06/08/21 01:58:59
>>738
少し意図がくみとりかねるが・・・
そりゃ誰しも語れてないんだろうね。
シュタイナー自身さえ語りえないことにえらく自覚的だった。
神智学を経て得たのがあの文体.語りえぬことを語るのではなく
真摯な読者に自身の体験として見させ、確かめさせる文体.
読書そのものが行(実践)になるように、っつーあれ。
「あっち」の文体に行く前の『自由の哲学』の前半部ラスト付近で
確か奇しくも「概念」と体験の話が出ているが あのあたりが
もろに『いか超』につながる。
いか超では 真の概念に至るためのもう一つ(もう一つという書き方は
アウトなんだろうけど便宜上御容赦)の器官の獲得が説かれる。
そしてそうした器官にまつわる眼で真摯に読んだとき、
後期の(いわゆる)オカルト著作は体験として確認・吟味が可能になるという。
えらく冗漫になって申し訳ないけど、738は要は
「『いか超』で説かれるような実践的な見霊器官を得られるように
実践していますか?」
ということ?