06/06/17 18:34:17
ゲーム理論や数理経済学の概念系で、社会主義の有用性を語ることも可能である。
「市場経済における[共有地の悲劇]を避けるには、プレーヤーの協力が合理的戦略となる……」とか何とか。
つまり、社会主義とヘーゲル弁証法は別に必然的関連を持ってないわけだ。
単に[大きな政府]主義という意味での社会主義を主張する人々は、
[大きな政府]の利点と欠点の両方を理解している。
どのみち〝必要悪〟でしかありえない選択枝の中で、トレードオフを計算して、
少しでも〝必要〟の部分が多く、〝悪〟の部分が少なくなるような選択をしたのが、彼らの社会主義である。
彼らの政治的結論は[小さな政府]主義者の対極だが、
その結論に至る思考のフォーマット自体は共通であり、様々な要因に関して採点が違うにすぎない。
マルクスが居なかった場合の社会主義運動は、そういうものであり続けたはずだ。
社会主義を、ヘーゲル弁証法という疑似宗教と関連付けたのが、マルクスの思想的要点。
このトリックのおかげで、社会主義運動は、宗教運動の持つパワーと閉鎖性の両方を持つことになった。
>>71 みたいな問いは、そういう疑似宗教の気分を端的に現している気がする。
[大きな政府]主義という意味での社会主義運動においては、
「ある聖典が存在し、それを理解することが善で、理解しないことは悪」
なんていう前提が持ち出されることはないだろう。