!!!!!!!!!!
502:考える名無しさん
06/09/16 21:58:49
>>499
> イエスは自分をキリストと見なさない者全てを敵
> にせよとは教えていない。
教えていようがいまいが、現にカトリックの現ローマ法王が
他教に対して非難声明を出しているし、
現に、79%で占められるキリスト教国家アメリカも
イスラムとの対立を宣言しているわけ。
原典から導出される教えと現場の実態は異なるのだよ。
503:処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2
06/09/16 22:01:41
そりゃ、信者のせいであって、キリスト教自体が悪いことには
ならんだろう?
504:考える名無しさん
06/09/16 22:16:15
何でこんなふうに食い違ってしまうのか、
これは興味深い。「汝の敵を愛」する努力をしてる
クリスチャンってどれほどいるんだろうか。
505:考える名無しさん
06/09/16 22:53:42
>>503
重要なのは宗教観ではなく、宗教者の実態なのでは。
教義がいくら素晴らしい「善」であっても、
それを信じる者の行動が「悪」ならば、邪教と言わざるを得ないのでは?
506:一言居士
06/09/16 23:11:11
汝の敵を愛せよ、って本当に敵を愛するってわけじゃないそうな。
507:考える名無しさん
06/09/16 23:42:43
>>506
まあそれは「敵」や「愛」をどう解釈するかによると思うね。
「憎む者に親切にする」ということです。」 (ルカ6:27)
だと、敵=憎む者、愛=親切
「のろう者を祝福しなさい」 (ルカ6:28a)
だと、敵=のろう者、愛=祝福
「はずかしめる者のために祈れ」 (ルカ6:28b)
だと、敵=はずかしめる者、愛=祈れ
なんじゃないかな。
508:いんちきクリスチャン
06/09/17 00:07:04
>>465のソースは教皇の発言全体をみないと判断できないような。
イラク戦争について、イスラム諸国もアメリカ(=西洋の徹底的な啓蒙主義?)も両方とも良くない、と言いたかっただけなのかもしれないし。
509:考える名無しさん
06/09/17 01:24:22
そういえばスマトラ沖自身の津波で人がたくさん死んだとき、
どっかの聖職者が「神がいるとは信じられない」とか言ってた
という話があったけど実際は誤訳・読み違えだったとかいう話もあったな。
510:考える名無しさん
06/09/17 02:42:21
チン ☆ チン ☆
チン マチクタビレタ~ チン ♪
♪
♪ ☆チン .☆ ジャーン! マチクタビレタ~!
☆ チン 〃 ∧_∧ ヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヽ ___\(・∀・ #) /\_/ < 教皇の発言のソースまだー?
チン \_/⊂ つ ∥ \__________
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/| ∥ マチクタビレタ~!
|  ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:| :| /|\
| |/
511:考える名無しさん
06/09/17 10:21:07
>>508
いや、もうバチカンから謝罪表明が出たよ。
512:考える名無しさん
06/09/17 11:02:40
どんな宗教であれ、教義や信仰心を利用したテロは邪悪。
513:考える名無しさん
06/09/17 17:33:08
>>511
いや、それは間違いだよ。理由:教皇の発言が根拠ですw
514:油ハム
06/09/17 17:42:12
URLリンク(flash24.kyodo.co.jp)
ローマ法王が事実上の謝罪 聖戦発言「極めて遺憾」
【ローマ16日共同】ロイター通信によると、ローマ法王庁は16日、声明を発表し、
法王ベネディクト16世が、イスラム教の聖戦を批判したとされる自身の発言について「極めて遺憾に思う」と述べたことを明らかにした。
事実上の謝罪で、法王はイスラム教信仰に敬意を表し、発言の真意に理解を求めた。
AP通信によると、声明はイスラム教徒が反発していることに「法王は激しく動揺している」としている。
法王は12日のドイツでの演説で、聖戦で信仰を広めるイスラムの教えは「邪悪で残酷」と評したビザンチン帝国皇帝の発言を引用、
イスラム世界の反発を招いていた。
「法王はイスラム教信仰に敬意を表し」ていることは、これで証明されたと思う。
515:一言居士
06/09/17 19:42:32
>>514
そう言っているけど、本心はわからんよ。
イスラムを非難したあとで、この声明ではねえ。本心どっちなのって。
516:油ハム
06/09/17 19:49:28
URLリンク(news.goo.ne.jp)
ローマ法王の聖戦批判発言とは? 要約
2006年 9月16日 (土)
ローマ法王ベネディクト16世がイスラム教に侮辱的な発言をしたとしてイスラム諸国に反発が広がっている。
法王は実際に何を言ったのか、法王庁サイトに掲載された発言録から該当部分を抜き出してみた。
(gooニュース)
法王は母国ドイツを訪問中の12日、レーゲンスブルク大学で「信仰と理性と大学」という題の講話を行った。
イスラム諸国が問題にしている部分を含む内容は以下の通り(ドイツ語で語られた全文をローマ法王庁が英訳してホームページに掲載した記事から、
該当箇所をgooニュースが和訳した)。
つづく
517:油ハム
06/09/17 19:50:03
「私は最近、ミュンスター大学のテオドール・クーリ教授が編纂(へんさん)した対話集を読んだ。
博学なビザンチン皇帝マヌエル2世パレオロゴスがおそらく1391年に、アンカラ近くの兵舎で、
教養あるペルシャ人と交わした対話をまとめたものだ。皇帝はペルシャ人を相手に、
キリスト教とイスラム教について、それぞれがいかに真実のものかについて話し合った。
1394年から1402年のコンスタンチノープル攻撃の間にこの対話の内容を書き留めたのはおそらく、
皇帝自身だろう。対話相手のペルシャ人の言葉よりも、皇帝の言葉のほうが詳しく記録されているのは、
おそらくそのためだ。
(中略)
「クーリ教授が編集した7つ目の対話の中で、皇帝は聖戦について触れている。
皇帝は(コーランの)第2章256に『宗教に強制はない』と書いてあるのを知っていたに違いない。
専門家によると、この章(スーラ)は初期に書かれたもの、ムハンマドがまだ無力で危険にさらされていた時期のものだという。
しかしもちろん皇帝は、後に唱えられコーランに記録された、聖戦についての指示も知っていた。
皇帝は『聖書』を信仰する者たちと『異教徒』たちへの扱いの違いなど細かな議論には触れず、
一般論として宗教と暴力の関係について、驚くほど直接的に、対話相手に問いかける。
皇帝は『ムハンマドがどんな新しいものをもたらしたか、見せてほしい。自分が唱える信仰を剣で広めよという教えをはじめ、
邪悪で非人間的なことばかりだ』と言った。
「皇帝は、自らの考えをこうして力説した後、暴力による布教がなぜ理性に反するのか、
その理由を詳細に論じ始める。暴力は、神の本質、魂の本質とは相容れないものだと。
皇帝は言う。「神は、流血をお喜びにならない。また理性的でない行動は神の本質に相反するものだ。
信仰は魂から生まれるもので、肉体から生まれるものではない。他人を信仰へ導く者は、暴力や脅迫を使わずに、
よく語りよく議論できる者でなくてはならない。理性的な魂を説得するには、腕力も武器も必要なく、
死をもって人間を脅すようないかなる手段も必要ない』と。
「皇帝が対話で、暴力的な布教活動に反対して主張いるのはつまり、こうだ。理性なき行動は、神の本質に反するものだということだ」
(中略)