06/06/09 23:05:36
人間の能力を補完し得る(ように見える)高機能の機器に囲まれて暮らす我々が、
修行を継続出来るか否かは、まず機器の高機能を断ち、次いで目を閉じ、更には
視覚以外の五感をも断った時にでも、如何にリアルに物質界での出来事を
想起出来るかに掛かっている。
そのように意識的に行われる修行は霊界に参入する際の実際的な訓練となり、
修行者に着実に成果をもたらす。まず視覚から始めるのが良い。
聴覚、嗅覚、味覚、やがてはシコシコという触覚(への依存)をも断ち切る事が
出来るはずである。禁欲の名の下に一定期間強制的にシコシコを断つ事は、
余り意味が無い。何故ならその人の魂は、シコシコを欲する限り、その段階において
まだ(本人が如何に否定しようとも)確実にシコシコを求めているのだからw
そういう人はむしろ、まず目を閉じ、心してシコシコを行うべきなのである。
現代の録画機器等は、そうした修行の導入部に、ごく短期間に補助的に使われる
べきであり、そうする事が出来ず、依存を続けるやり方でしかそうした機器に
接する事が出来ないのなら、そもそも「録画する」等という行為の意味は
無に等しいか、或いは霊的には全くの有害でしか無いのである。